2016年9月30日金曜日

[黙示録再解読]:小羊が神の巻物の封印を開く

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■ 小羊が巻物の第一の封印を開く

このテーマについては、以前の黙示録解読の際に一通り解説していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と、神の視点から見た今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。

黙示録の第六章第一節~二節で、小羊が神の巻物の第一の封印を開きます。
すると白い馬が現れて、それに乗っている者が弓を持っていました。
彼は既に勝利を得ており、冠を与えられているので、イエスと同じ立場で、地上の諸国民を神の玉座の御許へ導く為に、神と人々の間に立って人々を束ねていた者だと言うことが分かります。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第一の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐ日本の拠点」を指すと解釈しています。
霊界の住人の情報として、霊界と地上界を繋ぐ拠点は世界に六カ所あり、それぞれが黙示録にある神の巻物の第一~第六の封印に当て嵌まると推定していますが、第一の封印である日本の拠点は、人類が地上に誕生する際に六カ所の拠点が作られた後、現在までずっと開いたままの状態にある唯一の拠点です。
しかし、第一の封印が開いた時期と推定される明治維新の頃までは、日本の拠点は開いていても能力が抑制された状態に置かれていました。
その、日本の拠点の能力を発揮できるようにしたのが、巻物の第一の封印を解いて開いた時期であり、既に開いていた拠点の能力を拡充したので、勝利の上に勝利を重ねようとしたと言うのが、第一の解釈となります。
第二の解釈として、かつてイエスが神の言葉を証ししたことによって勝利を得たように、既に拠点を開いていた日本が新たに神の言葉を証しする為の機会としたとして、国内向けには『教育勅語』が、海外向けにはパリ講和会議における日本の『人種差別撤廃提案』が根拠として挙げられるというのが、第二の解釈となります。

以上の、人間視点から見た巻物の第一の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、悪魔の傲りが人間を増長させたことにより、返って巻物の封印が開かれて神の言葉が成就するという、皮肉な結果を招きます。
第一の封印が開く時に、人間に第一の試練が訪れます。
第一の封印を開くと、最初に四つの生き物の一つが、雷のような声で「出てこい」と言いますが、雷のような声とは、第一の封印がある日本を世界の表舞台へ引きずり出して、争いに巻き込むことを意味します。
雷は弾薬が発する爆音を表します。
また、この時から『神の裁き』が繰り返されることになるので、人類が滅亡する時期の『最後の審判』に向けた一連の裁きが始まる合図であり、雷という表現によって人間がこれから経験することになる様々な試練を表しています。
今までの日本は、神の手によって用意された揺りかごの中で生きる時を過ごしてきましたが、この時点から日本は、神とともに暮らし、身近に神と接する中から教わり育んできた知恵を、他国との関わり合いの中で実践し、その有効性を証明する役割を担っていました。
この時の日本は、周囲に味方が居らず、悪魔に籠絡された勢力に取り囲まれるという、とても困難な状態に置かれます。

