お待たせ致しました。
今回は、記事
【恐山とは、人の生き様に関心がある霊の集う場所】の続編としまして、引き続き『恐山に集う霊』との対話の模様をご紹介したいと思います。
■ 『恐山に集う霊』との対話(その2)
管理人:
今回話を聞かせて頂いているのは、恐山に集う霊の方とのことですが、本堂(本尊安置地蔵殿)に居られる方ですか?
霊媒M:
巡っていると言っているので、一番成熟している方ではないでしょうか。
自由に中を移動できるようですので。
管理人:
では、あの敷地内の状況について、一通り把握していると言うことでしょうか。
恐山に集う霊:
それに、ああいった施設なので、色々とお世話をする方がいるので、そういう方々の霊的な部分の管理などをしています。
管理人:
あぁ、出入りする人がとんでもない罰当たりな事をしないように?
恐山に集う霊:
というよりは、どちらかと言えば、今日も掃除をしている方がいたけれども、ああいう人達がいるおかげで維持されているので、事故などが起きないように守っている。
管理人:
ああ、突発的なことが起きないように、恙なく作業が行えるように。
恐山に集う霊:
そして、あそこには沢山の霊がいるのだけど、ああいう場所で不実な行いをしたら、自分で自分の身に引き寄せる。
しかも、他の一般の場所にいるよりも大きな影響がある。
多くの霊が集まっているから。
管理人:
ああ、要するに反応する霊が多いから。
恐山に集う霊:
だから(不実な行いを)やる人に関しては何も言わない。
それがその人の考え方だから、何も言わないし、特に手を加えない。
結局、その人はその行動を通して、その結果を受けて学ぶしかないから。
それに、あの場所はそういう学びを得る場だから。
きちんとルールを守る人は守るし、守れない人は何を言っても守れない。
守れる人は自分で自発的に考えて守ってくれる。
管理人:
ここで繰り返しになりますが(*注1)、この度、霊媒の希望により恐山を訪ねることになりまして、どうやら霊媒がお招きに預かったようなのですが、この度お招き頂いた理由を教えて頂けますか。
恐山に集う霊:
まず、最初に訂正しておきたいは、(霊媒と管理人の)お二方で一つの作業をこなされていると認識しております。
それで、(恐山とは)霊がどのような道を辿って成長して行くのかを、目に見える形で客観的に見ることが出来る場所であると言うことが一つ。
そこの所の認識を一般の人々にももう少し深めてもらって、訪れた時にそういうことを意識しながら、考えながら――ただ景色を楽しむだけではなくて、それぞれの場所にはどのような意味があるのかを考えて巡ってもらえると、自分の人生が少し見えてくるようになると思う。
自分と自分以外の人との関係についても、その中で気づけることもあるでしょう。
管理人:
今回、私たちはかなり離れた場所から訪ねたのですが、なぜ遠方からわざわざ私たちを招き寄せて、それらの話を伝えようと考えられたのでしょうか。
恐山に集う霊:
基本的に霊界は、それぞれに担当している部署が違うのだけれども、繋がりあっている、連携して動いている部分があって、例えば「この人が霊媒として能力を発揮して、本格的に活動を始めました」という状況があったら、全体にそういう通達があります。
管理人:
通達があるのですか?
「○○にこういう人がいるので、知っておいてください」といった感じなのでしょうか。
恐山に集う霊:
霊界側でも、ある程度大まかにではあるけれども計画があって、具体的にいつどうするかは状況によって変わるけれども、ある時期に「こういう作業をしましょう」という計画があったら、その作業に対応できる人が現れるかどうかは重要。
ある程度、大まかな計画としては決まっている。
だから、特定の時期にこういう事態になるだろうから、それに備えてこの話を伝えておきたい――という場合もある。
会社などで、長期に渡る事業を行うことと同じ。
管理人:
私たちは、霊界の住人の皆様の意思を、霊的知識に興味がある人間の皆さんに伝える為の翻訳と伝達役ですよね。
伝える手段というか、環境を整えるというか。
恐山に集う霊:
全部が一つの計画の中に組み込まれていて、ただ、様々な立場に応じたアプローチの仕方があるので、それぞれ主要な場所に呼ばれる部分がある。
ただ、遣りたいことは一つで、共通の目的に向かっている。
管理人:
では、靖國の英霊の皆様とも目指すところは同じと言うことですね。
大きな枠組みの中では。
ただ、ぱっと身では一見余り関係ないように見えたとしても、実は同じ目的に繋がっているのですね。
恐山に集う霊:
だから、同じ種を蒔くのでも、地域によって、人間によって受け入れられるものと受け入れられないものがあるから、幅広い色々な方法で蒔いておく必要がある。
管理人:
言葉とか、文化、生活習慣。
同じ意味の言葉でも、様々な種類の表現がある。
例えば諺、同じ意味合いでも、国によって様々な言い回しの諺がある。
さすがに、「溺れた犬は棒で叩け」というのは日本にはありませんね。
管理人:
ところで、恐山を訪ねた時に子供の霊が現れて、霊媒が引き寄せられたようなのですが――あれは、軍人さんのお墓?
慰霊碑なのでしょうか。
そこに引き寄せられた、引っ張られた様なのですが、その理由と、引き寄せた子供の霊について教えて頂きたいのですが。
軍人さんと子供の霊に、何か関わりがあるのでしょうか。
霊媒M:
子供の霊自体は、軍人さんとは関係なく、恐山にいる子。
管理人:
何かの役割を担っているとか?
