2011年2月28日月曜日

日本は法治国家である

今回は予定を変更しまして、記事【三島由紀夫霊が『田母神塾』を読んでみた(その1)】のコメント欄にお寄せ頂いたゆとり世代 平和と戦争どっちかというと戦争の方が人生を色濃くするだろう様のご意見について、霊界の住人のコメントが届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ ゆとり世代 平和と戦争どっちかというと戦争の方が人生を色濃くするだろう。様の意見

三島由紀夫は田母神さんのように、冗談が好きな人だったんでしょうかね。
まぁ、自衛隊、憲法9条について言及、とかその二つの共通点だけで三島由紀夫と重ね合わせるのは、幼稚な観念だと思います。
三島由紀夫は決して、憲法九条だけに身をやつして死んだわけではないということだけは言わせてください。
あとね、現実みよう。9条じゃ先制攻撃ができない→アメリカに頼む→なんか、ださい→九条改正→諸外国反発→経済封鎖とかされちゃう→日本の経済大ピンチ→右翼が騒ぎ出す、歓喜に満ちあふれた顔で自衛隊を出動させようとデモる→待ちに待った戦争!みんな死のうぜ!ともに闘って!

最高の未来が開けますね。
実質、自衛隊自体実質的に憲法違反(漢字が連なったけど)だと三島由紀夫はいってるんです。三島由紀夫は自決の演説で「自衛隊が国軍となるチャンスは逃した」という趣旨のことをいっている。
現代はもう、諸外国(特にアジア)に逆らってあからさまに動けないんです。だいたい、戦争になったら法律なんて効力持たないと思うんだけど。憲法憲法五月蠅いんだよ(本心が出てしまった)。日本を護る気持があるなら、体力作りにいそしみやがれって思いますね正直。あんたらは観念界のお遊びの域をでていない。と思います。少し言葉が乱れました。すみませんでした。





■ 霊界の住人のコメント

あなたの方こそ現実が全く見えていない。
日本は法治国家であるという事をお忘れか?
法を無視していては何も出来ないし、何も動かない。
不具合が生じているのに、その部分に手を加えなければ問題は何も改善されない。
それに、何故憲法九条の改正が戦争に繋がると考えるのか、その短絡思考にはホトホト呆れてものが言えない。

「9条じゃ先制攻撃ができない→アメリカに頼む→なんか、ださい→九条改正→諸外国反発→経済封鎖とかされちゃう→日本の経済大ピンチ→右翼が騒ぎ出す、歓喜に満ちあふれた顔で自衛隊を出動させようとデモる→待ちに待った戦争!みんな死のうぜ!ともに闘って!」

上記のカッコ内はあなたが見ている現実から予想される未来であるようだが、これを本気で言っているのならただの世間知らずだし、国民の意識を誘導しようとしているのであればとてもお粗末なものだ。
戦争をするには多大なリスクを伴う。
国がその決断を下すのは容易なことでは無い。
その多大なリスクを押してでも決断しなければ守れないと判断された場合のみ、最後の手段として開戦を決断するだろう。
あなたは一国家が戦争を決断する過程を軽く考え過ぎているし、国民一人一人の命に対する国家の責任を甘く見過ぎている。
あなた自身の命に対する認識が甘いからなのだろうか?
それとも戦争は簡単に出来るものだとでも思っているのかな?
あなたの認識だと、日本の周囲は自国を防衛することすら許さないほどの敵だらけで、日本には戦争になる事を待ち望んでいる人間で埋め尽くされているのか。
そして、自分の死に様を想像して、その姿に酔いしれながら戦いに身を投じて命を落とすのか…。
事前策を何も打ち出さずに自国を追い詰めさせ、わざわざ他国に戦いを挑んで自分の死に酔いしれるとは、何とも物騒なマゾヒストでナルシストな国だな。
わざわざ誘っていじめさせるとは何とも高度なテクニックだ。
防衛することすら許さず日本を追い詰める周辺国は、差し詰めサディスト国と言ったところか?
物騒なマゾヒストで埋め尽くされている日本なら、いくら領土問題で脅かされても何も対処しないでいるのも納得できる話か。
あなたの認識だと、マゾヒストな日本はサディスト国に責め苛まれることに喜びでも感じて、今か今かと開戦するその日を指折り数えてでもいるのかな?
そんな国には住みたくないなぁ…。

何の為に憲法九条改正の必要性が訴えられているのかという、その根拠の部分を無視しているのではお話にならない。
戦争を仕掛ける為に改正しようなどとは誰も言っていないだろう。
あなたは一国の国防を何だとお思いか?
それ以前に、国家を何だとお思いか?と問いたい。
国が脅かされているのに適切な対処ができないように憲法が足枷になってしまうのであれば、その憲法の方を改善する必要があると考えるのは自然な考えでは無いのか?
法はあっても無きに等しい無法国家なら別なのかもしれないが、日本は法治国家なのだから、不具合が生じたならば制度自体を変えようと考えるのは当たり前のこと。
そもそも、憲法九条の概念が世界の共通認識であれば、日本が他国の脅威に晒され、警戒して憲法を改正する必要など無いのだ。
もし仮に憲法九条を改正する必要が無いというのであれば、その根拠を具体的に示すのが筋だろう。

それから、日本は一部の極端な考えの人間だけで構成され運営されているわけでは無い。
様々な考えを持った、様々な人間が一国民として日本を支えている。
一部の極端な考えの持ち主の言いなりで国が動くと本気で考えているのであれば、あなたの想像力は何ともお粗末なものだ。
例え一部の人間の思惑通りに事が運び、一時的に極端な方向に流れたとしても、すぐに揺り戻し現象が起き、極端な状態が何時までも保たれるということはありえない。
日本は独裁国家ではなく民主主義国家なのだから、極端に偏った状態がそのまま放置されることはありえない。
気付いた側から改善しようと試みることだろう。

戦争の為に軍隊を持つのでは無い、防衛の為に軍隊を持つのだ。
その違いがあなたには解らないのか?
大変残念なことであるが、世界はまだとても身勝手で野蛮で残酷な考えの基に成り立っていると言っていい状態だ。
今の世界はとてもではないが秩序が安定して保たれているとは言えない。
まだまだ世界は無防備でいられるほど安全では無いのだ。
防衛のためではなく他国を脅かすために軍事力を強化している国がある中で、確実に生き残るには強い軍隊を有する国と協力関係を結ぶか、自国で強い軍隊を備えようと考えるのは当然であろう。
今の日本は、折角セキュリティーシステムを備えていながら実質稼動していない施設のようなものである。
それどころか、その折角のセキュリティーシステムでさえ失われようとしてはいないか?
それでいかにして国民の命を守るのか?

あなたは最初から日本の軍隊=悪という基準で、結論ありきで物事を考えているのではないか?
憲法九条の改正が諸外国の反発を生むというその根拠は一体何であるのか?
諸外国(特にアジア)というは具体的にどの国の事を指しているのか?
あなたの話はとても曖昧で具体性に欠ける。
あなたの話は、一部の偏った情報を基に考えた勝手な思い込みによる感想文に過ぎない。
あなたは一体何がしたいのか?
あなたはもっと人間の本質を学んだ方が良いだろう。

あなたは有事になれば法律が効力を持たなくなると思うというが、もし仮にその様に国としての体を成さない状態に陥ったとして、身体を鍛えただけの一民間人に一体何が出来るのか?
それ以前に、国の体をなさなくなれば即敗戦となる。
トップからの指令が行き届かず、統制も取れない状況下では戦争以前の問題で、即占拠されてお仕舞だ。
その様な状況下で、いかに一民間人がバラバラに奮闘しても国防には繋がらない。
何の心得も無く、統制も取れず、それぞれ好き勝手に力をふるえばそれで全てが解決するのか?
きちんと統制の取れた組織で訓練を受けてこそ、いざ有事の時に役立つのでは無いのか?
いくら身体だけ鍛えていても、軍隊という組織の中で訓練を受け、ある程度統制が取れている敵を相手にするにはかなり勇気がいると思うが、果たして身体を鍛えただけの何の武器も持たない一民間人が、複数の兵士から銃を向けられて冷静に対処できるのか?
あなたは、果たして自分の頭に銃を突きつけられても同じ事が言えるのか。
もし仮に、兵士と同じだけの働きが出来るように訓練するとしても、普段の生活はどうするのか?
片手間の付け焼刃では、いざと言う時に役立つほどの訓練は難しいと思うのだが。
それに、個人の能力がいくら高くとも、集団行動になったときに秩序が保てなければ、その能力をいくらも発揮する事が出来ないのではないか。
個々に身体を鍛えたくらいでは国を護る事は出来ない。
それこそ甘えた考えだ。
組織として秩序が保たれてこそ、それぞれの能力が遺憾無く発揮されるのだ。
秩序の乱れはそのまま隙に繋がり弱みとなる。
もし仮に有事になったとしても、法の効力が失われて秩序が乱れることの無いように、きちんと整備しておくのは必要なことであるのでは無いか?
現状では維持できないと思われるのであれば、改善されて当然であると思うのだが。
事前にあらゆる事態を想定して法を整備するのは当然の事であるのに、何故そんなにも拒絶反応を起こすのか理解に苦しむ。

