2014年10月31日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その9)

この記事は、以前投稿した下記記事の続編となりますので、未読の方はこちらの記事より順番にご覧下さい。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】
『ヨハネの黙示録』第十四章~第十五章、地上が悪魔サタンの支配下に置かれた頃、天で進行していた『神の裁き』の時に向けての準備の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】
『ヨハネの黙示録』第十六章、『神の裁き』として、七人の天使が地上にもたらす災いの様子と、『神の裁き』の目的について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】
『ヨハネの黙示録』第十七章~第十八章、多くの水の上に座っている大淫婦に対する『神の裁き』の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その8)】
『ヨハネの黙示録』第十八章、大淫婦に対する『神の裁き』に伴うキリスト教会の再生と、獣達の辿る顛末について。





■ 悪魔サタンの処遇

前回までの記事では、小羊イエスが巻物の第二の封印を開いた時に起こる『神の裁き』について、幾つかの視点から見た経緯を追いかけてきましたが、ここで再び内容が変わります。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】では、小羊イエスが巻物の第七の封印を開いて、七人の天使が順番にラッパを吹いた所まで解説しましたが、今回はその続きとなります。
黙示録の第二十章第一節~第三節では、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にして、天から降って来ます。
この天使は、悪魔サタンである、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえて、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵を掛け、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさない様にします。
そのあとで、竜はしばらくの間、開放されるはずです。
さて、一人の天使が、底なしの淵の鍵と鎖を手にして、天から降りてくるのですが、黙示録の第九章で、第五の天使がラッパを吹いた時に、天から地上に落ちて来た星には、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられていました。
この天から落ちてきた星とは悪魔サタンであり、父なる神から底なしの淵の鍵を開ける許可を得たのだ言う点については、既に解説しました。
底なしの淵とは、悪霊に満ちている場所である事も解説しました。
悪魔サタンは、底なしの淵の中に満ちていた悪霊達を使役して、諸国の民を惑わせている様子も述べられていましたが、今度は、悪魔サタン自身を鎖で拘束して、底なしの淵の中に封印してしまいます。
今までは悪魔サタンの唆しに惑わされていた諸国の民も、これでようやく邪魔者の余計な干渉を受けることなく、落ち着いて神の言葉に向き直ることが出来る様になるのでしょう。
ここで思い出して頂きたいのですが、神様から人間に対する働きかけの一つとして、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を通じて、霊界から『人間の創造性と思考力を活性化させるエネルギー』と呼ぶ霊的エネルギーが送られていると述べました。
そして、今は人間が直接その霊的エネルギーを受け取れるわけではないので、霊的エネルギーを仲介する役割を務める覡役の者がおり、また『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を特別の場所として維持する為の存在として、拠点の守人がいます。
しかし、第七の天使がラッパを吹くと、今度は霊的エネルギーを『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を経由するのではなく、霊界から直接人間に送られる様に、霊的エネルギーを供給する仕組みが変わって行きます。
そうなると、霊界と直接繋がれた人間は、神様や霊界の住人と霊界通信が行える様になりますので、現在は『銀の紐』の霊媒Mなどの限られた人にのみ行使できる能力が、霊界と繋がれた人間であれば誰でも当たり前に行使できる状態に変わって行きます。
誰もが、霊界の住人と直接意志疎通が出来る様になるのですから、悪魔サタンの唆しが通用しなくなるのです。
とはいえ、第七の天使がラッパを吹いた途端に、誰もが急に霊界と直接繋がれるのではなくて、長い時間をかけて少しずつ、霊界と直接繋がれる人間の数が増えて行きます。
その間にも、既に開かれている六つの『霊界と地上界を繋ぐ拠点』は、しばらくの間ずっと開かれたままの状態が続きますので、第七の天使がラッパを吹いた段階では霊界と直接繋がれていない人に対しても、各地の拠点を通じて必要な霊的エネルギーが送られる仕組みは維持されます。
ですから、第七の天使がラッパを吹いても慌てることなく、各々の成長速度に合わせて、じっくりと霊界と直接繋げる試みに取り組んで行けば良いのです。
そういえば、黙示録の第六章で、小羊イエスが巻物の第五の封印を開いた時に、祭壇の下に集っていた魂の集団は、主に対して、「神の教えに沿っていた私たちを殺した者を裁いて、早く復讐をして下さい」と急かすように訴えるのですが、主は逆に、「あなたたちと同じように、神の教えに沿っていた為に殺されてしまう人の数が満ちるまで、しばらく待つように」と諭していました。
それは何故かというと、たった一つの『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を維持するだけでも、多くの霊による連携作業が必要になるのですが、いずれは霊界と人間が直接結ばれるのでしたら、人間の数だけ『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を作ることになりますから、その作業に必要となる霊界の住人の数は莫大である事が想像できます。
ですから、第七の天使がラッパを吹いてしまう前に、霊界と人間を直接結びつける役割を担う成熟した霊を、大量に育成しておかなくてはならないのです。
と言うことで、様々な困難に見舞われたけれども、何とかハッピーエンドを迎えそうだと思った方は、もう少しお待ち下さい。
何故なら、悪魔サタンは、その後にしばらくの間開放されることになっているそうですから。





