2011年1月5日水曜日

私たちの責任の果たし方

今回は、記事【それぞれの立場から見た戦争】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問について、英霊の皆様の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ はつゆき様の質問

私は、戦争というものは兵士同士が行うものだと思っています。
兵士同士で戦うぶんには何の恨みもないのです。どんな卑劣な作戦だろうが非道な手を使おうが、「戦争とはそういうもの」と納得はできます。殺し合いはお互い様ですから。

しかしアメリカが日本に犯した罪は「戦争」ですか?
一方的に一般市民を無差別に10万人以上殺すことが「戦争」ですか?
私はそうは思いません。
これは「虐殺」です。だからこそ怒りが止まらないのです。
前も同じようなことを書きましたが、何度でも書きます。これは虐殺だと。

私が怒っているのは戦争にではありません。虐殺にです。
虐殺した大将はこれにも飽き足らずにドイツで、ベトナムで同様の罪を犯しました。キューバ危機の最前線に立って、核兵器でキューバを滅ぼそうとしました。
キューバ危機だけは未遂に終わりましたが、これを人類に対する罪と言わずに何と言えば良いのでしょうか?
ルメイの心に仲間を守りたい、国を守りたい思いがあったことは真実でしょう。しかし思いが正しければ虐殺が許されるのですか?この男はあと一歩で人類を滅ぼしたのです。私たちの未来はもちろん、生存すら許さない世界を構築しようとしたのです。
人類が滅びる、ということは自分も殺される、ということです。自分を殺そうとした相手に敵意を向けるのは当然のことではないでしょうか?

もう亡くなった方にとっては、戸惑い苦しみながらも「死ぬこともひとつの経験」だと思えるのかもしれません。しかし今ここで生きている者にとって、死は絶対の別れです。少なくとも私には。
この世界と天国とは絶望的な距離と壁があります。物理的に相容れない、ごく一部の方を除けば目にも見えず、聞こえず、感じることもできない異世界です。
異世界間交信でどれだけ学び、慰められたか…通信に関わる方たちの多大な慈悲には心から感謝しています。しかしそれでも、二度と見れないし声も聞こえない、抱きしめられない場所にいることには変わりありません。
その事実が本当に苦しいのです。実体がないことがどれほど苦しいか。大事な方がそちらにいるから尚更そう思います。
そんな世界に愛する人を追いやられ、自分も追いやられそうになった相手を憎むなというのは理不尽で、相当に酷なことに思えます。頭で悪いことなのは承知していますが、心が納得しません。

別の方の通信で怒りが湧き上がる点を客観化せよ、と忠告がありましたが、3カ国で30万人もの一般人の虐殺と人類滅亡寸前まで追い詰めた罪を客観化しろと言うのは、無謀です。動機が正しくても人類滅亡させられたら、堪ったもんじゃありません。
この袋小路の突破口を探し続けてますし、なんとなく見つけたような気もしますが、今でも決定打に欠けます。直接言語で尋ねる時期に来たと思うので、質問させて頂きました。
彼らが犯した罪は戦争なのか虐殺なのか、ということと、客観的に視るにはあまりにも難しい大罪に、どう向き合うべきなのかを。

そしてもし、これすらも戦争と呼ぶのなら、これほどの虐殺を防げなかった日本軍の方々にも守れなかった責任があるということになります。そのように解釈しても良いのでしょうか?
大変失礼な物言いになっていることはお詫びしますが、率直に伺いたいのでこのような表現になりました。





■ 英霊の皆様の回答

理解できないものを、無理に納得しようと焦る必要は無いと思います。
彼らが大罪を犯したと、あなたご自身がそのように思うのであれば、現時点ではそれで良いのでは無いかと思います。
ただ、一つだけお願いしたい事があります。
あなたが最終的に成し遂げたい事は何であるのか、どのような未来を望むのか、それらの事をよく考え、目的達成のために今出来る事、今成すべき事は何であるのかを探り、実践する事が大切であると思うのです。
愛する者たちを守るために、一番大切にしなければならないものは何であるのかという、基本的な部分だけは見失わないでいただきたいのです。
あなたの持つ感情は、果たして愛する者たちの未来を守る結果に導けるのでしょうか?

