2010年6月30日水曜日

東原亜希さんについて

先日投稿した記事【ダライラマ方法を拝見して】のコメント欄に、匿名様からの質問をお寄せ頂きました。
英霊の皆様からの回答を預かっておりますので、匿名様の質問と共に紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

最近、口蹄疫の拡散を食い止めるために英霊のみなさんに結界を張っていただいているというお話をうかがい、心強く感じています。
その折に、言及した人や組織に負の影響を及ぼすことで恐れられている東原亜希さんが、口蹄疫の沈静化を祈るコメントを発しており、
コメントに込められた想いや英霊のみなさんのご尽力に反して、甚大な悪影響が生じるのではないかと懸念が広がっています。
東原亜希さんとは一体何者なのでしょうか?
特殊な力を宿す人だとしたら、そのような力を彼女が宿している意義というのは何なのでしょうか?

英霊のみなさんから回答を伺えると幸いです。
よろしくお願いします。





■ 英霊の皆様の回答

「彼女には何の力もありません。
もし彼女が関心を向けた先に災いがあるのだとすれば、それは彼女自身の考え方が災いと同調するからであり、彼女自身が何かの力を使っているわけではないのです。
『類は友を呼ぶ』という言葉があるように、災いに彼女が惹き付けられているだけであり、それは彼女自身のものの考え方の問題であり、その考えが改められなければこれからも災いに気を惹かれ続ける事になるのでしょうね。
今はまだ、彼女自身が大きな災いに巻き込まれる事はないようですが、今のままでは彼女自身が災いを自分の身に引き寄せるのも時間の問題かもしれません。
彼女は心のあり方を今一度考えてみる必要がありそうです。

さて、このような事に一喜一憂する時間があるのであれば、もっと有意義な時間を過ごす事を提案いたします。
今の皆様にはもっと大切な事があるのではありませんか?
宿命は変える事が叶いませんが、運命は変える事が可能です。
皆様ご自身が出来る精一杯の事をしてから心配しても遅くは無いのですから、先ずは出来る事をしてみましょう。」

(2010年6月27日)





口蹄疫対策の成り行きに関心を持っておられるのは、非常に結構なことだと思います。
しかし、口蹄疫の感染拡大を防ぐ為に尽力されている霊界の住人の皆様は、たった一人の人間によって活動に支障を来してしまうような方ではありません。
むしろ、この様な根拠の曖昧な風聞に左右されてしまう方が多ければ多いほど、霊界の住人の皆様の活動にとって障害となる場合が少なくないことを、この場で特に強調しておきたいと思います。
英霊の皆様は、「これも学びの一つ」と述べて、質問に答えて頂きましたが、本来でしたら別にやるべき事が幾らでもあるので、それどころではないようです。
それでも質問に答えて頂けるのは、最終的に日本の行く末を決めるのは今を生きる私たち日本国民であり、英霊の皆様には霊的な側面からの間接的支援しかできないからです。
口蹄疫に関心があるのでしたら、他にも考えることや出来ることが幾らでもあるはずです。
最近の報道によると、口蹄疫が発生した地域で相次いで安全性調査が進められているようですが、仮にこのまま終息したとしても、今後の宮崎県の畜産をどの様に復興させるのかと言う問題は残ります。
宮崎県や畜産農家の方に対する様々な支援も行なわれている様ですが、終息した後もしばらくの間は継続的な支援を必要とするでしょう。
更には、今回の口蹄疫感染の経緯について詳細に調査し、今後類似の被害を招かないように再発防止措置を講じる必要があります。
私たち人間に出来ることで、まだまだ手をつけなくてはならないことは幾らでもあるのです。
以前投稿した記事【この世界で起こる問題は、この世界の中で解決できる】でも述べましたが、『人事を尽くして天命を待つ』姿勢について考えを深めて頂き、また実践して頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月29日火曜日

目の前にある現実に向き合おう

先日投稿した記事【ダライラマ法王を拝見して】のコメント欄から頂いた匿名様の質問を受けて、弘法大師こと『空海』と名乗る霊の回答が届いております。
そこで今回は、匿名様の質問と空海霊の回答を合わせてご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

ダライ・ラマさんが来日してもほとんど報道されないのが残念です。
管理人様、霊媒様に可能であれば聞いていただきたい事があります。弘法大師様にコンタクト出来るのでしたら、今の日本や中国、世界状勢を見てどのように思われるのか?地道に仏、道徳の道を説いて周った日々が無駄になってはいないか?出口王仁三郎に転生したというのは本当なのか、今現在はどこで何をされているのかもう転生されないのか?10代の若さで修業され寒さ暑さ飢えなど辛くなかったのか?肉体に伴うそのような症状を和らげる、いわゆる無になれる方法など私たちに教えていただけないでしょうか?
世、人の為そこまで出来たお大師様を尊敬しています。
性格はやはり穏やかでギャグなど言わないタイプだったのでしょうか?





■ 『空海』と名乗る霊の回答

「皆様と同様に私も一人の人間でしたので、皆様が辛いと思われる事は当然辛く感じましたし、好ましいと思われるものは私にも好ましく思われました。
私は皆様が考えておられるほど強い人間ではありませんでしたし、迷う事も多々ございました。
困難に遭い、『もう駄目だ!』と思うことも当然ございました。
それでも私の心には一つの希望が宿っており、それらを実現するまではと、歯を食い縛り耐えていた時期もございます。
心に宿る希望こそが、私の活力であり原動力でありました。
一番大切な事は、己の決断を信じ、前へ進む努力を重ねる事であると私は考えております。
完成されるまで諦めなければ、何れは完成するものです。
一番の問題は、完成するその時まで、皆様の精神が保つのかという一点のみです。

今の世界や日本の状況は、果たして本当に皆様が考えておられるほどの窮地に陥っているのでしょうか?
変化する事を恐れるあまり、目の前にある現実が見えなくなっている結果が今の世界であり、日本であると思うのです。
過去の栄華に執着するあまりに現在を見失っている、その結果として未来に希望を持てなくなっているのではないのでしょうか?
どのような未来を望むのか、皆様の中ではっきりとさせる必要がありそうですね。
未来を見据え、今現在枷となっている問題を解消する事に集中すれば、自ずと解決策は見えてまいります。
変化を受け入れる事は、決して悪い事ではありません。
上手に活用する術を学び、日々の生活に生かしてゆけば良いのです。
修復不可能なものに固執し、共に腐れてしまうよりも、新たなものを創造し、共に生きる方が余程有意義な事だとは思われませんか?
水も流れが滞れば腐れてしまいます。
常に流れ、新鮮な空気をその内に取り込むからこそ、腐る事なく皆様の生きる糧として存在することが出来るのです。

私がどのような道を選ぼうとも、それは私自身の問題であり、皆様が気にする必要のない事柄です。
皆様は、ご自身が歩まれる道をしっかりと見据え、努力を重ねるのが宜しいかと思います。」

(2010年6月27日)





今回質問を頂いた匿名様を始め、当Blogをご覧の皆様には、空海霊の回答の一番最後のコメントに注目して頂ければと思います。
今回ご登場願った空海霊に限らず、霊界の住人の皆様は、それぞれに今自分自身の為すべき勤めを抱えており、本心では自分自身の作業に集中したいと思っておられるかも知れません。
しかし、今地上界に暮らしている私たちをかつての自分自身の姿に重ね合わせて、少しでも私たちの霊的成長に寄与するのであればと、貴重な時間を割いて頂いております。
今、空海霊がどの様な状態にあるのかを知って、それで匿名様の霊的成長に何か寄与するでしょうか。
もっと他に注目した方が良いこと、取り組んだ方が良いことがあるのではないでしょうか。
空海霊の今について伺うなら、私たちの身の回りの出来事についてや、日常生活の中で思い悩んでいる事、そして私たちが暮らす日本をより良くする為のアドバイスを求めた方が、きっと快く答えて頂けるのではないかと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月28日月曜日

未来を考えてみる

先日投稿した記事【速報】のコメント欄に、匿名様からの質問をお寄せ頂きました。
質問の内容について、匿名様のご意見を伺いたいと思いましたが、残念ながら回答して頂けませんでした。
しかし、匿名様の質問に対して、この度『手塚治虫』と名乗る霊からの回答を預かりましたので、ご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