そもそも、日本の憲法に関して外国がとやかく言う筋合いのものではないだろう。
身勝手な振る舞いで無秩序に他国を脅かすのは暴力以外のなにものでもないが、自国民を守る為の備えとして整える防衛力強化は単なる暴力行為とは異なる。
日本は脅かしている方ではなく、脅かされている方である事は周知の事実だ。
国家の存亡を左右するような、防衛力強化のための話し合いにすら拒絶反応を示す外国の言いなりでは日本は自国民を守れない。
反発すると予想される外国は、日本の代わりに日本国民を守ってくれるのか?
日本を脅かしている国に対して、日本の代わりに牽制して考えを改めさせてくれるとでも言うのか?
日本が他国に攻め込まれたときに、それら反発した外国は自国民の命をかけてまで、日本の代わりに日本国民の命を守るために戦ってくれるのか?
自国の国益に適いもしない、そんな面倒事を誰が日本の代わりにやってくれるのか?
周辺国に配慮する事と言いなりになることは全く異なる。
自国の安全を確保できて初めて周辺国に配慮できるのだ。
自国が危機的状況であるのに、外国に反発されるからと言って防衛力を強化しないなら、それはただの馬鹿だ。
それに、軍隊を有し、日本を脅かしている側の国が文句を言える立場には無い。
日本に無防備なままでいて欲しいなら、自分も軍隊を手放し、無防備宣言をすべきであろう。
自分は軍事強化しておいて、日本だけ無防備でいろと言うのはご都合主義の典型ではないか?
自衛隊が憲法違反なら、憲法を改正すれば良いだけの話だろう。
ここは日本、外国人の為にある国ではなく日本人の為にある国なのだ。
日本人の為にある国なのに、何故日本人が肩身の狭い思いをしながら怯え暮らさなければならないのか?
それでは国家の存在意義が失われる。
あなたの思考の中心は常に諸外国。
そこに日本は存在していない。
日本を中心にして物事を考えた時に、果たして同じ事が言えるだろうか?

(2011年2月27日)





最後に「言葉が乱れました」とありますが、ご意見の趣旨が掴み難いので、あるいはご意見の意図を読み違えている部分があるかも知れません。
霊界の住人の皆様も、霊媒の意識を通じて文章の意味を理解しますので、霊媒が正確に意味を理解しやすい様に簡潔な文章を書いて頂けると、意図した回答を得やすいと思います。

それから、『三島由紀夫』と名乗る霊について若干補足します。
三島霊は、生前の自身の考えや行動について「今から振り返っても、当時の自分が間違っているとは思わないし、後悔もしていない」と述べております。
その一方で、「当時は分からなかった様々な物事が見える様になってくるにつれて、もっと効果的な方法があったのかも知れないと思う様になった」そうです。

【Silvercord】管理人 





2月28日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

  • 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について

2011年2月27日日曜日

私たちは皆さんと同じ

実は、昨年靖國の英霊の皆様にお話を伺っていたのですが、様々事情がありまして公開を延期しておりました。
その時に伺った話のテーマがちょうど二つに分けられますので、今回と次回に分けてご紹介したいと思います。



ちなみに、こちらは昨年秋の靖國神社です。





■ 『靖國の英霊』の皆様との対話

靖國の英霊
最近参拝に訪れる方が増えてとても嬉しいのですが、崇められてしまうのは「何かが違う」という気になってしまう。
私たちは神様ではないし、非の打ち所のない素晴らしい存在だった訳ではなくて、皆様と同じ様に一人の人間としてこの日本に生きてきて、たまたま生きた時代に戦争があったと言うだけで、皆さんと何も変わりません。
だから崇めるというのは違うと思います。
多分、これは何回もお話ししていると思いますが、皆さんが、私たちが生きた時代に生きていたとしたら、私たちと同じように考えて行動したでしょうし、逆に私たちが今の時代に生きていたら、皆さんと同じように考えて行動したと思います。
そこは何も変わらないと思います。
環境によって対応の仕方は変わってくると思いますので、命を賭けて戦ったと言っても、それは多分皆さんも、もし私たちの戦友の立場であったとしたら、同じ様にしただろうし。
逆に私たちが今生きていたら、色々なことを楽しみたいし、やってみたいことも沢山あったし、夢も希望もありました。
今生きていたら色々なことをやっていただろう。
だから、「昔の人は素晴らしくて、今の私たちは駄目なんだ」というような考え方は持たないでほしい。
何も変わりませんよ。

管理人
まぁ、私の場合は以前から度々そういう話は伺っておりますけれども、たまたま【銀の紐】では英霊の皆様のお話は余り取り上げていませんでした。
そして、英霊の皆様についてかなり関心の高い方がおられることが、寄せられるコメントからも感じるのですが、やはり英霊の皆様に対して『崇め奉る』という風に受け止める方がおられる様でしたので、気になっていました。

霊媒M:これは特攻隊で命を失った方だと思いますが…)

靖國の英霊
17や18で命を落としたのだから、今の高校生の子と変わらないじゃない。
それはやってみたいこともあったし、楽しみたかったし、もっと生きたかったし…。
皆さんが今「あれをしてみたいな」「これをしてみたいな」と希望を持っていたり、夢を持っているのと何も変わらなくて、そういう時に命を落としたのだから、急に神様みたいになれる訳ないじゃない。
同じなんだ。
皆さんが楽しいと思うことは楽しいし、嬉しいと思うことは嬉しいし、悲しかったり悔しかったり辛かったりすることは同じように感じるのですよ。
だから出来れば、「犠牲になって頂いて申し訳ない」などとネガティブな気持ちを送られるよりも、もっとみんなの幸せな気持ちを、一杯感じたい。
僕たちの代わりに、一杯一杯幸せを感じてよ。

霊媒M:――そう言っていますね。)

靖國の英霊
そういうみんなの気持ちが僕たちのところに集まってくると、僕たちもとっても幸せなんだよ。

管理人
だから、そういう気持ちを持って、例えば靖国を訪ねるといいのでしょうね。

靖國の英霊
みんなだって、友達を選ぶ時に、いつも愚痴を言っていたり、暗かったり寂しそうな人のそばにいるより、楽しそうで明るくて幸せそうな人のそばにいた方が気分がワクワクしてくるでしょう?
それは僕たちも一緒だ。
だからその事を忘れないで。
大切に思ってくれるのは本当に有り難いけれども、それを必要以上に強く感じすぎて、「逆に重荷になってしまっているのじゃないか」と心配になってしまう時がある。
余りにも重く受け止めすぎている。
しようがないじゃない、そういう時代だったのだから。
それはみんなのせいじゃないのだし。
みんなが今幸せに暮らしていてくれるのなら、僕たちは胸を張って「僕たちはみんなの幸せの為に頑張れたんだな」と思える。
みんなが幸せに暮らしているのが、一番僕たちを幸せな気分にしてくれるし、僕たちがしてきたことが報われる。
無駄じゃなかったんだなって。
やっぱり、良かったんだなと思える。
だから、もっと幸せな気持ちを一杯感じてください。
皆様にはそれが出来るよ。
まだこれから色々な夢を叶えられるし、色々なことが出来るのだから、一杯幸せになってくださいね。

(2010年12月22日)





今回の話については、英霊の皆様が以前より度々述べていた事ではありますが、当Blogでは余り紹介する機会がありませんでしたので、この度改めてご紹介させて頂きました。
ご覧の皆様の中には、靖國神社や各地の護国神社を参拝される方もいらっしゃると思いますが、英霊の皆様と接するにあたっての心構えとして、参考にして頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 





2月27日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

  • 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について

2011年2月21日月曜日

イジメに対処する方法

今回は、先日投稿した記事【日本には「弱い者イジメ」が蔓延っているのか?】の補足として、『日本の神様』からのメッセージが届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 『日本の神様』からのメッセージ

