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■ 巻物の第七の封印を開く
このテーマについては、以前の黙示録解読で一通り説明していますので、基本的には人間視点から見た以前の解読と今回の内容を比較して、適宜補足を加える方向で進めます。
以前の黙示録解読では、第八章の冒頭で小羊が巻物の第七の封印を開きます。
第二節~第五節では、神から七人の天使にラッパが与えられ、金の香炉を持った別の天使には多くの香が与えられます。
玉座の前にある金の祭壇の火を香炉に満たして、そのまま天使は香炉を地上に投げつけます。
ここで、金の祭壇の火とは神聖なる力を表しますので、この後地上で起こる出来事は神様の神聖な力による出来事であることを示します。
そして神様よりラッパを与えられた七人の天使が、事態の進捗状況を知らせる為にラッパを鳴らします。
それは以下のような流れで進みます。
以上の、人間視点から見た巻物の第七の封印を開く件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。
曰く、第七の封印が開く時に、地上にいる全ての者たちを対象にして、神との絆が結ばれます。
ここで言う絆とは、霊的エネルギーや情報をやり取りする経路、通信回線とでも例えればよいでしょうか。
これまでは各拠点を通じて(間接的に)人と神の絆が結ばれて来ましたが、第七の封印を開く時を境にして、人と神が直接絆を結びます。
人と神が直接繋がるには、神が発するエネルギーや情報を適切に受け取って活かす方法を、人が学ばなくてはなりません。
しかし、その条件を整えるには多くの時間をかけて、神からエネルギーや情報を受け取る方法を実践を通じて学び、徐々に慣らしていかなくてはなりません。
その様な準備期間として、半時間ほど沈黙の時が設けられています。
この間に人間たちには、自分たちが学んだ成果を示す機会が訪れるでしょう。
曰く、ここで現れる七人の天使は、神の言葉の実践者と言うことを忘れてはなりません。
神から与えられたラッパを天使が使用するのですから、神からの信認を受け、神の指示によって使用しているという事になります。
これから、天使たちがラッパを吹く度に起こる出来事により、多くの人が苦しみを受けたとしても、人を苦しめる事を目的としたものでは無く、人間の成長を見極めるために必要であることを知りましょう。
曰く、これから人間の世界でおきることは、聖なる者たちの証として起こります。
だからこそ、聖なる者たちの祈りと共に多くの香が金の祭壇に捧げられるのです。
この香の煙はのろしのようなものであり、神の裁きの時が始まる合図となります。
曰く、香の煙が立ち上り、全ての準備が整った合図が周知されます。
そして天使は、予め決められていたとおりに聖なる者たちの祈りを携えて、神の御前へと立ち上がります。
神の裁きを開始する合図を物質界に向けて送るためです。
曰く、時が満ちて聖なる者たちの祈りは聞き届けられました。
天使が香炉に祭壇の火を満たしたのは、それぞれの行いの結果を明らかにするためです。
祭壇の火が地上に投げ込まれると様々な試練が課せられて、その試練に向き合う際に人の本性が明らかになります。
雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こったと書かれていることから分かるように、人はさまざまな試練を経験します。
これらの働きかけにより、地上はとても暮らしにくい状態に変化します。
暮らしにくくなれば当然のように争いが発生します。
自分たちにとってよりよい暮らしを求めるからです。
その為に人間同士の潰し合いが始まります。
環境の変化は、必ずしも自然災害だけとは限りません。
主に人為的に引き起こされた不具合が原因となるでしょう。
しかし、その因果関係に気付く者はほんの少数です。
自然災害の多発のみであれば、人々の協力によって苦難を乗り越え、再び繁栄することも可能ですが、人の心が生み出す争いは、止まるところを知らずに幾たびも繰り返されて、偽りの繁栄の後に滅亡をもたらします。
曰く、地上に火のついた香炉を投げ込むことによって人の本性があからさまになり、白い衣を着るのに相応しい者たちと、今しばらく地上における学びが必要な者たちが二つのグループに選り分けられます。
ここに来てようやく七人の天使たちがラッパを吹く条件が整いました。
■ 第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた
黙示録の第八章第七節では、第一の天使がラッパを吹きました。
すると血の混じった雹と火が生じて、地上に投げ入れられます。