はじめまして。
いつも興味深くブログを読ませていただいております。
今日本が混迷極まる状態ですが、日本を世界にアピールしてれた漫画界の巨匠であり医学博士であり鋭い洞察力で未来を予言した手塚治虫氏の声が聞けたら嬉しいです。
先生は漫画家でもありましたがヒューマニストでもあり、生命の尊厳や自然を畏怖する大切さをいつも代弁してくれていました。
今この閉塞感や日本の危機迫る中、手塚先生は日本国民や日本をどう思ってらっしゃるのか・・
もし可能であればお聞きしたいです。
唐突にすみません。





■ 『手塚治虫』と名乗る霊の回答

「なかなか質問者様が自分なりの見解を提示しないので、この辺りで諦めて、僕自身の見解を述べたいと思う。

先ず、一番に言っておきたい事があるんだ。
それは何かと言うと、誰かに意見を聞きたい時は、先ず意見を聞きたいテーマについて自分なりに考え、一つの意見として纏めたものを先に提示するのが礼儀であるのでは?――という事なんだ。
自分以外の誰かに答えを聞くのは簡単な事だよね。
でも、それはあくまでもその人の考えであって、みんなの考えではないんだ。
先ず自分の考えがあって、そこに自分以外の誰かの考えが加わって、初めて互いの意見が活きてくると思う。
どんなに尊敬している相手の意見であったとしても、自分以外の誰かの意見であることには変わりがないんだから、そこを勘違いしないように注意しなければならない。
それに、自分で深く考えない人には、どんなに親身になって説明してもなかなかその真意が伝わる事は無いんだ。
表面的に解った気になる事は誰にでも出来るけれど、自分の意見を考える事を拒否する人にはとても理解出来るものではないと思う。
それではただの盲信になってしまい、理解した上で賛同しているのとは全く異なってしまう。
先ず自分自身で考えてみる事、その上で自分以外の誰かの意見を聞き、それらの考えを交えた上で改めて自分なりに考えてみる事が大切なのでは無いかと思う。

さて、それでは本題に入ろうかな。
何故、僕が質問者様も言っているように、生命の尊厳や自然を畏怖する大切さを数々の作品を通して訴えてきたと思う?
それはね、人間もこの世界で生かされている生命の一つの形だからなんだ。
人間は決して神にはなれない。
何故って、この世界で生かされている他の生き物達の仲間だから。
生死を司る事を許された存在では無いんだ。
この世界の中で、神の懐の中で生かされているだけなのにね。
その事を忘れ、いつしか人間はこの世界を支配しているような錯覚に陥っていると思ったんだ。
人間が今侵しているもの達の命の行き着く先は、人間自身の末路であると言うことを僕達は改めて認識する必要があるんじゃないだろうか?――とまあ、そんな思いが込められているんだ。
何の為に、僕たち人間は神から知識と知恵を具現化する術を与えられたのか、改めて考えてみる必要があるんだと思う。
そこには必ず意味があると思うから。
死ではなく生の為に大切な知識や知恵が必ず存在していると思う。
ただ、その方法を僕達人間が真剣に求めてこなかったから気付いていないだけで、本当は目の前に常に提示されているんじゃないだろうか?

閉塞感を感じているのは、みんなが未来を見据えていないからさ。
目標が分からなければ、現状をどのように変えていけば良いのか分からないからね。
何も今すぐにこの世界が全て消滅してしまうわけではないし、大変な時だからこそ未来を考え、そこを目指して前へ進む努力をする必要があると思う。
努力している人達も大勢いるけれど、どうも、自ら動こうともせずに愚痴をこぼすだけの人もいるみたいだから。
それではただの逃避で、何も良くはならない。
どんな形でも良いから、先ず未来を考えてみるところからやってみると良いと思う。
そうすれば、自ずとすべき事が見えてくるから。
そうしたら、活動を始めれば良い。
慌てなくても良いから、諦めずに求め続ける事が大切だと思う。」

(2010年6月27日)





冒頭、手塚治虫霊が述べているのは、当Blogや本家サイト『銀の紐を越えて』でも繰り返し述べてきた、「何事も鵜呑みにしないで、自分なりによく考えて見る事の重要性」に通じます。
この点は物事の観察力や洞察力を鍛え、迅速に適切な判断を下す為には欠かせません。
霊媒の話によると、手塚治虫霊は今後とも皆様の求めに応じて質問の回答や意見を寄せて頂けそうですが、ご希望の際は是非上記の忠告に耳を傾けて頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月27日日曜日

弥彦山を訪ねて

今回は、去る6月20日に訪ねた目的地の一つ、新潟県の弥彦神社についてのエピソードをご紹介します。
この度弥彦神社を訪ねたのは、当Blogにてご紹介した『日本に七箇所ある“要の土地”』の一つがこちらにあるとの情報を霊媒から得ておりましたので、“要の土地”の一つであることを確認する為に、実際に同地を訪れるという目的がありました。




まず、弥彦神社を参拝して、神様へのご挨拶を済ませてから、いざ目的地へと向かいます。




その後、今回はロープウェイを利用して弥彦山山頂へ…。




そして、こちらが新潟の“要の土地”である、弥彦神社奥宮の御神廟です。




さて、御神廟を訪ねて、確かに“要の土地”であることを霊媒が確認した後、一旦同地を離れました。
それから場所を変えて、弥彦山の神様の使いの霊に改めて話を伺うこととなりました。





■ 弥彦山の神様の使いの霊との対話

管理人
弥彦神社――というか、弥彦山の山頂にある御神廟は、昔から“要の土地”だったのですか。

弥彦山の霊
昔からそこにある――東北地方に“要の土地”が出来てからは、ずっとあの場所にある。

管理人
“要の土地”って、時間が経つにつれて増えているのですか?

弥彦山の霊
“霊界と地上界を繋ぐ拠点”と同じように、人口の増減によって必要になる。

管理人
そうすると、仮に今後日本の人口が更に増えていって、現在ある“要の土地”だけでは足りなくなった場合、新たな“要の土地”が出来ると言うことですか?

弥彦山の霊
弥彦山の“要の土地”は、その他の“要の土地”(=東京の将門塚、神戸の綱敷天満宮&須磨寺)の守人とは違う。
(守人が)神の領域の存在なので…。

管理人
神様が守人なんだ。

弥彦山の霊
だから、この地域(=新潟&東北地方)で“要の土地”の場所が変わったり、新たな場所が追加されるとしたら、余程の事態が起きた場合だ。

管理人
では、以前神戸の“要の土地”を訪ねたときに、阪神淡路大震災との関係についての話を伺ったのですが、この新潟の地でも、近年大きな地震が勃発したり、原子力発電所が大きな被害に遭いました。
そこで伺いたいのですが、それらの地震は、弥彦山の要の土地に何らかの異変が起きた影響が現われたのでしょうか。

弥彦山の霊
その土地の人達が「神様と気持ちが通じ合えない」と言うよりは、海の向こうから来るエネルギーの反発による影響を受けている。

管理人
最前線だから?
そうすると、新潟の地震は半島のせいか。

弥彦山の霊
お互いに発しているエネルギーが反発し合う性質のものだから、どうしても境目に近い土地柄から影響を受けやすい。

管理人
そこで一つ、新潟からはちょっと話が外れるのですが、朝鮮半島の人々と日本人とでは何かと食い違っていると。
そういう人達が、ある時期同じ国の国民として過ごした時期がありました。
元々異なる性質の人々を一つにまとめようとした理由は色々あるのだろうけど、結局その民族性というか国民性が違うから、当然ながら別れるような形になったと言うことでしょうか。

弥彦山の霊
民族性以前に、元々朝鮮半島はそれで(北と南で)一つの国という形で、霊界では管理をしている。
別々の管理下にあるものを、人間の都合で一つにまとめてしまったことになる。
一応、その様な環境に置かれることを良しとしたので、何十年も統一している状態が続いたのだけれども、あくまでも日本と朝鮮との双方に一つ先のステップへ進む為の経験の機会だったので、そのままずっと一緒にいる必要はなかった。

管理人
つまり、互いに知らなかった者同士が顔をつきあわせることによって、新たな刺激を得るということかな?

