2011年4月30日土曜日

GWのとある午後



ここはどこだと思いますか?
【Silvercord】管理人 





4月30日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

本家サイト移転と名称変更のご案内

当Blog内でも、しばしば記事を引用している本家サイト【Silvercord】ですが、この度全ての掲載記事をBloggerに移転し、名称を【銀の紐を越えて】に改めて再スタートを切ることと致しました。
今のところ徐々に移転作業を進めておりますが、全ての掲載記事を移転した後、当Blog内にある【Silvercord】掲載記事宛のリンクを【銀の紐を越えて】の該当記事宛に差し替えて行く予定です。
他の作業と並行して実施しますので、移転完了までにしばらくの時間を頂くこととなります。

【Silvercord】管理人 

2011年4月29日金曜日

国民の皆様の心に触れて

久しぶりの投稿となる今回は、管理人から『昭和天皇』と名乗る霊に、昭和の日に合わせてご覧の皆様へのメッセージをお願いしたところ、快くメッセージをお寄せ頂きましたので、ご紹介したいと思います。





■ 『昭和天皇』と名乗る霊から皆様へ

国民の皆様の心に触れて思うのは、確かな明日へ向けて一歩を踏み出すその勇気と力が、必ず安定した未来を創造するであろうという事です。
不安を感じながらも、一歩、また一歩と着実に前進しておりますね。
解決しなければならない様々な問題が山積している中にあって、よく秩序を保ち、共に支えあい、今を懸命に生きているその姿は、日本が持つ力そのものであるのだと改めて感じております。
国民の皆様の持てる力が結集された時に、皆様の望む未来が見えてくることでしょう。
今の皆様に一番大切な事は、国民の総力を結集して日本の未来を共に創造する為に心を一つに合わせる事であると思います。
国民の皆様の心を一つに合わせる為に必要な事が何であるのか、今一度考えてみると良いかもしれません。
物事を単純に二極化して判断することで選択肢を減らしてしまうのではなく、数ある選択肢の中から問題の原因を解消する為により効果的な手段を考える方が良いでしょう。
改めるべきは改め、受け入れるべきは受け入れ、認めるべきは認め、伝えるべきは伝えるというような柔軟な心はとても大切なのです。
単純に二極化した判断基準から創造性が発揮される事はありません。
将来の日本の姿を思い描いた時に、望む未来を創造する為に今必要な事は何であるのかを考えられる事がとても重要なのです。
無いものねだりをするのではなく、今手元にある材料を基に望む未来を実現する方法を探りましょう。
自覚を持って動き出せば、必ず答が見つかります。

(2011年4月27日)





この4月末から5月に掛けて、天皇皇后両陛下が被災地をご訪問され、被災者の皆様を見舞われるとの報道もありましたが、これは被災者の方の慰問という目的ばかりではなく、霊的な側面から見て大きな意味合いがあります。
地震などの大規模災害の影響を受けた土地は、霊的エネルギーの状態がアンバランスになってしまいますので、覡役としてバランスを回復させる目的があるのです。
陛下ご自身が明確にその様な目的意識を持っておられる訳ではないと思いますが、霊的な側面から見るとその様な役割も担っておられるのだと言うことを、心に留めておいて頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 





4月29日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

2011年4月17日日曜日

目的を持てない者に好ましい未来は訪れない

今回は、記事【「三途の川を渡る」ということ】のコメント欄にお寄せ頂いたゆーすけ様のコメントについて、霊界の住人の皆様の感想が届いておりますので、ご紹介したいと思います。
霊媒は「バチカンの拠点開放に携わる霊団の皆様ではないか」と述べております。





■ ゆーすけ様のコメント

(前略)

「地球環境と人類の行く末」につきまして、個人的に思うのは環境汚染の拡大です。
まず、この度の地震及び津波はともかくとしても、このまま福島原発事故やメキシコ湾原油流出など、人類自身に歯止めを利かせる事も出来ない、地球規模の人災が連発してしまうと、その後の地球環境はまず間違いなく荒廃か、それに近しい状況に陥るであろうとの見解を持っております。