■ 第一の復活

黙示録の第二十章第四節~第六節では、多くの座があります。
その上には座っている者達がいて、彼らには裁くことが許されていました。
また、イエスの証しと神の言葉の為に、首を刎ねられた者達の魂がいました。
この者達は、あの獣も拝まずに、獣の像も拝まずに、額や手に獣の刻印を受けませんでした。
彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治しました。
その他の死者は、千年経つまで生き返りませんでした。
これが第一の復活です。
第一の復活に預かる者は、幸いな者、聖なる者です。
この者達に対して、第二の死は何の力もありません。
彼らはキリストの祭司になって、千年の間キリストと共に統治します。
さて、前の項目では、第七の天使がラッパを吹いた後の、地上の様子について解説しましたが、こちらは天の様子が述べられています。
多くの座に座っている者には、裁くことが許されていたとありますが、裁くこととは『神の裁き』を指しますので、ここまでの間に『ヨハネの黙示録』を通じて述べてきた霊的成長の段階を経ることによって、『神の裁き』を行使できる者の座が沢山作られることになります。
一般的に、キリスト教会では「神とは父なる神のみであり、また父なる神と子であるイエスと聖霊は、三つの姿を見せていても実は一体の存在である」とする『三位一体』の教義を持っておりますが、では、裁くことを許されている者達が座っている座が沢山あるとする記述との間に、どの様な整合性が取れるのでしょうか。
また、イエスの証しと神の言葉の為に、首を刎ねられた者達の魂がいました。
彼らは、獣や獣の像を拝まずに、額や手に獣の刻印を受けなかったとありますが、生前の彼らは獣に与する者達の行いを咎めたので、「異端者」扱いを受けて処刑されたのです。
地上で人として生きた時には、キリスト教会の聖職者によって「異端者」の烙印を押されて処刑された者こそが、実は聖なる者であって、キリストと共に千年の間統治する立場に立てたのです。
聖なる者とは勝利を得る者ですから、彼らは天の父なる神の元で、イエスが取りまとめとなって行っている作業に、共に携わることになります。
そして、イエスが携わっている作業とは、神から渡された巻物の七つの封印を開くことであり、封印を開く作業とは、世界に六カ所ある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を開くこと、そして霊界と個々の人間が直接繋がれる様に育成することを指すと、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】や、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】などを通じて解説しました。
ですから、キリストと共に千年の間統治するというのは、人間が霊界と直接繋がれることにより、世界に六カ所ある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』から霊的エネルギーの供給を受ける必要がなくなる様に、霊的な働きかけを通して人間を成長させる作業に携わるという事を指します。
悪魔サタンの影響を排除した状態で、イエスや聖なる者達が働きかけるのですから、イエス達の思惑通りに人間の成長も上手く捗ると言う意味で、「統治する」と一言で表しているのでしょう。
そして、聖なる者を除いたその他の死者は、千年経つまで生き返らなかったとありますが、その他の死者とは、獣や獣の像を拝んだり、額や手に獣の刻印を受けていた者を指します。
しかし、この時点で既に悪魔サタンは底なしの淵に封印されており、イエスや聖なる者達の霊的な働きかけが、全ての人間に遍く作用しているのですから、当然ながらその間は、悪魔サタンの価値観に惑わされた人間は地上に一人もいないことになります。
これを第一の復活というのだそうですが、では、その他の死者達は、生き返らなかった千年の間はどうしているのでしょうか。
これは管理人の想像の域を出ないのですが、サタンが自由に活動していた時期は、悪魔サタンの価値観に惑わされて、悪魔や獣達に与する人間に宿る霊であっても、イエスや聖なる者達が「統治する」時代に再び人間として産まれれば、イエスや聖なる者達の働きかけを素直に受けて、イエス達の思惑通りに成長して行くのではないでしょうか。
彼らはかつて、悪魔の価値観に与する者としての生涯を送った経験を踏まえて、更にイエス達の働きかけを受けた生涯を送るのですから、きっと「なぜ悪魔の価値観ではダメで、神の言葉に沿うことが正しいのか」を、より深く理解できる様になるのではないかと思います。
ここで、聖なる者達に対して、第二の死は何の力もないとありますが、第二の死については後の項目で取り上げておりますので、そちらで解説します。
とにかく、イエス達の「統治」は千年と言われる長期間に渡りました。