弥彦山の霊
そうですね。

管理人
では、日韓併合はしたけれども、元々一緒にずっといるような間柄ではなかった。
いずれは(価値観の共有化を通じて)そういう状態になることもあり得るかも知れないけれども、まだその様な環境が整う遙かに前の段階で、見た目だけ一つに合わせようとしても上手くは行かないと言うことですかね。

弥彦山の霊
結局、「いままでは知らなかったことを新たに知る」為の経験として、併合されていた時代があった。
それは朝鮮半島にも言えるし、日本にも言える。

管理人
では、ここで話題を戻しますけれども、弥彦山の“要の土地”にいる楔役の方は神様で、管轄しているのは東北地方と新潟県?
私の感覚で言うと、新潟はどちらかというと関東に近い印象があるのだけど、違うのですね。

弥彦山の霊
霊媒さんが「関東甲信越の西側と北側ではガラッと雰囲気が変わる」と言っていたけれども、大雑把にそこで区分けされている。
個々に要の土地があるけれども、東京と新潟とでは、要としての繋がりが深い。
そこの地域の人の求めるものが似通っているから、繋がりが深い。
西の方の人々は、ちょっと違ったものを求めている。

管理人
では、その点をもう少し詳しく聞いてみたいのですが、東京の『将門の首塚』を要の土地として管轄している区域の人々と、新潟の『弥彦山』を要の土地として管轄している区域の人々が求めるもので、似通っている部分とは何でしょうか。

弥彦山の霊
心が繋がると言うか、心の触れあいを求める人の割合が多い。

管理人
では、裏を返すと、神戸の要の土地から管轄する地域に住む人々は、そういう部分については関心が無い?
もっと別の部分に関心が強いと言うことだよね?

弥彦山の霊
関心が無いわけではないけれども、関心を持つ人の割合は少ないし、優先順位が低い。

管理人
では、それよりも更に重視していることがあると言うことですよね。
その、更に重視していることとは何でしょうか。

弥彦山の霊
内側を見ないで、外側を固めようとしている。
例えば、『秩序を正そう』と言うことに取り組む際に、とにかく『形を作ろう』とする。
周りの人がついてくるかどうかを綿密に打ち合わせたりせずに、とにかく形から入ろうという人が割合として多い。
だから、作業は早いけれども、問題が起きやすい。

管理人
そうだよね、本質的な部分を余り見ていないのだから。

弥彦山の霊
そして、関東甲信越から北側の人は、作業は遅いけれども、本質的な部分を詰めてきちんと作りましょうと考える。

管理人
緻密なんだ。
だから、言い方を変えると、関西の人は大雑把だけどバイタリティがあるんだ。
逆に関東や東北の人は、バイタリティは関西の人には敵わないけど、一歩ずつ緻密に綿密に詰めていくんだ。

弥彦山の霊
だから本当は、そういうお互いの特質を合わせて協力してゆくと、ちょうど良くなる。

管理人
併せて協力と言うより、適材適所と言うことかな。
それぞれの人に、その人の能力をもっとも発揮できる役割を任せて、お互いが上手く噛み合って行けば良い成果が出るのだろうけど…。

弥彦山の霊
だから、雰囲気とか町並みが変わって見えるのは、そういう性質の違いが現われている。

管理人
今の話は本州の中の話ですけど、他の九州や四国、北海道では、また異なっているのでしょうね。
以前、“要の土地”の役割についての話を伺っていたので、新潟の弥彦山に“要の土地”があるというのは、ちょっとピンと来なかったのですけど、海の向こうの国への備えと言うことなら、位置的にはとても納得します。

弥彦山の霊
だから、その土地に暮らす人々が、神様と気持ちを合わせられないと言うことではない。
外からの影響がもの凄く大きい。

管理人
で、ある程度外からの影響を緩和しているのだけれども、そこで緩和しきれない部分が時々表に出ると。

弥彦山の霊
そして、日本側のエネルギーは柔軟性があるのだけど、海の向こうから来るエネルギーは固くて突き刺すようなエネルギーだ。
日本側は柔軟性があるから、上手く包み込んでしまえば被害が出ることもないけれども、時々突き刺す側のエネルギーが強すぎて、一部突き抜けてしまうことがある。
そういう場合に災害となって現われてしまう。

管理人
では、今ちょうど災害という話が出ましたけれども、今日は神様が降臨されたと言うことで、霊媒も神様が地上に注いだエネルギーの一部を感じ取ったようなコメントを残しておりますが、海の向こう側がちょっときな臭い情勢にあります。
以前、『日本の国境を管理する霊団』の皆様から、北朝鮮の動きについての警告を受け取りました(記事【『国境を管理する霊団』からの警告】参照)けれども、私たちが今この時期に弥彦山を訪れると言うことは、このタイミングで何か警告を発したいという意図があるのでしょうか。

弥彦山の霊
一番気をつけなくてはいけないのは、日本の内部に入り込んでいる人達です。
あとは、日本人でありながらそういう人達に協力している人です。
要するに、外国で起きている事なら対処のしようがあるけれども、国内から食い荒らされると問題が大きくなるので、そういう人達にどう対処していくのかは、今後の課題になってくる。
国は皆さんの命そのものですよ。

管理人
国が成り立たなくなったら、確かに大変なことですね。
国が責任を持って秩序を維持していたり、色々な仕組みを成り立たせていて、自分達の日常生活に密接な関係を持っている。
それがある日突然無くなってしまったら、自分自身の命に関わりますね。

弥彦山の霊
人間もそうだけど、外からの攻撃にはある程度備えることは出来るけれども、内側からの攻撃には弱い。

管理人
例えば病気とか?
例えば、外部から細菌とかウイルスが感染するなら対処のしようがあるけれども、自分の細胞が癌化してしまった場合の対処は難しいという事?

弥彦山の霊
細胞が癌化したり、菌が体内で悪性化して暴れ出すと対処が難しい。

管理人
でも、そういう話なら、そういう人達に与する日本人――元々外国にルーツがあるならともかく、生まれつき日本国籍を持って、そういう人々と結託している日本人の扱いは厄介。
最悪、在日外国人なら強制的に海外へ追放すれば済む話なのだけど、日本国民を海外へ放り出すことは出来ない。
それをやってしまうと、そもそも民主主義国家は成り立たなくなってしまう。
だから、日本国民でありながら、外国人と結託して日本国民に危害を加えようとする人々の扱いは非常に難しくて、今の日本が抱える大きな問題だ。

弥彦山の霊
ただ、一つ覚えておいてもらいたいのは、そういう人達は多数派ではない。
だから、権利を与えなければ出来ないのだから、多数派の人が権利を与えないように動けばよい。

管理人
そうなのだけど、『民主党』という政党があって、国の行く末を危ぶませる政策を積極的に推進している人がいる。
そういう人は『民主党』の中の極一部であって、逆にそういう政策に対して慎重派の人もいますよ――と言われることがあります。
では、実際に慎重派と言われる人達はどの様な行動を取っているかというと、「その政策は問題がある」と政党の中でブレーキ役として機能していない。
表面的には見えていないだけであって、実は政党内でその様な動きがあるのかも知れないけれども、少なくとも傍から見て「ちょっと待てよ」という声は聞こえてこないし、その結果として内容に問題がある法律を強引に成立させている様子を見ると、「実は少数派」という見方は当てにならない。
例え積極派でなくとも、消極的でも支持は支持でしょ?

