2016年9月9日金曜日

[黙示録再解読]:ヨハネが垣間見た神の玉座

『銀の紐』掲載の黙示録関連記事を初めてご覧になる方は、先にこちらの記事をご覧下さい。

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■ ヨハネが天の開かれた門を通る

以前の黙示録解読の際には、四章と五章については殆ど言及しておりませんでしたが、この度は霊界の住人に詳しく解説して頂きましたので、黙示録の文面に沿って細かく見ていきましょう。

黙示録の第四章第一節に、その後(アジア州にある七つの教会の天使に宛てて手紙を出すよう、ヨハネがイエスの指示を受けた後)、ヨハネが見ていると、開かれた門が天にありました。
そこに、ラッパが響くような声があって、ヨハネに語りかけます。
「ここへ上ってこい。この後必ず起こることをあなたに示そう。」、とあります。

これはいわゆる幽体離脱と呼ばれる状態を表現していて、肉体から離れたヨハネの霊体が霊界を訪ねる様子を示しているそうです。
『銀の紐』でも度々『霊界と地上界を繋ぐ拠点』という用語を使用していますが、ここでヨハネは、霊界が地上の真上に広がっていて、霊界と地上界は明確な境界線で区切られていると理解したのでしょう。(※注)
ここで「開かれた門が天にある」のは、霊界と地上界を隔てる境界の門であり、肉体から離脱したヨハネはイエス・キリストの黙示を人々に伝える役目を帯びていたので、その目的の一環として霊界を訪ねる許可を得ました。
そこで霊界と地上界を隔てる境界の門はヨハネの前で開いたのですが、誰もがいつでもこの門を通れるわけではありません。
ヨハネも霊界で目的を遂げたら再び地上に戻って、自分がそこで見聞きした出来事を逐一記録に残さなくてはなりませんので、その目的を果たすまでヨハネは地上に留まることになります。

※注:
霊界の住人の補足によると、霊の世界と物質の世界は重なり合っているけれども、存在する次元が異なるという表現をしています。
霊の世界は上位次元で、物質の世界は下位次元であり、上位次元から下位次元に対しての干渉は可能ですが、下位次元から上位次元への干渉は出来ないので、物質である人間の肉体では霊を見たり触れあうことが出来ません。
但し、人間は霊と物質が結合した存在ですので、人間のままでも霊本来の能力を活性化できれば、ヨハネのように幽体離脱で霊界を訪ねたり、人間のままで様々な霊の存在を認識することも可能となります。
そして、イエスが派遣した天使を認識できるヨハネは霊能力者であり、ヨハネのように霊本来の能力が活性化した人間は、「神の働きかけは天から地上に向けて行われる」と認識していることになります。





■ 天の玉座の様子

黙示録の第四章第二節~三節には、ヨハネが天の門を抜けると、たちまち“霊”に満たされました。
天には玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方が居られました。
その方は碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いています、とあります。

天の門を抜けた先は霊界であるだけに、ヨハネは「たちまち霊に満たされ」ました。
天の霊界で一際目についたのが天の玉座でしたので、ヨハネは一番最初に注目しています。
玉座に座っている方はイエスにとっての主であり、ヨハネにとっての主である神です。
ヨハネはその方を「碧玉や赤めのうのようだ」と述べていますが、碧玉とは微細な石英の結晶が集まって出来た鉱物であり、石英に混ざり込んだ不純物の種類によって色合いや模様が変わります。
めのうも材質は似通っていますが、複数の色が層状に重なっています。
赤めのうですので、ヨハネが見た神は「赤みを帯びた層状の濃淡で覆われており、物体のように向こう側が透けていない状態」ということでしょうか。
玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていたので、緑系の濃淡を帯びた光を発していたと思われます。

黙示録の第四章第四節には、玉座の周りには二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていました、とあります。

