2014年11月14日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その10)

この記事は、以前投稿した下記記事の続編となりますので、未読の方はこちらの記事より順番にご覧下さい。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】
『ヨハネの黙示録』第十四章~第十五章、地上が悪魔サタンの支配下に置かれた頃、天で進行していた『神の裁き』の時に向けての準備の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その6)】
『ヨハネの黙示録』第十六章、『神の裁き』として、七人の天使が地上にもたらす災いの様子と、『神の裁き』の目的について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】
『ヨハネの黙示録』第十七章~第十八章、多くの水の上に座っている大淫婦に対する『神の裁き』の様子。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その8)】
『ヨハネの黙示録』第十九章、大淫婦に対する『神の裁き』に伴うキリスト教会の再生と、獣達の辿る顛末について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その9)】
『ヨハネの黙示録』第二十章、悪魔サタンの封印と、イエスと聖なる者による千年の統治、サタンの復活と最後の審判について。
(補足)【『ヨハネの黙示録』を構成する三段階】





■ 新しい天と新しい地

黙示録の第二十一章第一節~第八節では、新しい天と新しい地が現れます。
最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなってしまいます。
更に、聖なる都、新しいエルサレムが、夫の為に着飾った花嫁の様に用意を整えて、神の元を離れて、天から下ってきます。
その時、玉座から大きな声が語りかけます。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙を悉く拭い取って下さる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」
すると、玉座に座って居られる方が、「見よ、私は万物を新しくする。」と言います。
また、「書き記せ、これらの言葉は信頼でき、又真実である」と言います。
そして、更に言いました。
「事は成就した。
私はアルファであり、オメガである。
初めであり、終わりである。
渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。
私のその者の神になり、その者は私の子となる。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、全て嘘を言う者、この様な者達に対する報いは、火と硫黄の燃える池である。
それが、第二の死である。」
さて、少々長くなりましたが、前回の記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その9)】の最後で、人類は全て死に絶えて滅亡してしまうと述べました。
しかし、それは新しい天と地が現れる為に必要な段階であった様です。
最初の天と地は去って行き、もはや海もなくなってしまうとありますが、実際に海がなくなってしまうのかどうかはともかく、私たち人類がよく知る地球環境は劇的に変貌してしまうと言えそうです。
最近の科学研究によって、全球凍結と言われる状態が過去に何度か訪れていて、その度に地球上の生命の大半が滅亡していた可能性が指摘されておりますが、人類の滅亡も地球環境の変化に適応できなくなった結果起こるのだと考えています。
尤も、悪魔サタンに唆されて、聖なる者達の陣営と愛する都を取り囲んだ者達は、天から下って来た火に焼かれているので、全球凍結とは別の環境変化によるのかも知れません。
いずれにせよ、新しい天と地は、人類の生存には適さない環境に変わっているでしょう。
しかし神は「事は成就した」と言いました。
ここまでの経緯は全て、神が予め定めた通りに進められて、神が求めた通りの結果に結びついたのです。
私はアルファであり、オメガである(初めであり、終わりである)とは、神が「光あれ」というと光があったのと同じで、原因を作ったのも結果を導いたのも神であり、原因と結果の関係性は神の御力によって定められていると言うことです。
そして、勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐとあり、私はその者の神となり、その者は私の子となるとありますので、かつて小羊イエスが父なる神の子であった様に、勝利を得る者も父なる神の子となるようです。
また、イエスが聖なる者達と共に千年の間統治したように、勝利を得る者は万物を新しくされた世界の統治を任されることになります。
同時に、火と硫黄の燃える池に投げ込まれる者の条件を列挙しておりますが、これが最後の審判の際に、命の書を始めとした書物を参考にした結果、勝利を得る者ではないとみなされる基準となります。
臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、全て嘘を言う者、この様な者達は皆、イエスと聖なる者による千年の統治を経た後にもなお、復活した悪魔サタンの唆しに酔い痴れて、六六六の獣の数字の境涯から抜け出すことが出来なかったからです。
彼らは、神によって万物を新しくされた世界には暮らしていけない者達なので、獣の数字を刻まれた者に相応しい、火と硫黄の池に投げ込まれるという、第二の死を受ける事になります。
何故なら、新しい世界は、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に暮らして、人は神の民になるからです。
新しい世界とは、神に祝福された第七の日の境涯に辿り着いた者達が暮らす世界なのです。

