【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】
『ヨハネの黙示録』第十四章~第十五章、地上が悪魔サタンの支配下に置かれた頃、天で進行していた『神の裁き』の時に向けての準備の様子。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】
『ヨハネの黙示録』第十六章、『神の裁き』として、七人の天使が地上にもたらす災いの様子と、『神の裁き』の目的について。
【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】
『ヨハネの黙示録』第十七章~第十八章、多くの水の上に座っている大淫婦に対する『神の裁き』の様子。
■ 大淫婦に対する裁きの伝達
前回の記事では、多くの水の上に座っている大淫婦が『神の裁き』を受ける理由を、力のある天使が述べた所で終わりました。
今回はその続きで、黙示録の第十九章の第一節~第三節にて、大群衆の大声のようなものが、天でこの様に言いました。
「救いと栄光と力とは、私たちの神のもの。
その裁きは真実で正しいからである。
淫らな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、ご自分の僕達の流した血の復讐を、彼女になさったからである」
「大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」
まず、天で聞こえた大群衆の声とは、黙示録の第十四章の冒頭で、小羊と共にシオンの山に立っていた十四万四千の者達の声でしょう。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】で解説しておりますが、十四万四千人の者達とは、かつて人間として地上で過ごした時に、神の言葉のままにあろうと努めたので、天使によって額に神の刻印を押された者達です。
そして、淫らな行いで地上を堕落させた大淫婦に対する裁きについては、既に解説しましたが、神の僕達が流した血の復讐を彼女にしたという部分についても、意味合いとしては同様です。
悪魔に汚されて淫らの限りを尽くすという種を蒔いた大淫婦は、ペテン師の獣や王達に焼かれて崩壊するという必然的な結果を刈り取ったと言うことです。
更に声は、「大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る」と言いましたが、これは今までに大淫婦が犯した所業の全てが明らかにされ、その所業によって必然的に裁かれたという事実が、世界中に遍く伝達されるのでしょう。
それによって、大淫婦を通じて世界中に悪魔の価値観を振りまこうとした悪魔サタンの作戦は失敗に終わり、「俺は地上の神になる!」という悪魔の目論見は、大幅な計画の変更を強いられることになります。
■ キリスト教会の再生
黙示録の第十九章第四節~第八節では、天の神の玉座の周りに座を構える二十四人の長老達や、神の玉座の周りにいる四つの生き物が、神に拝礼します。
そして玉座からも、「神を讃えよ」との声があります。
更に大群衆のような声が、次のように言いました。
「全能者であり、私たちの神である主が王となられた。
私たち大いに喜び、神の栄光を讃えよう。
小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。
花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。
この麻の衣とは、聖なる者達の正しい行いである。」
さて、「神である主が王となられた」とは、大淫婦に対する『神の裁き』を行って、悪魔サタンの作戦が失敗に終わり、地上の人々が神の名のもとに一つに束ねられたと言う意味合いでしょうか。
「また、小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた」とあるのは、本来であれば小羊の花嫁になるべき者が、悪魔の価値観に酔い痴れて淫らな行為に耽る大淫婦となってしまったので、『神の裁き』によって大淫婦が焼かれた後に、ようやく小羊は婚礼の日を迎えることが出来るのでしょう。
花嫁には、輝く清い麻の衣が着せられていて、麻の衣とは聖なる者の正しい行いを指すのですから、この花嫁は悪魔の価値観に汚されて酔い痴れることもなく、淫らな行為に惹かれることもないでしょう。
