この記事は、以前投稿した下記記事の続編となりますので、未読の方はこちらの記事より順番にご覧下さい。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】
『ヨハネの黙示録』第十四章~第十五章、地上が悪魔サタンの支配下に置かれた頃、天で進行していた『神の裁き』の時に向けての準備の様子。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】
『ヨハネの黙示録』第十六章、『神の裁き』として、七人の天使が地上にもたらす災いの様子と、『神の裁き』の目的について。
■ 赤い獣と大淫婦
『ヨハネの黙示録』の第十六章では、『神の裁き』が七つの段階を経て実施されて行く過程について、大まかに説明して参りましたが、第十七章では、「多くの水の上に座っている大淫婦」が、どの様な『神の裁き』を受けるのかが述べられております。
黙示録の第十七章第一節~第五節では、七つの鉢を持つ七人の天使――第十六章で『神の裁き』として、神の怒りが盛られた鉢の中身を注いで、地上に七つの災いをもたらした天使――のうちの一人が、この様に語りかけます。
「多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
地上の王達は、この女と淫らなことをし、地上に住む人々は、この女の淫らな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」
そして天使は、霊に満たされたヨハネを荒れ野に連れて行きます。
そこでヨハネは、赤い獣に跨がっている一人の女を見ました。
女が跨がっている獣には、全身の至る所に神を冒涜する数々の名で覆われていて、七つの頭と十本の角がありました。
一方、獣に跨がっている女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾っていて、忌まわしいものや、自分の淫らな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていました。
女の額には、秘められた意味の名が記されていて、「大バビロン、淫らな女たちや、地上の忌まわしい者達の母」という名でした。
と言うことで、地上に災いをもたらした七人の天使の一人が述べている「多くの水の上に座っている大淫婦」とは、「大バビロン、淫らな女たちや、地上の忌まわしいものの母」という名前のものでした。
ここで、『神の裁き』を受けることになった「多くの水の上に座っている大淫婦」とは、『大バビロン』という名を持っていることが明かされました。
『大バビロン』と聞くと、聖書に記されたイスラエル人の受難である『バビロン捕囚』を思い浮かべますが、この大淫婦の正体を解き明かす前に、この女が跨がっている赤い獣について、簡単に述べておきましょう。
この獣には七つの頭と十本の角がありますので、記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】で解読したローマ帝国とその後継者達を表します。
現代ならさしずめ、EU構成国がローマ帝国の再興と読み取っても差し支えないでしょう。
しかし、かつての獣とこちらの獣では、異なっている部分もあります。
かつての獣は、色についての言及はありませんでしたが、こちらの獣は赤い色をしております。
赤い色といえば、かつて獣に力と王座と権威を与えた、赤い竜を思い出します。
赤い竜とは、天の争いに敗れて地上に堕とされた悪魔サタンを指します。
ですから、こちらの獣はかつての獣よりも、一層悪魔サタンの姿に近づいたことになります。
また、かつての獣の七つの頭には、神を冒涜する様々な名が記されていましたが、こちらの獣は、全身の至る所が神を冒涜する名で覆われています。
この獣は、時代を経るに連れて、一層悪魔サタンの影響が色濃く表れているようです。
一方の大淫婦は、紫と赤の衣を着ていますので、こちらも赤い竜である悪魔サタンと関わりを持つ者なのでしょう。
金と宝石と真珠で身を飾っているのですが、一体どの様な不正な手段で手に入れたのでしょうか。
そして忌まわしいものや、自分の淫らな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っています。
この「金の杯」とは、『エレミヤ書』第五十一章にも言及があります。
「バビロンは主の手にある金の杯で、これが全世界を酔わせた」のだそうです。
そして大淫婦こと『大バビロン』は、主の手にある金の杯を、忌まわしいものや自分の淫らな行いの汚れで満たして、その淫らな酒を飲んで酔い痴れているのでしょう。
そんな大淫婦、『大バビロン』とは、「淫らな女たちや、地上の忌まわしい者達の母」なのだそうです。
なぜ『大バビロン』が大淫婦と呼ばれるかというと、赤い竜こと悪魔サタンに汚されて、赤い獣と共に淫らな行いの限りを尽くしたからです。
