2010年7月8日木曜日

ジョン・レノンの境涯

今回も前回と同様に、記事【菅直人氏について】のコメント欄に寄せられた質問からお届けします。ジョアン様の質問に対して霊界の住人の皆様の回答が届いておりますので、質問と併せてご紹介しましょう。





■ ジョアン様の質問

メキシコ湾と動物虐待について質問したものです。匿名のままも失礼なのでジョアンと名乗らせていただきます。
さて、ジョン・レノンの名前が出ましたので便乗して質問させていただきます。
ジョン・レノンが現在、地獄に堕ちていると吹聴する方々がおられます。
なるほど確かに生前、彼はキリスト教会的には不敬な発言をしたかもしれない。しかしそれを以て火焔地獄に堕とされるのであればなんとこの世界は無慈悲なものかと思います。
実際のところ彼はいかが過ごしていらっしゃるのでしょうか。
かく言う私は以前、このブログでも少し話題になった◯◯の◯◯という教団にいたことがあります。
教祖にも教団にも疑問を感じ辞めたのですが、その教団では「信仰の糸を手放すとその堕ちる先は地面ではない(地獄である)」と信者を恫喝していました。
私自身は教祖、信者、自ら天に背くような行動を取りながら何を言うか、という気持ちで辞めはしましたが、今ひとつ後味はよくありません。
今の私の気持ちとしては教会とは自らの心のうちに建てるものであって、自分以外の誰か、何かに依存するべきではない、という気持ちでいます。極論、神様なるものがいなくても、善悪とあれば、善をとる、とそういう気持ちでいます。
もっと言えば、信仰心があれば偉い、というものではなく、神をけなせば地獄に堕とされる、というものではない(いや、よくはないけど)と私は思ってます。
以上、ジョン・レノンのこと、自らの考え方のありようと、
霊界にいらっしゃる方々はそのあたりのことはどのようにお考えなのでしょうか?もしよろしければお伺いしたく思います。





■ 霊界の住人の皆様の回答

「先ず、始めに言っておきますが、“地獄”という世界はどこにも存在しておりません。
地獄と感じるのか、それとも極楽と感じるのかは、全て皆様方ご自身の心のあり方に掛かってきます。
あくまでも皆様ご自身の心が感じ取るものなので、『地獄である』とか『極楽である』と明確に区別出来るような性質のものでは無いのです。
例え同じ環境に置かれたとしても、地獄と感じる方もいれば極楽と感じる方もいるのです。
個々人によって経験の蓄積が違いますので、物事の捉え方も必然的に変化するものなのです。
大抵、宗教で地獄などの言葉を使う場合は、“戒め”の意味を込めている場合が多いですね。
本来の意味としては、実際に地獄へ行くわけではなく、心のあり方を改めなければ、例えどこで暮らしていても、そこはその者にとっての地獄となるという事だと思われますが、人間の理解力にあわせた表現がなされる為に、誤解を生んでしまうような曖昧な表現になってしまったのでしょう。
人間の側の理解の限界というものもございますから仕方ない事なのですが、逆にこの曖昧さが仇となり、人心を惑わせる材料とされてしまう場合もございますから注意が必要ですね。

どのような世界で過ごす事を望むのかは全て皆様ご自身が選ぶ事であり、それらの決定に関して神は一切干渉する事はありません。
神は皆様に道を示す事はあっても、皆様の意思を無視して進路を決定してしまうような甘やかしは一切致しませんから。
他者が決めた道に沿って歩むというのはとても甘えた考え方であり、神はその様な甘えは皆様の成長の妨げになると考えておりますから、基本的に“自分の進む道は自分で切り開く”という考えを基としております。
神は皆様の選択を尊重しておりますので、サポートする事はございますが、全てを決定してしまう事はありません。
それが例え、死後に暮らす世界を決定する場合であっても同じ事です。
ですから、神が人間を生前の行いで篩い分けて行く先を決定するという事は無いのです。
全ては個々人が自ら決定し、その決定に応じて神がサポートするというのが正しい認識といえます。

『類は友を呼ぶ』という言葉が示すとおりに、未熟な霊が集まりやすい世界もあれば、成熟した霊が集まりやすい世界というものもございますから、それぞれの世界を傍から観察してみれば地獄にも極楽にも見える事でしょうね。
見え方は人それぞれ十人十色ですから、例え同じ物を同時に見ても、全く異なった答を出す方もおられる事を覚えておきましょう。