麻の衣を着た花嫁とは、恐らく「神の言葉とイエスの教えに立ち返ったキリスト教会」を表しております。
それが現在のキリスト教会をルーツとして、「花嫁派」と「大淫婦派」に分裂して行くのか、もしくは現在のキリスト教会は「大淫婦の象徴」として衰退した後に、別の者が旧キリスト教徒の受け皿としての新たな組織を立ち上げて行くのか、その辺りの経緯についてはよく分かりません。
『ヨハネの黙示録』の文面からは、一旦キリスト教会が衰退・消滅する様に受け取れるのですが、現時点で既に『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が開いていて、ローマ教皇が覡役として機能し始めているのですから、「花嫁派」と「大淫婦派」に分裂した後、ローマ教皇率いる「花嫁派」のみが命脈を保って、キリスト教会再興の礎となる可能性も捨てきれません。
続けて、黙示録の第十九章第九節~第十節では、天使が「小羊の婚宴に招かれている者達は幸いだ」と言います。
更に「これは、神の真実の言葉である」とも言います。
そこでヨハネが天使を拝もうとして足下にひれ伏すと、天使はこの様に言います。
「止めよ。
私は、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟達と共に、仕える者である。
神を礼拝せよ。
イエスの証しは預言の霊なのだ。」
ここで天使が「小羊の婚宴に招かれている者達は幸いだ」と言っていますが、小羊の婚宴に招かれると言うことは、大淫婦に惑わされて淫らな行いの杯に酔い痴れるのではなく、小羊の正当な花嫁である再生したキリスト教会に集う機会を得たことになります。
また天使は、自らをヨハネなどのイエスの使徒達と同様に神に仕える者だと述べております。
ここで思い出して頂きたいのは、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】の、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙についてです。
それらの手紙は全て『天使』に宛てているのに、何故特定の人間に宛てた手紙と解釈するのかが不可解――その様に感じた方が居られるかも知れません。
ですが、この天使の言葉により、天使でも人間でも、神に仕える者としての立場は同じと捉えることが出来ます。
ましてや、ここまで解読してきたように、『ヨハネの黙示録』には、悪魔サタンの計略とその顛末までが記されていますので、時が満ちるまでは容易に本来の意図を悪魔の手の者に悟られないように、複雑な文書構成と、曖昧であると同時に象徴的なキーワードを随所に散りばめ、更に解読のヒントもさり気なく盛り込んでいます。
この事例では、一見すると「天使への手紙」と装いつつ、別の箇所で「天使も人間も神に仕えるのは同じ」と記すことによって、天使への手紙を人間への手紙と読み替えることが可能と伝えております。
『ヨハネの黙示録』は、特に暗号書的な側面が強調されていますが、聖書全体として同様の読み方が出来ます。
素直に読んでも意味の分からない表現があったら、この様な暗号解読手法によって、書き手が込めた本来の意図を読み解く助けとなるでしょう。
■ 白い馬に乗っている方の戦い
黙示録の第十九章第十一節にて、ヨハネは天が開かれているのを見たとあります。
これは、前の項目で小羊と花嫁の婚礼が行われたので、ようやく『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が本格的に機能し始めたことを表します。
既に述べている様に、『バチカンの拠点』自体は2011年の年末に開かれましたが、それは霊界と覡役のローマ教皇との間に、『創造性と思考力に働きかける霊的エネルギー』を供給する為の通路が整ったことを意味します。
しかし、覡より先の、個々の人間に向けて霊的エネルギーを供給するルートは、『バチカンの拠点』を通じた霊的エネルギー供給に対応出来ていません。
今のキリスト教会は、悪魔サタンの価値観に酔い痴れた大淫婦であり、霊的エネルギー供給の中継点となる各地の教会が、悪魔の手の者による干渉を受けているからです。
ですから、『バチカンの拠点』が正常に機能する為には、大淫婦に対する『神の裁き』と、小羊と清い花嫁との婚礼が不可欠なのです。