現に原油流出は未だ止まっていませんし、今回の原発の件など、今はまだ政府などの機転を利かせた対処次第で辛うじて歯止めが利くとしても、日本はもとより各国ともそうする気配はなく、原発に纏わる利権からか各国とも寧ろ被害の隠蔽の方向にシフトし始めているような気がします。
この後の原発新設に影響を出さない為にだと思います。

もしそうであるならば、これは大袈裟ではなく人類の暴走ではないかと思うのです。
この後、これに重なるように更なる人災が起きれば、到底人間の手には負えない事態になるでしょう。
そうなれば、事は日本の問題だけでは済みません。
人類にとって天災は余程でない限りどうにかなるとしても、もう人災はそうはいかないのです。
しかし、私の勝手な見解としてですが、恐らく今はもう何をしても手遅れであると思います。
ですので、せめて今後の事について、それを知った者がどのような心構えを持つべきなのか、それによって少しでもましな状態へと自分達を導いていく事が出来るか、そこについて尋ねて頂き、アドバイスを賜りたかったのです。

私にとって、天災は管理人様の仰るところの「宿命」の内であり、人災は「運命」の内だと思います。
宿命の範疇は狭く、運命の範疇は大きいのです。
そして、人の行動すらもどこか宿命だというならば、人間に自由意志はない事になります。
未来は全て青写真であり、可能不可能はともかく、宿命を変えようとする自由も生きる者には与えられているはずです。

ですのでもう一つ、この問題を解決するのにどの様な方法があると考えているか、行動しているかというご質問に対しまして、恥ずかしながらこれがその考えに基づいた行動です。

私自身にそうした能力があれば、自分自身で尋ねに参りたいのですが、残念ながら今現在その様な能力は身に付けておりませんので、情けなくも先日コメント欄にてお願いを致しました。
因みになぜイエスなのかですが、霊媒M様がお聞きになった、「イエスが霊界で非常に重要な役目を担っている」旨、私自身も把握しており、少なくともその目的の一つに人類の行く末に纏わる事柄が関わっていると言う話で、それ故「イエスへのインタビュー」をお願いした次第です。





