さて、
【ヒトラー霊との対話(その1)】【ヒトラー霊との対話(その2)】に引き続き、今回も
『アドルフ・ヒトラー』と名乗る霊との対話記録より、第三弾を公開したいと思います。
さて、ヒトラーと言えばかつてのドイツ総統であった人物として、また第二次世界大戦を引き起こした人物として知られております。
しかし、実際にヒトラー霊と対話を行った印象としては、一般的に知られているヒトラー像とは少々隔たりを感じました。
記事をご覧の皆様は、果たしてどの様な感想を持たれるでしょうか。
文中の( )内は、文章の意味を補う為の注釈として追加しました。
文中の(*注1)などは、文末に注釈文を追加しました。
では、2008年11月16日収録の
『ヒトラー霊との対話(その3)』をご覧下さい。
(前略)
ヒトラー霊:
自分が政権を取っていた当時に、余り良い関係を築けなかった人についても、死後に霊界で会って会話とすると、生前の時とは印象が違う。
管理人:
では、その具体例を出してもらえますか。
生前と死後で、もっとも大きなギャップを感じたのは誰ですか。
ヒトラー霊:
(霊媒Mのコメント:誰かは分からない。)
その人なりの理想があって、その人なりにドイツを考えていた。
そういう話をしてくれた。
だから、目指しているものは違っていたけれども、思う気持ちは同じだった事を知って、印象が変わった。
管理人:
右でも左でも、目的を達成させる手段に違いはあっても、国家を永続的に繁栄させようという理想に変わりはなかった。
ただ、それを達成させる為の手段については、人それぞれに違ったのだろうけど…と言う事なのかな。
それはそれで結構な事ですね。
日本の場合はそうではない人が沢山いますけど。
ヒトラー霊:
彼らは見えていないだけじゃないか。
自分のした事の結果が。
管理人:
そうなのでしょうね。
でも、見えている人もいるような気はします。
見えていても、今更「私達がこれまでにしてきた事は全て間違いです、ごめんなさい」とは言えないのですよ。
で、こっそり宗旨替えする人もいるでしょう。
半ば諦めて、行けるところまで行くしかないと思っている人もいるでしょう。
ヒトラー霊:
どうでも良いプライドに振り回されて、せっかく気づいても修正できない様に、自分自身で追い込んでいる。
自分の信念よりも他人の目を気にし過ぎると、自分の間違いに気づいてもすぐに方向転換できない。
管理人:
自分の意識が変わっても、周りの見る目が変わる訳では無いからね。
周りが変わらなければ、周りの目を気にして、心を入れ替える事が出来ない訳だ。
ヒトラー霊:
他人を基準にして物事を判断するのは、生きていく上でとても窮屈な事だ。
だから、常に自分がどう思っているのか、自分がどうしたいのかを基準に考えて、行動した方が良い。
他人がどう見るか、どう考えるかではなくて。
そうしないと、大きな過ちを犯してしまう。
そうやって、無念の死を遂げた人達を大勢見てきている。
管理人:
それは、ヒトラーさんの生前の話ですか?
ヒトラー霊:
そうではなくて、死後に人間界を観察していて。
死んだ後の良いところは、過去の記録も閲覧できるから、それを見て学ぶ事が出来るのは、とても為になる。
管理人:
その過去の記録について伺いたいのですが、人間にとっての過去の記録とは『歴史書』とか、特定の個人の『手記』などが当て嵌まると思います。
一方、霊界においての過去の記録とは、例えば『西暦何年にどこで何がありました』という記録ではないという情報を聞いています。(*注1)
そこで、過去の記録の断片から、実際に起こった物事の全体像を把握するには、それを読み取ろうとする人自身の洞察力がもの凄く求められると思うのですが、いかがですか。
読み違えてしまう場合もあると思いますが。
ヒトラー霊:
それは当然ある。
ただ、人間が歴史を学ぶ場合と違って、自分が『こういう事を知りたい』と思ったテーマに対して、記憶を引っ張り出す様な形で引き出しを開ける感覚に近い。
人が何か記憶を思い出す時に。
だから、人が歴史書を読むような感覚とは違う。
管理人:
具体的な例を挙げると、ヒトラーさんがポーランドに向けて進撃を開始しなさいという命令を出した時に、その『ヒトラーさんが命令を出した』という部分が歴史書に残っているのだと思うのだけど、その場に居合わせた人によって、その個人が受けた心理的インパクト――その時どう思ったかが違っていれば、ある程度内容のズレが生じると思うのですね。
ヒトラー霊:
これは言葉で表現するのは難しい。
どういう切り口からの物事を知りたいのかという、自分の意図に相応しい記憶庫の引き出しを開く事が出来る。
例えば、戦闘中の記憶を知りたい場合、指揮官の記憶とか…。
管理人:
後は、実際に戦場で戦っている一兵卒の記憶とか?
