2010年6月10日木曜日

国民性と霊的成長度の関係

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄へ、白菊様より質問をお寄せ頂きましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に白菊様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 白菊様の質問

私の性格は、幼い頃からのんびりした性格で感情の起伏は激しい方ではないです。天然ボケだともよく言われます。自己主張も苦手です。私は日本人として生まれましたが、仮に他の国で生まれたとしても、私の生まれ持ったのんびりしてて、天然ボケで自己主張が苦手な先天的な性格は変わらないと思います。
お隣の中国や朝鮮半島には私のような性格の人は少ないように思います。仮に、私が朝鮮半島や中国で生まれたとしても、中国や朝鮮半島にいる人々によく見られるような性格(上手く言えませんが)にはならないと思います。さらに、中国や朝鮮半島で生まれたとしても、私の性格や性質では生きていくのが大変だと思います。

それぞれの国には、一部の例外を除いてその国に住む一般的な国民が持つ性格や性質があるように思います。例えば、一部の例外を除いて、日本に住む人々の性格や性質と中国や朝鮮半島に住む人々の性質は異なると思います。

Silvercordのサイトの(『銀の紐を越えて』に移転)、【韓国・朝鮮人と中国人(メッセージ1)】の記事で、中国人や朝鮮人と日本人の霊的成長の度合いが異なると書かれています。ということはつまり、生まれてくる前に、その人の持つ霊的成長の度合いや性格は生まれてくる国が決まる一つの要因にもなることがあるということでしょうか?





■ 霊界の住人の皆様の回答

「人は皆、自らが求める環境を生活の場として選び、生まれてきます。
霊的成長の程度により、それぞれに求める経験が異なりますので、当然、経験の場として選ぶ環境も異なってまいります。
霊的に成熟した方の割合が高い国は、比較的モラルの意識も高く、社会性を大切に考える傾向にありますので治安も良いですし、秩序が整っています。
それとは逆に、霊的に未熟な方の割合が高い国ですと、依存心が高い上に自己中心的な傾向が強く、互いに責任を押し付けあうことに終始する為になかなか秩序を保つことが出来ません。
結果、治安が悪化しやすく、犯罪を悪い事だと認識出来ない環境が出来上がりやすいのです。
霊的に成熟している場合でも、遭えて苦労の多い国を選んで生まれてくる方もおられますが、それらの場合は自らの霊的成長だけが目的ではなく、某かの役割を負って生まれてくる場合が殆どです。
それとは逆に未熟な場合でも、楽に安心出来る環境を求めて成熟した国を選んで生まれてくる方もおられますが、その責任の重さ故に周囲の方々の価値観を理解出来ず取り残されてしまい、結局は環境に馴染めずに苦労する事になるでしょう。
場合によってはとんでもない大犯罪に手を染めてしまうかもしれません。

霊的に成熟した方は自分より弱い存在を護り育てたいと思うものですが、一方、未熟な方は自分より弱い存在に自分の力を見せつけ、支配する事で優越感を満たそうとします。
霊は己の欲求のままに生まれる環境を選びます。
霊的成長と共に関心事が増えれば、より複雑で責任の伴う環境を選ぶようになりますが、逆に未熟な状態ですと、関心事も極僅かですから、より単純で責任も軽く、依存して暮らせる環境を求めるようになります。
成熟した人々が大勢暮らす国では責任感のある方の割合が高いため、より多くの国民が率先して働いた結果として国は栄えますが、未熟な人々が大勢暮らす国では誰かに縋って生きる事を考える方の割合が高いため、より多くの国民が誰かに助けてもらう事ばかりを考えてしまうために独裁者の温床となりやすく、結果として国はいつまでも貧しいままで苦しい生活を強いられるようになるのです。」

(2010年6月10日)





一応補足しておきたいのですが、霊的成熟度とは単純に一つの尺度で推し量れるものではありません。
学校教育において様々な科目の知識や技術を習得しますが、人それぞれに得手不得手があり、又平均的には劣っているようでも、特定の分野においては他の追随を許さないという場合もあります。
これと同様に、霊的に成熟している方でも劣った側面を抱えておりますし、霊的には未熟でも特定の部分の能力には優れている場合も多々あることをご理解頂ければと思います。
一見、どれほど優れているように見える方であっても、人間として生まれたからにはそれなりの未熟な側面を併せ持っているのです。
また、同じ国の中でも霊的成熟度の異なる方が様々に入り交じっておりますので、安易に「生まれる国によって霊的成熟度に違いがある」と表現してしまうと、理解の足りていない方には誤った印象を与える可能性がありますので、その点は充分に気をつけなくてはなりません。