ご質問者様は先の回答でご納得いただけたようでございますが、中には冷静に受け止められない方もおられると思いましたので補足させていただきたいと思います。

いじめというものは確かに存在しておりますが、皆様の考え方と行動次第で状況を改善することが出来ます。
いじめには大きく分けて二通りのパターンがあると思います。
意図して悪意を持っての所業であるならば、いじめる側が改めるべき要素を持ち合わせているのは当然の事ですし、それが犯罪であるならば罰せられて当然のことです。
意図してした事ではなくても、意思の疎通が上手く諮れないために誤解が生じ、いじめに思えてしまうという場合は意思疎通を諮る努力をする必要があるでしょう。
後者の場合は意思の疎通を諮る方法を考え、丁寧な対応を心掛ければ問題は何れ解決出来る事でしょうが、前者の場合は明確な悪意があっての行動であるため、相手の方と意思の疎通を図って問題を解決するという事は難しくなります。

いじめがどちらのパターンであったとしても、解決したければ先ずやらなければならない作業があります。
それは、自分自身の気持ちを整理し、目標を定める事です。
いじめを受けたショックから、心に渦巻く感情で頭が一杯になってしまい、自分の目標を考える事が出来ない方が殆どであるようです。
今の環境から逃げ出したいとは思っても、具体的にどうなりたいのかを冷静に考えられなくなってしまうようです。
目標が定まらなければ、何をすれば問題を解決出来るのか分からないために、具体的な対応策を練る事が出来ません。
こうなりたいという理想の自分像を先ず思い描く事が、いじめから脱する第一関門であると言えるでしょう。
上手く気持ちの整理がつかないのであれば、文章にする事で気持ちが整理し易くなりますので、今の自分の気持ちを書き記すという作業をして見ると良いでしょう。
それらの文章を後で読み返してみると、今までは見えなかった何かに気付くきっかけになる事でしょう。
相談出来る方が側におられるのであれば、共に考えていただけるように援助を頼むのも一つの方法でしょう。
一番大切なのは冷静な心を取り戻すことですから、とにかく焦らない事です。
それから、苦しいという思いは溜め込まない事です。
何らかの形で表に出してしまった方が良いでしょう。
その際は八つ当たりで周囲の方を傷つけてしまう事がありませんように。
それではいじめている人間と何も変わらなくなってしまい、本末転倒になってしまいますから注意が必要です。
何か趣味などがあるのであれば、それで気分転換してみるのも良いでしょう。

目標が定まったら次にする事は、いじめが発生した際の状況分析です。
どのような場面でいじめが起こったのかを客観的に受け止める事が出来なければ、悪意あるいじめなのか、すれ違いにより生じた誤解なのかを判断する事が出来ません。
先にも述べたように、すれ違いによる誤解の場合と悪意あるいじめの場合では対処法が異なりますから、どちらが原因であるのか見極める事は大切な作業なのです。
それに、自分に足りていない部分があるのも事実ですから、たとえ相手が悪いと思われる場合でもきちんと自分自身を理解する作業は欠かせません。
この際も文章に纏める作業は有効でしょう。
後で読み返してみることでより客観的に受け止める事が出来るでしょう。

状況分析が出来たら、いよいよ対応策を考えます。
目標と置かれた状況によって対応策は変化してきますので、詳細な方法までアドバイスすることは出来ませんが、原因と目標が分かっていれば答えは自ずと見えてくるでしょう。
相手との関係改善を考えているのであれば相手を知る努力が必要ですし、環境を変えるつもりなら変えるなりにやるべき事が沢山あるでしょう。
誰かに援助を頼むつもりなら、それも考慮に入れて計画を立てる必要があるでしょう。
いくら解決法が分かっても、自分自身の今現在の力量をはるかに上回る作業は出来ませんから、最終目標へ辿り着くまでには何段階にも分けて計画を立て、一歩ずつ目標をクリアする必要があります。
最初の段階で定めた目標は最終目標であると思ってください。
きちんと計画表を作っておくと後で確認出来るので便利でしょう。

策が分かれば後は実行です。
先にも述べましたが、実行に移す際に注意しておきたいのが、いきなり高いハードル設定をしないということです。
今現在の自分が普通に出来るレベルよりも少しだけ高い目標を設定するようにして、目標を一つクリアするごとに成長している自分を自覚しましょう。
出来ていない事ではなく、出来た事に目を向けるのです。
いじめられているという意識からか、マイナス面には関心が向きやすいのにプラス面を見ることが難しい傾向にあるという事を自覚しましょう。
目標を一つクリアするごとに記録するようにすると、後で自分の成果を見る事が出来るので励みになることでしょう。

もし仮に途中で行き詰ることがあってもそこで慌てず、今までにしてきた事を振り返って見ましょう。
そして、何が原因で行き詰ってしまったのかを分析してみましょう。
もしかしたら、自分の力量よりも目標設定が高すぎたのかもしれませんし、出来る事が増えた為に新たな望みが生じてきたのかもしれません。
どちらにしろ、今一度自分の気持ちを確かめ、目標を明確にし、一歩ずつ前進するために計画を見直す必要があるでしょう。
とにかく感情に流されて自分を見失わないよう気をつける事です。

私たちは、自ら努力しておられる方を支援する事は出来ますが、諦めてしまったやる気の無い方を救う事までは出来ません。
救う事は皆様の世界の存在意義を脅かす行為だからです。
皆様は、今の環境下で様々な経験を通して世の理を学ぶことが目的ですから、皆様が学ぶための教材である障害を事前に取り除く行為は、私たちのお役目に反する事であるのです。
自力で解決してこその障害であり、そうでなければ皆様の成長には繋がらないのです。
どのように小さく思える成果でも、それが皆様の努力の結果であるならば、私たちはその成果を共に喜ぶ事でしょう。
大切なのはその心のあり方です。
諦めて行動を起こさない方は、残念ながら私たちがどんなに力を注いでいてもその力を活かす事が出来ません。
私たちと皆様の心が一つになってはじめて私たちの注ぐ力が皆様の中で活きてくるという事を忘れないで下さい。

さて、これまで個人へ向けてのアドバイスという形でお話をさせていただきましたが、基本的には団体でも国でも同じ事です。
冷静に状況を分析し、判断できる力が我が身を助ける結果へと繋がります。
感情に振り回され、冷静に対処する思考力を奪われてしまえば事態を改善することは出来ません。
場合によっては悪化するばかりでしょう。
問題解決の鍵は、自分と周囲をどれだけ冷静に観察できるかに掛かっています。
今現在、自分の身に何が起きているのかをより正確に把握しておく事が、解決策を探る上でもとても大切なことなのです。
冷静に状況判断が出来れば、自ずと自分の成すべき事が理解できるでしょう。

(2011年2月21日)





このメッセージは、特に「イジメの状態を改善する方法」について述べておりますが、広く人間関係全般に応用できる考え方ですので、ご自身の置かれた状況や目的に応じて参考にされてはいかがでしょうか。

【Silvercord】管理人 





2月21日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

  • 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について

2011年2月19日土曜日

日本には「弱い者イジメ」が蔓延っているのか?

今回は、記事【悪意は撒き散らした本人に還る】のコメント欄にお寄せ頂いたグラジオラス様の質問について、『日本の神様』の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ グラジオラス様の質問

はじめまして。
いつも心温まるお話をありがとうございます。
昨今の日本をとりまく情勢に一喜一憂しながらも、今は日本が真の自立と弥栄の世を作り上げるための準備期間だと自分に言い聞かせながら、この先の日本のために自分にできる事を少しばかりですが行っています。

今は特に「いじめ社会」の中、老若男女問わず、いじめの被害で深く心身ともに傷つき、社会生活すらままならない人、いじめの後遺症で異性を極度に恐れて結婚すらできない人が激増する一方で、
学校だけでなく、あらゆる職場で「大人達によるいじめ」が深くはびこり、「やったもの勝ち」と言わんばかりに、いじめを表立って行う輩も増えています。
事実、その「いじめ加害者」のほうが、社会的にも成功して、幸せな結婚も勝ち得て何不自由なく幸せに暮らしてる例が多いです。
社会で成功してる人たち(財界人、芸能人、プロスポーツ選手等)を見ると、「ああ、この人達もみんな弱いものいじめが大好きなんだろうな、人を傷つけてのし上がってきたのだから。」というバイアスのかかった見方をしてしまいます。