その具体例が第六節で、聖なる者達の血と、イエスの証人達の血に酔い痴れていました。
聖なる者達とは、生前は神の言葉のままに生涯を全うし、死後に勝利を得る者と認められて、白い衣をまとって神の御前に集っている方でしょう。
そしてイエスの証人達とは、イエスの生涯の意味をきちんと理解して、イエスを手本に自らを高めようと努めた方でしょう。
両者とも神とイエスの教えを深く理解していたのですが、だからこそ悪魔サタンは、彼らが自分の偽りの教えの正体を暴露することによって、既に天での居場所を失った自分が、今度は地上でも「人間に取っての神」として振る舞えなくなる事態を恐れて、聖なる者達の血に酔い痴れる様に、大淫婦と獣を唆したのかも知れません。
■ 赤い獣と大淫婦に秘められた意味
ここで前述の「七つの災いを地上にもたらした天使」の一人が、この大淫婦と、女を乗せた獣に秘められた意味を教えてくれるのだそうです。
黙示録の第十七章第八節~第十四節では、以下のように説明されております。
「女を乗せた獣とは、以前はいたが、今はいない。
やがて底なしの淵から上がってくるが、遂には滅びてしまう。
地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者達は、この獣がやがて来るのを見て驚くだろう。
七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことであって、ここに七人の王がいる。
五人は既に倒れたが、一人は今王の位に就いている。
他の一人はまだ現れていないが、この王が現れても、王位に留まるのはごく短い期間である。
以前いて、今はいない獣は第八の者で、またそれは先の七人の中の一人なのだが、やがて滅びる。
そして十本の角とは十人の王である。
彼らはまだ国を治めていないが、一時の間、獣と共に王の権威を受けるだろう。
王達は心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣に委ねる。
王達は小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。
小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者達も又、勝利を収める」
以上の様に説明されているのですが、前の項目の内容と併せて、再度赤い獣について検証してみましょう。
まず、既に前の項目で、赤い獣とはかつてのローマ帝国であり、現代で言えばEUが該当すると述べました。
ですから、以前はいたのに、一旦いなくなった後、再び姿を現すという、赤い獣についての表現は、かつてのローマ帝国と現代のEUに当て嵌まります。
その獣は底なしの淵から上がってくるそうですが、この「底なしの淵」とは黙示録の第九章に記されており、記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】にて既に解説しました。
小羊イエスが神から委ねられた巻物の第五の封印を開いた時に、底なしの淵から沢山のイナゴが出て来て、額に神の刻印を押されていない者にしばしの間苦痛を与えるとあります。
また、底なしの淵からイナゴを開放したのは悪魔サタンであり、イナゴが与えた苦痛とは悪魔の教え、サタンの価値観で洗脳することだと述べました。
ですから、この赤い獣も、何者かを悪魔の価値観で洗脳する為に、底なしの淵から這い上がってきたのでしょう。
そして、赤い獣の餌食になってしまったのは、かつては乙女であった筈の大淫婦です。
『創世記』の冒頭、神の楽園で、予め禁じられていたにもかかわらず、一匹の蛇に唆されて善悪を知る木の実を口にした上、アダムにも禁じられた行為を薦めてしまった女の姿が重なります。
大淫婦、大バビロンとは何者なのか、その正体も気になりますが、先に赤い獣の検証を進めましょう。
次に、地上に住む者で、天地創造の時から命の書に名前が記されていない者は、この獣がやがて来るのを見て驚くだろうとあります。
命の書とは、黙示録の第三章にある、サルディスにある教会の天使への手紙の中に言及があります。
記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】でも述べておりますが、勝利を得る者は命の書から名前を消されることはないとあり、又第二の死を免れるとあります。
ですから、天地創造の時から命の書に名前を記されていない者とは、勝利を得ていない者なのですから、神がどの様な働きかけをしているとか、獣の正体と目的などは毛頭知る由もないのでしょう。
そして、赤い獣の七つの頭とは、大淫婦が座っている七つの丘のことなのだそうですが、この七つの丘とは、古代ローマの中心地にあった七つの丘を指しているのでしょう。
更に、この七つの丘には七人の王がいるそうです。
