神奈川県にある江ノ島です。
そしてこちらが、今回の目的地である【江島神社】です。
御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた、三人姉妹の女神様とのことで、奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、この三女神を江島大神と称しているそうです。
さて、今回江島神社を参拝したのは、とある目的の為なのですが、その目的については後ほどご紹介することとして、別途江島神社の三女神様から『銀の紐』をご覧の皆様へ向けてのメッセージとして、霊媒が御神籤を預かって参りましたので、先に御神籤についての解説をお届けしたいと思います。
なお、今回は三人の女神様の連名でお話し頂けるとのことですので、便宜上『江島神社の神様』と表記致します。
■ 江島神社の神様との対話
管理人:
今日は神奈川県の江ノ島にある江島神社に参りましたが、その際に江島神社の神様から『銀の紐』をご覧の皆様へのメッセージとして、御神籤を預かっておりますので、最初にそちらの解説をお願い致します。
運勢|小吉
第23番
あせればあせるほど苦しみが多く損をし、災がくる運です。
しかし何事も控え目にし自身を守り誠実な日常を送れば大きな幸がやって来るでしょう。
江島神社の神様:
今までずっと問題意識を持っていた方々が、最近になってようやく少しずつ動ける状況に変化してきているために、早く動いて、早く事を成し遂げようという、急いた気持ちが感じられるので、余り焦りすぎると、大事なことを見落としたり、守らなければならない部分を見過ごしてしまったり……という結果になる危険があるので、もう少し冷静になる方が良いのではないかと感じております。
管理人:
では、次の「言」についてはいかがでしょうか。
「言」
友と交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶべし。
人と作るには、一点の素心を存するを要す。
江島神社の神様:
これも先程のものと同じ事で、「やっと活動できるようになってきた」という思いの方に目が行ってしまって、忘れてはいけない大事なものを置き忘れてしまい易い状況になっていると感じておりまして、よくよく自分自身がこれから行おうとしていることに目を向けて、よく考えてみる事を心がけた方が良い状態であると思います。
焦りがある為に、見落としがちなものが存在してしまっているように見えるのですね。
その見落としがちになっているものが、実は大切なものであったりする……と言う所を、もっときちんと把握しておく必要があるのではないかと思います。
管理人:
では、裏側についてはいかがでしょうか。
教え
一つの欠点でその全人格を推しはかってはならない。
江島神社の神様:
ある一つの物事の全体像を把握するのではなくて、一点だけを見つめて物事を判断することの危うさについての警告です。
自分自身が好まない部分を持っている人でも、実は全体を見た時には、好ましい部分や自分が学べる部分が具わっているという事は当たり前のようにありますので、好ましい相手については良いのですけど、好ましくないと思った相手については特に注意が必要だと思います。
そこをきちんと見極められないと、自分自身の成長も出来なくなってしまいますので、注意して頂きたい所ですね。
神のみこえ
器にはしたがひながらいはがねも
とほすは水の力なりけり
管理人:
こちらは以前投稿した記事【初詣に行ってきました】で紹介した、明治神宮の大御心(明治天皇御製)と同じなのですが、いかがでしょうか。
江島神社の神様:
水というものは、柔軟でありながらも、一点に集中させることで、岩などに穴を空けることが出来る。
それと同じように、何かに取り組む際にも、基本的には柔軟に対応しながらも、ここぞという時にはブレることなく集中して力を注いで行くことによって、必ず道が開けるので、焦らないで、確実に、自分の気持ちがブレないように。
「何を成し遂げたいのか」をしっかり心の内に持っていればブレることはないので、その一点に集中して力を注ぐことが出来ます。
時間をかけることによって曖昧になってしまったり、諦めてしまうことになっては、目的は果たせなくなってしまうので、自分がどこに集中して力を注ぎたいのかをしっかりと見極めて、その目標に向けて力を注いで行きましょう。
管理人:
これは周囲の出来事を観察していて思うのですけど、いつの間にか目的と手段を取り違えてしまっている場合が目立つように思います。
元々は、目指していた目的を成し遂げるために特定の手段を用いていたはずなのに、いつの間にか特定の手段を行使することに拘る余り、最初に目指していた目的からは却って遠ざかってしまう事例が多いように感じるのです。
ですから、目的は見失わないように、そして手段はその場の状況に応じて柔軟に対応しながら、着実に目的に向かって近づいていきましょうということで宜しいでしょうか。
江島神社の神様:
はい。
管理人:
御神籤については以上で宜しいでしょうか。
それでは、ここから本題に入りたいと思います。
これは『銀の紐を越えて』に掲載中の記事【厳島神社における霊界事情(日本のパワースポット7)】にて、厳島神社の神様と地元の方との意思疎通が上手く図れていないので、神様が対応に苦慮しているという話を紹介しました。
実は、つい先日なのですが、たまたま江島神社の写真を拝見する機会がありまして、その際に霊媒が「江島神社の神様が話をしたがっているようだ」と述べておりました。
調べてみると、厳島神社と江島神社は共に『宗像の三女神』と呼ばれる女神様を祀っているとのことでした。