おそらく、これまで隠されてきた闇の部分が表に出る出来事が多くなることとつながっている気がします。
ただ、今後の日本の行く末を考えると、大人になってもいじめを率先的にやっている人たちが、日本のあらゆる中枢に立ち続け、大きな影響を与えていくことに対して、
安を感じます。
いくら日本国民一人ひとりが覚醒していったとしても、社会全体にはびこる「弱いものイジメ大好きな風潮」が変わらなければ、今までと何も変わらない気がします。
恐れ入りますが、日本のいじめ社会につきまして、どのようにとらえていらっしゃるのか、ご意見を伺えましたらありがたいです。





■ 『日本の神様』の回答

いじめ社会とあなたは仰いますが、本当にあなたが仰っておられるほどに日本には弱い者いじめが蔓延っているのでしょうか?
単なる意見の相違などによる反発もいじめと捉えてはいませんか?
ごく一部の方々の行動によって作り上げられた印象を基準にして、弱いものいじめが大好きな日本という“レッテル張り”をして、色眼鏡越しに世の中の全てを観察してはいませんか?
本当にその様に卑怯者ばかりが蔓延っている国であれば、日本の現状を説明することは出来ません。
何だかんだと言っても、世界から見ても日本はとても恵まれています。
本当に卑怯者天国な状況であれば、日本はもっと貧富の差も激しく凶悪犯罪が頻発し、社会保障なども無く餓死者が年間を通して絶えずと、本当に過酷で暮らしにくい社会になっていた事でしょう。
国民の生活水準は世界から見ても最低ラインといったところでしょうね。
卑怯者のみが栄える社会とはその様な社会です。
そして、その様な社会には必然的に卑怯者が溢れます。
卑怯でないと生きて行けないからです。
騙すよりも騙される人の方が大勢いるという、何とも暢気な日本がその様に歪みきった国だとはとても思えません。
もし仮に日本が卑怯者天国の国であったならば、尖閣問題も竹島問題も北方領土問題も起きてはいなかったでしょう。
逆に他国の領土を脅かしていたかもしれません。
本当にその様な国ならば、とっくの昔に世界中から嫌われ、除け者にされている事でしょうね。

中にはあなたが仰っておられるような卑怯者もいるかもしれませんが、それはごく一部の方々であると思います。
あなたから見て成功者であると思える全ての方々が、その様な卑怯な人間であると考えてしまうのは違うのではありませんか?
真摯に己に向き合い、直向に努力を重ねた結果成功を手にしたという方も大勢おられるのではありませんか?
ほんの一部の事例をもとに、全てを憎悪するかのようなご発言はいただけません。
世の中はそんなに甘いものではありません。
何の努力もしないで卑怯な行いばかりの方々が真の幸福を得ることなど出来ないのです。
あなたが何を持って幸福であると解釈しているのかは分かりませんが、地位や名誉や金などでは幸福であるのか否かを推し量ることは出来ませんし、それが本当に成功者であると言えるかどうかもその後の結果を見てみないことには何とも言えません。
今多くの物を持っているからと言って、果たして一生涯持ち続ける事が出来るのでしょうか?
果たして持っているという事実が幸福に繋がっていると言えるのでしょうか?
あなたはまだまだ物事の表面しか見ていません。
人間の皆様は視野が限られている為、よくよく観察してみないと分からないのかもしれませんが、その様なほんの一時期の状態を基準にして全てを考えておられるのだとすれば、それこそ自分自身の未熟を恥じる場面であると言えるでしょう。
あまり極端に考えが偏ると、あなたご自身が嫉妬や恨みの念に駆られ、不幸をその身に招き寄せる結果になります。
少々厳しい意見になってしまいますが、自分自身の未熟が招いた結果を弱い者いじめの結果と捉えているようでは、その方ご自身の今後の成長は見込めません。
その様な考えでは、何時までも今の場所から脱する事は出来ないでしょう。
確かにあなたが仰っておられるように卑怯者に陥れられるといった事例もあるでしょうが、自分自身にも至らない点や付け入られる隙があった事を自覚して自分なりの対策を施す事が出来なければ、永遠に同じ事を繰り返し、何時までも弱い者いじめの被害者であると怨み言を唱えながら卑屈な人生を送らなければならなくなります。
例え理不尽に思える事であったとしても、そこには必ず何か見過ごされている要素がありますから、全ては自分自身が招き寄せた事であると己の未熟を認め、冷静に対処出来るよう心掛けたいものですね。

相手を変えようと思うのが、そもそもの間違いであると悟りましょう。
自分自身が変わらなければ、世の中は何も変わる事はありません。
自分自身が変われば、周囲の反応も変わるものです。
自分自身のものの見方や考え方が変われば、今までいじめであると感じられた事が実はいじめではなかったと気付くという場合もある事でしょう。
相手にいくら変われと言っても変わる事は無いのですから、自分が考えを改め、有効な対策を考え、実行に移せば良いのです。
卑怯者は常に卑怯者ですから、いつか化けの皮が剥がれ、取り繕うことが出来なくなり全てを失う時が訪れます。
その時にいくら悔やんでも、もう逃れる事は出来ないのです。
そんな卑怯者を相手にやきもきするぐらいなら、卑怯者が蔓延れないようにする為に今出来る事に尽力される方が余程有益であると思います。
卑怯者に心をかき乱され、不快感に悶々としているだけでは時間の無駄です。
人は人、自分は自分。
人は思い通りにならなくても自分自身なら努力次第でどうとでもなります。
後は、本気で事態の打開を目指して実行に移せるのか否かの違いだけです。
卑怯者に振り回されてイライラするよりも、振り回されない自分、動じない自分になる為に努力する方が余程自分にプラスになります。
思い通りにならない時は相手を責めるのではなく、先ず自分自身の行動や言動を省み、冷静に状況分析出来るように努力する必要があります。
それさえ出来れば問題の半分は解決出来たようなものです。
自分自身が抱えている問題点を理解出来れば、あとはその問題点を改善する方法を考えて実行すれば良いのですから。
改善までには至らなくても何かで補うことも出来ますね。
自分だけではどうにもならない場合は、信頼できそうな周囲の方に助けを求める事も一つの手でしょう。
問題が起きている環境から離れてみる事も、場合によっては必要かもしれません。
現状を打開するための手段が分かってしまえば、後は黙々と実行するのみです。
感情に任せて不満を言うだけでは何も解決する事は無いという事を良く覚えておきましょう。
自発的に行動を起こしてこそ、状況改善の可能性が広がるのだと言う事を忘れないで下さい。

それから、あなたのお話ですと、明らかなる犯罪と日常の人間関係における些細な摩擦から来る反発が混同されているように思うのですが、それらはきちんと分けて考えましょう。
犯罪は犯罪、きちんと罰せられる必要があるものですから、社会の仕組みとして法律が秩序を守る為にきちんと機能していないのであれば、それは社会全体の問題として捉えて対策を考える必要のあるものです。
一方、日常の些細な行き違いや意見の相違から来る反発などの出来事の場合は、自分自身の心がけで改善出来るものです。
それらを混同して考える事で問題の焦点がぼやけてしまい、適切な対処が出来なくなりますから、きちんと整理して考えるようにしましょう。
どちらにしても自分自身の心がけが結果に影響を及ぼす事に変わりは無いのですが、犯罪の場合は社会全体の共通認識として法的に穴が無いように改善させる必要があるので、そこのところで対処法が変わってくるのです。

人にはそれぞれに個性というものが備わっております。
ある方にとって当たり前の事が、他の方にとっては当たり前では無いといった場合もあると思います。
その逆もまた然りでしょう。
社会で活動していれば、その様な些細なすれ違いは日常茶飯事であると思います。
それらの考え方の違いが心のすれ違いを生み、単なる意見の相違をいじめであると捉えている場合も少なくありません。
自分の意見が受け入れられない事で、いじめと捉えてしまう場合もあるのです。
一度いじめであると認識してしまうと、相手が悪いの一点張りで自分自身を省みようとはしません。
周囲から見ればそれは単なる身勝手なのですが、実際その様な考えで逆恨みをする方も少なくありません。
これらの現象は、物事を0か100でしか捉えることの出来ない方に多いですね。
その様な極端な考えの方に限って、相手に対しては容赦がなく残酷です。
一度立場が逆転すれば、度を越した行動や言動が見られるのもその様な方の場合が多いのです。
その時々で臨機応変に対応するという事が出来ないのでしょう。
感情は生きていく上でとても大切な要素ではありますが、制御できて初めて功を奏すものであり、振り回されている間は周囲を巻き込み不快を撒き散らす要因となりかねません。
あまり感情に振り回されると、偏った考えに陥り易くなるので注意しましょう。
出来るだけ理性を働かせるよう心掛け、感情を上手に制御する術を身につけましょう。

(2011年2月18日)