霊界の住人の話によると、この七人の王とは悪魔サタンの代理人であり、悪魔から委ねられた使命を帯びて、人間として生まれ出た者なのだそうです。
そして、悪魔の代理人が受けた使命とは、天から地上へ堕とされた悪魔サタンが、人間の神として地上に君臨する為に、悪魔の価値観を地上に遍く浸透させることです。
七人の王のうち、五人は既に倒れていて、一人は今王の位に就いているとありますが、『神の裁き』の始まりの時である現在から見ると、これらは過去の出来事です。
まだ現れていない他の一人が、ごく短い間王位に就いたのも、恐らく過去の出来事でしょう。
そして、以前いて今はいない獣である第八の者とは、現在人間として悪魔の使命を果たす為に活動している最中かも知れません。
何故なら、以前いて今はいない獣とは、ローマ帝国の再興とも言われるEUを指すと既に述べました。
それが同時に第八の者を指すのですから、EUの設立に影響力を及ぼした者の誰かが該当すると考えられます。
また、第八の者は、先の七人の中の一人だとありますので、かつて人間として生まれ、悪魔の代理人としての活動を経験しております。
そういった過去の経験を積み重ねている分だけ、第八の者は、先の七人の王と比べると狡猾で厄介な存在です。
ここでは記事の趣旨から外れますので、第八の者の正体については詮索しません。
しかし、EU設立の経緯を調べて行くと、第八の者の正体が明らかになるかも知れません。
話を先に進めましょう。
次に、赤い獣にある十本の角とは、十人の王であると述べています。
霊界の住人の話によると、十人の王とは悪魔の価値観に酔い痴れた者であり、赤い獣の協力者です。
そして、彼らがまだ国を治めていないというのは過去の話であって、一旦はいなくなった獣が再度現れた現代には、十人の王も獣と共に王の権威を受けていると考えられます。
更に、十人の王が心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣に委ねるのですから、欧州の独立国が、主権国家が所有する権限の一部をEUに委譲して、EU構成国となった経緯が当て嵌まります。
ですから、十人の王とは、EU構成国の政府、或いは国家元首が該当するのでしょうか。
ここで、十人の王達は小羊と戦いますが、小羊イエスが武器を手に王達と戦うわけではありません。
十人の王達は、彼らが酔い痴れて信奉している悪魔の価値観を手に、「自分たちの考えの方が正しいのだから、従来の聖書の解釈を改めよ」とキリスト教会に迫ることによって、聖書に記された神の言葉の意味を歪めて、悪魔の価値観をキリスト教会に浸透させようと試みるのです。
これらの行いは、キリスト教が成立した後、かなり初期の段階から継続的に行われていたと、記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】で述べましたが、今回は更に悪魔的な価値観の浸透を目論んでいます。
その悪魔の価値観の中には、昨今の同性愛者の地位向上を目指すキャンペーンの一環として、同性愛者に対するキリスト教会の従来の見解を改めようとする働きかけが含まれます。
何故なら、同性愛で子孫を産み育むことは出来ません。
『創世記』では、神が天地創造の第六日目に、地の獣と人を造っていますが、神の姿に似せて、男と女を共に造っております。
それは神の価値観が「人の生命力を豊かに育む」考えに基づいていて、男と女の人が対になってこそ、かつて神が人を造られたように、新たな人を産み出せる仕組みになっています。
更に神は、男と女を祝福して言います。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と。
この様に、聖書の一番最初に記されている、神の価値観の最も基本的な見解を否定するように、キリスト教の修道院ではかねてより同性愛が好まれてきたようにも聞きますが、こういった側面を見ただけでも、いかに悪魔サタンの価値観がキリスト教会に深く侵蝕してるのか、その一端が伺えます。
しかし、小羊イエスは勝利し、また小羊と共にいる者や、召された者、選ばれた者、忠実な者達も勝利するのですから、そういった悪魔的な価値観が否定されて、神の言葉のままに実践しようと考える者達が、キリスト教会の主導権を取り戻すと言うことでしょうか。
ちなみに、小羊と共にいる者とは、黙示録の第十四章で小羊と共にいた十四万四千人の者であり、召された者とは、神の言葉のままに殉じた者、選ばれた者とは『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』の守人であり、同時に覡であるローマ教皇を指します。
忠実な者達とは、悪魔の価値観が蔓延ったキリスト教会にあっても神の言葉に忠実な者で、現在は必ずしもキリスト教会に属していなくても、考え方と行動が神の言葉に忠実である者でしょう。
