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2017年8月31日木曜日

塗り替えられた光景

前回の投稿からしばらく時間が経ちましたが、ご覧の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
世の中の動向が激しくなってきましたが、当面の動きについては六月までに『銀の紐』へ投稿した各記事で述べた通りで、今のところ追加するものはありません。

さて、今回は、霊媒がみたとある夢について紹介したいと思います。
この夢、実は前回投稿した記事と同時に届いていたのですが、この夢の内容をどの様に受け止めたら良いのか、管理人も判断に困りましたので、保留のまま様子を見ていました。
が、霊媒の都合により、今のところ他に投稿する記事がないことと、ご覧の皆様にも一緒に考えて頂く材料になると思いましたので、この度投稿することとしました。
文末に若干の解説を付しますが、まずは一通りご覧ください。





■ 霊媒Mが見た夢


ある男性が日本の街並みを見ています。
すると、突然目の前にあった街並みが変貌しました。
日本らしい情緒あふれる建物が全てコンクリートの塊と化し、地面もアスファルトで覆われただけの無味乾燥なものになってしまいました。
かつては森であった場所から木々が失われて、ただの空き地となって広がっています。
一瞬前までは活気があり、生命力に満ちあふれた街だったのですが、無機質で生命力が全く感じられない街へと入れ替わってしまいました。
心が全く感じられない街にした者がいるのですが、街の変化を見ていた男性は、その者の正体を知っているようでした。
それは、ある魔法使いの仕業だと感じていたようです。
男性は、魔法使いによってねじ曲げられてしまった日本を、元の姿に戻す必要があると考えていたようです。
この街に住む人たちは、変貌した日本の姿を当たり前の光景として受け入れており、誰一人として疑問を持つ者は無いように見えましたが、街のとある建物の前に高校生が集まっていて、街が変貌する前の資料を手に、かつての姿を取り戻すべく奮闘していました。
高校生達は、資料にある素材と同じものを見つけられたと、とても嬉しそうに男性に報告して、かつての建物の姿を再現する作業をいきいきとこなしていたのです。
男性は、その建物の修復は高校生達に任せて、他の場所へと移動しました。

ここで場面は切り替わり、男性はどうやら皇室に所縁のある建物へと移動したようでした。
その建物の様子を見て回りましたが、表面的にはかなり荒れている様に見受けられました。
ただ、本当に大切なものは死守しているように男性には感じられました。
男性はその時、ある女性に声をかけられました。
この女性は、皇室に関係する仕事をしているようでした。
女性は「お客様がお待ちしております」と男性に声をかけて、とある部屋へと招き入れました。
男性は言われるまま部屋に入ると、そこにはインド人の男性が待っていました。
そして二人の男性は何かの話し合いを始めたようでした。
男性とインド人男性には、どうやら面識があるようで、お互いに同じ目的のために活動していると理解しているようでした。
二人の会話は以下のようなものでした。

インド人男性「東京の空襲は起きなかったようだが、これはどういうことだと思うか。」
男性「火消しが成功したという事ではないのか。」
インド人男性「なるほど。
では、私の婚礼が執り行われなかったのはどういうことだろうか。
花嫁が姿を現さなかった。」
男性「東京の空襲が防がれたことにより、何らかの変化が生じたのではないのか。」
インド人男性「そうかもしれない。
だが、今の日本人はとても危険な状態にある。
周囲に対する怒りがとても強いが抑圧された状態にある。
いつ爆発するか分からない。
とても危険だ。」
男性「日本人自身が抑圧された感情に気づき、受け入れ、あるがままの日本を肯定出来ない限り危険かもしれない。
現状ではあるがままを肯定し始めた人たちを抑圧する社会になっている。
だが、あるがままを肯定し始めた彼らは自分たちの欲求を自覚し、それを実現するために積極的に活動しているため、危険は少ないと考えられる。
一番危険なのは、自分の感情を抑圧していることに気付いていない人たちの方だ。
彼らは突然限界を迎え、感情が爆発したように周囲からは見えることだろう。
周囲の意見に振り回されて嫌なものまで無理に受け入れる必要がないことに気付く必要がある。
自分では冷静で物わかりがよい人のように感じているのだろうが、無理をしているから周囲への不満は果てしなく大きい事に気付いていない。
心を殺して得たものに満足出来る者はいない。」

男性が窓の方に目をやると、女性が外を眺めながらお茶を飲み、二人の話を聞いているようでした。
彼女は、二人の話を彼女の上司にあたる者に報告するつもりのようです。

(2017年6月22日)





こちらの夢について、霊媒は以下のように述べています。

  • 霊媒は(夢の冒頭に登場した)男性の目線で事の成り行きを観察していた。
  • 男性は人間ではないようだった。
  • 男性が、日本を無味乾燥にした者のことを魔法使いと表現していたが、魔法使いとは比喩的な意味らしく、かなりオブラートに包んだ物言いのように感じられた。
  • 魔法使いという表現自体が日本的ではなく、西洋的な表現であると感じた。
  • インド人男性が話していた東京の空襲とは第二次世界大戦時のことではなくて、もしかしたら起きていたであろう現代の話(*1)のようであった。
  • 男性が言う火消しに成功したとは、ある時期に東京が戦場になる危険を回避出来たという意味(*1)のようだ。
  • 二人の会話から、ある特定の時期に起きるはずであった危機は防ぐことが出来たが、完全に危機が去ったわけではなく、今後どのような事態になるのかは日本人の選択に掛かっている(*1)ようだ。
  • インド人男性が言う婚礼とはそのままの意味ではなく、何かを比喩的に表したものらしい。
    どこかの国とインドが同盟を結ぶはずだったと言うような類いの話の可能性が高い。
  • インド人男性がどのような存在かは不明であるが、人間ではないと思われる。
  • ここに出てくる女性は明らかに人間ではない。

*1:
この辺の内容を理解するには、『銀の紐を越えてα』掲載記事【宇宙の構造と神々や人間が目指すもの[メッセージ修正版01]】の、特に宇宙が輪廻している件についての理解を深めなくてはなりません。
要は、私たちが存在する世界(この宇宙)は過去に何度も輪廻しており、過去の世界でも今の世界と似通った経緯を辿っていたようです。
そして、過去の世界よりも今の世界の方が、この世界において神が目指す目的に近づいているのですが、その目的を達成する前に世界の寿命(宇宙の終焉)を迎えてしまったら、神は再びこの世界と似通った別の世界(再生後の宇宙)で、神の目的に向かって試行錯誤を続けるのだそうです。
上記の夢で、「もしかしたら起きていたであろう現代の話」や、「ある特定の時期に起きる筈であった危機」とは、以前のサイクルの宇宙で起こった出来事についての記憶に基づいていて、今回のサイクルの宇宙では、その危機へ至る経緯を回避できたことを指して、「火消しに成功した」と述べているようです。


ご覧のように、この記事には現代を生きる人間にとって未知の情報が多々含まれており、その信憑性を確認する術もありません。
まあ、現代人の常識に当て嵌めれば、SF小説か妄想の類いですよね。
一方、現在進行中の出来事との関連性も伺えますが、詳しいところはよく分かりません。
興味のある方は、コメント欄より質問やご意見をお寄せ下さい。

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年6月24日土曜日

穢れの行方

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
前回投稿した記事【朝鮮半島からこぼれた黒い雫】の後日談のようですが、日本の女神様の手で朝鮮半島から絞り落とされて、黒い雫となって火山に捨てられた穢れは、その後どうなってしまうのでしょうか。





■ 霊媒Mが見たイメージ


日本の女神様が、朝鮮半島から搾り取った穢れを、とある山の火口に捨てた後、そこに別の女神様がやってきて、穢れが投げ込まれた火口に飛び込みました。
その女神様がマグマの中を漂う穢れを観察していると、マグマの炎に包まれて焼かれている穢れのうち、時間が経つに連れて金に変化するものが現れました。
そこで女神様は、その金を丁寧に両手ですくい上げると、火口の外へと向かいました。
そして、真っ白になった朝鮮半島の上に金をそっとおいて、その後の様子を見守っています。
この女神様は、恐らく朝鮮半島の女神様なのでしょう。
先に日本の女神様が、朝鮮半島の穢れを火口に投げ込んだのは、不純物が混入している穢れを精錬して、金へと鍛え上げるためだったのです。
しかし、火口の中は過酷な環境であるために、金へと製錬する過程に耐えられない者が一部だけ火口の外に飛び出して、汚れたままの状態を維持するようです。

(2017年6月22日)





記事の冒頭で述べているように、今回は後日談となる補足記事ですので、短めの内容となります。
特に今年に入ってから、朝鮮半島の過酷な行く末を示唆する内容が立て続きますが、彼らが今までの考えと行動という種を蒔き、時間をかけて育んだ結果が過酷な試練という実をつけたことになります。
その経緯について、朝鮮人から迷惑をかけられ続けて来た感のある日本人として、思うところはあるでしょうが、神様から見れば日本人も朝鮮人も成長途上の霊が宿る人間という意味では同等です。
ですから、日本の神様が日本で暮らす人の霊的成長を促す働きかけを続けているように、朝鮮半島で暮らす人の霊的成長を促す働きかけをする神様が、この度の朝鮮半島の穢れの浄化を機会に、ようやく本格的な活動を開始すると読み取れます。
では、今までの朝鮮半島はどの様な状態だったのかというと、今後『銀の紐』で取り上げる予定の「古事記解読記事」の中で、詳しく解説する機会があると思います。

ところで、この記事の「穢れが金に変わる」部分の描写は、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足3】でイエスが「裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。」と述べた一節を思い出します。
この試練が「不純物である私の霊を金に製錬する作業だ」と理解して、朝鮮半島に留まって立ち向かう人は、その後朝鮮半島の女神様の働きかけの元で、新たな成長のチャンスを掴むことが出来るでしょう。
逆に「過酷な製錬に耐えられない」と逃げ出す人は、自身の中に不純物を抱えたままで、いつまでも成長できません。
そして少しでも楽な状態でいられる場所を探して移り住んでは、元々その土地で暮らしていた人に迷惑をかけて騒動の原因となる様を、何処へ行っても何度でも繰り返すことになるのではないでしょうか。

Silvercord管理人 





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2017年6月1日木曜日

朝鮮半島からこぼれた黒い雫

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
今年に入ってから、意味深なイメージについての記事が増えていますが、記事【霊媒Mがみた三つのイメージ(その3)】に続いて、今回も朝鮮半島がテーマです。





■ 霊媒Mがみたイメージ


霊媒の目の前に、大きな鎌がありました。
更によく見ると、死神が大鎌を手にしています。
その鎌が、朝鮮半島と大陸の境目に突き立てられて、そのまま大陸と半島を切り離しました。
この時、大陸と半島を繋げていたチューブが切断された(*注1)のですが、霊媒の耳には、巨体な鉄板が裁断されるような轟音が響いたそうです。
次に鎌は、半島の地下に刺さって、朝鮮半島の陸上部分を岩盤から剥ぎ取ってしまいました。
それまで半島のあった所には、周囲の海水が流れ込んで、朝鮮半島は一時的に消失してしまいます。

さて、死神の大鎌が剥ぎ取った朝鮮半島の陸地を、日本の女神様が手にしていました。
女神様が、雑巾を絞るようにして、手の中の半島を絞っています。
すると、半島から黒ずんだ汚れが零れて、黒い雫となって下の器に溜まっていきます。
女神様が念を入れて汚れを絞り尽くすと、ようやく手の中の半島が綺麗になりました。
そこで女神様は、手の中の朝鮮半島を広げて元々の場所に戻しました。

一方、半島から絞り出された黒い雫が溜まっている器ですが、しばらくすると黒い汚れの粒が水の表面に浮き上がってきます。
朝鮮半島を汚していた原因は、この表面に浮き上がっている黒い穢れで、原因さえ取り払ってしまえば、残りの水は清浄なのです。
女神様は黒い穢れを、器に満たされている水の表面から掬って、山の火口(*注2)に捨てました。
残りの清浄な水は、女神様が柄杓で掬って朝鮮半島に撒くと、雨粒となって半島全体に染み渡り、生命力が漲って植物が繁っていきました。

ところで、山の火口に捨てられた黒い穢れですが、最初は火口に燻る溶岩の中でバラバラのまま、口々に思い思いの言葉を吐いて騒いでいます。
しかし、それから時間が経つと、バラバラであった物が次第に集まって、黒くてブヨブヨとしたアメーバ状の塊となります。
黒い塊は、何とかして火口から外に出ようとしますが、最初に女神様から放り込まれた火口の外側は、汚れを浄化する力が強すぎて、黒い塊は火口の外に出ることができません。
そこで、黒い塊は溶岩の中に潜って、地下から別の火口を探します。
そうして別の火口を見つける度に、火口から外に出ようとしますが、どうしても黒い塊を全て外に出し切れません。
とある火口で黒い塊の一部が外に出ると、その周辺に広がって侵食し、残りの黒い塊が別の火口から一部だけ外に出ると、そこの周辺にも広がって侵食…という行動を繰り返してゆくようです。

(2017年5月28日)





*注1:
このチューブが切断された時に、霊媒は「朝鮮半島は大陸から自立した」と感じたそうです。
大陸は朝鮮半島に取っての母であり、生命力の供給源だったのですが、その生命力を供給するチューブが死神の大鎌によって切断されました。
このチューブはへその緒に相当するのだそうです。

*注2:
黒い穢れが最初に放り込まれた山の火口は、どの山なのかは分からないのだそうです。
日本の神様が関わっていますので、日本の山である可能性も疑いましたが、日本の山ではないとのことでした。


実際に朝鮮半島は一触即発の危機的状況にありますが、神様の働きかけとしても、驚天動地の事態を覚悟しなくてはならないのでしょうか。
霊媒Mはそれを「産みの苦しみ」と捉えたようですが、それは朝鮮半島が一旦浄化された後に新たなステージが始まりますので、その前に今ある穢れを浄化しなくてはなりません。
朝鮮半島に近接する日本にとっても無関係ではいられませんし、上手に対処しないと朝鮮半島の「産みの苦しみ」に引きずり込まれてしまいかねません。
今日本で暮らしている私たちの判断が、日本の今後を左右します。

Silvercord管理人 





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2017年5月19日金曜日

[黙示録再解読]:第一の災いと第二の災い

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

【黙示録関連記事一覧】

[黙示録再解読]関連の過去記事はこちらにまとめておりますので、適宜ご利用下さい。

【[黙示録再解読]関連記事一覧】

掲示板に、『ヨハネの黙示録』解読記事の内容に当て嵌まる出来事に付いての情報を収集し、検証する為のスレッドを作りました。

【『ヨハネの黙示録』解読記事検証スレ1枚目】





■ 第五の天使がラッパを吹いた


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第九章第一節~六節にかけて、第五の天使がラッパを吹きました。
一見すると、地上に大きなクレーターを作る程大きな隕石が落下して、その隕石の中に混入していた未知のウイルスが活性化、死に至る程ではないにせよ、一時的に感染が広がって多くの罹患者が出る――そんなシナリオが思い浮かびそうですが、ここはちょっと捻って考える必要がありそうです。
底なしの淵から煙が上がって、煙の中からイナゴの群が出て来ます。
この煙とは、神の言葉と偽りの言葉の違いを見分けにくいように紛らわす煙幕です。
そしてイナゴは、他のものを害してはいけないが、神の刻印を額に押されていない人を、五ヶ月間苦しめることを許されました。

以上の、人間視点から見た第五の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、「一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。」とありますが、ここでとある目的を持った一人の人間が地上に誕生します。
その人間はやがて、人間社会に向けて一つの新しい概念を提唱するのですが、これが底なしの淵に通じる鍵の穴を開けることになります。
彼の語る言葉は耳に心地よく響き、とても素晴らしい理想を示しているように思えます。
その新たな概念は、まるで強力な魔力が人々を魅了するように、瞬く間に人々の心に浸透して行きます。
その様子はまさに、煙が地上を覆い尽くした為に、人々の視界が遮られているように見えます。
世界中の人々は煙の中で新しい概念を歓迎して、以後はその概念を基準にして新たな生活習慣を作り上げます。
それが最も善良で正しい行いであり、皆が善良であれば素晴らしい社会になると思えてしまうのです。
「太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。」とある様に、この概念が人々を盲目にして誤った方向に導いてしまいます。
人が生きてゆく中で、苦しみを味わう時期が続くと、その苦しみから逃れようとして、藁にも縋る思いで何かに頼ってしまう場合があります。
そこで頼ったものが粗悪であると気づいても、頼っていると自分が安心できると思えば、頼ってしまうことを止めません。
特に切羽詰まった状態であれば、粗悪な部分は目に入りません。
そうして古の預言者が世の人々に残した神の言葉が闇に覆われ、人々の目からは隠されてしまうので、神の言葉に込められた真意を汲み取ることが出来なくなってしまいます。

曰く、とある人間が唱えた新しい概念に基づいて、世界の人々が生活を始めてみると、時間が経つにつれてあちこちに齟齬が生じて来ます。
その齟齬が、人々の暮らしに繰り返し衝撃を与え続けることとなります。
とある一つの衝撃となる出来事が、人々にとって耐えられる程度のものであっても、その衝撃が断続的に繰り返し襲いかかったとき、人々はその衝撃がもたらす毒性による浸食を受けて、徐々に社会を蝕んで行きます。
ようやく人々がその毒性に気づき、蝕まれる社会の実情に目を向けた頃には、既に後戻りが出来ないほど事態が深刻になっていて、苦しみながらもこのまま前進する選択しか残されていません。
神の刻印を額に押されている人々は、視界を閉ざす煙の中にあっても、神の言葉に込められた真意を的確に捉えていますので、そこから外れた「新しい概念」に惑わされず、その様な危険物には容易に近づきません。
いざという時に身を守る術も心得ています。
ですから、結果として何ら被害に遭うことはなく、その心を守り通すことが出来るのです。





■ サソリのような力を与えられたイナゴ


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第九章第七節~十二節では、イナゴの風体についての説明が続きます。
イナゴは出陣の用意を調えた馬に似ていて、胸に鉄の胸当ての様な物を着けて、羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ馬車の響きのようなので、イナゴの目的は何らかの戦闘を準備しています。
イナゴの頭には、まるで神の側近である長老が被る金の冠に似たものをつけており、人間のような顔に女の髪のような髪です。
その姿はまるで、金の冠をつけた長老の権威を装って、かつて楽園で蛇の言うままにアダムを唆した女の様にして、神の刻印を押されていない人を騙そうと手ぐすねを引いているように見えます。
それらのいずれも~のような物とか、~に似た物とあるので、その様に装って見せかけていますが、実態は異なります。
更に、サソリのように尾と針があって、この尾で神の刻印を押されていない人を五ヶ月間害するのです。
このイナゴの尾に与えられた、人を害するサソリのような力とは、いわば神の名を借り、あるいは聖なる者を装って、神の刻印を押されていない人を悩ませ、精神的に苦しめて判断を誤らせることでした。
イナゴは底なしの淵の主の眷属であり、次の戦いに備えてその様な謀を仕掛けたのです。

以上の、人間視点から見たサソリのような力を与えられたイナゴについて、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここでイナゴの姿が描写されていますが、このイナゴの描写に当て嵌まる事柄が、現在の日本において起こっているとは思いませんか?
ここに記されているのは日本についての出来事ではありませんが、似通った状況が起きていると考えても間違いではありません。
「イナゴは出陣の用意を整えた馬に似ていて、頭に金の冠のようなものを被り、人間のような顔に女のような髪、歯は獅子のようである」とくれば、容易に想像できるのではありませんか?
それはまるで、日本と韓国の間で起きている慰安婦問題を思わせないでしょうか。
韓国の人々は、「戦争被害者」という大義名分を掲げて、「女性の権利」という概念を悪用して、不当に日本を攻撃していませんか?
「戦争被害者」という大義名分は、韓国においては誤った認識を元にして活動していますので、本人の意思とは関わりなしに嘘を吐いている状態であり、それは偽物の金の冠を被っているようです。
「女性の権利」の悪用は、人間の女性が鋭い歯で今にも噛みつかんばかりに、日本に向けて口汚く罵声を浴びせている姿に重なります。
出陣の用意を調えた馬ですので、相手を攻撃する気は満々と言ったところでしょうか。
この様にして、日本が韓国の攻撃を受けることになった経緯を併せて考えると、更に多くの事柄が見えてくると思いますし、それらの出来事は一本の線で繋がっているように感じられます。
過去に日本が選択を誤ったことにより、今の日本国民は苦しい状態に置かれているのではないでしょうか。
「鉄の胸当てのようなもの」や「多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのよう」な音を立てる羽を与えて、ご丁寧にも韓国のために出陣の準備を整えてあげたのは、彼らに責め立てられている日本の側でした。
その様にして過去に判断を誤ったという現実をしっかり受け止めて、今後同じ過ちを繰り返すことがないように、今のうちにしっかり学んでおきましょう。
第九章に記されているイナゴに悩まされる人々は、これ以上やり直しがきかないところまで追い込まれていて、このまま行き着くところまで進むしかないのですが、今の日本にはまだ改善の余地が残されています。
そして改善するために必要な下地も整っています。
後は過ちを改める決断をして、そのまま実行に移すのみです。
あなた方は、それを成し遂げるだけの力を備えていると言うことを忘れないで下さい。

曰く、第一の災いが去りましたが、まだ終わりではありません。
次の災いが控えています。
神の言葉を理解出来ていない人間たちは、これらの災いを回避する術を持ち合わせていません。