続けて、黙示録の第十九章第十一節~第十六節には、白い馬が現れます。
白い馬に乗っている方は、「誠実」及び「真実」と呼ばれて、正義を持って裁き、又戦います。
その目は燃え盛る炎の様で、頭には多くの王冠があります。
この方には、自分の他は誰も知らない名が記されていました。
また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれました。
そして、天の軍勢が白い馬に乗っていて、白く清い麻の衣をまとってこの方に従っていました。
この方の口からは、鋭い剣が出ています。
諸国の民をこれで打ち倒すのです。
また、自ら鉄の杖で彼らを治めます。
この方はぶどう酒の搾り桶を踏みますが、これには全能者である神の激しい怒りが込められています。
この方の衣と腿の辺りには、「王の王、主の主」という名が記されていました。
さて、ご覧の皆様は、『ヨハネの黙示録』の別の所にも白い馬が登場していたことを、覚えているでしょうか。
黙示録の第六章第二節で、小羊が巻物の七つの封印の一つ目を開いた後に、白い馬が現れ、馬に乗っている者は弓を持っていました。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】でも解説していますが、一つ目の封印とは『日本の拠点』を指します。
ですから、白い馬に乗っている方とは、『日本の拠点』を通じて地上に働きかける、霊界の住人です。
その方が、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義を持って裁き、又戦うのですから、既に正常に機能している『日本の拠点』を通じた働きかけの影響を強く受け続けている日本国民には、「誠実」を持って人と接し、「真実」を追求することに拘り、正義を持って裁き、又正義の為に戦う資質が、潜在的に具わっているはずです。
また、白い馬に乗っている方の目は、燃え盛る炎の様なのですが、黙示録の第一章第十四節には、ヨハネに語りかけるイエスの姿を見た時に、目はまるで燃え盛る炎の様だと例えております。
そして、頭に多くの王冠があるのですが、一つ目の封印を開いた時には、一つの冠を与えられていました。
「冠」とは、勝利を得た者に与えられるのですが、「王冠」は人間の王達が被る物として区別されているようです。
例えば、黙示録の第十三章第一節の、悪魔サタンに権威を与えられた獣に生えている十本の角には、それぞれに王冠がありましたが、十本の角とは獣に与する十人の王達と解読しました。
同様に、多くの王冠とは人間の王を表しているのですから、最初はたった一人で飛び出していった、白い馬に乗っている方は、ここで多くの人間の王達の賛同と支援を得ることに成功したのでしょうか。
あるいは、第一の封印を開いた時に出て来た「白い馬に乗っている方」と、ここで白い馬に乗っている方とは、本質的には同じであっても、人間の目から見ると別の存在として認識されるのかも知れません。
例えば、既に勝利を得ている霊界の住人でも、人間社会に何らかの影響を及ぼす為に、使命を受けて人間として産まれる場合があります。
その様な存在の代表例がイエスなのですが、ここで描かれている「白い馬に乗っている方」も、イエス自身を表す描写が多用されています。
燃え盛る様な目をしていたり、口から鋭い剣が出ていたり、自ら鉄の杖を振るったりします。
それで諸国の民を治めるのです。
また、この方の衣と腿の辺りには「王の王、主の主」という名が記されているのですが、黙示録の第十七章で小羊イエスが獣や王達と戦った時にも、「小羊は王の王、主の主なので、彼らに打ち勝つ」と描写されています。
以上の点をまとめると、ここで現れた「白い馬に乗っている方」とは、『霊界と地上界を繋ぐ日本の拠点』を通じて働きかけていた霊界の住人であり、第二の封印を開くと共に始まった『神の裁き』を経てキリスト教会が正常化した後に、獣や王達を倒す為に先頭に立って戦う者としての役割を果たす為に、人間として産まれるのではないでしょうか。
その方が人間として地上に現れるのは、今より百年程度後の時代になると思いますが、或いはイエスの再臨に例えられることになるのかも知れません。
また、彼は血に染まった衣を身にまとっていますが、衣についた血とは、神によって創造された地上や海の生物を、人間の行いによって無駄に流した血を表します。