次にヨハネが注目したのは、玉座の周りにある二十四の座でした。
二十四人の長老は、勝利を得た者が着る白い衣を着ていますので、彼らは人間としての経験を積んだことがあり、そこで勝利を得て神の御許へ引き上げられたのでしょう。
長老なのですから、イエスが人間として神の言葉を証しする以前に勝利を得て、イエスよりも遥かに昔から神の御許で活動していたようです。
金の冠とは、人々を神の御許に導く為に人々を束ねる者の印であり、黙示録の場合で言うと「神の言葉をイエス・キリストの名によってヨハネに伝えた」ので、長老達はイエスと同じ立場で諸国の人々と関わっていたことになります。

黙示録の第四章第五節には、玉座から稲妻や様々な音、そして雷が起こりました。
また、玉座の前に七つのともし火が燃えていたのですが、これが神の七つの霊です、とあります。

ここで発せられた様々な音とは、黙示録に綴られている物語の中で人間が経験する物事と密接な関わりがあって、それは必ず成就されるのですが、ヨハネは一足先にそれを知ったことになります。
もちろん、ここで成就される物事は七つの霊を通じて行われることであり、七つの霊とはイエスが神から受け取った巻物にある七つの封印を管理する霊なのですから、封印を開くことと関係があるのでしょう。

黙示録の第四章第六節~八節には、玉座の前が水晶に似たガラスの海のようになっていました。
その玉座の中央と周りに四つの生き物がいて、前と後ろの一面に目がありました。
第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようでした。
この四つの生き物には、それぞれに六つの翼があって、その周りにも内側にも一面に目がついていました、とあります。

以前の黙示録解読でも言及しましたが、玉座の前に広がっている「水晶に似たガラスの海」とは、神の玉座がある天の一角から見下ろした地球の姿を表しています。
玉座の辺りから見ると、視界のかなり広範囲に地上が広がっている表現(ガラスの海)ですので、現代ならISSから地上を見下ろした光景に近いのではないでしょうか。
また、四つの生き物とは、特定の目的を持つ四つの集団を象徴的に表していて、四つの生き物の特徴についてよく考えると、それぞれの集団が担っている役割が分かるようです。
四つの生き物に沢山の目がついているのは、その生き物で表される集団を構成する者たちの目であり、例えると、四つのテレビカメラで撮影した映像を、テレビ中継を通して多くの人が同時に見ている様子に近いようです。
四つの生き物の役割は異なるのですが、生き物たちは共通の目的を持っていて、集団毎に役割分担をしているようです。
四つの生き物についている六つの翼は、イエスが神から受け取った巻物の第一~第六の封印と対応していて、それぞれの封印が開く時に、予め生き物たちに与えられた役割を担うことになります。





■ 四つの生き物の感謝と二十四人の長老の礼拝


黙示録の第四章第八節~九節には、その生き物たちは、昼も夜も絶え間なく言い続けました。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」
玉座に座っておられて、代々限りなく生きて居られる方に、四つの生き物が栄光と誉れをたたえて感謝を捧げました、とあります。

四つの生き物に例えられる集団は皆、神の言葉が成就される様子を観察し、自らの経験に基づいて霊的真理の妙に感嘆し感心しており、なおかつ未知の領域が残されている深遠さをも自覚しているので、自然と神の栄光と誉れをたたえずにはいられないのでしょう。

黙示録の第四章第十節~十一節には、四つの生き物に続いて、二十四人の長老が玉座について居られる方の前にひれ伏して、代々限りなく生きて居られる方に礼拝して、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言いました。
「主よ、私たちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。
あなたは万物を作られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」、とあります。