悔しいですよ、とても、とても、言葉では言い尽くせないくらいに。
己の命を懸けてでも守りたかった命が、大勢の命が失われた事は。
大勢の命を未来へ繋ぐためにした事が、多くの命を削る結果になろうとは…。
守れなかった多くの命、愛する者が失われた悲しみを抱きながら生き続ける人々、その大勢の命に、思いに対する責任を負うのはとても重い。
重くて、重くて、押しつぶされそうです。
果たしたくても果たせなかった事、どんなに無念であろうか。
それでも私たちは背負い続けるのです。
日本が真の安定を実現するその日まで、私たちの戦いは続くのです。
守られた多くの命、彼らが繋いだ新たな命、日本国民である皆様が安心して暮らせるようになるその日まで。
それが私たちの責任の果たし方であります。

(2011年1月5日)





このテーマについての私の意見は、記事【カーチス・ルメイ霊の言い分】のコメント欄で述べておりますので、ここでは繰り返しません。
日本の夜明けを迎えて、『戦後体制からの脱却』へ向けた動きが徐々に活発化して行くと見ておりますが、『日本の戦後体制』を精算する上で避けて通れないテーマであると思いますので、ご覧の皆様もこの際に考えて見てはいかがでしょう。

【Silvercord】管理人 





1月5日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

10 件のコメント:

  1. Silvercord manager様、
    英霊の皆様、

    正月3日に、ふと靖国神社へ参る気になりました。初詣の方々で混んでいるだろうとは思ったのですが、なんとなく。
    拝殿の正面ではなく、時々利用する場所からご挨拶をしました後に、境内の遊就館の脇でくじをひきましたところ、お神酒を一升いただきました。ありがとうございます。

    大分昔、学生の頃に遊就館には行ったことがあるのですが、今はとても新しく明るい建物に変わり、時代が変わっていくことを感じました。館内に飾ってある戦闘機を見ながら、なぜだか私は明るい気持がしていました。かつて訪れた時は、戦場で亡くなった方々の祈りの文面等で、上記の後半に通じる感覚を覚えました。なんで戦争で死ななければならないのかという疑問はその頃から持ちました。
    日本に生きてきて確かに学んだと思うことは、どんな悲しみも恨みも怒りも、心を温め希望を生む力に変換することができるのが人間だということです。悲しむのも恨むのもありだと思いますが、それを超えた心の温かさの方が私には大切で必要です。恨みや悲しみの連鎖は一番繰り返したくないことです。

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  2. baseheat様

    英霊の皆様に、何かコメントがあるかどうかを伺ったところ、以下のコメントを預かりました。


    恨みは恨みを呼び、悲しみを増幅させる。
    怒りは怒りを呼び、苦しみを増幅させる。
    破壊は不幸を招く。
    創造は幸福を招く。

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  3. Sivercord manager 様

    英霊の皆様のコメント、ありがとうございます。よろしくお伝えください。

    四行のうちの、間の二つ「怒り」と「破壊」について。
    いわずもがなな話かもしれませんが、怒りは時には必要ではあるのでしょうね。最近の事件にもちららほら見られる、自分のうっ憤を怒りにするようなものは二行目の通りですが、あるべき道を絶たれているような時にはきっちり「怒る」ことはしないといけないですね。また破壊というのは、四行最後の一つ、そのあとに続く創造とセットになってこそ、その役割が生きるのだろうと思います。

