北野天満宮といいますと、学問の神様としても有名な『菅原道真』公を御祭神としておりますが、道真公の生前の事蹟から『祟り神』とも受け取られている方です。
以前、京都を訪ねた折には参拝できませんでしたので、今回は是非にと考えておりました。
例によって、こちらでも霊媒が御神籤を引きました。
そこで、御祭神である菅原道真公にご登場願い、御神籤に込められたメッセージの解説をお願い致しました。
一栄一落これ春秋
咲き盛る春の花も秋には枯れて凋んで終うものであるとのお詩です。
従って常に心を正常に保ち、天神様にお縋りしていけば気運は上昇します。
万事油断することなく自重しなさい。
火難に注意。
菅原道真公:
この話『咲き盛る春の花も秋には枯れて凋んで終うものである』には先があって、花とは実を付けるために咲くものですから、そこで枯れて終わってしまうのではなくて、翌年に繋がって行くもの――そこで途切れてしまう、終わってしまうわけではなくて、来年に向けての準備を整えて冬を迎える――そこまで含めて考えるとよい。
そしてまた翌年には芽吹いて花が咲いて…という風に繋がってゆく。
『一栄一落』という風に表現すると、栄えている時期と衰退している時期という風に受け止められるのですけど、『春秋』というと、一つのサイクルとして定まっているもので、それは毎年繰り返される、という風に皆様は想像されると思います。
栄えている時に栄養を蓄えて、衰退する時期に備える。
要するに、物事は瞬間だけを切り取ると良い時と悪い時がありますが、その瞬間の連続を流れとして追ってゆくことで、「何の為にその時期があるのか」が分かる。
物事には必ず意味がありますから、それを一時の感情のみで良し悪しを判断するのではなくて、一つ一つの現象の意味を、時間が一巡りする様子をきちんと見た上で判断しましょう。
管理人:
つまり、一つ一つの物事に分断して見るのではなくて、流れで見ましょうということでしょうか。
一つの別々の物事に見えても、その間には何らかの繋がり・関係があります。
その関係を見極めましょうということでしょうか。
菅原道真公:
花の話で言うと、枯れてしまうのは悪い現象と受け取られがちですけど、花が枯れた先に実がなったり種がなったりするのは、子孫を残すための準備をしていると考えると、それは一概に悪いこととは言えない。
明日への備えと考えた時に、今この瞬間に、自分自身にとっては不愉快に思う出来事があったとしても、よくよく観察して見ると、実は将来への備えをする為には重要な出来事かも知れない。
それがあることによって、また再び芽吹く時が来た場合に、もしかしたら以前よりも大きな花を咲かせて、大きな実を実らせる事が出来るかも知れない。
その為の準備の時間であるということが言えると思います。
熟成させる期間。
自分自身には無駄に思えても、実はとても大切な働きをしている。
後々になって見た時にそれが良く分かる。
だから、瞬間瞬間だけを捉えてみるのは…。
華やかな時期には意味があるし、花の盛りを過ぎて枯れてしまった後にもそれなりの意味がある。
植物で例えれば、最終的には種を産み出して子孫を増やしてゆくのが目的だから、常により良い実を付けて、種を遠くまで運んでもらったりと、意味があって全てが成り立っている。
だから、一つ一つの現象だけを切り取って判断しようとしても、見えてこない物があって、それは自分自身の役に立って行くものであります。
管理人:
なので、『咲き盛る花の時期にあっても、万事油断することなく自重しましょう』ということでしょうか。
菅原道真公:
苦しい時期は誰でも気をつけるけれども…。
管理人:
調子のいい時期でも気をつけて“程々”を心がけましょうと。
菅原道真公:
それが将来的に、自分にとってどういう意味があるのかを考えて見る――それはとても大切なことであると思います。
管理人:
では、御神籤の解説については以上でよろしいでしょうか。
菅原道真公:
『天神様にお縋りしていれば』とありますが、縋るのではなくて、「天神様のお力に支えられているのだから、これからも頑張って努力してゆこう」という心構えが重要です。
お縋りしているだけで何の努力もしなければ、何も得るものはありません。
だから『縋る』という表現は、間違いではないけれども、勘違いしやすい。
管理人:
依存するわけではないと。
菅原道真公:
依存する意味ではないです。
そういう意味の『縋る』ではなくて…。
管理人:
神様の後押しを受けて、努力を重ねるということでしょうか。
菅原道真公:
神とは常に万人に同じように力を注いでいるので、そのことを信じて努力を続ければ…。
「私も神に愛されている存在である」と強く意識して、努力を続けて下さい。
管理人:
そうすると神様のお力添えがありますと。
菅原道真公:
力添えを上手に活かせるようになります。
お力添えは常にあります。
管理人:
それをうまく受け取って活かせるかどうかは、受け手側の問題ということでしょうか。
菅原道真公:
そうですね。
同じことをしても、相手によって違う反応が返ってくるという経験を皆様もされていると思いますが、霊的な力もやはり受け手によって反応がまちまちなので、こちらでは同じように注いでいても、その力を上手に活用出来ている人と、全く活用出来ないで無駄になってしまう場合もある。
その力が活きてこない。
ただその力があるというだけで、その人物の行動や生活の中で活きてこない。
そういうこともあります。
その方の考え方や行動次第で変わってくることもあります。
管理人:
では、御神籤については以上でしょうか。
それではここで話を変えたいと思うのですが、今回お話を伺っているのが菅原道真公と言うことですので、是非お聞きしたいことがあります。