さて、ここからはジョン・レノン氏についてお話いたしましょうか。
彼は別に地獄などという世界には居りませんよ。
どうやら、皆様の世界で経験した事では納得出来ないとの思いから、より適した世界を選び、暮らしておられるご様子です。
彼は今、彼が目指すものを実現しようと懸命に励んでおられるようですね。
生前果たせなかった事を実現すべく奮闘しておられるようです。
それは彼にとって地獄とは呼べないと思われます。
皆様がその世界を観察した場合は、それぞれの経験を基に判断を下されるでしょうから地獄とも極楽ともなりうる可能性はございますが、少なくともジョン・レノン氏は遣り甲斐を感じておられるようですよ。
生前気付けなかった事に気付いたり、理解出来なかった事を理解出来るようになったりと、大変有意義な生活を送っておられるご様子です。」

(2010年7月7日)





本家サイトや当Blogでは度々『地獄などという境涯は存在しない』と述べて参りましたが、例え戒めの意味を込めて分かりやすく説明する為であったとしても、そろそろこの様な認識を改める時期に来ているのではないかと思います。
皆様の日頃の経験を思い返して頂ければ、思い当たる節が有るのではないでしょうか。
なお、ジョン・レノン氏については霊界の住人の説明に委ね、後は皆様のご想像にお任せいたしましょう。

【Silvercord】管理人 

3 件のコメント:

ジョアン さんのコメント...

ご回答いただきありがとうございました。
ジョン・レノン氏におかれましては何だか人間くさい境涯におられるようですが、それが彼自身の欲することであるなら、それに勝るものはございません。自分で選んだことなら自分自身、納得がいくものですので。
それと『地獄などという境涯は存在しない』ということですが、それはもちろんないに越したことはないのですが、では、今まで「良からぬ思いと行いをなしたものは地獄に堕ちる」と喧伝してきたかたがたの影響はいかがなものでしょうか?
「認識をそろそろ改めるべきである」と仰いますが、「地獄はある」と、そういう刷り込みをして来た側にこそ問題があるのではないでしょうか?
プラトン氏、ダンテ氏、スウェデンボルグ氏、丹波哲郎氏、教会の牧師、お寺の坊さんなどといった方々はもし今、コンタクトを取ったとしたら
「地獄?ないよ、そんなもの。放っといたらお前ら悪さするだろ?だから戒めとして言ってただけ。真に受けんなよ(笑)」とか仰られるのでしょうか。
なんだか釈然といたしません...。

Silvercord管理人 さんのコメント...

ジョアン様に申し上げたいことが幾つかございます。
一点目は、主に本家サイトにて度々述べておりますが、霊界通信は非常に困難を伴う通信手段ですので、情報の受け手側の観察力・洞察力によって受け取るメッセージの内容が食い違ってしまいます。
詳しくは本家サイト掲載中の記事【霊界通信の難しさ(メッセージ34)】などをご覧下さい。

二点目は、霊体と肉体が融合した状態で存在する人間の仕組みそのものの影響があります。
霊が肉体に宿っている間は、肉体の物質的影響によって感覚が鈍ってしまいます。
逆に、死後肉体から離れることによって、生前は思いも寄らなかった新たな視野が開けたり、鋭敏に物事を感じる事が出来るようになります。
ですから生前は気づかなくても、死後改めて生前の経験を振り返る際に、生前は思いも寄らなかった視野から生前の経験を再評価することによって、新たな気付きを得ることもあるのです。
更に付け加えると、人間としての生涯を終えた方は肉体を失いますが、本質である霊体はなお存在し続け、その後も様々な経験を積みながら成長を続けます。
ジョアン様のコメントにあるプラトンと言う方は紀元前に生きたとされ、またダンテという方は十三世紀から十四世紀にかけて生きた方です。
死後、それだけの長い時間を経ているのですから、現在へ至るまでの間にそれなりの霊的成長を遂げているのは、むしろ当然と受け止めても良いのではないでしょうか。

三点目は、これは私の個人的見解と強調しておきたいのですが、私たち人間が心の働きをある程度客観的に取り扱うことが出来ることになったのは、学問としての心理学が成立して以降のここ百数十年余りであって、それ以前には『“地獄”とは心の働き云々~』という概念を私たち人間が理解出来なかったのではないかと思います。
つまり、『“地獄”とは心の働き~』と言う考え方を理解できるだけの知識を携えた方が増えてきたのは、それこそつい最近ではないのかというのが私の認識です。
ですから、ジョアン様のコメントにある人物が、生前に“地獄”という境涯の存在を信じていたとしても、別に不自然ではないと思います。
現代を生きる人々が、全体としてそれだけ賢くなったのです。
なお、教会の牧師や寺院の僧侶などの聖職者については、人によって理解の程度にバラツキがありますので、一概に述べることは出来ません。
また、丹波哲郎氏については分かりません。

ジョアン さんのコメント...

Silvercord Manager様
ご返事ありがとうございます。
あれこれ質問しても隔靴掻痒の感、なきにしもあらずなのですが
必要な時に必要な答えが得られる、というものなのでしょう。
まずは本家サイトの記事からこれからじっくり読ませていただこうと思っております。