2011年4月3日日曜日

恐山とは、人の生き様に関心がある霊の集う場所

今回は、以前青森県の恐山菩提寺を訪ねた時に、恐山に集う霊の方に伺った話をご紹介したいと思います。
恐山については、これから紹介する対話記録とは別に、霊的な側面から見た恐山の意味についての解説をお願いしていたのですが、様々な事情から延期されておりました。
しかし、当Blogをごらんの皆様にとっても関心を寄せて頂けそうな話を伺っておりましたので、この度ご紹介させて頂くことと致しました。











■ 『恐山に集う霊』との対話(その1)

霊媒M
恐山の中にいたのは成熟した霊たち。
「三途の川を渡る」と言うことは、霊にとってもより洗練されないとそこを渡れない。

管理人
その前に、もう少し前の段階の話からしましょうか。
私たちは今まで様々な神社に足を運びましたが、お寺を訪ねるのは今回が初めてとなります。
そしてお寺も神社もそれほど変わりがないと言うことですが、では何が違うのですか、という点が一つ。
なぜ分かれているのか。
それはただ単に人の社会の都合と言うことだけなのでしょうか。

恐山に集う霊
人間の世界では違うものとして考えられているでしょう?
どちらかというと違うものには余り触れたがらないという国や人が多い中で、全然違う流れで発生した宗教を元に建てられた施設が、同じ地域の中であちらこちらに存在していて、それでもぶつからずに、逆に協力している姿が見られるのは意味が大きい。

管理人
意味が大きいというのは?

恐山に集う霊
国で宗教を定めていたり、地域によって特定の宗教の信者が多い場合が殆どなので、そういうところに住む人が日本を見ると考えさせられるものがある。

管理人
そうですね。
宗教的には無節操と言われますね。
明治時代になるまでは「神仏習合」といって、同じ敷地内に神社とお寺が同居していた時代もありましたから。

恐山に集う霊
ある意味同じ流れを汲んでいるものだと分かっている。

管理人
一見別物に見えても、その奥に共通性があるなと、本能的に感じていると。
だから、生まれは違っても本質的には似通っているのだから、一緒でいいでしょうということでしょうか。

恐山に集う霊
等しく敬う――仏も神も、日本の人たちにとっては等しく敬われる存在だったので、余り違和感がなかった。
だから、敢えて何か一つに統一する必要性も感じていなかった。
それはそれで、受け継がれてきたものをそのまま伝えていった。

管理人
だから、そこを敢えて統一しようとすると某カルト教団のようになってしまうのでしょうね。
ただ、他の国の人々にとっては、その曖昧さが理解できない。

恐山に集う霊
人間の側が余りこだわっていないので、それがそのまま伝わっていった。


(中略)


管理人
では、お寺も神社も変わりがないと言うことで。

恐山に集う霊
どこで発生して、どのように伝わったのかの違いだけ。

管理人
ただ、今霊媒さんを通じて話を伺う霊界の住人の皆さんは、どちらかというと靖国神社とか、神社に関係の深い方々が多いように思いますが。

恐山に集う霊
靖国神社に縁が深いけれども、生前はお葬式と言えばお坊さんのお世話になった。
あそこが象徴として存在しているからそこに集まっているだけで、特に神社だからと言うわけではない。

管理人
では、質問を変えましょう。
以前、靖国神社に集う方は、日本の行く末に関心の強い方だという話を伺ったのですが、恐山に集う方はどのような物事についての関心が強い方なのでしょうか。

恐山に集う霊
恐山というのは、人間の生まれてから亡くなって、また再生してくるサイクルを表しているので、人間を深く観察する――霊のサイクルというか。

管理人
人間として生まれてきました、そして年老いて死んでしまいました、しかし再びうまれてきましたよという、一連の流れに興味があるんだ。

恐山に集う霊
そういう様を観察する。

管理人
それは、「因果律とはどういう事ですか、因果の仕組みとはどうなっているのですか」という所にもの凄く興味があると言うことでしょうか。

霊媒M
因果という言葉にピンと来ていないようですけど。

恐山に集う霊
人間の生き様に興味がある。

管理人
人間ですか。
視点が違うと言うことでしょうか。
同じものを見ていても、見る場所や方向が違うと。
因果というと、人間として生きている部分と、死んでしまって霊となった後の部分をトータルで捉えるけれども、そのうち人間として人生を送る部分への関心が強い。