ヒトラー霊:
それから、その戦闘に巻き込まれて亡くなった一般庶民の記憶とか、自分が知りたいと思った目線からの記憶を引っ張り出せる。
だから、そこで自分が何を望むかだ。
あらゆる人のその時の感覚を知りたければ、それぞれの立場のものを自分が引き出しから引き出せばいい。
管理人:
では、ある事件の全体像を知りたいと思った場合に、どういう引き出しがあるのかを自分なりに想定する部分が、一番問われてくるのかな。
例えば、ある戦闘の全体像を知りたいと思った場合に、戦闘する軍の司令官が何を考えて戦っていたかを知りたい、或いは戦場で戦う一兵卒は何を考えて戦っていたかを知りたいと。
一方、戦場のすぐ脇で取り残された一般庶民がいたとしても、そういう人々がいるという所に考えが行かなかったので、その人達の記憶の引き出しがある事すら気付けなかった。
そういう事はあり得ると思うのですが。
ヒトラー霊:
それは地上界でも一緒じゃないか。
どれだけの立場の人を想像してみるかによって、一つの事件などの全体像を把握する幅は、人それぞれに変わってくるものじゃないの?
それと一緒だよ。
自分がどれだけ広い視野で物事を捉える事ができるのかは、指摘の通り一つの鍵になっている。
管理人:
あともう一つあげるとしたら、そういった情報の断片を繋ぎ合わせた時に、どの様な全体像が描かれているのか。
人によって情報の断片の繋ぎ合わせ方が違ってくると思うので、物事の全体像の印象は変わってくるのではないか。
ヒトラー霊:
当然片寄りは出るし、例えば戦争の時代についてなら、相手国の事すら、敵国の事すら想像できない人もいる。
自分の所属する国の中の事しか分からなくて、公平性が成り立たない――そういう状況は普通にある。
それは地上界と一緒じゃないか。
だから、出来るだけ多くの視点で物事を観察できるか、考える事が出来るかが、物事の全体をより真実に近い形で把握する上では重要だ。
その為には、自分自身が多くの経験を積んで、色々な事を想像できるだけの下地を作っておく必要がある。
管理人:
ところで、ヒトラーさんが亡くなって、今までの間にある程度の時間が流れているのだけど、きっと亡くなった時点から今までの間に学んだ事もあると思います。
やはり、その間に自分は変わったと思いますか?
ヒトラー霊:
当然、地上界にいた時には考えようもない視点から物事を見る事が、私の今いる境涯では出来る。
そういう新たな視点から観察する事で、自分に足りなかった部分や見えていなかった部分に気づく事はある。
管理人:
ちょっと下らない質問をしてよろしいでしょうか?
ヒトラーさんが隠居生活を送っていた時(*注2)には、エバ(=エバ・ブラウン)も一緒にいたのですか?
ヒトラー霊:
自分は一人で、協力してくれる人の手を借りて、一人で暮らしていた。
エバは、自分と一緒にいても幸せにならないと考えたので、彼女に対しても自分は死んだ事にしておいて、自分の事を諦めてもらって、新たな人を探して幸せになってもらいたいと考えた。
管理人:
では、エバがその後どうなったのかは分からない?
ヒトラー霊:
わからない。
管理人:
それはそれで、なかなか辛いものがありましたね。
今となっては過ぎ去った話ではあるけど。
ヒトラー霊:
でも、その選択が間違っていたとは思っていない。
管理人:
と言う事は、その結果も知っているのかな?
