2017年3月1日水曜日

神社について6つの疑問

今回は、記事【炎に包まれた人々】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問について、とある霊界の住人からの回答が届きましたので、ご紹介します。





■ 匿名様の質問

(前略)

私は以前から神社仏閣が好きで、定期的にお詣りする神社以外にも、たまたま通りかかった神社仏閣に立ち寄ってお詣りしたり、お守りを求めることがありました。
ところが4年ほど前、非常に霊感が強く、その方面の修行をしたこともある知人から、「神社仏閣は、氏神様や家の菩提寺など、自分に関連したところか、あるいは、ここと自分が決めた神社仏閣以外にお詣りしてはいけない。神様は、あちらこちらにお詣りしたり、お守りをいただく人間を快く思わない」と言われました。
また、「夕方以降は行かないように」と言われました。これについては、以前に聞いたことがあって実行していたのと、実際に、たまたま暗くなってしまってから神社にお詣りした時、「連れてきてしまった」ようで怖いことが起こりましたので、その時からは肝に銘じて控えております(その「怖いこと」が起きたあとは、その名残が消えるまで、お清めの塩とお酒でしばらくお祓いをつづけました)。

その結果、現在は、信仰している神社仏閣数ヶ所と、日本人の総氏神様ともいえる伊勢神宮には、お詣りしてお守りをいただくのを基本にしておりますが、友人と旅行した際など、何かの折に他の神社仏閣に行くこともあり、そのたびに、知人の言葉を思い出しては躊躇しております。
本来、神様がそんな分け隔てをすると思うのは失礼に思いますし、そんな、人間のような狭い了見ではないように考えますが、知人の言葉が呪縛のように私の行動を鈍らせます。

そのようなわけで、今回、あまりに初心者的な質問で心苦しいのですが、知人からの言葉と、巷間言われている決まりごと等について、霊界の住人の皆様に近しい管理人様達のご見解をおうかがいできればと存じます。

  1. 管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか
  2. 夕方以降は行かない方がよいのでしょうか
  3. 色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか
  4. お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか
  5. 家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか
  6. 神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

以上のことについて、むろんご存知の範囲で結構なのですが、おうかがいできればと存じます・・・。
あるいは、「神様や神社仏閣との繋がり方において最低限氣をつけておく事柄(それ以外は氣にしなくてよいこと)」を教えいただけるのでも、とてもありがたく思います。

(後略)





■ 霊界の住人の回答

1.管理人様や霊媒M様のように、霊界の住人の方々により導かれている方々は別にして、普通は、氏神様など関係ある神社仏閣以外の、多くの神社仏閣に行くのはよろしくないのでしょうか

質問1.については、記事【彼らの目的は果たされない[小ネタ]】のコメント欄、カズミ様の質問に対する管理人の回答で述べている通りです。
該当する部分を引用します。

カズミ様の質問
今、神社にとても関心がありまして、あちこち行きたいと思っているのですが、
以前テレビでタレントさんが「ロケに行った先などで神社を見つけるたびに
お参りしていたら、どうも調子が悪くなった。ある日霊感の強い人から
『いろんな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩しているよ』と言われた」
といったことを言っていました。
それが頭にずっと残っていて、「あまりあちこちに行くのはいけないのかなー」
と思っているのですが、どうなのでしょうか?

管理人の回答
結論を先に述べると、「神様同士が喧嘩をする」筈がありませんし、神社を参拝することによって神様との間の絆が繋がり、その絆が強まります。
また、特に関心を持っている神社がある様でしたら、その神社の神様より招かれている場合もありますので、関心のある神社を複数訪ねても一向に構いませんし、是非色々と参拝して廻ることをお薦めします。