曰く、「勝利の上に勝利を重ねる」とは、神が守り育ててきた価値観を宿す日本が、悪魔の価値観が蔓延る国々に囲まれながらも我を見失わずに、神から伝えられた知恵を絶やすことなく子々孫々に至るまで守り伝えて、繁栄し続けられることを証明してみせるところにあります。
神との間に築かれた強固な絆は、幾度もの苦難に見舞われようと失われることなく、次世代へ受け継がれることを体現してみせる国が日本です。
その役割を象徴する存在が天皇です。
日本を今のままに守りたければ、日本は何があっても天皇を守り、神と人との絆が断たれることを阻止しなくてはなりません。
周辺国の価値観に惑わされることなく、日本にとって一番大切なものを守り抜く覚悟が必要となります。
この重要性が周辺国に理解されることはまずないでしょう。
それは日本においてのみ実現されていることだからであり、過去から現在に至るまでその状況は何一つ変わっていません。
それを理解できない相手から無理に理解を得ようと思ってはいけません。
周辺国には無い価値観に理解を求めるのは酷な話なのですから、自分たちの価値観が世界の中で独特であることを自覚し、その中で自分たちの身を守り抜く覚悟を決めた方が良いでしょう。
日本は「神との繋がり」という意味において、他国とは異なる環境に置かれてきたのですから、周辺国に理解されないのは当たり前だと改めて認識し、理解されないことを前提にして国を守らなくてはなりません。
今は、理解できるだけの経験を積んでいない相手に理解を求め続けて、他国に対する価値観の押しつけになってはいけません。
個人的に日本に愛着を持ち、日本の伝統文化に慣れ親しんでそれを守りたいと願う外国人は存在しますが、外国人全体から見れば極僅かです。
また、日本の伝統文化に親しむ外国人でも、天皇を一国の王という位置づけでしか捉えておらず、神と人の間を繋ぐ接点としての役割と存在の重要性は到底理解できないでしょう。
殆どの外国人は他国に興味が無く、自分の生活を支えることに手一杯です。
当の日本人にしても、天皇の役割の重要性を理解している人の割合は少ないのですが、細かい理屈は分からなくとも、多くの者が天皇という存在を大切に思っています。
日本の独特な価値観や天皇について理解ある外国人を増やす努力は、長期的に見れば有意義なことではありますが、今それ程悠長に構えていては、事が成就する前に日本が消滅してしまう可能性も考えながら、その時に合わせて適切な方法を採らなくてはなりません。
今の日本国民に求められるのは、日本の独特な価値観や天皇の重要性などについて、周辺国に暮らす人々が理解できるようになる時まで、日本という国を守って存続させることなのです。
名前だけ「日本国」が生きながらえても、中身が従来の日本とは別物に変化しては存在意義を失いますので、そこの判断を誤らないように気をつけなくてはなりません。
神々と人々の絆を固く結び、神と人が身近にある日常生活を守り存続させることが重要です。
もしも神と人の絆が絶えてしまったら、その時点で日本の存在する価値が失われて、国も失われて存在そのものが忘れ去られて、神と人との絆を結ぶことに意義を見いだせなくなって、どうでもいい無価値な存在に成り下がるでしょう。
日本を守り抜くには、まず日本国民が日本という国を良く理解し、日本が存続することの重要性をしっかり認識するところから始めなくてはなりません。
日本国民は、何故日本には天皇がいるのか、天皇がどの様な役割を担っているのかを知り、天皇に対する理解を深めなくてはなりません。
現状では天皇に対する認識が曖昧であり、天皇の重要性を実態よりも軽く捉える傾向にあります。
天皇はただの象徴では無く、日本を日本たらしめる中心となる存在です。
そこを理解した上で、周辺国にどの様に対処する必要があるのかを考えるので無ければ、現在の様に混迷した時期が続くことになるでしょう。
周辺国に付け入られたり侮られないように、賢く立ち回る必要はありますが、和を乱す行為への恐れから神経質になりすぎて黙ったり遠慮していては、日本を守り抜くことはできません。
周辺国の甘言に惑わされず、神と人との絆が結ばれた日常を守り抜くことにより、「勝利の上に勝利を重ねる」結果に繋がるでしょう。
(第二の封印を開いた)現時点では、まだ決着がついていません。