恐山に集う霊
人間的な部分への興味が強い。
そして、仏像の立っていた高台があったけれども(周囲を見渡す位置にある延命地蔵尊)、そこが傲慢の象徴と言っていた(*注1)のはなぜかというと、あそこは仏様が人間界を見渡して、その都度必要なものや不要なものを調整したり、バランスをとる為にある場所の象徴。
でも、人間――未熟な霊は、そういう場所に登りたがるというか、求めたがる。
その場所にいて見ているのだけれども、全体を見通せない。
だけどそれで満足しているのが人間。




管理人
それは、人間が「傲慢な心を持たないように気をつけましょう」という教訓的な意味合いで存在しているのでしょうか。
それとも、それを作った人々の思惑が、人間の傲慢さを象徴していると言うことなのでしょうか。

恐山に集う霊
要は心のあり方。
どんな道具でも、ちゃんと機能が分かっていて正しく使えば、色々と便利に使えるのと同じようなもので、どんなに知識などを得ても、それが何を意味しているのかをきちんと理解をしないと、周りを見通すことは出来ない、そういう意味。
あそこは仏様が立ってこそ意味がある場所。
人間はまだまだ未熟で、そこに立つことはとうてい出来ない。
そこに立ったところで分からない、見えないことが沢山あるという意味なのだけど、作った人間がどういう風に考えているのかは分からない。
ただ、その裏にはそういう意味があります。

管理人
なぜその様な質問をするのかというと、恐山と言えばイタコさんが有名ですけど、事前に少し調べてみたところ、余り良くない評判も目についたのですね。
ですから、「霊界の住人の意向と人間の思惑が、必ずしも一致していない部分があるのではないか」という疑問があったのですが。

霊媒M
あの場所自体はそんなに悪い空気ではなかった。
エネルギー的にはいい場所。
それに、イタコさんはいなかったから――いたらどういう状態なのかはわからない。

管理人
あれは時期が限られているみたいなので。

恐山に集う霊
それに、あのような場所は入る人によって感じ方が変わる。
どの部分を受け止めているのかが違う。
その人のこれまでの生き方が反映された受け止め方になる。
だから、未熟な人が入れば受け止め方も曖昧で中途半端になるから、本当の意味を受け止めきれない場合はある。
送り手側が100%の形で送っていても、受け手の人に器がなければ1%しか受け止められなかったり、30%だったり、半分くらいだったり、色々ある。
だから大切なのは、あなた自身がどのように感じたのかであって、それが人生にとっての学びになるから、その思いを大切にした方がいい。
他人がどう感じたのかは人によって違うから。
そして、人の思いが霊を引き寄せる。
その人がどのような考え方をしているのかがとても重要。
だから同じ恐山を訪ねるのでも、とても前向きで努力家の人が行くと、いい意味での学びが得られるけれども、いつもくよくよ思い悩んでいたり、自分は不幸だと感じている人が行くと、人間の側の思いの蓄積されたものに引きずられる。
そして霊の方は――特に水子は、親の思いに引きずられて離れられなくなる。
親の方がその子に対する気持ちに決着をつけてあげないと、その子はなかなか地上から離れられない。
下手をすると、親が亡くなった後でも、だらだらと居続けることになってしまいかねない。
だから、霊現象が生じるのは人間の気持ちの方が大きな原因となっている。

管理人
それは結構重要なポイントですね。

恐山に集う霊
自分で無意識のうちに引き寄せている。

(つづく)

(2009年9月4日)





*注1:
実際に恐山を訪ねた折に、霊媒を通じて同様の話を予め伺っておりましたので、それを踏まえた説明となっております。


さて、この対話はかなり長時間に及びましたので、2つに分割致しました。
対話の後半は近日中にご紹介できると思います。

【Silvercord】管理人 





4月3日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

10 件のコメント:

