2011年8月14日日曜日

無闇に災害や争いを起こす神はいるのか?

今回は、記事【人間が成長する様に援助するのが神々の務め】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問について、霊媒Mのコメントを預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

ここに書いてあるとおり神々は外国と戦わないはずですが、

最近流行ってる「日月神示」は

神が今外国と戦ってるとか

肉は食べてはいけない

肉は供えたら食べていい

とか世界中が日本つぶしするとか

盲目的にそれを実行したら救うとか

つまみあげてやるからとか

天変地異とか

破滅的なことばかり書いてあるんですが、

そんなことはありえるのでしょうか?

神社とかは金儲けのためにやってるわけではないのに

解説本やCD、プレートとかを売り出したり

していてどうもよくわかりません

むやみに何でも壊すために居るわけではないのに

災害を起こそうとか争いを起こそうとかそんな

神なんているのでしょうか?

安心とか勇気とかを与えるものだと思ってます。





■ 霊媒Mのコメント

「日月神示」を読んだ事が無いので、通信をされた神様がどのような意図を持って伝えてきたものであるのかを判断する事は出来ません。
これからお話しする事は、ご質問文をもとにした私個人の意見である事をご了承くださいませ。
私の意見が正しい解釈であるというわけではありません。

「神が今外国と戦っている」とは、一体どのような意味なのかを考えてみました。
神は一体誰と戦っているのでしょうか。
外国の人間でしょうか、それとも外国の神でしょうか。
もし人間相手ならば、一体何が目的なのでしょうか。
この世界の秩序を保ち、人間の成長を促すことが目的であると常々伺っておりますので、無闇に攻撃を加えて人間社会を滅ぼすような事は無いと思います。
人間の心と戦っていると考えると理解できるような気もいたしますが、日本の神様であれば日本人の心に向き合いそうなものだと思うのです。
外国人の心と真正面から向き合えるように、日本人の心を育てるために奮闘しているというのであれば理解できます。
日本が外国に臆することなく対応できる力を培うという意味で戦っているのかもしれません。
それでは、もし神が相手であれば、一体何が目的なのでしょうか。
今まで教えていただいた知識によると、管理している国は異なっていても、その目的は同じであると伺っておりますから、共通の目的を持って活動しておられる神々が戦う必要性が一体どこにあるのか理解できません。
ライバルとして競うというのであればまだ解らなくもありませんが、神様方はその様な競争には余り関心が無いように思われます。
こう考えてみると、やはり人間に対して何かの働きかけをしていると考える方が自然なように思えます。
ですが、直接外国に対して何かをしているという意味ではないような気がします。

「肉を食べてはいけない、肉は供えたら食べて良い」というのは、どのような意味なのかを考えてみました。
「供えたら食べて良い」という言葉から考えると、「命の糧を得られることに感謝しましょう」という意味であるように思います。
この世界で命を繋ぐという事は、必ず他の命をいただいている事になります。
この世界で生きている以上、どのような生物でも、皆同様に他の命を自らの命の糧として暮らしております。
今までいただいてきた多くの命の意味を、それら多くの命を糧にしてまで生かされている意味を、人間は理解する必要があるのだと思います。

「世界中が日本つぶしをする」とは、どのような意味なのかを考えてみました。
「日本をつぶす」というからには、日本は邪魔であると考えられているという事であると思います。
それでは、一体日本の何が世界中の邪魔になるのでしょうか。
世界中が相容れないと思えるような何かを、日本が持っているとは考えられないでしょうか。
日本だけが持っている、世界には無いものとは一体何なのでしょうか。
そこを考えてみると答えが見つかりそうです。
「つぶす」という表現は、世界中が日本を恐れていることの裏返しであるように思います。

「盲目的に実行したら救う、つまみあげてやる」とは、一体どのような意味なのかを考えてみました。
この言葉に関しては、神様方や霊界の皆様に教えていただいたものとは真逆の意味になりますので、どのように捉えて良いのか正直なところ解りません。
盲目的に実行するという事は、自らは考えない事を意味しますから、神様の言いなりという事になります。
ですが、ただ神様の言いなりに実行していただけでは、何故その行いが正しいとされているのか、その意味を理解することができません。
行動の結果(因果律)を理解するためには、盲目的では学べないと思います。
自発的に考え、実践し、その結果から学ぶ姿勢が求められていると思います。
形式的には正しい行いであったとしても、その心が行いに伴っていなければ、あまり意味が無いと思います。

「天変地異」に関しては、地球が生きていることの証であり、自然のサイクルであるので、そこに神々が手を加えて止める事は地球自体の秩序を乱す行為であると伺っております。
天変地異自体を止める事は秩序を乱す行為であっても、それらの影響を最小限に止めるための知恵や、影響が出た後に対処するために人間に知恵を貸す行為は秩序を乱すことにはならないそうです。
ただし、神様が人間に知恵を貸す場合の方法は一つではありませんし、神様から伝えられたものであると確実に判る形であるわけではないそうですから、注意深く世の中を観察していた方が良いと思います。
神様方と人間の心が一つになった活動に関しては、精力的に活動できるように補助していただけるようです。
とんとん拍子に事が運んだり、必要な条件が整いやすいなどの形で現れたりしますね。
逆に、思うように事が運ばなかったり、邪魔が入ったりする場合は、何か大切な事を見過ごしていると教えてくださっているのかもしれません。
余談ですが、人間が発するエネルギーが天変地異に影響を与える事はあるそうですが、災害を起こしたり無くしたり出来るほどの影響力は無いそうです。