所で、過去の記事にも火の池に投げ込まれる記述が度々ありましたが、ここで第二の死について解説しましょう。
まず、何故「火と硫黄の燃える池」なのかというと、黙示録の第十五章第二節に「火が混じったガラスの海のようなもの」についての言及があります。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)】では、宇宙空間から地球の大洋辺りを見下ろした光景を連想させると述べましたが、正に天の住人が地上を見下ろすと、「硫黄=火薬の火が絶えない紛争の坩堝の池」に見えるのでしょう。
そして本題に入って、霊界の住人の話によると、同じ火の池に投げ込まれると言っても、悪魔サタンや獣・偽預言者が投げ込まれるのと、それ以外の勝利を得られない者が投げ込まれるのとでは、少々意味合いが異なるようです。
まず、獣と偽預言者は、諸国の民を惑わせて悪魔サタンの協力者に引き入れたので、他の者を悪魔の道に引き入れたという重い罪を負ったことになります。
彼らは信念を持って事に及んだ確信犯なのですが、彼ら自身の知識や理解の仕方に極端な偏りがあって、その偏った思い込みに固執する余り、その後に幾ら経験を積み重ねても、偏りの修復は不可能と見なされました。
更に、彼らの偏った思い込みが、他の者の成長を滞らせ、或いは自分の偏った思い込みを他の者に植え付けようとすると、神が設けた『霊が人間などに宿る経験を経て成長するシステム』に支障が出るので、そういった一線を越えた段階で、「霊として処刑する」処置が執られるのだそうです。
悪魔の場合は、神から活動する猶予期間が与えられていた事情もありますし、また獣や偽預言者よりは狡猾に立ち回るので、唆す相手をその気にさせる甘言を弄しても、最終的な判断は相手にさせるように仕向けるのです。
そうすることにより、直接の責任は唆された本人が負うことになります。
但し、悪魔もこれ以上の成長が見込めないのは、獣や偽預言者と同じですので、天と地が新しくなる前の最後の審判の時に、「霊として処刑する」処置が執られます。
一方、最後の審判の際に、勝利を得られない者と見なされて、火の池に投げ込まれる者は、彼ら自身は未熟である為に、悪魔の唆しに酔い痴れてしまったけれども、今後の経験次第では成長が見込める者達です。
しかし、新しくなった世界は、彼らの成長レベルに見合った経験を積める環境ではないので、地球以外で彼らの成長レベルに見合った星に舞台を移して、地球では充分に習熟できなかった経験を積み重ねることになります。
ちなみに、「霊として処刑する」とはどういう事なのかを、この場で詳しく解説すると本題から外れますので、詳しくは改めて『銀の紐を越えてα』の方で解説の場を設けたいと思います。
尤も、『銀の紐を越えてα』でも、今は『霊界からのメッセージ修正版』を順次投稿していますので、そちらを終えた後の投稿になると思いますが、詳細な解説はしばらくお待ち下さい。
簡単に述べると、「霊として処刑する」とは、その霊が誕生してから経験した全ての記憶を消去して、誕生したばかりと同じ状態から再スタートする事を指すのだそうです。
ですから、「霊として処刑」された後の(元)悪魔の霊は、火の池に投げ込まれた他の霊と共に、別の星に成長の場を移されて、最も未熟な状態からのスタートを切ることになります。