そこで、以前厳島神社を参拝した際に霊媒が感じた違和感の正体を突き止めて、その状態を解消するために何らかのお手伝いが出来るのではないかと考えました。
そこで霊媒が、江島神社にある三人の女神様を祀った三つの社殿の写真を見た時に、中津宮――こちらは市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)様が祀られているとのことですが、こちらの写真を見た時だけ、霊媒が違和感を感じたようです。
そこで最初は霊媒より、実際に参拝した感想を教えて頂けますか。
奥津宮
中津宮
辺津宮
霊媒M:
この中津宮自体は、写真で見た時のような違和感はなくて、神社らしいエネルギーに満ちている場所でした。
管理人:
ということは、写真を見た時は違和感があったのに、神社を参拝した時には全く違和感が感じられないとのことなのですが、どうしてこの様な事が起こっているのでしょうか。
江島神社の神様:
(霊媒と管理人が)実際に訪れた時に、何故違和感を感じなかったのかをご説明申し上げますと、私たちの思いを受け止めようとして下さる方々――私たちに願いを叶えてもらおう……ではなくて、私たちの思いを受け止めて、世間に伝えようとして下さる方々だから、その様な違和感は感じなかったということです。
管理人:
そうすると、願い事を願うことに、何か問題があるのでしょうか。
江島神社の神様:
願い事を願うのは構わないのですが、その内容が問題で、自分自身の欲望のためにお願いをするのは……宜しくないのですが……。
私たちにも役割があって、聞き届けられる願いとそうではないものがありますが、到底聞き届けられないものが当たり前に求められてしまう状況があって、そういった願いには行き場がなくて……人間の欲望というものは(霊的)エネルギーを不安定にしやすいのですね。
それで、行き場のないエネルギーがその場に止まってしまう。
きちんとそういったものを回収する神様も居られるのですが、その神様が回収するまでは、行き場のない多くの人の思いが止まる形になってしまうので、そうするとエネルギーが不安定になって、霊感の強い方には違和感として感じられるのだと思います。
管理人:
三つの社殿に別れていますけれども、この三つの社殿をまとめて『江島神社』となっていると思うので、人間の欲望などの思いが向けられるのは、どの社殿も変わらないと思うのですね。
それなのに、市寸島比賣命様の祀られている中津宮だけが、霊媒にとっては違和感が感じられるのかという部分で、今の説明ではよく分かりません。
そういう思いを向けられるのであれば、他の社殿についても霊媒が違和感を感じてもおかしくないと思うのですが、なぜ市寸島比賣命様の社殿だけが違和感を感じてしまうのでしょうか。
江島神社の神様:
中津宮だけが、特に、本来の御役目とは異なった願いが集中しやすい場所になってしまっている。
それは、人間の解釈の歪みから生じていると言うことなのですが、本来のものとは別の姿として思い描かれて、願いを込められている。
そういう状況になっているので、私としては、それは私自身の仕事ではないし、その願いを受け止めることが出来ないものなので、そこがやはり問題だと思います。
管理人:
「本来のものとは別の姿として思い描かれている」ということですけど、実は私たちも、今回江島神社を参拝する前に下調べを行っております。
かつて、神社とお寺が【神仏習合:wikipedia】といって、一つにまとめられて信仰される時代がありました。
その時に【本地垂迹説:wikipedia】と言いまして、「仏・菩薩が人々を救済するために、仮に日本の神の姿をとって現れる」という考え方が、影響力を持っていた時代がありました。
その中で、市寸島比賣命様が弁財天――弁天様と同一視されて、「市寸島比賣命様が弁天様の仮の姿だよ」という形で信仰されていたようです。
ですから、今のお話とも合わせて考えると、市寸島比賣命様が弁天様と同一視されてしまった点が問題なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
江島神社の神様:
やはりその影響は色濃く残っていて、後に分けられてはいるのですが、人間自体の認識として、別々のものであるにもかかわらず「こういう御利益がある神様だよ」という認識自体は改まらなかった――という影響は大きいと思います。
管理人:
元々、市寸島比賣命様と弁天様は全く別の存在であったのに、同一視されてしまったのが問題だというお話を伺ったのですが、それに付け加えて、江島神社や厳島神社も、三人の女神様をお祀りしております。
その中で弁財天信仰に関わってくるのが、市寸島比賣命様だけですので、本来は三人の女神様が協力して神としての務めを果たされていると思うのですが、そのうちの市寸島比賣命様だけが弁天様と同一視されてしまう。
別の存在と同一視してしまうと言うだけでなく、三人の女神様が協力して務めを果たしているのに、そのうちの市寸島比賣命様だけが特別視されてしまうと言うことで、二重の意味で人間の解釈に誤りがあると思うのですが。
江島神社の神様:
そうですね。
しかも、弁財天と同一視されてから長い時間、その状態で過ごしてきたので、人間自身の文化として根付いてしまった感覚は取り消せないので、結局そのままダラダラと続いてしまって、現在に至ると言うことだと思います。
管理人:
そうすると、江島神社とかお祀りしている神様だけの問題ではなくなってきているような気がするのですが、そもそも『神仏習合』という考え方自体が問題だと言うことですよね。
江島神社の神様:
元々別の存在――本来は別の存在であるにもかかわらず、人間の都合で同一視して、それで良しとしてしまった所は、やはり問題が大きかったと思います。
管理人:
その神仏習合の状態を、明治時代に分離したのですが、そこで一応修正はされたけれども、その間に人間の文化に溶け込んでしまった部分は修正しきれていないと言うことでしょうか。
江島神社の神様:
そうですね。
結局、見当違いというか、今でも的外れなお願いをされることは多いですね。
管理人:
そうするとですね、市寸島比賣命様だけではなくて、他の神様も神仏習合の時代には他の存在と同一視されてしまった場合があるようなのですが、私の知る限りでは、他の神様は市寸島比賣命様と同じような問題が起きているという話を聞いておりません。
何故、市寸島比賣命様だけが、極端にその様な影響が出てしまったのでしょうか。
霊媒M:
他の神様のことが分からないので、ちょっと受けられないですね。
管理人:
分かりました。
でも、その誤りを正さなければ、いつまでもその状態が続きますよね。
江島神社の神様:
基本的には、神は願いを叶える存在ではなくて、自分が努力をする中で、後押しをしたり下支えをする存在であると言う認識を持って下されば、今のようなことはなくなると思います。
他力本願なお願いが当たり前の様な感じだと、今の様な状況が続くのではないかと思います。
管理人:
今は市寸島比賣命様については、顕著な影響が出ていると言うことですが、他の神様についても、人間の接し方によっては同じ様な状況が起こりえると言うことでしょうか。
江島神社の神様:
そうですね、それは共通していると思います。
管理人:
それは私たちも気をつけなくてはなりませんし、『銀の紐』をご覧の皆様も、自分自身を振り返って頂いて、今後神様と接する際の心掛けの参考として頂ければと思います。
(2014年1月28日)
今回の記事は、以前厳島神社で霊媒Mが感じた違和感の正体を突き止める、言わば『真相編』という位置づけの内容となります。
実は、当初は厳島神社の神様とその地域の人々の間の問題が原因だと認識していたのですが、単に厳島神社の問題と言うだけでなく、『神仏習合』という歴史的経緯の中で、日本の神様である市寸島比賣命と、元々はヒンドゥー教の神であったサラスヴァティーが仏教に取り入れられたとされる弁財天が、別々の存在でありながら混同されてきたことが問題の本質であるようです。
ですから、江島神社や厳島神社の様に、全国にある『宗像三女神』を祀る神社や、弁財天信仰に関わるすべての場所で、同様の問題が起こっていると考えて良さそうです。
また、神仏習合の時代に、本地垂迹説によって仏や菩薩の仮の姿とされた日本の神様は他にも居りましたが、今回は他の神様が受けた神仏習合の影響については伺うことが出来ませんでした。
しかし、市寸島比賣命が神仏習合の影響を受けているのであれば、他の神様も何らかの影響を受けていると考えられますので、この点につきましては引き続き追跡調査を行いたいと考えております。
なお、記事の前半で取り上げた御神籤についてですが、前回投稿した記事【危機感を煽られた国民が、再度選択を誤る】と、内容的に重なる部分がありますので、『銀の紐』をご覧の皆様に向けて、重ねて注意を促す必要があると言うことなのではないでしょうか。
Silvercord管理人
上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。
2 件のコメント:
管理人様、更新が再開されて嬉しく思っている読者です。
感想なのですが、「弁財天」の「財」の漢字が影響してるのではと思います。
弁天様といえば芸事の神様、あとお社は湖や池、海岸にあって、水難から守って
下さる感じなのですが。
「銭洗い」とかは派生だったのが、メインになってしまったのではないかなと。
神仏習合の影響なのかわかりませんが、他に稲荷神社に違和感があります。
匿名様
【江島神社:公式サイト】によると、現在は『海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として仰がれる』のだそうですが、元々は『海運、漁業、交通の守護神として祀られ』ていたようです。
また、『江島神社』と同じ【宗像三女神】を御祭神とする福岡県の【宗像大社:公式サイト】によると、『また、ここ宗像の地は中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり』、また現在では『鉄道が敷かれるようになると鉄道関係の人々が、自動車交通が発達すると車を運転される人々が、安全運転を誓ってご参拝になられていました。 』と言うことなので、海運・交通の神という捉え方が正しいようです。
ですから、江島神社の神様が『幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神』とされたのは、神仏習合により弁財天と同一視されたために、人間の都合によって付け加えられてしまったのではないかと思います。
神様ご自身にとっては、本来の役割から外れた願い事を一方的に願われても対応できずに、神様と人間との意志疎通の不具合として現れてしまったのではないでしょうか。
また、稲荷神社についてはよく分かりませんが、以前霊媒と共に【伏見稲荷大社】を参拝した折には、人出が多かった影響もあって集中力を欠いていた点は割り引くとしても、特に異常を訴えては居りませんでした。
他の稲荷神社の事情については、実際に霊媒が訪ねれば、新たに何か分かることがあるのかも知れません。
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