■ 霊界の住人の感想

あなたのコメントを読んでみて思ったことは、取り留めの無い漠然とした不安ばかりで埋め尽くされていて、問題点の把握が全く出来ていない為に焦点が定まらず、具体的な解決策や対応策を考えるところまで突き詰めて考える事ができていないというものです。
「既に手遅れである」という根拠の無い憶測で全てを判断し、地球環境と人類の未来像を組み立てているようですし、曖昧で具体性に欠けております。
原発問題について、利権の為に事実を隠蔽しているという結論に至ったその根拠は一体何なのでしょうか?
一部の人間の見解のみを基にして全てを判断してはいませんか?
どのような事業にも利権は存在しているものなのでしょうが、それは全ての事業に当てはまる事だと思います。
原発利権に対して責任追及する裏には反原発利権なるものもしっかりと存在し、その利権の為に原発事業を潰そうとして嘯いているという可能性も考えられはしませんか?
あるいは、原発利権を牛耳る為に邪魔な競争相手を潰そうと画策し、不安を煽る為にヒステリックに騒いでいる可能性は考えられませんか?
あなたのお話は“原発=悪”故に“原発推進派=悪”の図式で組み立てられているように思えます。
違うエネルギー事業を推進するにしろ、今後も原発事業を推進するにしろ、それはそれとして今回の原発事故処理とは別枠で話し合う案件であるとは思われませんか?
事故処理に関する事柄と今後のエネルギー事業計画を混同して考えていては、何時までも結論が出せずに纏るものも纏まらず、事態が進展しないまま何一つ解決できない状態がズルズルと長引くだけのように思います。
事故が起きた時の影響を考えると不安になるお気持ちはわかりますが、根拠の曖昧な憶測に基づく素人判断はとても危険です。
原発事業を悪に位置づけ槍玉に挙げる事で、それらの処理に余分な労力を割かれるため事故処理に集中できず、結果として事故処理の速度は低下し、問題を深刻化させる要因となりかねません。
中途半端な知識に基づく素人判断で無責任に不安を煽り、現場を混乱させる要因をつくるその行為こそが人災なのではありませんか?
今最も大切なのは事故処理を迅速に行える環境を整える事で、現場の足を引っ張るような憶測に基づく不満をぶつけてヒステリックに騒ぐ事ではありません。
それこそ無責任な他人事を実践しているようなもので、事故を深刻化させるのに一役買っていることになります。
「地球規模の人災」というあなたの言葉からも窺えますが、印象だけで物事を判断しているように思われ、客観性に欠けます。
そのような考えでは、何時まで経っても人類は今抱えている問題を解決する事はできないでしょう。
何を根拠にその様な結論を出されたのか甚だ疑問ではありますが、「もう手遅れである」と結論を出しておられるあなたの頭の中では、どんなに周囲が努力して新たな可能性を生み出したとしても、もう手遅れであるのでしょう。
出来ないと結論を出した時点から人は努力をしなくなります。
チャレンジする前から諦めるのでは、とてもではありませんがお話にもなりません。
結果が出ないうちに憶測で結論を出している時点で、やる気の無さを感じます。
私が一番知りたかったのは憶測に基づく未来予想ではなく、あなたご自身の未来への希望や目標です。
希望や目標を持てない者は何も実現する事はできないし、問題を解決する事もできません。
何故なら、何をしたら良いのか分からないからです。
目標を持てない者に好ましい未来が訪れる事はないのです。
ご自身のコメントを、もう一度一からじっくり読み返してみる事をお勧めいたします。
言葉は丁寧で曖昧にぼかした表現となっておりますが、思い通りにならない周囲への不満が中心で、結論ありきの偏った考え方に陥っております。
未来は周囲の他人が用意してくれるものではなく、自分自身の力で築き上げるものであるのに、そのような視点が欠けているように思います。
自分自身も社会を構成している一員であるという事を忘れているから受動的な考え方しか出来ないのです。
その考えは甘えであり、周囲への依存心の表れである事を悟りましょう。
人は努力を続ける限り日々成長し、昨日より今日、今日より明日へと新たな可能性を広げてゆくものなのです。
周囲へ責任を負わせ加害者扱いをし、自分自身は被害者という依存心の塊のような考えからは、もういい加減にご卒業されては如何ですか?
その意識が変わらなければ人類は衰退の一途を辿る事になるでしょうし、問題は解決するどころか悪化するのみとなります。
依存心の強い人間は懸命に努力する者たちの足を引っ張り、未来への可能性を潰してしまうという事実を知っておきましょう。

(2011年4月17日)





霊界の住人のコメントに追加して、幾つか述べたいと思います。
まず、ゆーすけ様が「地球規模の人災」と指摘されている問題に付いては、記事【この世界で起こる問題は、この世界の中で解決できる】にて、霊界の住人が見解を述べております。
そして、私たちはほんの数十年前にも深刻な環境問題を発生させましたが、時間と手間暇を掛けて徐々に解決に結びつけてきたという実績を上げております。
また、『運命』と『宿命』について、「宿命の範疇は狭く、運命の範疇は大きい」との事ですが、実際はむしろ逆であって、人間の意思で操ることの出来る運命の範疇は極限られた一部に過ぎません。
そして、人間の裁量に委ねられる『運命』の範疇の拡大こそ、人間の霊的成長の証であると指摘しておきたいと思います。

さて、ゆーすけ様はナザレのイエスと呼ばれる方への質問を希望されておりますが、今一度ご自身のコメントを振り返られた方が良さそうですので、こちらの記事を回答とさせて頂きたいと思います。
その上でご意見やご質問があれば、改めてコメント欄にお寄せ頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 





4月17日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

2011年4月9日土曜日

「三途の川を渡る」ということ

お待たせ致しました。
今回は、記事【恐山とは、人の生き様に関心がある霊の集う場所】の続編としまして、引き続き『恐山に集う霊』との対話の模様をご紹介したいと思います。









■ 『恐山に集う霊』との対話(その2)

管理人
今回話を聞かせて頂いているのは、恐山に集う霊の方とのことですが、本堂(本尊安置地蔵殿)に居られる方ですか?