菅原道真公というと、一時期は朝廷で重用されて重要な役どころを担っていながらも、ある時左遷されてしまって、九州で志し半ばに亡くなられたと伝えられております。
その後、道真公を九州に追いやった関係者に次々に不幸が襲いかかったので、道真公の祟りと言われるようになりました。
それが現在でも続いていて、「道真公は祟り神である」という受け取られ方も一部でされているようですが、私たちが今までに伺った霊的知識に基づけば『祟り神』という存在はあり得ないと思いますので、その点について解説をお願いできますか。
菅原道真公:
皆様に一つだけ、これは覚えておいて頂きたいのですが、「人を祟る」とか「恨む」という気持ちは、全て自分自身に還ってきますからね。
相手の方は、その相手の方の心がけ次第ですから、相手の方がどうなるのかはその方の問題。
私自身が祟るか、恨むか、呪うかは私自身の問題ですね。
それで、そういった感情は天に唾を吐くような物なので、全て自分の身に降りかかってきますから、余り意味がないと思います。
そうではなくて、先ほど御神籤の話をしましたが、なぜそのような時期があるのか、なぜそのような立場に置かれているのか、それらを見極めて判断できる、心の冷静さを持つことが大事だと思います。
全ては繋がっていて、例えばその様な現象(=菅原道真公の祟りと言われる現象)がなければ、私は今この様な立場で、今のお役目を授かっていなかったのかも知れないのですね。
全ての現象は一本に繋がっていて、ある意味一つの完成された状態に導かれる為のステップ――一つ一つの準備であると考えます。
だから、先ほどのお話をきちんと理解して頂けた方であれば、良く分かることであると思います。
恨みは――恨んだり、呪ったり、憎んだりという気持ちは、それがそのまま自分を蝕む。
そして、その力がそのまま自分に戻ってくる。
そういう物だと思います。
その様なことをしていたら、私は今のようなお役目は、とてもではありませんが恥ずかしくて受けることは出来ませんよ。
管理人:
私は「祟り神」などということはちょっと違うと思っておりましたが、今の世の中でも過去の時代からの言い伝えが残っていますし、霊的な存在に対する理解がなかなか突っ込んだところまで…。
菅原道真公:
一つよろしいですか?
祟りだという風に片付けてしまうのは、結局は、原因が自分自身にあることを認めたくない為に、責任逃れの気持ちが形として表れている物だと思います。
祟りというけれども、そういった災いのある場所に居合わせるのは、それなりに意味があることです。
今の私が気づいていないこと、成長する為のきっかけとなる物なのですが、それを「祟られて不幸になった」として片付けてしまっては、自分自身の心根を改めて成長する機会を逸してしまって、対象物に対して宥めよう、鎮めようとしても、余り成長には繋がらないですね。
祟りだと言ってしまうのは逃げの精神であると知りなさい。
人間の狡さですよ。
そこを改めなさい。
何の因果関係もなくて、その様な目に遭うことはないから。
必ずその心根に何か問題がある。
何かを気づかせる為に、その場に居合わせる。
全て、経験は成長する為の教材のような物ですので、良く心得て日々生活してください。
管理人:
今のお話は、「耳が痛いな」と思われる方もかなり居られるのではないかと思いますが…。
菅原道真公:
誰でも、自分一人では背負いきれなくて逃げたくなることもありますが、だからこそ御神籤にあるように「天神様にお縋りしなさい」とあるのは、天神様は常に万人に手を差し伸べているのですから、その事を信じて精進しなさいという意味で、「お縋りしなさい」と言うことですね。
逃げの口実にしてしまうのではなくて、一歩前進する為に「お力添えをして頂けるから大丈夫だ」と、自分自身を勇気づける糧として頂ければと思います。
管理人:
ここまでのお話で、私としては充分実のあるお話を伺えたと思いますが、何か付け加えることはありますか?
菅原道真公:
無理をしない、見栄を張らない、相談する。
困った時や行き詰まった時に。
一人で考えていると、段々一つのことしか考えられなくなって、八方塞がりのような気分になるので、一人で悩まないことですね。
(2010年12月24日)
菅原道真公に限りませんが、神社の御祭神として祀られる一方で、祟り神とされている方がおられます。
しかし、菅原道真公が述べておられる様に、人間としても余り褒められたものではない『祟る』、『恨む』、『呪う』という行為にうつつを抜かしている方が、果たして人々の崇敬を集められる様な存在でいられるのか、この際よく考えて見て頂ければと思います。
【Silvercord】管理人
3 件のコメント:
初めて コメントさせていただきます
私は、宮崎に住んでおります。 去年からの口蹄疫、今年に入ってから鳥インフルエンザ 新燃岳の噴火とこれは何かの兆しなのかと心配しております。偶然の一致なのかどうか教えていただけないでしょうか。よろしくお願いしたします
私も同じことを質問したいと思っておりました。
宮崎にはあまりに災害が多すぎます・・・
やっと口蹄疫が収束したと思ったらまた韓国から来そうですし
神々のご加護をお祈りしております。
東京の人間の政治のやり方のせいで宮崎県や各地で
苦労が絶えないのに何故東京には自然災害などが起きないのか
不思議でなりません。
弥生様
2月1日22:22投稿の匿名様
記事【より効果的な対策を考える機会】を投稿しましたので、ご覧下さい。
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