■ 第六の天使がラッパを吹いた


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第九章十三~十五節では、第六の天使がラッパを吹くと、天の神の御前にある金の祭壇の四本の角から声が聞こえて来て、第六の天使に言いました。
「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ。」
この四人の天使は、この時に人間の三分の一を殺すために用意されていて、いよいよその時が来たので解放されました。
この天使達は、黙示録第七章の冒頭で、大地の四隅に立っていた天使でしょう。
何故なら、彼らには大地と海とを損なうことを(神に)許されているのですが、神の僕の額に刻印が押されるまでは、大地と海を損なってはならないと、神の刻印を押す天使より申し渡されていたからです。
その、神の刻印を押される対象者全員に刻印を押してしまったので、いよいよ四人の天使が大地と海を損なう時が訪れたのです。

以上の、人間視点から見た第六の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここで人間の三分の一を殺すために四人の天使が解き放たれますが、なぜ三分の一なのかというと、第七の封印を開いた後に起こる出来事を振り返れば分かるでしょう。
第七の封印を開いたとき、神から七人の天使にラッパが与えられて、第一の天使から順番にラッパを吹いていきますが、天使がラッパを吹くたびに、常に何かが全体の三分の一だけ害されていきます。
ここで様々なものの三分の一に被害をもたらそうと主導的な役割を果たしたのが、人間の三分の一に当たると言うことになるでしょう。
彼らは常に争いの中心におり、周囲に争いを振りまき続けたのです。
たとえ注意深く周囲を観察していても、自分では正しい選択をしているつもりでも、いつの間にか選択を誤り、それを繰り返してしまうのが人間なのです。
だからこそ過信は禁物であり、出来るだけ多くの意見に耳を傾けて、それらを踏まえて慎重に検討することが重要になってきます。
ですが、これから起こる災いによって殺されてしまう人々は、自分たちのことに夢中で、周囲への気配りに欠けていました。
その為に多くの犠牲を生み、他の人々に不幸をもたらし続けた者たちなのです。
彼らを含む人々が、霊的に成長するための機会は、これまでの間にも充分に与えられてきましたし、成長した成果を示す機会も必要に応じて与えられてきました。
彼らが人間として過ごした時間は、いつでもどこにいても成長に資する学びの機会とすることが出来たのですが、その機会を充分に生かすことが出来なかったのです。
これ以上同じ環境の元に居続けても、彼らはこれ以上に成長することが難しい状態になってしまいましたので、ここで選択の間違いに気づいて、今までの考えと行いを改めるきっかけとする必要があるのです。
その間違いに気づくには、一旦人間の本性をさらけ出して、その醜い有様を直視しなくてはなりません。
その為に四人の天使が解き放たれて、人々のありのままの姿を表に出す役割を担います。





■ 人間の三分の一を殺す二億の騎兵


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第九章第十六~二十一節では、四人の天使が二億の騎兵を用いて、人間の三分の一を殺しました。
騎兵の胸当ては炎と紫と硫黄の色であり、馬の口から吐いている火と煙と硫黄に対応していて、恐らく大規模な戦争を示唆しています。
更に、騎兵が乗る馬の尻尾にも力があって、尻尾には蛇に似た頭があって、殺されなかった人に対してはその尻尾で害を加えました。
第五の天使がラッパを吹いたときに、底なしの淵から現れたイナゴも、サソリのような尾と針で、額に神の刻印を押されなかった人を苦しめましたが、この騎兵にも似たような力があります。
そしてイナゴは、次の戦いの準備をしていたのですが、それがこの人間の三分の一を殺す戦いであり、イナゴに苦しめられた人の中から二億人が、この騎兵としてスカウトされたのではないでしょうか。
イナゴは底なしの淵の主の眷属ですので、サタンと同じ価値観を持つ者ですが、そのイナゴに毒された者が二億の騎兵なのですから、この騎兵はサタンの価値観に染められていることになります。
二億の騎兵は、自分たちの考えと異なる者の存在が許容できないので、そういった対立する相手には戦争を仕掛けて滅ぼし、それ以外の者には、自分たちが絶対と信じるサタンの考えで害してゆきます。
ですから案の定、この争いで生き残った人間は、神聖な者を装った悪霊や、物質で造った偶像を崇めるようになってしまいます。
また殺人や呪術、淫行や盗みを行うことにも疑問を感じなくなってしまいました。

以上の、人間視点から見た人間の三分の一を殺す二億の騎兵の件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、騎兵の胸当ての炎と紫と硫黄の色や、獅子のような頭の馬の口から吐かれている火と煙と硫黄は、人間による争いを示唆します。
ある一部の人の社会的影響力が増し、長年支配的な立場に君臨し続けることで社会体制が偏ると、必ずあちらこちらで軋轢が生じます。
それらの支配者たちが、己の欲望を満たすことのみに関心を向けていれば当たり前のことです。
そこには信頼も安心も存在していません。
人々は疑心暗鬼になり、他人を出し抜き、蹴落として、己が伸し上がろうと必死になることでしょう。
そうしなければ、この世界では繁栄も安全も手に入らないからです。
誤った価値観に基づいて築かれた世界では、人々は率先して過ちを犯すようになり、その状態に疑問に持つことはありません。
素直な人は騙され、心優しい人は利用される、その様な世界なのです。
欲望にまみれ、自制心を失った者たちの暴走が発端となって争いになり、三分の一の人間は滅びることになります。
馬の尾にある蛇に似た頭は、生き残った三分の二の人々を唆し続けることでしょう。
そしてまた、多くの人が唆されて過ちを繰り返すのです。
騙されたり利用されてしまう人にとっては、とても生き辛い世界です。
物事に対する理解力が高い故に、一部の聡い人にとっても暮らし難い世界であるといえます。
人間として、この世界で生じる困難に対処するには限界があるからです。
騙され利用されてしまう人は、理不尽な世を嘆くばかりでは無く、それまでの経験から少しでも多くを学び取り、聡い人の仲間入りを目指す必要があるでしょう。
そうすることで過ちを犯す人の行いから自衛し、心穏やかで思慮深い人の数を増やして行くことにより、その分だけ安心して暮らせる世の中へと変化するからです。

曰く、残された三分の二の人間の中から、必ず滅ぼされた人々に成り代わる人が現れます。
これまでは、滅ぼされた三分の一の人々が、常に周囲へ争いと不幸をまき散らしてきましたが、滅ぼされた人々に成り代わって周囲へ争いと不幸をまき散らす人が、残された人々の中から現れるのです。
今度は彼らが悪魔の代弁者となって、この世界を巻き込み混乱に陥れることでしょう。
そして、滅ぼされた三分の一の人々と同じ過ちを繰り返すのです。





■ 第五の天使と第六の天使がラッパを吹くまでのまとめ


イナゴの描写について述べている部分で、現在の日本と韓国の関係に似通っている旨の指摘がありましたが、世の中の動きを丁寧に観察していると、実はこれと似通った構図が随所で見られます。
日本国内にもそれらしき様子は確認できますし、他の国でも見られます。
実は、この記事を書き始める時点では、現時点で管理人が確認した幾つかの事例を紹介しようと思ったのですが、予定を変更して、ご覧の皆様に委ねたいと思います。
「~の国で、~の問題について取り沙汰されている様子が、イナゴの描写によく似ている」と感じる事例に気がつきましたら、是非コメント欄にご意見をお寄せください。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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2017年4月14日金曜日

[黙示録再解読]:第七の封印を開く時

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

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■ 巻物の第七の封印を開く


このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

以前の黙示録解読では、第八章の冒頭で小羊が巻物の第七の封印を開きます。
第二節~第五節では、神から七人の天使にラッパが与えられ、金の香炉を持った別の天使には多くの香が与えられます。
玉座の前にある金の祭壇の火を香炉に満たして、そのまま天使は香炉を地上に投げつけます。
ここで、金の祭壇の火とは神聖なる力を表しますので、この後地上で起こる出来事は神様の神聖な力による出来事であることを示します。
そして神様よりラッパを与えられた七人の天使が、事態の進捗状況を知らせる為にラッパを鳴らします。
それは以下のような流れで進みます。

以上の、人間視点から見た巻物の第七の封印を開く件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、第七の封印が開く時に、地上にいる全ての者たちを対象にして、神との絆が結ばれます。
ここで言う絆とは、霊的エネルギーや情報をやり取りする経路、通信回線とでも例えればよいでしょうか。
これまでは各拠点を通じて(間接的に)人と神の絆が結ばれて来ましたが、第七の封印を開く時を境にして、人と神が直接絆を結びます。
人と神が直接繋がるには、神が発するエネルギーや情報を適切に受け取って活かす方法を、人が学ばなくてはなりません。
しかし、その条件を整えるには多くの時間をかけて、神からエネルギーや情報を受け取る方法を実践を通じて学び、徐々に慣らしていかなくてはなりません。
その様な準備期間として、半時間ほど沈黙の時が設けられています。
この間に人間たちには、自分たちが学んだ成果を示す機会が訪れるでしょう。

曰く、ここで現れる七人の天使は、神の言葉の実践者と言うことを忘れてはなりません。
神から与えられたラッパを天使が使用するのですから、神からの信認を受け、神の指示によって使用しているという事になります。
これから、天使たちがラッパを吹く度に起こる出来事により、多くの人が苦しみを受けたとしても、人を苦しめる事を目的としたものでは無く、人間の成長を見極めるために必要であることを知りましょう。

曰く、これから人間の世界でおきることは、聖なる者たちの証として起こります。
だからこそ、聖なる者たちの祈りと共に多くの香が金の祭壇に捧げられるのです。
この香の煙はのろしのようなものであり、神の裁きの時が始まる合図となります。

曰く、香の煙が立ち上り、全ての準備が整った合図が周知されます。
そして天使は、予め決められていたとおりに聖なる者たちの祈りを携えて、神の御前へと立ち上がります。
神の裁きを開始する合図を物質界に向けて送るためです。

曰く、時が満ちて聖なる者たちの祈りは聞き届けられました。
天使が香炉に祭壇の火を満たしたのは、それぞれの行いの結果を明らかにするためです。
祭壇の火が地上に投げ込まれると様々な試練が課せられて、その試練に向き合う際に人の本性が明らかになります。
雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こったと書かれていることから分かるように、人はさまざまな試練を経験します。
これらの働きかけにより、地上はとても暮らしにくい状態に変化します。
暮らしにくくなれば当然のように争いが発生します。
自分たちにとってよりよい暮らしを求めるからです。
その為に人間同士の潰し合いが始まります。
環境の変化は、必ずしも自然災害だけとは限りません。
主に人為的に引き起こされた不具合が原因となるでしょう。
しかし、その因果関係に気付く者はほんの少数です。
自然災害の多発のみであれば、人々の協力によって苦難を乗り越え、再び繁栄することも可能ですが、人の心が生み出す争いは、止まるところを知らずに幾たびも繰り返されて、偽りの繁栄の後に滅亡をもたらします。

曰く、地上に火のついた香炉を投げ込むことによって人の本性があからさまになり、白い衣を着るのに相応しい者たちと、今しばらく地上における学びが必要な者たちが二つのグループに選り分けられます。
ここに来てようやく七人の天使たちがラッパを吹く条件が整いました。




■ 第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第七節では、第一の天使がラッパを吹きました。
すると血の混じった雹と火が生じて、地上に投げ入れられます。
その為に地上の三分の一が焼け、木々の三分の一も焼け、全ての青草も焼けてしまいます。
これは大規模な陸上戦闘によって多くの血が流れ、また大地が著しく荒廃してしまうことを示しているようです。
ここではさらりと簡単に流しているようでも、地上の三分の一を焼くのですから、恐らく相当大規模の戦争が起こるのか、もしくは広範囲で紛争の絶えない世の中になることを示唆しているのではないでしょうか。

黙示録の第八章第八節~第九節では、第二の天使がラッパを吹きました。
すると火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられます。
その為に海の三分の一が血に変わり、被造物で海に住む生き物の三分の一が死にます。
また、船の三分の一が壊されます。
これは大規模な海上戦闘が起こり、その為に海の生物に多くの被害が出て、また多数の船舶が沈められる事を示しているようです。
ここであえて「被造物で海に住む生き物」と表現しているので、被造物=神の手により創造された生き物であると強調したい心の内が伺えます。
人間同士の諍いが原因で起こった戦争に、神が創造された海の生物を多数巻き込む理不尽さを諫めているように読めます。
ともあれ、海の三分の一を血に染める大海戦が起こるようです。

以上の、人間視点から見た第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここに記されている事柄は、主に人間が引き起こすことになる事象です。
人間たちの持つ知識には限界があって、何を為すにも程よい加減に治めることが難しく、例え慎重に事を進めていたとしても行き過ぎてしまう事は避けられません。
価値観の違う者たちが同じ枠組みの中で暮らし続けるためには、お互いの考えや行動を尊重し、譲歩し合い、折り合いを付けることが出来なければなりません。
しかし、実際にそれを行う事は難しく、互いの価値観を押し付け合い、奪い合うことで軋轢が生じてしまいます。
それらの軋轢の行き着く先に、生存をかけた殺し合いがあります。
最初から冷静に考えることが出来れば、殺し合いに発展する前に解決する手段はいくらでもあるのですが、目先の欲望に囚われて冷静さを欠いた思考力では、正解を導き出すことは大変難しく、誤った方向に突き進んで後戻りできない状況に陥ってしまうでしょう。
そして誰しもが「私は何も悪くない!悪いのは相手の方だ!私は被害者なのだ!!」と思いたい衝動に駆られてしまいます。
しかし、実はその様に被害者と加害者を明確に分けることが出来る状況はほとんど存在しません。
誰もが皆、自分の立場からしか物事を考えることが出来ないので、相手の立場から自分を見たときに、被害者だと思っている自分こそが、相手にとっては加害者として映っていることを知る由も無いのです。
争いは無知から来る不安によって発生します。
相手が何者かわからないという不安です。
この「わからない」という不安を解消するために、相手を自分が理解できる枠に当てはめようとします。
互いにその様な行為を繰り返せば、当然両者の間に軋轢が生じて、安定した信頼関係を結ぶことが出来ません。
今までに起こった出来事を振り返れば、そのことが手に取るように良く分かることでしょう。
一体どれだけの国が争いによって滅び、どれだけの人々がその命を犠牲にしてきたことでしょう。
国家の興亡が何度繰り返されても、その間にどれほど多くの血が流れようとも、人間はいつまでも人間のままであって、何一つ変わっていません。
どんなに技術が進歩しても、どんなに豊かな世の中になろうとも人間は何一つ変わることはありません。
技術が進めばそれが争いの種となり、豊かになればそれがまた争いの種となるのです。
人間という存在も他の生物たちと同様に、己の生存をかけて争い続けているのです。
この世にあって神の言葉を実践出来る人間は稀であり、大変貴重な存在といえるのです。
大抵は甘言に惑わされて誤りを犯してしまいます。
その様な世の理がここには記されています。
人は争って互いに殺し合うことでしょう。
「血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。」という表現は、人間の欲望が争いを生み、多くの血が流されることを比喩的に表現しています。
大勢の人間が争いに身を投じ、命を落とす事になるでしょう。
争いによって地上の三分の一が損なわれることを考えて見て下さい。
それはとても恐ろしい光景です。
人間はこれらの経験を通じて、争いを起こさなくても済む方法を学ばなければなりません。
甘言に惑わされる愚かさを知り、それを乗り越えなくてはならないのです。
ここで述べている幾多の試練が、その為の機会である事を忘れてはなりません。




■ 第三の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第十節~第十一節では、第三の天使がラッパを吹きました。
すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川の三分の一とその水源の上に落ちます。
その星の名は「苦よもぎ」といって、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなったので、多くの人が死にました。
霊界の住人によると、これは深刻な水質汚濁が起こり、飲用水として使用していた川の水が汚染されて、毒水に変わってしまった事を示しているようです。
それ程の深刻な水質汚濁の実情を知らなかったのか、もしくは知っていても、他に清浄な水を手に入れる手段がなかった為に、毒水と知りつつ飲用せざるを得なかったのかは分かりません。
いずれにせよ、毒水を飲んだ為に多くの人が犠牲になってしまうようです。
この「苦よもぎ」がチェルノブイリ原子力発電所で起きた、原子力事故を暗示する説がありますが、『銀の紐』では、「苦よもぎ」の海外での名称が、『創世記』の「楽園から追放された蛇が這った後に生えた草」であるという伝説との関係を重視します。
『創世記』第三章では、予め神から禁じられていたにもかかわらず、蛇がエバを騙して善悪を知る者の実を食べさせ、アダムも蛇に唆されたエバの言うままに木の実を食べてしまったので、それを知った神はアダムとエバを楽園から追放します。
エバを騙した蛇とは悪魔サタンを指しますが、その蛇の這った後に出来た草ですから、悪魔サタン的な価値観を象徴する草と見ることが出来ます。
人間社会がサタン的価値観に支配された結果として、必然的に清浄な水も毒水に変質してしまうと言う比喩表現でしょうか。

以上の、人間視点から見た第三の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここでは川の三分の一が汚染される様子が書かれています。
川の水は、生物にとって命を繋ぐために欠かせません。
それを、人間の主導権争いによって損ない、人間のみならず、それ以外の多くの生物たちをも巻き込んでしまっています。
この世界は相互に作用しており、時には周囲に恩恵を与え、時には周囲から恩恵を受けながら成り立っています。
一方的に与えている存在もいなければ、一方的に受けている存在もいません。
例え見た目には分からなくても、この世界に存在しているからには、必ず相互に与えあい、受けあって暮らしています。
その因果関係が理解できていないのです。
無知であるが故に、意図して行うわけではなくても、人間は周囲のあらゆるものを死へと追い詰める行動をとってしまいます。
何か衝撃的な出来事が発生する時、それは特定の誰かの仕業ではなく、地球上に存在する全て者たちの考えと行動に行き違いが生じているのですから、その出来事の責任を特定の者に負わせても、真の解決には繋がりません。
知らなければ全く関係ないのではなくて、その無関心こそが決定的な事態が起きる要因の一つになっていることを知る必要があります。
この世界で起こるあらゆる出来事は、この世界に存在する全ての者が個々に思考し行動した結果の積み重ねであることを、全ての者が自覚しつつ日々を過ごせるようになった時に、世界の有り様は劇的に変化するでしょう。




■ 第四の天使がラッパを吹いた


黙示録の第八章第十二節~第十三節では、第四の天使がラッパを吹きました。
すると太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が損なわれて、それぞれ三分の一が暗くなりました。
その為に、昼は光の三分の一を失い、夜も同じようになりました。
そして一羽の鷲が空を高く飛びながら、大声で言いました。
「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者達。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」
霊界の住人によると、これは壮絶な大気汚染が起こり、太陽や月、星の明かりが地上に届きにくくなる程、空が暗くなってしまうことを示しているようです。
そんな空に一羽の鷲が飛んでいて、これから三人の天使がラッパを吹く度に、地上に住む人に不幸が襲うと警告しております。
何故鷲がその様なことを言うのでしょうか。
第一~第四の天使がラッパを吹いた時には、それが例え思ったような結果に結びつかなくても、地上に住む人が自ら選択した行動です。
しかも、その選択は蛇の這った後に「苦よもぎ」が生えたように、悪魔サタンが引いたレールに沿って進められてきたものです。
だから自ら選択した結果は自分で刈り取る決まりに則って、これから三人の天使が吹くラッパの合図と共に、自ら選んだ結果が還ります。
それが地上に住むあなた方にとっては、不幸な偶然としか見えなくても。

以上の、人間視点から見た第四の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、ここでは太陽と月、そして星の三分の一が損なわれる様子が書かれていますが、実際に太陽や月や星が損なわれるわけではありません。
これは、地球を覆う大気の具合によって、地上から空を見上げたときに、太陽や月、そして星の光が届かないようになる地域が全体の三分の一に及ぶという表現です。
いわゆる大気汚染です。
これは現在進行形で、地球上の各地で見られる現象ですので、誰にでも容易く想像できるでしょう。
誤った形で性急に豊かさを追求した結果として、自然環境を著しく損なって、自分たちの生活環境を破壊してしまいました。
もっと早くに手を打っていれば、汚染の規模は小さく限定できたので、浄化に掛かる時間も短くて済んだでしょうが、ここまで大規模に拡大してしまうと、浄化にもそれなりの時間を要するでしょう。
ましてや、そこに重ねて汚染源を振りまき続けているとしたら、いつまで経っても浄化する事が出来ず、ただただ汚染が広がるに任せるしかなくなって、日を追って生物の生存が脅かされて行きます。
自然浄化で事足りる程度の汚染源であれば、そもそも環境汚染は問題にならないからです。
この問題も、誰か一人の、あるいはどこか一国に責任を求めることは出来ません。
みなそれぞれに影響し合って暮らしているのですから、汚染源を異常に垂れ流す者たちに対して、適切な処置をしてこなかった者たちにも責任があります。
目に見えて悪影響を及ぼす者たちは大変目立つので、矢面に立たされ攻撃されやすい立場になるが、その周囲で彼らの行為を見逃し、後の影響を考えずに利用してきた側にも問題があることをしっかりと自覚しなくてはなりません。
そして、このような悲劇的な事態を回避できる方法を探し、是非実践して下さい。
例え全体で実践することは難しくとも、少なくとも全体の三分の二の場所では汚染されることはないのですから、今から出来ることを是非考えて実践してみましょう。

(2017年2月25日)





■ 第一~第四の天使がラッパを吹くまでのまとめ


巻物の第七の封印を開いた時の様子は、多くのスペースを割いて詳細に記述していますので、今回は黙示録の第八章に当たる、第一~第四の天使がラッパを吹いたところまでとします。
第五の天使以降は次回に持ち越しとなります。