その為に地上の三分の一が焼け、木々の三分の一も焼け、全ての青草も焼けてしまいます。
これは大規模な陸上戦闘によって多くの血が流れ、また大地が著しく荒廃してしまうことを示しているようです。
ここではさらりと簡単に流しているようでも、地上の三分の一を焼くのですから、恐らく相当大規模の戦争が起こるのか、もしくは広範囲で紛争の絶えない世の中になることを示唆しているのではないでしょうか。
黙示録の第八章第八節~第九節では、第二の天使がラッパを吹きました。
すると火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられます。
その為に海の三分の一が血に変わり、被造物で海に住む生き物の三分の一が死にます。
また、船の三分の一が壊されます。
これは大規模な海上戦闘が起こり、その為に海の生物に多くの被害が出て、また多数の船舶が沈められる事を示しているようです。
ここであえて「被造物で海に住む生き物」と表現しているので、被造物=神の手により創造された生き物であると強調したい心の内が伺えます。
人間同士の諍いが原因で起こった戦争に、神が創造された海の生物を多数巻き込む理不尽さを諫めているように読めます。
ともあれ、海の三分の一を血に染める大海戦が起こるようです。
以上の、人間視点から見た第一の天使と第二の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。
曰く、ここに記されている事柄は、主に人間が引き起こすことになる事象です。
人間たちの持つ知識には限界があって、何を為すにも程よい加減に治めることが難しく、例え慎重に事を進めていたとしても行き過ぎてしまう事は避けられません。
価値観の違う者たちが同じ枠組みの中で暮らし続けるためには、お互いの考えや行動を尊重し、譲歩し合い、折り合いを付けることが出来なければなりません。
しかし、実際にそれを行う事は難しく、互いの価値観を押し付け合い、奪い合うことで軋轢が生じてしまいます。
それらの軋轢の行き着く先に、生存をかけた殺し合いがあります。
最初から冷静に考えることが出来れば、殺し合いに発展する前に解決する手段はいくらでもあるのですが、目先の欲望に囚われて冷静さを欠いた思考力では、正解を導き出すことは大変難しく、誤った方向に突き進んで後戻りできない状況に陥ってしまうでしょう。
そして誰しもが「私は何も悪くない!悪いのは相手の方だ!私は被害者なのだ!!」と思いたい衝動に駆られてしまいます。
しかし、実はその様に被害者と加害者を明確に分けることが出来る状況はほとんど存在しません。
誰もが皆、自分の立場からしか物事を考えることが出来ないので、相手の立場から自分を見たときに、被害者だと思っている自分こそが、相手にとっては加害者として映っていることを知る由も無いのです。
争いは無知から来る不安によって発生します。
相手が何者かわからないという不安です。
この「わからない」という不安を解消するために、相手を自分が理解できる枠に当てはめようとします。
互いにその様な行為を繰り返せば、当然両者の間に軋轢が生じて、安定した信頼関係を結ぶことが出来ません。
今までに起こった出来事を振り返れば、そのことが手に取るように良く分かることでしょう。
一体どれだけの国が争いによって滅び、どれだけの人々がその命を犠牲にしてきたことでしょう。
国家の興亡が何度繰り返されても、その間にどれほど多くの血が流れようとも、人間はいつまでも人間のままであって、何一つ変わっていません。
どんなに技術が進歩しても、どんなに豊かな世の中になろうとも人間は何一つ変わることはありません。
技術が進めばそれが争いの種となり、豊かになればそれがまた争いの種となるのです。
人間という存在も他の生物たちと同様に、己の生存をかけて争い続けているのです。
この世にあって神の言葉を実践出来る人間は稀であり、大変貴重な存在といえるのです。
大抵は甘言に惑わされて誤りを犯してしまいます。
その様な世の理がここには記されています。
人は争って互いに殺し合うことでしょう。
「血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。」という表現は、人間の欲望が争いを生み、多くの血が流されることを比喩的に表現しています。
大勢の人間が争いに身を投じ、命を落とす事になるでしょう。
争いによって地上の三分の一が損なわれることを考えて見て下さい。
それはとても恐ろしい光景です。
人間はこれらの経験を通じて、争いを起こさなくても済む方法を学ばなければなりません。
甘言に惑わされる愚かさを知り、それを乗り越えなくてはならないのです。
ここで述べている幾多の試練が、その為の機会である事を忘れてはなりません。