解説本やCDに関しては、どのような形で提供されているものであるのかを確認したわけでは無いので何とも言えません。
皆様が理解を深める助けとして役立つと思って提供されているものであるのかもしれませんし、お金儲けが目的の場合もあるかもしれません。
どちらの場合であっても強制では無いと思われますので、必要だと思えば利用すれば良いと思いますし、必要ないと思われるのであれば係わらなければすむ話だと思います。
いくら神社であると言ってもこの世界で運営している以上維持費は必要になりますし、何かを皆様に提供する場合はそれなりに費用が必要になります。
運営維持するために最低限のものをいただいている状態にまで疑いの目を向けるのもどうかと思いますし、お金儲け目的か必要経費なのかは観察していればわかることだと思います。
あまりにも法外であると思われるのであれば、その様な事をしている場所とは係わらないようにしていれば、何れ運営できなくなって寂れてしまうでしょうし、あまり神経質になる必要もないと思います。
拝金主義に走れば神様にお叱りをいただく事になると思いますし、運営する上でも何かと苦労が絶えなくなってくると思います。
神様と心が一つである事が、神社を安定して運営するためには必要不可欠であると思います。

無闇に災害を起こしたり、争いを起こす神などはいないと思います。
先ほどもお話しましたとおり、天変地異は地球の自然サイクルであるということですので、人間に被害を与える為にわざわざ起こされているものではありません。
その場に居合わせることには何かの意味があるのでしょうが、それが神々による無慈悲な殺戮であるという事は考えられません。
自然の営みのそこここに神々の御業を垣間見る事ができますが、その事から考えても、神々がこの世界を破壊してしまうような事を自ら望んで行うことは無いと思います。
もしこの世界に終わりが来るとしたら、それはこの世界が寿命を迎えたときであるのでしょう。
それは無慈悲な殺戮ではなく、新たな誕生へと導くための区切りのようなものだと思います。
争い事の発生は、人間自身の心の問題であるように思います。
神様方は、争いを起こさないよう人間に知恵を貸そうと、様々な工夫を凝らして伝えてくださっていると思います。
それでもやはり人間にはまだ理解出来ない事の方が沢山ありますから、それらの知恵が見過ごされて活かされていないだけであるように思います。

人間が理解している神々というのは、神々が持つ一側面に過ぎないと思います。
人間が理解できる範囲内だけで判断したものが、今人間が知っている神々なのだと思いますし、人間の理解を超えた側面に関しては、例え目の前に提示されていたとしても見過ごされているのだと思います。
私がお話した事も、神々が持つ一側面に過ぎないと思います。
神々が持つ他の側面を垣間見ている方もおられるかもしれませんが、それらを合わせて考えてみたとしても、人間にはまだまだ理解できない存在なのだと思います。

(2011年8月13日)





日月神示に関する霊界の住人の皆様の見解は、以前投稿した記事【日月神示の信憑性】で尽くされていると考えております。
また、記事中でも述べておりますが、上記霊媒Mのコメントは匿名様の質問文を受けたものであって、日月神示の原典を参照しておりませんので、その点について重ねて強調しておきたいと思います。
なお、原典の内容を具体的に示して頂いた上でのご質問でしたら、内容的にももう少し踏み込んだ回答をお届けできるかと思いますが、日月神示全体としてはかなりの文書量になるようですので、当Blogで取り扱うには物理的制約がございます。
日月神示も霊界通信の一種の様ですし、霊界通信を取り扱う際の注意点や心掛けについては、当Blogや【銀の紐を越えて】でも度々述べておりますので、それらを参考に、匿名様ご自身も気になる点について考えてみてはいかがでしょうか。

Silvercord管理人 





8月14日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日月神示の原本は現在の日本語で書かれたものではありません。自動書記による原文を後の人が翻訳したものです。
その時代背景、翻訳者の知識や傾向などにより色づけされます。翻訳者が意図してなくてもです。
さらに、その翻訳したものを、解釈した本になれば、さらに解釈した人の色づけがされます。このあたりになると意図的に解釈することも多いかと思います。
そんなわけですので、どのあたりが色づけなのか、どのあたりは原点のエッセンスなのかを読み取るつもりがないと、簡単に惑わされることにもなるでしょう。
日月神示に限らず、多くの預言書、予言書等には、その元となる情報があり、そこだけは事実や真実であることが多く、元が真実であるがゆえに、その周囲までも全て鵜呑みにしてしまいがちですが、人を取り込む際の常套手段として、一つの真実、事実を織り込み誘導するというのがあるので、ここでも言われていますし、オカルト系に警鐘を鳴らす方々が言うように、最低限の真偽の確認はご自身で行うことが賢明でしょう。付和雷同が一番始末に負えません。

Silvercord管理人 さんのコメント...

8月14日13:34投稿の匿名様

原典を漢字仮名交じり文に翻訳した文書を『ひふみ神示』と呼び分けているようですね。
また、こちらのご指摘はごもっともであり、当Blog掲載記事をご覧になる際にも、その様な心掛けで臨まれると宜しいかと思います。