■ 聖なる都エルサレム

黙示録の第二十章第九節~第二十七節では、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使の中の一人が言いました。
「小羊の妻である花嫁を見せて上げよう」
この天使により、高い山に連れて行かれると、聖なる都エルサレムが神の元を離れて、天から下って来ました。
都は神の栄光に輝いていました。
その輝きは最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようでした。
都には高い大きな城壁と十二の門があって、それらの門には十二の天使がいて、イスラエルの子らの十二部族の名が刻みつけてありました。
東西南北に各三つの門がありました。
都の城壁には十二の土台があって、各々に小羊の十二使徒の名が刻みつけてありました。
この天使は、都と門と城壁を測る為に、金の物差しを持っていました。
都は四角い形で、長さと幅が同じでした。
天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあって、長さも幅も高さも同じでした。
城壁を測ると百四十四ペキスでした。
これは人間の物差しで測ったもので、天使が用いた物差しもこれです。
都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金でした。
都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていました。
第一の土台石から碧玉、サファイア、瑪瑙、エメラルド、赤縞瑪瑙、赤瑪瑙、かんらん石、緑柱石、黄玉、翡翠、青玉、紫水晶でした。
十二の門は十二の真珠であって、どの門も一個の真珠で出来ていました。
都の大通りは、透き通ったガラスのような純金でした。
都の中に神殿はありません。
全能者である神、主と小羊が都の神殿だからです。
この都には、明かりを照らす太陽も月も、必要ではありません。
神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからです。
諸国の民は、都の光の中を歩いて、地上の王達は、自分の達の栄光を携えて都に来ます。
都には夜がないので、一日中門は決して閉ざされません。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来ます。
しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者は誰一人、決して都に入れません。
小羊の命の書に名前のある者だけが入れます。
さて、聖なる都エルサレムの様子について、長々と説明していますが、簡単にまとめると、天から新しい世界に下って来た聖なる都エルサレムとは、神と人が共に暮らす都だということです。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その7)】では、悪魔サタンに与する者達に侵蝕されたキリスト教会を「大淫婦」と表現しておりましたが、むしろキリスト教的価値観を共有する社会そのものを表していたと言えるでしょう。
同様に、聖なる都エルサレムとは、最後の審判を乗り越えた「勝利を得る者」や「聖なる者」などが、神や小羊と直接意志疎通をしながら共に暮らす社会を指すのでしょう。
ですから、最後の審判で第二の死と裁かれてしまった、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者などは、当然ながら小羊の命の書に名前がないので、新しい世界にいるはずがないのです。
ここで着目しておきたいのは、天使と人間が同じ物差しを使っているので、天使と人間の価値観が一致しているのでしょう。
また、エルサレムの都が様々な宝石や純金で装飾されていたり、明かりを照らす太陽や月が必要でないのは、もはや新しい世界の人間に取っての光とは、神の栄光や小羊の明かりとして表現される、莫大な量の霊的エネルギーそのものだからなのでしょう。
霊的エネルギーを明確に知覚できる能力を持っているのですから、新しい世界の人間は、私たち人類とは異なる種類の存在です。





■ 神と僕の共同統治

黙示録の第二十二章第一節~第七節では、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川があります。
川は、都の大通りの中央を流れて、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせます。
その木の葉は諸国の民の病を治します。
もはや、呪われるものは何一つありません。
神と小羊の玉座が都にあって、神の僕達は神を礼拝して、御顔を仰ぎ見ます。
彼らの額には、神の名が記されています。
もはや夜はなく、灯火の光も太陽の光も要りません。
神である主が僕達を照らして、彼らは世々限りなく統治するからです。
そして天使がこの様に言います。
「これらのことは信頼でき、又真実である。
預言者達の霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにでも起こるはずのことを、ご自分の僕達に示されたのである。
見よ、私はすぐに来る。
この書物の預言の言葉を守る者は幸いである。」
さて、神と小羊の玉座から流れ出る命の水の川とは、新しい世界に暮らす全ての者にとって活力の源となる霊的エネルギーを指すのでしょう。
そして、命の水の川の両岸にある命の木とは、『創世記』第二章で、エデンの園の中央に、善悪の知識の木と共に生えていた命の木と同じものです。
そして『創世記』第三章にもある様に、命の木の実を食べると永遠に生きる者となります。
それは神と小羊の玉座から流れ出た命の水の川の水を吸って育ったからで、同じく命の木の葉は諸国の民の病を治します。
『創世記』では、アダムとエバは「エデンの園の中央に生えている木、善悪の知識の木と命の木の実は、取って食べてはいけない」と、神に命じられており、その言いつけに背いたアダムとエバは、エデンの園から追放されてしまいました。
ところが、新しい世界の聖なる都エルサレムでは、諸国の民や王達が自由に出入り出来ますし、その気になれば、命の木の実を取って食べることも可能な状態にある様です。
しかし、聖なる都に生えている木の実を勝手に取って食べる不心得者は、一人もいません。
新しい世界に暮らすのは、『創世記』の頃の経験に乏しい人間ではなく、神が定めた『人類育成プログラム』を乗り越えた、経験豊富な人々ばかりです。
また、前の項目でも述べたように、もはや夜がなく、灯火の光も太陽の光も要らないのは、神の霊的エネルギーが全てを明るく照らし出している様子を、すべての人が知覚する能力を持っているからです。
そして僕を照らす神と、神に照らされた僕が共同で聖なる都を統治します。
ちなみに、諸国の民や王達は、神と僕達によって統治される側となります。
彼らは「勝利を得る者」と認められたけれども、神の僕として共に聖なる都を統治するには経験が足りません。
あくまでも「勝利を得る者」であって、このまま経験を積んで行けば、いずれ神と共に統治することが可能な者達です。