  1. こんにちは。
    刻々と時が過ぎていき、その間に「まさかね~」と思うようなことばかりをやりとげる現政府を見ていると、この方々はどういった目的の元に命を授かったのだろうかと考えずにはいられません。分け隔てなくサポートをされていると、以前に伺いましたが、今もってちゃんとそれを受け取れていないのでしょうね。
    恐山は、もう十数年前に、六ヶ所村の近く、横浜町の海岸あたりから海を隔てた向こうに眺めたことがあります。すがすがしい感じのお山でした。

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  2. こんにちは。今まで興味深く楽しく拝見しておりました。
    政治もマスコミも信頼できないのでやや疲れ気味です;
    神経質とか、陰謀論者と言われそうですが、芸能界やスポーツの記事が現におかしすぎ、それを今ではかなりの多くの方々が認めるようになってきたので、良かったと思います。
    そして震災後、マスコミがまた日本を貶めるような記事を出してきたから、鵜呑みにしないで、また注意して読むようにしています。
    話は変わりますが、恐山は「話のタネに」(←失礼かもしれませんね^^;)一度は行ってみたいと思ってますが、勝手に少し怖いとも思ってるので、なかなか行けずにいます(^^;)以前より怖い話とか、霊と言う存在(実際に見たことはありませんが、悪い霊ばかりではないので)は慣れてきたのですが、基本、まだ少し怖がりなので;
    (←こちらのブログも、少し怖いもの見たさのような感じで拝見してます。失礼いたしました;)
    最後になりましたが、日本を守護してくださっている霊の方々、ありがとうございます。

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  3. いつもありがとうございます。更新楽しみにしています。
    恐山に集う霊さんのおっしゃられた中に
     あそこは仏様が立ってこそ意味がある場所。人間はまだまだ未熟で、そこに立つことはとうてい出来ない。
     送り手側が100%の形で送っていても、受け手の人に器がなければ1%しか受け止められなかったり、30%だったり、半分くらいだったり、色々ある。
    というお言葉がありましたがあそこと呼ばれる場所には100%受け止める事ができない未熟者は立つなという意味なのでしょうか。それとも今は理解出来ないけどいつかは出来る様になるから鍛錬してまたいらっしゃいという意味なのでしょうか。
     此度の震災と原発事故を鑑み前者的解釈であればあの程度の地震で右往左往するような未熟な文明なら最初からあの辺りに街を作るなという手厳しいメッセージに受け取れますし、後者であれば精進して行けばいつか自然の脅威を免れる程の文明を手に入れられるので頑張り続けなさいと受け取る事もできます。解釈の仕方が間違ってそうですがその様な疑問が浮かんだので機会があれば補足などお願いいたします。

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  4. いつも拝見させて頂き、貴重な情報ありがとうございます。
    さて、日本に元気と愛を送るという趣旨のページがありました。の紹介させていただきます。
    中国のツイッターでの記事や、世界からの記事が見れます。
    その中に「2011年4月8日金22時より放射能を真実の愛の波動
    に変える」144,000人の祈りプロジェクト。世界同時開催の情報がありました。
    祈りを同時刻にたくさん送ると、祈りが届く。と聞きます。
    希望を込めて参加したいと思います。祈り届けてみませんか?
    詳しくは下記
    http://www.facebook.com/sharemylove
    プロジェクト情報詳しくは下記
    http://divasoul.blog17.fc2.com/blog-entry-721.html

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  5. baseheat様

    政府の閣僚は、本人が望んで就ける役職ではありませんので、彼らにその権限を委ねた人々の責任は重大だと思います。
    個人的には、現政権の皆様は「決してあの様な大人になってはいけませんよ」という、今の子供達から見て、分かり易い反面教師の対象としての役目を果たしていると思いますが、いかがでしょうか。

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  6. 4月5日22:23投稿の匿名様

    怖い物見たさとのことですが、霊界の住人の皆様の言葉を借りれば、「生きている人間ほど怖い物はない」そうです。
    また、近日中に『恐山に集う霊』の話の後半をお届け致しますので、恐山を訪ねる機会がありましたら、是非参考にされてはいかがでしょうか。