■ サタンの復活と最期

黙示録の第二十章第七節~第十節では、この千年が終わると、悪魔サタンが底なしの淵の牢から解放されます。
地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出ていって、彼らを戦わせようとします。
その数は海の砂の様に多いです。
彼らは地上の広い場所に攻め上っていって、聖なる者達の陣営と、愛された都とを囲みます。
すると、天から日が下って来て、彼らを焼き尽くしました。
そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれました。
そこにはあの獣と偽預言者がいます。
そして、この者達は昼も夜も世々限りなく責め苛まれます。
さて、イエスと聖なる者達による千年の統治が終わると、再び悪魔サタンは解放されて、底なしの淵の牢獄から地上に這い出てきます。
一応念のために断っておきますが、かつて悪魔に底なしの淵の穴を開く鍵が与えられた様に、今回も底なしの淵から悪魔を解放したのは神の意思です。
ここまで管理人と共に、しっかりと『ヨハネの黙示録』を読み込んで来た皆様でしたら、恐らく悪魔を解放した神の意図が想像できるのではないかと思いますが、まずは黙示録の物語を追いかけていきましょう。
悪魔は、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出ていって、彼らを戦わせようとします。
ここで述べているゴグとマゴグとは、『エゼキエル書』の第三十八章に出てくる「マゴグの地のゴグ、メシェクとトバルの総首長ゴグ」のことで、彼は北の国々を束ねて、安らかに過ごしているイスラエルの民を襲いに来ると預言されております。
ですから、かつて預言者エゼキエルがマゴグの地のゴグに預言した様に、悪魔は世界中を駆け巡って、自分の為に動く兵隊を整えて行きます。
既にイエスと聖なる者の統治が千年続いた後だというのに、「その数は海の砂の様に多い」と例えられる人々が、呆気なく悪魔の唆しに屈してしまいます。
彼らは地上の広い場所に攻め上っていって、聖なる者達の陣営と、愛された都とを囲むのですから、恐らく各地の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』に向かって、彼らは攻め上って行くのではないでしょうか。
すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くしますが、聖なる者達の陣営と、愛された都の運命がどうなってしまったのか、黙示録には記述がありません。
また、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くしたと言う描写も、そのまま素直に受け取って良いものか、疑問が残ります。
とにかく、聖なる者達の陣営に襲いかかろうとした悪魔の陣営は、文字通り潰滅してしまいます。
そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれました。
その池には、かつて小羊イエスが巻物の第二の封印を開いた時に、『神の裁き』の結果として、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた、あの獣と偽預言者がいます。
遙かな昔に、天で神や天使達と対立して地上に逃げ出してから、自分の勝手な都合で人間を唆して弄んできた悪魔サタンが、ここでようやく自分の行いの果実を刈り取ることになります。
その末路は、火と硫黄の池に投げ込まれて、先に投げ込まれていた獣や偽預言者と共に、昼も夜も世々限りなく責め苛まれることになります。