■ イエスの忠告

黙示録の第二十二章第八節~第十六節では、これらのことを見聞きしたヨハネは、このことを示してくれた天使の足下にひれ伏して、拝もうとしました。
すると天使が言いました。
「止めよ。
私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者達や、この書物の言葉を守っている人達と共に、仕える者である。
神を礼拝せよ。」
またこの様に言いました。
「この書物の預言の言葉を、秘密にして置いてはいけない。
時が迫っているからである。
不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れたままにしておけ。
正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
見よ、私はすぐに来る。
私は報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
私はアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。
初めであり、終わりである。
命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
犬のような者、魔術を使う者、淫らなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、全て偽りを好み、又行う者は都の外にいる。
私、イエスは使いを遣わし、諸教会の為に以上のことをあなた方に証しした。
私は、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」
さて、ヨハネが、これから起きる一連の出来事を示してくれた天使にひれ伏して拝もうとすると、天使は「私はあなたたちと共に仕える者だから、神を礼拝せよ」と述べています。
ヨハネは天使を拝もうとしたのですが、天使はイエスの名代としてヨハネの元に現れたのであり、イエスの言葉を伝えているのですから、「わたしは仕える者である」というのはイエスが自分自身を指した言葉です。
キリスト教会は、神とイエスと聖霊の『三位一体』を掲げておりますが、キリスト教の聖典である『ヨハネの黙示録』にある、『三位一体』論とは食い違う記述に対して、どの様に見ているのでしょうか。
天使の言葉は更に続きます。
この書物の預言の言葉が成就する時が迫っているので、秘密にして置いてはいけないこと。
また、獣の刻印を押されて「勝利を得られない者」も、天使の刻印を押されて「勝利を得る者」も、各々の思いのままにさせておくように述べています。
イエスがそれぞれの行いに応じて報いる為にやってくるからです。
そして、命の木に対する権利を与えられて、新しい世界の聖なる都の門を通って中に入る為には、自分の意思で自分の衣を洗い清めて、白い衣をまとえるように努めることが求められます。
獣の刻印を押された「勝利を得られない者」は、火と硫黄の燃えている池に投げ込まれるので、聖なる都の中に入ることが出来ないからです。





■ 『ヨハネの黙示録』の扱いについて

黙示録の第二十二章第十七節~第二十一節では、霊と花嫁が言います。
「来て下さい。」
これを聞く者も言うといい、「来て下さい」と。
渇いている者は来ると良い。
命の水が欲しい者は、価なしに飲むと良い。
この書物の預言の言葉を聞く全ての者に、私は証しします。
これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受け取る分を取り除かれます。
以上、全てを証しする方が、言われます。
「然り、私はすぐに来る。」
アーメン、主イエスよ、来て下さい。
主イエスの恵みが、全ての者と共にあるように。
さて、以上で『ヨハネの黙示録』の全てを読み終えたことになりますが、この最後の部分で強調しておきたいのは、わざわざ「この預言の書に何かを加えたり、また何かを取り去ってはならない」と、神の名を上げて厳しく申し述べています。
既に『ヨハネの黙示録』を解読するシリーズとして、最後までご覧になった皆様にはお分かりのことと思いますが、『ヨハネの黙示録』とは、非常によく考えられた暗号文として構成されています。
特定の予備知識がなくては、作り手の意図に沿った正確な解読が出来ませんし、文書の一部を操作しただけでも、見当違いな誤読を招いてしまいかねません。
それでは作り手の思惑通りに、キリスト教会と関わりの深い『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』の開放と共に始まる『神の裁き』の時代を生きる人々に向けて、神の『人類育成計画』の目的と『神の裁き』の時代を生きる知恵を伝える事が適わなくなります。
神やイエスは、一人でも多くの人に「勝利を得る者」となってもらいたい、そして最後の審判を終えた後には、新しい世界の聖なる都エルサレムを、共に統治できるようになってもらいたいとの意向があるからこそ、この様な文書を地上にもたらしたのだと思います。
この記事をご覧の皆様、そして全てのキリスト教徒の皆様は、この様な神とイエスからの時空を越えた働きかけに対して、どの様な答えを返しますか。





■ 『ヨハネの黙示録』の解読作業を振り返って

以上で『ヨハネの黙示録』の解読作業を(一応)終わりますが、一連の解読記事の中には、手直しが必要な箇所も見受けられますので、折を見て随時修正作業を行おうと考えています。
とはいえ、解読記事の文章はかなりの分量になりますので、管理人だけでは確認しきれない部分も出てくるでしょう。
そこで、ご覧の皆様の中で、誤字・脱字などに気付かれましたら、該当する記事のコメント欄よりご指摘下さいます様、ご協力をお願い致します。
また、黙示録の解釈についての意見や反論などにつきましても、該当する記事のコメント欄よりお寄せ下さい。