■ 第三の天使がラッパを吹いた
黙示録の第八章第十節~第十一節では、第三の天使がラッパを吹きました。
すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川の三分の一とその水源の上に落ちます。
その星の名は「苦よもぎ」といって、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなったので、多くの人が死にました。
霊界の住人によると、これは深刻な水質汚濁が起こり、飲用水として使用していた川の水が汚染されて、毒水に変わってしまった事を示しているようです。
それ程の深刻な水質汚濁の実情を知らなかったのか、もしくは知っていても、他に清浄な水を手に入れる手段がなかった為に、毒水と知りつつ飲用せざるを得なかったのかは分かりません。
いずれにせよ、毒水を飲んだ為に多くの人が犠牲になってしまうようです。
この「苦よもぎ」がチェルノブイリ原子力発電所で起きた、原子力事故を暗示する説がありますが、『銀の紐』では、「苦よもぎ」の海外での名称が、『創世記』の「楽園から追放された蛇が這った後に生えた草」であるという伝説との関係を重視します。
『創世記』第三章では、予め神から禁じられていたにもかかわらず、蛇がエバを騙して善悪を知る者の実を食べさせ、アダムも蛇に唆されたエバの言うままに木の実を食べてしまったので、それを知った神はアダムとエバを楽園から追放します。
エバを騙した蛇とは悪魔サタンを指しますが、その蛇の這った後に出来た草ですから、悪魔サタン的な価値観を象徴する草と見ることが出来ます。
人間社会がサタン的価値観に支配された結果として、必然的に清浄な水も毒水に変質してしまうと言う比喩表現でしょうか。
以上の、人間視点から見た第三の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。
曰く、ここでは川の三分の一が汚染される様子が書かれています。
川の水は、生物にとって命を繋ぐために欠かせません。
それを、人間の主導権争いによって損ない、人間のみならず、それ以外の多くの生物たちをも巻き込んでしまっています。
この世界は相互に作用しており、時には周囲に恩恵を与え、時には周囲から恩恵を受けながら成り立っています。
一方的に与えている存在もいなければ、一方的に受けている存在もいません。
例え見た目には分からなくても、この世界に存在しているからには、必ず相互に与えあい、受けあって暮らしています。
その因果関係が理解できていないのです。
無知であるが故に、意図して行うわけではなくても、人間は周囲のあらゆるものを死へと追い詰める行動をとってしまいます。
何か衝撃的な出来事が発生する時、それは特定の誰かの仕業ではなく、地球上に存在する全て者たちの考えと行動に行き違いが生じているのですから、その出来事の責任を特定の者に負わせても、真の解決には繋がりません。
知らなければ全く関係ないのではなくて、その無関心こそが決定的な事態が起きる要因の一つになっていることを知る必要があります。
この世界で起こるあらゆる出来事は、この世界に存在する全ての者が個々に思考し行動した結果の積み重ねであることを、全ての者が自覚しつつ日々を過ごせるようになった時に、世界の有り様は劇的に変化するでしょう。
■ 第四の天使がラッパを吹いた
黙示録の第八章第十二節~第十三節では、第四の天使がラッパを吹きました。
すると太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が損なわれて、それぞれ三分の一が暗くなりました。
その為に、昼は光の三分の一を失い、夜も同じようになりました。
そして一羽の鷲が空を高く飛びながら、大声で言いました。
「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者達。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」
霊界の住人によると、これは壮絶な大気汚染が起こり、太陽や月、星の明かりが地上に届きにくくなる程、空が暗くなってしまうことを示しているようです。
そんな空に一羽の鷲が飛んでいて、これから三人の天使がラッパを吹く度に、地上に住む人に不幸が襲うと警告しております。
何故鷲がその様なことを言うのでしょうか。
第一~第四の天使がラッパを吹いた時には、それが例え思ったような結果に結びつかなくても、地上に住む人が自ら選択した行動です。
しかも、その選択は蛇の這った後に「苦よもぎ」が生えたように、悪魔サタンが引いたレールに沿って進められてきたものです。