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  7. 4月7日0:40投稿の匿名様

    延命地蔵尊の話については、能力や資質の足りていない方ほど、強大な権限や影響力の強い立場を求めたがるけれども、そういった権限や立場を上手く使いこなせない――という、私たち人間に対する教訓の意味合いと受け止めております。
    歴史的な大震災を目の前にして、自身が持つ責任に対する自覚が薄く、強大な権限を持て余して後手後手の対応に終始している現政権の方の姿が重なって見えます。

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  8. 4月7日10:15投稿の匿名様

    上記記事の感想など、聞かせて頂ければと思います。

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  9. お世話になっております。
    4月7日10:15投稿した者です。
    被災した方に何かできないか?と思っていたため
    記事の趣旨と違う投稿をしました。
    申しわけありませんでした。お詫びいたします。
    さて、恐山の記事に関してですが、
    私は最近まで、某カルト集団ではないかもしれませんが、
    新興宗教と言われる○○学会に入っていました。
    仏教の基本教学を学ぶ機会がありましたが、
    神社は謝った宗教。と否定されていたため、
    心の奥底では、「おかしい。なんか違う!」と感じながら
    本当のことがわかりかねていました。
    信頼していた人が、神社の事をボロカスに言うの見て
    「地域をこの地区の始まりから守ってきた神社をそんな風な扱いに私は絶対できない!!やっぱ、おかしい!!」と思ったことがきっかけでやめました。
    こちらのブログで、目に見えないけれど存在される神様達に守られているのだと知り、やめて良かった。
    と心底思いました。「自分が信仰していることだけが正しい!」と思いこむことは争いの元だと思います。
    また同時期に霊気を学んだため、一気にスピリチュアルな事に興味が出始め、
    今晩強させて頂いている段階で、視野の狭かった自分に驚いています。
    神社とお寺が混在し、宗教・宗派の違う日本人がさほどその事を気にせず暮らしている事について
    以前は、宗教的哲学が日本人には欠けている。無宗教の人が多く、それは問題なこと。
    と思っていました。今回の記事で、本質的なものが同じだということを本能的に感じている。
    等しく敬う。という伝統があったことを知り、日本人の曖昧と思っていたところが、実は懐が深かったのだ。
    とわかりました。あと心の持ちようで感じ方が変わるということなので、日々生活に追われる中、
    どうやって自分の心をきれいに保つか?というのが私の課題だと感じています。
    この様なブログを公開されていること、きちんと管理されていることに感謝いたします。
    ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

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  10. 4月8日11:53投稿の匿名様

    まず、宗教とは、私たち人間が霊的知識を学ぶ為に、霊界の住人と人間が共同で支えている団体や組織・教義を実践する活動であると認識しております。
    そして霊的知識とは、この世の中を成り立たせている仕組みのことであり、私たちにとって身近な部分では「日常生活に活きる知恵」を学ぶこと、そして実践を通じて社会の発展に活かすことであると理解しております。
    その様な観点から世の宗教団体の活動を眺めてみると、必ずしも当て嵌まらない方が少なくないことに気付かれると思います。
    要は私たち人間がどの様に霊的知識を捉え、実践を通して理解を深めて行くかという話で、どの宗教団体に所属していると言う拘りには余り意味がないです。
    さて、「どうやって自分の心をきれいに保つか?」が課題とのことですが、綺麗/汚いに拘るよりも、ある状況に対して自分の心理状態がどの様に変化するか、そして心理状態の変化が考え方や行動にどの様な影響を及ぼすか、またその影響がどの様な周囲の反応を引き出すかについて、まずは注意深く観察されてはいかがでしょうか。
    現在抱えている問題に付いての理解が不十分では、的外れな対策を打って時間の無駄に終わるかも知れませんし、場合によっては更に状況が悪化するかも知れません。
    『人間の心の動きと行動への影響』への理解を深めることが、匿名様の課題を解決する上で欠かせない条件になると思いますが、いかがでしょうか。

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