■ 匿名様の質問
何かに向かって成長するために行動して、間違って、間違いに気づいて、見直して、行動してをずっと繰り返してるものだと思います。
この対象を現世のみで見ると正直者が馬鹿を見るだけで一生を終えてしまうこともあり、それなら欲望のまま生きたほうが得だと考える者もいます。
でも永遠に学び続けるの魂の一過程として人間としての生活を経験してるのだと考えると現世だけの価値観で欲望に走ると死後必ず後悔すると思うのです。
このように視点によって価値観が180度変わることを学ぶ事も学びの一つなのでしょうか。
前提が正しければ現世においても魂の視点で日常を過ごすことの方が正しい事だと思いますが、それは時として人間の慣習と相反する行動を伴う場合があり時として生命の危険に及ぶこともありそうなのですが(ナザレのイエスのように)そのあたりの解釈をどのようにすればいいのか、何か日常にヒントを得ることが出来るのでしょうか。
■ 『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の回答
先ず押さえておきたい事は、善であれ悪であれ、ご本人の欲望が具現化したものであるということです。
人それぞれに、関心の赴く先にある事柄に応じた事を実践しているだけなのです。
一般的に善行といわれる事を実践していたとしても、それも一つの欲望の形です。
世の中を観察する視野が広いために、自分の行動の結果が与える周囲への影響を予測できるだけの経験と知識を兼ね備えているだけに他なりません。
一方、悪行といわれる事を実践してしまっている人は、世の中を観察するための視野が狭く、自分自身の行動の結果が与える周囲への影響を予測できるだけの経験も知識も足りていないだけなのです。
例え同じものを観察したとしても、人それぞれに理解できる範囲には違いがあります。
より広い視野を持ちたければ、日常生活の中での経験を通して地道に知識を蓄積する他には方法がありません。
霊界でも地上界でも基礎となる法則は同じです。
私どもも経験から得た知識に基づいた視野で地上界を観察しているので、皆様と違う視点からも観察できるという事は、それだけ多くの経験を積んで知識を蓄えてきたという事になります。
正直者が馬鹿を見ると仰いますが、その正直者自身は本当に馬鹿を見ていると感じているのでしょうか?
イエスに関しては聖書を読んでいれば分かる事であると思うのですが、死後に復活した姿を人間に示す事もなすべき作業の一つであったので、そのことに関して馬鹿を見たとはお考えになってはおられません。
ご自身の成すべき事を全うされ、立派にお役目を果たしたのですから、馬鹿を見たと評するような要素は何も無いのです。
正直ものは馬鹿を見るというのは、あくまでも周囲の人間が自分自身の考えに基づいてその様に評しているだけであるのです。
本人が感じていることと、周囲の人間が感じている事が必ず一致しているというわけでは無いのです。
正直者は馬鹿を見ると考えるという事は、その人自身の経験が乏しく知識も浅いため、その行動の先にある事柄を予測してみることができないだけの話です。
その様に考える人は、例え死後に霊界へ来たとしても、急に視野が開ける事はありません。
何しろ、それだけの経験も知識もまだ無いのですから、180度価値観が変わってしまうなどということはありえません。
環境が変わることは確かに学びに影響を与えますが、その環境から学び取るのか否かはご本人の考え次第なのです。
どんなに環境が整っていて周囲に促されたとしても、関心のない事柄に関しては心を閉ざしてしまいますので、そこから学び取る事は至難の業なのです。
人がそれぞれに持つ価値観は、あくまでもご本人の経験に基づいた知識を基準にしておりますから、霊になれば価値観が変わると考えるのは間違いです。
地上界にいる間は確かに制約が多く、霊にとっては必ずしも居心地の良い場所ではありませんが、いくら制約が多くても霊として持つ知識を全く認識できないわけではありません。