だから自ら選択した結果は自分で刈り取る決まりに則って、これから三人の天使が吹くラッパの合図と共に、自ら選んだ結果が還ります。
それが地上に住むあなた方にとっては、不幸な偶然としか見えなくても。
以上の、人間視点から見た第四の天使がラッパを吹いた件について、霊界の住人はどの様に見ているでしょうか。
曰く、ここでは太陽と月、そして星の三分の一が損なわれる様子が書かれていますが、実際に太陽や月や星が損なわれるわけではありません。
これは、地球を覆う大気の具合によって、地上から空を見上げたときに、太陽や月、そして星の光が届かないようになる地域が全体の三分の一に及ぶという表現です。
いわゆる大気汚染です。
これは現在進行形で、地球上の各地で見られる現象ですので、誰にでも容易く想像できるでしょう。
誤った形で性急に豊かさを追求した結果として、自然環境を著しく損なって、自分たちの生活環境を破壊してしまいました。
もっと早くに手を打っていれば、汚染の規模は小さく限定できたので、浄化に掛かる時間も短くて済んだでしょうが、ここまで大規模に拡大してしまうと、浄化にもそれなりの時間を要するでしょう。
ましてや、そこに重ねて汚染源を振りまき続けているとしたら、いつまで経っても浄化する事が出来ず、ただただ汚染が広がるに任せるしかなくなって、日を追って生物の生存が脅かされて行きます。
自然浄化で事足りる程度の汚染源であれば、そもそも環境汚染は問題にならないからです。
この問題も、誰か一人の、あるいはどこか一国に責任を求めることは出来ません。
みなそれぞれに影響し合って暮らしているのですから、汚染源を異常に垂れ流す者たちに対して、適切な処置をしてこなかった者たちにも責任があります。
目に見えて悪影響を及ぼす者たちは大変目立つので、矢面に立たされ攻撃されやすい立場になるが、その周囲で彼らの行為を見逃し、後の影響を考えずに利用してきた側にも問題があることをしっかりと自覚しなくてはなりません。
そして、このような悲劇的な事態を回避できる方法を探し、是非実践して下さい。
例え全体で実践することは難しくとも、少なくとも全体の三分の二の場所では汚染されることはないのですから、今から出来ることを是非考えて実践してみましょう。
(2017年2月25日)
■ 第一~第四の天使がラッパを吹くまでのまとめ
巻物の第七の封印を開いた時の様子は、多くのスペースを割いて詳細に記述していますので、今回は黙示録の第八章に当たる、第一~第四の天使がラッパを吹いたところまでとします。
第五の天使以降は次回に持ち越しとなります。
さて、既に以前の黙示録解読の際にも述べているように、そして記事
【[黙示録再解読]:小羊が神の巻物の封印を開く】で述べたように、小羊が神の巻物の封印を解いて開いていく過程のうち、今はちょうど第二の封印を開いたところで、「神の裁き」の時代が始まったばかりの時点となります。
この記事は第七の封印を開いた時の様子を表していますので、遥かな未来に起こるはずの出来事として記していますが、実は現代の様子に符合する描写が随所に見られます。
これは偶然ではなくて、七つの封印を開く度に訪れる「神の裁き」の時代は、概ね似通った経緯を辿り、それを七度繰り返すのだそうです。
解かれる封印の場所によって、神の裁きが下る対象が変わったり、神の裁きの物語が展開する舞台は変わっていきますが、その時代ごとに配役を変え、また細々とした部分の違いはあれども、大まかには類似した物語を繰り返します。
私たち人間には寿命という制約がありますので、その物語の全体像を確認するわけには行きませんが、既に一度、「神の裁き」の時代を乗り越えた記録があります。
その記録と、これから私たちの目の前で繰り広げられる「神の裁き」の経緯を見比べることによって、本当に「神の裁き」は似通った物語を何度も繰り返すのか、或いは『銀の紐』による黙示録解読はただの嘘偽りに過ぎないのかが明らかになります。
特にキリスト教を信仰する方にとっては、「今は黙示録の時代である」事が示された方が、感慨深いものがあるのではないでしょうか。
そして、今が黙示録の時代であるなら、黙示録の記述が現代を生き抜く指針となります。
それと同時に、黙示録の記述と身の回りの出来事の類似性を見極める中から、きっと見えざる神の息吹を感じ取ることも出来るでしょう。
Silvercord管理人
なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。
閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:
http://www.bible.or.jp/
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