管理人も以前どこかで「神様が喧嘩する」とか、「神様同士の相性が~」という話を小耳に挟んだ記憶がありますが、これらはいずれも人間的な感情の働きに沿っていて、人間よりも遙かに成熟しているはずの神様が喧嘩をしたり、神様に相性があると言うのもおかしな話ですよね。
毎年の神無月には、日本全国の神様が出雲大社に集うと言いますが、年に一度は一堂に会する日本の神々が、普段はお互いに縄張り争いで揉めているとでも言うのでしょうか。
少なくとも管理人が霊界の住人から聞いている限りでは、日本の神様は日本の秩序を守り、日本で生活する人の霊的な成長を促す為に組織的な活動を続けております。
お互いに喧嘩をしていたり、相性が合わないからと連携をためらっては務まりませんし、全ての日本の神々が目的を共有して、各々の立場に応じて役割を分担して果たしていくからこそ、ようやく日本の秩序を守ってゆけるのです。

では、「色々な神社を参拝していたら、身体の具合が悪くなった」と言うことは起こり得るのでしょうか。
一つ目の可能性として、神社を参拝した人が霊媒質であり、なおかつ神社の神域に満ちている霊的エネルギーが強かったり、参拝者が神社のエネルギーの質に馴染んでいない場合は、疲労や身体の異常として現れる場合があります。
その場合は、時間を置いて(例えば一週間おきなど)何回か同じ神社を訪ねることによって、参拝者の身体を神社の霊的エネルギーに慣らしてゆくと、その様な症状は次第に解消されるでしょう。

二つ目の可能性は、神社の神様が参拝者に対して何らかの働きかけをしているのですが、それが参拝者自身にとっては目を背けたいテーマであったり、神様の働きかけを拒絶したい気持ちがある場合に、身体的な異常として現れる場合があります。
神様は参拝者の成長を支援する為に、参拝者が抱えている問題に立ち向かい、乗り越える方向性の働きかけを行いますので、参拝者自身に何らかの問題を抱えている自覚がある場合は、こちらの可能性が考えられます。

三つ目の可能性は、参拝者に何らかの霊が憑いていて、その霊が神様や神社に近づくことを嫌がって、参拝者が神社へ近づかないように影響を及ぼした結果として、身体的な異常が現れている場合があります。
神社を嫌う霊とは、余り素行が良くない存在なのですが、参拝者の物の考え方がその霊に近いと、居心地の良さを感じて憑依し続けますから、そのような場合は日常生活における心掛けを改める必要があります。

人々が神社の神域を訪れることによって、神様は人々に対して働きかけやすくなりますので、神域で犯罪を行うのでもなければ、基本的にはどの様な方の参拝も神様は歓迎します。
ところが「色んな神社に行きすぎて神様同士が喧嘩をする」と吹聴することによって、人々を神社から遠ざける作用が働きますので、自覚の有無はともかくとしても、この自称「霊感の強い人」は、日本の神々の活動を妨害していることになります。
神様の活動に対する妨害行為は、日本の秩序を乱すことに繋がりますので、いずれ自分の行いの結果を何らかの形で刈り取ることになるのではないでしょうか。

ここからは、上の回答で足りていない部分の説明を追記します。

日本という枠組みで考えてみれば各神社の神々の纏う霊的なエネルギーは同質のものなのですが、日本全国各地域でそれぞれに特徴があるように、地域ごとに必要とされる霊的なエネルギーの特徴も微妙に異なっているという事情はあります。
そのため、旅行先で神社に参拝される場合は御自身が暮らす地域の神々が発している霊的なエネルギーとは微妙に異なる霊的なエネルギーに触れることになります。
源は全て同じものなのですが、人間にとってはその微妙な違いも気になる場合があります。
雰囲気的に好きな地域やあまり好きになれない地域などがあると思いますが、それはその地域特有の霊的なエネルギーの微妙な違いにより好ましさを感じたり居心地の悪さを感じている場合があります。
基本的に、機会が訪れるという事は必要があるからですので、御自身に不都合がないのであれば、その機会を活かした方が良いと思われます。
大切なのは、それらの経験から何を学び取るのかというところですから、あまり臆病にならずに、ご縁が結ばれたのであれば訪れてみて下さい。