弥彦山の霊
その人達は、なぜ自分達の意見が反映されないと分かっている党から離れないのか、という点がまず一つ。

管理人
――というよりも、その人達も「このままでは拙い」と言うことが分かっているのかも知れないけれども、個人的な打算もあって、「こちらの方がメリットがあるだろう」という計算をして、その党に籍を置いているのでしょう。

弥彦山の霊
その人にとっての第一は『自己保身』。
だから結局そういうことになる。

管理人
ただ、国民の側にも議員・代議士とはどの様な役割を担う人で、どの様な仕事を期待しているのか。
そして、議員の皆さんが、私たちの期待する仕事に取り組む際に、私たち有権者の協力を必要としているのであれば、私たちはどの様にして協力したらよいのか。
協力だけではなくて、ちょっと危ない方向へぶれてしまったら、嗜めて引き戻さなくてはいけないとか。
そういう、有権者としてやらなくてはならない責任範囲がある。
そこを等閑にして、ただ「議員が悪い」と言っていてはおかしな話になる。

弥彦山の霊
そこは、そういう制度が出来てからの経緯を見ても、ようやく国民が自覚を持ちつつある。
そういう人が出てきている段階なので、これからだ。
今までは経験不足で、良く理解できていなかったことがあるから…。

管理人
経験不足で理解できていなかったと言う点は、確かにそうですね。

弥彦山の霊
結局、「偉い人が決めたからそういう制度になりました」という感覚なので、自分達が自発的に意見を述べて、議員に対して働きかけるという仕組みは、これから徐々に…。

管理人
一般的に認知されてゆくというか、自発的に取り組んでゆくと言うことですね。
大体その様なところでしょうか。
では、話変わって具体的な点を一つ。
北朝鮮は日本にテポドンを落とすのでしょうかw

弥彦山の霊
テポドンについてはともかくとして、私たちから言えることは、「人の振り見て我が振り直せ」と言うこと。
相手が自分に対して起こしてくるアクションには、必ず意味がある。
自分の考え方とか行動の癖に対応して動いているから、相手の行動や言動を参考に、自分自身の足りない部分、出来ていない事と考える作業をきちんとしてみる必要があります。
何事もなくて敵意を向けることはない。
やはりそれなりの理由――そうさせてしまう……。

管理人
敵意と言うよりは、あれはガキが甘えて拗ねているのと一緒でしょう。
だから日本としては、「これは駄目だよ」という行為に対してはきちんと撥ね付けてしまうべきだし、責任をきちんと取らせるべきなのに、甘やかして曖昧に対処してしまった。
それが現状をもたらしている。

弥彦山の霊
今『敵意』と言ってしまったけれども、要するに相手が自分に対して問題のある行動や言動をとるのは、必ず自分自身に問題があるから。
自分自身の中に何か欠けているものがあるから、相手から何か自分が困ることを要求されてしまう。
今、皆さんは「あいつら酷いね」で終わってしまっている人が多くて、自分自身を振り返っていない。
自分自身を振り返って、そこにはどういう問題があったのかという点を深く考えてみて、結論が出たら、今度はどういう形で実行に起こそうかという風に進めていって、初めて物事が動き出す。
相手がイヤな奴で悪い奴ではなくて、相手がイヤなことをしてくる原因は、そういう原因を作ってしまった自分自身が抱えている問題であって、もっと自分自身の問題に目を向けて欲しい。
これはとても大切なことだ。
今はそういうことを考えられる人の割合が少なくて、知ってすぐの時にはある程度仕方ないのだけれども、もう少し落ち着いてから考えて頂ければと思います。

管理人
私もそう思います。

弥彦山の霊
相手じゃなくて、自分自身だよと。

管理人
相手を意のままに動かそうとするよりは、自分自身が自分の思い通りに動いた方が手っ取り早いし、その結果新たに得るものがあれば自分自身のステップアップになる。
自分にとって良いことはあっても、悪いことはないと思いますけど。
なかなかそこを分かる人がいない。

弥彦山の霊
まず、日本という国を理解する作業をきちんと行なうこと。
それが今一番求められていると思います。

(2010年6月20日)





さて、今回のお話を伺った『弥彦山の神様の使いの霊』は、皆これまでにかなりの経験を積んでおられる方とのことで、弥彦山に来られる前にも他の神社などで様々なお役目を担っていた方が多いようです。
霊媒によると、この対話の後も一部の方は霊媒が自宅に戻るまで付き添っていたようです。
その理由を尋ねると、「弥彦山の神様の仰せにより、人間社会の様子を見聞するように」との事で、これも修行の一種のだとか。
私が「では、弥彦山を離れて、最終的にどこへ向かうのですか」と訪ねると、「靖國神社は他の神社と異なっていて、非常に興味深い」と述べておられました。
以前、本家サイト『銀の紐を越えて』に投稿した記事【靖国神社と千鳥ヶ淵】にもあるように、靖國神社は日本の行く末を慮る霊が集う場所ですから、他の神社と比べると非常に異質な存在です。
しかし、この度『弥彦山の神様の使いの霊』が靖國神社に腰を据えることにより、靖國神社の役割が徐々に変わって行くきっかけとなりそうです。

弥彦山の神様の使いの霊 & 【Silvercord】管理人 

2010年6月24日木曜日

ダライラマ法王を拝見して

先日投稿した記事【速報】にて、取りあえずの第一報としてお伝えしましたが、私たちは神様のお招きに預かって長野県を訪ねました。
本来の目的地は別の場所だったのですが、全国的にも有名な寺院の一つであり、また2008年の北京五輪の聖火リレーの際には、如何にも仏教の寺院に相応しい手段で中国のチベット弾圧に対する抗議の意思を表明するなど、私たちにとっても非常に興味深い神社仏閣の一つでした。
当日ダライラマ法王が善光寺を訪問されるとの情報は事前に得ておりましたが、私たちが同地を訪れた時にはダライラマ法王は法要を終えられ、そろそろ善光寺を出立されるという頃合いでした。



以前、記事【チベット人とウイグル人の霊団より】でご紹介しました様に、かつてチベット人として人生を送られた方の霊団との繋がりがありましたが、霊媒を通じてダライラマ法王の姿を目の当たりにしたチベット人の霊団の皆様は、感極まって思わず涙ぐんでしまった様です。

さて、私たちはそれから程なく善光寺を後にしましたが、時間を改めてチベット人の霊団の皆様に、今回ダライラマ法王を目の当たりにされた感想を伺いましたので、ご紹介したいと思います。





■生前チベット人として暮らした方の霊団より

管理人
チベットの霊団からのコメントはありますか。
霊媒を通じて生のダライラマ法王を拝見しましたが…。

通信霊
日本人だから、天皇陛下のことは何かと身近に感じて、色々と抱いている思いがあるだろうけれども、外国の――チベットの人々から見ればダライラマ法王であり、キリスト教世界の人々にとってのローマ教皇――そういった、別の国に暮らしていながらも同じような立場の人達に直に触れることによって、実際に肌で感じ取って欲しいという思いが一つあった。
同じ――共通の目的を持って、それぞれの立場で動いている人と言うことで。
それで、実際にそれを感じ取ってもらえたと思うので、満足している。
人は所属している枠組みの中でしか物事を考えられない傾向があるから、その外側にいる人達に触れることによって知ることがあるし、理解できることがある。
あるいは、再認識するとか。

管理人
そのコメントは、善光寺に居合わせた全ての方に対してと言うことでしょうか。

通信霊
それは、直に目にした人、同じ空間で過ごした方は少なからず感じられただろう。
そういう経験はとても大切なことで、ましてや自分の国にいながらそういう経験が出来たのは貴重な時間だったのではないか。

(2010年6月21日)





話変わりまして、この度の長野訪問の最中に6月20日を向かえました。
既に記事【天孫降臨の地宮崎に神が降臨する】にてお伝えしましたが、この日の朝、宮崎の地に八百万の神を束ねる神が降臨され、世界に向けて直接霊的エネルギーを注がれたようです。
この日、私たちはとある場所を訪れましたが、ちょうどその敷地に差し掛かった頃に、霊媒は神様が注いだ霊的エネルギーを“雨粒が降り注ぐ様に”感じたとのことです。

この日に訪れた所についても、既に霊界の住人の皆様の話を伺っておりますので、文章にまとめてから順次ご紹介したいと思います。
ちなみに、この日に訪れたのは、こちらとか…。



あるいはこの様な場所です。


チベット人の霊団 & 【Silvercord】管理人 

2010年6月19日土曜日

速報

本日は、神様のお招きに預かってとある場所を訪れているのですが、なかなか興味深いハプニングに遭遇しました。
まずは、こちらの写真をご覧ください。



ちなみに、同行した霊媒Mは以下のようなコメントを残しております。

「ありのままでいられる。
そしてその有様を許容してくれる。
すごく大きな存在なのに威圧感がなくて、周辺のエネルギーと彼自身のエネルギーの境目が感じられなかった。
その場に当たり前にいるようになじんでいる。」





話変わって、明日宮崎に降臨される神様についての続報です。
八百万の神様を束ねる神様が降臨し、世界へ向けてエネルギーを放出された後、今度は地上にいらっしゃる神様方がエネルギーの性質を地上界に馴染む様に調整されるとのこと。
調整の期間は一週間とのことですが、その一週間でかなり目立った変化が現れるようです。
具体的にどのような変化なのかはわかりませんが、とりあえず現時点でわかる限りの情報を速報としてお伝えします。

【Silvercord】管理人 

2010年6月16日水曜日

輪廻転生について(その2)

先日投稿した記事【輪廻転生について】に関連する質問を匿名様から頂きました。
霊界の住人の皆様からの回答が届いておりますので、早速ご紹介したいと思います。





■ 匿名様からの質問

こんにちは、いつも興味深く拝読しております。今回、輪廻転生や魂の修練といった興味深い記事に便乗して質問させていただきます。

まず第一に、すべての魂が前世を持っているなら、人口増加などに対して、前世を持つ魂の絶対数が足りないのではないかと言うことです。つまり当初は世界に百人しか人類がいなかったと仮定して、その百年後には千人くらいの人口になっていた場合、残り九百の魂はどこからやってくるのでしょうか?