元々持っている知識であれば、例え肉体に宿る過程で忘れてしまったとしても、経験を通じですぐに思い出すことができます。
学ぶ速度が早い人は、元々知識として持っていたものを改めて再確認しているだけなので理解が早いのです。
一方、一から学んでいる人は同じ事でも学ぶ速度が遅くなります。
一度経験しただけでは理解できない事の方が多いからです。
自分を省みず周囲も顧みない人生を送る人は、それだけ経験が乏しく知識が浅いということなので、痛い目を見て後悔してみるまでは学ぶことができません。
又聞きしただけの単なる知識を、実践を通じて確信へと昇華させる作業を経なければ、確かに学んだとはいえないのです。
学べなければ以前と同じ選択を繰り返してしまいますから、学べるまで何度でも同じ経験をする事になるでしょう。
霊的な視点から観察したとしても、前提の正しい事柄が地上界の慣習と相反するという事はありません。
それは、人間の思い込みに他なりません。
上手な利用法を知らないために相反していると感じ取れるだけです。
全く無意味な必要の無い概念を維持し続けるほど、私どもは暇ではありません。
それらの慣習もすべて学びの要素として必要であればこそ、その状況が維持されているのです。
やっとひらがなを覚えた人に漢字で書かれた文章が理解できないのと同じ様に、何事も学ぶためには段階が必要なのです。
一つひとつ課題をクリアしていく過程でいかに学び取るのかが重要なのであり、一足飛びに何でも事が成せるわけではありません。
どのような物事でも、地道に実績を上げる努力が重要なのです。
一見相反すると思われるものが、実は学びのために大変重要な役目を果たしているものなのです。
相反すると思われるという事はそれだけ経験が乏しいということであり、相反しているわけでは無い事を学び取るために、皆様は今まさに経験を通して学んでいるのです。
どんなに前提が正しくても理解が足りないために方法が間違っているという場合は間々ありますので、それらの事柄が上手く運ばなくてもそれは何も不思議なことではありません。
どのような物事でもバランスを保つ事は大変重要であり、偏りは破壊の原因となります。
例え善といわれる事でも同じです。
薬は皆様の病を癒すことが出来ますが、過ぎれば毒にもなり命にかかわります。
善行でも過ぎれば堕落と破壊の原因となり、その行為は悪行と何ら変わりありません。
周囲への影響をよく考えずに思い込みで実践すると、例え善いと思える事柄でも誤った方向へと進んでしまいますので、ご自分の行動を省み、周囲への影響を確認する時間を設けるのはとても重要な事なのです。
イエスは特殊な使命を持って地上界に生まれてきましたので、一般的な学びを得るために生まれてきた皆様と同じ規準で比べる事は出来ません。
地上界に生まれた時点で積み重ねてきた経験も持ち合わせている知識も、イエスと皆様は比べられるものではありません。
ご自身の行動の先にある死を知りながらもイエスが成すべき事を実践し続けたのは、ご自身の行動が周囲へ与える様々な影響をきちんと理解しておられたからです。
当然、命とはどのようなものであるのかも充分に理解しておられましたから、徒に命を懸けたわけではありません。
これは皆様の学びの経験とは異なる目的のために実践されたものなので、イエスの事例を基準に考えてはなりません。
イエスの姿はあくまでも皆様が将来的に行きつく姿であり、今すぐに実践できるものではありません。
無理に背伸びをする必要はないのですから、今はご自身の日常生活を大切にして、その経験からより多くの学びを得られるように努力しましょう。
(2011年6月22日)
『ナザレのイエス』については、記事【ナザレのイエスとキリスト教会】や、『銀の紐を越えて』掲載の記事【複数の霊能力を発揮する霊能者は現代には存在しない(メッセージ85)】でも取り上げておりますので、合わせてご覧下さい。
【Silvercord】管理人