ここで二十四人の長老が、玉座についておられる方=神にひれ伏し、冠を王座の前に投げ出したのには理由があります。
一つ目は、その冠は長老の目の前にいる神から与えられたものであり、人間が勝利を得る者となるために霊界から人間を導き束ねる役目を担っている証しとしての冠なので、神の前で冠は特定の役目を担っている者という以外に何の意味もないからです。
二つ目は、ここで長老達は冠を必要とする役目を終えることになったので、神に与えられた冠を返却することとなりました。
では、何故長老達が冠を返却することになったかというと、イエスが長老達の役目を引き継ぐことになったからなのですが、その辺りの経緯は黙示録の第十二章で断片的に言及しています。
赤い竜であるサタンが天から地上へ堕とされて、サタンが人間に対して干渉し始めたことによって、長老達から人間に対する働きかけが上手く機能しなくなってしまったため、長老達からイエスに役割のバトンタッチを行いました。
その辺りの事情は記事【『ヨハネの黙示録』では語られなかったこと】で取り上げています。
長老達が神の前で礼拝するのも、神の御許で神の言葉の成就に関わりながら観察し、神の御業と霊的真理の深遠さ、膨大さに感嘆し日々学びながら過ごしているので、自然と神を讃えずにはいられなくなってしまうのです。
日本人であれば、自然災害の被災地を慰問された天皇陛下にお言葉をかけられた被災者の心情に例えると、特にその様な機会に立ち会われた方は想像しやすいのではないでしょうか。





■ 神の巻物と七つの封印

黙示録の第五章第一節~第四節には、玉座に座って居られる方の右手に巻物がありました。
巻物の表にも裏に文字が書いてあり、七つの封印で封じられていました。
そこで一人の力強い天使が大声で告げました。
「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」
しかし天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて見ることの出来る者は誰もいませんでした。
この巻物を開いて見るのにふさわしい者が誰も見当たらなかったので、ヨハネは激しく泣いていました、とあります。

玉座について居られる方=神が右手に巻物を持っていましたが、この巻物に書かれている内容が黙示録の原典であり、神が物質界に働きかける際の細かい計画が記されているのでしょう。
巻物の表裏に文字が書いてあるので、表に出す計画(黙示録を通じて人間に明かす部分)と裏の計画(人間には明かされずに神と他の霊達のみでこっそり進める部分)に分けているようです。
更に巻物を七つの封印で封じてあるので、特定の条件を満たして封印を解かないと、この計画は実行されません。
そこで力強い天使は、神の巻物の封印を解いて開く適任者を探して呼びかけますが、その時はどこにも適任者がいません。
今まで、神の言葉を成就するために人間を導き束ねてきた長老達が、神に与えられた冠を外すことによってその役割を返上したため、神の巻物の計画に沿って人間に働きかける者がいなくなってしまったからです。
力強い天使も力尽くで巻物の封印を解いて開けないのですから、他に巻物の封印を解く条件があるのです。
そこでヨハネは泣いてしまうのですが、神の巻物の封印を解く者がいないことの意味を知っていたからでしょう。
いつ何処でそれを知ったかというと、ヨハネが人間として生まれる前に、神の巻物に何が書かれているかを予め知っていて、その巻物の封印を開くために特定の役割を担って生まれたのではないでしょうか。
イエスは神の言葉を証しする為に人間として生まれましたが、役割は違えどヨハネにも神の言葉を成就させる為に欠かせない役割がありました。
だからこそ、現代を生きる私たちは黙示録を目にすることが出来るのですから。
そんなヨハネの役割も、巻物の封印を開く者がいなくては無意味になってしまいます。





■ 長老達の後を継ぐ者

黙示録の第五章第五節~七節には、長老の一人がヨハネに言いました。
「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
そしてヨハネは、玉座と四つの生き物の間、長老達の間に、屠られたような小羊が立っているのを見ました。
小羊には七つの角と七つの目がありました。
この七つの目は、全地に使わされている神の七つの霊です。
小羊は進み出て、玉座に座って居られる方の右手から、巻物を受け取りました、とあります。

