2014年4月23日水曜日

国民や政府はこれからの日本をどの様にしたいのか?[小ネタ]

今回は、前回投稿した記事【人によって『三途の川』を渡るイメージは異なるらしい[小ネタ]】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様のご要望に応えまして、先日「政府が毎年20万人の移民受け入れを検討している」旨の報道があった件について、取り上げたいと思います。
[小ネタ]枠になりますので、霊界の住人の方のコメントについては、大まかな意味合いを管理人の記憶に基づいて再構成しておりますので、その点だけ予めご了承下さい。





■ 匿名様のコメント

記事の内容とは関係ない質問ですが、今政府が検討している毎年20万人の移民受け入れについて、できれば霊界からのご意見、もしくは管理人様のご意見をお伺いしたいです。以前、こちらの記事で、「日本で、外国人の数が増えればエネルギーのバランスが崩れる」という内容を読んだ事があり(確か、それが阪神淡路大震災にも関連していると記憶しております)今後政府が移民を受け入れた場合、移民(主に中国人だと思われますが)が国内で爆発的に増え、日本のエネルギーバランスも崩れた場合、大震災など何らかのひずみが起こるのでしょうか?またそうなると日本の国柄もじょじょに失われ「日本」という国家が失われた結果、「日本の拠点」としての役割も果たすことができなくなると思われますが、それについて霊界、もしくは管理人様はどうお思いでしょうか?個人的に、移民受け入れには反対の立場なので、政府に反対意見を送ったり、反対の署名、自分のブログに記事として書いたり、意見を聞いてくれそうな友人に伝えたりと出来る範囲で行動はしておりますが、増税の時のように、結局は国民の意見は取り入れてもらえないのではないかという不安も半分あります。





■ 霊界の住人の方のコメントの趣旨と管理人の意見

上記匿名様のコメントについて、霊界の住人の方に意見を伺った所、概ね以下のようなコメントがありました。

『現在の日本には、今後の日本をどの様にしたいかという明確な目的がない。
移民受け入れの是非を問う前に、将来の日本を多くの民族が混在する社会にしたいのか、それとも従来の日本人主体の社会を継続したいのか――その点を最初に明確にしておかなくては、移民の受け入れを促進するにせよ、その逆にせよ、今後の日本をより良くする為の政策が打てない。
一番の問題なのは、今後の日本をどうしたいのか明確な目的もないまま、なし崩し的に移民の大量受け入れが促進されてしまう事だ。
日本は元々、多くの移民を受け入れる前提の体勢を整えていないので、中途半端な移民受け入れによって国内の秩序が乱れ、従来の日本人にとっては暮らしにくい環境になってしまいかねない。
更に、一旦多くの移民を受け入れてしまったら、後から失敗に気づいたとしても、もはや元に戻すわけにはいかない。
(以前『銀の紐』に掲載した記事で)「日本で、外国人の数が増えればエネルギーのバランスが崩れる」と言っているのは、単純に多くの移民を受け入れるのが問題というわけではなく、『外国人を受け入れる国内の体制が整っていないまま移民を受け入れるのは問題』と言う事。
日本国民が明確な方針を決めていれば、それがどの様な方向性であろうと、霊界側でも日本の現状と今後への影響を考慮した適切な支援が出来るのだが、日本国民自身が方針を決めないと、霊界側としても適切な支援のしようがない。』

また、匿名様がコメントで問題視されている「今政府が検討している毎年20万人の移民受け入れ」報道の情報源と思われる、内閣府経済財政諮問会議の議事要旨を管理人も拝見したのですが、報道や匿名様のご意見などから受ける印象とはかなり異なる議論をしていると感じました。
議論の中では確かに「最終的には年間20万人の移民を受け入れる事によって、人口減少に伴う労働力低下の下支えにする選択肢もある」との意味合いの意見もありましたが、あくまで主題は人口減少に伴って発生する様々な問題への対処法であって、移民受け入れは選択肢の一つとして提示されていたに過ぎません。
移民受け入れを前提とした議論ではなく、同時に移民受け入れに慎重な意見も示されていたと記憶しております。
実際に問題の報道があった後、安倍首相や菅官房長官が「年間20万人の移民受け入れの検討」を否定する見解を示しておりますので、現時点で政府が「年間20万人の移民受け入れを検討している」との指摘はあたらず、議論の全体を踏まえずに一部分を抜き出した偏向報道であり、感情的な過剰反応であると思います。

しかし、移民に関する今回の報道とは別に、現在経済財政諮問会議で進められている議論についても、論点がずれていて問題があると霊界の住人の皆様は捉えていて、以下のような趣旨のコメントを残しております。

『人口の減少が避けられないとして、人口減少によって発生する様々な問題の対策を議論しているが、そもそも「今後の日本をどの様にしたいのか?」という視点がない。
自ら主体的に物事を推進して行こうという発想ではなく、その都度発生した問題に対処するという受け身的な姿勢では、一貫性に欠けた場当たり的な対応策しか打てないのではないか。
それでは事態を思うように運ぶ事が適わずに、ある対策を打った為に別の不都合が生じ、却って社会の秩序を乱して状況を悪化させてしまいかねない。
最初に「今後の日本をどの様にしたいのか?」という目的意識を明確にしておくと、仮に途中で想定外の事態が発生しても、最終目的に向けた軌道修正が容易になるのではないか。』