さて、黙示録の解読記事としては今回で終了しますが、解読記事を書いて行く過程で、黙示録では語られていない補足記事を追加した方が良いのではないかと考えました。
ここまでは、『ヨハネの黙示録』を解読するという観点から記事を投稿して来ましたが、黙示録を解読する際の参考として霊界の住人の方の話を随時伺っていた所、「黙示録の記述と実態は異なる部分がある」との指摘がありましたので、ご覧の皆様にも紹介した方が良いと感じたのです。
そこで次回は、黙示録では語られなかった関連エピソードや、霊界の住人の方が「黙示録の記述はおかしい」と指摘する部分について、黙示録を解読するシリーズの補足記事をお届けしたいと思います。
ちょっとビックリの、キリスト教に隠された秘密の一欠片をお届けできると思いますので、あと少しだけお付き合い下さい。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

12 件のコメント:

  1. 管理人さん霊媒さん霊界の住人さん方、お疲れ様でした。
    今シリーズもとても興味深く拝読いたしました。
    きっかけや時期忘れましたが霊的成長を目的とした人生というのを考え行動するようになり(思考力も行動力もまだまだ未熟ですが)、幸も不幸も生も死も大抵の事を前向きに捉える事ができるようになれたと思います。
    力を正しく使いたいと願っても、果たしてそれが本当に正しい事なのか迷う事が多々ありますがそんな時、心の向きを整える指針の一つとしてこちらのブログを活用しています。
    これからもよろしくお願いします。

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    1. 匿名様

      今回取り組んだ『ヨハネの黙示録』を解読するシリーズが、ご覧の皆様に取って、「人間に対する神々の働きかけ」についての理解を深める一助になりましたら、当初管理人が志した目的が果たされていると思います。
      とはいえ、管理人は「かなり駆け足での解読だったのではないか?」と感じておりまして、黙示録に綴られている物語の全体的な流れの解説を重視した反面、細かい部分の解説が足りていない様な気もします。
      ここまでの解読記事をご覧になって、スッキリと理解が深まって頂ければ良いのですが、もし説明不足や疑問に感じる点がございましたら、該当する記事のコメント欄より質問をお寄せ下さい。

      また、上記記事で述べました様に、『ヨハネの黙示録』では語られていない関連情報を入手しましたので、次回は引き続き補足記事をお届けしたいと考えております。

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  2. 今回の記事も拝読させて頂きましたが、正直、「霊として処刑する」という考え方には驚かされました。
    その詳細は後日のようですが、簡単な解説だけでも充分にショッキングです。

    わずかながらでもシルバーバーチの霊訓を読んだ身としては、霊界では人々は、その霊のレベルに応じた境涯で暮らし、上位のものが手を貸したり指導をすることはあるが、基本的には霊の成長は個々のペースで行われるので、ましてや全ての記憶を消して最初からやり直させるという強烈な干渉を上位のものが行うことはないと思っておりました。
    まあ、よほどの例外措置ということなのかもしれませんが……

    その場合、やはり人間ではなく、動物霊や、それ以前の段階からやり直させられるということになるのでしょうか? シルバーバーチの霊訓に、いったん人間となった霊は、生まれ変わってもやはり人間であり、動物などに生まれ変わることはもはやないとの言葉があったように記憶しておりますが、「もっとも未熟な状態」とは、動物霊や、それ以前の段階のことを指すのであれば、人間霊は必ずしも次も人間に生まれ変わるとは限らない、と認識を改める必要がありそうです。

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    1. 匿名様

      コメントされている様に、「霊として処刑される」のは、余程の例外措置とのことです。
      現代の人間社会が「法律で秩序を維持する」様に、霊界にも秩序を維持する為のルールがあるそうです。
      ルール違反に対する罰則も定められており、違反した霊の罪状によって処罰の軽重が決められます。
      その中で最も重い処罰が「霊として処刑する」措置なのだそうです。