第二に、今生の人生が魂を修練する場であるなら、性犯罪や殺人事件の被害者となり、また自殺に追い込まれるような苦境を送る人々の人生には、なんの意味があるのでしょう? 犯され、殺されるためだけに生まれるならば、むしろ最初から生まれないほうが幸せではないかと思うのです。特に生まれたばかりの赤ちゃんや、まだ幼い女児などがそういう事件に巻き込まれるのが個人的に許せないのですが……そういう事件ですら、魂の修練であると納得しなくてはいけないのでしょうか?

第三に以前、とある新興宗教信者から『ドナーやバンクに登録して、他人に臓器を譲り渡すと、来世では生まれつき内臓を失って、身体が不自由になる。だから、そういうの(臓器提供)はやってはいけない』と言われたことがありました。個人的には信じがたいのですが、そういうタイプの因果は起こりうるのでしょうか?

最後に、これはブログ記事を読ませていただいた時に湧いた疑問ですが、世界が複数あって、それぞれの世界を選んで転生しているというように読み取れます。では、この記事における複数の世界とは、たとえばSF小説のように同じ地球が複数あって、似たような歴史が流れる平行世界でしょうか? それとも、この地球以外の世界は、たとえばファンタジー小説やメルヘン童話のように、まったく違う世界観、価値観の地球があるとか、そういうことなのでしょうか?

これらの質問に輪廻転生という事象に対して、根本から否定する意図はありません。ただ個人的に疑問に思っていたので、もしも答を得る機会がありましたら、管理人さま、霊媒さま、よろしくご回答お願いします。





■ 霊界の住人の回答

「何も、命ある存在は人間だけではございませんから、皆様の世界に生きる全ての命もいずれは人間として経験を積む道を選ぶ事になりますので、人口が増えるのは何も不思議なことではありません。
その代わりに絶滅危惧種のような存在も増えてしまいますが、それらの現象は霊的成長の証であるとご理解いただければと思います。
それともう一つ、皆様の暮らす世界は数限りなくある多くの世界の中の一つですから、他の世界での経験を踏まえた上で、皆様の暮らす世界で経験する事を望む霊も大勢いるのです。
これらの事は今の皆様には知り様がないので、理解出来ないのは仕方のない事だと思いますが、地球という環境は、霊から見たら学びの為に数多くの存在する選択肢の内の一つであるという事をご理解いただきたいと思います。

光があるからこそ闇がそこにある事を理解出来ますし、その逆もまた然りです。
人は、悲しみや苦しみに遭遇して、初めて喜びや楽しみを強く意識出来るようになります。
逆に、喜びや楽しみを経験して、初めて悲しみや苦しみの意味を理解出来ます。
幸せは人から与えられるものではなく、自ら感じ取るものであり、感情の一つの形です。
辛い事を避けていたら、いつまでも、喜びや楽しみ、幸せという感情を覚える事は出来ないでしょうね。
いつも安定して安心出来る生活を送っていたら、いつしかそれは当たり前のものになり、幸福を感じ取る事は出来なくなってしまいます。
幸福と不幸は表裏一体であり、切り離して考える事の出来ない大切な要素なのです。
何事もバランスですから、光だけがあれば良いというわけでもないのです。
闇にも役割があり、そこから学べる要素は決して少なくは無いのです。
だからと言って、犯罪行為をしても許される理由にはなりませんが…。

全てはご本人が何を学ぶ事を望むのかに掛かっているので、現世で臓器提供をしたから来世で身体が不自由になるという事はございません。
身体が不自由な状態で生まれてくる方は、その状態で生活する中から学びを得たいと考えて自ら選んだ境遇です。
その新興宗教団体の方は、因果律に対してまだあまり深い理解を得られてはいないのかもしれません。
臓器提供をする決意をしておられる皆様は善意から申し出ているのですから、その『誰かの役に立ちたい。助けになりたい』という思いが無視されてしまう事はございません。
皆様の世界の現在の科学技術ではまだまだ出来ない事がたくさんありますし、その限られた数少ない治療法の中で、臓器移植によって命を助ける事も有効な治療方法の一つです。
その事実を無視して助けられる命を助けないのも確かに一つの選択かもしれませんが、そこに助けられる命があるのなら助けたいと思うものではないのでしょうか?

皆様の生活環境ですと、どうしても地球を中心にして考えてしまいがちになってしまいますね。
先ほども述べましたように、皆様には確認出来ない事ですから仕方ないのですが、地球も無数にある世界の中の選択肢の一つなのです。
皆、経験を基に世界を築き上げるので似たような要素は数多く存在しますが、それぞれの世界にはそれぞれに個性があり、例え似ていたとしても、それはやはり別の世界なのです。」

(2010年6月15日)





輪廻転生については、私もこれまでに霊界の住人から断片的な知識を得て参りましたが、正直なところ「一度死んでみなくては分からないだろう」と思います。
肉体を纏っている為に制約された五感や視野の狭さが、人の生涯を越えた事態への理解を妨げているからです。
霊界の住人の皆様は、私たちの身の回りで観察できる現象に例えて説明して頂けるのですが、「何となく~の様なものだろう」という、漠然とした印象を思い描くのが精々だからです。
私にとっては、この問題は死後に探求する楽しみとして取っておくことになりそうです。

【Silvercord】管理人 

2010年6月13日日曜日

輪廻転生について

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄に、匿名様からの質問をお寄せ頂きました。
少々お待たせしてしまいましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に匿名様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 匿名様からの質問

初めまして。
いつも興味深く当ブログを拝読させて頂いております。
簡単に箇条書きで質問を明記致しましたので、拙い文章ですが目を通していただけると有り難いです。
僭越ながらも唐突な質問をご容赦下さい。

①輪廻転生とか生まれ変わりというものは存在するのですか?
②もし輪廻転生が存在するのなら、中川昭一さんのように霊界での自分の役目が与えられている人は、その役目を終えた後にもう一度現世に生まれ変わるのですか?
③それとも、役目を終えた後も霊界での肉体を維持したまま霊界に留まり続けるのですか?
④もし輪廻転生があるのなら、果たそうとしていた志が半ばで亡くなってしまった場合、再びそれを成就させるために生まれ変わったりしますか?
⑤また、同じ志を果たそうとしていた同志や、自分にとってかけがえのない人達と来世で再び出会ったりするのでしょうか?