そして、血に染まった衣の名が「神の言葉」と呼ばれたのですが、この「神の言葉」とは、『創世記』の最初に、神が「光あれ」と言われたので、光があったと記されている様に、『物事が起こる原因』と言う意味なのでしょう。
「種を蒔いた結果を刈り取る」の種に当たります。
ですから、「白い馬に乗っている方」は、獣や王達が、神の創造した生物の血を無駄に流した結果を、彼ら自身に刈り取らせる為に現れたのです。
天の軍勢が白い馬に乗って「白い馬に乗っている方」に従っているので、父なる神の全面的な支援のもとに、数多くの天使達が軍勢に加わっているのが分かります。
そして、天の軍勢がまとっている、白く清い麻の衣とは、前の項目で小羊と婚礼を上げた花嫁の衣装と似通っています。
「白い馬に乗っている方」の口からは、鋭い剣が出ていて、諸国の民をこれで打ち倒すのですが、口から出ている鋭い剣とは「弁舌が立つ」ことを示しているので、言葉、言論によって人々を説得するのでしょう。
また、彼は自ら鉄の杖で、諸国の人々を治めるのですが、『ヨハネの黙示録』には、他にも鉄の杖が出てくる箇所があります。
一つ目が第二章第二十七節で、ティアティラにある教会の天使に宛てた手紙の中で、勝利を得る者についての話の中で、「彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕く様に」と述べております。
『土の器を打ち砕く』とは、『創世記』第二章でも、「土の塵で人を形作る」とある様に、土の器である人間の肉体に対する執着を打ち砕く、つまり霊こそが本質で、肉体は一時的な乗り物に過ぎないという認識を、人々に広く理解してもらうことを指します。
二つ目は第十二章第五節で、女が産みの苦しみの果てに産んだ子であり、悪魔である赤い竜が、産まれたら食べてしまおうと付け狙っていた子供が産まれると、天の神の玉座に引き上げられます。
彼は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていたからです。
これらをまとめると、ティアティラにある教会の天使とは、これから百年程度後の日本に誕生する、かつてのイエスに比肩する精神的指導者を指しており、彼を筆頭とした一団が獣や地上の王達と戦う為に立ち上がることになると読めそうです。
「白い馬に乗っている方」は、神の激しい怒りが込められたぶどう酒の搾り桶を踏むのですから、これは予め定められた不可避の事態であり、最早獣やそれに与する王達には逃れる術がないのでしょう。
■ 獣や王達の顛末
黙示録の第十九章第十七節~第十八節では、太陽の中に一人の天使が立っていました。
天使は大声で、空高く飛んでいる全ての鳥に向かって叫びます。
「さあ、神の大宴会に集まれ。
王の肉、千人隊長の肉、権力者の肉を食べよ。
また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由な身分の者、奴隷、小さい者や大きな者の肉を食べよ。」
一方、あの獣と、地上の王達とその軍勢とが、「馬に乗っている方」とその軍勢対して戦う為に、集まっていました。
しかし、獣は捕らえられ、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられてしまいました。
このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたからです。
獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれました。
残りの者達は、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺されて、全ての鳥は、彼らの肉を飽きる程食べました。
さて、太陽の中に立っている天使が、鳥たちに向かって呼びかけるのですが、様々な立場の人の肉を食べる様に言っています。
何故かというと、「白い馬に乗っている方」が天の軍勢を率いて戦いに出たからであり、獣と地上の王達も、彼らに対抗して戦う為に軍勢を集めていたからです。
しかし、恐らくは双方の大戦が始まる前に、獣は捕らえられてしまいました。
獣と共に、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられてしまいます。