■ 小羊が巻物の第二の封印を開く

黙示録の第六章第三節~四節で、小羊が巻物の第二の封印を開くと、火のように赤い別の馬が現れました。
その馬に乗っている者は、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられます。
そしてその者には大きな剣が与えられます。
既に以前の黙示録解読関連の記事で述べているように、神の巻物の第二の封印とは『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』であり、『銀の紐』掲載記事【『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が完全開放されました】にて、第二の封印であるバチカンの拠点が開いたことをお知らせしました。
赤い馬に乗っている者が、地上から平和を奪い取る力を与えられるとあるように、巻物の第一の封印を開いて、白い馬に乗っている者が勝利の上に勝利を重ねるために出て行った事により、一度目の神の裁きを終えてから二度目の神の裁きが始まるまでの期間は、それ以前と比べてより多くの人が平和と繁栄を謳歌した時期と言えるでしょう。
しかし、その繁栄の果実を味わったのは一部の地域に住む人々に過ぎず、平和と繁栄の時代にあっても紛争や貧困と隣り合わせで、常に身の危険を感じながら過ごしてきた人もいました。
白い馬に乗っている者の働きかけが思う様に運んでいないので、全ての人々が分け合えるほどの繁栄の果実が適切に分配されずに、一部の人々によって独占されているので、場所によって平和と繁栄の不均衡が生じてしまいました。
また、元々は白い馬に乗っている者が人間に働きかけた結果であり、平和と繁栄の果実を生み出す元となった価値観である、人権意識や人道主義といった価値観も、繁栄の果実を独占する者が本来の意味合いを歪めて、自らの不正行為を隠蔽して公正を装う隠れ蓑に変えてしまいました。
第一の封印を開いたことにより、せっかく参考となる理想像が示されたのですが、その意味を歪めて悪用する人が多くを占めるので、今度は悪用する人々が飾る小綺麗な仮面を剥ぎ取って、その裏に隠された醜い本質を直視する中から、反面教師としての学びを得るための働きかけとなります。
ですから、第二の封印を開くことにより、見た目を綺麗に装うために吐いて来た嘘を暴いて、その奥に隠していた本性を互いに誹謗して争うことになるでしょう。
既にその兆候は現れていますが、現代を生きる私たちに求められるのは、そんな不安定な状態を招いたのは自身の不徳の致すところであると直視した上で、目の前にある問題を解決するために全力を尽くすことです。

以上の、人間視点から見た巻物の第二の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、第二の封印を開く時に、バチカンの拠点が開きます。
これは今実際に起きていることです。
バチカンの拠点が管轄する地域(=欧州)の人々が、悪魔の価値観に酔い痴れて行ってきた非道の数々が争いを招いて、自分の身を滅ぼすことになるでしょう。
自分たちのこれまでの行いがどれほど身勝手なものだったのか、その身に降りかかる災いを通じて自覚しなくてはなりません。
どれ程多くの命を虫けら同様に扱って、踏みにじってきたのかを自分の身をもって体験するのです。
彼らには何処にも逃げ場はありません。
逃れることは許されません。
それは自分たちが今まで他の者に与え続けてきたものに他なりません。
そのことを自覚して態度を改めなさい。
今までの行いを全て精算し尽くすまで、終わりの無い苦痛が続くでしょう。





■ 小羊が巻物の第三の封印を開く

黙示録第六章第五節~六節で、小羊が巻物の第三の封印を開くと、黒い馬が現れました。
その馬に乗っている者は、手に秤を持っています。
そして小麦や大麦の価値を定め、オリーブ油とぶどう酒が無くならないように注意を呼びかけています。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第三の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐ米国の拠点」を指すと解釈しています。
黒い馬に乗っている者が、手に秤を持っているのは何故でしょうか。
第二の封印が開いたことにより、表面を綺麗に飾っていた者の醜い本性が露呈し、お互いに相手の嘘を咎めて争うため、国家間や国内での対立が激しくなり、国際紛争や内戦が各地で勃発します。
行き過ぎたグローバリズムの揺り戻しとして、価値観が異なる者同士の対立と紛争が始まり、新たな境界線を引き直した上でお互いに一定の距離を置くことにより、一応の収束を迎えることになるでしょう。
紛争の結果多くの血が流れ、国土が荒廃して食料生産が滞り、各地で食糧不足となるでしょう。
ですから、黒い馬に乗った者が手に秤を持ち、食料の重さを厳密に量っているのです。
ここで人間は、かつては豊富に収穫されていたのに、生活に必要な分量の食糧をより多くの人々に対して適切に分配できなかった経験を踏まえて、食糧生産が減少する時代をどの様に生き抜くかが問われてきます。
しかも、限られた食糧を分け合う相手が、かつて互いに血を流して争った者同士です。
その結果として一応和解すると予想しますが、その様な相手と、只でさえ貴重な食糧を分け合わなくては、お互いの命を長らえることが適いません。
もし限りある食糧を分け合えなければ、今日を生きるために更に多くの血が流れ、更に多くの土地が荒廃することになり、元々限りある食糧が更に目減りする結果となるでしょう。