彼らのうち、既に亡くなっている者は勝利を得て神の座に引き上げられますし、現在人間として過ごしている者は、死後に神の座に引き上げられるので、勝利を得ることになります。
■ 大淫婦の正体
前の項目では、おもに大淫婦が乗っていた赤い獣の正体について解読して行きましたが、ここでいよいよ大淫婦の正体が明かされます。
黙示録の第十七章第十五節~第十八節では、七つの災いを地上にもたらした天使の一人が、この様に言います。
「あの大淫婦が座っている水とは、様々な民族、群衆、国民、言葉の違う民である。
そして十本の角と獣は大淫婦を憎んで、身につけた衣を剥ぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすだろう。
神の言葉が成就する時まで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにさせたからである。
大淫婦とは、地上の王達を支配しているあの大きな都のことである。」
天使は最初に、大淫婦が座っている水とは、様々な民族、群衆、国民、言葉の違う民だと説明していますが、ここで思い出すのは、黙示録の第十五章に「火が混じったガラスのようなもの」についての言及です。
記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】では、「宇宙空間から地球を見下ろしたら、その様な表現が相応しい光景が見えるのではないか」と述べました。
そして、大淫婦の座っている水とは、様々な民族や国民なのですから、宇宙空間から見た地球が一面を海水で覆われてガラスのように見えるのと同じく、大地の一面を覆うような多くの人で満ち溢れている様子が伺えます。
そして十本の角と獣は大淫婦を憎むのですが、それは十本の角である十人の王が小羊と戦った結果、小羊が打ち勝ったからで、言わば逆恨みです。
逆恨みの末、獣と王達は、大淫婦が身につけたものを剥ぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすのですが、その大淫婦とは、地上の王達を支配している大きな都なのだそうです。
ですから、大淫婦の身につけていたものを剥ぎ取って裸にするの意味は、大バビロンと呼ばれる都が、身につけている衣を剥ぎ取られるようにして、淫らで汚らわしい行いで人々を惑わしていた本性が、白日の下に晒されることになるでしょう。
しかも、大バビロンの都をその様な状態にしてしまったのは、獣であり十本の角なのですが、大バビロンは獣たちの八つ当たりの為に、肉を食らうようにして都に蓄えた富を奪い取られ、火に焼かれて廃墟と化してしまうのでしょうか。
しかも、ここまでの獣による一連の行為は、神の言葉が成就する時まで、神が獣に支配権を与えた為に、獣の思いのままに振る舞ったのだそうです。
霊界の住人は、大きな都とはキリスト教会を指すのだと述べておりますが、管理人には、現代のキリスト教会の価値観によって作り上げられたキリスト教国家が主導する、国際社会の仕組みそのものを指しているように感じました。
なお、記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】では第一の獣として記されていましたが、この度の『神の裁き』の際に改めて第一の獣を詳しく見ると、赤い獣の上に大淫婦が跨がっていたということでしょうか。
■ 大バビロンの都に巣食う者達
黙示録の第十八章に入ると、大きな権威を持っている別の天使が天から降って来たので、地上はその栄光で輝きます。
第二節~第三節では、天使が力強い声で叫びます。
「大バビロンが倒れた。
そしてそこは悪霊共の住み処、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
全ての国の民は、怒りを招く彼女の淫らな行いのぶどう酒を飲み、地上の王達は、彼女と淫らなことをし、地上の商人達は、彼女の豪勢な贅沢によって富を築いたからである。」
ここで新たに、大きな権威を持つ天使が天から降りてきました。
地上がその栄光で輝くので、この天使は父なる神の名代であり、これらの事態が全て神の御業によって行われていることを示しております。
ここで、黙示録の第十七章第四節を思い出して頂きたいのですが、
「(大淫婦である大バビロンという名の)女は、紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分の淫らな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。」
とあります。
ですから、全ての国の民は、大淫婦が手に持った金の杯の中身に酔い痴れたことになります。
そして、地上の王達は、金の杯の中身である淫らな行いを、大淫婦と共に行いました。
この“淫らな行い”とは、聖書に綴られた神の言葉を歪曲・偏向して、神の名のもとに悪魔サタンの価値観を流布する一方、神の言葉のままに生涯を貫こうとする聖なる者達を迫害して、地上をサタンの価値観で埋め尽くし、悪魔サタンが地上の人々の神として君臨することです。