この偽預言者とは、黙示録の第十六章第十三節~第十四節に出て来ます。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】によると、第六の天使が鉢の中身をユーフラテス川に注ぐと、獣と彼らに与する者達が、調子に乗って悪魔サタンの価値観を世界中に広めてしまったものの、実は悪魔の価値観で作り上げた社会の仕組みは、人々の生命を脅かす危険なものでした。
しかし、獣たちは自分の行いを反省して改めるのではなく、悪魔の価値観に染まらなかった為に清浄であった土地に立ち入って、生命の維持に欠かせない貴重な水や食物を手に入れようと思い立ちます。
そこで、竜の口と、獣の口と、偽預言者の口から、蛙の様な汚れた三つの霊が出て来て、全世界の王達を唆して回るのです。
偽預言者が「しるしを行った」というのは、悪魔の価値観に染まっていない清浄な土地に向かって、「あそこをみんなで攻撃しよう」と唆して回ったことを指します。
獣と偽預言者は、主体的に諸国の人々を悪魔の価値観で惑わして回っていたので、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれました。
火の池については、今後投稿予定の記事で詳しく解説しますので、しばらくお待ち下さい。
それ以外の人々、獣に与していた王達や、獣と王達の軍勢に加わっていた者達は、「白い馬に乗っている方」の口から出ている剣で殺されてしまったとありますが、前の項目で「口から出ている剣」とは弁舌が立つことを示していると述べました。
ですから、王達とその軍勢の人々は、自分達が獣や偽預言者に惑わされて、悪魔の価値観で造られた社会を広げる為に使役されていたこと、そんな社会は人間に取って有害であることを、「白い馬に乗っている方」から教え諭されて、悔い改める様に促されるのでしょう。
その結果、王達もその軍勢の人々も、「白い馬に乗っている方」の言葉を受け入れて、今までの自分達の行いを悔い改めます。
彼らが悔い改めることによって、ようやく彼らは六六六の獣の数字の束縛から解放されて、天地創造の第七日目である神の祝福の日を目指すことになります。
六六六の獣の数字から解放された者にとっては、最早人間の肉体に拘る意味がなくなりますので、全ての鳥が(人としての生涯を終えた後の)彼らの肉を食らうことによって、彼らは人間が暮らす世界から決別して、かつてイエスが辿った様に、神の座へ引き上げられる為の道を進むのです。
■ キリスト教会の再生から獣達への裁きのまとめ
記事の冒頭でも述べましたが、本来ならこの記事は、前回の記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】からの続きとなりますが、事情により分割しての投稿となりました。
何故かというと、ここで「白い馬に乗っている方」が再び登場しましたので、その辺りの解説にかなりの字数を割くことになると予想したからです。
結果として上記の様に解読したのですが、よりによって、今後日本からイエスに比肩する精神的指導者が現れて、今回の『神の裁き』の決着を付ける為に重要な役割を務めること、しかも、それが『ヨハネの黙示録』に記されているとの指摘なのですから、驚きを持って受け取られた方も少なくないと思います。
実は、今回出てくる「白い馬に乗っている方」が日本に現れるとは、『ヨハネの黙示録』からは断定できません。
但し、小羊が巻物の第一の封印を開いた時に出て来たのですから、この方が『霊界と地上界を繋ぐ日本の拠点』を通じて働きかける霊界の住人である事は推定できます。
ですから、もし今後「白い馬に乗っている方」が人間として現れるのでしたら、他の地域で誕生するよりは、日本に誕生する方が自然だと感じたのが、第一の理由です。
そして第二の理由として、「白い馬に乗っている方」は、「誠実」及び「真実」と呼ばれるのですから、今の世界でそう呼ばれるのに相応しい国、もしくは誠実さや真実が最も貴ばれている国は日本であると思います。
更に第三の理由として、「白い馬に乗っている方」は血に染まった衣をまとっていました。
上の項目では、この「血に染まった衣」について、神によって創造された地上や海の生物を、人間の行いによって無駄に流した血に染まった衣であり、衣につけられた「神の言葉」という名は、『神の裁き』という結果を招いた原因だと述べました。