以上の、人間視点から見た巻物の第三の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、黒い馬に乗った者が持つ秤は公正の証となります。
世界にあるものは、行いに応じて公正に分配されなくてはなりません。
これまで不当に多くを独占してきた者は、その非道な振る舞いのために厳正な処遇を受けることになります。
これは霊界と繋がる北米にある拠点が管轄する地域(=北米・南米・豪州)での出来事となります。
これまで我が世の春を謳歌してきた拝金主義者の末路です。
食糧が乏しくなり、金が幾らあっても買えないようになって行きます。
金は万能ではありません。
金は適切に使用すると本来の価値を発揮しますが、不適切な用い方をすると、自分に牙を剥く厄介な存在であることを思い知るでしょう。
金そのものに意志はありませんが、金を用いる人間の意志でどのようにでも変化します。
金に溺れ、金に支配された者の末路です。
全てを支配したつもりでも、実は支配されていたことを思い知ることになるでしょう。
自分たちが神では無いという現実を目の当たりにします。
自分の愚かさを潔く認めなさい。
これが本格化するのはもう少し未来の話ですが、その兆候は現在においても見られるようになるでしょう。





■ 小羊が巻物の第四の封印を開く

黙示録の第六章第七節~八節で、小羊は巻物の第四の封印を開きます。
すると青い馬が現れました。
その馬に乗っている者は「死」といって、この者には陰府(=地獄)が従っていました。
彼らは地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死によって、それから地上の野獣によって人を滅ぼす権威が与えられました。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第四の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐチベットの拠点」を指すと解釈しています。
青い馬に乗っている者は「死」といって、この者に陰府が従っているのですから、この者はチベットを中心とした地上の四分の一の地域で、剣がもたらす戦争や飢饉による死をもたらし、また地上の野獣を使役して人を滅ぼす権威を持っています。
地上の野獣とは、欧州にあって赤い竜を模した第一の獣や、米大陸にあって小羊を模した第二の獣と同じように、地上で悪魔の代理人として活動する獣が新たに登場するのでしょう。
小羊が巻物の第三の封印を開いた時に、人々は荒廃した大地で食糧生産が減少する中、如何にして限りある食糧を適切に分け合うかが問われましたが、少なくともチベットを中心とする地域では食糧を上手に分配できなかったようです。
だからこそ僅かな食糧の独占を目論む者たちが剣を手に紛争を繰り返し、紛争の連鎖が更に土壌の荒廃を加速して食糧生産を滞らせて、飢饉の発生を促進します。
人々がそのような愚かな行動を選択するように、悪魔の代理人である野獣が民意を誘導する役割を果たすので、人々は後戻りのできない泥沼の深みへ足を取られて沈んでゆくのです。
こうして人々がお互いを潰しあって自滅への道を歩むことにより、多くの人が死と陰府に絡め取られてしまいます。
その中でも、自らの愚かさを直視して行いを改める僅かな者のみが、この厳しい時代を乗り越えるチャンスを手にするのではないでしょうか。