さて、既に以前の黙示録解読の際にも述べているように、そして記事【[黙示録再解読]:小羊が神の巻物の封印を開く】で述べたように、小羊が神の巻物の封印を解いて開いていく過程のうち、今はちょうど第二の封印を開いたところで、「神の裁き」の時代が始まったばかりの時点となります。
この記事は第七の封印を開いた時の様子を表していますので、遥かな未来に起こるはずの出来事として記していますが、実は現代の様子に符合する描写が随所に見られます。
これは偶然ではなくて、七つの封印を開く度に訪れる「神の裁き」の時代は、概ね似通った経緯を辿り、それを七度繰り返すのだそうです。
解かれる封印の場所によって、神の裁きが下る対象が変わったり、神の裁きの物語が展開する舞台は変わっていきますが、その時代ごとに配役を変え、また細々とした部分の違いはあれども、大まかには類似した物語を繰り返します。
私たち人間には寿命という制約がありますので、その物語の全体像を確認するわけには行きませんが、既に一度、「神の裁き」の時代を乗り越えた記録があります。
その記録と、これから私たちの目の前で繰り広げられる「神の裁き」の経緯を見比べることによって、本当に「神の裁き」は似通った物語を何度も繰り返すのか、或いは『銀の紐』による黙示録解読はただの嘘偽りに過ぎないのかが明らかになります。
特にキリスト教を信仰する方にとっては、「今は黙示録の時代である」事が示された方が、感慨深いものがあるのではないでしょうか。
そして、今が黙示録の時代であるなら、黙示録の記述が現代を生き抜く指針となります。
それと同時に、黙示録の記述と身の回りの出来事の類似性を見極める中から、きっと見えざる神の息吹を感じ取ることも出来るでしょう。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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2017年3月31日金曜日

富士山から噴出したもの

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
先月投稿した記事【炎に包まれた人々】では、日本国内が対象になっていましたが、今回は日本と周辺国の関係が焦点になっています。





■ 霊媒Mが見たイメージ


女神様が右手に榊の小枝を持ち、足下の地面に向けて振り下ろすと、榊の小枝から清浄な水が一滴、地面にこぼれ落ちます。

すると、滴が落ちた場所がひび割れて、地面が地下深くへ崩落して大きな穴が開きました。

女神様は、足下の地面が無くなったのに、同じ場所に止まって宙に浮いています。

次に女神様は、今度は右手に持った榊の一枝を空に向けて振り上げると、先ほど地面に空いた穴から溶岩が噴出します。

溶岩が噴出した場所は富士山の火口のようです。

富士山の火口から次々に噴出する溶岩は、山の斜面を伝って周囲へ広がり、流れ落ちて行きます。

ただ、これは比喩的なイメージなので、実際に富士山が噴火するわけではありません。

なので、溶岩流に覆われた麓の街にも何ら被害は無く、昨日と同じ日常が今日も続いています。

山の麓から広がった溶岩流は、地面を縦横に伸びる道路に沿って流れて、やがて日本全国に広がって行きます。

溶岩流はいつの間にか海を隔てた島などにも流れ着き、島内の道路に沿って隅々にまで広がって行きます。

その様子はまるで、血管を流れる血液のようです。

血液が全身を巡って酸素を送り届けるように、溶岩流が日本全国津々浦々にエネルギーを運んでいます。

その血液のように見える溶岩流は、とある場所に辿り着くとその地域を避けて通ります。

溶岩が避けた土地は黒く焦げており、煙が燻っています。

その黒焦げの地面をしばらく見ていると、突然地下から溶岩が噴出します。

富士山から道路に沿って流れてきた溶岩流とは別の道、表向きには見えない地下道を通ってその土地に辿り着いたもので、大元は同じ溶岩です。

そして、地下から噴き上げる溶岩流をよく見ると、流れの中心に【平和祈念像:wikipedia】を包み込んでいます。

まるでその像にエネルギーが注ぎ込まれているようです。

そしてその次に見えたのは、十字架の形をした溶岩が地面の底から浮かび上がってきますが、そのまま十字架が溶け落ちてしまい、地面に落ちた溶岩がその場で広がる様子でした。

十字架が溶け落ちた傍らにはマリア像が建っていて、その時マリア像が溶岩の涙を流したのですが、マリア像から流れた溶岩が海辺に流れ着き、そこで海面に火をつけて、見る見る東シナ海と日本海を炎で包み込んでしまいます。

東シナ海と日本海に広がった炎の海は、日本を守る自衛隊や米軍からは見えません。

彼らにとっては何も変わらない、いつも通りの海が広がって見えています。

しかし、日本海と東シナ海を航行する中国、韓国、北朝鮮の軍艦からは、炎の海が周辺一帯を取り囲んでいるように見えます。

と、思ったのも束の間、軍艦は為す術もなく、その炎に飲まれて炎上します。

それらの様子を目の当たりにする自衛隊や米軍からは、何事も無い海に浮かぶそれらの軍艦が突如発火、炎上しているように見えています。

さて、富士山から流れ出した溶岩流の一部が東京湾から海に流出し、そのまま太平洋を渡って米国の西海岸の一部に辿り着きます。

米国に流れ着いた溶岩は、西海岸に沿って炎上していますが、太平洋には何も影響がありません。

しばらくして、その炎は米国の東部から流れてきた雨雲によって消し止められますが、炎上した部分は黒く焦げ、蒸気を上げながら燻った状態に置かれます。

(2017年3月27日)





管理人の印象として、このイメージは冒頭に挙げたリンク先の記事の流れを引き継いでおり、なおかつ記事【霊媒Mが見た三つのイメージ(その1)】のうち、日本から北米に至る部分について、更に詳細に取り上げていると思いました。
同時に、ここで中国・韓国・北朝鮮が軍事的な損害を受けることにより、それぞれの国内で政府の求心力が衰えて、中国についてのイメージ【霊媒Mが見た三つのイメージ(その2)】や、朝鮮半島についてのイメージ【霊媒Mが見た三つのイメージ(その3)】に繋がるのではないでしょうか。

ご覧の皆様の感想をお待ちしております。

Silvercord管理人 





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2017年3月1日水曜日

神社について6つの疑問

今回は、記事【炎に包まれた人々】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問について、とある霊界の住人からの回答が届きましたので、ご紹介します。





■ 匿名様の質問

(前略)

私は以前から神社仏閣が好きで、定期的にお詣りする神社以外にも、たまたま通りかかった神社仏閣に立ち寄ってお詣りしたり、お守りを求めることがありました。
ところが4年ほど前、非常に霊感が強く、その方面の修行をしたこともある知人から、「神社仏閣は、氏神様や家の菩提寺など、自分に関連したところか、あるいは、ここと自分が決めた神社仏閣以外にお詣りしてはいけない。神様は、あちらこちらにお詣りしたり、お守りをいただく人間を快く思わない」と言われました。
また、「夕方以降は行かないように」と言われました。これについては、以前に聞いたことがあって実行していたのと、実際に、たまたま暗くなってしまってから神社にお詣りした時、「連れてきてしまった」ようで怖いことが起こりましたので、その時からは肝に銘じて控えております(その「怖いこと」が起きたあとは、その名残が消えるまで、お清めの塩とお酒でしばらくお祓いをつづけました)。

その結果、現在は、信仰している神社仏閣数ヶ所と、日本人の総氏神様ともいえる伊勢神宮には、お詣りしてお守りをいただくのを基本にしておりますが、友人と旅行した際など、何かの折に他の神社仏閣に行くこともあり、そのたびに、知人の言葉を思い出しては躊躇しております。
本来、神様がそんな分け隔てをすると思うのは失礼に思いますし、そんな、人間のような狭い了見ではないように考えますが、知人の言葉が呪縛のように私の行動を鈍らせます。

そのようなわけで、今回、あまりに初心者的な質問で心苦しいのですが、知人からの言葉と、巷間言われている決まりごと等について、霊界の住人の皆様に近しい管理人様達のご見解をおうかがいできればと存じます。

  1. 管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか
  2. 夕方以降は行かない方がよいのでしょうか
  3. 色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか
  4. お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか
  5. 家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか
  6. 神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

以上のことについて、むろんご存知の範囲で結構なのですが、おうかがいできればと存じます・・・。
あるいは、「神様や神社仏閣との繋がり方において最低限氣をつけておく事柄(それ以外は氣にしなくてよいこと)」を教えいただけるのでも、とてもありがたく思います。

(後略)





■ 霊界の住人の回答

1.管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか

質問1.については、記事【彼らの目的は果たされない[小ネタ]】のコメント欄、カズミ様の質問に対する管理人の回答で述べている通りです。
該当する部分を引用します。

カズミ様の質問
今、神社にとても関心がありまして、あちこち行きたいと思っているのですが、
以前テレビでタレントさんが「ロケに行った先などで神社を見つけるたびに
お参りしていたら、どうも調子が悪くなった。ある日霊感の強い人から
『いろんな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩しているよ』と言われた」
といったことを言っていました。
それが頭にずっと残っていて、「あまりあちこちに行くのはいけないのかなー」
と思っているのですが、どうなのでしょうか?

管理人の回答
結論を先に述べると、「神様同士が喧嘩をする」筈がありませんし、神社を参拝することによって神様との間の絆が繋がり、その絆が強まります。
また、特に関心を持っている神社がある様でしたら、その神社の神様より招かれている場合もありますので、関心のある神社を複数訪ねても一向に構いませんし、是非色々と参拝して廻ることをお薦めします。

管理人も以前どこかで「神様が喧嘩する」とか、「神様同士の相性が~」という話を小耳に挟んだ記憶がありますが、これらはいずれも人間的な感情の働きに沿っていて、人間よりも遙かに成熟しているはずの神様が喧嘩をしたり、神様に相性があると言うのもおかしな話ですよね。
毎年の神無月には、日本全国の神様が出雲大社に集うと言いますが、年に一度は一堂に会する日本の神々が、普段はお互いに縄張り争いで揉めているとでも言うのでしょうか。
少なくとも管理人が霊界の住人から聞いている限りでは、日本の神様は日本の秩序を守り、日本で生活する人の霊的な成長を促す為に組織的な活動を続けております。
お互いに喧嘩をしていたり、相性が合わないからと連携をためらっては務まりませんし、全ての日本の神々が目的を共有して、各々の立場に応じて役割を分担して果たしていくからこそ、ようやく日本の秩序を守ってゆけるのです。

では、「色々な神社を参拝していたら、身体の具合が悪くなった」と言うことは起こり得るのでしょうか。
一つ目の可能性として、神社を参拝した人が霊媒質であり、なおかつ神社の神域に満ちている霊的エネルギーが強かったり、参拝者が神社のエネルギーの質に馴染んでいない場合は、疲労や身体の異常として現れる場合があります。
その場合は、時間を置いて(例えば一週間おきなど)何回か同じ神社を訪ねることによって、参拝者の身体を神社の霊的エネルギーに慣らしてゆくと、その様な症状は次第に解消されるでしょう。

二つ目の可能性は、神社の神様が参拝者に対して何らかの働きかけをしているのですが、それが参拝者自身にとっては目を背けたいテーマであったり、神様の働きかけを拒絶したい気持ちがある場合に、身体的な異常として現れる場合があります。
神様は参拝者の成長を支援する為に、参拝者が抱えている問題に立ち向かい、乗り越える方向性の働きかけを行いますので、参拝者自身に何らかの問題を抱えている自覚がある場合は、こちらの可能性が考えられます。

三つ目の可能性は、参拝者に何らかの霊が憑いていて、その霊が神様や神社に近づくことを嫌がって、参拝者が神社へ近づかないように影響を及ぼした結果として、身体的な異常が現れている場合があります。
神社を嫌う霊とは、余り素行が良くない存在なのですが、参拝者の物の考え方がその霊に近いと、居心地の良さを感じて憑依し続けますから、そのような場合は日常生活における心掛けを改める必要があります。

人々が神社の神域を訪れることによって、神様は人々に対して働きかけやすくなりますので、神域で犯罪を行うのでもなければ、基本的にはどの様な方の参拝も神様は歓迎します。
ところが「色んな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩をする」と吹聴することによって、人々を神社から遠ざける作用が働きますので、自覚の有無はともかくとしても、この自称「霊感の強い人」は、日本の神々の活動を妨害していることになります。
神様の活動に対する妨害行為は、日本の秩序を乱すことに繋がりますので、いずれ自分の行いの結果を何らかの形で刈り取ることになるのではないでしょうか。

ここからは、上の回答で足りていない部分の説明を追記します。

日本という枠組みで考えてみれば各神社の神々の纏う霊的なエネルギーは同質のものなのですが、日本全国各地域でそれぞれに特徴があるように、地域ごとに必要とされる霊的なエネルギーの特徴も微妙に異なっているという事情はあります。
そのため、旅行先で神社に参拝される場合は御自身が暮らす地域の神々が発している霊的なエネルギーとは微妙に異なる霊的なエネルギーに触れることになります。
源は全て同じものなのですが、人間にとってはその微妙な違いも気になる場合があります。
雰囲気的に好きな地域やあまり好きになれない地域などがあると思いますが、それはその地域特有の霊的なエネルギーの微妙な違いにより好ましさを感じたり居心地の悪さを感じている場合があります。
基本的に、機会が訪れるという事は必要があるからですので、御自身に不都合がないのであれば、その機会を活かした方が良いと思われます。
大切なのは、それらの経験から何を学び取るのかというところですから、あまり臆病にならずに、ご縁が結ばれたのであれば訪れてみて下さい。

神社やお寺を管理しておられる側の都合というものもあるでしょうから、観光地など広く参拝客を受け入れているような場所以外での参拝などの場合は、直接管理しておられる方に伺ってみるのが良いでしょう。
基本的には、入り口が開放されており、誰でも入れるようになっている場所では取り立てて制限はしていないと思われますから、あまり神経質にならなくても大丈夫でしょう。
様々な事情から、勝手に敷地内に入れないようになっているような場所では、きちんと手続きを踏んでからお参りするのが良いでしょう。
相手のご迷惑にならないように、礼を尽くして参拝されるのが良いと思われます。

人間の手によって意図的に作られた神が祀られているような場所には近づきたくないものです。
それはとても不自然な存在です。
神は神でもそれは偽神ですので、やたらに近づいて良いものではありません。
それは呪いそのものですから、例え欲望を満たせたとしても、その後は束縛され逃げられなくなります。
また、偽神は神気を嫌います。
ですから、神社で参拝して神気を纏っている人間を嫌う傾向があります。
神とは対極にあるもの、それが偽神なのです。
偽神が存在している事を神は許容してはいますが、だからといってその存在が神として受け入れられているわけではないのです。

たまたま知り合った人が偽神を崇めている人であったため、偽神に関わりを持ってしまったなどということが無いようにするためには、神々と心を通わせ強い絆を結んでおくと良いでしょう。
そうすれば、価値観の相違から相手の方が嫌って近づいてはこないと思われます。
魅入られないこと、引き込まれないこと、安易に近づかないこと、それが己の身を守る上で一番重要なことであると思われます。


2.夕方以降は行かない方がよいのでしょうか

暗闇というものはただでさえ人心を惑わせ悪心を抱かせやすいものです。
例え霊などが関係していなくても、闇に紛れて悪さをしようと考える人間は大勢います。
どうやら人間の皆様にとって、人目に触れたら困ることや後ろめたいことなどは、闇に紛れていた方が実行しやすいようです。
その様なわけですから、必要が無いときは夜に外出するのはあまり感心できることではありません。
自らの身を危険にさらすことになるからです。
神社やお寺などが建っている場所は、沢山の外灯を煌々と照らしているわけでもありませんし、ネオンサインがキラキラ輝いているわけでもないので人通りも少ないですし、どうしても物騒になります。
その様な意味では、夕方以降に神社仏閣を訪れるのはあまり良くないことのように思われます。
人間に近い感覚を持った霊たちも同じ事で、やはり悪さをするなら夜の方がやりやすいでしょうし、賑やかな場所よりも寂しい場所の方が相手に狙いを付けやすいという事はあると思われます。
霊の場合は神社やお寺の中で悪さをすることは出来ないと思われますので、敷地の外に出たときに危険が待ち受けていることになります。
しかし、人間の場合はその様な事は関係ありませんから、内であれ外であれ、欲望に駆られれば行動に移します。
用心していれば避けられる災難も、迂闊に近づけば被害に遭ってしまうでしょう。
人間にしろ霊にしろ、暗闇は魔に魅入られた者たちが活発に動き出す要素になっているということを忘れないようにしましょう。


3.色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか

質問3.については、『銀の紐を越えて』掲載記事【鹿島神宮の役目】にある回答の通りです。
該当する部分を引用します。

お守りは、神社に祀られている神々の御力を常に身近に感じる事の出来る、とても便利な道具であります。
通常は神社の境内でなければ注がれる事のない御力を、お守りという道具を用いる事で、いつでもどこに居ても注いでいただけるというとても便利な物なのです。
お守りはいわば、携帯式の受信機のようなものなのです。
お札も同じで、貼られている場所や所持しておられる方々に、神々の御力が注がれるための窓口となっております。

ただ、勘違いしないでいただきたいのは、お守りを所持しただけで劇的に事態が好転するなど、奇跡的な出来事が起こるわけではないということなのです。
あくまでも、補助的なお力添えがあるというだけのことであり、皆様ご自身が問題解決に向けて積極的に取り組む事が重要である事を忘れないでいただきたいと思います。
自ら積極的に答えを求め、努力して初めて神々から注がれたお力が活かされるのです。
何もしないで、ただ助けを待っていただけでは、折角注がれている御力も無駄になってしまうのです。
なぜならそのような方々は、折角為になる情報が得られたり、絶好の機会が訪れたとしても、見過ごしてしまう可能性が高くなるからなのです。
皆様ご自身の考え方や心のあり方が、神々から注がれた御力の作用に大きく影響を与えるものであることを忘れないようにしましょう。

ここからは、上の回答で足りない部分の説明を追記します。

お守りはただの飾りというわけではありませんので、お守りを通して送られてくる霊的なエネルギーを適切に活用出来るのかというところが問われてくると思います。
霊的なエネルギー自体には善悪の概念はありませんから、上手に活用出来れば適切な補助を受けることが出来るでしょう。
しかし、上手に活用出来ないと弊害になる場合もあります。
あちらからもこちらからもと、本来必要としている以上のエネルギーが注がれることになれば、当然強い影響を受けるわけですから、多ければ良いという性質のものでもありません。
御自身にとって適切と考えられる程度を推し量る必要があるでしょう。
お守りを持っているから安心なのではなく、お守りを通じて送られてくる霊的なエネルギーによって、神の智慧を借りる事ができ、それらの智慧を上手に活用出来れば様々な問題に対処する術に辿り着く事が出来るのです。
行動するかしないかは御本人次第ということになるでしょう。


4.お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか

お守りを授かることで神々との絆が結ばれていることを考えれば、いつがお守りの返し時であるのかも自然に分かることでしょう。
そろそろお守りをお返しになった方が良いと強く感じたときが返し時です。
それは一年以内かもしれませんし、数年経ってからかもしれません。
新年のご挨拶もかねて古いお守りをお返しして、新しいお守りを授かるという方もおられますので、一年を目安にしてお返しするというのが一番分かりやすいという事はあるかもしれません。


5.家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか

形式に則って礼を尽くすという考え方も大切かもしれませんが、一番大切なのは心のあり方です。
いくら形式を厳密に守っていたとしても、そこに心が伴っていなければ神との絆は生まれることがありません。
心から神々を求め、絆を深めたいと感じているのであれば、自然と行動にもその思いが表れるものなのです。
自然な行動にこそ人の本質が現れており、そこに神々は注目しているのです。


6.神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

これも、先のご質問への回答と同じことで、一番大切なのは心のあり方です。
心が伴っていてこそ行動することに意味が伴ってくるものですから、御自身の心のあり方に注目し、神々に対して何ら恥じるものがないのであれば、あまり気にする必要は無いでしょう。
神々が見ているのは表面的な事柄ではなく、人間の心のあり方であるということを忘れないで下さい。

(2017年2月28日)





この度匿名様から頂いた質問は、神社に関する身近な疑問に答えるきっかけとなりました。
尤も、ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問には、基本的に管理人から回答を差し上げることとしておりますので、その点はご了承下さい。

また、神社を参拝する際の心構えとして、記事【神社を参拝する際に】も併せてご覧ください。

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2017年2月10日金曜日

炎に包まれた人々

先日霊媒Mから、新たなイメージを見たとの話を聞きました。
今回は日本についてのイメージなのですが、記事の題名から伺えるように、なかなかショッキングな内容となっています。





■ 霊媒Mがみたイメージ

太陽の光が東京の繁華街に降り注いでいます。

絶えず人々が行き交うその街角に立って空を見上げて、しばらく太陽を眺めていると、照りつける太陽の光が一層輝きを増しました。

するとどうしたことか、目の前を往き来する人々の何人かが、急に体が発火してオレンジ色の炎に包まれてしまいました。

照りつける太陽の光と熱が、彼らの体に火をつけたのです。

見る間に全身が炎で焼かれて、傍目にも苦しみ悶えている様子が伺えます。

彼らは日本を敵視し、破壊を目論む者たちなのです。

発火した人々は街中を徘徊し、その身にまとう炎で周囲を巻き込もうとしますが、何回試しても彼ら以外のものには炎が延焼しません。

その炎は、日本に存在することを許されたものには、一切影響を及ぼすことが出来ないのです。

彼らの体は太陽の熱に焼かれながら、逃げ場所を求めて日本海へと飛び込みますが、それでも一向に火の勢いが衰えることがありません。

それでも必死に逃げ続けて、ようやく彼らを苛む炎が消えたのは、日本の領域から完全に離れたときでした。



彼らはオレンジの炎に燃やされながら、自分の口から青い炎を吐いていましたが、それらの炎は空を駆けて彼らの母国へと飛び火し、その国土を青い炎で包みこんでしまいました。