別に、敢えて表に出す必要がない、プライベートな話ではあるけど。
ヒトラー霊:
彼女と一緒にいても、彼女自身が幸せになれないという思いはあったけれども、自分自身も一人で、自分のしてきた事について考える時間が欲しかった。
管理人:
確かに、エバが一緒にいると、じっくり考える事の障害になったかも知れないね。
ヒトラー霊:
それから、一緒に暮らすとなると田舎に縛り付けてしまう事になるので、そんな生活には満足できなかっただろうし。
管理人:
なるほど。
ヒトラー霊:
世間的には“死んだ者”だから、亡霊のような生活を送る事になってしまう。
多分、その様な状況には耐えられなかっただろう。
管理人:
ある程度悟っていないと、難しいだろうね。
ヒトラー霊:
そうすると、彼女が元で、自分の計画が明るみに出る危険があっただろうから、あの時はあの選択をしておいて良かったのだろう。
管理人:
それは言えるね。
そのおかげでヒトラーさんは隠居生活を無事終えられたのだから。
ヒトラー霊:
そういう事を考えると、自分には何かの役割があって、ドイツ人として暮らしてきたのだろう。
だから、誰か“家族を守りたい”というものとも別の感覚によって動いていたのだろう。
管理人:
そうだろうね。
そういう感覚を持っていたら、恐らくヒトラーさんのやっていた事は遂行不可能でしょう。
家族や身近な人に傾ける時間を、別の事に費やす必要があったのでしょうね。
例えて言えば、理解されない、孤独な天才と言ったところですか。
ヒトラー霊:
理解してくれる人はいた。
管理人:
シュペーア(=アルベルト・シュペーア)とかでしょう。
ヒトラー霊:
だから、どちらかが女性だったら結婚していた。
管理人:
シュペーアは、ニュルンベルクの裁判を受けてますよね。
それで、結局禁固刑になったようですけど、ヒトラーさんも既に生前から得ていた情報なのではないかと思いますけど。
ヒトラー霊:
結局、色々と最後まで動いてもらっていたから。
管理人:
でも、ヒトラーさんがシュペーアに依頼した極秘の計画については、裁判にかけられても漏らさなかったでしょう。
いかがですか。
ヒトラー霊:
漏らしたところで、彼ら(=連合国)の満足いくようなものではないから、その様なものは要求されない。
如何に自分達に都合の良い結果に導いていくかが、彼らの考えだったのだから、真実がどうであったのかはどうでも良かったのではないか。
都合良く悪者になってくれたのだから、それはそれで満足だったのではないのか。
実際の所を語ったら、それはそれで自分達の偽りが暴かれる事になるのだから。
その様なものは受け入れもしなかっただろうけどね。
管理人:
ただ、これは東京裁判の例なのだけど、ニュルンベルクの裁判と同じように、日本を悪者に仕立て上げて、そういう悪い奴に対して『かくも寛大な裁きをしたのだ』という体裁を取り繕おうという思惑が垣間見えるのですが、その中でも日本なりの弁明をしているんですね。
それは日本人の弁護人だけではなくて、弁護を依頼されたアメリカ人の中にも、むしろ連合国のやっている事の方がおかしいという指摘をしている人もいました。
尤も、それは裁判当時は受け入れられなかったのかも知れないけれども、そうやって残された裁判の公式記録が後世に伝えられて、今になって日の目を見つつあるように思います。
当時の連合国の意図はどうあれ、そういった裁判の公式記録が残されている事には、ある程度の意味があったと思います。
ヒトラー霊:
日本とドイツでは地理的な問題が全然違っていて、そこで変に反発すると、逆にドイツを追い詰めかねなかった。
管理人:
あと、時期の違いもあったのかな。
ドイツの方が先に降伏しているから、裁判の手続きも先に行われているでしょう。
日本でそういう裁判を行っている段階では、既に米ソの対立がかなりはっきりした形で見えていたから、そこで裁判を余り拗らせるよりは、『日本は悪い事をしましたよ』という体裁は繕いつつも、余り過酷な刑罰を与えずに、見せしめ的に指導者の首を刎ねて終わりましょうと。
そして、さっさと復興してもらって米国陣営に引き込みましょうという思惑があったのだろうから、それよりも先に手続きが進められていたドイツとは、少々異なる事情があったのでしょうね。
尤も、日本は拠点だから、ドイツのように国家分裂の憂き目を見るのは拙かったのでしょうね。
ヒトラー霊:
それでは、なぜそれ程ドイツの事を思っているなら、裁判を受けて処刑されなかったのかと、疑問に思うのではないだろうか。
自分が犯罪人として処刑されたと言う事実が残るだけで、ドイツ人の依存心が強くなってしまう。
“悪として処刑された”と言う事実が残るので、『ヒトラーが悪いのだ』という意識が余計に強くなってしまう危険があった。