屠られた様な小羊とは、イエスが神の言葉を証しした為に処刑された事績を指しますが、「ユダ族から出た獅子」と「ダビデのひこばえ」とはどういうことでしょうか。
マタイによる福音書の冒頭に、イエスがアブラハムの子孫であり、イスラエル王国を統治したダビデ王の末裔であるとして、系図を記しています。
かつてダビデ王が統治した国は失われ、イスラエルの民による国家は大木を切り倒すように途絶えてしまって、辛うじて往年のダビデ王の事績が歴史という切り株の形で残るのみとなりました。
しかし後にダビデ王の末裔であるイエスが、「ユダヤ人の王」を名乗って宣教活動を行いますので、ダビデの切株に芽吹いたひこばえなのです。
実際に聖書の中には、イエスがダビデの家系から現れた救い主であることを示す記述があちこちに確認できます。
例えばエレミヤ書の第二十三章第五節~六節には、ダビデの為に新しい若枝を起こすとあり、その者は「主は我らの救い」と呼ばれるとあります。
そしてマタイによる福音書第二章第五節~六節にあるように、救い主がベツレヘムで誕生することが、ミカ書第五章で告げられていました。
ルカによる福音書第二章には、皇帝から住民登録をせよと勅令が出たとして、ヨセフがダビデの家系に属しているので、許嫁のマリアを伴って、住まいのあるガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへ向かった時に、マリアがイエスを出産したことが記されています。
とはいえ、イエスが古の預言者によって示された救い主ではないと見なしている人もいて、ユダヤ教徒は預言者が示した救い主は今だに現れていないという立場です。
イエスが「ユダ族から出た獅子」であるのは、ダビデ王の後に分裂したイスラエルの二王国のうち、民族の一体性を維持して聖書を次代に伝えたのはユダ王国の末裔だったので、度々律法について言及しているイエスはユダヤ教徒=ユダ族の末裔であり、「ユダ族から出た」者といえます。
聖書で獅子という言葉は、強い者や獰猛な者、人間に危害を加える者に対する表現として用いられていますので、「ユダ族から出た獅子」とは、聖書の神を信仰するユダヤ教徒でありながら、当時のユダヤ教の権威に挑戦する危険な存在として台頭した、正にユダ族にとっての獅子に相応しい存在だからでしょう。
イエスがユダ族に取って獅子なのは、ユダ族の信仰が聖書に記される神の言葉から遠く離れていたので、イエスは「原典である神の言葉に戻れ」と訴えただけなのですが、当時のファリサイ人や律法学者にとっては、自分たちの存在を危ぶませる脅威と映ったのです。
更にもうひとつ付け加えておきたいのは、サムエル記上第十六章第十三節で、サムエルによってダビデに油が注がれた日から、主の霊がダビデに降るようになったように、マタイによる福音書第三章第十六節で、イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、天がイエスに向かって開き、神の霊がイエスの元に下ってきました。
ダビデが主の霊と共にあったように、イエスは神の霊と共にあったので、神様と特別な繋がり(神様にとって特別な役割)を持つ人間という意味で、イエスはダビデの後継者に当たると言えるのです。
因みに、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天がイエスに向かって開きますが、これは記事の冒頭で僕ヨハネが通った天の門を指しています。

ちょっと長くなりましたが、引き続き小羊についての記述を見ていきましょう。
小羊には七つの角と七つの目がありますが、これは黙示録第十二章に登場する赤い竜である悪魔と対比した表現となっています。
七つの目は全地に遣わされている神の七つの霊とあり、これは神の玉座の前に燃えている七つの灯火を指します。
神の七つの霊は、神の右手にある巻物にある七つの封印の錠であり、『地上と霊界を繋ぐ拠点』を管理するものであることは既に述べましたので、その七つの霊が担う役割を屠られたような小羊の働きとして描いています。
小羊は勝利を得たことにより、神の玉座の前に進み出ることを許されました。
今までの黙示録関連記事でも繰り返し述べてきたように、勝利を得る者は皆神の御許に引き上げられることになりますので、その意味では小羊だけが特別な存在ではないと言うことを改めて強調しておきましょう。
そして神の御許にある巻物を受け取ったのですが、ここで小羊は巻物の封印を開いて、巻物に記された神の言葉を成就させる大任を委ねられたことになります。





■ 四つの生き物と長老達と天使たちの礼拝

黙示録の第五章第八節~十節には、小羊が神の右手から巻物を受け取った時、四つの生き物と二十四人の長老は、竪琴と香のいっぱい入った金の鉢を各々手に持って、小羊の前にひれ伏しました。
香とは聖なる者たちの祈りです。
そして彼らは新しい歌を歌いました。
「あなたは巻物を受け取り、その封印を開くのに相応しい方です。
あなたは屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らを私たちの神に仕える王、また司祭となさったからです。
彼らは地上を統治します。」、とあります。