回答にもあります様に、質問者のグラジオラス様にとっては少々厳しい意見となってしまったようですが、ご覧の皆様はどの様な感想を持たれましたでしょうか。
今の日本に『弱い者イジメ大好きな風潮』が蔓延っているのかどうかはともかく、今この瞬間にも虐める者と虐められる者がいるという点は、ご覧の皆様と共有できる認識であると思います。
その上で個人的に感じるのですが、虐める側・虐められる側双方のコミュニケーション能力の不足がイジメの本質なのだと思います。
つまり、『自分の意思を正確に相手に伝える言葉遣い』や、『相手が発する言葉から正確な意図を読み取る』能力が不足している為に、相手の意思についての勘違いや思い違いが頻繁に発生しているのではないかと思うのです。
それから、本人としては他意はなくとも、周囲から見て反感を持たれる様な行動を無意識のうちに取っている場合もあるでしょう。
それらの言動や行動の積み重ねが双方の誤解となり、更にコミュニケーション能力の不足から、「誤解を解消したい」という意思があっても適切な表現や対応が出来ない。
この様にして、虐めるにせよ、虐められるにせよ、『意思疎通のあり方の歪んだ人間関係』が生じるのではないかと考えております。

いずれにせよ、この世の中に生じるどの様な現象にも、必ずその様な結果に至る原因があります。
そして、速やかに問題を解決したいのであれば、問題の原因を正確に把握して、適切な対応策を実施する必要があるのではないでしょうか。

【Silvercord】管理人 





2月19日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

  • 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について

2011年2月18日金曜日

自分自身に向き合う覚悟が出来るのか?

今回は、記事【悪意は撒き散らした本人に還る】のコメント欄にお寄せ頂いたbaseheat様の質問について、『日本の神様』の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ baseheat様の質問

日本の神様へ
いつも、いろいろとありがとうございます。
今回の投稿を読んで、「人々の自然な心の繋がりが場を生み、そこが磁場となって神々の力が降りやすくなる」という日頃より思っていたイメージが、案外といい線いってるのかな~と思いました。
昔、円居ということを人は大切にしていました。1人1人の資質や自覚も大切ですが、そういう人々が集い、心の交流がある場には、自然とより多くの豊かさがもたらされてきたように思います。人に課された使命があるとすれば、本能的なことと、無から何かを生み出す智慧を駆使して、地球をすべての命の為の楽園にすることだろうという気もします。
たしか日本の神様は、この世そのものが楽園とするにふさわしいと考えて国造りを始めたのではないですか?

すみません、追記です。
人間生きていれば、恐れ、怯え、妬み、怒り、不安、不満は何かしら経験します。それで悪態をついたり、その対象となるものに悪意を持ったとしても、何事にも真正面から向き合う覚悟を持てれば、そこから改善できるという風にも考えられますか?





■ 『日本の神様』の回答

そうですね、あなたのお考えは的を射ていると思います。
この世界は皆様の心掛け一つで秩序が保たれた安定した社会へと変化を遂げます。
皆様が自らの力で安定した世界を創造出来るように導くのが私たちの最終目的です。
自守、自律を基本とし、その先に周囲との交流があるのが理想です。
己を成り立たせる事のみを考え周囲を巻き込むのは依存であり、それは安定を欠く行為です。
互いに協調する行為は依存とはならず、更なる安定に役立つものです。
それらの違いをきちんと理解しておく必要があります。

結論から申しますと、自覚して真正面から問題と向き合う覚悟さえ決まってしまえば、何時でも誰にでも改善出来る余地があります。
感情はとても大切なものですし、必要であるからこそ存在しています。
私たちは感情を抑制しなさいと言っているわけでは無く、制御出来るようになりましょうと言っています。
私たちにも感情はありますが、決して感情に振り回される事はありません。
制御する術を知っているからです。
ですが、人間であれば誰でも、瞬間的に感情が溢れて制御出来ないというような経験がある事でしょう。
皆様は今まさに感情の制御方法を学んでいる最中なのですから、それも仕方のないことです。
大事なのは、その後の考え方です。
そのまま感情に飲み込まれ、対象となるものへの憎悪を増し続け、その感情に囚われ自分を見失うようでは困ってしまいます。
それらの感情から抜け出すには、自分で自覚するより他に手立てがありません。
周囲がいくら促したところで、自覚が無ければ邪魔な周囲を排除しようとするだけです。
一番問題なのは、果たして「自分自身に向き合う覚悟が出来るのか?」というところなのです。
逃避意識が強い方ほど臆病な性質を持っており、臆病な分長い年月に渡って問題を先送りするケースが多く、時間が経過している分だけ抱えている問題も複雑化してしまいます。
そのために、解決までには多大な時間と労力、強い精神力と忍耐力が必要になります。
放置すればする程、誤魔化せば誤魔化すほど事態はどんどん悪化し、自分の力だけではどうしようもなくなってしまうものです。
自分自身を見つめなおすという事は未熟な自分を認めるということですから、変にプライドが高い方ほど認めるのは難しいと思います。
場合によっては、今まで築き上げてきたものを手放す覚悟が必要になるかもしれません。
長い年月をかけて周囲を巻き込み、大々的に行ってきたものであればなおのことでしょう。
個人的な些細な事柄であれば、ほんの少しの努力で改善が可能です。
ですから、問題が複雑化してしまう前に、ほんの少しの努力で改善出来るうちに、常に己を省み、周囲を顧みる作業は必要不可欠なのです。

(2011年2月18日)





さて、人間の感情表現に伴う様々な問題に付いては、当Blogでも折にふれて取り上げて参りました。
人生を丸ごと費やしても、そう簡単には解決策を見出しにくい問題であり、だからといって放置していても不愉快な思いが募って行くばかりですので、そうそう目を背けてばかりもいられない、非常に厄介な問題だと思います。
しかし、モノは考えようです。
思い切って発想の転換を図ることによって、感情の変化に振り回される機会も減って行きます。
自分自身の感情の変化には冷静でいられなくても、身の回りにいる方の様子を観察する中から、感情の変化について冷静に考えることは出来ると思います。
また、謎解きやゲーム感覚で、自分の感情の動きを分析してみる――といった試みも興味深いものとなるでしょう。

感情に流されるのは、感情がどの様に働くのか、その仕組みがよく分かっていないからであって、感情の働きを理解することによって、自分によって心地よい状態を維持することも不可能ではないと考えております。

【Silvercord】管理人 





2月18日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年2月13日日曜日

八王子城を守る霊達

去る2月11日、首都圏でも雪の舞い散る中、霊媒Mと私は『八王子城跡』を訪ねました。


八王子城跡と言えば心霊スポットとしても名が知られているようですが、この度は霊媒の希望があって訪ねることと致しました。
これまでにも心霊スポットとして名の知れた場所を何カ所か訪ねておりますので、それらの経験を踏まえて「仮に何らかの霊がいたとしても、人に害を及ぼす様な存在なのだろうか?」と、疑惑の念を秘めつつ足を踏み入れたのですが…。





