2010年6月16日水曜日

輪廻転生について(その2)

先日投稿した記事【輪廻転生について】に関連する質問を匿名様から頂きました。
霊界の住人の皆様からの回答が届いておりますので、早速ご紹介したいと思います。





■ 匿名様からの質問

こんにちは、いつも興味深く拝読しております。今回、輪廻転生や魂の修練といった興味深い記事に便乗して質問させていただきます。

まず第一に、すべての魂が前世を持っているなら、人口増加などに対して、前世を持つ魂の絶対数が足りないのではないかと言うことです。つまり当初は世界に百人しか人類がいなかったと仮定して、その百年後には千人くらいの人口になっていた場合、残り九百の魂はどこからやってくるのでしょうか?

第二に、今生の人生が魂を修練する場であるなら、性犯罪や殺人事件の被害者となり、また自殺に追い込まれるような苦境を送る人々の人生には、なんの意味があるのでしょう? 犯され、殺されるためだけに生まれるならば、むしろ最初から生まれないほうが幸せではないかと思うのです。特に生まれたばかりの赤ちゃんや、まだ幼い女児などがそういう事件に巻き込まれるのが個人的に許せないのですが……そういう事件ですら、魂の修練であると納得しなくてはいけないのでしょうか?

第三に以前、とある新興宗教信者から『ドナーやバンクに登録して、他人に臓器を譲り渡すと、来世では生まれつき内臓を失って、身体が不自由になる。だから、そういうの(臓器提供)はやってはいけない』と言われたことがありました。個人的には信じがたいのですが、そういうタイプの因果は起こりうるのでしょうか?

最後に、これはブログ記事を読ませていただいた時に湧いた疑問ですが、世界が複数あって、それぞれの世界を選んで転生しているというように読み取れます。では、この記事における複数の世界とは、たとえばSF小説のように同じ地球が複数あって、似たような歴史が流れる平行世界でしょうか? それとも、この地球以外の世界は、たとえばファンタジー小説やメルヘン童話のように、まったく違う世界観、価値観の地球があるとか、そういうことなのでしょうか?

これらの質問に輪廻転生という事象に対して、根本から否定する意図はありません。ただ個人的に疑問に思っていたので、もしも答を得る機会がありましたら、管理人さま、霊媒さま、よろしくご回答お願いします。





■ 霊界の住人の回答

「何も、命ある存在は人間だけではございませんから、皆様の世界に生きる全ての命もいずれは人間として経験を積む道を選ぶ事になりますので、人口が増えるのは何も不思議なことではありません。
その代わりに絶滅危惧種のような存在も増えてしまいますが、それらの現象は霊的成長の証であるとご理解いただければと思います。
それともう一つ、皆様の暮らす世界は数限りなくある多くの世界の中の一つですから、他の世界での経験を踏まえた上で、皆様の暮らす世界で経験する事を望む霊も大勢いるのです。
これらの事は今の皆様には知り様がないので、理解出来ないのは仕方のない事だと思いますが、地球という環境は、霊から見たら学びの為に数多くの存在する選択肢の内の一つであるという事をご理解いただきたいと思います。

光があるからこそ闇がそこにある事を理解出来ますし、その逆もまた然りです。
人は、悲しみや苦しみに遭遇して、初めて喜びや楽しみを強く意識出来るようになります。
逆に、喜びや楽しみを経験して、初めて悲しみや苦しみの意味を理解出来ます。
幸せは人から与えられるものではなく、自ら感じ取るものであり、感情の一つの形です。
辛い事を避けていたら、いつまでも、喜びや楽しみ、幸せという感情を覚える事は出来ないでしょうね。
いつも安定して安心出来る生活を送っていたら、いつしかそれは当たり前のものになり、幸福を感じ取る事は出来なくなってしまいます。
幸福と不幸は表裏一体であり、切り離して考える事の出来ない大切な要素なのです。
何事もバランスですから、光だけがあれば良いというわけでもないのです。
闇にも役割があり、そこから学べる要素は決して少なくは無いのです。
だからと言って、犯罪行為をしても許される理由にはなりませんが…。