そういえば、悪魔サタンの正体は、かつて神の座に上がることを強く求めた天使であり、かつては自分より未熟であった霊が、人間に宿る経験を通じて自分より先に神の座へ引き上げられた様子を見て、見当違いの嫉妬心を抱いてしまったのだと解説しましたが、獣や偽預言者についても、ここで改めて解説しておきましょう。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】でも述べましたが、獣とはローマ帝国とその後継国家を通じて、地上世界を悪魔サタンの支配下に置く為に働いたサタンの眷属であり、過去に七つの霊が八人の人間として地上に産まれたと、黙示録の記述から読み取れます。
七つの霊が人間として地上で過ごした経験を踏まえて、その中の一つの霊が満を持して再び人間として地上に産まれて、悪魔サタンの価値観を地上に遍く流布する仕上げの作業に取りかかります。
そして、獣の中の一人である第八の者が、思惑通りの結果が現れてきたと錯覚した頃に、獣達にとっては想定外の『神の裁き』が始まります。
それが今です。
ですから、或いは、獣の一員である第八の者は、今現在この地上に生きている可能性があります。
それが何者かを特定するには、『ヨハネの黙示録』の記述だけでは曖昧すぎますし、元より『ヨハネの黙示録』はその様な目的で書かれた文書ではありません。
しかし、私たちは黙示録に記された『神の裁き』の時代を生きているんだ――そう意識するだけで、日々の暮らしに対する心構えが変わってくるのではないでしょうか。
少々脇道に逸れましたので、話を先に進めましょう。
以上の様に、ここで火と硫黄の池に投げ込まれているのは、獣と表現している七つの霊です。
そして、獣と共に火の池に投げ込まれた偽預言者とは、「私は神の言葉を伝える者である」と自称するペテン師を指します。
一言でペテン師と言っても、偽預言者は概ね二種類のタイプに分類できると考えています。
一つ目のタイプは、通信霊媒の能力を持つ者が、底なしの淵から出て来たイナゴの唆しを、神の言葉と勘違いして、碌に検証もしないまま周囲に吹聴して回るケースです。
こちらは霊能者やチャネラーなどを名乗って、神様のお告げなどと偽りのメッセージを発している人々が当て嵌まります。
小は個人的な活動から、大はある程度の人数の支持者を得た新興宗教の教祖まで、規模は違えど行為の意味合いは同じです。
当Blogの霊媒Mと管理人も、霊界の住人からのメッセージとして情報発信をしていますので、常に偽預言者の過ちを犯さない様に気をつけています。
そして二つ目のタイプは、聖書などの聖典に綴られた神の言葉を誤読し、或いは歪曲・偏向することにより、神の言葉の意味を歪めて人々に伝えてしまった者達です。
今やキリスト教が世界で最も多くの信徒を抱えているという実態を見るにつけ、キリスト教会の聖職者達が犯した罪は非常に大きいと言えるでしょう。
尤も、神の言葉の通りに自ら実践し、教えを請う信徒達にも神の言葉の通りに教え諭しているのでしたら、それは聖なる者の行いと言えるでしょう。
しかし現実には、黙示録の解読の過程で述べてきた様に、キリスト教会は悪魔サタンの干渉を継続的に受けていて、神の言葉とは食い違った教義を掲げる様になってしまいました。
悪魔の価値観に歪められた教義を、神の言葉として吹聴しているのですから、キリスト教会の聖職者達も偽預言者に当て嵌まるのです。
黙示録には、悪魔と獣と偽預言者が、火と硫黄の池の中で、昼も夜も世々限りなく責め苛まれるとあるのですが、これもキリスト教的価値観が色濃く出た表現であると思います。
実態は、この様なおどろおどろしいものではないと思いますが、火と硫黄の池の解読は後でまとめて行うこととして、先にこちらを確認しておきましょう。





■ 全ての死者達への裁き

黙示録の第二十章第十一節では、大きな白い玉座と、そこに座っている方の御前から、天も地も逃げていって、行方が分からなくなりました。
これは、天の様相も地の有様も、今までとはすっかり変わってしまう、全地球規模の天変地異が起こることを示しております。
この時に地上で暮らしていた者は、残らずこの天変地異に飲み込まれて滅びてしまうでしょう。
その災害の規模の大きさを証明する様に、黙示録の記述は以下の様に続きます。