      上記記事でも述べた様に、「霊として処刑される」と、最も未熟な状態から再スタートを切ることになります。
      「霊として処刑された」者の大半は、「生物に宿る霊」として最も未熟な状態である、アメーバーなどの単細胞生物に宿る所から、生物に宿る経験を積み直します。
      ごく稀に、「生物に宿る霊」としての最初に戻るのではなく、それ以前の「物質に宿る霊」としての最も未熟な状態に戻る場合もあるようです。
      では、「物質に宿る霊」としての最も未熟な状態とは何かというと、今のところは霊媒にも明確な説明が出来ないようですが、今後詳細な説明の機会を持ちたいと考えております。
      「生物に宿る霊」としての最初に戻るのか、「物質に宿る霊」としての最初に戻るのかは、処罰される霊の罪状と経験値を勘案して決められるのだそうです。
      霊界の住人の話によると、「霊として処刑する」のは例外的な措置なのですが、その中でも「物質に宿る霊」としての最初に戻される事例は更に例外的なのだそうです。

      そして、霊界の秩序を乱してしまう霊は、どこかに足りない部分があるから、何故そのルールがあるのか、何故そのルールを守らなくてはならないのかが理解できません。
      その状態のままでは、更なる成長が見込めないばかりか、却って特定の偏った考えに固執して停滞してしまいます。
      「霊として処刑する」と、霊の成長度は一時的に後退しますが、中途半端な状態で停滞するよりは、一旦最初に戻ってやり直した方が、却って早く目的地に到達できるとの判断があるのでしょう。

      因みに、『銀の紐を越えてα』掲載記事【周囲の人の話を聞き、よく観察しよう[メッセージ修正版08]】のコメント欄にて、一度人間に宿る霊としての経験を積んだ後で、再び動物に宿る場合について述べておりますので、併せてご覧下さい。

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  3. 管理人さん、霊媒Mさん他霊界の皆様方、超ボリュームの今シリーズ、ひとまずの完結おつかれさまでした!
    次回以降明かされる「秘密」も気になります。楽しみにしておりますね。

    ミーハーの誹りを恐れずに言えば、もともとオカルト好きの側面から黙示録にも大変に興味があったこともあり、今回のシリーズは聖書片手にじっくり読ませて頂きました。
    私なりにいくつかこうではないかと考えたことなどありますので、見当違いも承知で書き込ませて頂こうかと思います。なお、複数回投稿することになると思いますので、今回からHNをつけさせていただきます。よろしくお願いします。

    他の方もそうだと思うのですが、「第二の死」は強烈な印象ですね。
    筆者ヨハネの恐怖感もあるために恐ろしい雰囲気になっているとは思うのですが、「火と硫黄の燃えている池」は、イメージとしては溶鉱炉に似ている気がしています。
    鉄が高音で形を失い、ドロドロに溶けていったとしても、それらは再び新しい形を得ることになるように、一つの魂、個性としては終焉を迎えても、エネルギーとして新たに次の役割が与えられる…そんな感じがします。
    人間に分かりやすく言えば、ルールに違反した霊を懲罰する…となるのかもしれませんが、むしろ、工場で適合する部品を選別するように、あるいはより高品質な品種の種を作り出すように、いわばシステムとしての必然として、そうした仕組みが働くのではないかと考えています。
    より成長できるものを残し、不純物になってしまった存在を新たに精錬し直す、というような…
    システムとしての振り分けである以上、それはつまり、一つの魂がリセットされてまた一つの魂になるのではなく、多数の魂が一つの「池」の中で溶かされ、混ぜ合わされた上で、その一部はまた新たな魂となり、また別の一部は霊的世界を支えるエネルギーとなり…という形ではないかと想像しています。
    一つ前の記事で、チベットの封印を解いた「死」と「冥府」がやはり「火と硫黄の燃えている池」に投げ込まれるとありましたが、それは彼らが懲罰を受けるべきことをしたのではなく、新しい世界では「死」がなくなり、霊界と物質界が重なっていくために「冥府」がなくなる…つまり、必要となくなったがために、それらを構成していた霊的エネルギーが別の用途に利用されるべく解体される…ということではないかな、と考えながら読みました。
    チベットを管理していた霊の方は、「死」や「冥府」を同時に管理するほど力のある方なのではないかとも考えたりしています。確か、地上からエネルギーを「回収」する役割の方が、より成熟した霊の仕事だと以前書かれていたと思いますので、あくまでも「死」「冥府」は霊の名前ではなく、いわば「役職」「職場」ではないかと思いました。
    ただ、最後に描かれる都の描写は、「死」がなくなる、というよりも「物質として生きているヒトという存在がなくなる」という方が近い状態のように思えます。物質の依り代があるのなら、時間経過による変質、劣化、損壊は不可避であり、それこそが物質界の本質ではないかと思うので…新しい世界は物質界そのものがなくなるということなのか、物理法則が塗り替えられるのか…どちらにしても、美しい世界ではあるのかもしれませんが、その仕組みを想像するのは現世の私たちにはまだ難しいと感じました。