霊媒M
巡っていると言っているので、一番成熟している方ではないでしょうか。
自由に中を移動できるようですので。

管理人
では、あの敷地内の状況について、一通り把握していると言うことでしょうか。

恐山に集う霊
それに、ああいった施設なので、色々とお世話をする方がいるので、そういう方々の霊的な部分の管理などをしています。

管理人
あぁ、出入りする人がとんでもない罰当たりな事をしないように?

恐山に集う霊
というよりは、どちらかと言えば、今日も掃除をしている方がいたけれども、ああいう人達がいるおかげで維持されているので、事故などが起きないように守っている。

管理人
ああ、突発的なことが起きないように、恙なく作業が行えるように。

恐山に集う霊
そして、あそこには沢山の霊がいるのだけど、ああいう場所で不実な行いをしたら、自分で自分の身に引き寄せる。
しかも、他の一般の場所にいるよりも大きな影響がある。
多くの霊が集まっているから。

管理人
ああ、要するに反応する霊が多いから。

恐山に集う霊
だから(不実な行いを)やる人に関しては何も言わない。
それがその人の考え方だから、何も言わないし、特に手を加えない。
結局、その人はその行動を通して、その結果を受けて学ぶしかないから。
それに、あの場所はそういう学びを得る場だから。
きちんとルールを守る人は守るし、守れない人は何を言っても守れない。
守れる人は自分で自発的に考えて守ってくれる。

管理人
ここで繰り返しになりますが(*注1)、この度、霊媒の希望により恐山を訪ねることになりまして、どうやら霊媒がお招きに預かったようなのですが、この度お招き頂いた理由を教えて頂けますか。

恐山に集う霊
まず、最初に訂正しておきたいは、(霊媒と管理人の)お二方で一つの作業をこなされていると認識しております。
それで、(恐山とは)霊がどのような道を辿って成長して行くのかを、目に見える形で客観的に見ることが出来る場所であると言うことが一つ。
そこの所の認識を一般の人々にももう少し深めてもらって、訪れた時にそういうことを意識しながら、考えながら――ただ景色を楽しむだけではなくて、それぞれの場所にはどのような意味があるのかを考えて巡ってもらえると、自分の人生が少し見えてくるようになると思う。
自分と自分以外の人との関係についても、その中で気づけることもあるでしょう。

管理人
今回、私たちはかなり離れた場所から訪ねたのですが、なぜ遠方からわざわざ私たちを招き寄せて、それらの話を伝えようと考えられたのでしょうか。

恐山に集う霊
基本的に霊界は、それぞれに担当している部署が違うのだけれども、繋がりあっている、連携して動いている部分があって、例えば「この人が霊媒として能力を発揮して、本格的に活動を始めました」という状況があったら、全体にそういう通達があります。

管理人
通達があるのですか?
「○○にこういう人がいるので、知っておいてください」といった感じなのでしょうか。

恐山に集う霊
霊界側でも、ある程度大まかにではあるけれども計画があって、具体的にいつどうするかは状況によって変わるけれども、ある時期に「こういう作業をしましょう」という計画があったら、その作業に対応できる人が現れるかどうかは重要。
ある程度、大まかな計画としては決まっている。
だから、特定の時期にこういう事態になるだろうから、それに備えてこの話を伝えておきたい――という場合もある。
会社などで、長期に渡る事業を行うことと同じ。