ですから、折角日本から離れて炎の脅威から逃れられたと思ったのも束の間、自分の口から吐いた炎で母国が焼かれる様を目の当たりにするのです。

その青い炎は、彼らとその母国の者たちが、日本との関わりを物理的にも意識的にも切り離された時点で、ようやく鎮火します。

彼らとその国が日本に拘っている間は、その青い炎は勢いよく燃え続けて、全てを焼き尽くすまで衰えることはありません。



さて、東京の街中で人々が発火した頃、国会議事堂の中でも発火する者が相次ぎます。

国会議事堂に出入りする国会議員や公務員などの中にも、日本の破壊を目論む者が含まれており、彼らも街中で発火した者たちと同じ道を辿ります。

例え日本国民であっても、国を破壊する目的で動いているものは皆同様の扱いを受けるのです。

日本で生活すること自体が苦しみとなるため、彼らには日本の外へ出る以外の選択肢はありません。



炎に包まれた人々が日本から逃げ出す去り際に、日本の神様が最後の言葉を投げかけます。

「これまでに態度を改める機会は充分に与えられていたが、それを勘違いして我が儘放題に振る舞ってきたのだから、自業自得であると心得よ」と。

(2017年2月8日)





このイメージの補足として、霊媒Mは以下のように述べています。

  • 日本の領域とは排他的経済水域(EEZ)だそうです。
  • 発火した人は、外国の意向に基づいて日本を破壊する活動に荷担した人々で、日本人と外国人がいます。
  • 発火した人が吐く青い炎は、その人に日本を破壊する指示をした国に飛び火します。
    彼らの精神は、指示を仰いでいる国に帰属しているからです。
  • 日本人で発火した人も日本海へ逃げ出します。
    逃げ切れなかった人は日本で罰を受けますが、その際は全身を包む炎が燃え続けるので、生き地獄の苦しみに苛まれながら残りの生涯を過ごします。
    彼らこそが日本国民を虐げ・搾取し続けてきた元凶ですので、誰も彼らを助けようとはしませんし、助けてはなりません。
    ここで中途半端に情をかけると、彼らは周囲を侮り、欺き、傷つけながら生きることの過ちに気づけません。
    それは彼らが更に過ちを積み重ねる元となりますので、厳しく対処しなくてはなりません。

先月紹介した三つのイメージは、日本と関わりが強い周辺国の動向を示唆していましたが、今回のイメージは日本国内の動向を示唆しています。
そして恐らく、記事【収穫の時が来た】と関連があって、巨大な鎌に刈られて首が飛び散る様子を、更に詳しく表現しているのではないでしょうか。
また、記事【榊に結わえられていたもの[小ネタ]】の日本国内における呪詛返しが、いよいよ国境を越えた呪詛返しへと切り替わる様子にも見えますが、ご覧の皆様はどの様に解釈なさいますか。

Silvercord管理人 





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2017年1月27日金曜日

霊媒Mがみた三つのイメージ(その3)

今回も前回に引き続いて、昨年末に霊媒Mがみた三つのイメージの第三弾を紹介します。

三つ目は朝鮮半島についてのイメージとのことです。





■ 朝鮮半島についてのイメージ

朝鮮半島の地面が大陸側よりも遥か地下深くに沈み込み、海側も海水面より遥か海中深くに沈み込み、朝鮮半島を覆い囲むように海の壁がそびえています。

それは井戸の底にいるようなもので、上を見上げると大陸側は断崖絶壁、海側は海の壁に取り囲まれていて、僅かにその真ん中に空が見えるような状態です。

朝鮮半島の人からは、周りを陸の壁と海の壁に囲まれていて、外の様子が分からないのですが、周辺国から見ると、朝鮮半島だけが遥か地下深くに沈み込んでいる様子が丸見えです。

そして朝鮮半島の地表は、一面が黒い消し炭に覆われています。

そんな様子でしたので、朝鮮半島と外部との接触は殆どありません。

時たま、大陸側の断崖絶壁の上から、地下の朝鮮半島に向かって人が転げ落ちてきて、その人が朝鮮半島を統治することになるのですが、それ以外に人の交流はありません。

朝鮮半島の人々は、天上に僅かにのぞく空を眺めながら、外の世界に対する憧れの気持ちを募らせて行きます。

そんなある時、大陸側の断崖絶壁から転げ落ちて朝鮮半島の指導者となった人が、黄海側の海の壁に向かって槍を打ち込みました。

その槍によって、朝鮮半島を囲うようにそびえていた海の壁に穴が空いて崩れ落ち、そのまま朝鮮半島は海の水に飲まれて、海底に沈んでしまいました。

(2016年12月30日)





今回のイメージと、先に紹介した二つのイメージは、同時に霊媒Mの元に伝えられていますので、相互に何らかの関わりを持っていると思われますが、詳細は不明です。
また、イメージの冒頭部分は朝鮮半島の現状とのことですが、最後がいつ頃を指しているのかはわかりません。
そういえば、以前投稿した記事【夢の中まで追いかけて[小ネタ]】では、日本から見た朝鮮半島が窪地になっている描写がありましたが、窪地でも一応周囲を見渡せる状態でした。
しかしこの記事のイメージでは、周囲を海水の壁で囲まれる「井の中の蛙」状態となっています。
この両者の違いは、時間の経過に伴って、朝鮮半島を取り巻く環境が変化したと見て良いのでしょうか。
それとも…。
ご覧の皆様は、どの様に解釈されますか。

Silvercord管理人 





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2017年1月20日金曜日

霊媒Mがみた三つのイメージ(その2)

今回も前回に続いて、昨年末に霊媒Mが見た三つのイメージの第二弾となります。

二つ目は中国についてのイメージとのことです。





■ 中国についてのイメージ

中国の国土を覆うようにして鎌があるのですが、鎌の柄は腐食して今にも崩れ落ちそうで、とても手で持てる状態にはありません。

鎌の刃は一見すると綺麗に研がれているようですが、刃の厚みが極端に薄くて、ちょっと力がかかると折れてしまいそうです。

そんな鎌の刃に槍が突き立っており、槍が空けた穴の部分から刃に亀裂が入っています。

また、鎌に刺さっている槍には、紫色の房飾りがついています。

そして槍が鎌の刃に空けた穴の辺りから溶岩が湧き出て、中国全土を覆い尽くしてしまいます。

次に、空から無数の破魔矢が飛んできて、中国を覆った溶岩の上に隙間無く突き刺さると、溶岩が冷えて硬くなり、破魔矢ごと地面にがっちりと固定されてしまいます。

そこに、日本の戦国武将を思わせる、鎧甲に身を包んで槍を手にした武者が、馬に乗って現れます。

武者が手にしている槍には、濃紺の房飾りがついていて、先に登場した紫色の房飾りがついた槍と瓜二つに見えます。

武者が手にした槍を中国の上にかざして一払いすると、古来からの中国の土地と他民族が暮らす土地との境目に亀裂が入って、他民族の土地からは破魔矢も溶岩も剥がれ落ちてしまいます。

今度は、西洋風の鉄製の鎧に身を包んで、大きな鋼の棍棒を手にした騎士風の者が現れます。

一見すると西洋の騎士風の者を更によく見ると、実は鎧を着けているのは東洋風の荒くれ者の大男で、鉄製の鎧も西洋風に似せているだけで、本物の西洋の騎士のように洗練されてはいません。

また、荒くれ者の被る兜の上には、山吹色の房飾りがついています。

その荒くれ者が手にした棍棒を、破魔矢が刺さった大地に突き降ろすと、大地に幾つもの地割れが生じて、地割れの境目から火の壁が燃え上がります。

そうして火の壁によって中国が幾つかに分裂されると、誰もその壁を越えることが出来なくなります。

火の壁を越えようとして触ってしまうと、火の壁で水が蒸発して雲となり、その雲から自らの頭上に雨が降るようにして、災いとなって自分に跳ね返ってくるからです。

また、地面に刺さった破魔矢を抜くことも出来ません。

破魔矢を抜こうとした者の手は焼け爛れて、その爛れが全身に広がって瀕死の激痛に苛まれながらも、なお生き続けなくてはならなくなるからです。

(2016年12月30日)





このイメージと前回投稿記事のイメージは、同時に霊媒の元にもたらされていますので、双方のイメージに何らかの関連はありそうですが、詳細は不明です。
そしてイメージの冒頭のシーンは、中国の現状を指していて、時間の経過と共にこのイメージで表現されている経緯を辿ると、素直に読んでよいようです。
ただ、イメージの最後の時点がどの辺りの時期なのかはわからないとのことでした。

ご覧の皆様は、このイメージをどの様に解釈されますか。
ご意見がありましたら、下のコメント欄よりお寄せ下さい。

Silvercord管理人 





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2017年1月13日金曜日

霊媒Mが見た三つのイメージ(その1)

前回の記事とは時系列が前後しますが、昨年末に霊媒Mが三つのイメージを見たとの話を聞きました。
そこで、これから三つのイメージを順番に紹介したいと思います。

今回は第一弾として、日本列島と大陸の間の海上に伸びている黒い帯についてのイメージです。





■ 日本列島と大陸を隔てる黒い帯についてのイメージ

日本の領海のうち、大陸と対面している日本海側の領海の境界線に沿って、細くて黒い帯が伸びています。

その黒い帯は原油のように見えます。

そこに日本の女神様が現れます。

女神様は手にした柄杓で、綺麗に清められた水を掬って、日本の領海に沿っている黒い帯の上に掛けていきます。

すると黒い帯は蒸発して雲になり、その雲が日本列島の上空にまとまって雨を降らせます。

雨となって日本に降り注いだ原油のうち、六割は地上に染み込んでその土地に溶け込みますが、残る四割は海に流れ出します。

海に流れ出した原油は太平洋を横断して、米国西海岸に流れ着きます。

米国に流れ着いた原油は、西海岸沿いの海上を漂いながら時間を掛けて増殖し、やがて米国の国土の六分の一を占めるほどになります。

その頃、米国の陸上に火矢を放つ者が現れて、西海岸沿いの原油溜まりに火矢を打ち込むと、原油に火がついて一気に燃え上がります。

海上の原油が炎上すると、蒸発して上空で雲となり、その雲が海上から北米大陸上に移動します。

そして大陸に原油の雨が降るのですが、こちらは日本の場合と異なって、地上に降った原油が一滴も地面に染み込みません。

原油の水たまりが斑状となってあちこちの地面にへばりつくと、今度はそれらの斑状原油が一斉に火を吹き上げて、火災旋風となって北米大陸の表面を舐め回すようにして、縦横無尽に動き回ります。

火炎旋風は、その土地に愛着を持つこともなく、その土地に骨を埋める覚悟もない、自分の都合しか考えられない浮ついた思考の人々を巻き込んで、彼ら共々燃え盛って上空へ吹き上がり、そこで雲となって大西洋の向こう側へ連れ去ってしまいます。

米国から大西洋を渡った雲は欧州に流れ着くと、そこで原油の雨が降り注ぎます。

欧州に降った原油のうち、極一部はその土地に染み込みますが、大半はそのまま中東に流れ込みました。

(2016年12月30日)





ご覧のように、このイメージに登場する黒い帯とは原油らしいのですが、霊媒によると比喩として原油と表現しているようです。
また、イメージの最初の時点が現在で、最後の時点はかなり後の時代であるとのことですが、それ以上の詳しいことはわかりません。
「この解釈が正しい」という明確な回答があるわけではありませんので、頭の体操として、どの様な解釈が成り立つか考えてみてはいかがでしょうか。

Silvercord管理人 





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2017年1月5日木曜日

如何にして、より多くの方と協力関係を築くか

明けましておめでとうございます。
昨年に続いて今年も諸事情により、初詣は地元の神社で私的に済ませてしまいました。
そこで今年最初の記事は、毎年恒例となっている「昨年の振り返りと今年の展望」というテーマについて、『日本の神様』にお話を伺いました。
こちらの神様は、以前投稿した記事【今後百年に影響する日本の選択】でお話を伺った女神様とのことです。





■ 『日本の神様』との対話

管理人
それでは、毎年年初の恒例となっております、「去年の振り返りと今年の展望」というテーマでお話を伺いたいと思います。
まず、今回お話をして頂けるのはどの様な方なのでしょうか。

日本の神様
一昨年に話をした者です。

管理人
一昨年は、とある日本の女神様にお話を伺ったのですが、今回もその方にお話を頂けると言うことでよろしいでしょうか。
去年は代理の方でしたが。

日本の神様
はい。

管理人
では、去年の年初に、代理の方にお話を伺った時に、一言でまとめると「日本の安定を揺るがす者との繋がりを断ち切る」というお話がありました。
(記事【日本の安定を揺るがす者との繋がりを断ち切る】
今後日本国民が成長していく上で問題となる、障害となり得る人々と神様との関係を断ち切って、どんどん日本から出て行ってもらうように働きかけます――そういうお話を伺ったのが、去年の正月の頃でした。
それを受けて六月には、日本の神様として具体的な働きかけを始めましたというお話がありました。
(記事【収穫の時が来た】
そこで、去年一年間を振り返って、神様の働きかけとしてはどの程度進められたのでしょうか。

日本の神様
予定通り、滞りなく。

管理人
では、神様としては予定通りに進めたとのことですが、それを受けた日本国民の反応は、どの様に見ていらっしゃいますか。

日本の神様
そうですね…。
その働きかけを行ったことによって、(神様との)絆を断たれた者が悪目立ちする一年であったと感じています。
悪目立ちすることによって、多くの人の目にとまって、それらの働きがきっかけとなって、今後徐々に変化して行くための準備段階に入ったと言えると思います。

管理人
一昨年の段階で、「今後百年に影響する選択を迫られます」というお話があって、それから一年経った時(=去年)に、「その選択を迫られるのは一年間だけではなくて、それから複数年に渡るものなのだけれども、今のところ余り上手く行っていない」というお話がありましたが、その辺の進捗はいかがでしょうか。

日本の神様
この辺りは人によって温度差が大きくなると考えているので、もう動き始めている方々もいれば、全く気にもとめずにのんびり過ごしている方もいるという印象です。

管理人
個々に見ると温度差があるとのことですが、日本国民全体の傾向としてはいかがでしょうか。

日本の神様
まだ全体として動けるほどの変化は、残念ながら見られていないという判断になります。
もう少し経験が必要になりますね。

管理人
それは今後に期待というか、今後変化が起きてくると…。

日本の神様
そうですね。
徐々に増えてるという感じは致します。

管理人
では、既に動き始めている人、そして、これから徐々に変化して行く人についてはよろしいのですが、一方で、神様との関係を断ち切られてしまった人については、どの様に見ていらっしゃいますか。
彼らもまだ日本国内にいて、彼らなりの考えに基づいて行動していると思います。
先ほど「悪目立ちしている」というお話もありましたが…。

日本の神様
これまで通用してきたものが通用しなくなってくることにより、今焦っている、焦っているために目立ってしまうと言う悪循環が起きている状態だと思います。
これは焦って動けば動くほど、更に目立った形で表に現れてしまうのですが、本当は静かに大人しくしていた方が、彼らの望む物は得られるのかも知れませんが、物の考え方としてそういう判断が出来ない方々でしょうから、今後益々抵抗が激しくなって、これまで以上に目立つことになるのではないかと考えています。

管理人
では、この辺りで去年の大まかな振り返りをして頂きましたが、それを踏まえて、今後の展望と言いますか、今年はこの様な変化が見込まれます、この様な点に気をつけた方が良い――というお話を頂けますか。

日本の神様
今年はですね、これまでがむしゃらに突き進んでこられた方々が、ふと我に返る年であると見ています。
我に返ることによって、どの様な結論に至るのかは、個々の方々のこれまでの行動によって様々なのですが、とにかく一旦立ち止まって己を振り返り、その足跡を見つめ直す機会が訪れる年であると見ています。

管理人
過去の振り返りや自分の行動を見つめ直す機会とするには、何かそうなるためのきっかけがあるのではないかと思うのですが、それは国内的な事情がきっかけになるのでしょうか。
それとも、海外の情勢の変化に伴って、今までのままで物事を進めるのは難しくなってくるのでしょうか。

日本の神様
全体の流れとして、世界的に、これまで常識として捉えられてきたもの、広められてきた価値観が、どうやら自分たちに害を及ぼすものであると言うことに気づいてきている状態ですので、国内の出来事によって気づくこともありますし、外国の情勢も変化の兆しを見せていることがありますので、両面からの働きかけによって考える時間を必要とする方が大勢出てくると考えています。

管理人
そうするとここ数年は、私たちの身の回りの出来事が、自分たちにとって都合の悪い状態が続いてきたので、やはり変えないと駄目だと言うことで試行錯誤してきたのだけれど、ここで一旦小休止する機会が訪れると。

日本の神様
そうですね。
どの様な立場の方にも言えることなのですが、自ら考えて流れを作ってきた方は、常に己を振り返り軌道修正をしながら歩んできているので、そういう方々にとっては日常と何ら変わりない、これまでの日常と同じ事が起きていることになるのですが、そういう方の言葉を聞いて、そこに乗った方の中には、よく考えないで何となく雰囲気に乗せられている方が居られるので、そういう方にとってはよく考える機会になると思っています。
やはり自分で考えて結論を出しているつもりでも、乗せられている…カリスマ性があると言われる方の言葉に乗せられて、何となくその気になっている方もかなり居られるので、そういう方が考えるよい機会になると思います。

管理人
尤も、『銀の紐』では「何事も鵜呑みにしないで、自分で考えて物事を判断しましょう」と以前より度々訴えかけておりますので、『銀の紐』掲載記事を以前からご覧になっていらっしゃれば、皆様もその辺は意識されているのではないかと思います。
只読者の方は日本の中の極一部ですし、それ以外の方を見ると、周りの強い意見に流されてしまう人が多い印象はあります。
では、今年は、「本当にこのままでよいのだろうか」と、自分の今までの足跡を振り返る機会になる、と言うことですね。
それは個々にその様な機会はあるのでしょうが、国としてみた場合もその様な機会があるのでしょうか。

日本の神様
全世界的な傾向としてその様なことが起こると考えているので、個人個人もそうですけど、国家間の関係や、国内の情勢についてもやはりそう言うことはあると思います。

管理人
それは、これから物事が劇的に変わって行く際に、その方向性を見定めるための小休止の機会と捉えればよいのでしょうか。

日本の神様
その時間があって初めて、それぞれ明確に方向性を…自分が進みたい方向性が見えてくる、はっきりしてくると思うので、只乗せられているのではなくて、自らの意思でそこへ歩みを進める――と言う風に変えて行くために必要な時間であると考えています。

管理人
その時間は、とりあえず今年が当て嵌まるとして、とりあえず一年程度と見てよいのでしょうか。
それとも、何年間か続くのでしょうか。

日本の神様
その方によってバラツキがあると思われるので…。

管理人
人によってバラツキがあると言うことは、国の中でも一通り振り返りの作業を終えた人の数が一定以上に達した国から、新たな方向性を見極めて動き出すと言うことで、国によってもバラツキが出てくると言うことでしょうか。

日本の神様
それはあると思います。
ただ、より自分たちの国にとって身近な国で起きた出来事は、自分たちの国のあり方を考えるきっかけとなるので、そういう刺激を受けて、早い段階で考えが固まるという影響もあるかも知れません。

管理人
今、大まかな傾向というか、今年はこの様になりそうです――という話を伺いましたが、それを踏まえて、日本国民として「ここは気をつけた方が良い」というアドバイスはありますか。

日本の神様
今年のテーマとして捉えて頂きたいのですが、「如何にして、より多くの方と協力関係を築けるのか」という処を、改めて考えてみて頂きたいのです。
先ほど話した、カリスマ的な人物が一人いて、その方の言葉に何となく乗せられている方は、本当の意味で協力関係を結べている方ではないのですね。
やはり、リーダーがいて、その人に引っ張られているのではなくて、横に並んで、共に、それぞれの特性を活かしながら進む形が好ましいので、個々に自分たちの思いが固まった上で、そう言った協力関係を築いて、目標達成のために活動してゆくことができれば、とても強みとなります。
何があっても簡単には突き崩されなくなりますので。

管理人
それと併せて伺いたいのですが、神様との関係を断ち切られてしまった人々について、どの様に対処すればよいでしょうか。
何かアドバイスはありますか。

日本の神様
何故その様な形になってしまったのかと言えば、本来であれば認められるはずのないものを見過ごしてきてしまった弊害なので、ルールを守って暮らしている方と、ルールを守ることなく勝手なことをしている方の扱いは明確に分ける必要があります。
最近世間では「人権~」などと言って誤魔化してしまう風潮が見られますが、そういうことを訴えるのであれば、皆同じ土俵の上で過ごす必要があります。
ルールの中で犯罪を犯した者は罪に問われ、罰を受けなければならないと決まっているのであれば、たとえどの様な立場の方でも同じように扱われなければおかしいのですね。
そういう所に歪みがあると言うことを自覚して、きちんと取り締まれるようにならなければ、どうしても良識を持って暮らしている方が苦労することになって、とても暮らしにくい社会が続いてゆきますので、そこを改善して行ければよいのではないかと思います。

管理人
今回はこの程度で一通り伺ったと思いますが、何か付け加えることはありますか。

日本の神様
辛いことが多いと、どうしても気持ちが挫けてしまうことがあると思いますが、諦めるとそこで終わってしまいますので、疲れた時は休憩をして、力を蓄えてからまた前に進んで行けるように、諦めないで頂けたらいいと思います。

(2017年1月2日)