6月22日現在回答待ちの質問
記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。
- 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について
- 記事【日本は法治国家である】のコメント欄からお寄せ頂いたたらこ様の質問「三島由紀夫氏が死後霊界でどの様に過ごしたのか」について
- 記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】のコメント欄からお寄せ頂いたあやめ様の質問「霊的な視点から見た『東北地方太平洋沖地震』発生の理由」について
- 記事【パニックによる人災を防ごう】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問「『東北地方太平洋沖地震』による、記事【『国境を管理する霊団』からの警告】への影響」について
- 記事【日本は米国の属国か?】のコメント欄からお寄せ頂いたあやめ様の質問「『関帝廟』に祀られている『關聖帝君』は日中関係をどう見るか」について
33 件のコメント:
今回のテーマの質問者です。他の方の数多くの質問を抱えながらも迅速に回答頂きありがとうございます。
正直者が馬鹿を見るの下りについて詳しくお話頂きありがとうございます。私自身も何となく霊団の皆さまのおっしゃることと同じような事を感じておりますが、物質のみに価値観を縛られている人達(私自身も過去そのような考えを持っていた時期があったと思います。)はどうしてもその様な見方になるのではないのかなと考えたのです。引き合いにイエスを出すのは例えとして不適であったとの事ですが彼の行いはそれこそ人類の何割という単位で影響を及ぼされました。では神を信じない人、間違った神を崇める人たちに対してどこまで個人で干渉する事が許されるのかが気になったのです。自分が成長する為に大切にしたい仲間と一緒に成長した方が効率的で楽しいだろうと思うからです。
そして善悪についてですが、一人ひとりが成長しようと努力する過程において起きる過ちに対しては神様も寛容にチャンスを与えて続けて下さると解釈しても良いということでしょうか。
別の言い方をすると大いなる流れに背こうと変な努力しない限り、神様の方を向いている事になるのでその間に起こす過ちとはいわゆる罪悪とは異質の物で失敗こそが次の成長の過程における大切なリソースになるということでしょうか。
そう考えると何かアクションを起こし小さな親切余計なお世話という結果を得た場合もさじ加減を学ぶ為の経験であり失敗を恐れる事は無いと受け取れるような気がします。
何を以て神様と向かい合った生き方なのかを説明できない自分の不徳を救うべくこちらのサイトを通じても学んでいきたいと思いますのでこれからも宜しくお願いします。
神様、今の私達の社会は、行き過ぎた拝金主義、物欲主義になってしまいました。原発も政治腐敗も私達の心の「欲」が
生んでしまったのかもしれません。
でも、この流れを変えるには「何か大きな変化」が無いと
きっと人類は変われないような気がします。
もしかして、今後私達の生活や価値観が大きく変わるような、
たとえば災害や経済の変化が起こるような気がしてなりません。
これからどのような事が起ころうと、
「今苦しんでいる人の苦労は報われて、ちゃんと悪事を
働いている人は罰せられる」
そう思って宜しいでしょうか?
今、日本は領土問題では中、韓、露などに攻め立てられ
非常に厳しい状態です。
しかも、今の政権やメディアも国民ではなく
他国の「何かに操作されてる」ような方達です。
とても、苦しい情態です、
何か打破するためのアドバイスが欲しいです。
質問者様
管理人から一言申し上げます。
神を信じるも信じないもその方の自由ですし、どの様な神を信じても構わないと思います。