黙示録の第二十章第十二節~第十五節では、大きな者や小さな者など、様々な死者が玉座の前に立っていました。
幾つかの書物が開かれて、更に命の書も開かれました。
死者達は、これらの書物に書かれていることに基づいて、彼らの行いに応じて裁かれました。
海は、その中にいた死者を外に出しました。
死と陰府も、その中にいた死者を出して、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれました。
死も陰府も火の池に投げ込まれました。
この火の池が第二の死です。
その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれました。
先程、地球規模の天変地異に襲われて、その時に地上で暮らしていたすべての者が犠牲になると述べましたが、そうして犠牲になった全ての者は、神の玉座の前で裁きを受けます。
死者達が裁かれる際に開いた書物とは、彼らが最も未熟な霊として誕生して以来の、その霊が経験した全ての出来事が記録してある記録庫のことであり、その情報を見ることによって、いわゆる霊の経験値が明らかになります。
さて、命の書とは、黙示録の第三章第五節にも出て来ました。
「勝利を得る者は、白い衣を着せられて、イエスは彼の名を決して命の書から消すことはない」と述べていましたので、命の書を見ることによって、勝利を得る者であるのかどうかを確認したのでしょう。
そして、命の書に名前のない者は、全て火の池に投げ込まれてしまいます。
火の池に投げ込まれると言うことは、悪魔や獣、偽預言者達と同様に扱われると言うことです。
この火の池が第二の死だと言うことなので、最終的に勝利を得られない者は、全員が第二の死と言われる状態に置かれることになります。
この「第二の死」については、黙示録のもう少し後の章にも言及がありますので、そちらでまとめて解説したいと思います。
また、火の池に投げ込まれるのは、勝利を得ることが出来ない人間と、悪魔や獣、偽預言者達だけではなくて、「死」と「陰府」も投げ込まれるそうです。
そこで改めて『ヨハネの黙示録』を読み返してみると、第六章第八節に「死」と「陰府」が登場しておりました。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】も合わせて参照して頂きたいのですが、小羊イエスが巻物の第四の封印を開いた時に、青白い馬が現れて、乗っている者の名を「死」と言い、これに「陰府」が従っていました。
その時には、「第四の封印とはチベットの拠点であり、青い馬に乗っている者は、チベットの拠点を通じて働きかける霊界の住人を指します。」と解説しましたが、それでは、チベットの拠点を通じて働きかける霊界の住人が火の池に投げ込まれることになりますので、この解釈は妥当ではありません。
「死」と「陰府」は火の池に投げ込まれるのですから、恐らくサタンや獣・偽預言者らに劣らない行為を行ったのではないかと想像できますが、それ以上の詳しい事情は『ヨハネの黙示録』からは読み取れません。
ここまで解説してきた様に、『ヨハネの黙示録』とは、神様による人類育成計画の概要を述べた上で、特にキリスト教会と関わりの深い『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が開いてから、『神の裁き』が行われる経緯に焦点を当てております。
ですから、バチカン以外の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』が開く際の詳しい事情については、『ヨハネの黙示録』と同様の意図で神から降ろされた他の文書を調べなくてはならないでしょう。
その文書がどこにあるのか、今のところは管理人にも見当はつきませんが、少なくとも第四の封印については、『チベットの拠点』に縁のある仏教の経典の中に、目的の文書が人知れず埋もれているのかも知れません。