全てはご本人が何を学ぶ事を望むのかに掛かっているので、現世で臓器提供をしたから来世で身体が不自由になるという事はございません。
身体が不自由な状態で生まれてくる方は、その状態で生活する中から学びを得たいと考えて自ら選んだ境遇です。
その新興宗教団体の方は、因果律に対してまだあまり深い理解を得られてはいないのかもしれません。
臓器提供をする決意をしておられる皆様は善意から申し出ているのですから、その『誰かの役に立ちたい。助けになりたい』という思いが無視されてしまう事はございません。
皆様の世界の現在の科学技術ではまだまだ出来ない事がたくさんありますし、その限られた数少ない治療法の中で、臓器移植によって命を助ける事も有効な治療方法の一つです。
その事実を無視して助けられる命を助けないのも確かに一つの選択かもしれませんが、そこに助けられる命があるのなら助けたいと思うものではないのでしょうか?

皆様の生活環境ですと、どうしても地球を中心にして考えてしまいがちになってしまいますね。
先ほども述べましたように、皆様には確認出来ない事ですから仕方ないのですが、地球も無数にある世界の中の選択肢の一つなのです。
皆、経験を基に世界を築き上げるので似たような要素は数多く存在しますが、それぞれの世界にはそれぞれに個性があり、例え似ていたとしても、それはやはり別の世界なのです。」

(2010年6月15日)





輪廻転生については、私もこれまでに霊界の住人から断片的な知識を得て参りましたが、正直なところ「一度死んでみなくては分からないだろう」と思います。
肉体を纏っている為に制約された五感や視野の狭さが、人の生涯を越えた事態への理解を妨げているからです。
霊界の住人の皆様は、私たちの身の回りで観察できる現象に例えて説明して頂けるのですが、「何となく~の様なものだろう」という、漠然とした印象を思い描くのが精々だからです。
私にとっては、この問題は死後に探求する楽しみとして取っておくことになりそうです。

【Silvercord】管理人 

12 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

割り込みいたします。
臓器提供のこと等についてなのですが、その行為が、どういう経緯で発生したかで、背負うものも変わるということではないかと。
業がどう働くかは、偶然そうなるのではなく、様々な要因を組み合わせた先にあるものと認識しています。
一件同じようにみえる自殺などでも、そのバックグラウンドに何があったのかで、本人の心に何が残るかは違うものであり、誰かに対しての腹いせで自殺するのと、仏教の探求者が真摯な探求の結果、即身成仏するのでは、その先がかなり違うだろうと思うのですが。これは極端な対比例ですが、そういう理解は在りでしょうか。

匿名 さんのコメント...

こんにちは。
いつもROMさせていただいておりますが、
元質問の中で言及されてない点が気になりましたので、初めて質問させていただきます。

自殺についてなのですが、新興宗教などに限らず、よく「成仏できない」と当たり前のように語られているように感じますが、実際のところどうなのでしょうか。
というのも、私の父が病苦で自殺しているのですが、仏前で昼寝していた甥に誰も手を出していないのに布団がかけられていたり、臨月の私が一人で寝ていたら誰かが心配そうに歩き回る気配を感じたりと、父に見守られてるのでは?と思うことが何度かあっているのです。

タイトルの輪廻転生とは違う内容になるかもしれませんが、お教えいただけたら幸いです。
それでは失礼いたします。

Silvercord manager さんのコメント...

6月16日17:35投稿の匿名様

例え話の一つとして受け取って頂ければと思いますが、臓器を提供される方が、移植を希望される方の切実な願いを受けて支援の手を差し伸べる意図を持っていたとすれば、恐らくその方の霊的成長に寄与するでしょう。
しかし、臓器の提供を受けた方がその後も生き長らえるのか、そして生き長らえたとしても、その後の人生を有意義に過ごせるのかどうかは、又別の話となります。
また、生前は宗教家や聖職者として活躍された方でも、霊的成熟度という意味では未熟な段階に留まっている場合が少なくない様です。
宗教団体の組織内で影響力を持つかどうかと、霊的成熟度とは直接の関わりがないからです。

匿名 さんのコメント...