神社やお寺を管理しておられる側の都合というものもあるでしょうから、観光地など広く参拝客を受け入れているような場所以外での参拝などの場合は、直接管理しておられる方に伺ってみるのが良いでしょう。
基本的には、入り口が開放されており、誰でも入れるようになっている場所では取り立てて制限はしていないと思われますから、あまり神経質にならなくても大丈夫でしょう。
様々な事情から、勝手に敷地内に入れないようになっているような場所では、きちんと手続きを踏んでからお参りするのが良いでしょう。
相手のご迷惑にならないように、礼を尽くして参拝されるのが良いと思われます。

人間の手によって意図的に作られた神が祀られているような場所には近づきたくないものです。
それはとても不自然な存在です。
神は神でもそれは偽神ですので、やたらに近づいて良いものではありません。
それは呪いそのものですから、例え欲望を満たせたとしても、その後は束縛され逃げられなくなります。
また、偽神は神気を嫌います。
ですから、神社で参拝して神気を纏っている人間を嫌う傾向があります。
神とは対極にあるもの、それが偽神なのです。
偽神が存在している事を神は許容してはいますが、だからといってその存在が神として受け入れられているわけではないのです。

たまたま知り合った人が偽神を崇めている人であったため、偽神に関わりを持ってしまったなどということが無いようにするためには、神々と心を通わせ強い絆を結んでおくと良いでしょう。
そうすれば、価値観の相違から相手の方が嫌って近づいてはこないと思われます。
魅入られないこと、引き込まれないこと、安易に近づかないこと、それが己の身を守る上で一番重要なことであると思われます。


2.夕方以降は行かない方がよいのでしょうか

暗闇というものはただでさえ人心を惑わせ悪心を抱かせやすいものです。
例え霊などが関係していなくても、闇に紛れて悪さをしようと考える人間は大勢います。
どうやら人間の皆様にとって、人目に触れたら困ることや後ろめたいことなどは、闇に紛れていた方が実行しやすいようです。
その様なわけですから、必要が無いときは夜に外出するのはあまり感心できることではありません。
自らの身を危険にさらすことになるからです。
神社やお寺などが建っている場所は、沢山の外灯を煌々と照らしているわけでもありませんし、ネオンサインがキラキラ輝いているわけでもないので人通りも少ないですし、どうしても物騒になります。
その様な意味では、夕方以降に神社仏閣を訪れるのはあまり良くないことのように思われます。
人間に近い感覚を持った霊たちも同じ事で、やはり悪さをするなら夜の方がやりやすいでしょうし、賑やかな場所よりも寂しい場所の方が相手に狙いを付けやすいという事はあると思われます。
霊の場合は神社やお寺の中で悪さをすることは出来ないと思われますので、敷地の外に出たときに危険が待ち受けていることになります。
しかし、人間の場合はその様な事は関係ありませんから、内であれ外であれ、欲望に駆られれば行動に移します。
用心していれば避けられる災難も、迂闊に近づけば被害に遭ってしまうでしょう。
人間にしろ霊にしろ、暗闇は魔に魅入られた者たちが活発に動き出す要素になっているということを忘れないようにしましょう。


3.色々な神社仏閣に詣った際、それぞれでお守りを求めてもよいのでしょうか

質問3.については、『銀の紐を越えて』掲載記事【鹿島神宮の役目】にある回答の通りです。
該当する部分を引用します。

お守りは、神社に祀られている神々の御力を常に身近に感じる事の出来る、とても便利な道具であります。
通常は神社の境内でなければ注がれる事のない御力を、お守りという道具を用いる事で、いつでもどこに居ても注いでいただけるというとても便利な物なのです。
お守りはいわば、携帯式の受信機のようなものなのです。
お札も同じで、貼られている場所や所持しておられる方々に、神々の御力が注がれるための窓口となっております。