中川さん個人への質問というよりは、私個人が大切な人を亡くして、自分の中で来世を拠り所にしてしまっているところがあるので質問させて頂きました。
差し支えない程度で構いませんので、回答をお待ちしております。





■ 霊界の住人の回答

「輪廻転生は全ての霊が繰り返し行なうものです。
そこに例外は一つとして存在しません。
ただ、霊が生まれる場所として選べる環境は、皆様が暮らしておられる世界だけではなく、他にも無数に存在しておりますから、必ず以前暮らしていた世界を選ぶというわけではありません。
どの世界で経験を積む事を望むのかはご本人の意思次第でありますから、再び皆様の世界へ生まれる事を望む方もおられますし、別の環境を求める方もおられるのです。
志半ばでお亡くなりになられた方が必ずしも元の世界に生まれてくるとは限りませんが、(生前の志を)成就させようとの思いから、何らかの形で関わろうと考える場合が多いかもしれませんね。
再び皆様の世界へ生まれる事を望むのか、それとも他の形でアプローチしてくるのかは、ご本人の考え次第となります。
同じ志を抱いて共に活動していた方や、掛け替えのない方と来世で再び出会う事はありえますね。
共に過ごす時間が長いと言う事は、それだけで価値観が似通っている事が考えられますから、同じ様な目標を掲げて生まれる環境を選ぶ可能性が高いのです。
『類は友を呼ぶ』という言葉の通りに、人は似たような性質の人間と共に過ごす事を望む傾向にありますから、好ましいと思って側にいるという事実は、それだけで共通する何かを互いに感じ取っている証であると言えるのです。
匿名様が“大切な人”であると思っておられるのであれば、きっと、相手の方も同じ様に匿名様の事を“大切な人”であると考えておられるでしょうから、例え見えなくとも、あなたの支えになりたいという思いから、一日も早く、常にあなたの側に寄り添い、支えとなれるように、今はご自身で出来る精一杯の事をしておられるのではないのでしょうか。
思いは伝わりますから、相手の方も匿名様の思いはきっと分かっていると思いますよ。」

(2010年6月12日)





一般的に『輪廻転生』というと、今私たちがいる境涯(便宜的に“地上界”などと呼びます)に何回も繰り返して誕生する事を指しますが、既に書物となっている先人の残した霊界通信や、今私たちが試みている霊界通信によると、この地上界以外にも『霊体が肉体を纏った状態で生活を送る境涯』が無数に存在するようです。
質問では、『中川昭一』と名乗る霊の場合を例に挙げておられますが、あれは役目を与えられているというよりは、本人が「何とかしたい」と望んだ上の行動であって、自分自身の意思が最初にあると言う点を見逃してはなりません。
そして、今後いずれかの機会に自身で納得できる成果を上げるか、或いはもっと別の物事に関心の対象が移ってしまった時には、新たな関心事に取り組む為に相応しい環境へと移行するのではないでしょうか。
また、志半ばで亡くなってしまった方の例として、当Blogでは前韓国大統領の盧武鉉氏の場合(記事【盧武鉉霊、日本を語る】)も参考になると思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月12日土曜日

この世界で起こる問題は、この世界の中で解決できる

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄へ、匿名様より質問をお寄せ頂きましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に匿名様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

はじめまして。
質問させていただきます。
現在、メキシコ湾の重油漏れがとんでもないことになってますが、深海のことゆえ応急処置さえままならぬ有様です。
この件に関して現在の人類は今ある技術力で復旧可能でしょうか。
それとも崩壊に任せ、いきつくところまでいくしかないのでしょうか。
人類の自業自得とはいえ、このままいくと大西洋まで死の海と化し、気候変動から食料危機まで影響が甚大になりそうです。
もちろん人類が自らの手で打開すべき問題ではありますが、いささか手に余るようにも見えます。
幸運に恵まれ地震でも起きて蓋でもされないだろうか、というのは甘えた願望ではありますが、それすらも期待したくなります。
この事態を地球環境を管理されてる方々からはどうお考えなのか知りたく思います。
よろしくお願いいたします。





■ 霊界の住人の回答

「この世界で起こる事は、必ずこの世界の中で解決出来るようになっております。
皆様の努力だけでは回復する事が出来ない霊的エネルギーが関わる部分に関しては、私ども霊界の住人が問題解決のために働く事になります。
しかし、物質面においては基本的には皆様に管理責任がございますので、私どもが直接手を下すことはございません。
とは申しましても、霊的エネルギーと物質は相互に影響しあっておりますので、私どもが霊的な側面のバランスを取る事で、物質面のバランスも整いはじめます。
後は、皆様方の努力次第だと思われます。
皆様の世界で起きた問題は、必ず皆様の世界に解決する方法がございますので、後は、皆様がどれだけ早い段階で解決方法に気付き、対処出来るのかに掛かっている事になります。
独り善がりは問題をより大きく複雑化させてしまう要因となりかねませんので、必要があれば周囲に積極的に助力を求める必要があるでしょう。」

(2010年6月10日)





霊界の住人が冒頭で述べる「この世界で起こる事は、必ずこの世界の中で解決出来るようになっております。」との説明は、肉体的な制約によって限定された視野と情報から物事を判断しなくてはならない人間にとって、なかなか理解し難い点であると思います。
私自身も「なるほど、言われてみればそうかも知れない…」と感じる場面に接する機会はありますが、十分に理解を深めて確信に至る所には届いておりません。
今回の質問にある『メキシコ湾の重油流出事故』についても、また当Blogにて以前取り上げた『宮崎口蹄疫感染』についても言えますが、私たち人間は冷静に物事を観察した上で、その都度適切と考える判断を下し、粛々と対策を実施するより他に出来ることはありません。
最初から結果を悲観して諦めてしまうよりは、少しでも事態の改善を目指して努力を傾けた方が、被害は出るにしても縮小させることは出来ますし、最小限の被害に止められればその後の選択肢も広まるでしょう。
今は『人事を尽くして天命を待つ』の時ではないかと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月10日木曜日

国民性と霊的成長度の関係

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄へ、白菊様より質問をお寄せ頂きましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に白菊様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 白菊様の質問

私の性格は、幼い頃からのんびりした性格で感情の起伏は激しい方ではないです。天然ボケだともよく言われます。自己主張も苦手です。私は日本人として生まれましたが、仮に他の国で生まれたとしても、私の生まれ持ったのんびりしてて、天然ボケで自己主張が苦手な先天的な性格は変わらないと思います。
お隣の中国や朝鮮半島には私のような性格の人は少ないように思います。仮に、私が朝鮮半島や中国で生まれたとしても、中国や朝鮮半島にいる人々によく見られるような性格(上手く言えませんが)にはならないと思います。さらに、中国や朝鮮半島で生まれたとしても、私の性格や性質では生きていくのが大変だと思います。

それぞれの国には、一部の例外を除いてその国に住む一般的な国民が持つ性格や性質があるように思います。例えば、一部の例外を除いて、日本に住む人々の性格や性質と中国や朝鮮半島に住む人々の性質は異なると思います。

Silvercordのサイトの(『銀の紐を越えて』に移転)、【韓国・朝鮮人と中国人(メッセージ1)】の記事で、中国人や朝鮮人と日本人の霊的成長の度合いが異なると書かれています。ということはつまり、生まれてくる前に、その人の持つ霊的成長の度合いや性格は生まれてくる国が決まる一つの要因にもなることがあるということでしょうか?





■ 霊界の住人の皆様の回答

「人は皆、自らが求める環境を生活の場として選び、生まれてきます。
霊的成長の程度により、それぞれに求める経験が異なりますので、当然、経験の場として選ぶ環境も異なってまいります。
霊的に成熟した方の割合が高い国は、比較的モラルの意識も高く、社会性を大切に考える傾向にありますので治安も良いですし、秩序が整っています。
それとは逆に、霊的に未熟な方の割合が高い国ですと、依存心が高い上に自己中心的な傾向が強く、互いに責任を押し付けあうことに終始する為になかなか秩序を保つことが出来ません。
結果、治安が悪化しやすく、犯罪を悪い事だと認識出来ない環境が出来上がりやすいのです。
霊的に成熟している場合でも、遭えて苦労の多い国を選んで生まれてくる方もおられますが、それらの場合は自らの霊的成長だけが目的ではなく、某かの役割を負って生まれてくる場合が殆どです。
それとは逆に未熟な場合でも、楽に安心出来る環境を求めて成熟した国を選んで生まれてくる方もおられますが、その責任の重さ故に周囲の方々の価値観を理解出来ず取り残されてしまい、結局は環境に馴染めずに苦労する事になるでしょう。
場合によってはとんでもない大犯罪に手を染めてしまうかもしれません。

霊的に成熟した方は自分より弱い存在を護り育てたいと思うものですが、一方、未熟な方は自分より弱い存在に自分の力を見せつけ、支配する事で優越感を満たそうとします。
霊は己の欲求のままに生まれる環境を選びます。
霊的成長と共に関心事が増えれば、より複雑で責任の伴う環境を選ぶようになりますが、逆に未熟な状態ですと、関心事も極僅かですから、より単純で責任も軽く、依存して暮らせる環境を求めるようになります。
成熟した人々が大勢暮らす国では責任感のある方の割合が高いため、より多くの国民が率先して働いた結果として国は栄えますが、未熟な人々が大勢暮らす国では誰かに縋って生きる事を考える方の割合が高いため、より多くの国民が誰かに助けてもらう事ばかりを考えてしまうために独裁者の温床となりやすく、結果として国はいつまでも貧しいままで苦しい生活を強いられるようになるのです。」