管理人:
それは今でも余り変わらないような気もします。
ただ、一方でネオナチのような人もいますから、一概に『ヒトラーは悪』『ナチスが悪い』とは言えないのかな。
今のドイツ人の認識としては。
ヒトラー霊:
そのネオナチと言っている人が何を目指しているのかにもよる。
ただ、過激な思想で、今のドイツに反発しているだけなら、余り良い事には思えない。
その口実の為にナチスを名乗っているなら。
管理人:
恐らく、そういう事ではないかと思いますが。
ヒトラー霊:
それでは、余り意味がない。
もっと明確な思想があって、その実現の為に動くのであれば、それは身のある事として残っているのだろうけど。
管理人:
今はネオナチの人達は、余り根拠のない反発心からネオナチを気取っているとは限らない側面があって、ドイツに限らず、欧州諸国で移民に関するトラブルが深刻になっているのですね。
これはドイツの話ではないのですけど、いわゆる極右系と言われる政党が、国会における議席数を伸ばしているなどの動きがあるのですね。
そういう、移民への対抗勢力の核として、ネオナチに対する支持が広まって行くと、今後殺伐とした状況になって行くのではないかとの懸念があります。
ヒトラー霊:
ユダヤ人とトラブルがあって、あの様な事態になったのに、何故その経験から学べなかったのか。
管理人:
それは、彼らが当時の体験を自分自身の問題と受け止めていなくて、全ての責任をヒトラーとナチスの指導者に押しつけて良しとしてしまったからでしょう。
それ以外にどの様な理由があるのですか。
ヒトラー霊:
移民とのトラブルは、当然考えられただろう。
管理人:
現状を見る限り、恐らく考えられなかったから移民を入れたのでしょう。
一方、一部の見る目のある人に言わせれば、「当然なるべくしてそうなってしまったよね」と感じているのではないですか。
ヒトラー霊:
結局、植民地化を押し進めていた時と意識が変わっていないから、そういう事をしたのではないか。
手段が変わっただけで、意識が変わっていないから、その様な事を平気でしたのではないか。
管理人:
まぁ、変わっていないのでしょうね。
彼らは、自分達の行ってきた植民地支配の正当化を行ってきたけれども、「それには問題があったよ」という反省の姿勢は示してこなかったように思う。
ヒトラー霊:
だから、どちらも対等に見ていないから、その様な事をするのだ。
管理人:
日本から傍観者的に観察すると、確かにその点は言えていると思う。
移民の側については「俺たちは貧しくて、今まで苦労してきたのだから、多少恵んでもらっても当り前だ」と言う意識があるのでしょう。
また、移民を受け入れるドイツ国民の側も、「俺たちは恵まれない人々の為に慈善活動をしているのだ」という側面もありつつ、一方「彼らは今まで貧しい生活を送ってきたのだから、多少安給料でこき使っても喜んで働くだろう」という意識もあるのでしょうね。
だから、対等ではないですよね。
ヒトラー霊:
そういう互いのエゴが摩擦を生んで、トラブルに発展している。
要するに貧しい人はぶら下がって当然という意識があって、一方支援する側もやってやるのだからと裏で権利を主張したり、それでは当然トラブルが起きる。
お互いの甘えが出ている。
それが反発しあっているから、上手く行かないのだ。
管理人:
そういう移民問題の実例が欧州には沢山あるのだから、日本もそういう豊富な実例に見習えばいいと思うのに、「欧州は人口の10%は移民が当り前なのだから、日本も移民を受け入れるべきだ」という人もいますから。
ヒトラー霊:
『因果律』というものを理解していないから、そういう事を平気で言ったり、考えたりするのだ。
それが分かっていたら、とてもその様な事は出来ない。
管理人:
だから、外国人にはその国に生まれた理由があるのに、それを日本に入れてしまおうと…。
ヒトラー霊:
要するに、“善”とはどういうものかを理解していない。
自己満足――こういう自分は素晴らしいという状況に酔っているのではないか。
良い事を行っている自分が素晴らしいからやる。
管理人:
でも、そういった道徳観念を植え付けているのはキリスト教会ですよ。
キリスト教会の教えで、そういう事をしましょうと盛んにPRしてきた経緯があるから、そういうチャリティしましょうという意識が根底にある。
そこで伺いたいのですが、キリスト教会と、イエスの教えとは、違うじゃないですか。
キリスト教会の言い分ではなくて、イエスの教えそのものについて、自分なりに考えてみた事はありますか。
そして、もしその様な作業をしていたら、自分なりにどの様な結論を出しましたか?
