2011年2月19日土曜日

日本には「弱い者イジメ」が蔓延っているのか?

今回は、記事【悪意は撒き散らした本人に還る】のコメント欄にお寄せ頂いたグラジオラス様の質問について、『日本の神様』の回答が届いておりますので、ご紹介したいと思います。





■ グラジオラス様の質問

はじめまして。
いつも心温まるお話をありがとうございます。
昨今の日本をとりまく情勢に一喜一憂しながらも、今は日本が真の自立と弥栄の世を作り上げるための準備期間だと自分に言い聞かせながら、この先の日本のために自分にできる事を少しばかりですが行っています。

今は特に「いじめ社会」の中、老若男女問わず、いじめの被害で深く心身ともに傷つき、社会生活すらままならない人、いじめの後遺症で異性を極度に恐れて結婚すらできない人が激増する一方で、
学校だけでなく、あらゆる職場で「大人達によるいじめ」が深くはびこり、「やったもの勝ち」と言わんばかりに、いじめを表立って行う輩も増えています。
事実、その「いじめ加害者」のほうが、社会的にも成功して、幸せな結婚も勝ち得て何不自由なく幸せに暮らしてる例が多いです。
社会で成功してる人たち(財界人、芸能人、プロスポーツ選手等)を見ると、「ああ、この人達もみんな弱いものいじめが大好きなんだろうな、人を傷つけてのし上がってきたのだから。」というバイアスのかかった見方をしてしまいます。

おそらく、これまで隠されてきた闇の部分が表に出る出来事が多くなることとつながっている気がします。
ただ、今後の日本の行く末を考えると、大人になってもいじめを率先的にやっている人たちが、日本のあらゆる中枢に立ち続け、大きな影響を与えていくことに対して、
安を感じます。
いくら日本国民一人ひとりが覚醒していったとしても、社会全体にはびこる「弱いものイジメ大好きな風潮」が変わらなければ、今までと何も変わらない気がします。
恐れ入りますが、日本のいじめ社会につきまして、どのようにとらえていらっしゃるのか、ご意見を伺えましたらありがたいです。





■ 『日本の神様』の回答

いじめ社会とあなたは仰いますが、本当にあなたが仰っておられるほどに日本には弱い者いじめが蔓延っているのでしょうか?
単なる意見の相違などによる反発もいじめと捉えてはいませんか?
ごく一部の方々の行動によって作り上げられた印象を基準にして、弱いものいじめが大好きな日本という“レッテル張り”をして、色眼鏡越しに世の中の全てを観察してはいませんか?
本当にその様に卑怯者ばかりが蔓延っている国であれば、日本の現状を説明することは出来ません。
何だかんだと言っても、世界から見ても日本はとても恵まれています。
本当に卑怯者天国な状況であれば、日本はもっと貧富の差も激しく凶悪犯罪が頻発し、社会保障なども無く餓死者が年間を通して絶えずと、本当に過酷で暮らしにくい社会になっていた事でしょう。
国民の生活水準は世界から見ても最低ラインといったところでしょうね。
卑怯者のみが栄える社会とはその様な社会です。
そして、その様な社会には必然的に卑怯者が溢れます。
卑怯でないと生きて行けないからです。
騙すよりも騙される人の方が大勢いるという、何とも暢気な日本がその様に歪みきった国だとはとても思えません。
もし仮に日本が卑怯者天国の国であったならば、尖閣問題も竹島問題も北方領土問題も起きてはいなかったでしょう。
逆に他国の領土を脅かしていたかもしれません。
本当にその様な国ならば、とっくの昔に世界中から嫌われ、除け者にされている事でしょうね。