ただ、勘違いしないでいただきたいのは、お守りを所持しただけで劇的に事態が好転するなど、奇跡的な出来事が起こるわけではないということなのです。
あくまでも、補助的なお力添えがあるというだけのことであり、皆様ご自身が問題解決に向けて積極的に取り組む事が重要である事を忘れないでいただきたいと思います。
自ら積極的に答えを求め、努力して初めて神々から注がれたお力が活かされるのです。
何もしないで、ただ助けを待っていただけでは、折角注がれている御力も無駄になってしまうのです。
なぜならそのような方々は、折角為になる情報が得られたり、絶好の機会が訪れたとしても、見過ごしてしまう可能性が高くなるからなのです。
皆様ご自身の考え方や心のあり方が、神々から注がれた御力の作用に大きく影響を与えるものであることを忘れないようにしましょう。

ここからは、上の回答で足りない部分の説明を追記します。

お守りはただの飾りというわけではありませんので、お守りを通して送られてくる霊的なエネルギーを適切に活用出来るのかというところが問われてくると思います。
霊的なエネルギー自体には善悪の概念はありませんから、上手に活用出来れば適切な補助を受けることが出来るでしょう。
しかし、上手に活用出来ないと弊害になる場合もあります。
あちらからもこちらからもと、本来必要としている以上のエネルギーが注がれることになれば、当然強い影響を受けるわけですから、多ければ良いという性質のものでもありません。
御自身にとって適切と考えられる程度を推し量る必要があるでしょう。
お守りを持っているから安心なのではなく、お守りを通じて送られてくる霊的なエネルギーによって、神の智慧を借りる事ができ、それらの智慧を上手に活用出来れば様々な問題に対処する術に辿り着く事が出来るのです。
行動するかしないかは御本人次第ということになるでしょう。


4.お守りは1年でお返しせねばならないのでしょうか

お守りを授かることで神々との絆が結ばれていることを考えれば、いつがお守りの返し時であるのかも自然に分かることでしょう。
そろそろお守りをお返しになった方が良いと強く感じたときが返し時です。
それは一年以内かもしれませんし、数年経ってからかもしれません。
新年のご挨拶もかねて古いお守りをお返しして、新しいお守りを授かるという方もおられますので、一年を目安にしてお返しするというのが一番分かりやすいという事はあるかもしれません。


5.家の神棚に手を合わせる際も、神社と同じに二礼二拍手一拝するのでしょうか

形式に則って礼を尽くすという考え方も大切かもしれませんが、一番大切なのは心のあり方です。
いくら形式を厳密に守っていたとしても、そこに心が伴っていなければ神との絆は生まれることがありません。
心から神々を求め、絆を深めたいと感じているのであれば、自然と行動にもその思いが表れるものなのです。
自然な行動にこそ人の本質が現れており、そこに神々は注目しているのです。


6.神棚は、スペースが無い場合には、お神札のみでかまわないのでしょうか(お水や榊を置く場所がない)

これも、先のご質問への回答と同じことで、一番大切なのは心のあり方です。
心が伴っていてこそ行動することに意味が伴ってくるものですから、御自身の心のあり方に注目し、神々に対して何ら恥じるものがないのであれば、あまり気にする必要は無いでしょう。
神々が見ているのは表面的な事柄ではなく、人間の心のあり方であるということを忘れないで下さい。

(2017年2月28日)





この度匿名様から頂いた質問は、神社に関する身近な疑問に答えるきっかけとなりました。
尤も、ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問には、基本的に管理人から回答を差し上げることとしておりますので、その点はご了承下さい。

また、神社を参拝する際の心構えとして、記事【神社を参拝する際に】も併せてご覧ください。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

6 件のコメント:

  1. 管理人様

    霊界の住人様からのお言葉をお取り次ぎいただきまして、まことにありがとうございました。
    携帯で閲覧しているせいか、過去記事が上手く探せずにおりましたが、その内容も分かり大変に助かりました。

    神様同士が、人間のような縄張り意識を持って仲違いするようなことなどないと明確にお示し下さり、当たり前といわれればそれまでなのですが、芯から納得できました。
    また、「神様が、その様に狭量なはずはない」と、ぼんやり感じていた自分の感覚を信じることの大事さも、教えていただいた気がします。