■ 霊媒Mの体験

以前、管理人様から八王子城跡のお話を聞いて以来、何故か分からないのですがとても気になっていました。
今回は生憎のお天気でしたが、無事に訪れることができました。
雪が降っていましたから、さすがに訪れる方はおられなかったようで、私たちの他には管理されている方がおられるだけでした。
敷地内に入ってから途中まではあまり気にならなかったのですが、頂上へ至る途中の八合目の表示がある場所から九合目の表示がある場所に至る途中の道で、突然今までと違う空気を感じました。
そして「帰れ!帰れ!」と追い立てられているように感じました。
相手の方々は私を追い出したいのですから、押し戻すような不快なエネルギーが迫ってきました。
最初は何故追い出そうとしているのか訳が分からなかったので、そこで一旦足を止め、何故追い出そうとするのか聞いてみました。
そして、どうやら八王子城を守っていた方々が死しても(ご本人達は生きているつもりでしたが)なおこの地を守り続けているようであるという事が分かりました。
私が話しかけたことで彼らは戸惑いを隠せない様子でしたが、彼らの敵意が薄れてきたので私は歩きながらさらに会話を続けました。
どうやら侵入者は皆敵であると認識されていたらしく、私は敵では無い事、もう戦は終わって長い月日が経過している事を彼らに説明してみることにしました。
城主も敵も既にお亡くなりになっている事、そして、あなた方もすでにお亡くなりになっているのだとも説明しました。
彼らは意外にもあっさりと言葉を聞き入れてくれたようでした。
「今までそんな事を説明してくれる人はいなかった」と話していました。
仲間以外にお話できる人に出会えて嬉しかったようで、他にもいろいろお話してくれました。 
今まで自分達の声に答えてくれる人に出会えなかったそうで、話が通じないという事がとても不安であったようです。
声を掛けても全く無視されるし、武器で威嚇してもあまり効果が無いし、訳の分からない事を勝手に喋っているし、一体何がどうなっているのか分からず、兎に角追い返すしかないと思っていたようです。
今までも大勢の人々がこの地を訪れており、その度に侵入を阻止しようと威嚇したり武器を持って切りかかっていたのだそうですが、皆平気な顔をして近付いてくるし、突き刺しても切りつけても全くダメージを受けていない上に、自分達の身体をすり抜けて行ってしまったそうで、初めて経験した時には本当に腰が抜けそうなほど恐ろしかったそうです。
自分の死を認識していない彼らにとって、触れる事が出来ずに自分の身体をすり抜けてしまう存在は「妖か化け物であるに違いない」と恐れ戦いていたのだそうです。
彼らよりも現代人の方が身体も大きく見上げるほどであったようで、その体格差も恐れる要因の一つになっていたようでした。
その上、見たこともない着物を着ていたし、彼らにとって人間のようで人間ではない私たちの存在は本当に恐ろしかったようです。
彼らはもう長い事、敵兵ではなく得体の知れない化け物たちの侵入を阻止する為に城を守り続けていたようです。
ですが、彼らの努力も功を奏さず、勝手に新たな道を作られたり、新たな建造物を作られたり、荒らされ放題で途方に暮れていたようでした。
私たち人間の側からすれば維持管理する為にしていたことなのですが、彼らにとっては他所者が我が物顔で傍若無人に振舞っているように思えたようでした。
彼らにとっては少しでも侵入者の気配がすると本当に恐ろしかったそうですが、心霊スポットとしても有名になってしまった為にますます訪れる人が増えてしまい、必死に追い返そうとしていた事がかえって仇になっていたように思います。
よく化け物と思えるような存在である私の話を聞いてくれたものだと思いましたが、彼らが警告を発した際に私が足を止めた事で話が通じた事実にまず驚き、話しかけたことで自分達に危害を加えようとしているわけでは無いと理解してくれた結果のようでした。
彼らが死を悟った後は、自分達の置かれた立場などの実状を理解するのがとても早かったように思います。
雪が降って大変足場が悪かったのですが、「帰りは麓までお見送りさせてください。これが最後のお勤めですから」と言ってずっと側につき沿っていてくれました。
道中「出来る事なら手を引いて差し上げたいのですが、触れ合うことが出来ないので大変申し訳ない。滑らないように充分気をつけてください。」と話しかけてくれましたし、とても紳士的な方々であると思いました。
八王子城跡の敷地内から彼らが出る事はありませんでしたが、私たちが駐車場に向かう間、確か五人だったと思いますが横一列に整列して深々とお辞儀をしてお見送りしてくださいました。
とても礼儀正しく紳士的で善良な方々であったというのが、彼らと接してみた私の印象です。
些細な誤解やすれ違いから互いの存在を恐れ反発しあった事が、この場所が心霊スポットとして有名になってしまった結果であるように思いました。
ただ、天気が悪かった為に本丸跡地などには行かず八王子神社までしか訪れなかったので、もし仮に本丸跡地の方にも何かあったとしても今回は確認できませんでした。
もしかしたら、まだ何方かおられるかもしれませんね。
ですが、もし仮にまだ何方か留まっておられたとしても、恨みや憎しみが篭った怨念などというような恐ろしいものではないように思います。





■ 八王子神社の神様の説明

死してもなお己の死を理解できず、その場に留まり生前と同じ行動を繰り返す。
このような現象は、数多く存在しています。
活動していると言う事はエネルギーを発しているということですから、例え肉体を失っていても人間の皆様に対して何らかの影響があることは否めません。
城への侵入者を追い返そうと武器を持って待ち構えていたようですから、人間の皆様には不快に思えるエネルギーを発していたのでしょう。
城を警護している彼らにとっては、人間の皆様は勝手気ままに領内を荒らす侵入者と思えていたようですから無理も無い話です。
彼らは時間の感覚が曖昧なため、実際には長い時間が経過していても、その事実に気付くことなく同じ作業を黙々と繰り返してしまうようです。
私が何度呼びかけてもなかなか気付いていただく事が出来なかったのですが、今回のあなた方のご訪問が一つの切っ掛けとなり、彼らもようやく己の死を悟ったようです。
関心を向けている事柄しか認識できないために、私の呼びかけには気付けなかったようです。
私の呼びかけに答えることは、即ち己の死を理解したということですから、仕方の無い事であったのかもしれません。
これでようやく彼らも新たな目標へ向けて一歩前進できます。

(2011年2月13日)





ちなみに、こちらが八王子城本丸近くにある八王子神社です。




霊媒の話によると、こちらの天狗像には霊が宿っているとのことでしたが、詳しくは分かりませんでした。

【Silvercord】管理人 





2月13日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

2011年2月10日木曜日

悪意は撒き散らした本人に還る

今回は、『日本の神様』から当Blogをご覧の皆様へ向けて、非常に興味深いメッセージを預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 日本の神様からのメッセージ

悪意は必ず、撒き散らした本人に還ってきます。
必ずしも目に見えるわけでは無いので分からないかもしれませんが、周囲に悪意を撒き散らした者は真の幸福を得る事はありません。
悪意は人を不幸にするからです。
不幸が更なる不幸を呼び、それらが融合し大きな力となって、やがては発した本人に還るのです。
私たちから見たら、悪意を撒き散らすことしか出来ない人々は、とても哀れで愚かな存在だと思います。
自ら不幸を招き寄せているようにしか見えないからです。
このままで行けば、必ず不幸が訪れると分かる事を率先して行っているのですから、本当に愚かです。
彼らの心の内にあるのは、恐れ、怯え、妬み、怒り、不安、不満と言ったところですね。
そんな彼らが何を得ようと、決して幸せにはなれません。
得たら得たで不安の種が増えるだけ、何事にも真正面から向き合う覚悟も度胸も無い彼らには、幸福を生み出せる要素が何一つ無いのです。
得られるものは精々、不審、不満、不安、裏切り、敵、恐怖と言ったところでしょうか。
そんなものを手に入れて、一体何になるのでしょうね?
どんなに物や金が溢れていようと、これでは何の意味も感じません。
やればやるほど、多くを失うだけです。
何れは、物も金も失うことになるでしょう。
これらの行為には全く心が伴っておりません。
欺く者は必ず欺かれます。
傷つける者は必ず傷つけられます。
全ては因果応報、自分で蒔いた種は必ず自分で刈り取る時期が訪れるのです。
その時になってからどんなに悔やんでみても、もう逃れる事は出来ないのです。
一度やってしまった事は取り返しがつきません。
彼らが改心するその時まで、死してもなお永遠に繰り返される事でしょう。
それが彼らの選んだ道なのです。

心の繋がりを侮ってはなりません。
心の繋がりは不可能を可能にする力を持ちます。
日本人は心の繋がりをとても大切にしますね。
だからこそ、多くを成し遂げる事が出来るのです。
心の繋がりを大切に、これからも精進してください。

(2011年2月6日)





このメッセージは、先日投稿した記事【幸福には幸福が引き寄せられる】と裏表の内容になっている点で、時期的にも非常に興味深く思います。

【Silvercord】管理人 

2011年2月9日水曜日

全世界の全ての存在に注がれるエネルギー

今回は、記事【霊的エネルギーの正しい利用法を覚えよう】のコメント欄からお寄せ頂いたたらこ様の質問について、『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の皆様の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ たらこ様の質問

いつもブログ記事をありがとうございます。

霊界エネルギーを適切に取り扱う・・ということは具体的には、記事にあるように「欲張らず、意地を張らず、謙虚であることに努める。時には毅然と困難に立ち向かう勇気も必要。精一杯努力する」など、日々の生活の中で、自分を常に律しながら観察し、精進していくことでいいのでしょうか。

巷のスピ界では、エネルギーというと、ヒーリングエネルギーや、豊かさのエネルギー等、お金を払ってマスター(?)に流してもらったりというのが主流なような気がするのですが、ここでいう霊界エネルギーとは、そんな次元のものではなく、一人一人が、コツコツと、試行錯誤しながら得ていくものなのですよね。
シンプルでとても大切なことだなと思います。