管理人
私たちは、霊界の住人の皆様の意思を、霊的知識に興味がある人間の皆さんに伝える為の翻訳と伝達役ですよね。
伝える手段というか、環境を整えるというか。

恐山に集う霊
全部が一つの計画の中に組み込まれていて、ただ、様々な立場に応じたアプローチの仕方があるので、それぞれ主要な場所に呼ばれる部分がある。
ただ、遣りたいことは一つで、共通の目的に向かっている。

管理人
では、靖國の英霊の皆様とも目指すところは同じと言うことですね。
大きな枠組みの中では。
ただ、ぱっと身では一見余り関係ないように見えたとしても、実は同じ目的に繋がっているのですね。

恐山に集う霊
だから、同じ種を蒔くのでも、地域によって、人間によって受け入れられるものと受け入れられないものがあるから、幅広い色々な方法で蒔いておく必要がある。

管理人
言葉とか、文化、生活習慣。
同じ意味の言葉でも、様々な種類の表現がある。
例えば諺、同じ意味合いでも、国によって様々な言い回しの諺がある。
さすがに、「溺れた犬は棒で叩け」というのは日本にはありませんね。





管理人
ところで、恐山を訪ねた時に子供の霊が現れて、霊媒が引き寄せられたようなのですが――あれは、軍人さんのお墓?
慰霊碑なのでしょうか。
そこに引き寄せられた、引っ張られた様なのですが、その理由と、引き寄せた子供の霊について教えて頂きたいのですが。
軍人さんと子供の霊に、何か関わりがあるのでしょうか。

霊媒M
子供の霊自体は、軍人さんとは関係なく、恐山にいる子。

管理人
何かの役割を担っているとか?

霊媒M
あそこの石碑の周りで、お世話というのか――何かそういうものを遣っている子で、あの石碑に目を向けてほしくて、引っ張っていった…。

管理人
ちょっと写真を見てみましょうか。

(ここからは、恐山を訪ねた際に撮影した写真を見ながら話を進める)

恐山に集う霊
こういうところに石碑を建てる――依頼をする人がいるのだけれども、当の本人たちは悲しいわけでも苦しいわけでもなくて、生きている人の思いがこの様なものを作り上げて、結果この場所に引き留めてしまう。
作ること自体は構わない。
そこが玄関口となって、繋がりやすくなれるから。
ただ、残された人の考え方に問題があると言いたい。

管理人
それは、個人的に慰霊碑を建てた人に「それは違うよ」と言いたいのか、それとも、一般的な教訓として「もう少し考えて直してもらいたい」という意味なのか。

恐山に集う霊
慰霊碑だけではなくてお墓も同じなのだけど、どちらかというと生きている人間の強い思いで形作られている部分が強いから――それがいけないというわけではないし、人間にとっては必要なものであろうという風には考えているのだけど、余りにも自分の思いばかりに籠もってしまうと、霊をも引きずり下ろしてしまう結果になる。
自分の考え方を改める事が大切で、「慰霊をしないから罰が当たる」というのではなくて、自分たちの考え方がどこかバランスを欠いているから、そういうものを引き寄せているのだと理解してもらいたい。

管理人
それはその軍人さんが言っているのですか?
軍人さんは関係ないのですか?

霊媒M
軍人さんと、その場所を管理している子供の霊と、複数の霊の共通認識の様ですね。

管理人
では、軍人さんの霊もそこ(恐山)にいるの?