また、全ての商人達は、大淫婦が身につけている宝石や財宝を、不正な手段で取引することによって富を築きました。
彼らは皆大淫婦の共犯であり、黙示録の第十七章で、大淫婦は「身につけた物を剥ぎ取って裸に」されたので、彼らの正体が汚れた霊や、汚れた鳥や、あらゆる忌まわしい獣達の集団である事が明らかになりました。
■ 大バビロンの都に対する神の裁き
黙示録の第十八章第四節~第八節では、別の声が天から聞こえてきます。
「私の民よ、彼女から離れ去れ。
その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えて居られるからである。
彼女がした通りに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕儀に応じ、倍にして返せ。
彼女が注いだ杯に、その倍も注いでやれ。
彼女がおごり高ぶって、贅沢に暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。
彼女は心の中でこう言っているからである。
『私は、女王の座に就いており、やもめなどではない。
決して悲しい目に遭いはしない。』
それ故、一日のうちに、様々の災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。
また、彼女は火で焼かれる。
彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
天から聞こえてくる声は冒頭、「私の民よ、彼女から離れ去れ」と呼びかけます。
私の民とは、前の項目で大バビロンに巣食っていた者達から迫害されていた、聖書の神の言葉のままに生涯を貫こうとする、聖なる人達のことです。
これから大バビロンの都は、今までの自らの行いに応じて神の裁きを受けるので、大バビロンの淫らな行いに加わったり、裁きによって訪れる災いに巻き込まれないように、注意を促しているのです。
天からの声は、大バビロンの仕儀に応じて、倍にして返せと言っています。
倍にして返すの“倍”の意味は、聖書の中からは読み取れなかったのですが、素直に文章を読めば、倍の規模、或いは、倍の期間と読み取れます。
とはいえ、仕返しの規模が倍と言われても、余りピンと来ませんが、仕返しの期間が倍と言うことでしたら、何となく納得できそうな解釈が可能です。
記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】や
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】を思い出して頂きたいのですが、この中で、小羊イエスが神から渡された巻物の七つの封印を開くこととは、以前より『銀の紐』などを通じてお伝えして来た、世界に六カ所ある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を順番に開いて行くことに加えて、個々の人間が霊界と直接繋がることを指すのだと述べました。
そして、それらの封印を開く時期についても言及したのですが、第一の封印を開いたのが明治維新後間もなくで、第二の封印を開くまでの間が約140~150年、そして第二の封印が開いたのは2011年の年末で、それからおよそ300年後に第三の封印を開く予定になっているそうです。
更に、第一の封印を開いた時には、白馬に乗った者が、勝利の上に勝利を重ねようと出ていきました。
明治維新以降の日本は、白い馬に乗った者に触発されたように国際社会に乗り出すのですが、当時としては合法的な行いをしていたにもかかわらず、無実の罪を着せられたまま、第二の封印を開くまでの間誤解され続けました。
しかし、第二の封印が開く時期になって、ようやく日本の過去の冤罪と、日本に罪を押しつけた者の罪状に、人々の関心が集まりつつあります。
そして、第二の封印を開くと、火のように赤い別の馬が現れます。
その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられたのですから、今後は日本に罪を押しつけたキリスト教勢力に対する批判と反発の声が高まり、主に拠点が開いた欧州が戦火に飲み込まれて行くことが予想されます。
何故なら、拠点が開くには、その土地に暮らす人々のうち、物事の道理を理解し尊重する人々の割合が一定以上に達していることが前提となりますので、拠点が開いた土地の人々は、最早自分達(又はその祖先)が行った不実の行為による罪悪感を許容できずに、自らの罪を認めて償いを行うようになるからです。
その過程で、国家間の対立や国内での紛争が多発する事態が想定されますので、一連の事態が収拾して安定を取り戻すまでには、凡そ300年かかると言う意味ではないかと読み取れます。