中にはあなたが仰っておられるような卑怯者もいるかもしれませんが、それはごく一部の方々であると思います。
あなたから見て成功者であると思える全ての方々が、その様な卑怯な人間であると考えてしまうのは違うのではありませんか?
真摯に己に向き合い、直向に努力を重ねた結果成功を手にしたという方も大勢おられるのではありませんか?
ほんの一部の事例をもとに、全てを憎悪するかのようなご発言はいただけません。
世の中はそんなに甘いものではありません。
何の努力もしないで卑怯な行いばかりの方々が真の幸福を得ることなど出来ないのです。
あなたが何を持って幸福であると解釈しているのかは分かりませんが、地位や名誉や金などでは幸福であるのか否かを推し量ることは出来ませんし、それが本当に成功者であると言えるかどうかもその後の結果を見てみないことには何とも言えません。
今多くの物を持っているからと言って、果たして一生涯持ち続ける事が出来るのでしょうか?
果たして持っているという事実が幸福に繋がっていると言えるのでしょうか?
あなたはまだまだ物事の表面しか見ていません。
人間の皆様は視野が限られている為、よくよく観察してみないと分からないのかもしれませんが、その様なほんの一時期の状態を基準にして全てを考えておられるのだとすれば、それこそ自分自身の未熟を恥じる場面であると言えるでしょう。
あまり極端に考えが偏ると、あなたご自身が嫉妬や恨みの念に駆られ、不幸をその身に招き寄せる結果になります。
少々厳しい意見になってしまいますが、自分自身の未熟が招いた結果を弱い者いじめの結果と捉えているようでは、その方ご自身の今後の成長は見込めません。
その様な考えでは、何時までも今の場所から脱する事は出来ないでしょう。
確かにあなたが仰っておられるように卑怯者に陥れられるといった事例もあるでしょうが、自分自身にも至らない点や付け入られる隙があった事を自覚して自分なりの対策を施す事が出来なければ、永遠に同じ事を繰り返し、何時までも弱い者いじめの被害者であると怨み言を唱えながら卑屈な人生を送らなければならなくなります。
例え理不尽に思える事であったとしても、そこには必ず何か見過ごされている要素がありますから、全ては自分自身が招き寄せた事であると己の未熟を認め、冷静に対処出来るよう心掛けたいものですね。

相手を変えようと思うのが、そもそもの間違いであると悟りましょう。
自分自身が変わらなければ、世の中は何も変わる事はありません。
自分自身が変われば、周囲の反応も変わるものです。
自分自身のものの見方や考え方が変われば、今までいじめであると感じられた事が実はいじめではなかったと気付くという場合もある事でしょう。
相手にいくら変われと言っても変わる事は無いのですから、自分が考えを改め、有効な対策を考え、実行に移せば良いのです。
卑怯者は常に卑怯者ですから、いつか化けの皮が剥がれ、取り繕うことが出来なくなり全てを失う時が訪れます。
その時にいくら悔やんでも、もう逃れる事は出来ないのです。
そんな卑怯者を相手にやきもきするぐらいなら、卑怯者が蔓延れないようにする為に今出来る事に尽力される方が余程有益であると思います。
卑怯者に心をかき乱され、不快感に悶々としているだけでは時間の無駄です。
人は人、自分は自分。
人は思い通りにならなくても自分自身なら努力次第でどうとでもなります。
後は、本気で事態の打開を目指して実行に移せるのか否かの違いだけです。
卑怯者に振り回されてイライラするよりも、振り回されない自分、動じない自分になる為に努力する方が余程自分にプラスになります。
思い通りにならない時は相手を責めるのではなく、先ず自分自身の行動や言動を省み、冷静に状況分析出来るように努力する必要があります。
それさえ出来れば問題の半分は解決出来たようなものです。
自分自身が抱えている問題点を理解出来れば、あとはその問題点を改善する方法を考えて実行すれば良いのですから。
改善までには至らなくても何かで補うことも出来ますね。
自分だけではどうにもならない場合は、信頼できそうな周囲の方に助けを求める事も一つの手でしょう。
問題が起きている環境から離れてみる事も、場合によっては必要かもしれません。
現状を打開するための手段が分かってしまえば、後は黙々と実行するのみです。
感情に任せて不満を言うだけでは何も解決する事は無いという事を良く覚えておきましょう。
自発的に行動を起こしてこそ、状況改善の可能性が広がるのだと言う事を忘れないで下さい。