以上の、人間視点から見た巻物の第四の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第四の封印が開くときに、チベットの拠点が開きます。
これはチベットの拠点が管轄する地域(日本を除くアジア全域)で起こる出来事です。
ここにいる生物たちは、自らの生存をかけて争い、奪い合います。
物質界の本質が剥き出しになって、人間を襲うでしょう。
この地域に暮らす人に必要な学びは、物質界の本質を肌で感じ取り、見極めることです。
人間の行動次第で、多くの恩恵や安心を得ることも可能ですが、誤った判断に基づいて怠惰な生活を送り続けると、世界そのものが人間に対して牙を剥くことになります。
常に思慮深く、賢くあるように努めなくてはなりません。
それが出来なければ、人々の住む土地は枯れて全てを失うことになるでしょう。
チベットの拠点が開くまでにはまだ多くの時間がかかりますが、それまでの間に学べることが沢山あります。
その時が訪れるまでの長い間に、一体人間たちがどの様な学びを得られるのか、神様は具に観察しているのです。
その時までに必要な学びを得られなかった者には容赦なく死が訪れて、申し開きをする機会も許されないでしょう。





■ 小羊が巻物の第五の封印を開く

黙示録の第六章第九節~十一節で、小羊は第五の封印を開きます。
すると、神の言葉と自分たちが立てた証しの為に殺された人々の魂を、ヨハネが玉座の前にある祭壇の下で見ます。
彼らは主に対して「いつまで地上に住む者への裁きを行わないで、私たちの血を流した復讐をしないのですか」と訴えます。
そこで彼らに白い衣が与えられて、かつて彼らが殺されたのと同じように、今地上で殺されようとしている仲間の僕達の数が満ちるまで、しばらく待つように告げられます。
ここで地上の様子は語られていませんが、巻物の第四の封印を開いた時には地域を限定して起こった混乱が、さらに地域を拡大して継続しているようです。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第五の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐエルサレムの拠点」を指すと解釈していますので、少なくともエルサレムを中心とした一帯が、極めて深刻な状態に置かれているのでしょう。
その厳しい環境下で、かつてのイエスに見習って、神の言葉と自分たちが立てた証しの為に「異端の者」として殺された者が、数多く存在しました。
しかし、地上で「異端の者」として処刑された者たちは、神の御許に引き上げられて白い衣を与えられました。
彼らは主に対して「神の僕としての務めに殉じた私たちを殺めた者たちへ、いつになったら神の裁きを下すのですか」と急かしますが、主は逆に「あなたたちと同じように、神の僕としての務めを果たした為に殺されてしまう人の数が満ちるまで、しばらく待つように」と諭します。
地上では「神の僕としての務めを果たす」という世迷言を言いふらす厄介者を粛清したつもりですが、実はそうして粛清された者が死後に白い衣を与えられたのです。
そうして白い衣を得られる者がまだ地上に残っているので、主は白い衣を与えられた者が一定の数に達するまで待つように促しました。
いましばらくの間、地上の混乱は止まるところを知りません。

以上の、人間視点から見た巻物の第五の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第五の封印が開く時に、エルサレムの拠点が開きます。
ここには既に、イエスと同じように自分の身をもって証しとなり、神の言葉を成就するために努めた者が大勢います。
ここに辿り着くまでにそれだけ多くの時間が必要とされて、その間に多くの者が神の御許に辿り着いたことの証です。
神の知恵を地上から完全に拭い去ることは出来ません。
どんな迫害を受けても、知る者達を知らない者達が欺くことは出来ないのです。
既に神の言葉の証を終えた者達にとっては、物質界において十分に神の言葉が証しされたと考えたようです。
そこで神に対して「地に住む者に私たちの血の復讐はなさらないのですか」と問いかけています。
彼らから見ると、それだけ多くの時間が費やされてきました。
ちなみに「血の復讐」という表現は適切ではありません。
悪魔に与する者達に復讐するのが目的ではなくて、神の知恵が正しく機能し、それを犯すことは誰にもできないことを証明するのが目的なのです。
この時点ではまだ証しを立てる者が残されているので、天にいる証しを終えた者達の願いは聞き届けられません。
まだ十分に時が満ちておらず、悪魔が言い逃れできる猶予を与えてしまうことになるので、完全に外堀を固めてからすべてに決着がつけられることを示しています。
なお、この拠点に対応した詳しい状況説明は、旧約聖書を参照した方がよいでしょう。