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  4. baseheat様

    英霊の皆様のコメントを預かりました。


    「言葉足らずで大変伝わりにくいものであったと思うのですが、誰にでも解りやすいように補足していただきまして、まことにありがとうございます。
    あなたもきっと今までに数多くの経験を重ね、そこから様々な事柄を学び取ってきたのだと思います。
    本当に経験は宝ですね。
    どのような物事でも行き過ぎが不安定の材料になるのですから、感情に過ぎてしまうことや、それとは逆に無感情になってしまう事は不安定の材料になってしまうでしょう。
    私たちも含め、大勢の方々がまだ学んでいる最中だと思いますので、時には感情が爆発してしまったり、逆に抑制し過ぎてしまったりと、なかなか思うとおりに制御できないのが実状でしょう。
    それらの数々の経験から一つずつ大切な何かを学び取り、やがては心の安定を手にする事が出来るのだと思います。
    あなたが仰っておられるとおり、破壊と創造はセットであればこそ功を奏します。
    ただ、どのような手段で行うのかという、過程の部分は慎重に考える必要がありそうです。
    例え安心できる未来を創造する為に今を破壊する事を望んだ結果の行動だとしても、その手段によっては今以上に多くの憎しみや苦しみや怒りを招いてしまいますから。
    それでは、一体何の為に破壊と創造を求めたのか分からなくなってしまうでしょう?
    だからこそ、目的を見失ってはいけないのだと思うのです。
    一番大切な事は何であるのかを、常に心に刻んでおく必要があるのだと思います。」

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  5. この度はご回答をありがとうございました。
    考えがまとまらないので、お返事は後日させて頂きます。

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  6. お返事が大変遅れてすみません。
    実生活で少しトラブルがあったり、回答の内容についていろいろと考えているうちに、ようやく1つの結論に達することができました。
    とても長いので邪魔になってしまいますが、ご容赦頂ければ幸いです。


     亡くなると異世界間でも思いが届くそうですし、自由度が増して楽しく生きていけるイメージがあったので、命を落としたことに関してはあまり悲観的ではないと思っていました。
     しかし大変な誤解でした。これだけ遣る瀬無い思いを抱えながら今でも必死に戦っているとは思いませんでした。
     生きる場所と改善方法が違うだけで、失ったことに嘆くのも悲しむのも同じなんですね。とんでもない誤解をして本当にすみません。


     今では滅多に本は読みませんが、最近、都市国家に関する本を読んで驚きました。・・・以前から少しは知識があったつもりでしたが、欧米や中国など大陸の国に生きることがどれだけ過酷か、実感できました。
     食料に乏しい気候だから生きるために農耕民族と牧畜民族に分かれざるを得なくなり、互いに食料がなくなったら殺し合いの奪い合い、などという凄惨な歴史を持っていれば、敵は無差別殺害して当たり前という考えになるのも自然です。殺さないとこっちが殺されてしまいますから。
     神のいる土地で、数千年単位で豊かな生活を営んでいた(本格的に平定したのは江戸時代以降ですが)日本人にとっては、神なき土地で奪い合いの殺し合い、謀殺し合いの応酬を繰り広げていた人種は、想像を超えた存在だったでしょう。各都市を焦土にされるまで実感できなかったと思います。
     そして、そんな相手と戦うことを選択したのも日本人です。そんな相手だという情報を持たなかったことも含めて、選択には責任を負わねばならない、という気になりました。

     日本は古代から拠点がある場所だそうですが、そんな場所で暮らしていれば神に沿った生活ができるのは、むしろ自然なことでしょう。むしろ、神の遠い土地で凄惨な争いを繰り広げながらも、曲がりなりにもキリスト教を経由して真理を追求し続けるのは驚異的です。
     そう思うと、彼らをあまり責められなくなりました。拠点の地にどれだけの作用があるか私には分かりませんが、とてつもなく豊かな恵みを注がれているのでしょう。その恩恵に浴していたのは、今まで日本だけでした。
     その恩恵がない中で、恐怖と保身におぼれ強欲に私利私欲に走るのは自然なことだと思うようになりました。(もちろん肯定はしませんが)
     彼らを責めるのは、生きる為に仕方なく盗みを働いていた少年に「何故盗んだ」と詰め寄る金持ちのようで、フェアではないと感じるようになりました。
     お金がないということはどういうことか、お金持ちには分かりません。知識はあっても実感が沸かない。私もこの金持ちと同じように、貧しいことへの想像力がないことを、ようやく悟りました。