一昨年の時点で「日本の今後百年に影響を及ぼす選択を迫られる」という話があり、それを受けて「神の一手」が打たれました。
(記事【神の一手】、記事【神の一手(その2)】
そして去年は上記記事にあるように、「日本の安定を揺るがす者との繋がりを断ち切る」との話があり、それを受けて「収穫の時」が来ました。
そして今年は、今までの行いを振り返る機会となること、そして「如何にして、より多くの方と協力関係を築けるか」がポイントであるとの話がありました。
これら一連の流れを取り仕切っているのは、今回お話を伺った『日本の神様』のとある女神様です。
神様の働きかけとしては、予定通り、滞りなく行われているとのことですので、後は私たち日本国民が、神様の働きかけをどの様に社会に反映させてゆくかという点が問われてくるのではないでしょうか。

Silvercord管理人 





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2016年10月21日金曜日

[黙示録再解読]:生ける神の刻印

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

【黙示録関連記事一覧】

[黙示録再解読]関連の過去記事はこちらにまとめておりますので、適宜ご利用下さい。

【[黙示録再解読]関連記事一覧】





■ 四人の天使ともう一人の天使

このテーマについては、以前の黙示録解読の際に一通り解説していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と、神の視点から見た今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録第七章第一節~二節には、ヨハネが、大地の四隅に天使が立っているのを見たとあります。
この天使たちは、大地の四隅から吹く風を抑えて、、大地や海や木に吹き付けないようにしていたそうです。
更にもう一人の天使が、生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上がってきます。

ここは天使たちの働きかけについて述べている部分ですので、以前の黙示録解読の際には簡単に読み飛ばしてしまいましたが、この部分について、霊界の住人はこの様に述べています。

曰く、ここで場面が霊界の様子に切り替わっています。
神の言葉を実践する者たちが、悪魔の価値観に酔い痴れる者たちに紛れてしまうことの無いように、四人の天使たちが神の裁きの影響を押さえ込んでいます。
「もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上がってくるのを見た。」の意味を考える時に、巻物の第一の封印を開いた時に、白い馬に乗っている者が現れて、勝利の上に勝利を重ねるために出て行った場面を思い出してください。
第一の封印に当て嵌まる日本の拠点は、バチカンの拠点が管轄する地域(=欧州)の者たちから見て東に位置しております。
そして日本は、現在においても神々と人々の絆を固く結び、守り続けている唯一の地域です。
正に「生ける神の刻印を持った天使」に相応しいでしょう。
これは、第一の封印を開いて神の裁きの時期を越えてから、第二の神の裁きが始まるまでの様子をコンパクトにまとめた表現です。





■ 神の僕に刻印を押して回る天使

黙示録第七章第三節~九節では、大地の四隅にいる天使たちに、太陽の出る方から上がってきた天使が言いました。
「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
ヨハネがその数を聞くと、イスラエルの子らの全部族の中から十四万四千人に刻印が押されていたそうです。
ところが、ヨハネがそのまま見ていると、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった大群衆が、白い衣をまとい、ナツメヤシの枝を手に持って、主と小羊の前に現れます。
ここで「生ける神の刻印」を押されるのは、イスラエルの子らと呼ばれるアブラハムの子孫の中からだけでは無く、世界中の各地から選別されています。
その中には、聖書に記された神の言葉を知らない、「言葉の違う民」すらも含まれています。
それは、神の刻印を押される条件が「神の言葉に沿って日々を過ごしているか否か」であって、アブラハムの子孫であっても、聖書の神を信仰する人々であっても、神の言葉に沿って過ごしていなければ「神の僕とは見なされない」からです。
逆に、生まれてから一度も聖書に触れたことは無く、キリスト教とも一切関わりが無く、ましてやアブラハムの子孫で無くとも、日々を神の言葉に沿って過ごしている人は神の僕なのです。
そして、小羊が巻物の七つの封印を開くたびに、天使が神の刻印を押して回るのだそうです。

以上の、人間視点から見た神の刻印を押して回る天使の件について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、ここでわかることは、日本が大切に守り抜いてきた「神々から伝えられた価値観」を理解し、共有できるように成長した人間の数です。
「イスラエルの子らの全部族の中から」と書いてあるように、ここでは聖書を教典とする地域の人々に限定して、詳しく書いています。
これが生ける神の刻印を押された全ての者ではないところに注目しましょう。
あくまでも聖書を教典とする人々の中から、神の価値観を理解して実践するところに到達した人々の数です。
そして、イスラエルの部族の他にも、同じ立場の人々が大勢いて、それぞれの地域において神に学び、神の言葉に沿って実践する人々が現れています。
それこそ、イスラエルの部族の中から刻印を押された十四万四千人どころでは無い、数え切れないほどの人数と多種多様な地域に暮らしている人々です。
「私の神こそが唯一の神である!」として、他の神々の存在を否定し侵す態度こそ、悪魔の価値観に染められている証拠と言えるのです。
「この後、私が見ていると、」という言葉から、イスラエルの部族が神の刻印を押された後に続いて、他の地域の人々の中から神の刻印を押された人々が出現していることがわかります。
ここから、イスラエルの部族の中でも、バチカンの拠点が管轄する地域(=欧州)で神の言葉を実践する人々が、十四万四千人であることがわかります。
ここで言う「イスラエルの部族」とは、純粋に血筋のことを指しているのではなく、それらの部族の人々が神々との絆を大切に守り続けて、神の言葉を実践してきた人々を指しています。
ここでは聖書を教典として、神の言葉を実践している人々という意味になります。
「どの地域に対応した神の庇護下にあるのか」という色分けのための記号のようなもので、その血筋であれば無条件に神との絆が守られるわけではありません。
ですから、日本においても、外国出身の人であっても日本の神に受け入れられて、その庇護下で暮らし、日本の神の言葉を実践する人は、日本の枠組みに組み入れられます。
逆に、日本人であっても日本の神に逆らい、秩序を破壊する存在であれば、日本の神の庇護に与ることは出来ません。
これは、他の地域の神々についても同じです。
その地域に生まれたと言うだけでは、その地域の神々の庇護に与ることは出来ません。
神の言葉を理解するように努め、実践する者でなくては、神の庇護に与ることもままならないのです。
決まり事を守れない者は、時が満ちれば容赦なくその土地から追い出されるでしょう。

ここで追記として、「イスラエルの子らの中から刻印を押された十四万四千人」について、霊界の住人による補足説明があります。

曰く、この十四万四千人について補足しておくと、第二の封印であるバチカンの拠点が管轄する地域(=欧州)において裁きの時が訪れた際に、既に神の境涯に達しており、神と共にバチカンの拠点が管轄する地域の人間達に働きかけを行っている者のうち、イスラエル十二部族出身の者が十四万四千人いる事を指しています。
この十四万四千人は人間として暮らした最後の生涯をイスラエル十二部族の民として過ごした者たちであり、勝利を得た後にバチカンの拠点が管轄する地域への働きかけを希望し、現在活動している者の数です。
では、なぜ彼らが生前過ごしたエルサレムの拠点が管轄する地域(=中東)で活動せずに、バチカンが管轄する地域で活動する事を希望したのでしょうか。
彼らは一つの民族、一つの宗教に固執するのではなく、別の地域で育まれることになる新たな可能性と喜びを、そこに暮らす人間と共に味わい、感じ取りたいと考えました。
ここで勘違いしないで頂きたいのですが、かつてイスラエル十二部族の民として過ごした者のうち、この十四万四千人のみが勝利を得た者というわけではありません。
その他にも、彼らが生前過ごしたエルサレムの拠点が管轄する地域に向けて活動を行っている者が大勢います。
ただ、この黙示録は新約聖書に束ねられた文書であり、新約聖書はバチカンの拠点が管轄する地域に暮らす人々へ向けた文書ですので、特にバチカンを中心とした地域に焦点を当てて、詳しく説明されているのです。
勝利を得た者として神の御許に辿り着いた後に、必ずしもかつて自分が人として過ごした地域で活動する事を希望するわけではありません。
彼らが最も重視しているのは、一人でも多くの人間が十分な経験を積んで神の知恵への理解を深められるように、より学びやすい環境を提供するために尽くすところにあります。
そうして神の知恵を深く理解する者が増えるにつれて、ゆくゆくは共に協力して安全で安定した社会を築いてゆけますし、それらの経験はより多くの人が勝利を得て、神の御許へ辿り着く力となるでしょう。
最早勝利を得た者にとって、かつて人間であった当時に敵であったか味方であったかという点は些細な拘りであって、それを気にしているうちは神の境涯には辿り着けません。
また、神の知恵に照らして「これが正しい」と判断する事柄であっても、十分に理解を深めることなしに、中途半端な知識を基にして、地上界において無理に再現しようと考えてはいけません。
しかし「それが正しいのだから」と無理を押し通すと周囲に強いることになり、それは傍から見れば独りよがりの我が侭であり、それが「善かれと思って」の行動であっても、周囲の者にとっては傍迷惑となってしまいます。
何事においても言えるのですが、新たに発見された一つの真理が人々の心に浸透し、当たり前のものと認識されるまでにはそれ相応の時間がかかるということを、よく肝に銘じておきましょう。
人間として過ごしている間でも、勝利を得た者たちと同様の考え方をする人は少数ながら存在しますが、彼らは淡々と自分の目的を達成するために活動する事はあっても、強引に人を従わせようとは考えません。
社会の混乱を防ぐための決まり事を住民に守らせることと、自分勝手な思い込みを実現しようと周囲に強いることは全く意味が異なります。
無理を押して周囲に強いる状態を続けていると、必ず反発が起きて争いとなります。
今地上界で起きている争いを観察した時に思うのは、己を省みるのではなく、互いに己の領分を超えて周囲に干渉しすぎることが問題の原因となっているので、それをよく肝に銘じておく必要があります。
己が動くのではなしに、人を動かそうとしても、思いのままに動かせるわけではありません。
これは皆様の経験を振り返ったり、身の回りの出来事を観察していれば当たり前と理解できる筈なのですが、どうやらそのことを理解できない人間が大勢いるようです。
だからこそ、人に求めては「思い通りにならない」と不満を漏らし、挙げ句に「裏切られた!」と騒いで見当違いの敵意を抱き、見境なく攻撃するのでしょう。
その様な不毛な状態に陥らないように思慮深くありたいものです。
とはいえ、何事も一人で行えというわけではありません。
必要に応じて周囲に協力を求めることにより、困難な状態の変化に繋がりますし、その行動を通じて人々の絆を深めて行けますので、適切な手順を踏めば良い結果に繋がるでしょう。
(2016年11月18日追記)





■ 天使たちの礼拝

黙示録の第七章第十節~十二節では、白い衣をまとった大群衆が大声で叫びました。
「救いは、玉座に座っておられる私たちの神と小羊とのものである。」
そして、玉座と長老達と四つの生き物を囲んで立っていた天使たちが、神を礼拝して言いました。
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、代々限りなく私たちの神にありますように、アーメン。」

以前の黙示録解読の際には、この辺りは簡単に読み飛ばしてしまいましたが、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、白い衣をまとった大群衆は、小羊の導きにより神の御許に辿り着くまでの経験を持って、神の言葉の実践者と言えます。
そして神を礼拝する天使たちは、神の使いとしての活動に携わっているのですから、当然ながら神の言葉の実践者と言えます。
ここでは白い衣を守った群衆と天使たちを区別していますが、神の言葉の実践者は皆天使という扱いとなります。
この天使たちが語る言葉は、神の価値観を理解し、その言葉を実践する者だからこそ自然に発せられた賛美の言葉です。
この言葉が発せられている時点で、自分たちが過去に受けた苦難の意味を理解して神に感謝しており(※注)、恨み言を述べる者は一人もいません。

※注:
過去に受けた苦難の経験が、神の言葉の意味をより深く理解する要素となっており、その苦難の経験を乗り越えたからこそ、この様に神の御許に集う機会を得たことを良く理解しているからこそ、「あの時、私を厳しく、そして粘り強く鍛えて下さってありがとうございます。」という想いを抱くのでしょう。





■ 長老の問いかけ

黙示録の第七章第十三節~十七節では、長老がヨハネに問いかけました。
「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
ヨハネは「わたしの主よ、それはあなた方がご存じです」と答えます。
そこで長老はヨハネに言いました。
「彼らは大きな苦難を通ってきた者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
それ故、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。
玉座に座って居られる方が、この者達の上に幕屋を張る。
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
玉座の中央に居られる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

以前の黙示録解読の際には、この辺りは簡単に読み飛ばしてしまいましたが、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、ここでヨハネが、長老を「わたしの主よ」と呼んでいることに注目して下さい。
ヨハネから見ると、神やイエスと同様に長老も「主」であり、大切な存在なのです。
「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」とヨハネが答えていますが、イエスが人間として勝利を得るために働きかけたのが長老の一人であり、イエスが人として神の言葉を証ししたことにより、その後に多くの「神の言葉の実践者」が続くことを意図していたことまで含めて、初めからヨハネは認識していることが分かります。
そして長老の言葉から分かるように、再び人として暮らす必要のない大勢の天使は、もはや物質界特有の苦難を経験することはありません。(※注)

※注:
飢えること、渇くこと、太陽による暑さなどは、人間の肉体が受ける苦難であって、肉体に宿って経験を積む段階を卒業した天使たちは、もはや肉体に宿る事による様々な苦痛とは無縁であることを示しています。





■ 天使たちが神を礼拝するまでのまとめ

今回取り上げた黙示録の第七章について、管理人は当初「第六章と第七章は繋がっていて、第七章の内容は第六の封印を開く時の出来事を記している」と認識していました。
ところが、第七章の冒頭部分が、最初の神の裁きを終えてから第二の封印を開くまでの時期(第二次世界大戦後~バチカンの拠点を開く2011年まで)との指摘がありましたので、改めて確認を取りました。
黙示録の第六章は、小羊が神の巻物の第一~第六の封印を開いてゆく様子を記していますが、第六章が地上に起きる変化について記しているとすると、第七章は、巻物の第一~第六の封印を開いてゆく間の、天使たちの働きかけや天の神の御許の様子を記していると理解した方が良いようです。
また、以前の黙示録解読の際に述べたように、神の刻印を押す天使は、神の巻物の封印を開く度に現れては、神の僕に刻印を押して回るそうですから、第七章にある一連の出来事が封印を開く度に行われるのでしょう。
そうすると、白い衣をまとう大群衆は、封印を開く度に起きる神の裁きにおいて、新たに勝利を得ることになった者たちなのでしょうか。
そして神の御許に集うことを許された彼らは、その後活動拠点を天の神の御許に移して、天使の一員として活動することになります。
そして次の封印を開く時には、その時の神の裁きにおいて新たに勝利を得る者が大群衆となって現れるのですから、両者とも天使であると言いながら、天使たちと白い衣をまとう大群衆を区別している理由はこの辺にありそうです。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年9月30日金曜日

[黙示録再解読]:小羊が神の巻物の封印を開く

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

【黙示録関連記事一覧】

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■ 小羊が巻物の第一の封印を開く

このテーマについては、以前の黙示録解読の際に一通り解説していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と、神の視点から見た今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第六章第一節~二節で、小羊が神の巻物の第一の封印を開きます。
すると白い馬が現れて、それに乗っている者が弓を持っていました。
彼は既に勝利を得ており、冠を与えられているので、イエスと同じ立場で、地上の諸国民を神の玉座の御許へ導く為に、神と人々の間に立って人々を束ねていた者だと言うことが分かります。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第一の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐ日本の拠点」を指すと解釈しています。
霊界の住人の情報として、霊界と地上界を繋ぐ拠点は世界に六カ所あり、それぞれが黙示録にある神の巻物の第一~第六の封印に当て嵌まると推定していますが、第一の封印である日本の拠点は、人類が地上に誕生する際に六カ所の拠点が作られた後、現在までずっと開いたままの状態にある唯一の拠点です。
しかし、第一の封印が開いた時期と推定される明治維新の頃までは、日本の拠点は開いていても能力が抑制された状態に置かれていました。
その、日本の拠点の能力を発揮できるようにしたのが、巻物の第一の封印を解いて開いた時期であり、既に開いていた拠点の能力を拡充したので、勝利の上に勝利を重ねようとしたと言うのが、第一の解釈となります。
第二の解釈として、かつてイエスが神の言葉を証ししたことによって勝利を得たように、既に拠点を開いていた日本が新たに神の言葉を証しする為の機会としたとして、国内向けには『教育勅語』が、海外向けにはパリ講和会議における日本の『人種差別撤廃提案』が根拠として挙げられるというのが、第二の解釈となります。

以上の、人間視点から見た巻物の第一の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、悪魔の傲りが人間を増長させたことにより、返って巻物の封印が開かれて神の言葉が成就するという、皮肉な結果を招きます。
第一の封印が開く時に、人間に第一の試練が訪れます。
第一の封印を開くと、最初に四つの生き物の一つが、雷のような声で「出てこい」と言いますが、雷のような声とは、第一の封印がある日本を世界の表舞台へ引きずり出して、争いに巻き込むことを意味します。
雷は弾薬が発する爆音を表します。
また、この時から『神の裁き』が繰り返されることになるので、人類が滅亡する時期の『最後の審判』に向けた一連の裁きが始まる合図であり、雷という表現によって人間がこれから経験することになる様々な試練を表しています。
今までの日本は、神の手によって用意された揺りかごの中で生きる時を過ごしてきましたが、この時点から日本は、神とともに暮らし、身近に神と接する中から教わり育んできた知恵を、他国との関わり合いの中で実践し、その有効性を証明する役割を担っていました。
この時の日本は、周囲に味方が居らず、悪魔に籠絡された勢力に取り囲まれるという、とても困難な状態に置かれます。

曰く、「勝利の上に勝利を重ねる」とは、神が守り育ててきた価値観を宿す日本が、悪魔の価値観が蔓延る国々に囲まれながらも我を見失わずに、神から伝えられた知恵を絶やすことなく子々孫々に至るまで守り伝えて、繁栄し続けられることを証明してみせるところにあります。
神との間に築かれた強固な絆は、幾度もの苦難に見舞われようと失われることなく、次世代へ受け継がれることを体現してみせる国が日本です。
その役割を象徴する存在が天皇です。
日本を今のままに守りたければ、日本は何があっても天皇を守り、神と人との絆が断たれることを阻止しなくてはなりません。
周辺国の価値観に惑わされることなく、日本にとって一番大切なものを守り抜く覚悟が必要となります。
この重要性が周辺国に理解されることはまずないでしょう。
それは日本においてのみ実現されていることだからであり、過去から現在に至るまでその状況は何一つ変わっていません。
それを理解できない相手から無理に理解を得ようと思ってはいけません。
周辺国には無い価値観に理解を求めるのは酷な話なのですから、自分たちの価値観が世界の中で独特であることを自覚し、その中で自分たちの身を守り抜く覚悟を決めた方が良いでしょう。
日本は「神との繋がり」という意味において、他国とは異なる環境に置かれてきたのですから、周辺国に理解されないのは当たり前だと改めて認識し、理解されないことを前提にして国を守らなくてはなりません。
今は、理解できるだけの経験を積んでいない相手に理解を求め続けて、他国に対する価値観の押しつけになってはいけません。
個人的に日本に愛着を持ち、日本の伝統文化に慣れ親しんでそれを守りたいと願う外国人は存在しますが、外国人全体から見れば極僅かです。
また、日本の伝統文化に親しむ外国人でも、天皇を一国の王という位置づけでしか捉えておらず、神と人の間を繋ぐ接点としての役割と存在の重要性は到底理解できないでしょう。
殆どの外国人は他国に興味が無く、自分の生活を支えることに手一杯です。
当の日本人にしても、天皇の役割の重要性を理解している人の割合は少ないのですが、細かい理屈は分からなくとも、多くの者が天皇という存在を大切に思っています。
日本の独特な価値観や天皇について理解ある外国人を増やす努力は、長期的に見れば有意義なことではありますが、今それ程悠長に構えていては、事が成就する前に日本が消滅してしまう可能性も考えながら、その時に合わせて適切な方法を採らなくてはなりません。
今の日本国民に求められるのは、日本の独特な価値観や天皇の重要性などについて、周辺国に暮らす人々が理解できるようになる時まで、日本という国を守って存続させることなのです。
名前だけ「日本国」が生きながらえても、中身が従来の日本とは別物に変化しては存在意義を失いますので、そこの判断を誤らないように気をつけなくてはなりません。
神々と人々の絆を固く結び、神と人が身近にある日常生活を守り存続させることが重要です。
もしも神と人の絆が絶えてしまったら、その時点で日本の存在する価値が失われて、国も失われて存在そのものが忘れ去られて、神と人との絆を結ぶことに意義を見いだせなくなって、どうでもいい無価値な存在に成り下がるでしょう。
日本を守り抜くには、まず日本国民が日本という国を良く理解し、日本が存続することの重要性をしっかり認識するところから始めなくてはなりません。
日本国民は、何故日本には天皇がいるのか、天皇がどの様な役割を担っているのかを知り、天皇に対する理解を深めなくてはなりません。
現状では天皇に対する認識が曖昧であり、天皇の重要性を実態よりも軽く捉える傾向にあります。
天皇はただの象徴では無く、日本を日本たらしめる中心となる存在です。
そこを理解した上で、周辺国にどの様に対処する必要があるのかを考えるので無ければ、現在の様に混迷した時期が続くことになるでしょう。
周辺国に付け入られたり侮られないように、賢く立ち回る必要はありますが、和を乱す行為への恐れから神経質になりすぎて黙ったり遠慮していては、日本を守り抜くことはできません。
周辺国の甘言に惑わされず、神と人との絆が結ばれた日常を守り抜くことにより、「勝利の上に勝利を重ねる」結果に繋がるでしょう。
(第二の封印を開いた)現時点では、まだ決着がついていません。