と言うことは、血に染まった衣とは、獣や王達の悪事の記録であり、血塗られた歴史と言いかえることも出来ます。
そこで思い起こすのは、前回の『神の裁き』と推定される第二次世界大戦の結果として、日本は謂われのない濡れ衣を着せられたまま、現在に至っています。
戦争の時代の出来事でもあり、誰もが脛に持つ傷の一つや二つはあるので、暗黙の了解として不問に付すのなら、それはそれで賢い選択なのかも知れません。
そして恐らく、従来の日本は、過去の濡れ衣が後々まで尾を引くのでなければ、不当な嘘偽りの断罪をも甘受しようと務めてきたのでしょう。
しかし、過去の出来事にいつまでも決着を付けずに、それどころか日本に政治的圧力をかけるプロパガンダの道具として弄ぶ国が現れて、日本の受ける損失が無視できない程に拡大しているので、遅ればせながら日本もようやく反論を開始したのが現在です。
既に歴史学の分野では、過去の日本に対する扱いが不当であったと言う認識が、ある程度広まっているとも聞きますが、そういった一部の専門家を除くと、未だに根拠の薄弱なプロパガンダが事実として罷り通っているようです。
さて、ここに来てようやく日本も反論を始めたのですが、言わば世間の常識として植え付けられてしまったプロパガンダを覆すには、やはり多くの時間と手間がかかるのではないかと思います。
そして、獣や王達の悪事を明らかにすると言うことは、同時に不当な濡れ衣を着せられた日本の冤罪を晴らすという事でもあります。
ですから、「白い馬に乗っている方」の活動の過程で、日本の歴史的な冤罪の解決が避けられないと思われますので、彼は日本から現れるのではないかと推測できるのです。
などと調子に乗って滔々と述べてきたのですが、ここで登場する「白い馬に乗っている方」は、実は人間として産まれるのではなくて、霊界の住人として何らかの役割を果たす可能性も捨てきれません。
この点については、霊界の住人の方も明確な見解を示して頂けなかったので、「一応『ヨハネの黙示録』には、そう書いてあるみたいだけど、実際にはどうなるんだろうね――」と、軽く聞き流しつつ、頭の片隅に留めて置いて頂ければ幸いです。
Silvercord管理人
なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。
閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/
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7 件のコメント:
民主党政権時代は日本古来の神々や神社、個人の霊との橋渡しをしていただいて興味深く拝見させていただいていましたが、最近はずっとキリスト教寄りですね?
自民党政権になって役目が終わったので中の方が交替されたのでしょうか?
以前が懐かしいです
横やりではありますが
こちらの管理人さんは、もともと「バチカンの拠点を開くため」の活動が主幹でしたよね。
黙示録がその拠点の解放を描いているとしたら、ブログの方向性としては自然ではないかと思いながら拝見しています。
日本の神々のご活動も、世界の神々との相互作用によるものであり、黙示録がキリスト教の経典であるとはいっても、成立当初はまだ知られていなかった日本が、世界規模の変革の中では何らかの形で登場していてもおかしくはないわけで、私は非常に興味深く拝見しています。
10月18日 13:42:00 さんのご心境としては、いわば、日本史が大好きなのに最近世界史の話ばかり…というのに似たものではないかなとご推察しますが、世界史でも日本が関係する話なら日本史との相互作用も見て取れますし、日本一国だけでみていてはなぜそうなるのかわからないことが、世界の動きの中では必然であったと分かることもあります。
思うに、今は日本においては激動のさなか、あるいは激動の前夜なのでしょう。なんとなく、そのような空気が感じられてなりません。
だからこそ、現在は日本については「言いたくても言えない」状況で、それでも現況がどういうものか伝えるのに、あえて「日本に現れた環水平アーク」という事象をきっかけとして黙示録のお話をされているのではないかと思います。
今の日本の状況がどこにあたるのか、じっくり考えながら読むと、非常に含みのある、興味深いお話であると思います。