霊媒M:
あそこの石碑の周りで、お世話というのか――何かそういうものを遣っている子で、あの石碑に目を向けてほしくて、引っ張っていった…。
管理人:
ちょっと写真を見てみましょうか。
(ここからは、恐山を訪ねた際に撮影した写真を見ながら話を進める)
恐山に集う霊:
こういうところに石碑を建てる――依頼をする人がいるのだけれども、当の本人たちは悲しいわけでも苦しいわけでもなくて、生きている人の思いがこの様なものを作り上げて、結果この場所に引き留めてしまう。
作ること自体は構わない。
そこが玄関口となって、繋がりやすくなれるから。
ただ、残された人の考え方に問題があると言いたい。
管理人:
それは、個人的に慰霊碑を建てた人に「それは違うよ」と言いたいのか、それとも、一般的な教訓として「もう少し考えて直してもらいたい」という意味なのか。
恐山に集う霊:
慰霊碑だけではなくてお墓も同じなのだけど、どちらかというと生きている人間の強い思いで形作られている部分が強いから――それがいけないというわけではないし、人間にとっては必要なものであろうという風には考えているのだけど、余りにも自分の思いばかりに籠もってしまうと、霊をも引きずり下ろしてしまう結果になる。
自分の考え方を改める事が大切で、「慰霊をしないから罰が当たる」というのではなくて、自分たちの考え方がどこかバランスを欠いているから、そういうものを引き寄せているのだと理解してもらいたい。
管理人:
それはその軍人さんが言っているのですか?
軍人さんは関係ないのですか?
霊媒M:
軍人さんと、その場所を管理している子供の霊と、複数の霊の共通認識の様ですね。
管理人:
では、軍人さんの霊もそこ(恐山)にいるの?
霊媒M:
軍人さんは、多分靖國。
管理人:
それはそうですよね。
英霊の方ですからね。
あと、冒頭に三途の川の話が出てきましたが、三途の川を渡れない人について、代表的な例を一つ紹介して頂けますか。
恐山に集う霊:
「三途の川を渡る」ということは、自分がこれまでに送ってきた人生を振り返って、それに納得した上で、次の段階に進もうと決めた人がそこを渡って、一度地上界で蓄積された澱を落として――地上界では極楽と呼ばれているけれども、そこで澱を落として――新たに自分が学びたいと思ったことに向けて必要な準備をして、色々なものをまたまとって、戻る。
管理人:
この世の地獄に戻るのか、それとも別のステップに進むのかは人それぞれだと思うけれども。
恐山に集う霊:
とにかく、そういう境目の場所。
だから、例え目覚めていても「納得できない」と言って、生前と同じ事をする世界に留まっている霊は、まだ川を渡れていない。
川を渡る手前の、人間界と霊界の間だ。
そこで納得して、前に進もう、新たに学ぼうと決心した霊だけが渡ることを許される場所だ。
そこから先が霊界に入る。
管理人:
ちなみに、今恐山に集っている霊の皆様は、生前日本人で仏教を信仰していた霊ばかりとは限らないと思います。
いかがでしょうか。
恐山に集う霊:
その方の持っている資質があるから、より適した地へと向かう。
管理人:
でも、生前は日本人であった方が多いのでしょうか。
恐山に集う霊:
一度経験していて、感覚的に理解しやすいので、日本人を経験した霊は多い。
ただ、恐山の管理をする為に派遣されている霊が、その場所へ来る前に日本人であったかというと、そうとは限らない。
管理人:
では、恐山以外に、今の恐山と同じような役割を担っている場所はありますか。
恐山に集う霊:
世界の中で複数ある。
管理人:
日本では恐山一カ所あれば十分と言うことでしょうか。
恐山に集う霊:
あそこが総本山。
出張所的な役割をする場所はある。
(具体的な場所については、この場で教えては頂けませんでした)
管理人:
そのあたりについては、また別途メッセージを頂けるのでしょうか。
恐山について。
恐山に集う霊:
そういうことを考えながら、是非見学してほしいので、(恐山について)知ってほしい。
パンフレットにも書いてあったけれども、あれでは大雑把すぎるので。
あと、極楽と地獄の解釈が、人間側と霊界側で意図しているものとで食い違いがある。
霊界――人間界も霊界の一部なのだけど、敢えて言うなら、三途の川を渡る手前で、納得できずに同じ事を繰り返している状態は、地獄なのかも知れない。
管理人:
いわゆる無間地獄ですか。
いつまでも終わりがない。
恐山に集う霊:
本人が気づくまで終わりがない。
だから、人間界が苦しい経験をする、苦しい経験をする中から学ぶという意味で、霊界では地獄と表現されているのは人間界を指すのが基本。
管理人:
まあ、色々と話を聞いている限りでは、分かるような気はします。
でも、だからこそ、ものの考え方一つで…。
恐山に集う霊:
やっぱり、「どういう思いを抱いているのかが、とても重要である」というところを学べたら、一歩前進というか、大きな進歩。
管理人:
とはいえ、人間である間は思っているだけではなくて、行動が伴っていなくてはなかなか難しい部分はある。
恐山に集う霊:
でも、その人がどういう考え方をしているのかによって、必然的に行動が変化してくる。
そういう意味で、どういう考え方を持っているのかは重要。
(2009年9月4日)
*注1:
「ここで繰り返しになります」と述べているのは、この対話の前に予め大まかな話を伺っていたのですが、ご覧の皆様にご紹介する際にも触れておいた方が良いと考えましたので、敢えて対話の中で再度質問をした為です。
さて、対話中にもある様に、恐山に集う霊の皆様から、別途恐山についてのメッセージを寄せて頂けるとのお話があったのですが、諸般の事情により、今のところ追加のメッセージは届いておりません。
しかし、こちらの対話の模様をご覧になるだけでも、恐山という場所が担う役割について十分ご理解頂けるのではないかと思います。
【Silvercord】管理人
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