■ バチカンの拠点開放に携わる霊団の回答

ここで私たちがお話ししているエネルギーというものは、皆様方が暮らす世界を支える根源的なエネルギーの事を指します。
全世界の全ての存在へ向けて注がれているこのエネルギーは生命の源とも言えるものであり、そのエネルギーが無ければ皆様がお暮らしの世界を維持する事ができないのです。
このエネルギーは常に全世界へ向けて注がれており、余程特殊な事情でも無い限り、エネルギー供給が途切れる事は無く、常に注がれているものであります。
これらのエネルギーを上手に活用するためには、日常生活の中から様々な経験を通じてこの世の理を学び取る必要があります。
どのような経験の中にも、必ず学び取れる要素があります。
身の回りで起きる一つひとつの出来事を具に観察し、原因と結果の因果関係を学び取る努力をしてみてください。
それこそがこの世の理なのです。
その様にして、一つひとつの経験を基に様々な因果関係を学び取る事で、不愉快な思いをする機会は徐々に減ってゆく事になるのです。
物事の因果関係を理解していれば、わざわざ不愉快な結果を招く原因をつくろうとは思わないものです。
それはミクロな出来事でもマクロな出来事でも同じ事です。
全ては原因があるからこそ結果がある、その事をよく覚えておいてください。
結果を踏まえて、更に飛躍するための努力も忘れてはなりませんね。
結果を受けて終わるのではなく、その更に先にあるものを目指して前に進む必要があります。
経験から得た知識を応用して、自分なりに活用できるようになる事が大切ですからね。
そのためには新たな方法に何度も挑戦し、失敗しない方法を探す必要があります。
どのような物事にも、この世で発生している事象であれば、必ず正解の方法があるのです。
それがどのような方法であるのかは、皆様が自分たちの力で見つけなければなりません。
私たちは、求めてくださる方々にヒントをお教えする事はあっても答えを教えてしまう事はございませんから、そのヒントを基にしてご自分の力で正解を見つけるしかないのです。
そうやって人はこの世の理を理解してゆくのです。

巷で話題にのぼるようなヒーリングなどのエネルギーは、ある特定の目的に特化したエネルギーであり、必ずしも必要であるとは限らないものですし、それが無ければ生きて行けないといった類のものでもありません。
ある特定の状態に置かれた方々にとっては、場合によっては必要とされるエネルギーであるとは思います。
それらのエネルギーは目的を限定されているため、発揮される条件も必然的に限定されます。
ですが、それらのエネルギーも必要であるからこそ発揮される場が設けられ、それらのお役目を授かっている霊能者の方がおられるのです。
役割は違っていても、その源は同じものであるのです。
いくら霊能者といえども人間でございますから、霞を食べて暮らすわけには行きません。
ですから、生活の糧を得る手段が他にない場合は、糧を得る為に労働の対価としてお金をいただくというケースも存在していると思います。
きちんとご自身のお役目を理解しておられる方であれば、法外な料金を請求したり、恐怖心を煽って逃げられないようにしたり、新たな顧客を紹介させたり等というような事は無いでしょう。
中には何の力も無いのにお金儲けの為に霊能力者であると偽って荒稼ぎをしているケースもございますから、そこのところには充分に気をつけなければなりません。
力はあっても、霊能力者自身が欲望に飲み込まれてしまうというケースもございます。
常識的に考えてみて、明らかに異常であると思われる点があるのであれば近づかないようにする事です。
よく検討された上で必要であると思ったならば、ご利用の際はご自身の責任において心してご利用されるのがよろしいと思います。
何事に対してもそうですが、慌てて結論を出さず、よくよく観察してから検討し、結論を出されるのがよろしいでしょう。

(2011年2月8日)





ここで『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の皆様が述べておられるエネルギーについては、私自身にもまだ分からない点が多く、霊界の住人の皆様のお話を伺いながら、現実社会の動きを観察しつつ、霊的エネルギーの存在や効果、私たち人間や社会への影響についての理解を深めようと努めております。
これまでの霊界の住人の解説によりますと、私たちにとっては余りに身近で、かつ根源的である為に、返って余りピンとこない部分もあるのでしょう。
しかし、今は霊界と地上界を繋ぐ拠点開放という、霊的エネルギーの大規模な変動の起きる時期であり、私たちにとっても何らかのヒントを掴みやすい時期でもあると思いますので、注意深く世の中の動向を観察する中から、霊的エネルギーが私たちの社会に及ぼす影響を見極めて行きたいと思います。

【Silvercord】管理人 

2011年2月7日月曜日

日々成長している事実に目を向けよう

今回は、記事【幸福には幸福が引き寄せられる】のコメント欄にお寄せ頂いたNK様のコメントについて、英霊の皆様からのコメントを預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ NK様のコメント

管理人様 霊媒M様いつもブログをあげて頂き有難うございます。
日本の結界が解放されてからもうすぐ一年になりますね。
私自身、結界解放と同時期に自虐史から解放され、本当に怒涛の一年でした。こちらのブログをぐうぜん知ることが出来どんなに救われたか、日本人で良かった、八百万の神様を信じれる国民で良かったと心から思います。

『今年は物事が大きく動くと見られますので、人によってはこれまでにも増して事態が悪化していると受け取られる方もおられることと思います。』と上のほうで書かれていますが、外国人参政権のことや、外国で流される中国や韓国の人たちの悪意ある日本の捏造歴史を、私たちは止める事が出来るのでしょうか。
がんばれば何とかなる筈、日本は守られている筈だと思っても、本当に不安に押しつぶされそうで参ってしまいそうです。
すみません愚痴でした。





■ 英霊の皆様のコメント

大丈夫ですよ。
不安に思っているのはあなただけではありません。
きっと、あなたと同じ様に不安に感じている方は大勢おられることでしょう。
時には愚痴も言いたくなるでしょう。
ここで気持ちを吐き出した事で、少しは気分が軽くなったのではありませんか?
無理をして我慢する必要はありません。
お話しをする事で気持ちが落ち着くこともあるのですから、そんなに気になさらないでください。

さて、お話は変わりますが、あなたはこの一年で多くの事柄に気付いて今があるのですよね?
あなたより、もう少し早めに気付いていた方も大勢おられますね?
それらの方々の働きもあって、あなたも多くの事柄を知ることができました。
あなたと同時期くらいに気付いた方もおられるでしょうし、これから先も日本人としての自覚を持つ方が大勢現れることでしょう。
日本人が日本人である事を忘れず、日本人としての自覚を持って諸外国に臨めば、きちんと対処することが出来ますから大丈夫ですよ。
先人達が築き上げ、あなた方が受け継いで行く日本はそんなに柔ではありません。
少々の事ではびくともしないから大丈夫ですよ。
ですが、いくら力があっても諦めたらそこでお終いですから、何があっても希望が実現するまで諦めない事です。
諦めずに求め続けてください。
必ず、問題を解決へと導くことが出来ますから。
どうか、諦めないで。

(2011年2月6日)





英霊の皆様の言葉にある様に、NK様はこの一年で目覚ましい成長を遂げられました。
その他にも、当Blogなど様々な手段を通じて、今までは知らなかった新たな情報を知り、また色々な物事について考える時間を費やす中から、日々成長を続けている方が多数おられることと思います。
そして、一年前には気にも留めていなかった新たな不安が生まれたのでしたら、この一年間で新たな学びがあり、学びの過程を通じて更なる疑問が生じたと言うことです。
不安の正体とは、不安の対象についての知識や理解の不足にありますので、知識を蓄え、実践を通じて理解を深めることによって不安は解消に向かいます。

さて、外国人参政権や、日本の歴史に関する問題に付いては、他国の策謀の影響よりも、むしろ日本国内で根拠のない偽りの情報を撒き散らす存在の影響が深刻であると思います。
また、海外で捏造歴史を吹聴して回るのは、何も中国や韓国だけではありません。
東京裁判の嘘は暴かれなくてはならず、ニュルンベルク裁判で裁く側に立った国々の犯罪行為が明らかにされなくてはなりません。
これらの問題を根本的に解決するには、一人ひとりが「物事の真偽を見極める目を養う」以外にないと思います。
詐欺師を詐欺師であると見抜く賢明さを身につけると言うことです。

【Silvercord】管理人 

2011年2月6日日曜日

霊的エネルギーの正しい利用法を覚えよう

今回は、記事【幸福には幸福が引き寄せられる】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問について、『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の皆様の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

こんばんは。


海外の情勢、エジプトが今大変なことになってますね。

イスラエルやイスラム教圏のエネルギーの流れは、今どのようになっているのでしょうか?

もしくは、これもバチカンの解放の影響でしょうか?