霊媒M
軍人さんは、多分靖國。

管理人
それはそうですよね。
英霊の方ですからね。
あと、冒頭に三途の川の話が出てきましたが、三途の川を渡れない人について、代表的な例を一つ紹介して頂けますか。

恐山に集う霊
「三途の川を渡る」ということは、自分がこれまでに送ってきた人生を振り返って、それに納得した上で、次の段階に進もうと決めた人がそこを渡って、一度地上界で蓄積された澱を落として――地上界では極楽と呼ばれているけれども、そこで澱を落として――新たに自分が学びたいと思ったことに向けて必要な準備をして、色々なものをまたまとって、戻る。

管理人
この世の地獄に戻るのか、それとも別のステップに進むのかは人それぞれだと思うけれども。

恐山に集う霊
とにかく、そういう境目の場所。
だから、例え目覚めていても「納得できない」と言って、生前と同じ事をする世界に留まっている霊は、まだ川を渡れていない。
川を渡る手前の、人間界と霊界の間だ。
そこで納得して、前に進もう、新たに学ぼうと決心した霊だけが渡ることを許される場所だ。
そこから先が霊界に入る。

管理人
ちなみに、今恐山に集っている霊の皆様は、生前日本人で仏教を信仰していた霊ばかりとは限らないと思います。
いかがでしょうか。

恐山に集う霊
その方の持っている資質があるから、より適した地へと向かう。

管理人
でも、生前は日本人であった方が多いのでしょうか。

恐山に集う霊
一度経験していて、感覚的に理解しやすいので、日本人を経験した霊は多い。
ただ、恐山の管理をする為に派遣されている霊が、その場所へ来る前に日本人であったかというと、そうとは限らない。

管理人
では、恐山以外に、今の恐山と同じような役割を担っている場所はありますか。

恐山に集う霊
世界の中で複数ある。

管理人
日本では恐山一カ所あれば十分と言うことでしょうか。

恐山に集う霊
あそこが総本山。
出張所的な役割をする場所はある。

(具体的な場所については、この場で教えては頂けませんでした)

管理人
そのあたりについては、また別途メッセージを頂けるのでしょうか。
恐山について。

恐山に集う霊
そういうことを考えながら、是非見学してほしいので、(恐山について)知ってほしい。
パンフレットにも書いてあったけれども、あれでは大雑把すぎるので。
あと、極楽と地獄の解釈が、人間側と霊界側で意図しているものとで食い違いがある。
霊界――人間界も霊界の一部なのだけど、敢えて言うなら、三途の川を渡る手前で、納得できずに同じ事を繰り返している状態は、地獄なのかも知れない。

管理人
いわゆる無間地獄ですか。
いつまでも終わりがない。

恐山に集う霊
本人が気づくまで終わりがない。
だから、人間界が苦しい経験をする、苦しい経験をする中から学ぶという意味で、霊界では地獄と表現されているのは人間界を指すのが基本。

管理人
まあ、色々と話を聞いている限りでは、分かるような気はします。
でも、だからこそ、ものの考え方一つで…。

恐山に集う霊
やっぱり、「どういう思いを抱いているのかが、とても重要である」というところを学べたら、一歩前進というか、大きな進歩。

管理人
とはいえ、人間である間は思っているだけではなくて、行動が伴っていなくてはなかなか難しい部分はある。

恐山に集う霊
でも、その人がどういう考え方をしているのかによって、必然的に行動が変化してくる。
そういう意味で、どういう考え方を持っているのかは重要。

(2009年9月4日)





*注1:
「ここで繰り返しになります」と述べているのは、この対話の前に予め大まかな話を伺っていたのですが、ご覧の皆様にご紹介する際にも触れておいた方が良いと考えましたので、敢えて対話の中で再度質問をした為です。


さて、対話中にもある様に、恐山に集う霊の皆様から、別途恐山についてのメッセージを寄せて頂けるとのお話があったのですが、諸般の事情により、今のところ追加のメッセージは届いておりません。
しかし、こちらの対話の模様をご覧になるだけでも、恐山という場所が担う役割について十分ご理解頂けるのではないかと思います。

【Silvercord】管理人 





4月9日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

2011年4月3日日曜日

恐山とは、人の生き様に関心がある霊の集う場所

今回は、以前青森県の恐山菩提寺を訪ねた時に、恐山に集う霊の方に伺った話をご紹介したいと思います。
恐山については、これから紹介する対話記録とは別に、霊的な側面から見た恐山の意味についての解説をお願いしていたのですが、様々な事情から延期されておりました。
しかし、当Blogをごらんの皆様にとっても関心を寄せて頂けそうな話を伺っておりましたので、この度ご紹介させて頂くことと致しました。