    長くなりましたので、一旦ここまでにいたします。
    記事と黙示録をよりどころにしたとはいえ、もともと私が持っている霊界の勝手なイメージをベースにした想像なので、適宜軌道修正を頂けることで、私自身の理解を深める一助にできればと考えています。
    「神の怒りのぶどう酒」のことなどももっと突っ込んでお伺いしたいと思っているので、また該当記事のコメント欄からお邪魔することになると思います。
    よろしくお願いします。

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    1. ソラゴト様

      お寄せ下さったコメントを霊媒にも確認してもらいましたが、霊界の住人の方は、
      「(黙示録関連記事を)良く読み込んでいる様だ。
      (記事では)細かい部分の説明が尽くされていないので、その分だけ理解が大雑把な様だが、方向性は良い。
      (ソラゴト様のコメントから)特に訂正が必要な点もないので、概ねその様な理解で宜しいのではないか。」
      と、お褒めの言葉を頂きました。

      因みに、小羊が巻物の第四の封印を解いた時に現れた者が連れていた「死」と「陰府」については、『ヨハネの黙示録』では殆ど触れられておりませんが、第四の封印をチベットの拠点と推定しましたので、チベット仏教に伝わる経典の中に、黙示録では触れていない部分を補完する文書が含まれている可能性があると考えております。
      ですから、実際にその様な文書の有無を確認して、目的の文書を発見した場合は解読することによって、初めて『銀の紐』としての見解を明確に出来るという立場です。

      別途コメントを頂けるとのことですので、楽しみにお待ちしております。

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    2. 管理人さん、ご返信ありがとうございました。こうした理解で方向性としては悪くないということで、少しばかり自分の捉え方に自信を持つことができました!
      管理人さん及び霊媒Mさん、霊界の皆様がお時間を割いて目を通して下さったことに心から感謝いたします。

      「死」と「陰府」(「冥府」ではなく「陰府」でしたね(^^;))については、確かに大きな謎ですよね…封印を解く際に現れる人物で、名前(「死」)がついているのはこの人物だけです。他の人物の名はなぜ明らかでないのに、この人物だけ名(役職名?)が明かされているのか。
      そして、なぜこの拠点(封印)が「死」と関係付けられているのか。
      チベット仏教には密教が存在していて、そこには性的な秘技もあるとされ、オウムのようなカルトに悪用されたりしていましたが、あるいは性、生を持って「死」の本質に迫るという感じの奥義があるのかもしれません。そんなような話をどこかでちょっと聞きかじった気がするのでそういうイメージが朧げにあるのですが、私もチベット仏教に関しては門外漢ですので、それ以上はわかりません。
      生と死の奥義を扱っているとしたら非常に興味深いですね。「ラマ」の即位自体、輪廻転生を前提にした制度らしいので…

      お伺いしたいことはあれこれあるのですが、うまくまとまらなくて四苦八苦しております。まとまったものから、また当該記事のコメント欄にてお伺いしたいと思います。今回は本当にありがとうございました。

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  4. silvercord様

    連載の記事ご苦労様です。
    大変困難な課題を私たちみんなのために成して頂いたことありがとうございます。

    従来霊能者を含む様々な人が、色々とご自身の想像も含め解説されていましたが、私個人としては
    すっきりせず自己虐待妄想なのかと違和感を得るようなものを感じるサイトも散見しておりました。

    silvercord様の記事を拝読して思いますのは、確かに神のお考えになる人類が通過すべき試練の厳しさ、考えの深さ、それと人類全体への広大な愛情のようなものを感じます。
    従いまして、厳しい中にもチャレンジする希望や喜びがあり大変だけれど油断せず頑張って見たい気持ちになりました。その先が、命の書または火と硫黄の世界いずれであっても人事を尽くすだけであって結果には拘泥しないつもりです。
    そして記事の中の深い意味を理解出来たわけではありませんので、これからも何度も再読させいただきたいと思います。