質問者です。素早く御丁寧な御回答頂きまして痛み入ります。
自身、性犯罪に遭ってトラウマとなっておりましたので、自分がそういう犯罪に遭うことを望んでいたのかと思うとゾッとしました。
霊感ならぬゼロ感の人間は、いろいろな意見を聞いて、その上で自分自身がどう消化していくかに尽きるのかも知れませんね。人間は自分の見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない生物ですが、今回の記事により、思考の一部を開拓された思いです。
いつか『大霊界』の丹波哲郎氏に死後の世界の話をおうかがいできたらと思います。

管理人さま、霊媒さま。ご多忙のなか、ありがとうございました。

Silvercord manager さんのコメント...

6月16日17:42投稿の匿名様

本題に入る前に、まず【成仏する】という言葉の意味について、明確に定義しておきましょう。
一般的な語彙については上のリンク先を参照して頂くとして、当Blogにおいては特に「死後、生前に執着するのではなく、生前の自分の人生について振り返り、更なる霊的成長を目指すこと」という意味合いで『成仏する』という言葉を用いております。
そして、生前に執着する状態とは「死後も生前心に描いていた感情に支配されている状態」と述べることが出来ます。
以上を前提に、「自殺すると成仏できないのか否か?」について、考えてみましょう。
自殺してしまう方によく見られる傾向として、「生前の人生において耐え難い苦悩や苦痛に見舞われてしまい、冷静さを失って人生から逃避したいとの思いに駆られてしまう」場合があります。
霊的知識について充分な知識を身につけておられる方はともかく、今を生きている方の大半は死後の世界について殆ど知らないと言っても良い状態ですから、死ぬことによって生前の苦しみから解放されると考えてしまうのかも知れません。
しかし、その考えは誤っており、苦しみの原因はその方の心の状態がもたらしております。
そして、心の状態を管轄しているのは、死によって失われる肉体の側ではなく、死に伴って活動を活発化させる霊体の側にあります。
ですから、苦しみの原因に目を向けずに逃れようとしたばかりに、却って感じる苦しみの度合いが増してしまうのです。

では、「自殺すると成仏できない」のでしょうか?
ここで冒頭の『成仏する』という言葉の定義に立ち戻ってみましょう。
そうすると、例え自殺してしまっても、『冷静に自分自身の生前を振り返る事が出来る状態』になれば、その後更なる霊的成長の歩みを進めることが出来ます。
ただし、自殺してしまった方が死後に冷静さを取り戻すには、少々時間がかかってしまう場合が多いので、戒めの意味合いを込めて「自殺すると成仏できない」という言い方をしているのかも知れません。
実際には、「自殺してしまうと、成仏するまでに時間がかかってしまう場合が多い」という説明が実態に即しております。

匿名 さんのコメント...

自殺について尋ねた者です。
確かに、父に守られている?と思い始めたのは、
父が死んで20年以上経ってからでした。
時間がかかったのでしょうね…
納得できたと同時に、安心しました。
お返事、ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

このページに書くべきかどうかわかりませんが少し書かせてください。
口蹄疫に関して少し思うところを書かせていただきます。
口蹄疫の被害に遇われた方々には、大変お気の毒に思いますし、一刻も早い事態の復旧を願うものでありますが、その一方で疑問もあるのです。
それでいいのだろうか、元に戻ればまた今まで通りの飼育法でやっていくのだろうか、と。
牛は草を反芻する動物ですよね。でもそれでは肉が固く食用には美味しくない、ということで肉質を良くする、という目的で穀物を与えます。ひどいところでは、鶏の糞は鶏が消化しきれない栄養があるということで、鶏の糞に糖蜜をかけたもの(鶏の糞だけでは牛も嫌がって食べないので糖蜜をかけてごまかして牛に与える)を飼料としているところもあるそうです。鶏の糞の処理と牛の飼料の提供を兼ねて。
また繁殖にしても、本来の交尾ではなく、強制的に雄牛から射精させて、その精液を選り分け保存し、雌牛に人工授精させるやり方です。
乳牛だって継続的に妊娠させるのですよね。
産まれた子牛はすぐに母牛から引き離すのですよね。
もちろん、自然の成り行きに任せてたら牧場経営も成り立ちませんし、消費者のニーズにも足りません。
ただ、これはあくまで人間の都合なのですよね。豚、鶏、馬、フォアグラしかり。
肉食の是非とか、屠殺の是非とかは置くとしても、動物達はそれでいいのだろうか、と疑問にも思うのです。
もちろん、現在牧場経営されてる方々の動物にかける愛情を否定するつもりはございません。

匿名 さんのコメント...

