2016年4月17日日曜日

古事記の解読に向けた説明と基本概念

一月以来の投稿になりますが、ご覧の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
以前投稿した記事【今後の予定について】にてお知らせのように、『古事記』の解読に向けた準備を進めておりましたが、ようやく霊界側の準備が整ったとの連絡がありました。
この件につきまして、とある霊界の住人より、ご覧の皆様に宛てたコメントを預かっております。





■ 霊界の住人のコメント

大変長い間ご無沙汰しております。
古事記の解読に向けて、霊媒と通信霊との間で快適な通信環境を整えるための細かい調整を行っておりましたが、ようやく準備が整いましたのでご報告申し上げます。
以前より難しい内容を取り扱うために、通信霊も霊的真理への理解がより深い存在である必要が出てきました。
その結果として、通信を行う際の難易度が上がってしまったのです。
これまでの通信環境では、新たな通信霊が霊媒と会話を交わすことが難しい状況だったのです。

新たな通信環境が整ったことで、人間の皆様にとっては馴染みのないような考え方を元にして様々な事柄を解説してゆくことになりますので、違和感を覚えることも度々あるかと思われます。
より俯瞰したものの捉え方になりますので、一読しただけでは納得出来ないような事柄も多く含まれると思いますが、「世の中にはその様な考え方もあるのだな~」程度に捉えていただけるとありがたく存じます。


それでは、古事記の解読に際しての基本概念の説明をさせていただきます。
人間の皆様には馴染みの深い概念である、「神と魔」や「善と悪」といったものの捉え方は基本的には使用することはありません。
それらの概念は人間の主観的な捉え方であり、物事を歪みなく解釈する上では邪魔になる概念なのです。
説明する際に必要であればその様な言葉を使用する場合もございますが、それ以上の意味は無いものと考えて下さい。
基本的には、安定に寄与するものであるのか、それとも不安定化を助長するものであるのかといった考え方を基準に説明を進めてゆくことになります。
それも、より俯瞰した捉え方を基準に説明することになるため、人間の主観を基準に考えた場合には、私どもの説明とは逆の捉え方をしてしまうことになるでしょう。
安定に寄与した行動が、不安定化を助長しているように感じてしまい、不安定化を助長している行動が安定に寄与しているように感じてしまうのです。
これらの逆転現象は立場の違いがあるので、ある程度は仕方がないことなのです。
これらの捉え方の違いの是非を問うためにこのような機会を設けたいわけではなく、純粋に私どもから見るとどのような解釈が成り立つのかというところをご説明申し上げ、皆様とともに世界というもののあり方を改めて考えるためのきっかけをつくりたいと考えております。

いくら私どもの純粋な解釈と申しましても、通信の受け手である霊媒が人間ですので、ある程度は人間の主観が反映されてしまう余地がある事は否めません。
できる限り私どもの考えをわかりやすく伝えられるように努めますが、完全に再現することは難しいという事をご理解いただければ幸いです。


さて、これらの基本概念を踏まえて、再度ヨハネの黙示録の解読に努めたいと考えております。
以前の解釈では、人間の主観的な概念を基準にして解説がなされているため、ある程度筋が通っていても、解釈が難しい部分も多々ありました。
そこで、今度は私どもの持つ概念を基準にして解釈すると、「いったいどのような捉え方が可能であるのか」という、視点の違いによる解釈の相違を皆様に実感していただきたいと考えております。
それらの作業を行った後に、古事記の解読作業を行った方が、より理解を深めやすくなると考えております。
いきなり古事記の解読に取りかかるよりも、先にヨハネの黙示録の解読をした方が、霊媒にとっても良い具合にウォーミングアップできますので、もしよろしければお付き合い下さい。
これらの解読作業には、ある程度の時間を要することになると思いますが、もうしばらくお待ちいただけるとありがたく存じます。

(2016年4月14日)