【Silvercord】管理人 

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

管理人様、こんにちは

>より多くの国民が率先して働いた結果として国は栄えますが、

私たちの国は幸運だったというか、率先して働く人が多いのでしょう。私たちも現在の繁栄を当然のことと考えず、先人たちの努力や工夫に学んで、自ら責任を負って働くことが大切ですね。

私たちが他国に出来ることは、お金や技術をばら撒くことではなく、どういう姿勢で働くことが結果的にその国に反映をもたらすかということを教えることだと感じました。

経済危機の度に、日本にすがり日本に多額のお金を借金して感謝もせずあまつさえ借金を踏み倒す考えの他国も多少あります。
こうしたことが続くなら、結局は当事者同士の霊的成長は妨げられるのではないかと考えます。お金をもらう側は、しっかりとした経済建設を考えないいい加減さが身につきますし、お金を渡す方も助けてやっているという優越感というか慢心が入る隙もあります。双方がそのような依存関係ではこの先もいいことは起こらないでしょう。

霊界の方々は私たちがしっかりと自立するような良く考えれ抜かれた援助方法で、大変参考になると思います。
私たちが出来ること取り上げるようなことはなさらないようです。私たちもそれを参考に日本に依存してきがちな他国との関係を見直すべきでしょう。

匿名 さんのコメント...

>多額のお金を借金して感謝もせず

これはおそらく日本以外の殆どの国の常識のようです。
いかに借金を踏み倒すか、あるいは借金を誠実に返していくか。ここに借りる側の霊性が垣間見れると思います。

日本では多くのケースで助けてもらった相手に感謝するのは当然ですが、そうではなく感謝もしない返す気も無い(貸した側がお金を返せと要求すれば逆キレするかも)人が居ることも現実ですし、相手の状態を考えながら行動しないと結果ハッピーにはならないようです。

相手から欲しいものは手段を選ばず奪い取るという現実も多々ありますから、安易にお金を与える(技術も)ということは相手が創意工夫の努力を行う機会を奪い取る結果になり、霊的成長の妨げになるでしょう。

良いとか悪いとかではなく、このようにして貴重な機会が失われるのは非常に残念だと考えております。
国際関係において日本人は特に声の大きい側に弱く、ついつい相手の訴える窮状だけを考えて、成長に関する個々の魂の責任についての考察は時折なおざりになりがちですね。

「かわいそう」は本当は相手を対等の関係とみなさないで下に見なす視線から生じることもありますので注意が必要だと思います。
これからの日本は、時には相手国の借金の申し出をきっぱり断り、相手国から嫌われても本当に相手の成長の為にあえて「冷たい国」になることも必要でしょう。

Silvercord manager さんのコメント...

匿名様

2人の匿名様から関連するご意見を頂きましたので、私からも感想を述べたいと思います。
日本が発展途上国宛にODAなどの手段で融資を行なう場合、最終的に融資が返済されるかどうかは、実はそれ程大きな問題ではありません。
欧州諸国では日本よりも無償援助の比率が高く、日本に対して「無償援助が少ない」との声も合ったようですし、日本側でも融資の回収を期待していたわけではありません。
そもそも、融資がまともに返済される見込みが立つのでしたら、先に民間の金融機関が融資しているでしょう。

では、日本は何故それ程リスクの高い相手に融資を行なったのでしょうか。
言葉を換えましょう。
何故『無償援助』ではなく『融資(つまり借款)』だったのでしょうか。
それは第一に、労働を通じて富を増やす方法を、自らの体験を通じて学んでもらうという意図がありました。
また、約束事を守る意識は法治主義の根幹であり、法治国家でなくては、現代の国際社会で繁栄を謳歌するのは難しいでしょう。
融資を返済する作業を通じて、国の経済活動を制御する術を学ぶ意図もあったでしょう。
そして、それらの国々の経済活動が活発になれば、結果として日本にとってもメリットが大きくなることを見越しておりました。
一方、『無償援助』は部分的に必要な場合もありますが、基本的には“支援を行なう国”が「事前行為を行なった」と自己満足に浸るだけの行為であり、“支援を受ける国”が骨抜きにされて飼い殺しになる手段に過ぎません。
しかし、この『無償援助』の方が良いと考える怠惰な人々の声が大きかった為に、日本の働きかけは必ずしも正当に評価されておりません。