また、大淫婦は心の中で「私は女王であって、やもめではない」と言っているのですが、これに関連して、黙示録の第十七章第十四節では、「小羊は王の王」とあり、また前の項で、「大バビロンとはキリスト教会である」と述べました。
本来であれば小羊イエスこそがキリスト教会の王であり、イエスあってのキリスト教会なのですが、むしろキリスト教会の方から神の言葉やイエスの言葉に背を向けて、悪魔サタンの価値観を振りかざし、獣たちや地上の王達と淫らな行いに耽っていました。
ですから、『神の裁き』の時が訪れてから慌てて、幾ら自分が女王と強がってみても、既に身にまとっていた衣を剥ぎ取られて正体を暴かれた後では、本来の主を見失ったやもめの扱いも頷けます。
この様にして、『神の裁き』に伴う災いが大バビロンの都を襲う様子を目の当たりにして、聖なる人々は聖書に綴られた神の言葉が実現したことを知ります。
また聖書に予め記された通りに、地上に対して働きかける神の大きな力を実感するのです。
■ 神の裁きを受ける者達
黙示録の第十八章第九節~第十節にかけて、大淫婦と淫らなことをして、贅沢に暮らした地上の王達は、大淫婦が焼かれる煙を見て泣き悲しみ、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立って言います。
「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた。」
不正と腐敗に塗れて崩壊する大バビロン=キリスト教会の権威の凋落を目の当たりにして、かつて大バビロンと共に不法と頽廃の限りを尽くした地上の王達は何を思ったのでしょうか。
続く第十一節~第十七節では、地上の商人達が、大淫婦の為に泣き悲しみます。
もはや誰も彼らの商品を買う者はいないからです。
彼らの取り扱う物とは、それこそありとあらゆる物でした。
彼らの望んで止まない果物は、彼らから遠ざかってゆき、華美な物、煌びやかな物は皆、彼らの所から消え失せて、もはや決して見られることはありません。
この様な商品を扱って、大淫婦から富を得ていた商人達は、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立って泣き悲しんで言います。
「不幸だ、不幸だ、大いなる都、麻の布、また、紫の布や赤い布をまとい、金と宝石と真珠の飾りをつけた都。
あれほどの富が、ひとときの間に、皆荒れ果ててしまうとは。」
さて、地上の王達よりも大淫婦の為に泣き悲しんだのは、地上の商人達でした。
何故なら、彼らが扱う商品を買う者がいなくなってしまったからです。
地上の商人達が扱う物は、それこそ高価な装飾品から食糧、日用品からありとあらゆる物でしたが、何故彼らの商品を買う者がいなくなってしまったのでしょうか。
それは、彼らの取り扱う全ての商品が、悪魔サタンの価値観に基づいて“価値がある”と判断されてきた商品だからです。
例えて言えば、先頃の話ですが、国内の某ハンバーガーショップや、某コンビニエンスストア等で取り扱っていた鶏肉系の加工食品を製造していた中国の工場が、食材を衛生面で杜撰に取り扱ったり、見るからに腐食していると思われる食材を使用していた様子が報道されました。
私達日本人にとっては、食品工場におけるこの様な衛生観念に驚くのですが、その報道を受けた中国では、「本物の肉を使っているならまだマシだ」との声もあったのだそうです。
以前日本でも騒がれた「段ボール肉まん」の例もある様に、中国では本来なら食用ではない素材を使用した加工食品モドキが蔓延っていて、生命に関わる危険な薬物が混入している事例もあるようです。
テーマから外れてしまいますので、ここでは詳しくは触れませんが、上記の様ないわゆる紛い物、贋物が、同様の本物と比べて“割安だから”というだけの理由で、当たり前に市場に流通しているのですから、悪魔サタンの価値観にすっかり毒されていると言ってよいでしょう。
しかし、ここで紹介した事例等を通じて、表面は綺麗に飾っていても、実は無価値で危険な商品に満ちているという実態を深刻に受け止めて、問題視する人の数が増えてゆくと、粗悪な商品は徐々に市場から駆逐されてゆくのではないでしょうか。
その結果、元々は無価値な商品を“価値がある”と偽って販売していた商人達は、生計の糧を失って途方に暮れることになるのです。
そして第十七節~第十八節では、全ての船長、沿岸を航海する全て者、船乗り達、海で働く全て者も、大淫婦が焼かれる煙を見て叫びます。
「これほど大きな都が他にあっただろうか」
彼らは頭に塵を被り、泣き悲しんで更に叫びます。
「不幸だ、不幸だ、大いなる都、海に船を持つ者が皆、この都で、高価な物を取引し、豊かになったのに、ひとときの間に荒れ果ててしまうとは。」
さて、船乗り達の叫びの意味合いは明らかです。
大バビロンの都の崩壊に伴って、グローバリズムが終焉を迎え、世界の自由貿易が大幅に衰退するのです。