また、仮に経済財政諮問会議で議論されている移民受け入れ策が、予め日本国内の適切な受け入れ体勢を整えないまま、なし崩し的に実施されてしまった場合について、霊界の住人の方に以下のような趣旨のコメントを頂きました。

『もし、日本が適切な移民受け入れ準備を行わないまま、大量の移民受け入れ策を実施してしまった場合、日本国内の秩序が乱れるばかりでなく、霊的エネルギーのバランスを乱す事になるので、結果として地震や天災などの天変地異が発生する可能性が高まって行く。
そして、実際に天変地異が日本を襲った時に、移民の大半は自身の祖国へ逃げ出してしまうので、結局日本以外に行き場のない日本人が被災した国土を復興する事になる。』

こちらは天変地異についてのコメントですが、危機の際に協力して力を尽くせないような人々を、安易に同居人として国内に招き入れて良いものかどうか、よく考えてみる必要があります。
また、このコメントは天変地異についての言及に限っておりますが、日本が戦争当事国となってしまった場合、国内に招き入れた移民がどの様な姿勢を示すのかについても、合わせてよく考えておかなくてはならないと思います。

そろそろまとめとして、ここまでの霊界の住人の方のコメントを踏まえると、日本が抱える問題について議論する政府にしても、政府で行われた議論の一部を、議論全体の趣旨を無視して取り上げて過剰反応するマスメディアや国民にしても、「これからの日本をどの様にしたいのか」という視点が欠けており、その点を最初にはっきりさせなければ適切な手段は取れないと言う事だと思います。
同時に、日本国民や政府が「これからの日本をどの様にしたいのか」という意思表示を明確にしなければ、霊界の住人の皆様としても、どの様な方向性の支援が妥当なのかの判断がつかない為、適切な支援が出来ないと言うのが、匿名様のコメントに対する回答となりますでしょうか。

ただ、政府が進めている議論に関心を持ち、個人的な意見を表明したり、議論の内容次第では危機意識を持って政府に注意を促す作業は必要だと思いますし、匿名様の働きかけはとても重要だと思います。
だからこそ、マスメディア報道の扱いには充分気をつけて頂き、出来る限り自ら情報源を辿って判断されますよう、お薦め致します。
また、今回のテーマについては、移民受け入れ問題のみを抽出するのではなく、経済財政諮問会議で議論されているテーマを包括的に取り扱えば、今回の様な行き過ぎた報道に惑わされる事もなくなるでしょう。
例えば、『経済財政諮問会議の議論に容赦ない突っ込みを入れてみるブログ』を立ち上げて、議論された内容をネタにして説得力のある反論を展開してみるのは、社会的に意味のあるアプローチだと思いますが、いかがでしょうか。

Silvercord管理人 





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2014年4月10日木曜日

人によって『三途の川』を渡るイメージは異なるらしい[小ネタ]

先日、霊媒Mと雑談をした時に、「人間が『三途の川』を渡る時に、どの様なイメージとして認識されるのか」という話を聞きました。
『三途の川』というと、以前投稿した記事【「三途の川を渡る」ということ】にて、恐山にある三途の川の状況についてご紹介しましたが、今回はふとしたきっかけから、人によって三途の川が異なったイメージとして認識されるという話になりました。





■ 日本古来の『三途の川』を渡るイメージ

人が死ぬと三途の川を渡ると言いますが、より正確に表現すると、三途の川の向こう岸が死後の世界で、渡し船に乗れる通行手形を持っている者だけが、三途の川を渡ることが出来ます。
三途の川の向こう岸には関所があるのですが、関所を通る通行手形を持っていない人は、その脇にある閻魔様の間に送られて、その後の身の振り方を決めるのだそうです。
大抵の人は、閻魔様の部下の方と相談した後、自ら選択して次の行き先に向かうのですが、一部の我が侭な人は直接閻魔様に説得されて、次の行き先に向かうのだそうです。

日本古来の『三途の川』を渡るイメージは、大まかに述べてこの様なものなのだそうですが、人の生前の生活環境や文化的な背景の影響によって、三途の川を渡るイメージは随分異なって感じられるようです。
では、いわゆる現代の日本人が三途の川を渡る場合は、日本古来のイメージと比べて、何がどの様に異なって感じられるのでしょうか。





■ 現代的な『三途の川』を渡るイメージ

現代的な三途の川には橋が架かっていて、橋の真ん中に自動改札があります。
自動改札を通るためには(Suica的な)通行パスが必要なのですが、パスにチャージされているポイントの量が足りていないと、自動改札が閉じてしまいます。
自動改札を通って三途の川の向こう岸へ渡ると、またしても自動改札があって、通行パスにチャージされているポイントの量が足りていないと、自動改札を通ることは出来ません。
三途の川の向こう岸にある自動改札を通れない人は、その脇にある裁判所的な建物に入ります。
まずは地方裁判所的な場所で、その後の行き先を相談して決めるのですが、そこで納得できない人が最高裁判所的な場所に訴えます。
最高裁判所的な場所で、如何にも裁判長チックな出で立ちの閻魔様が、その人のその後の成長に最も有意義だと考える行き先へ向かうように説得します。