■ 小羊が巻物の第二の封印を開く

黙示録の第六章第三節~四節で、小羊が巻物の第二の封印を開くと、火のように赤い別の馬が現れました。
その馬に乗っている者は、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられます。
そしてその者には大きな剣が与えられます。
既に以前の黙示録解読関連の記事で述べているように、神の巻物の第二の封印とは『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』であり、『銀の紐』掲載記事【『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が完全開放されました】にて、第二の封印であるバチカンの拠点が開いたことをお知らせしました。
赤い馬に乗っている者が、地上から平和を奪い取る力を与えられるとあるように、巻物の第一の封印を開いて、白い馬に乗っている者が勝利の上に勝利を重ねるために出て行った事により、一度目の神の裁きを終えてから二度目の神の裁きが始まるまでの期間は、それ以前と比べてより多くの人が平和と繁栄を謳歌した時期と言えるでしょう。
しかし、その繁栄の果実を味わったのは一部の地域に住む人々に過ぎず、平和と繁栄の時代にあっても紛争や貧困と隣り合わせで、常に身の危険を感じながら過ごしてきた人もいました。
白い馬に乗っている者の働きかけが思う様に運んでいないので、全ての人々が分け合えるほどの繁栄の果実が適切に分配されずに、一部の人々によって独占されているので、場所によって平和と繁栄の不均衡が生じてしまいました。
また、元々は白い馬に乗っている者が人間に働きかけた結果であり、平和と繁栄の果実を生み出す元となった価値観である、人権意識や人道主義といった価値観も、繁栄の果実を独占する者が本来の意味合いを歪めて、自らの不正行為を隠蔽して公正を装う隠れ蓑に変えてしまいました。
第一の封印を開いたことにより、せっかく参考となる理想像が示されたのですが、その意味を歪めて悪用する人が多くを占めるので、今度は悪用する人々が飾る小綺麗な仮面を剥ぎ取って、その裏に隠された醜い本質を直視する中から、反面教師としての学びを得るための働きかけとなります。
ですから、第二の封印を開くことにより、見た目を綺麗に装うために吐いて来た嘘を暴いて、その奥に隠していた本性を互いに誹謗して争うことになるでしょう。
既にその兆候は現れていますが、現代を生きる私たちに求められるのは、そんな不安定な状態を招いたのは自身の不徳の致すところであると直視した上で、目の前にある問題を解決するために全力を尽くすことです。

以上の、人間視点から見た巻物の第二の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、第二の封印を開く時に、バチカンの拠点が開きます。
これは今実際に起きていることです。
バチカンの拠点が管轄する地域(=欧州)の人々が、悪魔の価値観に酔い痴れて行ってきた非道の数々が争いを招いて、自分の身を滅ぼすことになるでしょう。
自分たちのこれまでの行いがどれほど身勝手なものだったのか、その身に降りかかる災いを通じて自覚しなくてはなりません。
どれ程多くの命を虫けら同様に扱って、踏みにじってきたのかを自分の身をもって体験するのです。
彼らには何処にも逃げ場はありません。
逃れることは許されません。
それは自分たちが今まで他の者に与え続けてきたものに他なりません。
そのことを自覚して態度を改めなさい。
今までの行いを全て精算し尽くすまで、終わりの無い苦痛が続くでしょう。





■ 小羊が巻物の第三の封印を開く

黙示録第六章第五節~六節で、小羊が巻物の第三の封印を開くと、黒い馬が現れました。
その馬に乗っている者は、手に秤を持っています。
そして小麦や大麦の価値を定め、オリーブ油とぶどう酒が無くならないように注意を呼びかけています。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第三の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐ米国の拠点」を指すと解釈しています。
黒い馬に乗っている者が、手に秤を持っているのは何故でしょうか。
第二の封印が開いたことにより、表面を綺麗に飾っていた者の醜い本性が露呈し、お互いに相手の嘘を咎めて争うため、国家間や国内での対立が激しくなり、国際紛争や内戦が各地で勃発します。
行き過ぎたグローバリズムの揺り戻しとして、価値観が異なる者同士の対立と紛争が始まり、新たな境界線を引き直した上でお互いに一定の距離を置くことにより、一応の収束を迎えることになるでしょう。
紛争の結果多くの血が流れ、国土が荒廃して食料生産が滞り、各地で食糧不足となるでしょう。
ですから、黒い馬に乗った者が手に秤を持ち、食料の重さを厳密に量っているのです。
ここで人間は、かつては豊富に収穫されていたのに、生活に必要な分量の食糧をより多くの人々に対して適切に分配できなかった経験を踏まえて、食糧生産が減少する時代をどの様に生き抜くかが問われてきます。
しかも、限られた食糧を分け合う相手が、かつて互いに血を流して争った者同士です。
その結果として一応和解すると予想しますが、その様な相手と、只でさえ貴重な食糧を分け合わなくては、お互いの命を長らえることが適いません。
もし限りある食糧を分け合えなければ、今日を生きるために更に多くの血が流れ、更に多くの土地が荒廃することになり、元々限りある食糧が更に目減りする結果となるでしょう。

以上の、人間視点から見た巻物の第三の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、黒い馬に乗った者が持つ秤は公正の証となります。
世界にあるものは、行いに応じて公正に分配されなくてはなりません。
これまで不当に多くを独占してきた者は、その非道な振る舞いのために厳正な処遇を受けることになります。
これは霊界と繋がる北米にある拠点が管轄する地域(=北米・南米・豪州)での出来事となります。
これまで我が世の春を謳歌してきた拝金主義者の末路です。
食糧が乏しくなり、金が幾らあっても買えないようになって行きます。
金は万能ではありません。
金は適切に使用すると本来の価値を発揮しますが、不適切な用い方をすると、自分に牙を剥く厄介な存在であることを思い知るでしょう。
金そのものに意志はありませんが、金を用いる人間の意志でどのようにでも変化します。
金に溺れ、金に支配された者の末路です。
全てを支配したつもりでも、実は支配されていたことを思い知ることになるでしょう。
自分たちが神では無いという現実を目の当たりにします。
自分の愚かさを潔く認めなさい。
これが本格化するのはもう少し未来の話ですが、その兆候は現在においても見られるようになるでしょう。





■ 小羊が巻物の第四の封印を開く

黙示録の第六章第七節~八節で、小羊は巻物の第四の封印を開きます。
すると青い馬が現れました。
その馬に乗っている者は「死」といって、この者には陰府(=地獄)が従っていました。
彼らは地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死によって、それから地上の野獣によって人を滅ぼす権威が与えられました。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第四の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐチベットの拠点」を指すと解釈しています。
青い馬に乗っている者は「死」といって、この者に陰府が従っているのですから、この者はチベットを中心とした地上の四分の一の地域で、剣がもたらす戦争や飢饉による死をもたらし、また地上の野獣を使役して人を滅ぼす権威を持っています。
地上の野獣とは、欧州にあって赤い竜を模した第一の獣や、米大陸にあって小羊を模した第二の獣と同じように、地上で悪魔の代理人として活動する獣が新たに登場するのでしょう。
小羊が巻物の第三の封印を開いた時に、人々は荒廃した大地で食糧生産が減少する中、如何にして限りある食糧を適切に分け合うかが問われましたが、少なくともチベットを中心とする地域では食糧を上手に分配できなかったようです。
だからこそ僅かな食糧の独占を目論む者たちが剣を手に紛争を繰り返し、紛争の連鎖が更に土壌の荒廃を加速して食糧生産を滞らせて、飢饉の発生を促進します。
人々がそのような愚かな行動を選択するように、悪魔の代理人である野獣が民意を誘導する役割を果たすので、人々は後戻りのできない泥沼の深みへ足を取られて沈んでゆくのです。
こうして人々がお互いを潰しあって自滅への道を歩むことにより、多くの人が死と陰府に絡め取られてしまいます。
その中でも、自らの愚かさを直視して行いを改める僅かな者のみが、この厳しい時代を乗り越えるチャンスを手にするのではないでしょうか。

以上の、人間視点から見た巻物の第四の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第四の封印が開くときに、チベットの拠点が開きます。
これはチベットの拠点が管轄する地域(日本を除くアジア全域)で起こる出来事です。
ここにいる生物たちは、自らの生存をかけて争い、奪い合います。
物質界の本質が剥き出しになって、人間を襲うでしょう。
この地域に暮らす人に必要な学びは、物質界の本質を肌で感じ取り、見極めることです。
人間の行動次第で、多くの恩恵や安心を得ることも可能ですが、誤った判断に基づいて怠惰な生活を送り続けると、世界そのものが人間に対して牙を剥くことになります。
常に思慮深く、賢くあるように努めなくてはなりません。
それが出来なければ、人々の住む土地は枯れて全てを失うことになるでしょう。
チベットの拠点が開くまでにはまだ多くの時間がかかりますが、それまでの間に学べることが沢山あります。
その時が訪れるまでの長い間に、一体人間たちがどの様な学びを得られるのか、神様は具に観察しているのです。
その時までに必要な学びを得られなかった者には容赦なく死が訪れて、申し開きをする機会も許されないでしょう。





■ 小羊が巻物の第五の封印を開く

黙示録の第六章第九節~十一節で、小羊は第五の封印を開きます。
すると、神の言葉と自分たちが立てた証しの為に殺された人々の魂を、ヨハネが玉座の前にある祭壇の下で見ます。
彼らは主に対して「いつまで地上に住む者への裁きを行わないで、私たちの血を流した復讐をしないのですか」と訴えます。
そこで彼らに白い衣が与えられて、かつて彼らが殺されたのと同じように、今地上で殺されようとしている仲間の僕達の数が満ちるまで、しばらく待つように告げられます。
ここで地上の様子は語られていませんが、巻物の第四の封印を開いた時には地域を限定して起こった混乱が、さらに地域を拡大して継続しているようです。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第五の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐエルサレムの拠点」を指すと解釈していますので、少なくともエルサレムを中心とした一帯が、極めて深刻な状態に置かれているのでしょう。
その厳しい環境下で、かつてのイエスに見習って、神の言葉と自分たちが立てた証しの為に「異端の者」として殺された者が、数多く存在しました。
しかし、地上で「異端の者」として処刑された者たちは、神の御許に引き上げられて白い衣を与えられました。
彼らは主に対して「神の僕としての務めに殉じた私たちを殺めた者たちへ、いつになったら神の裁きを下すのですか」と急かしますが、主は逆に「あなたたちと同じように、神の僕としての務めを果たした為に殺されてしまう人の数が満ちるまで、しばらく待つように」と諭します。
地上では「神の僕としての務めを果たす」という世迷言を言いふらす厄介者を粛清したつもりですが、実はそうして粛清された者が死後に白い衣を与えられたのです。
そうして白い衣を得られる者がまだ地上に残っているので、主は白い衣を与えられた者が一定の数に達するまで待つように促しました。
いましばらくの間、地上の混乱は止まるところを知りません。

以上の、人間視点から見た巻物の第五の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第五の封印が開く時に、エルサレムの拠点が開きます。
ここには既に、イエスと同じように自分の身をもって証しとなり、神の言葉を成就するために努めた者が大勢います。
ここに辿り着くまでにそれだけ多くの時間が必要とされて、その間に多くの者が神の御許に辿り着いたことの証です。
神の知恵を地上から完全に拭い去ることは出来ません。
どんな迫害を受けても、知る者達を知らない者達が欺くことは出来ないのです。
既に神の言葉の証を終えた者達にとっては、物質界において十分に神の言葉が証しされたと考えたようです。
そこで神に対して「地に住む者に私たちの血の復讐はなさらないのですか」と問いかけています。
彼らから見ると、それだけ多くの時間が費やされてきました。
ちなみに「血の復讐」という表現は適切ではありません。
悪魔に与する者達に復讐するのが目的ではなくて、神の知恵が正しく機能し、それを犯すことは誰にもできないことを証明するのが目的なのです。
この時点ではまだ証しを立てる者が残されているので、天にいる証しを終えた者達の願いは聞き届けられません。
まだ十分に時が満ちておらず、悪魔が言い逃れできる猶予を与えてしまうことになるので、完全に外堀を固めてからすべてに決着がつけられることを示しています。
なお、この拠点に対応した詳しい状況説明は、旧約聖書を参照した方がよいでしょう。





■ 小羊が巻物の第六の封印を開く

黙示録の第六章第十二節~十七節で、小羊が巻物の第六の封印を開きます。
すると大地震が起きて、太陽が“毛の荒い布地のように”暗くなって、月は血の色に染まります。
次に「イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされる」様に、天の星が地に落ちてきます。
天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も元の場所から移ってしまう程の天変地異が襲いかかります。
そんな天変地異を目の前にして、地上の王から奴隷までのあらゆる立場の人々が、洞穴や山の岩間に隠れます。
彼らは山と岩に向かって、「主と小羊の怒りから私たちを守ってくれ」と乞い願いますが、主と小羊の怒りの大いなる日が来たのですから、誰がそれに耐えられるのでしょうか。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第六の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐスーダンの拠点」を指すと解釈していますので、これらの天変地異はスーダンを中心としたアフリカ大陸を襲うことになるのでしょう。
しかし、その影響がどの程度の広範囲に及ぶのか、もしくは地球全土を覆ってしまうのかは、現時点では読み解けません。
太陽と月の描写について、これが大規模な大気汚染を指しているのでしたら、全地球的な何らかの影響は避けられないでしょう。
それは天の星が落ちる描写についても、山や島の位置すら変わってしまう地殻変動についても同じことが言えます。
そんな大規模自然災害に直面して、人は王も奴隷も無力な存在にすぎず、自らの誤った行いを悔い改めるのではなくて、洞窟や山の岩間に隠れて、目の前の天変地異をやり過ごすくらいしか思いつきませんでした。

以上の、人間視点から見た巻物の第六の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第六の封印を開く時に、アフリカにある拠点が開きます。
すると大地が大きく揺さぶられて、太陽の光が届かない程に大気が異物に厚く覆われて、月が血に見えるほど赤い光が反射しています。
そして隕石の落下に伴う災害に遭います。
「山も島も、皆その場所から移された」とあるように、隕石の落下地点を中心とした広範囲で大地が消失してしまいます。
太陽の光も届かぬほどの影響があることを考えれば、当然地上から空は見えなくなり、天が消え去ったように見えるでしょう。
被害に遭った土地に暮らす者は、どの様な立場にある者も皆、災害から逃れるために安全な場所を求めて避難しますが、いざという時の備えを怠っていたために逃げ場がありません。
たとえ準備を整えていたとしても、人間の知恵が通用しないほどの惨状を目の当たりにして、恐れおののくことになります。
この土地に暮らす者が学ばなければならないのは、誰でも当たり前のように受けてきた自然からの恩恵は、予め神が用意していたことをしっかり認識しなくてはなりません。
それは誰か特定の者の為ではなく、全ての者の為に存在していたことを理解しなくてはなりません。
その事を自覚するための災害といえるでしょう。
つまり、今までは特定の者のみが神の恵みを独占して、徒に浪費を繰り返してきたことになります。
その為に、それ以外の者達が神の恩恵に与ることが難しい社会を、人間が自ら作り上げてしまいました。
神の価値観を大切に守って暮らしていれば、必ず必要な物は揃うようになっているのですが、悪魔の価値観に染められた者にはそのことが理解できません。
だからこそあらゆる物を独占して、手元にある物を手放したがらないのです。
神は独占している者達の手から全てを奪い取り、本来ある姿へと戻すために行動することになります。
この地において、悪魔の価値観に染まった人間が身勝手に振る舞える時間が終わり、神と小羊による統治へ向けた働きかけが始まったのです。





■ 小羊が巻物の第一~第六の封印を開くまでのまとめ

今回の記事はご覧のように、小羊が巻物の第一~第六の封印を開いてゆく所を見てきましたが、以前の黙示録解読の際にもある程度の説明を尽くしていましたので、神の視点からみた追記の説明の中には、以前の解読の内容と重なる部分も見られました。
その中でも特に強調しておきたいのは、日本の拠点について述べた第一の封印の項で、日本が抱える問題と解決に向けたヒント、そのような状態に至った背景など、『銀の紐』掲載中の関連記事よりも更に踏み込んだ内容に言及しています。
毎年年初の展望記事や、『神の一手』関連記事から『収穫の時が来た』へ至る直近の国内情勢の変化を、黙示録ではどの辺の内容と関わりがあるかを推測しながら追いかけてゆくと、人間の視点から見た日々の出来事と、神の視点から見た黙示録の関連性が見えてきます。
その様にして、少しでも黙示録に示された神の言葉の意味合いを読み取ることによって、日常生活の中で神の知恵を生かし、神の計画をうまく活用できるように振る舞うことも可能となるでしょう。

今回の記事では、第六の封印を開くところについては冒頭部分の解説に留めましたので、続きは次回への持ち越しとなります。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年9月9日金曜日

[黙示録再解読]:ヨハネが垣間見た神の玉座

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

【黙示録関連記事一覧】

[黙示録再解読]関連の過去記事はこちらにまとめておりますので、適宜ご利用下さい。

【[黙示録再解読]関連記事一覧】





■ ヨハネが天の開かれた門を通る

以前の黙示録解読の際には、四章と五章については殆ど言及しておりませんでしたが、この度は霊界の住人に詳しく解説して頂きましたので、黙示録の文面に沿って細かく見ていきましょう。

黙示録の第四章第一節に、その後(アジア州にある七つの教会の天使に宛てて手紙を出すよう、ヨハネがイエスの指示を受けた後)、ヨハネが見ていると、開かれた門が天にありました。
そこに、ラッパが響くような声があって、ヨハネに語りかけます。
「ここへ上ってこい。この後必ず起こることをあなたに示そう。」、とあります。

これはいわゆる幽体離脱と呼ばれる状態を表現していて、肉体から離れたヨハネの霊体が霊界を訪ねる様子を示しているそうです。
『銀の紐』でも度々『霊界と地上界を繋ぐ拠点』という用語を使用していますが、ここでヨハネは、霊界が地上の真上に広がっていて、霊界と地上界は明確な境界線で区切られていると理解したのでしょう。(※注)
ここで「開かれた門が天にある」のは、霊界と地上界を隔てる境界の門であり、肉体から離脱したヨハネはイエス・キリストの黙示を人々に伝える役目を帯びていたので、その目的の一環として霊界を訪ねる許可を得ました。
そこで霊界と地上界を隔てる境界の門はヨハネの前で開いたのですが、誰もがいつでもこの門を通れるわけではありません。
ヨハネも霊界で目的を遂げたら再び地上に戻って、自分がそこで見聞きした出来事を逐一記録に残さなくてはなりませんので、その目的を果たすまでヨハネは地上に留まることになります。

※注:
霊界の住人の補足によると、霊の世界と物質の世界は重なり合っているけれども、存在する次元が異なるという表現をしています。
霊の世界は上位次元で、物質の世界は下位次元であり、上位次元から下位次元に対しての干渉は可能ですが、下位次元から上位次元への干渉は出来ないので、物質である人間の肉体では霊を見たり触れあうことが出来ません。
但し、人間は霊と物質が結合した存在ですので、人間のままでも霊本来の能力を活性化できれば、ヨハネのように幽体離脱で霊界を訪ねたり、人間のままで様々な霊の存在を認識することも可能となります。
そして、イエスが派遣した天使を認識できるヨハネは霊能力者であり、ヨハネのように霊本来の能力が活性化した人間は、「神の働きかけは天から地上に向けて行われる」と認識していることになります。





■ 天の玉座の様子

黙示録の第四章第二節~三節には、ヨハネが天の門を抜けると、たちまち“霊”に満たされました。
天には玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方が居られました。
その方は碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いています、とあります。

天の門を抜けた先は霊界であるだけに、ヨハネは「たちまち霊に満たされ」ました。
天の霊界で一際目についたのが天の玉座でしたので、ヨハネは一番最初に注目しています。
玉座に座っている方はイエスにとっての主であり、ヨハネにとっての主である神です。
ヨハネはその方を「碧玉や赤めのうのようだ」と述べていますが、碧玉とは微細な石英の結晶が集まって出来た鉱物であり、石英に混ざり込んだ不純物の種類によって色合いや模様が変わります。
めのうも材質は似通っていますが、複数の色が層状に重なっています。
赤めのうですので、ヨハネが見た神は「赤みを帯びた層状の濃淡で覆われており、物体のように向こう側が透けていない状態」ということでしょうか。
玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていたので、緑系の濃淡を帯びた光を発していたと思われます。

黙示録の第四章第四節には、玉座の周りには二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていました、とあります。

次にヨハネが注目したのは、玉座の周りにある二十四の座でした。
二十四人の長老は、勝利を得た者が着る白い衣を着ていますので、彼らは人間としての経験を積んだことがあり、そこで勝利を得て神の御許へ引き上げられたのでしょう。
長老なのですから、イエスが人間として神の言葉を証しする以前に勝利を得て、イエスよりも遥かに昔から神の御許で活動していたようです。
金の冠とは、人々を神の御許に導く為に人々を束ねる者の印であり、黙示録の場合で言うと「神の言葉をイエス・キリストの名によってヨハネに伝えた」ので、長老達はイエスと同じ立場で諸国の人々と関わっていたことになります。

黙示録の第四章第五節には、玉座から稲妻や様々な音、そして雷が起こりました。
また、玉座の前に七つのともし火が燃えていたのですが、これが神の七つの霊です、とあります。