■ 小羊が巻物の第六の封印を開く

黙示録の第六章第十二節~十七節で、小羊が巻物の第六の封印を開きます。
すると大地震が起きて、太陽が“毛の荒い布地のように”暗くなって、月は血の色に染まります。
次に「イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされる」様に、天の星が地に落ちてきます。
天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も元の場所から移ってしまう程の天変地異が襲いかかります。
そんな天変地異を目の前にして、地上の王から奴隷までのあらゆる立場の人々が、洞穴や山の岩間に隠れます。
彼らは山と岩に向かって、「主と小羊の怒りから私たちを守ってくれ」と乞い願いますが、主と小羊の怒りの大いなる日が来たのですから、誰がそれに耐えられるのでしょうか。
既に黙示録解読関連の記事で度々述べているように、巻物の第六の封印とは、「霊界と地上界を繋ぐスーダンの拠点」を指すと解釈していますので、これらの天変地異はスーダンを中心としたアフリカ大陸を襲うことになるのでしょう。
しかし、その影響がどの程度の広範囲に及ぶのか、もしくは地球全土を覆ってしまうのかは、現時点では読み解けません。
太陽と月の描写について、これが大規模な大気汚染を指しているのでしたら、全地球的な何らかの影響は避けられないでしょう。
それは天の星が落ちる描写についても、山や島の位置すら変わってしまう地殻変動についても同じことが言えます。
そんな大規模自然災害に直面して、人は王も奴隷も無力な存在にすぎず、自らの誤った行いを悔い改めるのではなくて、洞窟や山の岩間に隠れて、目の前の天変地異をやり過ごすくらいしか思いつきませんでした。

以上の、人間視点から見た巻物の第六の封印を開いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。

曰く、巻物の第六の封印を開く時に、アフリカにある拠点が開きます。
すると大地が大きく揺さぶられて、太陽の光が届かない程に大気が異物に厚く覆われて、月が血に見えるほど赤い光が反射しています。
そして隕石の落下に伴う災害に遭います。
「山も島も、皆その場所から移された」とあるように、隕石の落下地点を中心とした広範囲で大地が消失してしまいます。
太陽の光も届かぬほどの影響があることを考えれば、当然地上から空は見えなくなり、天が消え去ったように見えるでしょう。
被害に遭った土地に暮らす者は、どの様な立場にある者も皆、災害から逃れるために安全な場所を求めて避難しますが、いざという時の備えを怠っていたために逃げ場がありません。
たとえ準備を整えていたとしても、人間の知恵が通用しないほどの惨状を目の当たりにして、恐れおののくことになります。
この土地に暮らす者が学ばなければならないのは、誰でも当たり前のように受けてきた自然からの恩恵は、予め神が用意していたことをしっかり認識しなくてはなりません。
それは誰か特定の者の為ではなく、全ての者の為に存在していたことを理解しなくてはなりません。
その事を自覚するための災害といえるでしょう。
つまり、今までは特定の者のみが神の恵みを独占して、徒に浪費を繰り返してきたことになります。
その為に、それ以外の者達が神の恩恵に与ることが難しい社会を、人間が自ら作り上げてしまいました。
神の価値観を大切に守って暮らしていれば、必ず必要な物は揃うようになっているのですが、悪魔の価値観に染められた者にはそのことが理解できません。
だからこそあらゆる物を独占して、手元にある物を手放したがらないのです。
神は独占している者達の手から全てを奪い取り、本来ある姿へと戻すために行動することになります。
この地において、悪魔の価値観に染まった人間が身勝手に振る舞える時間が終わり、神と小羊による統治へ向けた働きかけが始まったのです。