民主党時代のお話も、今日の状況から振り返ってみると、あの時、あのようなお話を通して、ある程度の数の人間が「心の状態」を整える必要があったのではないかと思われてなりません。
特に、「日本を覆っていた結界」のお話は、日本の状態がどこへ向かっているのか判断するのに非常に参考になる指針が多かったと、今つくづく思います。
あれから様々な不正や疑惑が明らかにされ、ついに今年は朝日新聞の虚報問題(あえてこう表現いたします)も陽の光のもとにさらされることになりました。
「日本を覆っていた結界」が役目を終え、ともかくも隠され続けた様々な膿、汚れは、着実に清算される方向へ向かっています。
どんなに汚い悪事が表面化しても、それは清算への第一歩であって、絶望することではない…
私はこちらのブログを拝見していて、そのように心の準備ができた気がしています。
また、こちらの解読では、日本から次の「子羊」が生まれるのは100年ほど後、次の拠点の解放は数百年後…などとされていますが、もしかしたら黙示録は工程表であって、スケジュールではないのかもしれません。
いつ頃こうしたことが起こる、というのはあくまで現時点での見込みであって、事態が早く進行すれば、ドミノ倒しのように次々と事象が起こることも考えられます。
そういう意味では、遠い未来の話だからと他人事のように思うのも軽卒であるような気がします。
そもそも、キリスト教は唯一神への絶対帰依を柱としていると思ったら、実際はそうでなく、人々の魂がより向上することを目的としていたのだということも興味深いものです。それなら、日本の宗教観ともそれほど違和感のあるものではなさそうな気がします。
つまりは、人としてこの世に誕生した以上、目指すべき方向は本来同じであった…というわけで、私自身はなるほどとスッキリした感があります。
とはいえ、表面に見えてくる物事というのは「なぜそうなったのか」と分からないことも多いものです。
現在進行中のもろもろについても、時が来たら、差し支えのない範囲で様々ご解説頂けたらいいなと思います。
今の日本の状況は、相変わらずいろんなしがらみに制限を受けつつも、大勢としては様々な追い風を受けているようにも思えます。一見悪い状況も含めてです。痛い目をみてやっと学ぶ私たち一般人にとっては必要な状況なのかもしれません。これによって、あるべき世論の形成は進んでいくのかもしれません。
故中川氏ら、あちらでご活躍されている皆様の存在を折にふれて思うのも、こちらの記事を読ませていただいていたからこそと思っています。
どうぞ、これからも示唆に富むお話を聴かせていただきますように。
今後ともよろしくお願いいたします。
記事と関係ない話になってしまいましたが、いずれ、記事に関してもより理解を深めるために質問などさせていただくかもしれません。
今は、自分なりにじっくり読み込ませていただいています。
その折には、またよろしくお願いします。
匿名様
概ね10月18日15:05投稿の匿名様のコメントで説明されている通りです。
最近は『ヨハネの黙示録』を解読すると言う、一纏まりのプロジェクトに取り組んでいる最中ですので、一時的に聖書関連の記事を集中的に投稿しているだけです。
『ヨハネの黙示録』を解読するプロジェクトも後半に入っておりますが、現在のペースで年末頃までは聖書関連の記事が続く模様です。
なお、記事【生存報告と今後の予定】で述べております様に、現在霊媒Mが携わっている作業の都合により、以前の様には対応できない事情がありますので、その旨ご理解をお願い致します。
また、個人の名を名乗る霊との橋渡しにつきましては、以前の幾つかの記事において、霊界の住人のメッセージに注目されるのではなく、メッセージを送る霊の名前に拘る方がいた為に、建設的な意見交換が阻害される事態が起こりました。
それは霊媒や管理人が目指す活動のあり方ではないと判断しましたので、個人の名を名乗る霊との橋渡しの作業を中止しました。
匿名様のご期待にお応えするには、ご覧の皆様のご協力が不可欠なのですが、中にはご協力頂けない方もいらっしゃるようですので、今後『銀の紐』に「個人の名を名乗る霊」が登場する見込はありません。
(神社の御祭神である方については、例外として個人の名を名乗る霊として登場する場合もありますが、あくまでも「神社の御祭神」としての扱いとなります。)