それから、あなたのお話ですと、明らかなる犯罪と日常の人間関係における些細な摩擦から来る反発が混同されているように思うのですが、それらはきちんと分けて考えましょう。
犯罪は犯罪、きちんと罰せられる必要があるものですから、社会の仕組みとして法律が秩序を守る為にきちんと機能していないのであれば、それは社会全体の問題として捉えて対策を考える必要のあるものです。
一方、日常の些細な行き違いや意見の相違から来る反発などの出来事の場合は、自分自身の心がけで改善出来るものです。
それらを混同して考える事で問題の焦点がぼやけてしまい、適切な対処が出来なくなりますから、きちんと整理して考えるようにしましょう。
どちらにしても自分自身の心がけが結果に影響を及ぼす事に変わりは無いのですが、犯罪の場合は社会全体の共通認識として法的に穴が無いように改善させる必要があるので、そこのところで対処法が変わってくるのです。

人にはそれぞれに個性というものが備わっております。
ある方にとって当たり前の事が、他の方にとっては当たり前では無いといった場合もあると思います。
その逆もまた然りでしょう。
社会で活動していれば、その様な些細なすれ違いは日常茶飯事であると思います。
それらの考え方の違いが心のすれ違いを生み、単なる意見の相違をいじめであると捉えている場合も少なくありません。
自分の意見が受け入れられない事で、いじめと捉えてしまう場合もあるのです。
一度いじめであると認識してしまうと、相手が悪いの一点張りで自分自身を省みようとはしません。
周囲から見ればそれは単なる身勝手なのですが、実際その様な考えで逆恨みをする方も少なくありません。
これらの現象は、物事を0か100でしか捉えることの出来ない方に多いですね。
その様な極端な考えの方に限って、相手に対しては容赦がなく残酷です。
一度立場が逆転すれば、度を越した行動や言動が見られるのもその様な方の場合が多いのです。
その時々で臨機応変に対応するという事が出来ないのでしょう。
感情は生きていく上でとても大切な要素ではありますが、制御できて初めて功を奏すものであり、振り回されている間は周囲を巻き込み不快を撒き散らす要因となりかねません。
あまり感情に振り回されると、偏った考えに陥り易くなるので注意しましょう。
出来るだけ理性を働かせるよう心掛け、感情を上手に制御する術を身につけましょう。

(2011年2月18日)





回答にもあります様に、質問者のグラジオラス様にとっては少々厳しい意見となってしまったようですが、ご覧の皆様はどの様な感想を持たれましたでしょうか。
今の日本に『弱い者イジメ大好きな風潮』が蔓延っているのかどうかはともかく、今この瞬間にも虐める者と虐められる者がいるという点は、ご覧の皆様と共有できる認識であると思います。
その上で個人的に感じるのですが、虐める側・虐められる側双方のコミュニケーション能力の不足がイジメの本質なのだと思います。
つまり、『自分の意思を正確に相手に伝える言葉遣い』や、『相手が発する言葉から正確な意図を読み取る』能力が不足している為に、相手の意思についての勘違いや思い違いが頻繁に発生しているのではないかと思うのです。
それから、本人としては他意はなくとも、周囲から見て反感を持たれる様な行動を無意識のうちに取っている場合もあるでしょう。
それらの言動や行動の積み重ねが双方の誤解となり、更にコミュニケーション能力の不足から、「誤解を解消したい」という意思があっても適切な表現や対応が出来ない。
この様にして、虐めるにせよ、虐められるにせよ、『意思疎通のあり方の歪んだ人間関係』が生じるのではないかと考えております。

いずれにせよ、この世の中に生じるどの様な現象にも、必ずその様な結果に至る原因があります。
そして、速やかに問題を解決したいのであれば、問題の原因を正確に把握して、適切な対応策を実施する必要があるのではないでしょうか。

【Silvercord】管理人 





2月19日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

  • 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について

5 件のコメント:

  1. こんばんは。


    「いじめ」というのは、個人・学校・企業に止まらず、国同士でもあると思います。

    例えば、オリンピックで日本が強い競技は、『日本に不利なレギュレーション改正』されまくってます。

    ひと昔前ならスキーのジャンプ、今なら水泳・フィギュアスケート(シングル女子)等・・・。

    フィギュア女子は、それを乗り越えて今の強さがあるのですが。

    四大陸大会、男子が活躍してましたね。男女共に最強で、しかも層が厚い。

    こうなると、また日本に不利なレギュレーション改正されそうで心配です。

    何で欧米は、自分たちに有利なように何でも持っていこうとするのでしょう?
    ルールや採点方法を変えられる度に苦労している選手が可哀想、というか、報われないような・・・。

    そんなに黄色人種に自分たちの頭上を越えられるのが、許せないのでしょうか。

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  2. 管理人様、お忙しい中にもかかわらず、こちらの質問に早速回答をいただきまして、ありがとうございます。
    確かに日本の神様と管理人様がおっしゃるとおり、厳しい内容のお答えかも知れません。
    しかし、自分の中の「未熟さ」「甘さ」と正面から向き合うよい機会となった気がします。

    自分自身の「未熟さ」ゆえに、自ら「不幸」「災い」を知らず知らず引寄せていることがある。

    さらに自分が他から付け入られる隙や原因を与えていることに気づき、それに対する対策を自分なりに立てなければ、この先も同じことを繰り返すことになる。

    自分にとっては一番重く突き刺さった神様からのメッセージです。
    いつまでも被害者意識のままでとどまっていても、何も解決できない。
    そこから一歩でて、冷静に自分の至らないところを見つめなおして、自分をよりよく変えていくほうがよりよくなれる。

    逆に、明らかな犯罪行為で実害をこうむられた場合等では、今後の犯罪防止のため、自分で行動できる事は実行した上で、犯罪などの不正行為に向き合っていく必要があること。
    (勿論、状況に応じて司法や警察、行政関連のサポートを利用する必要はありますが。)

    そのことを今回の質問で、神様から教えていただけました。

    これまでは「被害者」だから周りに同情してもらえばよいとか、周りの人を都合よく利用して解決しようと持っていこうと
    したり、自分自身で解決するための行動も考えも乏しかったので、なんとも恥ずかしい限りです。
    もっと精神的に強く、冷静に、大人の対応ができるようにならないといけませんね。

    それもひっくるめて、相手のことを真剣に思いやる事とは、
    厳しくてもその人が自立して人として正しい道を歩けるよう、
    導いていくことも大きくあるのですね。
    やはり日本の神様は、自分の親、ひいては地球の住民みんなの親みたいな偉大な存在ですね。

    ありがとうございました。

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  3. 2月20日1:37投稿の匿名様

    モノの見方に寄るのでしょうが、価値観の違いによって印象は異なるのではないでしょうか。
    つまり、決められたルールの中で最高の成果を上げる為に自らを鍛錬する日本人と、ルールそのものを自分に都合良く変更することで、少ない労力で大きな成果を上げようと考える欧米人、双方の考え方の違いなのでしょう。
    とはいえ、競技とは直接関係の無い影響力を行使して、競技の結果を覆そうとするのでしたら、審判員を買収するほど露骨ではなくても、競技者として恥ずべき行為だと思います。
    その様にして実力に見合わない勝利を手にしたとしても、競技者としては空しさしか残らないのではないでしょうか。
    これはイジメと言うよりも、「実力はなくても見栄っ張りで厚顔無恥な欧米人」という印象を周囲に与えるだけだと思うのですが、いかがでしょうか。

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  4. グラジオラス様

    その様なご理解で宜しいと思います。
    今後は実践経験を通じて理解を深められてはいかがでしょうか。

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  5. 2月20日1:37投稿の匿名様

    日本を目の敵と言うか、自国を勝たせたいスポンサーの圧力なんでしょうね。
    ルール改正の真意を問えないマスコミ、その他の日本人の未熟なのかもしれません。

    しかし何も言わずに新しいルールの中でベストを尽くす日本人は、やはり美しく思います。
    愚かかもしれませんが日本の競技を見ていると、競技とは自分との戦いなんだと思わせられます。

    抗議はして、ルールはルールとしてその中でベストを尽くす。
    そういう日本にしていきたいですね。

    よこやり失礼しました。

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