四つの生き物と長老が小羊にひれ伏した時、手に持っていた竪琴と金の鉢とは何でしょうか。
黙示録で竪琴について述べているのはこちらです。
第五章第八節、第十四章第二節、第十五章第二節、第十八章第二十二節の四カ所となります。
そのうちの第十四章と第十五章については、以前の黙示録解読で解説しました。
竪琴とは神の竪琴であり、竪琴の音を鳴らすようにして大水や雷などの自然現象をコントロールするのです。
また、黙示録で金の鉢について述べているのはこちらです。
第五章第八節、第十五章第七節、第十六章第一節~四節、八節、十節、十二節、十七節、第十七章第一節、第二十一章第九節の十二カ所となります。
そのうちの第十五章第七節では、四つの生き物の一つが「神の怒り」が盛られた七つの金の鉢を、七人の天使に渡します。
そして第十六章、第十七章で七人の天使は『神の裁き』として、次々と鉢の中身を地上に注ぎます。
この様に、金の鉢は四つの生き物と長老が地上に働きかける道具であり、七人の天使は四つの生き物の名代として、地上に『神の裁き』を下します。
しかし第五章第八節では金の鉢に香が一杯入っており、香とは聖なる者たちの祈りなので、『神の裁き』の時期を除くと、四つの生き物や長老は地上に向けて祈りの働きかけを行っていることになります。
ところで、彼らが歌う新しい歌は何を歌っているのでしょうか。
「小羊であるイエスは神の巻物を受け取って、七つの封印を開くのに相応しい方です。
何故相応しいかというと、あなたは神の言葉を証しした為に屠られて、死後に神の御許に引き上げられたことにより、人が神の御許へ至る筋道を示しました。
また、人でありながら神の御許へ引き上げられたことにより、イエスは地上の様々な種族・言葉の違う民・あらゆる民族と国民にとって特別な役割を担う資格を得ました。
(今までは長老や四つの生き物が分担して担っていた)神と諸国の民の間を仲立ちする役割を、小羊であるイエスが一手に引き受けることになったのです。
(それ故に長老と四つの獣は小羊の前にひれ伏して、今後は小羊の指示を受けて活動することになったので、)小羊であるイエスは、地上の人々が神の御許に引き上げられる道を辿れるように導き束ねる者となりました。」
因みに、「彼らを私たちの神に仕える王、また司祭となさったからです」の彼らとは、『アジア州にある七つの教会の天使』であり、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の覡役の者であり、小羊は霊界から、七つの教会の天使は地上から、神と諸国の人々の間を仲立ちする者となります。
それが地上を統治することの意味です。





■ 天使たちと天と地と地の下と海にいるあらゆる者たちの声

黙示録の第五章第十一節~十四節には、ヨハネが玉座と生き物と長老たちの周りに、多くの天使の声を聞きました。
天使たちの数は数万の数万倍、千の数千倍でした。
天使たちは大声でこの様に言いました。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるに相応しい方です。」
またヨハネは、天と地と地の下と海にいる全ての被造物と、そこにいるあらゆる者がこういうのを聞きました。
「玉座に座って居られる方と小羊に、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、代々限りなくありますように。」
四つの生き物は「アーメン。」と言い、長老達はひれ伏して礼拝しました、とあります。