■ 『恐山に集う霊』との対話(その1)

霊媒M
恐山の中にいたのは成熟した霊たち。
「三途の川を渡る」と言うことは、霊にとってもより洗練されないとそこを渡れない。

管理人
その前に、もう少し前の段階の話からしましょうか。
私たちは今まで様々な神社に足を運びましたが、お寺を訪ねるのは今回が初めてとなります。
そしてお寺も神社もそれほど変わりがないと言うことですが、では何が違うのですか、という点が一つ。
なぜ分かれているのか。
それはただ単に人の社会の都合と言うことだけなのでしょうか。

恐山に集う霊
人間の世界では違うものとして考えられているでしょう?
どちらかというと違うものには余り触れたがらないという国や人が多い中で、全然違う流れで発生した宗教を元に建てられた施設が、同じ地域の中であちらこちらに存在していて、それでもぶつからずに、逆に協力している姿が見られるのは意味が大きい。

管理人
意味が大きいというのは?

恐山に集う霊
国で宗教を定めていたり、地域によって特定の宗教の信者が多い場合が殆どなので、そういうところに住む人が日本を見ると考えさせられるものがある。

管理人
そうですね。
宗教的には無節操と言われますね。
明治時代になるまでは「神仏習合」といって、同じ敷地内に神社とお寺が同居していた時代もありましたから。

恐山に集う霊
ある意味同じ流れを汲んでいるものだと分かっている。

管理人
一見別物に見えても、その奥に共通性があるなと、本能的に感じていると。
だから、生まれは違っても本質的には似通っているのだから、一緒でいいでしょうということでしょうか。

恐山に集う霊
等しく敬う――仏も神も、日本の人たちにとっては等しく敬われる存在だったので、余り違和感がなかった。
だから、敢えて何か一つに統一する必要性も感じていなかった。
それはそれで、受け継がれてきたものをそのまま伝えていった。

管理人
だから、そこを敢えて統一しようとすると某カルト教団のようになってしまうのでしょうね。
ただ、他の国の人々にとっては、その曖昧さが理解できない。

恐山に集う霊
人間の側が余りこだわっていないので、それがそのまま伝わっていった。


(中略)


管理人
では、お寺も神社も変わりがないと言うことで。

恐山に集う霊
どこで発生して、どのように伝わったのかの違いだけ。

管理人
ただ、今霊媒さんを通じて話を伺う霊界の住人の皆さんは、どちらかというと靖国神社とか、神社に関係の深い方々が多いように思いますが。

恐山に集う霊
靖国神社に縁が深いけれども、生前はお葬式と言えばお坊さんのお世話になった。
あそこが象徴として存在しているからそこに集まっているだけで、特に神社だからと言うわけではない。

管理人
では、質問を変えましょう。
以前、靖国神社に集う方は、日本の行く末に関心の強い方だという話を伺ったのですが、恐山に集う方はどのような物事についての関心が強い方なのでしょうか。

恐山に集う霊
恐山というのは、人間の生まれてから亡くなって、また再生してくるサイクルを表しているので、人間を深く観察する――霊のサイクルというか。

管理人
人間として生まれてきました、そして年老いて死んでしまいました、しかし再びうまれてきましたよという、一連の流れに興味があるんだ。

恐山に集う霊
そういう様を観察する。

管理人
それは、「因果律とはどういう事ですか、因果の仕組みとはどうなっているのですか」という所にもの凄く興味があると言うことでしょうか。

霊媒M
因果という言葉にピンと来ていないようですけど。

恐山に集う霊
人間の生き様に興味がある。

管理人
人間ですか。
視点が違うと言うことでしょうか。
同じものを見ていても、見る場所や方向が違うと。
因果というと、人間として生きている部分と、死んでしまって霊となった後の部分をトータルで捉えるけれども、そのうち人間として人生を送る部分への関心が強い。