上の匿名の方のご意見はもっともだと思いますが、
大切なのは、すべての生き物が生きるためには、
他の命ををいただいて生きているということを知ることではないでしょうか?
牛、豚のことだけでなく、野菜も魚もみんな生きていて、
人間やほかの動物も生きるためにその命をいただいて生きている、ということを忘れないようにしたほうがいいと思います。
「いただきます」「ごちそうさま」「おかげさま」ってそういうことなんじゃないかなと思うのですが。
えらそうなこといってすいません。

明日はいよいよ神様が宮崎に降臨される日ですね。
御来光に明るい未来をいのらせていただきます。

匿名 さんのコメント...

>2010年6月19日12:50投稿の方へ

私は肉食の是非を問うてるのではないと、あらかじめ書いております。
私の質問の趣旨は「現在の家畜の扱い方は動物虐待にあたらないのか?」ということです。
人間が動物の命を頂いてること、感謝の意義などは話がずれてしまいますので、別の話にしてくださいね。
あしからずご了承ください。

はつゆき さんのコメント...

6月19日10:29に投稿された方へ
 個人的には獣肉や鶏肉は常食しませんが、私も常々同じ疑問を抱いています。
 それで出た答えは「きちんと恵まれた環境で育った家畜の肉を買えばいい」というものでした。

 詳細は失念してしまったのですが、家畜の肥料を輸入ばかりに頼るのに疑問を抱き、のびのび放牧させ、子牛と母牛が共に育ち、国産の草だけで育てた肉牛を飼育してる生産者がいます。
 鶏なら、薄飼いで、太陽の当たる伸び伸びした鶏舎で育った鳥の卵や肉を売る生産者の方も増えています。
 もちろん値段は高いですし、日本人好みの脂質の多い肉にはなりません。しかし動物虐待にも見える飼育に疑問を抱くなら、まずはこういう恵まれた環境で育った家畜を選んで食べるのが有効ではないか、と思い初めています。

 生産者の方たちも、動物虐待にも見える現状の飼育方法に疑問を持つ方は決して少なくないと思います。だったら、疑問を持つ者同士で市場を作ればいいのではないかと思います。
 どの程度の規模かは分かりませんが、実際にその市場は構築されつつあります。その市場をどんどん広げて、幸せに生き死ぬ家畜を増やすのが、現状でいちばん良い道かもしれません。
 横から割り込んですみません、ご参考になれば幸いです。

Silvercord manager さんのコメント...

6月19日10:29投稿の匿名様

ご意見についてですが、本家サイトにて掲載中の記事【環境問題の本質について(メッセージ54)】が参考になると思います。
また、ご指摘の点は肉食の是非にも繋がる問題と認識しております。
畜産農家が様々に試行錯誤している飼育法は、消費者が肉を食べる際に、より「美味しい」と感じる肉質の家畜を育てる目的で実施しております。
なぜなら、そちらの方が売れるからであり、畜産農家は家畜を育てて売ることで生計を立てているからです。
ここでは個別具体的な飼育法については触れませんが、物事の是非を判断する際には様々な視点から観察するように心がけて頂ければと思います。

匿名 さんのコメント...

6月19日10:29に投稿したものです。

Silvercord様
ご返事ありがとうございます。
私が「肉食の是非は問わない」としたのは話が広がりすぎる怖れがあるため、質問の論点を飼育方法にのみ絞った次第でして、もちろん肉食の是非はさけて通れない観点であると私自身も認識しております。
ご紹介してくださった【環境問題の本質について(メッセージ54)】読ませていただきました。そして、「家畜が人間の食糧となるのは、家畜に宿る霊にとっては『人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験』なのだそうです。」と言う言葉に少なからず驚きました。そういうことでもあるのですね...。
肉食、屠殺、飼育方法に対する見方が大幅に変わりました。ありがとうございました。

はつゆき様
アドバイスありがとうございます。私も懐の許す範囲で(笑)、食べるものを選択していこうと思っております。