     彼らも、彼らなりの正義で戦い続けていたのは間違いありません。国を守るのに世界を敵に回してもいい、と覚悟を決められるような政治家でなければ、とても国など守れないでしょう。
     そして行いの対価をこれから払い始めるようですし、それならもう因果応報の力に任せて、私はこれから日本をどうするかに集中したいと思います。
     1年近く騒ぎ続けて大変お騒がせしてしまいましたが、ようやくここまで言語化できるほど心の整理ができました。言語化できる、というのは表層真理まで納得できたということです。
     無理強いせず、我慢強く働きかけて下さった皆様に心から感謝致します。本当にありがとうございました。

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  7. はつゆき様

    自分自身が体験していない物事を推し量るのは難しいと思いますが、それは誰でもお互い様です。
    お互いがお互いを充分信頼できる程度まで理解を深めるには時間が掛かりますが、互いに「相手を理解して、上手く付き合いたい」と思っているのでしたら、少しずつでも着実に相互理解が深まって行くでしょう。
    しかし、日本と他の国々との間では、これまでは必ずしもその様な関係ではありませんでした。
    強引にでも相手を自分の意に従わせようとする国もあれば、意に染まなくても相手の理不尽な要求に応じてしまう国もあります。
    どちらかが一方的に悪いのではなく、相互に問題があるからかみ合わないのだと思います。
    そして、日本を守りたいのでしたら、世界を敵に回すなどという愚策を犯すのではなく、日本にとって都合の良い仕組みへの賛同者を増やすことこそ重要だと思います。

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  8. 管理人様

    自国を守るためなら世界を敵に回してもいい、という考えで突き進んでいたのが、かつての欧米で多くの諸外国でした。
    その結果どんな世界になったかといえば、ご覧のありさまです。
    私もこの姿勢には賛同していましたが、このままではまた同じことの繰り返しじゃないか、という当たり前なことに気付きました。せっかく自由と繁栄の弧というグランドデザインがあるのだから、みんなで協力して豊かになりたいです。
    騙し合いの奪い合いが当たり前の世界でどこまで浸透するか分かりませんが、夢や妄想の類でしかないと思っていた世界平和の橋頭堡になる可能性があるのは間違いありません。


    そこで質問があります。
    ヨーロッパも中国も、(もちろんアフリカもアメリカ大陸でも)拠点以外の土地では、人類は動物のように奪い合って暮らしていました。
    西洋にイエスが誕生したように、古代中国では墨子という、兼愛を説く偉人がいました。しかしキリスト教は夥しい問題を抱えながらも現在までイエスの思想を伝え貫き、拠点が解放できるまで成長できたのに、中国では墨子の存在すら忘れられてしまい、私利私欲に溺れ「神の見捨てた土地」に成り下がりました。
    過酷な環境という面では同じだったと思いますが、何故ヨーロッパと中国には、ここまで成長に格差が生まれたのでしょうか?

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  9. はつゆき様

    『世界平和』などと大上段に構えるのではなく、日本の繁栄と安定を保つには、他国と協調関係にあるのと緊張関係にあるのとどちらが好ましいでしょうか――そういう話なのだと思います。
    世界の全ての国が「協調関係が好ましい」と考えれば世界平和に繋がるでしょうし、他国との緊張関係を厭わない国があれば争いの火種となります。
    現時点では、他国との緊張関係を厭わない国が少なくない様に思います。

    なお、質問については霊媒に伝えましたので、回答までしばらくお待ち下さい。

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  10. はつゆき様

    お待たせいたしました。
    記事【狡さと賢さは別物】を投稿しましたので、ご覧下さい。

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