    そして、遅い時間には、霊にしろ人にしろ良からぬ思考を持つ者が動きやすくなるというご回答からは、神社仏閣という神聖なエリアに関わることとはいえ、常識的な判断を決して蔑ろにしてはならないという、明快なご示唆をいただいたことと思っております。
    そのほか、普段のお祀りについてのお言葉も、いま、深く身に染みて何度も読み返しました。

    今回のような卑近な質問に、このように親切にお答えいただきましたことを、霊界の住人様に御礼申し上げるとともに、管理人様と霊媒M様のお取り計らいにも、心より感謝申し上げます。

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    1. 質問者様

      神様に縄張り意識はありませんが、役割分担はあります。
      ですから、神様同士で定めた役割分担に基づいて、他の神様の担当領域に踏み入らないという話が、お互いの縄張りを巡って争っていると誤って伝わっている可能性はあります。
      霊感がある方でもそういう話をする場合があるのは、霊界通信という特殊な通信手段を使うために、また霊感があっても神様や霊界の住人との意思疎通に不慣れなために、送り手が発信した情報を受け手が正確に受け取れないからでしょう。
      『銀の紐』の霊媒Mは、霊媒能力が覚醒した当初と比べると格段に能力が向上していますが、それは通信霊媒としての能力を高めようと意識して、時間を掛けて取り組んだからです。
      その様な訓練をせずに、ただ霊感があるだけの方には、霊界通信で得た情報の正確さに限界があると言うことではないでしょうか。

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  2. 神社にまつわるお話をありがとうございました。私は、最初に神社に行きましたのがまだ物心つく前のお宮参りで、そこから始まって自然とお社があるとご挨拶をしていくようになりました。物の本や霊感がある方のお話などで見聞きしたことは、ときには役立ちますが、ときには自分の祈り方、ご挨拶の仕方とは相容れないもののこともあり、そんな時は初心に戻り、自分は何をしにそのお社へ行くのかを問い直し、そこから導き出される方法でやってきました。自分の心がうわの空になっているときは、ご挨拶もいい加減になってしまい、失礼をしてしまうこともあります。様々な迷いがある時でも、真摯な気持でご挨拶できている時は、気持ちもすっきりして帰れたりします。お社に鏡がかかっていますが、あれが日本の神々に対する時の心がまえを象徴していると改めて思いました。
    お社に限らず、富士山をはじめとした山々や、木々、水の流れや泉、巨岩や洞窟など、自然のあらゆるものに対するときも同様だと思います。

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    1. 匿名様

      霊感がある人といっても、YES/NOを確認する程度の意思疎通が限界の人もいれば、人知を超越した未知の情報を、人間が理解できる程度に内容をかみ砕いて説明できる人もいます。
      そして霊感のある人にありがちなのは、意思疎通の度合いが中途半端であることを自覚しないまま、辛うじて届いた特定のフレーズに基づいて、恣意的に送り手の情報を歪めて受け取ってしまうことです。
      逆に、普段は霊感がないと思っている人でも、神社で神様に意識を向けている時には、神様との意思疎通がしやすい状態にあります。
      ですから、参拝の際に何か閃いたとか、特定の思いが印象に残った場合は、神様の働きかけを受け取った結果として、その様な想いを抱いたのかも知れません。
      神様との繋がりの強さと、霊感の有無は余り関係がありません。
      管理人の経験に基づく印象ですが。

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  3. はじめまして
    人気ブログランキングよりお邪魔しています

    凄く神経質な方と感じてしまいました
    私なんかはそこまで考えるのではなく
    いろんな神社仏閣を見て楽しめれば良いと
    考えているのであまり深く考えたりはしないものですから

    応援ポチさせてください

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    1. 矢鱈愛子様

      気にしない方はそれでよいのですが、色々と気になる方は、関心があってなおかつ疑問があり、公開の場で質問をされるのですから、きっと知的好奇心が旺盛なのでしょう。

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