この様にして、多くの水の上に座っている大淫婦に対する、『神の裁き』が行われました。
■ 大バビロンの都が神の裁きを受けた理由
黙示録の第十八章第二十一節~第二十四節では、ある力強い天使が現れて、大きい挽き臼のような石を海に投げ込んで言います。
「大いなる都、バビロンは、この様に荒々しく投げ出され、もはや決して見られない。
竪琴を弾く物の奏でる音、歌を歌う者の声、笛を吹く者やラッパを鳴らす者の楽の音は、もはや決してお前のうちには聞かれない。
あらゆる技術を身につけた者達も誰一人、もはやお前のうちには見られない。
挽き臼の音も又、もはや決してお前のうちには聞かれない。
灯火の明かりも、もはや決してお前のうちには輝かない。
花嫁や花婿の声も、もはや決してお前のうちには聞かれない。
何故なら、お前の商人達が地上の権力者となったからであり、また、お前の魔術によって全ての国の民が惑わされ、預言者達と聖なる者達の血、地上で殺された全ての者の血が、この都で流されたからである。」
さて、ここで又新たな天使が出て来て、大きい挽き臼のような石を海に投げ込むそうですが、これは一体どういう意味なのでしょうか。
『ルカによる福音書』の第十七章第一節~第二節では、イエスが弟子達に対してこの様に言います。
「つまずきは避けられない。
だが、それをもたらす者は不幸である。
その様な者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。」
つまり、つまずきは避けられないけれども、他人をつまずかせるのは罪深い行いだと言うことです。
そして、他人をつまずかせた罪深い行為の内訳を具体的に述べると、大バビロンの商人が地上の権力者になったこと、また大バビロンが悪魔サタンの価値観を広めて、全ての国の民を惑わせたこと、更に悪魔の価値観を広める際に障害となる預言者や聖なる者を殺めることによって、全ての国の人々をつまずかせました。
そんな大バビロンの最期は、大きな挽き臼のような石を海に投げ込むようにして、誰にも振り向かれなくなるのが相応しいと言うことでしょうか。
■ 多くの水の上に座る大淫婦に対する裁きのまとめ
前回の記事
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】では、小羊イエスが神から渡された巻物の第二の封印を開いたことによって始まった、『神の裁き』の全体的な流れについて解説しました。
そして今回は、『神の裁き』の主な対象である「多くの水の上に座っている大淫婦、大バビロンという名の、大きな都」に焦点を当てて、どの様な経緯で『神の裁き』が行われるのか、また『神の裁き』を受ける理由について取り上げました。
今回の解読記事をご覧になると、大バビロンの正体と神に裁かれる理由が、かなり明確に示されていることがお分かりになると思います。
ところで、大バビロンと共に淫らな行為を行っていた獣や王達は、そのまま逃げ仰せてしまったのでしょうか。
実は、獣や王達のその後についてもきちんと『ヨハネの黙示録』に記されているのですが、事情により次回に持ち越します。
ちょっと驚きの結末をご紹介出来ると思いますので、もうしばらくお待ち下さい。
また、黙示録には、大バビロンが「(神の裁きによって)ほんのひとときの間に荒れ果ててしまう」とありましたが、実際には数十年~百年程度の期間をかけて、徐々に事態が進行して行くのではないかと考えております。
前回の記事では、イエスが封印を開く度に『神の裁き』が行われること、また『神の裁き』の流れは基本的に共通していると述べました。
私たち人類は、既に一度『神の裁き』のサイクルを経験しているので、その期間の歴史的な経緯を詳細に検証すると、更に色々と分かることがあるかも知れないとも述べました。
一度目の『神の裁き』のサイクルとは、明治維新の訪れと共に第一の封印を開いてから、大東亜戦争の終戦まで(占領統治の期間を含むかどうかは微妙)の、およそ70~80年程度を推定しております。
ですから、二回目となる今回の『神の裁き』も、恐らく同等程度の時間をかけて事態が進行して行くとの想定です。
そして、ここまで『ヨハネの黙示録』を読み進めて行くと、この文書がキリスト教会を通じて伝えられてきた理由が、今回の『神の裁き』の時代を生きる方に向けて送られたメッセージである事を、すんなりとご理解頂けるのではないかと思います。
Silvercord管理人
なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。
閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:
http://www.bible.or.jp/
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