ヒトラー霊:
イエスが暮らした当時の世界からしたら、特別に思えたかも知れないけれども、霊界から見た時は、別に特別でも何でもなくて、真理が人間に分かる形で表現しただけだから、まず特別意識のようなものが、宗教団体では神秘性のようなものが邪魔をしている。
何でもない、ごく当り前の日常生活の中から導き出せるものを、明らかに分かる形で表現したに過ぎないのに、それを神秘というベールで覆い隠す事で利用しているのが、宗教団体ではないのか。
自分は、隠居生活で世の中のありのままの、自然の営みを見た時に、イエスの語った言葉はそういう営みをそのまま語った言葉ではないかと感じていた。
管理人:
と言う事は、ヒトラーさんもその時に何らかの結論というか、実感を覚えたんだ。
ヒトラーさんについて書かれた記録の中には、キリスト教会に対して余りいい印象を持っていなかったと言う記録が残っているのですよ。
そういう記録が残されている背景として、イエスの教え云々と言うよりは、当時のキリスト教会が信者を上手く騙して扇動しているというか、彼らはイエスの信徒を装いつつ、実際の行動は全くかけ離れている部分に気づいてしまって、強い嫌悪感を持っていたという印象があります。
ヒトラー霊:
人々に依存心を抱かせる。
自分が目指していたのは、人々の自立した考え方だから、全然反対の事をしていた。
そういう意味で、宗教団体は良くないのではないか。
人々を盲目にする。
管理人:
私もその考え方に賛成します。
ヒトラー霊:
一部の人間の特権にしておきたいという意識がありありと見える。
管理人:
逆に聞きたいのですが、ヒトラーさんがドイツで活動していた当時だけではなくて、今でもキリスト教会にその様な側面は残されていると思うのです。
しかし、この度バチカンの拠点が開かれる事になって、今のローマ教皇がバチカンにおける覡の役割を担う事になったじゃないですか。
そういう事情を知る事によって、キリスト教会に対する印象の変化はあったのですか。
ヒトラー霊:
死んでしまった後に、霊界から地上界を見ると、いわゆる宗教施設が霊的エネルギーの通り道になっていて、そういった場所で地球を管理している霊がいると言う状態を見た時に、教会という存在そのものは、まだ人間にとって必要なのだろうと感じた。
ただ、そこを運営している人達の意識が追いついていない。
それは、バチカンが開かれる事で、日本で言う神社のような感覚に変化していくのではないか。
神父さんや牧師さんが、神社でいう宮司さんのような感覚に変化して、人数も減少して行くのではないか。
それから、変な拘りは徐々に薄れて行くだろう。
管理人:
変な拘りとは?
ヒトラー霊:
誓いを立てて異性とは付き合わないとか、修道院に入ると言った、世間とは離れて、隔離された中で暮らす仕組みは終わりを告げるのではないか。
そして、社会の中でどの様に考えていくかとか、どの様に立ち回っていくかを考える方が重要だという事に気がつくのではないか。
管理人:
今チベットが、それを考えるきっかけを与えられているように思います。
チベットの場合は、少々頑なだった為に、現在はかなり厳しい状態に置かれていますけれども。
もっと緩やかな形にならなかったのは何故だろう。
ヒトラー霊:
チベットの場合は、場所も関係がある。
一般の場所から入りづらい。
簡単には行けないような地域にある。
もっと簡単に巡礼に行けるような場所にあれば、あの様な強引な形で開かれなくても良かった。
自然に外部からの文化が少しずつ入り込んだだろうから。
管理人:
エルサレムのように?
ヒトラー霊:
あそこはあそこでちょっと異常だ。
管理人:
この前も、ギリシャ正教会とアルメニア教会の信者が殴り合いをしていたようですけど。
ヒトラー霊:
聖地なのだから、誰にとっても聖地でいいのではないか。
何故宗派で奪い合うのか。
誰にでも平等の場所だ。
管理人:
きっと、彼らは今でも嫉妬する神に囚われている人達なのではないですか。
ヒトラー霊:
そこを利用するルールを作って、この日はこの宗派が巡礼する日とか、スケジュールを組んで共に利用すればよい事なのだけど、「俺の場所だ!」と騒いでいるうちは無理でしょう。
(後略)
*注1:
霊界における過去の記録とは、個々の人間の体験や心の動きの蓄積という形で表現されているようです。
対話中にもあるように、その場に居合わせた当事者の記憶や感情の動きを比較、総合する事によって、その出来事の全体像を類推するという方法で行われます。
ですから、視野の広さや洞察力が、物事の全体像を理解する上でとても重要な要素となるのです。
*注2:
一般的には、ヒトラーはドイツの敗戦直前に自殺したとされておりますが、実はヒトラーの自殺は偽装であって、戦後はドイツ近隣の田舎町に身を潜めて、ドイツの行く末を見守りながら静かに余生を送ったと、ヒトラー霊が告白しております。
この件については、
【ヒトラー霊との対話(その2)】でも取り上げております。
ヒトラー霊 & 【Silvercord】管理人