当初の予想よりも準備に多くの時間をかけてしまいましたが、ようやく『古事記』の解読に向けた準備が整ったようです。
また、上のコメントにあるように、『古事記』を解読する為のウォーミングアップとして、『ヨハネの黙示録』の再解読を先に行う旨の申し出がありました。
人間の主観的な見方と、神の俯瞰的な見方の違いを理解する必要があって、俯瞰的な物の見方が理解できるようになってから、ようやく古事記の解読に取りかかる段取りなのでしょう。
ここで俯瞰的な物の見方を理解する必要があるのは、第一に霊界からの情報を適切な言葉に翻訳する霊媒で、第二に霊媒が翻訳した情報を受け取る管理人、そしてご覧の皆様です。
そこで、『銀の紐』を通じて俯瞰的な物の見方を理解する材料として、黙示録の再解読がちょうど良いという、霊界の住人の判断なのだと思います。

長らく『古事記』解読の準備に時間を費やしており、更に遠回りを余儀なくされてしまいますが、どうか気長にお付き合い下さい。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

7 件のコメント:

  1. 地球や人類を霊界から支えてくれている皆さんの仰る安定や不安定とはどのようなものかとても気になります。その理念は果たして創造主の意思にも通じるものであるのか、また拙いながらも人類がこれまで培ってきた善とは何だったのかなんて事も知ることが出来ればうれしく思います。

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    1. 匿名様

      以前『ヨハネ黙示録』を解読した際には、バチカンの拠点からキリスト教圏に対して働きかける霊団の協力を得ましたが、今回は地球全体を統括する霊団に協力して頂くことになるようです。
      黙示録をもたらしたキリスト教圏に対する働きかけも、古事記をもたらした日本に対する働きかけも、地球全体を統括する神にとっては一貫した活動の一側面となりますので、両者の類似点と相違点を比較する事によって理解を深める助けとなるでしょう。
      少なくとも、今までの記事より難易度が上がると思いますが、管理人もご覧の皆様と一緒に少しずつ学んでいきたいと思いますので、長丁場となりますがお付き合い下さい。

      なお、この際に黙示録解読記事の復習をされたい方もいらっしゃると思いますが、疑問がありましたら該当する記事のコメント欄よりお寄せ下さい。

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  2. 管理人様、霊媒様、ご無沙汰しております。(cc:霊界の皆様)
    お正月の頃の書き込みから、様々なことがマクロでもミクロでも起きてきていますね。最近、とあることから「惟神」というのは宗教的な姿勢というよりは、自然の理に沿った生き方という、ごく普通の人の在り方のことだったんだなぁと気づきました。宗教に所属していなくても、日常の様々なこと、お天気から誰かの一言までが、自分にとっての糧になる…活かすか活かさないかは、それぞれにゆだねられているあたり、育むとはこういうことか…と思いました。 今回の話題も面白いですね。ちょうど、知り合いのクリスチャンにどうして靖国神社に奉られるのは困るのかと聞いた回答から、しみじみ宗教というのは人間の都合なんだなぁと感じていたところです。

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    1. baseheat様

      自然の理とは神の働きかけにより成り立っているのですから、人生経験を通じてその仕組みを理解しましょう――ということなのだと思います。
      それが自力で出来れば宗教は不要ですが、自力ではそこへ辿り着けないけれども関心を持つ人に向けて、宗教団体や経典が用意されているのでしょう。
      そういった宗教団体や経典は、あくまでも自分自身が気づきを得るためのヒントを提供してくれるだけであって、最終的には自分がどの様にして理解を深めるかという話になりますが。

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    2. 管理人さま、コメントありがとうございます。
      地球の営みは双極のバランスで成り立ち、躍動し、進化しているのですが、人間の社会においては主流が二者択一になっていますね。キリスト教的に言うと、神は全てを活かし、悪魔はどちらかを選ばせて、二極の分離を促す…
      のでしょうか。。。

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    3. baseheat様

      視野が狭いのでしょうね。
      自分にとって都合の悪いもの、理解できないものをまとめて排斥すれば、余計なことを考える必要がなくなって気が楽ですから。
      尤も、それは自分の可能性に蓋をする思考停止でもありますので、長い目で見れば愚かな行為なのですが。

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    4. 気が楽!!!なるほど〜。以外と単純なことなのかもしれませんね。

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