恐山に集う霊
人間的な部分への興味が強い。
そして、仏像の立っていた高台があったけれども(周囲を見渡す位置にある延命地蔵尊)、そこが傲慢の象徴と言っていた(*注1)のはなぜかというと、あそこは仏様が人間界を見渡して、その都度必要なものや不要なものを調整したり、バランスをとる為にある場所の象徴。
でも、人間――未熟な霊は、そういう場所に登りたがるというか、求めたがる。
その場所にいて見ているのだけれども、全体を見通せない。
だけどそれで満足しているのが人間。




管理人
それは、人間が「傲慢な心を持たないように気をつけましょう」という教訓的な意味合いで存在しているのでしょうか。
それとも、それを作った人々の思惑が、人間の傲慢さを象徴していると言うことなのでしょうか。

恐山に集う霊
要は心のあり方。
どんな道具でも、ちゃんと機能が分かっていて正しく使えば、色々と便利に使えるのと同じようなもので、どんなに知識などを得ても、それが何を意味しているのかをきちんと理解をしないと、周りを見通すことは出来ない、そういう意味。
あそこは仏様が立ってこそ意味がある場所。
人間はまだまだ未熟で、そこに立つことはとうてい出来ない。
そこに立ったところで分からない、見えないことが沢山あるという意味なのだけど、作った人間がどういう風に考えているのかは分からない。
ただ、その裏にはそういう意味があります。

管理人
なぜその様な質問をするのかというと、恐山と言えばイタコさんが有名ですけど、事前に少し調べてみたところ、余り良くない評判も目についたのですね。
ですから、「霊界の住人の意向と人間の思惑が、必ずしも一致していない部分があるのではないか」という疑問があったのですが。

霊媒M
あの場所自体はそんなに悪い空気ではなかった。
エネルギー的にはいい場所。
それに、イタコさんはいなかったから――いたらどういう状態なのかはわからない。

管理人
あれは時期が限られているみたいなので。

恐山に集う霊
それに、あのような場所は入る人によって感じ方が変わる。
どの部分を受け止めているのかが違う。
その人のこれまでの生き方が反映された受け止め方になる。
だから、未熟な人が入れば受け止め方も曖昧で中途半端になるから、本当の意味を受け止めきれない場合はある。
送り手側が100%の形で送っていても、受け手の人に器がなければ1%しか受け止められなかったり、30%だったり、半分くらいだったり、色々ある。
だから大切なのは、あなた自身がどのように感じたのかであって、それが人生にとっての学びになるから、その思いを大切にした方がいい。
他人がどう感じたのかは人によって違うから。
そして、人の思いが霊を引き寄せる。
その人がどのような考え方をしているのかがとても重要。
だから同じ恐山を訪ねるのでも、とても前向きで努力家の人が行くと、いい意味での学びが得られるけれども、いつもくよくよ思い悩んでいたり、自分は不幸だと感じている人が行くと、人間の側の思いの蓄積されたものに引きずられる。
そして霊の方は――特に水子は、親の思いに引きずられて離れられなくなる。
親の方がその子に対する気持ちに決着をつけてあげないと、その子はなかなか地上から離れられない。
下手をすると、親が亡くなった後でも、だらだらと居続けることになってしまいかねない。
だから、霊現象が生じるのは人間の気持ちの方が大きな原因となっている。

管理人
それは結構重要なポイントですね。

恐山に集う霊
自分で無意識のうちに引き寄せている。

(つづく)

(2009年9月4日)





*注1:
実際に恐山を訪ねた折に、霊媒を通じて同様の話を予め伺っておりましたので、それを踏まえた説明となっております。


さて、この対話はかなり長時間に及びましたので、2つに分割致しました。
対話の後半は近日中にご紹介できると思います。

【Silvercord】管理人 





4月3日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。