■ 小羊が巻物の第一~第六の封印を開くまでのまとめ

今回の記事はご覧のように、小羊が巻物の第一~第六の封印を開いてゆく所を見てきましたが、以前の黙示録解読の際にもある程度の説明を尽くしていましたので、神の視点からみた追記の説明の中には、以前の解読の内容と重なる部分も見られました。
その中でも特に強調しておきたいのは、日本の拠点について述べた第一の封印の項で、日本が抱える問題と解決に向けたヒント、そのような状態に至った背景など、『銀の紐』掲載中の関連記事よりも更に踏み込んだ内容に言及しています。
毎年年初の展望記事や、『神の一手』関連記事から『収穫の時が来た』へ至る直近の国内情勢の変化を、黙示録ではどの辺の内容と関わりがあるかを推測しながら追いかけてゆくと、人間の視点から見た日々の出来事と、神の視点から見た黙示録の関連性が見えてきます。
その様にして、少しでも黙示録に示された神の言葉の意味合いを読み取ることによって、日常生活の中で神の知恵を生かし、神の計画をうまく活用できるように振る舞うことも可能となるでしょう。

今回の記事では、第六の封印を開くところについては冒頭部分の解説に留めましたので、続きは次回への持ち越しとなります。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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2 件のコメント:

  1. 第二(バチカン)の封印が解かれたと言われる2012年頃より確かに欧州社会の流れが大きく変わってきているように見えます。そこでちょっと疑問に思ったのですが、今の欧州を作ったのは過去に生きた人たちで現代の欧州人ではないのですがどうして今生きる人あるいは将来生まれる人に裁きが与えられるのでしょうか。確かに裁かれるべき悪習を悪習と認識し改めようとしない現代の人たちにも罪はあると思うのですがそれとこれとは別問題と思うのですが。あるいは裁きの時期に合わせて上手く転生してくるのでしょうか。

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    1. 匿名様

      今の欧州を作ったのは過去の人ですが、その過去の人が築き上げた社会秩序を維持しているのは、現代の欧州で暮らす人々です。
      過去の人が作った欧州の社会秩序に誤りがあれば、随時誤りを修正することも出来るのですが、過去に作られた欧州の社会秩序を現在も維持しているのでしたら、それを作り上げた過去の人も、それを維持している現代の人も、共に「その社会秩序は正しい」と判断していることになります。
      ですから、過去の人が作った欧州を現代も維持しているのでしたら、過去の人も現代の人もその社会秩序について同等に責任を負う立場にあります。

      そして、現代の欧州の社会秩序が、人間に宿る霊を神の境涯へ引き上げる弊害になると神様が判断した時に、「神の裁き」と呼ばれる働きかけを通じて、既存の社会秩序に変化をもたらします。
      既存の社会秩序が成り立たない状態へと変化すれば、人は新たな状態に適応した秩序を築くために試行錯誤を開始しますので、その試行錯誤の経験が人を神の境涯へと導く糧となります。
      「神の裁き」という表現が懲罰的な響きを帯びていますが、実態は「人間に宿る霊が神の境涯へ引き上げられる様に環境変化を起こす働きかけ」であり、激動期である「神の裁き」の時代を経験することによって、他の時代よりも多くの経験値を積み重ねて、その分だけ神の境涯へ近づくのだと理解しています。

      また、過去に様々な霊媒が書いた複数の書物で、人間に宿る霊は予め生まれる時代と場所と親を決めてから生まれてくると述べていますし、『銀の紐』掲載記事【転生を繰り返しながら共に過ごす霊達[小ネタ]】でも、人間として近しい関係にある相手とは、予め人間として共に過ごす契約を結んでから生まれてくると述べています。

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