そもそも、私たちが日常生活を送る中で、日々経験する様々な出来事や、身の回りで繰り広げられる光景を注意深く観察していれば、私たちの世界に遍く作用している法則性を見極めることが出来ますし、神の姿を垣間見る事も出来るでしょう。
根拠もなく信じるのではなく、自分自身の経験に基づいて、どの様な神が存在していて、この世界でどの様な役割を担っており、そして私たちに対してどの様に働きかけているのか――などについて、徐々に理解を深めて確信を伴って行くでしょう。
こればかりは実際に経験してみなくては、余りピンとはこないかも知れません。
そして、自身の理解が追いついていないのに無理に思い込んだり、もしくは理解の足りていない相手に強いても得るものはありません。
それから、神様がチャンスを与えるのではなく、私たちの考えと行動がチャンスを招き寄せるのです。
そして過ちや失敗は理解の不足から生じるのであって、裏を返すと過ちや失敗こそが大きな成長のきっかけとなるのです。
過ちや失敗に失望して諦めてしまうのか、それとも過ちを克服して失敗を乗り越えるのか、その時の対応によって後に大きな影響を及ぼします。
6月23日22:05投稿の匿名様
管理人の意見として申し上げます。
まさに「苦しい時に何をするのか」によって、その後の状況は大きく変化して参ります。
そして、「今苦しんでいる方の努力の成果を結実させるのは誰であり、どの様な方法であるのか」について、この際考えてみてはいかがでしょうか。
同様に「悪事を働いている人を咎めて罰するのは誰なのか」についても考えてみましょう。
「きっといつかは誰かがやってくれる」と思って苦しみに耐えているだけでは、なかなか思うように変化しては行かないかも知れません。
やはり、その点に気がつかれた方が率先して動くことによって、より早く、より大きな変化が生まれるきっかけとなります。
日本の領土問題は、そもそも日本が長年に亘って領土を蔑ろにしてきた当然の結果が、今になって表面化しているだけの話であって、元々は日本の対応の拙さの問題です。
現政権は先の総選挙で国民から選出されたのですから、選択を誤った国民が二度と同じ過ちを繰り返さない様心掛けなくては、今後も何度となく同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。
しかし東日本大震災以降、復興を滞らせても権力には固執する首相の姿をみて、政治を蔑ろにするとどの様な影響が国民生活に及ぶのかを、今まさに経験を伴って実感しております。
日本国内のマスメディアについても同様に、東日本大震災以降の、特に原発関連の報道を巡って、不信の目を向ける方が増加しているように思います。
匿名様は苦しいと仰いますが、事ここに至るまで問題を放置していた為に拗れてしまったのです。
この状態を打破するには、日本国民の一人一人が我がこととして問題を直視し、解決の為に行動を起こすより他にありません。
管理人様からもアドバイス頂きありがとうございます。
民主党政権誕生時(正確には安部内閣発足時ごろ)より自分で考えて行動する事の大切さと楽しさを確信するに至りました。こちらのサイトも色んな事を考える為のヒントとして大変役立っています。苦しい環境に置かれないと自ら動き出せない気の弱い自分から正しいと思った事を進んで行える自分になれるよう頑張ります。
今回の3.11地震は人工地震という説があり、私もその説は可能性はなくもないと思っています。アメリカとロシアが過去に互いの国を地震兵器で攻撃しないという条約を結んでいて、公文書として残っています。昔の朝日新聞等にも人工地震に関して記事があります。米国が日本を攻撃した理由が財政問題というですが、今回の地震を自然地震か人工地震か考察することは意味のないことでしょうか?
米国(CIA)はこれまで世界各国で悪さをしています。
都合の悪い歴史は教科書にも載らないのは日常茶飯事です。管理人様はどのように考えますか?
また、無くなった英霊の方もこの世の全てを死後把握できるというわけではないのですか?
