■ 霊界の住人の皆様のコメント
様々なお考えのコメントを読む事ができまして、なかなか有意義な時を過ごせました。
皆様それぞれに、ご自身の経験から様々な事柄を学び取っておられるご様子が、一つひとつの言葉からよく窺えます。
これこそ生きた学びの場であり、様々な教訓を得ることが出来ると思います。
『銀の紐を越えて』【言葉を使って意志疎通を図る時に(メッセージ60)】←こちらの記事を是非読んでいただきたいと思います。
上記の記事は以前に伝えられたものですが、そこでも書かれているように、“人の考えというものは基本的には異なっている”という認識を持って周囲の方と接するほうが良いと思います。
同じ言葉を用いていても認識が異なっているという事はよくありますから、もしも認識を共有したいと望むのであれば、相手の真意を探り、ご自身のお考えを根気強く説明する姿勢は大変重要でしょう。
会話を重ねる中で、相手との認識のズレを修正する努力が必要です。
理解を深めた上でより適切と思われる言葉を選ばないと、相手が思い違いをしてしまい、誤解を生む原因となります。
言葉を交わす事は簡単なようで実は大変難しく、とても手間のかかるデリケートな作業なのです。
ご自分の発した言葉が、最初から意図した通りに周囲へ正しく伝わっているとは思わないことです。
発した言葉が、必ずしもご自分の思いを的確に表現できているとは限らないからです。
言葉の選択ミスで、真意が上手く相手に伝わらないという事もありますので注意しましょう。
例え似たような認識を持っている人はいても、全く同じ考えの人は誰一人として存在してはいません。
経験も知識も人それぞれに異なっているのですから、同じ事柄に対しても、多かれ少なかれ認識にズレが生じていて当たり前なのです。
そのズレを解消するために言葉を交わし、会話を重ねる事で共通認識をひとつずつ増やしてゆくのが人間なのだと思います。
それとよくあるのが、言葉が不足しているために真意が相手に伝わっていないというものです。
ご自身のお考えをご自身が理解できているのはよく分かりますが、相手には思い及ばない事ですから、言葉が足りていないとあまりにも唐突過ぎて、一体何を伝えようとしているのか相手には理解出来ません。
面倒に思えるかもしれませんが、言葉は丁寧に伝えるように心掛けましょう。
表情や態度からある程度相手の心情を察する事が出来る方もおりますが、心の内を読み取れる訳ではありませんから、きちんと言葉で表現しなければ、何時までもその思いが相手に正しく伝わる事は無いでしょう。
文章のみの会話であればなおのことです。
相手の真意を探ろうとせず、ご自分の考えを説明することもせず、殻の中に閉じこもってしまうと、結局ご自身が辛い思いをすることになります。
ご自身の意見を正しく伝えたいと思うのであれば、先ず、自分自身が相手の言葉の真意をより正しく理解しようと努力する事が大切です。
相手が何を考えているのか解らなければ、どのような伝え方をすればご自身の真意が相手に正しく伝わるのか判りませんから。
相手の言葉に耳を傾け、解らない事に関しては質問をし、相手の真意を理解できるよう努力し、その上でご自身の考えを正しく伝える努力が必要です。
相手の言葉を理解する過程でご自分の意見を伝え、表現をより的確なものに調整する事は大切ですが、相手の言葉の真意を探ることなく、ご自分の意見を一方的にぶつけるだけでは、その言葉が相手の心に届く事はありません。
それでは一方通行になってしまい、会話は成立しませんので、相手との意思疎通が難しくなってしまいます。
溜飲を下げたいだけならば(あまり感心できる事ではありませんが…)それでも構わないのかもしれませんが、相手との意思疎通を望んでおられるのであれば、ご自身が辛い思いをする事になってしまいます。
これは感情的になった場合によく見られる傾向ですね。
感情が溢れてつい酷い言葉ぶつけてしまったということもあると思いますが、もし失敗したと思ったのでしたら、その時点で改める事が大切だと思います。
一度発してしまった言葉を取り消す事はできなくても、改めて言葉を発する事はできます。
とは申しましても、感情に流されて売り言葉に買い言葉のような言葉のぶつけ合いは、出来るだけ控えた方が良いと思います。
感情的になっている時は、冷静な時には使わないような残酷な言葉を発してしまいやすいものですから、出来るだけ一呼吸置いて落ち着いてから言葉を発するように心掛けましょう。
高ぶった感情のままにぶつける言葉はとても危険なのです。
不用意な一言で誰かの命を奪う結果になる事もあるのです。
ご自分の命が危険に晒される場合もあります。
不満や怒りの気持ちが強い時は特に注意しましょう。
後でフォローできる立場に無い場合は、余計に気を遣う必要があります。
簡単なようで難しい会話ですが、コツさえ覚えてしまえば意思疎通を図りやすくなりますから、是非日常の経験を通じて根気強く上手な会話術を学び取ってみてください。
同じ認識を最初から共有できる相手に出会えるのであれば、それはとても嬉しいものですが、なかなかその様に上手く行かないのが人の世の常であると思います。
共感するのか否かに関しては人それぞれに考えがある事ですから、それを人に求める事は出来ません。
共感できないのであれば、ご自身とは違う考えを持つ人として付き合う必要があります。