その上で、「こういうテーマを取り上げて欲しい」というご要望がありましたら、コメント欄よりお寄せ下さい。
あくまでも要望ですので、必ず採用するとお約束は出来ませんが、対応可能なご要望にはお答えしていきたいと考えております。
詳しくは記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。
匿名様
『銀の紐』の過去記事から最新記事まで、満遍なく熟読されていると受け取りました。
匿名様のコメントを拝見していると、霊媒Mと管理人が『銀の紐』を通して伝えようとしたメッセージが、ご覧の皆様にきちんと伝わっていると確認できます。
恐らく、霊界の住人の皆様も同意見なのではないでしょうか。
管理人様
こんばんは。2週間置きの金曜日の夜を、今か今かと楽しみ(?)にしております一人です。
いつもこのような長文の、内容の深い記事を本当に御苦労様です。
そして、ありがとうございます。
皆さんのコメントもいつも欠かさず読んでいます。
こちらのブログを読まれている方々は、本当に皆さん色んな事を良く勉強されてる方が多いのだなと、感心しております。
私はまだまだ色んな意味で強不足で・・・
正直何度内容を読ませて頂いても難しくて分からない事も多いです。
私のような一般人(?)が何故このブログに辿り着いたのか、
それそのものが奇跡のようです。。。
幼稚な話で申し訳有りませんが、今回の黙示録に書かれてある内容は、
本当に大雑把な解釈ですが、言わんとする事が・・・
神社の御神籤の「神の教え」に書かれてある事と似ているように感じます。
ですので、やはり外国、日本、関係無く(全く関係無い事はないでしょうが・・・)、
”人間たちへ伝えたい事”には変わりが無いのかと思います・・・。
不思議なご縁で出会う事の出来たこちらのブログ・・・
それを通して、一体自分が何を学ぶ事が出来るのか、
そして何が出来るのか・・・
自分なりに考えて行こうと思います。
これから黙示録ではどうなって行くのか・・・
ただ見てるだけではいけないような気がしますが・・・
それも無い頭で色々考えています。
いつもありがとうございます。
次回の記事も楽しみに待っています。
これからも頑張って下さい!!
ひまわり様
霊媒も管理人も、ご覧の皆様と同じ一般人ですが…。
『ヨハネの黙示録』の内容と、御神籤の「神の教え」の内容が似通っているのは、最終的にはどちらも同じ情報源に辿り着くからです。
世界各地に暮らす人々に向けて、同一の情報源から同じ情報を度々発信している筈なのですが、その情報を受け取る人間の先入観が、受け取った情報に余計な雑音を付加してしまっているのでしょう。
自分自身で考えてみる機会は重要ですが、どうしても分からない場合は、人に聞くことによって新たな知見が広がるきっかけになります。
『銀の紐』でも、各掲載記事のコメント欄より質問を受け付けておりますので、臨機応変にご活用下さい。
その際には、質問内容を具体的に示して頂いた方が、目的の回答を引き出しやすいと思います。
管理人様
こんばんは。
管理人様も霊媒Mさまも一般の方ですね(笑)
申し訳有りませんでした。
管理人様の言い方がおかしくて笑ってしまいました。
私のような、政治にも時事問題にも疎く、
全く知識も興味も無かった(すみません)人間が、
ここはどの時期の事だろう?
これは何の意味だろう??などと思いネットで色々調べたりしながら、
必死で「ヨハネの黙示録の解読」を読んでいるのが不思議で・・・
一般人の使い方が間違っておりました(笑)
ありがとうございます。
質問したい事は有るのですが、もう少し先を読んでみてからの方が良さそうです。
「神の教え」と「ヨハネの黙示録」の内容が似通っているのは、
最終的には同じ情報源に辿り着くからとの事。。。
なるほどです。納得しました。
スッキリしました。
”どうしても分からない場合は人に聞く事によって新たな知見も”との
温かいお言葉もありがとうございます。
こんなくだらない質問をしても良いのか・・・?と思ったりして躊躇していましたが、
一般人の素朴な疑問が生まれた時は、どうぞよろしくお願い致します。
(なるべく意味の伝われる質問にするように気を付けます・・・)
度々のコメント、失礼いたしました。
ありがとうございました。
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