(2010年6月10日)





一応補足しておきたいのですが、霊的成熟度とは単純に一つの尺度で推し量れるものではありません。
学校教育において様々な科目の知識や技術を習得しますが、人それぞれに得手不得手があり、又平均的には劣っているようでも、特定の分野においては他の追随を許さないという場合もあります。
これと同様に、霊的に成熟している方でも劣った側面を抱えておりますし、霊的には未熟でも特定の部分の能力には優れている場合も多々あることをご理解頂ければと思います。
一見、どれほど優れているように見える方であっても、人間として生まれたからにはそれなりの未熟な側面を併せ持っているのです。
また、同じ国の中でも霊的成熟度の異なる方が様々に入り交じっておりますので、安易に「生まれる国によって霊的成熟度に違いがある」と表現してしまうと、理解の足りていない方には誤った印象を与える可能性がありますので、その点は充分に気をつけなくてはなりません。

【Silvercord】管理人 

2010年6月9日水曜日

宗教団体が政治に関わる事(その2)

先日投稿した記事【宗教団体が政治に関わる事】について、一部誤解を招く表現があったとのことで、霊界の住人の皆様から追加のコメントを預かりました。
両者を併せてご覧頂くことにより、霊界の住人が「宗教団体と政治との関わり」についてどの様に見ているのかが、より明確にご理解頂けることと思います。





■ 霊界の住人の補足説明

「以前、宗教団体と政治についてのお話をした際に『政治家に助力するのは許される範囲』という誤解を招くような表現をしてしまいましたので、その部分について改めてご説明させていただこうと思います。
私どもがここで言いたかった事は、宗教の教祖が『一個人として政治家に助力する事は許される範囲である』という事でありまして、教祖として宗教団体を挙げて、一人の政治家や一政党を支持する事は許される範囲を超えているものと思われます。
例え同じ団体に所属する人々であっても、教祖の一存で信者たちの自由に選べる権利を侵害する事までは許されてはおりませんから。
信者も様々な考えを持ち、それぞれの立場で選択するものが異なっているという事を、教祖が許容出来ないようでは偏りが生じてしまいますし、少々行き過ぎであると言えます。
人としてこの世界で暮らす上で注意しておきたい部分と、個々人の責任において自由に選べる部分は明確に分けておく必要があるのです。
そこの所を混同してしまいますと、教祖の独り善がりの団体と化してしまいますので注意が必要なのです。」

(2010年6月9日)





先日投稿した【宗教団体が政治に関わる事】では、宗教団体が主体的に政治活動に関わるべきではない――つまり宗教政党など以ての外だという点を強調しておりましたが、この度の補足では「宗教団体として特定の政党や政治家を支持するのも問題がある」と述べております。
日本でも特定の宗教団体が政党を設立して政治に関与する例はありますが、余り一般的ではない印象があります。
しかし、一宗教団体として特定の政党や政治家を支持する例は、それ程珍しくないのではないでしょうか。
そもそも「宗教とはなんぞや」と問い直してみれば、信徒の自由意思や自主的に判断することを妨げる『宗教団体の教祖』や『聖職者』は、実は霊的知識に対する理解が不足しており、とても人を導くだけの器を持つ人物ではないと自ら証明することになります。
なお、当Blogでは特定の宗教団体を批判する意図はありませんし、現代の人間社会における宗教の意義も理解しているつもりでおりますが、霊的知識に照らして世の中を観察していると、余り感心できない活動を行なっている宗教団体もしばしば見受けられますので、この記事をご覧の皆様は是非慎重に見極めて頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月5日土曜日

目の前にある現実に向き合う事

今回は、【天孫降臨の地宮崎に神が降臨する】のコメント欄に頂いた、匿名様からの質問に答えて頂く事が出来ましたので、ご紹介したいと思います。
匿名様ご希望の『小津安二郎』と名乗る霊は、この度の依頼に少々戸惑ってしまったようですが、快く応じて頂きました。





■ 匿名様の質問

いつも興味深く読ませていただいています。こちらでは数々の例の方々のお話を伺っておられますが。主に政治家が多くたとえば文化人・芸術家の霊のお話を伺うことはできますでしょうか。私は映画監督小津安二郎の霊に現在の日本人のあり方についてどう思われるかお聞きしたいです。映画人生の中で一貫して日本人家族の絆と愛情の綾を描かれ、また支那・シンガポールと2度に渡って従軍された小津さんに、現在の日本人が特に大切にしなければならないことと、今後日本とアジア、中国との関係についてどうあるべきかをお尋ねしたいです。





■ 小津安二郎霊からの回答

「私にこのような機会が与えられた事に戸惑いを感じてしまい、お返事が遅くなってしまいました。
ご質問をいただきました匿名様には大変申し訳なく思っております。
私の話がどれ程皆様のお役に立つのかはわかりませんが、折角いただいた貴重な機会ですからお話させていただこうと思います。

先ず、第一に申し上げたい事は、匿名様が耳を傾けるべき相手は私のような故人ではなく、今現実に日本で生きている皆様の言葉だと思うのです。
“今を生きている” それだけで、その人々が語る言葉はそれぞれの立場なりの真実であり、それこそが今の日本の現実であると思うからです。
様々な意見があるでしょうし、中にはとても納得出来ないような意見を述べる方もおられるでしょう。
ですが、それはそれで今の日本が抱える現実の一つであり、その姿が形となって表面化しただけであると思うのです。
それらの現実も、これからの日本の指針を考える上でとても貴重な判断材料の一つと言えます。
どのような意見も、その全てが今の日本の現実であり、その現実に真正面から向き合う必要がありますね。
皆様が目指す未来へと日本を導く為にも、今抱えている問題を解消する術を考えなければなりません。
その為には、今の日本の現実をキチンと把握する事、先ずそこから始める必要があると思います。
誰しも、苦しい事や辛い事、不安な事などからは目を背けたいと思うものですが、目を背けてばかりいては解決する事も儘ならず、問題を先送りするだけで状況を悪化させてしまいます。
今、日本の皆様に必要な事は、現実に向き合う覚悟と、未来へと希望を繋げる為に一歩前へ踏み出す勇気のように思います。
一度覚悟を決めてしまえば、後は望む未来の実現の為に出来る事をコツコツと成し遂げれば良いだけだと思いますから。

中国などのアジア諸国との関係について、日本は今後どうあるべきかお尋ねでしたね。
それでは逆にお聞きしますが、日本の皆様は今後、中国などのアジア諸国とどのような関係を望みますか?
その返答次第で日本の取るべき対応が変わってきます。
先ず、日本がアジア諸国とどう付き合って行きたいのかを明確にする必要があると思います。
そうでなければお話になりません。
日本の未来は誰かが与えてくれるものではなく、日本国民である皆様が創造するものだと思うのです。
だからこそ、国民一人ひとりが、日本の未来を真剣に考えてみる必要があるように思います。
日本自体がどのような国でありたいのかを明確にしない限り、諸外国に対応しようが無いように思うのです。
柔軟である事と優柔不断である事の違いを、キチンと理解する必要がありそうです。
自我が確立していて初めて柔軟な姿勢をとる事が出来ます。
一方、自我に乏しい状態だと優柔不断になってしまいます。
この両者の違いをキチンと理解出来れば、今の日本が抱える問題は解決出来ると思うのです。」

(2010年6月5日)