相手をありのままに受け止めるとは、そういうことです。
相手を否定したり拒絶したりする事と、賛同や共感を示さないという事は必ずしもイコールであるとは限らないのです。
何れは認識を共有したいと思うのであれば理解を深める努力が必要ですが、だからと言って共感できないという思いを責めることは誰にも出来ません。
ご自身が正しいと思って実践するのは自由ですが、相手の方も同じ様に正しいと思うとは限りません。
ご自分の意見を相手に正しく認識してもらう事と、賛同や共感を示してもらう事は全く別の事であるので、そこのところはきちんと理解しておいた方が良いでしょう。
例えご自分の意見が正しく伝わっていたとしても、相手も必ず同じものを求めているとは限りません。
違う人間である以上、それは仕方の無い事なのです。
相手の話に耳を傾ける事は大切だと思いますが、その話についてどのような感想を持つのかは人それぞれで良いのではないかと思います。
認識が近ければ自然に共感を覚えますし、かけ離れていれば今一つぴんと来なかったり理解出来ないという場合もあるでしょうから。
その先を望むのか否かも人それぞれに思うところがあると思いますので、ご自身が信じる事を実践されるのが宜しいかと思います。
( 2011年7月28日)
一連のコメントの中には私のコメントも含まれますので、この記事についてはノーコメントとさせて頂きます。
Silvercord管理人
7月28日現在回答待ちの質問
記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。
- 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について
- 記事【日本は法治国家である】のコメント欄からお寄せ頂いたたらこ様の質問「三島由紀夫氏が死後霊界でどの様に過ごしたのか」について
- 記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】のコメント欄からお寄せ頂いたあやめ様の質問「霊的な視点から見た『東北地方太平洋沖地震』発生の理由」について
- 記事【パニックによる人災を防ごう】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問「『東北地方太平洋沖地震』による、記事【『国境を管理する霊団』からの警告】への影響」について
4 件のコメント:
こちらに書かれていることは寛容過ぎて、物足りない気がします。
お尋ねしたいのですが、日本の神々というのは、
日本と日本人のために外国と戦ったりはしないのでしょうか?
攻撃はもとより、守ることさえしていないような気がします。
これだけ長きにわたって、日本人から祭られ、供え物を受けているというのに。
8月2日0:29投稿の匿名様
参考までに伺いたいのですが、匿名様は何がどの様に寛容すぎていて物足りないと感じておられるのでしょうか。
具体的に示して頂けますか。
寛容過ぎて物足りないというのは、
例えば、韓国や中国のような国の政府や国民が、無理無体なことを言ってきても、「駄々っ子の甘えだから」とか、そういう国民性だからと相手を責めるより、日本人に大人の対応を求め、強硬な策に出ることを諌めておられるようなことです。
相手方が自然に変わることはあり得ないでしょうから、日本人はただ耐えるしかないわけです。相手側の自滅を待つにしても、そんなのいつのことになるやら…。
確かに、相手と同じレベルに落ちては、こちらの魂が汚れます。しかし、そもそも、汚い相手と綺麗に闘って、勝てるものなのでしょうか?そんな綺麗ごとを言っていられるのでしょうか?闘うには、こちらにもそれ相応の覚悟が必要なのではないでしょうか?
日本の神々や霊界の方々は、日本や日本人がこういう状況にあって苦しんでいるのを見て、平気なのでしょうか?
私のような生身の人間と違って「魂の格」が高過ぎる上に、肉体を持たないので、生身の人間の怒りや悔しさ、肉体的苦痛などに鈍感なのでしょうか?
それとも、彼の国々の言い分にも一理あると、理解や同情心を持っておられるのでしょうか?自らに唾を吐きかけられても許す気があるのでしょうか?
日本の神々や霊界の方々は、子供がいじめられて傷ついて帰って来ても、何もせず、「どうせお前にも落ち度があったんだろうから、仕方が無い。多分相手にも事情があるんだよ。これはお前にとっての試練だから、耐えて成長しなさい」と言い放つ親のような存在なのでしょうか?「大人」に見せかけて、実は「ヘタレ」なだけの親みたいな存在なのでしょうか?
どうも最近、そういう不信感を抱いてしまうのです。
神々は目先の事では動かないからと思ってきましたが、動かな過ぎると思いませんか?それとも、最初から物事を動かせる力なんかないのでしょうか?全て人間の幻想だったのでしょうか?ただ、子孫から供養されているだけの先祖霊というのが、日本の神々の真実なのでしょうか?
8月2日0:29投稿の匿名様
記事【人間が成長するように援助するのが神々の務め】を投稿しましたので、ご覧下さい。
なお、8月2日23:09投稿のコメントについては、記事に反映できませんでしたが、不足している点については、後ほど補足説明を追記することになると思います。
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