■ 悪魔サタンの封印から全ての死者への裁きのまとめ

小羊イエスが巻物の第七の封印を開いた後、イエスと聖なる者達によって千年の間統治されることになりますが、その間悪魔サタンは底なしの淵に封印されてしまいます。
霊界の住人によると、イエスと聖なる者による統治の期間は、第一の封印から第七の封印が開かれるまでにかかるよりも長期間に及ぶのだそうです。
また、第七の封印を開く以前は、神様の働きかけと悪魔サタンの働きかけが混在しているので、人間には神の働きかけを見極める洞察力が問われていたのですが、第七の封印を開いた後は、神の働きかけのみを受ける状態に変わって行きます。
最初は困難な環境の元でスパルタ教育を受けていたのが、その後に整った環境で至れり尽くせりの温室育ちの時代が訪れると例えられるでしょうか。
この様に表現すると、イエスと聖なる者による統治の時代とは、必ずしも良いことばかりとは言えないのかもしれません。
案の定、一定の期間が終わると、サタンが再び解き放たれます。
しかし、この時地上に暮らしているのは、イエスと聖なる者による統治の間に、神の働きかけのみを受けてきた者達ですから、今更サタンに唆されるはずはないと思いがちですが、決してその様なことはありません。
神の働きかけのみを受けてきた者の中には、実は神の教えについての理解が中途半端で、周囲の者の行動を見よう見まねで従っているだけの場合もあります。
それでも、イエスと聖なる者が統治していた間は、周囲の人々の真似をしていれば、何となくその場をやり過ごせたのかも知れません。
ところが、再び解き放たれたサタンの干渉を受けると、神の教えを理解していない者は容易にサタンの唆しに乗せられてしまうのです。
そうして地上の四方から集められた諸国の民は、海の砂の様に多いのだそうです。
『ヨハネの黙示録』では、解放された悪魔サタンの活動を簡単に述べておりますが、霊界の住人の話によると、概ね七つの封印を開いてゆくまでと同等の時間をかけて、今度は地上に六つある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を順番に閉じて行くのだそうです。
そして最後の拠点が閉じられた後、地球は大変動期を迎えて、人類は滅亡します。
そうして神様から許されていたサタンの活動期間は終わりを迎えて、火の池に投げ込まれます。
また、この最後の大変動に巻き込まれて死んでしまった者たちのうち、命の書に名前のなかった者も、火の池に投げ込まれます。
そうして地球上で人間が覇を競っていた時代は終わりを告げます。

ここで「結局人類は滅亡してしまうのか…」と落胆してしまった方はいるでしょうか。
『ヨハネの黙示録』には、更に続きがあります。
残りはあと少しですから、黙示録の最期を見届けてから、落胆するのかどうかを決めても遅くはないでしょう。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

4 件のコメント:

  1.  こんにちは。以前ご質問させていただきましたがコメントは初めて投稿いたします。
     いつも興味深い記事をアップしていただいてありがとうございます。私にはとても難しいです。
     でも少なくともヨハネの黙示録に書かれていることが額面通りのことではないということがわかって少しだけホッとしました。あまりにも描写が怖いのできちんと読む気持ちになれなかったので、今回詳しい解説をしていただいてよかったと思います。
     人類の滅亡というのは、霊が成長するために人間として生まれてくる必要がなくなるということなんでしょうか。
     続きを楽しみにしています。

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    1. すず様

      『ヨハネの黙示録』の描写は、黙示録を受けたとされるヨハネ自身の価値観や先入観の影響により、実態よりも恐怖感を刺激する表現を多用しているのだと思います。
      尤も、こちらの解読記事についても、霊媒Mや管理人の価値観や先入観の影響を受けておりますので、その辺りはご覧の皆様に信憑性の判断をお任せします。
      なお、黙示録には続きがありますので、人類の滅亡が意味するものについては、今後投稿予定の記事で述べることになるでしょう。

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  2. 管理人様

    サタンが封印される時代というのが気になります。

    銀の紐サイトの記事で、人が地上に誕生する理由は霊的成長であり、そのためには欲望にまみれた悪行を行い痛い目を見ることも、成長には欠かせない要素であるという意味合いの文章を読んだような記憶があります。

    そのためには、社会の雰囲気を殺伐な状態にするサタンのような存在が居た方が、悪行によるカルマを蓄積する速度が速く、それに伴いカルマを解消する速度も速くなり、人が霊的に成長するためにかかる時間が短くなる可能性も考えられます。
    しかし、サタンのような存在による影響が無くなる時代には、平穏な社会であるために悪行を働く機会も減少し、それに伴いカルマの蓄積・解消にかかる時間も長くなるような気がします。
    サタンが封印される時代は、平穏であるがために霊的成長が停滞する時代と言えるのでしょうか?

    それとも、サタンの活動による影響は、戦争などの大規模な争いが専門で、個々人の関係によって生じるトラブルを源泉とするカルマの発生は別であり、平穏な時代でも霊的成長を停滞させることは無いのでしょうか?

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    1. 匿名様

      お寄せ頂いたコメントに関連して、記事【『ヨハネの黙示録』の物語を構成する三段階】を投稿しましたので、ご覧下さい。

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