では、これからの日本は匿名様の意見のように、敢えて『冷たい国』になった方が良いのでしょうか。

私の個人的見解としては、「融資はよいとしても、予めルールを明確にした上で、ルールを厳格に守る」事が求められると思います。
ルールを守るのは日本だけではなく、融資先にルールを守って頂くことも含みます。
もちろん、将来的な自立へ繋がる融資でなくてはなりません。
また、他の記事でも『価値観の共有化』重要性に触れ、『自由と繁栄の弧』こそが『価値観の共有化』の具体的なモデルであると述べましたが、今後日本が『自由と繁栄の弧』を強力に推進して行く為にも、対等の立場で連携できる自立した国家が増えて行く必要があるのです。

匿名 さんのコメント...

Silvercord manager様

こんばんは
『冷たい国』を提言した者です。

>第一に、労働を通じて富を増やす方法を、自らの体験を通じて学んでもらうという意図がありました。

日本のODAの中でそのような深い意図(価値観の共有化、法治主義を通じて、そして労働を通じて富を増やす・・・自立を促す)
があろうとは、知りませんでした。コメントをありがとうございます。

また「無償援助」の中にある陥穽へのご指摘は、本当にそうだと思います。
ひょっとしたら、日本の奨学金制度も本来そういう意図(つまり十分な学びに励み、後に立派な働きをしてちゃんと奨学金を返済できるようなしっかりした経済的基盤を整える)
があったかもと振り返りました。これは余談ですが・・・

>対等の立場で連携できる

バチカンの拠点が解放された今後の世界の姿として、このような国家群が増えるならば大変喜ばしいことと思います。
個人に運命がありそれぞれに使命があるように、各国家にもそれが出来た本当の目的や役割があるのでしょう。
それは、それぞれの国内の課題を自らの努力と勇気を発揮することで養われる力であり、その過程で生まれる本当の智慧というかその国民の一定の色彩の輝きのようなものを生み出すでしょう。

>法治国家でなくては、現代の国際社会で繁栄を謳歌するのは難しいでしょう。

このお言葉で、私たちの国である日本国がいかなる使命あるいは存在の意味を持っているか、おぼろげながらも理解できる気がいたしました。感謝いたします。

何が繁栄で何が進歩であるか、ともすれば海外における外面的繁栄に時として圧倒されるかのような報道や知識人の無節操な擦り寄りが見られますが、私たちはこれらに惑わされること無くしっかりと本質を見極めて生きたいものです。

はつゆき さんのコメント...

 大変興味のある記事だったのにコメントを書く時間がなくて、こんな時期に書き込ませて頂きます。
 自分の知るいろんな国と照らし合わせながら拝見して(ああ・・・全くその通りだ)と納得しました。隣国の未熟さは言わずもがなですが、いわゆる発展途上国の人間にありがちな依存性を思い出して、だから素質があるのに発展できないのかと感じました。
 欧米が行っていた垂れ流しの無償援助のおかげで、どれだけ腐敗政治家が蔓延したかは知識としては知ってますので、欧米の経済的衰退と日本の隆盛は歓迎すべき事だと思っています。

 怠惰に生きるほうが気楽ですが、もはや、怠慢は許されないことは途上国の人たちも覚悟して貰って、早く日本と対等に接してくれる国になってほしいと願っています。
 怠慢ではなくても「対等だと攻め込まれる」と思う人は世界にはまだまだたくさんいるように感じますが、だからこそ、攻め込んだらこちらが不利になるほどの深い経済協力関係の構築が必要不可欠というのを実感してほしいです。まだ先は長そうですが、死んだ後に麻生さんや昭一さんに胸を張って報告できるほどには発展させたいです。

Silvercord manager さんのコメント...

はつゆき様

怠惰に生きることによって、私たちが人間としての人生を送る目的――霊的成長が滞ってしまいます。
ゆとりを持つことと怠惰であることとは違います。
ぜひ、怠惰ではなく前向きに、かつ心のゆとりを保つように意識しながら、毎日を有意義に過ごしたいですね。