ここで発せられた様々な音とは、黙示録に綴られている物語の中で人間が経験する物事と密接な関わりがあって、それは必ず成就されるのですが、ヨハネは一足先にそれを知ったことになります。
もちろん、ここで成就される物事は七つの霊を通じて行われることであり、七つの霊とはイエスが神から受け取った巻物にある七つの封印を管理する霊なのですから、封印を開くことと関係があるのでしょう。

黙示録の第四章第六節~八節には、玉座の前が水晶に似たガラスの海のようになっていました。
その玉座の中央と周りに四つの生き物がいて、前と後ろの一面に目がありました。
第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようでした。
この四つの生き物には、それぞれに六つの翼があって、その周りにも内側にも一面に目がついていました、とあります。

以前の黙示録解読でも言及しましたが、玉座の前に広がっている「水晶に似たガラスの海」とは、神の玉座がある天の一角から見下ろした地球の姿を表しています。
玉座の辺りから見ると、視界のかなり広範囲に地上が広がっている表現(ガラスの海)ですので、現代ならISSから地上を見下ろした光景に近いのではないでしょうか。
また、四つの生き物とは、特定の目的を持つ四つの集団を象徴的に表していて、四つの生き物の特徴についてよく考えると、それぞれの集団が担っている役割が分かるようです。
四つの生き物に沢山の目がついているのは、その生き物で表される集団を構成する者たちの目であり、例えると、四つのテレビカメラで撮影した映像を、テレビ中継を通して多くの人が同時に見ている様子に近いようです。
四つの生き物の役割は異なるのですが、生き物たちは共通の目的を持っていて、集団毎に役割分担をしているようです。
四つの生き物についている六つの翼は、イエスが神から受け取った巻物の第一~第六の封印と対応していて、それぞれの封印が開く時に、予め生き物たちに与えられた役割を担うことになります。





■ 四つの生き物の感謝と二十四人の長老の礼拝


黙示録の第四章第八節~九節には、その生き物たちは、昼も夜も絶え間なく言い続けました。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」
玉座に座っておられて、代々限りなく生きて居られる方に、四つの生き物が栄光と誉れをたたえて感謝を捧げました、とあります。

四つの生き物に例えられる集団は皆、神の言葉が成就される様子を観察し、自らの経験に基づいて霊的真理の妙に感嘆し感心しており、なおかつ未知の領域が残されている深遠さをも自覚しているので、自然と神の栄光と誉れをたたえずにはいられないのでしょう。

黙示録の第四章第十節~十一節には、四つの生き物に続いて、二十四人の長老が玉座について居られる方の前にひれ伏して、代々限りなく生きて居られる方に礼拝して、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言いました。
「主よ、私たちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。
あなたは万物を作られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」、とあります。

ここで二十四人の長老が、玉座についておられる方=神にひれ伏し、冠を王座の前に投げ出したのには理由があります。
一つ目は、その冠は長老の目の前にいる神から与えられたものであり、人間が勝利を得る者となるために霊界から人間を導き束ねる役目を担っている証しとしての冠なので、神の前で冠は特定の役目を担っている者という以外に何の意味もないからです。
二つ目は、ここで長老達は冠を必要とする役目を終えることになったので、神に与えられた冠を返却することとなりました。
では、何故長老達が冠を返却することになったかというと、イエスが長老達の役目を引き継ぐことになったからなのですが、その辺りの経緯は黙示録の第十二章で断片的に言及しています。
赤い竜であるサタンが天から地上へ堕とされて、サタンが人間に対して干渉し始めたことによって、長老達から人間に対する働きかけが上手く機能しなくなってしまったため、長老達からイエスに役割のバトンタッチを行いました。
その辺りの事情は記事【『ヨハネの黙示録』では語られなかったこと】で取り上げています。
長老達が神の前で礼拝するのも、神の御許で神の言葉の成就に関わりながら観察し、神の御業と霊的真理の深遠さ、膨大さに感嘆し日々学びながら過ごしているので、自然と神を讃えずにはいられなくなってしまうのです。
日本人であれば、自然災害の被災地を慰問された天皇陛下にお言葉をかけられた被災者の心情に例えると、特にその様な機会に立ち会われた方は想像しやすいのではないでしょうか。





■ 神の巻物と七つの封印

黙示録の第五章第一節~第四節には、玉座に座って居られる方の右手に巻物がありました。
巻物の表にも裏に文字が書いてあり、七つの封印で封じられていました。
そこで一人の力強い天使が大声で告げました。
「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」
しかし天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて見ることの出来る者は誰もいませんでした。
この巻物を開いて見るのにふさわしい者が誰も見当たらなかったので、ヨハネは激しく泣いていました、とあります。

玉座について居られる方=神が右手に巻物を持っていましたが、この巻物に書かれている内容が黙示録の原典であり、神が物質界に働きかける際の細かい計画が記されているのでしょう。
巻物の表裏に文字が書いてあるので、表に出す計画(黙示録を通じて人間に明かす部分)と裏の計画(人間には明かされずに神と他の霊達のみでこっそり進める部分)に分けているようです。
更に巻物を七つの封印で封じてあるので、特定の条件を満たして封印を解かないと、この計画は実行されません。
そこで力強い天使は、神の巻物の封印を解いて開く適任者を探して呼びかけますが、その時はどこにも適任者がいません。
今まで、神の言葉を成就するために人間を導き束ねてきた長老達が、神に与えられた冠を外すことによってその役割を返上したため、神の巻物の計画に沿って人間に働きかける者がいなくなってしまったからです。
力強い天使も力尽くで巻物の封印を解いて開けないのですから、他に巻物の封印を解く条件があるのです。
そこでヨハネは泣いてしまうのですが、神の巻物の封印を解く者がいないことの意味を知っていたからでしょう。
いつ何処でそれを知ったかというと、ヨハネが人間として生まれる前に、神の巻物に何が書かれているかを予め知っていて、その巻物の封印を開くために特定の役割を担って生まれたのではないでしょうか。
イエスは神の言葉を証しする為に人間として生まれましたが、役割は違えどヨハネにも神の言葉を成就させる為に欠かせない役割がありました。
だからこそ、現代を生きる私たちは黙示録を目にすることが出来るのですから。
そんなヨハネの役割も、巻物の封印を開く者がいなくては無意味になってしまいます。





■ 長老達の後を継ぐ者

黙示録の第五章第五節~七節には、長老の一人がヨハネに言いました。
「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
そしてヨハネは、玉座と四つの生き物の間、長老達の間に、屠られたような小羊が立っているのを見ました。
小羊には七つの角と七つの目がありました。
この七つの目は、全地に使わされている神の七つの霊です。
小羊は進み出て、玉座に座って居られる方の右手から、巻物を受け取りました、とあります。

屠られた様な小羊とは、イエスが神の言葉を証しした為に処刑された事績を指しますが、「ユダ族から出た獅子」と「ダビデのひこばえ」とはどういうことでしょうか。
マタイによる福音書の冒頭に、イエスがアブラハムの子孫であり、イスラエル王国を統治したダビデ王の末裔であるとして、系図を記しています。
かつてダビデ王が統治した国は失われ、イスラエルの民による国家は大木を切り倒すように途絶えてしまって、辛うじて往年のダビデ王の事績が歴史という切り株の形で残るのみとなりました。
しかし後にダビデ王の末裔であるイエスが、「ユダヤ人の王」を名乗って宣教活動を行いますので、ダビデの切株に芽吹いたひこばえなのです。
実際に聖書の中には、イエスがダビデの家系から現れた救い主であることを示す記述があちこちに確認できます。
例えばエレミヤ書の第二十三章第五節~六節には、ダビデの為に新しい若枝を起こすとあり、その者は「主は我らの救い」と呼ばれるとあります。
そしてマタイによる福音書第二章第五節~六節にあるように、救い主がベツレヘムで誕生することが、ミカ書第五章で告げられていました。
ルカによる福音書第二章には、皇帝から住民登録をせよと勅令が出たとして、ヨセフがダビデの家系に属しているので、許嫁のマリアを伴って、住まいのあるガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへ向かった時に、マリアがイエスを出産したことが記されています。
とはいえ、イエスが古の預言者によって示された救い主ではないと見なしている人もいて、ユダヤ教徒は預言者が示した救い主は今だに現れていないという立場です。
イエスが「ユダ族から出た獅子」であるのは、ダビデ王の後に分裂したイスラエルの二王国のうち、民族の一体性を維持して聖書を次代に伝えたのはユダ王国の末裔だったので、度々律法について言及しているイエスはユダヤ教徒=ユダ族の末裔であり、「ユダ族から出た」者といえます。
聖書で獅子という言葉は、強い者や獰猛な者、人間に危害を加える者に対する表現として用いられていますので、「ユダ族から出た獅子」とは、聖書の神を信仰するユダヤ教徒でありながら、当時のユダヤ教の権威に挑戦する危険な存在として台頭した、正にユダ族にとっての獅子に相応しい存在だからでしょう。
イエスがユダ族に取って獅子なのは、ユダ族の信仰が聖書に記される神の言葉から遠く離れていたので、イエスは「原典である神の言葉に戻れ」と訴えただけなのですが、当時のファリサイ人や律法学者にとっては、自分たちの存在を危ぶませる脅威と映ったのです。
更にもうひとつ付け加えておきたいのは、サムエル記上第十六章第十三節で、サムエルによってダビデに油が注がれた日から、主の霊がダビデに降るようになったように、マタイによる福音書第三章第十六節で、イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、天がイエスに向かって開き、神の霊がイエスの元に下ってきました。
ダビデが主の霊と共にあったように、イエスは神の霊と共にあったので、神様と特別な繋がり(神様にとって特別な役割)を持つ人間という意味で、イエスはダビデの後継者に当たると言えるのです。
因みに、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天がイエスに向かって開きますが、これは記事の冒頭で僕ヨハネが通った天の門を指しています。

ちょっと長くなりましたが、引き続き小羊についての記述を見ていきましょう。
小羊には七つの角と七つの目がありますが、これは黙示録第十二章に登場する赤い竜である悪魔と対比した表現となっています。
七つの目は全地に遣わされている神の七つの霊とあり、これは神の玉座の前に燃えている七つの灯火を指します。
神の七つの霊は、神の右手にある巻物にある七つの封印の錠であり、『地上と霊界を繋ぐ拠点』を管理するものであることは既に述べましたので、その七つの霊が担う役割を屠られたような小羊の働きとして描いています。
小羊は勝利を得たことにより、神の玉座の前に進み出ることを許されました。
今までの黙示録関連記事でも繰り返し述べてきたように、勝利を得る者は皆神の御許に引き上げられることになりますので、その意味では小羊だけが特別な存在ではないと言うことを改めて強調しておきましょう。
そして神の御許にある巻物を受け取ったのですが、ここで小羊は巻物の封印を開いて、巻物に記された神の言葉を成就させる大任を委ねられたことになります。





■ 四つの生き物と長老達と天使たちの礼拝

黙示録の第五章第八節~十節には、小羊が神の右手から巻物を受け取った時、四つの生き物と二十四人の長老は、竪琴と香のいっぱい入った金の鉢を各々手に持って、小羊の前にひれ伏しました。
香とは聖なる者たちの祈りです。
そして彼らは新しい歌を歌いました。
「あなたは巻物を受け取り、その封印を開くのに相応しい方です。
あなたは屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らを私たちの神に仕える王、また司祭となさったからです。
彼らは地上を統治します。」、とあります。

四つの生き物と長老が小羊にひれ伏した時、手に持っていた竪琴と金の鉢とは何でしょうか。
黙示録で竪琴について述べているのはこちらです。
第五章第八節、第十四章第二節、第十五章第二節、第十八章第二十二節の四カ所となります。
そのうちの第十四章と第十五章については、以前の黙示録解読で解説しました。
竪琴とは神の竪琴であり、竪琴の音を鳴らすようにして大水や雷などの自然現象をコントロールするのです。
また、黙示録で金の鉢について述べているのはこちらです。
第五章第八節、第十五章第七節、第十六章第一節~四節、八節、十節、十二節、十七節、第十七章第一節、第二十一章第九節の十二カ所となります。
そのうちの第十五章第七節では、四つの生き物の一つが「神の怒り」が盛られた七つの金の鉢を、七人の天使に渡します。
そして第十六章、第十七章で七人の天使は『神の裁き』として、次々と鉢の中身を地上に注ぎます。
この様に、金の鉢は四つの生き物と長老が地上に働きかける道具であり、七人の天使は四つの生き物の名代として、地上に『神の裁き』を下します。
しかし第五章第八節では金の鉢に香が一杯入っており、香とは聖なる者たちの祈りなので、『神の裁き』の時期を除くと、四つの生き物や長老は地上に向けて祈りの働きかけを行っていることになります。
ところで、彼らが歌う新しい歌は何を歌っているのでしょうか。
「小羊であるイエスは神の巻物を受け取って、七つの封印を開くのに相応しい方です。
何故相応しいかというと、あなたは神の言葉を証しした為に屠られて、死後に神の御許に引き上げられたことにより、人が神の御許へ至る筋道を示しました。
また、人でありながら神の御許へ引き上げられたことにより、イエスは地上の様々な種族・言葉の違う民・あらゆる民族と国民にとって特別な役割を担う資格を得ました。
(今までは長老や四つの生き物が分担して担っていた)神と諸国の民の間を仲立ちする役割を、小羊であるイエスが一手に引き受けることになったのです。
(それ故に長老と四つの獣は小羊の前にひれ伏して、今後は小羊の指示を受けて活動することになったので、)小羊であるイエスは、地上の人々が神の御許に引き上げられる道を辿れるように導き束ねる者となりました。」
因みに、「彼らを私たちの神に仕える王、また司祭となさったからです」の彼らとは、『アジア州にある七つの教会の天使』であり、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の覡役の者であり、小羊は霊界から、七つの教会の天使は地上から、神と諸国の人々の間を仲立ちする者となります。
それが地上を統治することの意味です。





■ 天使たちと天と地と地の下と海にいるあらゆる者たちの声

黙示録の第五章第十一節~十四節には、ヨハネが玉座と生き物と長老たちの周りに、多くの天使の声を聞きました。
天使たちの数は数万の数万倍、千の数千倍でした。
天使たちは大声でこの様に言いました。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるに相応しい方です。」
またヨハネは、天と地と地の下と海にいる全ての被造物と、そこにいるあらゆる者がこういうのを聞きました。
「玉座に座って居られる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、代々限りなくありますように。」
四つの生き物は「アーメン。」と言い、長老達はひれ伏して礼拝しました、とあります。

今まで四つの生き物や長老達がとりまとめていた、人間に対する働きかけ(その象徴として冠をかぶっていた)は、多くの天使たちの協力によって成り立っていました。
そして四つの生き物と長老達が取りまとめの座を小羊に譲り、自らひれ伏して小羊の指揮下で活動する意志を示した様子を見て、天使たちもそれに賛同し、自分たちの活動を取りまとめる新たなリーダーの登場を歓迎しました。
天使たちは、今までの自分たちのリーダーにさえ為し得なかった、神の巻物の封印を開く資格を得た者の登場に喜び、勇み、神の言葉を成就させる新たな段階に入ったことを確認して、心がけを新たにしました。
ここで玉座の周りにいる天使たちばかりでなく、天と地と地の下と海にいる全ての被造物と、そこにいるあらゆる者が神と小羊を賞賛します。
被造物とは物質であり、天の被造物とは天上(目安として地球の重力圏内)に浮遊している物質、地の被造物とは地上にある生物・非生物を含む全ての物質、地の下にある被造物とは地下にある生物・非生物を含む全ての物質、海にいる被造物とは海上と海中にある生物・非生物を含む全ての物質を指します。
そこにいるあらゆる者とは、地球自体の環境や物理法則などを成り立たせるために、地上や地下や海で活動している霊的な存在や、人間以外の様々な生物の活動や成長に働きかける霊的な存在などを指します。
地球は人間にとってのみの学び舎ではなく、人間を含むあらゆる生物に宿る霊にとっての学び舎であり、また地球自体もその内に霊を宿す存在であり、成長に伴って地上の環境が変化を余儀なくされるようですので、そういったあらゆる活動に携わる霊的な存在も、小羊が神の巻物を受け取ったことにより、神の言葉を成就させる活動が新たな段階に入ったことを賞賛し、神と小羊を讃えました。
黙示録は主に人間に対する神の働きかけの計画書ですが、人間が地上から地下に、海に、天にと活動範囲を広げることにより、それらの各地で活動するあらゆる者たちにも様々な影響が及びますので、人間と無関係とは言えないのです。
ここで改めて四つの生き物が「アーメン(そのとおり!)。」と言い、長老達がひれ伏して礼拝することによって、天では神と小羊を中心として、あらゆる事柄を推し進めてゆく方針を確認しました。





■ 小羊が神の巻物を受け取るまでのまとめ

今回取り上げた黙示録の第四章~五章の内容は、以前の黙示録解読では殆ど取り上げていませんので、少々長くなりましたが霊界の住人のコメントを参考に解説しました。
この中で重要なのは「小羊が神の巻物の封印を開く資格を得たので、これからは神の言葉を成就させる活動を小羊が取りまとめてゆく」と言うことです。
実は、この辺りの一連の内容と、小羊であるイエスが取りまとめる『バチカンの拠点』が管轄する欧州地域の歴史に符合する部分があるのですが、ご覧の皆様は気がつきましたでしょうか。
以前、黙示録解読の関連として投稿した記事【『ヨハネの黙示録』では語られなかったこと】では、ギリシャ神話の神々を二十四人の長老として描いている可能性に言及しましたが、今回改めて黙示録を読み進めてゆくと、ギリシャ神話の神々に限らず、北欧神話やケルト神話など、古の神話に記されている神々についても同じことが言えるようです。
民族毎に異なる神への信仰があったのですが、それらの神々が黙示録では長老として描かれています。
かつてはそれでも機能していたのですが、赤い竜が反乱を起こした為に天から追放されて地上に逃げてくると、今後は赤い竜自身を人間にとっての神と位置づけて、全ての人間が赤い竜を唯一の神として崇め奉るように干渉します。
その過程で、黙示録の長老達と地上の各民族との関係が分断されて、もはや長老達では神の御許に引き上げる為に人々を束ねることができなくなってしまいました。
このままでは、神の言葉を成就させる活動が滞ってしまいます。
そこで長老の一人が一計を案じて、長老達の代わりに人間と神の間を取り持って、人々を神の御許に引き上げる為に束ねる者を新しく立てます。
それが小羊であるイエスで、イエスが人として神の言葉を証しする活動をした結果、神の御許に引き上げられました。
赤い竜によって一旦は分断されかかった神と人との繋がりを、イエスが間を取り持つことによって繋ぎ直したのです。
現在はキリスト教会が継続的に赤い竜の干渉を受け続けていて、残念ながら聖書に記された神の言葉やイエスの教えから離れてしまった側面もあります。
それでもキリスト教会はイエスにとって重要な存在である事に変わりありませんので、この度の『神の裁き』を通じて、今まで教会に蔓延ってきた穢れを一掃して、神の言葉を成就させる為にキリスト教会が担う役割を果たせる様に環境を整えるのだと考えております。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2016年8月26日金曜日

[黙示録再解読]:アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

【黙示録関連記事一覧】

[黙示録再解読]関連の過去記事はこちらにまとめておりますので、適宜ご利用下さい。

【[黙示録再解読]関連記事一覧】





■ アジア州にある七つの教会に宛てた手紙

このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。
本題に入る前に、このテーマにおける注目点について、霊界の住人の見方を伺っています。

曰く、ここで注目しておきたいのは、それぞれの教会が示している地域毎に、発展した文化や民族・生活習慣などの違いがあっても、皆が同じゴールを目指していて、最終的には同じ価値観に辿り着きます。
現時点でそれぞれの地域が持っている異なる特質は、ゴールへ至るまでの過程の違いに過ぎなくて、例え今はどの集団に属していても、最終的には必ず同じ結論に達します。
だからこそ、ここでは七つの金の燭台の間を歩く方として、イエスが象徴的に描かれています。
前回の記事で述べたように、イエス自身が全ての地域を司っているわけではありませんが、イエスと同様の役割を担う者が各地に向けて働きかけています。
黙示録は聖書に束ねられており、聖書はイエスが司る地域に暮らす人々に向けて残された文書であるため、同様の役割を持つ者たちを代表してイエスの活動として描いています。
今回の『神の裁き』で特に注意深く観察しておきたいのは、欧州・米国・日本の動向で、これらの地域の選択が世界に大きな影響を及ぼすことになります。
甘言に惑わされることなく、世界のありのままの姿を見極めたいものです。
神は信じる対象ではなく、理解する対象です。
神の言葉は霊的真理を表しているため、盲目的に信じても成長できません。
神を理解するには、世界を具に観察して世の理を理解するのが最も近道となります。

この中で「霊的真理」という言葉について補足すると、神の言葉とは私たちが存在する世界を成り立たせる仕組み、私たちの目の前で展開するあらゆる物事を、その様な状態や結果へ導く法則性を表している…とでも言えば良いでしょうか。
その膨大かつ微細な仕組みの数々について表現するには、限られた紙面に綴った文章だけではとても足りませんので、あくまでも聖書に記された神の言葉は理解のきっかけとして利用する為の物です。
その霊的真理を更に深く追求するには、世界のあらゆる出来事を具に観察する中から、自分自身の経験を積み、洞察力を養ってゆかなくてはなりません。





■ エフェソにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、エフェソにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』だと述べました。
そしてエフェソにある教会の天使とは、バチカンを中心としたカトリック教会において神の僕としての役目を担う者であり、ローマ教皇が代表的な存在としてあげられます。
カトリック教会の存在を通じて、神の言葉を記録した聖書を後の世へ伝え、また神が地上の諸国民に働きかける拠点の一つであるバチカンの地を、カトリック教会にとって聖なる土地として守り続けてきました。
神の僕である「霊界と地上界を繋ぐ拠点の覡」としてのローマ教皇を、カトリックにとって権威ある存在とし続けてきたことも、カトリック教会の功績として数えられるでしょう。
一方、エフェソにある教会であるバチカンのカトリック教会から失われてしまったものもあります。
それは「始めの頃の愛がなくなってしまった」=イエスの教えが形骸化して変質してしまったので、悔い改めて始めの頃の行いに戻るように求めています。
ここで悔い改めなければ、あなたの燭台を取りのけてしまうと述べていますが、一度黙示録の内容を通して読み込まれた皆様でしたら、この意味は容易に理解できるでしょう。
黙示録の第十七章で「多くの水の上に座っている大淫婦」に対する『神の裁き』について述べていますが、そこで一時的にエフェソの教会という燭台が取りのけられかねない危機に見舞われる可能性に言及しています。
一方、ニコライ派の行いを憎んでいることを取り柄としていますが、ニコライ派とはプロテスタントなどカトリック以外の諸教派を指しています。
イエスも憎んでいるというニコライ派の行いとは、エフェソの教会であるバチカンの拠点から距離を置き、教会の天使である覡役のローマ教皇を差し置いて、独自に宗教的権威を立てたこと、そして記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足1】で述べたように、第二の獣の手管により諸国の民の右手か額に獣の刻印を押させる役割を担ったことです。
勝利を得る者には神の楽園の命の木の実を食べさせるとあるのは、黙示録の第二十一章~で第二の死――火と硫黄の池に投げ込まれるのではなく、新しい天と地に暮らすことを許されて、聖なる都エルサレムで神と僕の共同統治を行う一員となれることを指しています。

以上の、人間視点から見たエフェソにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、今回の『神の裁き』によって価値観の変化が最も大きく現れるのがこの地域です。
『神の裁き』を通じて、この地域に暮らす人々の価値観に変化が生じることによって、はじめて霊界と物質界を繋ぐ拠点が正しく機能する準備が整います。
今はまだ物質界の影響が強く、霊界の影響が弱い状態にあるので、両者が互いに作用し合って安定した状態を保てるようになる必要があります。
その為にも、この地域では数々の試練を乗り越えることによって、既存の価値観には欠点があって、変える必要があることに気づかなくてはなりません。
その試練は過去の選択の結果として表れているので、過去の選択の結果を全て刈り取るまで苦難が続きます。
この地域に暮らす人々は、それらの苦難から何を学び取り、どの様な国作りを行うのかが問われています。





■ スミルナにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、スミルナにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐエルサレムの拠点』だと述べました。
そしてスミルナにある教会の天使とは、聖書の創世記に登場するアブラハムの子孫であり、今のところその代表者が誰であるかはよく分かりません。
何故かというと、アブラハムをルーツとする「アブラハムの宗教」にユダヤ教、キリスト教、イスラム教があり、そのうちのキリスト教はエフェソにある教会に関係があるので除外すると、ユダヤ教とイスラム教の中にアブラハムの子孫が混在していると考えられるからです。
旧約聖書やクルアーンの中に、その辺りの事情についての記述が含まれている可能性はありますが、黙示録からその辺りの事情を読み取ることは出来ません。
さて、スミルナにある教会の天使は苦難と貧しさの中に置かれ、また自らをユダヤ人と名乗る者によって非難されているようです。
ユダヤ人と名乗っていても、実はサタンに与する偽者であり、スミルナの教会の天使を虐げています。
天使の生活環境は厳しくても、神との繋がりにおいては豊かなのですが、これからも悪魔の試みによって様々な苦難を乗り越えなくてはなりません。
イエスはスミルナの教会の天使に対して、死に至るまで(神との契約に対して)忠実であれば、命の冠を授けると述べています。
そして勝利を得る者は第二の死を免れて、黙示録の最後にあるように、新しい天と地で聖なる都エルサレムに集うことが出来るのです。

以上の、人間視点から見たスミルナにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、この地域に暮らす人たちは、今回の神の裁きの時点では、自分自身の行いよりも周囲の環境による影響が大きく現れてしまいます。
周囲の環境に翻弄されながらも、どれだけ霊的真理を学び取れるかが大きな鍵となります。
誘惑に負けず、神の言葉の実践者として苦難を乗り越えることが出来れば、イエスのように神の御許に引き上げられるでしょう。





■ ペルガモンにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、ペルガモンにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐ米国の拠点』だと述べましたが、詳しくは五大湖のほとりのどこかにあるようです。
そしてペルガモンにある教会の天使とは、米大陸の先住民族であるインディアン部族の中にいると思われます。
まず、ここにはサタンの王座があります。
その様な土地にあってもイエスの名を守って、イエスに対する信仰を捨てなかったとありますので、ペルガモンの教会の天使はサタンの唆しに惑わされない、イエスの教えに対する強い確信があることが分かります。
しかし、一部にバラムの教えを奉ずる者がいて、かつて聖書(民数記第二十二章~第二十五章、第三十一章)でバラムがイスラエルの子らを躓かせる方法をモアブ人の王バラクに教えたように、彼らに偶像に捧げた肉を食べさせ、淫らなことをさせようとしています。
「偶像に捧げた肉を食べさせる」とは、悪魔を信奉して恩恵に与ることで、本来なら受け取れる立場にないものを強引に奪い取ったり、正当な手順を踏まずに身勝手な解釈を押しつけたり、不正な手段で富を独占する行為や考えを指します。
また、ここにもニコライ派の教えを奉ずる者がいます。
そこでイエスは悔い改めるように呼びかけて、悔い改めない者に対しては自分の口の剣で戦おうと述べています。
口の剣で戦うとは、言葉で説得するという意味ですが、イエス自身の口の剣で戦うのですから、かつてイエスがヨハネに伝えた黙示録の記述通りの出来事が後に実現することによって、その様を目の当たりにしたバラムの信者もニコライ派も、イエスの言葉を否定できなくなると言うことでしょうか。
そして勝利を得る者には隠されていたマンナと白い小石を与えるとあり、マンナは主がイスラエルの民の為に天から降らせたパンであり、白い小石とは裁判で無罪の判断を示すものです。
ここに至ってペルガモンの教会の天使は、バラムの信者やニコライ派による不遇な扱いを返上し、教会の天使としての活力がますます活発になるのではないでしょうか。

以上の、人間視点から見たペルガモンにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、今回の神の裁きで、最も大きな影響を与えることになるであろう地域がここになります。
サタンの王座があると記しているように、神の計画に則って物事が進むのを嫌う傾向にあります。
この地域はサタンが己の優位性を知らしめるために、特に大きな影響力を行使する場所になります。
あらゆる手段を行使して、神の計画を阻止する為に働くことになります。
しかし、それすらも神の計画に含まれており、全ては想定内の出来事です。
この様な状況下にあっても、神の言葉を実践し続けることが出来る者は幸いでしょう。





■ ティアティラにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、ティアティラにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐ日本の拠点』だと述べましたが、霊媒Mによると、東京にある皇居を中心として、関東平野を覆い尽くすほど大きな光の柱が、天に向かって伸びているイメージとして感じられるのだそうです。
そしてティアティラにある教会の天使とは日本の歴代天皇であり、天皇陛下が宮中祭祀を執り行われることにより、日本に取って特別に権威ある存在であることを裏付けています。
まず、イエスはティアティラの教会の天使の行い、愛、信仰、奉仕、忍耐の様子をよく心得ており、特に天使の近頃の行いが、最初の頃より勝っていることもよく見て、褒めています。
これは天皇陛下が日本の拠点の覡役としての役割を全うしていることですが、特に「天使の近頃の行い」とは明治以降に日本の拠点の活動が活発化し、覡が担う役割の幅が広がったことを指しています。
しかし、ティアティラの教会の天使が、イゼベルという女のすることを大目に見ていることだけは問題視しています。
イエスは悔い改める機会を与えましたが、イゼベルは淫らな行いを止めようとしません。
イゼベルは聖書の『列王記上』第十六章~第二十一章にかけて登場しますが、ここではイゼベルとは朝鮮を指すのだそうです。
イゼベルは「私には神の言葉が分かる」と称して、神の僕たちに嘘偽りを教えたり、惑わせて淫らなことをさせ、偶像に捧げた肉を食べさせようとしています。
サタンが王座を構えるペルガモンの教会でも「偶像に捧げた肉を食べさせ」ていますので、イゼベルはサタンの眷属として活動していることが分かります。
そこでイエスはイゼベルを床に伏せさせ、またイゼベルと共に淫らなことをする者たちにも、その行いを悔い改めないなら、酷い苦しみに遭わせて、イゼベルの子供たちを打ち殺します。
そうすることによって全教会(=アジア州にある七つの教会)は、イエスが人の思いや判断を見通す者だと悟るようになります。
イエスは、全ての人々の行いについて、各自の行いに相応しい報いを与えるからです。
イゼベルは床に伏せさせられるのですが、聖書で「床」とは「寝床」の表現として使われていますので、起き上がれないほどの重篤な病に冒されるのでしょうか。
そしてイゼベルの子供たちは打ち殺されるのですから、韓国と北朝鮮は無くなってしまう――恐らく『神の裁き』の過程で合併して一つの国家になるのでしょうが、南北統一後の朝鮮半島の国家は活力を大幅に失って、もはや対外的な影響力を及ぼせないほど衰退すると読めるのですが…。
ティアティラの人たちの中にいて、イゼベルの教えを受け入れずに、サタンの奥深い秘密を知らない者には、別の重荷は背負わせないので、ただイエスが訪れるまで、今持っているものを固く守るように申しつけています。
ここではティアティラの人たち=日本にいる人たちに向けて、今持っているものを固く守るようにアドバイスしています。
「今持っているもの」とは、日本の国土、天皇を中心とした国家の枠組み、古から伝わる伝統と文化等々で、日本の側から相手に侵攻するのではなく、相手を自国に踏み込ませず、仕組みや慣習の変更を強いる企みをはね除けるなど、自国の防衛によって凌いで欲しいと言うことでしょうか。
そして勝利を得る者、またイエスの業を終わりまで守り続ける者には、イエスより諸国の民の上に立つ権威を授けられます。
イエスがかつて父である神からその権威を捧げられたように、ここで勝利を得る者に受け継がれることが示されています。

以上の、人間視点から見たティアティラにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、今回の『神の裁き』を通じて大きな転換期となる地域です。
ここで重要なことは、何故苦難に遭うことになったのか、今までの己の行いを顧みることです。
無知であったために誤った認識に基づいて成り立っていた『常識』を振りかざしていた、という事実に気づきましょう。
一見すると誠実で素晴らしく見える考えや行いでも、更に詳しく見ると、実はとても不誠実な考えや行いであったかもしれません。
イゼベルの行いを観察する中から何を学び取れるかがとても重要です。
相手の非を追及するのはとても簡単なことですが、それではいつまでも苦難から抜け出せません。
己の行いが不適切であったことを認めて、改める姿勢が大切です。
あらゆる物事の結果は、各々の選択に則っているので、思う様に結果が現れないならば、どこかで選択を誤っていたのです。
選択を誤ったのは自分自身であることを自覚しましょう。
イゼベルが床に伏せられ、イゼベルの子供たちが打ち殺されるのと、この地域の人々が己の行いを顧みて、これまでの経験から学べるかはまた別の話となります。
この経験から霊的真理を学び取ることが出来れば、勝利を得る者となるでしょう。





■ サルディスにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、サルディスにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐスーダンの拠点』だと述べました。
そしてサルディスにある教会の天使とは、恐らくスーダン土着の宗教で権威ある者を指すのだと思いますが、スーダン国内の事情がよく分かりませんので、サルディスの教会の天使について、『銀の紐』としては今のところ特定できない状態です。
また2011年に南スーダン共和国が分離独立し、日本からも自衛隊をPKOとして派遣していますが、治安が不安定な状態が続いています。
まず、イエスはサルディスの教会の天使について、あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいると述べており、目を覚まして、死にかけている残りの者たちを強めるよう求めています。
これではイエスの目から見ても、十分に教会の天使としての務めを果たしているとは言えません。
そこでどの様に(教会の天使の務めを)受け、(その役目の意義を)聞いたかを思い起こして(サルディスの教会を)守り抜くように、悔い改めよとイエスに諭されています。
恐らく古の時代に土着の宗教において権威ある者が、スーダンにある宗教上の聖地とされる場所を、必要とされる時が来るまで世代を越えて守り続ける役割を引き受けたはずなのですが、その聖地(『スーダンの拠点』)が蹂躙され、今や「そこが宗教上の聖地である」という記憶さえ失われようとしているのです。
そして目を覚まさない者に対して、イエスは盗人のように行くと述べています。
ただ誰にも気づかれないように、抜き足差し足でこっそり現れるだけでなく、盗人が盗み取るように、本人の知らないうちに教会の天使としての(拠点を聖地として守り続ける)役目を剥奪します。
しかし、少数ながら衣を汚さなかった者がいて、この者たちは汚れていない白い衣を着てイエスと共に歩みます。
勝利を得る者とは白い衣を着せられており、命の書から名前を消されることもないので、最後の審判を経て、天と地を新しくした後の「聖なる都エルサレム」に集うことが出来るのです。

以上の、人間視点から見たサルディスにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、今回の『神の裁き』の影響をある程度受けるものの、霊的には不活発な状態にあります。
自ら求め、行動することを学ぶ必要があります。
他人はその者の都合で動くことを知る必要があります。
霊的には、最も厳しい環境に置かれていると言って良いでしょう。
その様な厳しい環境下にあって、神の言葉を実践できる者は強靱な精神の持ち主だと言えるでしょう。
この地域が霊的に活発になる時期はまだ先のこととなります。





■ フィラデルフィアにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、フィラデルフィアにある教会とは『霊界と地上界を繋ぐチベットの拠点』だと述べました。
そしてフィラデルフィアにある教会の天使とはダライ・ラマ法王です。
ダライ・ラマ十四世法王は、チベットの拠点の覡として覚醒しているわけではありませんが、ダライ・ラマをチベット仏教における権威ある存在として後の世に伝える役目を担っています。
イエスはまず、フィラデルフィアの教会の天使に向かって「あなたの前に門を開いておいた。誰もこれを閉めることは出来ない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないといわなかった。」と述べています。
これはフィラデルフィアの教会が長らく天然の要害に守られて来たものの、遂にそこへ至る門が開かれた時、フィラデルフィアの教会は力の弱さを思い知ることになります。
中共に国土を蹂躙され、多くのチベット人が虐殺・弾圧されている実態に符合します。
しかしチベットはそのまま中共に屈するのではなく、ダライ・ラマ十四世によりインドにチベット亡命政府が成立するなど、チベット人は劣勢ながらも民族と文化と宗教の伝統を守るため、中共に対する抵抗を続けています。
ここに「サタンの集いに属していて、自分はユダヤ人であるという者たち」が登場します。
彼らはスミルナにある教会で「自分はユダヤ人である」といった者共の同類で、フィラデルフィアの教会を蹂躙したのは彼らの仕業なのですが、ここでイエスは彼らを、フィラデルフィアの教会の天使の足元でひれ伏すようにすると述べています。
神の裁きの時にあたり、諸国の民はこれまでの各々の行いに応じて裁かれるのですが、ここまで試練の時を過ごしてきたフィラデルフィアの教会は、今までの忍耐を認められて、裁きの混乱から守られるのです。
そこであなたの栄冠を固く守るようにと言うのは、ダライ・ラマの世界的な宗教指導者としての立場と行動、隣国に亡命しながらもチベットの旗を掲げ続けた矜持を保つことでしょうか。
勝利を得る者には「神の神殿の柱」として、神の御許に引き上げられることになります。
そして神の僕の証しである神の名が記され、神の都の住人の証しである神の都の名が記されます。

以上の、人間視点から見たフィラデルフィアにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、この地域を蹂躙している者たちは、今回の『神の裁き』を通じて大きく影響力を削がれるでしょう。
本来受けるべきではないものを貪り続けた結果、肥大化しすぎて維持が出来なくなるのです。
本来この地域を統治するためにいる人々は、その時が来るまで苦難に耐え、神の言葉の通りに実践し続けることが出来れば、必ず勝利を得る者となります。
その勝利は誰の目にも明らかなものとなるでしょう。
チャンスが訪れた時に適切に行動できるか否かが問われてきます。





■ ラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙

以前の黙示録解読では、ラオディキアにある教会とは上記の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を除いた全ての場所だと述べました。
そしてラオディキアにある教会の天使とは、上記各教会の天使を除いた全ての人を指します。
ですから、今この記事をご覧の皆様の大半の方に向けて送られた手紙と言うことになります。
そこでイエスは冒頭「あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであって欲しい。」と述べて、明確な信念もなく、日和見でどっち付かずな姿勢を咎めています。
更に「熱くも冷たくもなく、生ぬるいので、わたしはあなたを吐き出そうとしている。」と述べて、このままではイエスも匙を投げて見捨ててしまいたいほどの惨状であることを示唆しています。
そんなあなたは「わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要なものはない」と言っていても、イエスから見ると「惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者」であり、その哀れな姿を自覚すらしていないところがまた哀れなのです。
しかしイエスはそこであなたを見捨てることはなく、三つのアドバイスを与えて悔い改めを促します。
「裕福になるように、火で製錬された金をイエスから買うように」
「裸の恥をさらさないように、身につける白い衣を買うように」
「見えるようになるために、目に塗る薬を買うように」
この三つのアドバイスについては、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足3】で詳しく述べています。
イエスは愛する者を叱ったり、鍛えたりするので、今までの行いを悔い改めて、熱心に取り組むように促しています。
イエスはあなたの家の戸口に立って、扉を叩いているので、イエスの声を聞いて扉を開けさえすれば、イエスはあなたと食事を共にすると述べています。
その様にして勝利を得た者は、かつてイエスが神の御許に引き上げられたように、今度はイエスがあなたを神の御許に引き上げてくれます。

以上の、人間視点から見たラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙について、霊界の住人はどの様に見ているのでしょうか。

曰く、これは、世界に存在する特定の地域に限定されない人々を表していて、彼らは霊的なことについての関心がなく、物質的なことのみが関心の対象となっています。
自分の五感で感じ取れるもの以外は信じないので、ある意味正直者ではあっても、一方で目先の物事しか考えられず、周囲への影響を自分の都合だけで推し量ってしまいます。
興味の対象が物質的な物事なので、物質的な側面を追求したがります。
この世の全てが物質で成り立つという思考の持ち主なので、神の御許に引き上げられることには興味を持ちません。
この世の栄耀栄華を極め、世界の支配者になりたがるのがこのタイプです。
彼らが霊的真理に関心を持つようになるためには、まだ多くの経験が必要になります。





■ アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙のまとめ

このテーマについては、以前の黙示録解読の内容を人間視点として復習しながら、霊界の住人の視点から見たコメントを付け加えて比較する形式を取りました。
まず冒頭で総論として、七つの教会は地域・文化・慣習の違いから表面的には別物に見えても、その根本にある価値観は共通していて、最終的には皆同じ価値観に辿り着くと述べています。
更に、今回の神の裁きでは欧州・米国・日本の動向が世界に大きな影響を及ぼすとしていますので、欧州にあるバチカンの拠点=エフェソの教会と、米国の拠点=ペルガモンの教会と、日本の拠点=ティアティラの教会の動向を特に注視しながら、黙示録の記述が現代に証しされる様子を確認することになります。

さて、前回の記事【[黙示録再解読]:ヨハネに黙示録を伝えた意味】にて、神と七つの霊とイエスについて述べている箇所があります。
そこでは「玉座の前におられる七つの霊」について、屠られたような小羊であるイエスが勝利を得た時に、神から渡された巻物にある七つの封印があって、その封印を施したのが七つの霊だと述べ、七つの霊が世界に六カ所ある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』拠点を築くために尽力したと述べました。
七つの霊と六カ所の拠点では数が合いませんが、その点について前回の記事では言及しませんでした。
以前の黙示録解読ではこの点を六カ所の拠点+αとしましたが、ここで改めて整理しておきましょう。
以前の黙示録解読や前回の再解読記事でも述べているように、『ヨハネの黙示録』とは、天と地を新しくした後に、聖なる都エルサレムを神と僕による共同統治をすることになっていて、出来るだけ多くの者をそこへ導く為に『人間(に宿る霊の)育成計画』として記されました。
しかし、天と地を新しくした後の地球上は、勝利を得た者でなくては存在することが出来ません。
そこで、より多くの者が勝利を得るための働きかけとして七つの段階を設定し、特定の条件を満たす毎に次の段階へとステップアップする仕組みを設けました。
それが今回の記事である「アジア州にある七つの教会」であり、即ち小羊イエスが神から渡された巻物にある七つの封印です。
七つの封印のうちの六つは、特定の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を開くことですが、これらは皆七つ目の封印であるラオディキアの教会を機能させる為の下準備であり、七つ目の封印を開いてラオディキアにある教会の天使をきちんと教会の天使として機能させることによって、他の六つの封印(六カ所の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』)を開いた目的がようやく報われることになります。
そして七つ目の封印を開くこととは、ラオディキアにある教会の天使である、ご覧の皆様を含めた全ての人間を、肉体に宿った状態でのままで、神と直接霊的エネルギーのやりとりが出来る程度に霊媒能力を覚醒させることです。
対象となるのが全ての人間ですので、七つ目の封印に該当する特定の拠点は存在せず、敢えて言えば地上全体が七カ所目の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』となります。
また、七つの霊とイエスの関係を述べると、七つの霊が七つの封印の開閉を管理する扉であり、イエスが扉の錠を開くための鍵となります。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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