今まで四つの生き物や長老達がとりまとめていた、人間に対する働きかけ(その象徴として冠をかぶっていた)は、多くの天使たちの協力によって成り立っていました。
そして四つの生き物と長老達が取りまとめの座を小羊に譲り、自らひれ伏して小羊の指揮下で活動する意志を示した様子を見て、天使たちもそれに賛同し、自分たちの活動を取りまとめる新たなリーダーの登場を歓迎しました。
天使たちは、今までの自分たちのリーダーにさえ為し得なかった、神の巻物の封印を開く資格を得た者の登場に喜び、勇み、神の言葉を成就させる新たな段階に入ったことを確認して、心がけを新たにしました。
ここで玉座の周りにいる天使たちばかりでなく、天と地と地の下と海にいる全ての被造物と、そこにいるあらゆる者が神と小羊を賞賛します。
被造物とは物質であり、天の被造物とは天上(目安として地球の重力圏内)に浮遊している物質、地の被造物とは地上にある生物・非生物を含む全ての物質、地の下にある被造物とは地下にある生物・非生物を含む全ての物質、海にいる被造物とは海上と海中にある生物・非生物を含む全ての物質を指します。
そこにいるあらゆる者とは、地球自体の環境や物理法則などを成り立たせるために、地上や地下や海で活動している霊的な存在や、人間以外の様々な生物の活動や成長に働きかける霊的な存在などを指します。
地球は人間にとってのみの学び舎ではなく、人間を含むあらゆる生物に宿る霊にとっての学び舎であり、また地球自体もその内に霊を宿す存在であり、成長に伴って地上の環境が変化を余儀なくされるようですので、そういったあらゆる活動に携わる霊的な存在も、小羊が神の巻物を受け取ったことにより、神の言葉を成就させる活動が新たな段階に入ったことを賞賛し、神と小羊を讃えました。
黙示録は主に人間に対する神の働きかけの計画書ですが、人間が地上から地下に、海に、天にと活動範囲を広げることにより、それらの各地で活動するあらゆる者たちにも様々な影響が及びますので、人間と無関係とは言えないのです。
ここで改めて四つの生き物が「アーメン(そのとおり!)。」と言い、長老達がひれ伏して礼拝することによって、天では神と小羊を中心として、あらゆる事柄を推し進めてゆく方針を確認しました。





■ 小羊が神の巻物を受け取るまでのまとめ

今回取り上げた黙示録の第四章~五章の内容は、以前の黙示録解読では殆ど取り上げていませんので、少々長くなりましたが霊界の住人のコメントを参考に解説しました。
この中で重要なのは「小羊が神の巻物の封印を開く資格を得たので、これからは神の言葉を成就させる活動を小羊が取りまとめてゆく」と言うことです。
実は、この辺りの一連の内容と、小羊であるイエスが取りまとめる『バチカンの拠点』が管轄する欧州地域の歴史に符合する部分があるのですが、ご覧の皆様は気がつきましたでしょうか。
以前、黙示録解読の関連として投稿した記事【『ヨハネの黙示録』では語られなかったこと】では、ギリシャ神話の神々を二十四人の長老として描いている可能性に言及しましたが、今回改めて黙示録を読み進めてゆくと、ギリシャ神話の神々に限らず、北欧神話やケルト神話など、古の神話に記されている神々についても同じことが言えるようです。
民族毎に異なる神への信仰があったのですが、それらの神々が黙示録では長老として描かれています。
かつてはそれでも機能していたのですが、赤い竜が反乱を起こした為に天から追放されて地上に逃げてくると、今後は赤い竜自身を人間にとっての神と位置づけて、全ての人間が赤い竜を唯一の神として崇め奉るように干渉します。
その過程で、黙示録の長老達と地上の各民族との関係が分断されて、もはや長老達では神の御許に引き上げる為に人々を束ねることができなくなってしまいました。
このままでは、神の言葉を成就させる活動が滞ってしまいます。
そこで長老の一人が一計を案じて、長老達の代わりに人間と神の間を取り持って、人々を神の御許に引き上げる為に束ねる者を新しく立てます。
それが小羊であるイエスで、イエスが人として神の言葉を証しする活動をした結果、神の御許に引き上げられました。
赤い竜によって一旦は分断されかかった神と人との繋がりを、イエスが間を取り持つことによって繋ぎ直したのです。
現在はキリスト教会が継続的に赤い竜の干渉を受け続けていて、残念ながら聖書に記された神の言葉やイエスの教えから離れてしまった側面もあります。
それでもキリスト教会はイエスにとって重要な存在である事に変わりありませんので、この度の『神の裁き』を通じて、今まで教会に蔓延ってきた穢れを一掃して、神の言葉を成就させる為にキリスト教会が担う役割を果たせる様に環境を整えるのだと考えております。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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