    ソラゴト様も第二の死にや”処刑”についてお書きになられているので私も蛇足を一節。
    サタンは何千億の魂に対しして行った悪いカルマの負債(貸借表での借金)が、この宇宙のサイクルで返済不可能になったのではと妄想します。
    所謂、自己破産です。
    とは言え神との戦いを交えて、何千億の魂を揺るがしたその力や才能は刮目すべきものがあります。
    (念の為ですが、サタンのこれまでの行為をけっして肯定するものではありません。)
    従いまして、捕らえられたあとは無害なレベルまで余分な力を削いだ上で、安全を考え魂を細分割しそれぞれが保護観察の管理下に置かれる、そのように思いました。
    再度人間として再出発するかどうかまでは解りません。私ごときが云々すべき事柄ではないのですが、自己破産と巨大な借金という重しは宇宙でも厳然とあるように思えました。

    本当の自由とは、霊界ではなくこの世界で実現するものと思います。色々な人生の罠に負けずおかしな考え感じ方に陥らずまっすぐ歩めることで私たちは最高の自由を実現しようとしている真最中なのではと思います。
    駄文、お読み頂きありがとうございました。

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    1. 匿名様

      一連の黙示録解読記事から、人間に対する神からの絶え間ない働きかけの息吹を感じ取って頂けたのでしたら、管理人の黙示録解読作業は成功しているのだと受け取っております。
      とはいえ、詳細な説明は尽くされていないと思いますので、ご質問やご意見は該当する記事のコメント欄よりお寄せ下さい。

      さて、蛇足としてお寄せ下さったコメントを拝見しましたが、管理人から気になった点について述べておきましょう。
      まず、サタンが負った「悪いカルマの負債」とは、宇宙のサイクルで返済不可能になったものではありません。
      地球上に人類が誕生してから滅亡するまでの間に期間を限定して、サタン独自の考えに基づいて人類に働きかけても良いと、神から活動許可を得ました。
      そこでサタンが神とは別に、自分のやり方で人類に対して働きかけた結果として、「悪いカルマの負債」が積み上がりました。
      宇宙のサイクルはもっと果てしなく長いものですから、黙示録で語られている流れに則ってサタンが積み上げてゆく「悪いカルマの負債」を、最後の審判の時点で一旦清算した後に、再び神の座へ上り詰めるだけの時間は充分に残されているようです。
      尤も、その辺りは今後のサタン自身の考えと行動によっても変わりますので、一概に断定は出来ません。

      また、コメントに「安全を考え魂を再分割して~」とありますが、『銀の紐』としては「魂」という言葉を以下の様な定義で用いております。
      人間を構成する三要素として、「肉体」と「霊」、その両者を結びつける媒介としての「シルバーコード(魂の緒)」があり、そのうちの肉体を除いた霊とシルバーコードをまとめた総称として「魂」という言葉を当てます。
      人間として生きている時には、肉体と魂が融合しており、その際の魂とは霊とシルバーコードの二つの部位から成りたちます。
      そして、人間が死ぬ時に肉体からシルバーコードが引き抜かれて、それと共に霊とシルバーコードも分離します。
      一方、サタンは肉体を持たない霊の状態で存在しますので、霊とシルバーコードが結合した「魂」の状態にはならないというのが、管理人の理解です。

      それから、「本当の自由とは、霊界ではなく~」とありますが、匿名様が「本当の自由」の中身をどの様に定義されているのかが分かりませんので、お話しの意図がよく分かりませんでした。
      匿名様にとっての「本当の自由とは、例えばこういうことですよ」という部分を教えて頂ければ、お話しの意図が理解しやすくなると思います。

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  5. 管理人様

    「霊として処刑される」ためのルールが決まっているということは、現在の地球よりも成熟している別の世界でも、そこまで成熟する以前の未熟だった時期にサタンのような存在が出てきて、その社会を荒らし回ったために、それに対処するためのルールが決められたのでしょうか?
    それとも、霊という存在が最初に創造された時点からあらかじめ決められていたルールなのでしょうか?
    前者なら、サタンのような存在は、未熟な世界によくある通過儀礼のようなものなのでしょうか?

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    1. 匿名様

      霊媒の話によると、前者なのだそうです。
      荒らし回る側が未熟なのは当たり前ですが、取り締まる側も様々な試行錯誤を繰り返しながら、秩序の維持と霊の成長のバランスを取りやすい方法を模索する経験を通じて、自らの成長の糧としているのでしょう。

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    2. 管理人様

      回答頂きありがとうございました。

      なんだか、ネットを荒らしまわるハッカーに対処する各国政府というイメージが被りました。

      2000年前に書かれたヨハネの黙示録の通りに物事が進むと言うことは、数億年だか数十億年かけて霊界の取り締まり係りが試行錯誤してきたおかげで、大体どのような結末を迎えるのかが見通せるからと考えても良いのでしょうね。

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