小津安二郎という方については、生前映画の制作に携わっておられたという以外には、殆ど存じ上げておりませんが、この度は慎重で抑制的ながらも、非常に考えさせられる回答を頂けたのではないでしょうか。
回答と言うよりは、私たちの自覚を促す為の問いかけと言えるかも知れません。
質問者の匿名様、そしてこの記事をご覧の皆様は、小津安二郎霊の意見について、どの様に答えられますか。
  • 「現在についての問いかけでしたら、故人よりも現代を生きる方にこそ問いかけては?」とのご意見について。
  • 「日本の皆様は、今後中国などのアジア諸国とどの様な関係を望みますか?」との質問について。
自我が確立されているかどうかが、『柔軟な姿勢』と『優柔不断』を分けるとの指摘はその通りだと思います。
これまでの日本国民の皆様には、「自分自身が何をどの様にしたいか」が曖昧なまま、周囲の様子を伺って「なるべくその場を穏便に済ませたい」傾向が目立っておりましたが、それでは相手に誤ったシグナルを送るだけで建設的な関係を築く事が出来ません。
そもそも文化的な背景や価値観の異なる者同士ですから、互いの理解が充分に深まるまでには様々な誤解や衝突の繰り返しは避けられません。
この数十年間、日本はそういった外交関係のイヤな側面から逃げて回っていたのですが、そのまま逃げてばかりでは国の行く末を危ぶませる事に気付きつつあります。
その様な現状を踏まえて、ご覧の皆様は小津安二郎霊の問いかけに何と答えられますか。

【Silvercord】管理人 

2010年6月1日火曜日

ナザレのイエスとキリスト教会

今回は、記事【世界政府と新世界秩序】のコメント欄に頂いた匿名様からの質問について、『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の皆様の回答が寄せられておりますので、ご紹介します。





■ 匿名様の質問

はじめまして。
いつも大切なお言葉を届けていただきありがとうございます。
はじめはオカルトなんてほとんど眉唾物だと思っていたのですが
オカルト抜きにしても管理人様、霊媒M様のお言葉にはもっともなことが多く、勉強させていただいています。

ところで、以前から気になっていることがあるのですが、本家の方で
イエス・キリストも霊界のかたがたの意向によって出現した
と書かれていたと思うのですが、歴史を振り返ってみるに、争いの中心にいつもキリスト教がいます。
多くは宗教戦争ですが一神教は排他的であり他の宗教を許さないというか受け入れないところがあります。
それが民族間の対立や人種差別にも繋がっているように思えます。
そうだとしたら、何故霊界の方々はキリスト教(ユダヤ教やイスラム教も)を一神教としたのでしょう?
日本のように多神教ならば争いごとも減ると思うのですが。

キリスト教圏の人にとって物の善悪は教義に基づいているというのはどこかの本で読んだことがあるのですが
戒律を厳しくしないと己を律せない人が多いのかしら?
とか考えてしまいます。

まぁ、これは私の素朴な疑問でありますので質問というほどのものではありませんが
世界はつながっていて、霊界の方々の総意も同じなら
はじめから争いごとの少ないように作ればいいのに、
とか思うわけです。
結局、神と称されるものは同じ存在なわけですよね。
わざわざ争いの種をまいて神さんは意地悪やなぁ、とかおもっちゃうのです。





■ バチカンの拠点開放に携わる霊団の回答

「匿名様が疑問に思うのも仕方の無い事だと思います。
ですが、霊界からもたらされた知識そのものと、その知識を受けた皆様がそれらをどのように活用されるのかは、また別の話となります。
確かに、皆様の世界の秩序を守る上で、必要と思われる霊的な事柄に関する部分の管理は任されてはおりますが、基本的には皆様の世界は皆様のものです。
物質面における直接的な管理責任は皆様に託されているのです。
私どもに主に託されている仕事は皆様の霊的な成長のためのサポートであり、皆様の求めに応じた情報開示と経験の場を提供する事です。
人は皆誰しも、自ら経験しなければ確信を得る事は出来ません。
人伝てに聞いた話や本で知った知識は、ただ単に“情報として知っている”というだけに過ぎず、自らの経験を通してしか本当の意味を学び取る事は出来ないのです。
そして、霊界からもたらされた多くの情報について、確信を持って理解していると言える方はまずおりません。
経験していないのですから当然の事なのです。
争いが起きてしまうのは、皆様が霊界から得た情報を上手に活用する術を知らない故の副作用みたいなものなのです。
そして、何故それらの情報を上手に活用出来ないのかと言えば、経験を積んでいないために扱い方がよく分からないからなのです。
どんなによく効く薬でも、服用の方法を誤れば毒になるのと同じ事です。
どんな事柄に関してもそうだと思うのですが、経験に裏打ちされた知識は揺らぐ事はありませんが、ただの情報として知っている知識はその時々で姿を変えてしまい易く、時には伝えられた意図とは全く正反対の解釈をしてしまう場合もあるのです。
だからこそ、自ら経験する事はとても重要なのです。
皆様を甘やかすのはとても簡単な事です。
常に先回りして障害を取り除いてあげれば良いのですから。
私どもと致しましても、作業としてはそちらの方がとても簡単なのです。
ですが、それでは皆様はいつまで経っても世の理(ことわり)を知る事が出来ず、多くの時間を浪費してしまう事になります。
争う事は必ずしも罪深い行為という訳ではありません。
それも一つの経験ですし、その経験を通してしか他者との関わりを安定する術を学び取る事が出来ません。
何度も失敗を繰り返し、試行錯誤の末に導き出した答えだけが“本物”なのです。
我侭を繰り返せば、必ずその結果を受ける時が訪れます。
その時になって初めて、今までの自らの行動が誤りであったと悟るのです。
逆に遠慮し過ぎても、他者との関係は安定しません。
いつも心の奥底に不満が生じているため、それらの不満が行動や言葉、表情などに無意識の内に表れてしまうからです。
それなのに、本人は全くの無自覚なのですから堪ったものではありません。
相手の方は、ざぞや不愉快な思いをされることでしょう。
そうしている内に、どんどん孤立してしまいます。
その時になって初めて、自らの愚を悟るのです。
悟るための経験を積まなければ、皆様はいつまで経っても無知なままです。
皆様は、無知なままで誰かの言いなりに生きる事を望まれますか?

さて、日本が特殊な考えを持っているのは霊界の事情も関わっておりますので、当たり前と言えば当たり前の事なのです。
霊界と地上界を繋ぐ拠点を抱え、世界で唯一開かれた状態であった期間がとても長いのです。
今でこそバチカンの拠点が開放されておりますが、それまでは日本だけが霊的エネルギーの根幹の通り道だったのですから、その土地に住まう方々が霊的な事柄に柔軟な考え方を持っている事はとても自然な事なのです。
今後は、バチカンの拠点開放の影響から、ヨーロッパ各地でも価値観の変化が起きてくるでしょう。
何れは日本の価値観とも相通ずるようになってゆく事になります。
そうでなければ、無用の争いを生むだけで拠点を護りぬく事は出来ませんから。
今までは準備期間であり、キリスト教世界が本領を発揮するのはこれから未来の事となります。」

(2010年5月31日)





さて、バチカンの霊団の皆様から、「この回答で説明の足りていない部分があったら補足を加えるように」と言付かっておりますので、何点か補足しておきたいと思います。
まず、霊的視点からキリスト教を見る場合、『ナザレのイエスが語った言葉』と、『キリスト教会における信仰』とを分けて考える必要があります。
というのは、聖書に記されたナザレのイエスの言葉から、『この人物が霊的知識に精通していた』ことが伺えますが、『キリスト教会の聖職者達』はナザレのイエスの教えの本質を理解する事が出来ない為に、彼らなりの偏った解釈を信仰の軸に据えてしまいました。
匿名様が「歴史を振り返ってみるに、争いの中心にいつもキリスト教がいます」と違和感を示しておられるのは、恐らく霊的知識を深く理解していたと思われるナザレのイエスの教えを、霊的知識についての理解が足りないキリスト教会の聖職者が、中途半端な理解に過ぎない勝手な解釈を『イエスの教え』として信仰の中心に据えてしまった事が原因だと思います。
特に『贖罪説』は完全な誤りであり、イエスの教えを著しく歪める原因となったというのは、霊界の住人の共通見解となっております。
そして、ナザレのイエスが地上に生を受けた意味は、当時の人々(それから現代にかけてキリスト教を信仰する全ての人々)に対して、霊的知識に対する理解を深めた人間の理想像として、私たちが目標とする人間像をいち早く世に示すことにありました。
しかし、キリスト教会の聖職者と信者達は、イエスを特別な存在として神の座に祭り上げてしまった為、長い間に渡ってイエスが地上に生まれた意味に気づかず、彼の人生から霊的知識のエッセンスを読み取る事も出来ませんでした。
問題は神や霊界の住人の側にあるのではなく、人間の理解不足と根拠のない思い込みにあるのだという事をご理解頂ければと思います。

【Silvercord】管理人