ところで、三途の川を渡る人が持っている(Suica的な)通行パスには、一体どんなポイントがチャージされているのでしょうか。
三途の川の真ん中にある自動改札では、人間が産まれてくる前に予め設定されている寿命と現在の年齢、それから産まれてくる前に予め設定した人生の目的と進捗状況を読み取ります。
年齢が産まれる前に設定した寿命に達した場合、もしくは、人間として産まれてきた目的の達成が不可能になった場合、もしくは既に達成してしまった場合は、三途の川の真ん中の自動改札を通り抜けることが出来ます。
そして、三途の川の向こう側の自動改札を通り抜けるためには、言わば人間としての人生経験値を一定以上にしなくてはなりません。
人生経験値と言っても基準は一つではなく、幾つもの判定基準をすべてクリアした状態になって、初めて自動改札を通り抜ける資格が得られるようです。
例えると、RPGでプレイヤーキャラクターを育成する際に、攻撃力や防御力、体力や精神力など、幾つもの要素をバランスよく成長させる事によって、歩兵クラスから騎士クラスにクラスチェンジ出来る様になります。

そして、三途の川の向こう側の自動改札を通り抜けた人は、人間として生活する経験を通じて成長する過程を終了して、更なる成長を目指して新たな境涯に身を置くことになるようです。





■ キリスト教的価値観から見た『三途の川』を渡るイメージ

さて、ここまでは、時代の変化によって、三途の川を渡るイメージがどの様に異なって感じられるのかを比べてきましたが、キリスト教徒の人が三途の川を渡る場合は、果たしてどの様に認識されるのでしょうか。

キリスト教には『三途の川』という概念がありません。
ですから、当然ながら三途の川はありませんが、その代わりに見上げるほどの高さの巨大な壁が行く手を塞いでおり、その真ん中に大きな門があります。
その門の入口には天使が控えており、門の前に立つ人について、門を通る資格があるかどうかを選別しております。
この第一の門は、三途の川の渡し船であり、三途の川に架かる橋の自動改札です。
そして、渡し船の通行手形や、自動改札の通行パスに当たるのが、門番の天使による選別となります。
第一の門をくぐり抜けると、すぐにもう一つの巨大な壁が聳えており、その真ん中に第二の門があります。
第二の門の入口にも門番の天使がいて、門を通り抜ける資格のある人を選別しております。
第二の門を通る資格のない人は、門の脇にある大天使の間に導かれて、大天使や天使と相談の上、その後の行き先を自ら決めて赴きます。
ちなみに、閻魔様に当たるのが大天使だそうです。

そして、無事に第二の門を通り抜けた人は、その先に待っているイエスと待望の面会を果たすのだそうです。





■ 人間としての経験値が足りなくて、閻魔様のお世話になった場合

閻魔様(キリスト教的価値観では大天使)のお世話になってしまった人は、その後地獄に送られて必要な経験を積まなくてはなりません。
といっても、地獄という境涯があるのではなく、現在私たちが暮らしている人間の世界を『地獄』と比喩的に表現しているようです。
そして、閻魔様やその部下に相談することによって、自分自身の経験不足の点を補って、最も効率よく成長するにはどの様な環境で過ごしたら良いのかを判断して、再び人間としての人生を送るようです。
この転生のサイクルは、人間としての経験値が一定以上になるまで繰り返されます。

場合によっては、閻魔様に相談してから転生した後になって、「こんな筈じゃなかったのに」と文句を言い立てる人もいるようです。
しかし閻魔様は、その人がこれまでに経験したすべての経緯と、その人に足りない経験値を熟知した上で、最も効率的な行き先のアドバイスをしているそうです。
しかも、最終的には自分自身で決断するように導いているそうですので、文句を言い立てられた場合でも、その人が決断した場面をその場で(VTR風に)再現した上で、「あなたが自ら判断したことでしょう」と説得するそうです。
最初は勢い込んで文句を言い立てていた人も、実際に証拠となる場面をみせられて、言い逃れできない状況に持ち込まれるようです。

この様にして、人間としての経験を必要とする霊が存在する限り、時代や文化の影響で感じられるイメージが変わっても、三途の川的なものは人間の生死を分ける存在として機能し、閻魔様は人間経験値の向上に手を貸して下さっているようです。





上記の例は、あくまでも『三途の川』を渡る時に受けるイメージの一部であり、文化的・宗教的な価値観の違いによって、他にも様々なイメージとして感じられるのだろうと考えております。
ですが、それらはあくまでも表面的な印象の相違に過ぎず、本質的な役割や目的については相互に共通性を持っているようです。

Silvercord管理人 





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