■ バチカンの拠点開放に携わる霊団の回答

あなたのご想像の通り、バチカンの拠点開放の影響は世界各地に見られます。
絶妙なバランスでギリギリのところで保っていたものに、新たな力が加われば呆気なくバランスを崩してしまうでしょう?
今混乱が起きている国々は、もともと混乱に陥る要素をその内に抱え込んでいたのです。
そこに、バチカンの拠点開放により新たな力が加わった結果、何とか保っていたバランスが崩れてしまったのでしょう。
偏りが激しい地域ほど、その反動は大きなものとなります。
ギリギリまで我慢して、爆発してしまいそうなほどに不満がたまっていたところに、ほんの少しでも刺激が加われば呆気なく爆発してしまう事でしょう。
常に緊張状態にあったものが、ついにその緊張の糸が切れてしまったという事なのだと思います。
抑圧されればされるほど、我慢の限界を超えたときに発せられるエネルギーは膨大なものになります。
混乱の起きている国々の皆様は、普段から余程抑圧されていたのでしょう。
ついに我慢がきかなくなり、爆発してしまったようです。
その他にも自然災害が世界中で起きておりますね。
これにもバチカンの拠点開放が関係しておりますが、バチカンから発せられるエネルギーそのものには善も悪もありません。
ですが、人間が利用法を誤れば、人間にとって不愉快な方向にそのエネルギーが働いてしまうのです。
ですから、一日も早く正しいエネルギーの利用法を覚える必要があるのです。
その為に私たちが存在し、こうして皆様とお話できる機会をいただいているのです。
上手に活用できれば、これほど心強い味方は無いというくらいに、皆様に安心と安全をもたらしてくれるものなのですから。
欲張らず、意地を張らず、謙虚であることに努めましょう。
時には毅然と困難に立ち向かう勇気も必要ですね。
努力の先には必ず明るい未来が待っています。
明るい未来を信じて、日々精進されてみては如何でしょうか。

(2011年2月6日)





国を束ねる者と支える者が共に手を携えて、共通の目的に向かって努力を傾ける方向にエネルギーが向けられれば、その国に暮らす全ての方にとってより良い社会が築かれて行くでしょう。
しかし、今不安定な状態にある国に暮らす方は、同じ国に住む者同士が互いにぶつかり合い、お互いを傷つけ合っているのです。
国に限らず、もっと小さな集団のなかでもその様な相剋があちらこちらで繰り広げられております。
しかし、その様な不安定な状況下にあっても、既に霊的エネルギーの適切な使い方を理解し、上手に使いこなしている方もおられる様です。
今後、エネルギーの適切な取り扱いを会得する方が増えて行くにつれて、事態は徐々に沈静化へと向かうでしょう。
尤も、会得するのに5年掛かるのか、10年掛かるのか、50年掛かるのかは、これからの私たちの取り組みに掛かってくるのですが。

【Silvercord】管理人 

2011年2月3日木曜日

幸福には幸福が引き寄せられる

先日投稿した記事【恨むこと、祟ること】に続きまして、翌日『松尾大社』を参拝致しました。
御祭神は『大山咋神』とされ、また酒造と関わりの深い神社として知られております。






訪ねた時期が年末でもありましたので、初詣に向けた準備が進められる中、慌ただしい参拝となりました。
こちらでも霊媒が御神籤を引いておりますが、松尾大社の神様に解説をお願いしましたので、ご紹介したいと思います。







ひとつとて麗しきことのあるからは
又も吉事の來り榮へむ

此御諭しの神歌の意は
うるはしく喜び幸ひ事の一つあれば
かならず又吉事の重り來りて榮ゑむとなり


松尾大社の神様
こちらの御歌は、幸福には幸福が引き寄せられる性質がありますが、心しなければいけないことがあります。
今の幸福が何によって招かれたものであるのかを、良く理解することです。
そして、幸福を得られたことに感謝し、周囲の方にもその幸福を広め伝えることが出来るように、自らを律すること、日々精進することを怠ってはなりません。
良い思いをしたことで、気持ちに隙が出来やすくなります。
隙が出来ることで、その隙に良くない物が入り込みやすくなりますので、その点を心して注意した方がよろしいと思います。
自らの心のあり方が、更なる幸福を引き寄せる物であると言うことを悟りましょう。

(2011年1月4日)





少々時間が掛かってしまいましたが、昨年末の遠征についての記事は以上となります。
昨年末にお届けした記事【年明けと共に日本の夜が明ける】にありますように、年が明けてから一ヶ月が経ち、国内外共に少しずつ騒がしくなってきた様に感じております。
今年は物事が大きく動くと見られますので、人によってはこれまでにも増して事態が悪化していると受け取られる方もおられることと思います。
しかし、今までは極秘裏に進行していた事態が白日の下に晒され、それによって正しきは報われ、過ちは正されて参りますので、物事の表層に惑わされずに本質を見極める様に心がけて頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2011年2月2日水曜日

より効果的な対応策を考える機会

今回は、記事【恨むこと、祟ること】のコメント欄からお寄せ頂いた弥生様の質問、 及び匿名様の質問について、霊界の住人の皆様の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 弥生様の質問

初めて コメントさせていただきます
私は、宮崎に住んでおります。 去年からの口蹄疫、今年に入ってから鳥インフルエンザ 新燃岳の噴火とこれは何かの兆しなのかと心配しております。偶然の一致なのかどうか教えていただけないでしょうか。よろしくお願いしたします


■ 匿名様の質問

私も同じことを質問したいと思っておりました。
宮崎にはあまりに災害が多すぎます・・・
やっと口蹄疫が収束したと思ったらまた韓国から来そうですし
神々のご加護をお祈りしております。
東京の人間の政治のやり方のせいで宮崎県や各地で
苦労が絶えないのに何故東京には自然災害などが起きないのか
不思議でなりません。





■ 霊界の住人の皆様の回答

あなたのお気持ちはとてもよくわかります。
ご自身の身近で不安要素が増えるのは、とても心配であろうと思います。
ですが、今表面的に見えている不安要素だけで全てを推し量る事は出来ません。
どのような物事にも、偶然というものはありません。
全ては必然です。
ですが、それを何か禍事が起きる兆しと考えてしまうのは早計であると思います。
様々な不具合が生じるからこそ、多くの方々が関心を持ち、より効果的な対応策を考えることが出来ます。
従来のものよりも効果的な対応策を考える、より安心して生活できるシステムを構築するための良い機会であると考えた時、それらの出来事は必ずしもマイナス面だけでは無いのだと思います。
行政や周囲の方々が「被災者の皆様をどのように支えてゆくのか?」「被害を最小限に食い止めるための良い方策はあるのか?」など、より効果的な救済策や防止策を真剣に考える良い機会になるのでは無いのでしょうか。
人間の力で自然災害を止める事は出来ませんが、より被害を小さくさせる事は対策次第で出来ます。
そこのところに注目し、より安心して暮らせる国となるように、今一度考えてみては如何でしょうか?

(2011年2月1日)





ここで、足りていない部分があれば補足する様にと言付かりましたので、私から一言付け加えたいと思います。
以前、【天孫降臨の地宮崎に神が降臨する】という記事を投稿しました。
また、記事【『将門の首塚』の役割】他幾つかの記事の中で、霊的な視点から見た『天変地異が発生する仕組み』について説明しております。
それらを踏まえた個人的な憶測として申し上げますが、もしかしたら宮崎県には『九州の要の土地』があるのかも知れません。
要の土地には霊的エネルギーが集中しやすくなりますので、エネルギーの流れの滞りの影響が出やすい傾向があります。
ですから、九州全体として対処しなくてはならない、エネルギーの流れを滞らせている原因があるのかも知れません。
霊媒が実際に訪ねてみれば明らかになることがあると思いますが、残念ながら今はその時期ではないようです。

さて、霊界の住人の回答は主に弥生様の質問に答えたものですが、同様の趣旨であるとの匿名様の質問についても付け加えておきたいと思います。
匿名様に申し上げたいのは、昨年宮崎県に口蹄疫が発生した時に、東京に暮らしておられる皆様は見捨てて知らぬふりをしていたのでしょうか。
そもそも、現在東京に住んでいる方のうち、様々な地方から転居されている方も少なくないと思います。
宮崎県出身で現在東京に住んでいる方は、昨年の口蹄疫禍に際して何もしなかったのでしょうか。
また、東京で日本の国政を担っているのは、日本各地の有権者の信任を受けた国会議員です。
東京都選出の議員が独占的に国政を操っている訳ではありません。
更に、東京に災害が発生することを望むかのご見解は誤りであると申し上げます。
その様な他人の不幸を望む姿勢が、自らの元に災いを招き寄せる原因となるのです。

【Silvercord】管理人