A様
ご希望により、管理人の意見を申し上げます。
以前にも何度か同様の趣旨のコメントを投稿された方が居りますが、そもそも、『東日本大震災は人工地震であると言う説』の出所は何処なのでしょうか。
そして、仮に人工地震なのでしたら、それを証明する何らかの物理的根拠が存在するのでは無いかと思いますが、A様はご自身でその根拠を確認されましたか。
「アメリカとロシアが過去に互いの国を地震兵器で攻撃しないという条約」を結んでいたのかどうかは分かりませんが、仮にその様な条約が結ばれていたとすると、米国とロシアが双方共に『相手が人工地震を発生させる技術を実用化させている』と認識していたことになります。
また、『米国が日本を攻撃した』のであり、その理由が『財政問題』とのことですが、少なくと私が確認した限りでは、米国は『友達作戦』と名付けた大規模な災害救助活動を実施しており、それは日本への攻撃とは相容れない行動です。
もし仮に『本当は米国が日本を地震兵器で攻撃したのであり、その結果米国の財政問題が解決する』という論理的整合性のとれた説明が可能であれば、是非物理的根拠を添えてご披露頂ければと思います。
都合の悪い歴史は教科書には載らないかも知れませんが、何らかの形で後世には伝わります。
そうでなくては、A様が「米国(CIA)はこれまで世界各国で悪さをしている」とは知りようもないでしょう。
それとも、何の根拠もなく「米国(CIA)はこれまで世界各国で悪さをしている」と主張されているのでしょうか。
以上をまとめますと、今回の地震を自然現象か人工地震かを考察されるのはご自由ですが、その前にこの様な説の発信源と、発信者の意図を確認された方が良いと思います。
また、霊界の住人の皆様が、死後にこの世の様々な物事を理解する際には、記事【ヒトラー霊との対話(その3)】にて『アドルフ・ヒトラー』と名乗る霊が述べている方法を使うと思います。
なお、仮に霊界の住人が私たち人間の知りようもない真実を知っていたとしても、何事もペラペラと喋ってしまう訳ではありません。
人間の理解の範疇を超えていれば伝えようがありませんし、何らかの意図や目的があって伝える場合、伝えない場合があります。
そして、これまでの霊界の住人の反応を見る限り、人工地震に付いての話は優先順位が低く、もっと優先させなくてはいけない問題が沢山あるのだから、そういった重要な問題を率先して取り組んだ方が良いという見解なのだと理解しております。
3.11地震で日本で世界スケート選手権が開催できなくなり、ロシアに開催地が変更になりました。
ロシアの開会セレモニーのリンク上に人工地震の波形が映し出されました。あまりにふさわしくない演出です。
プーチン首相も人工地震と認識しているという意思表示のように思えるのですが、管理人さんはこの演出不自然とは思いませんか?ちなみに自然地震はP波とS波が交互に来るのに対して人工地震はいきなりP波だけが来てS波はほとんどありません。
A様
その開会セレモニーの様子は知りませんが、コメントの通りであったとすると、余り趣味の良い演出とは言えません。
ただ、何故それが人工地震と関係するのでしょうか。
プーチン首相が人工地震に関するコメントを出したのでしょうか。
申し訳ございませんが、その話と人工地震の関係がよく分かりません。
仁~JIN~と言うドラマを見ていて、「夜明け前が一番暗い」というセリフに、今は幕末に近いのかなって思いました。
でも、無力な自分には一体なにが出来るのだろうか?
そんな事を考えてしまいました。
役に立てているのか、分かりませんが、「一日生きている
事をありがとうと感謝するようにする」これを自分の
「使命」にして、寝る前や、神社、お寺で参拝する際、
祈るようにしています。
これをやり始めてからなんですが、なんとなく
自然の動き、風、虫、雲や、聞く音楽、見るドラマ、映画
に「これって神様からのメッセージがあるのかな?」
なんて、思う事が増えました。
仮に、人工地震でも、もしかしたらそれすら、
「神様の計画」の中に入っている物なのかもしれません。
アメリカの竜巻被害の様子を見て、まるで日本の東北の
被災地を見ているようでした。
アメリカでも、原発が洪水被害にあい、危険な状態かもしれないとも聞きます。
きちんと、「因果応報」は来るのかもしれません。
今、韓国や中国などがやっている、日本に対する
「解体工作活動」も、自分達の災いになる日が来るのでは
ないのでしょうか?
ただ、私たちの反省点として、もっと政治に関心をもち
メディアのあり方、経済社会のあり方にも、
「責任を持って、介入する」事を積極的にやっていれば、
こんな事にもならなかったのかもしれません。
そこは、私自身の反省点だと思います。
一人一人が「もっと日本を良い国にしたい」と思えば
きっと、今の苦境も乗り越えると信じてます。
6月28日21:59投稿の匿名様
「人工地震が神様の計画」などと言ってしまうと、神様が人工地震の発生を支援している様にも受け取られかねませんが、当Blogに掲載の記事をご覧頂ければ、決してその様なことはないとお分かりただけることと思います。
また、日本に対する「解体工作活動」なるものが実際に行われているとしたら、恐らく首謀者は一部の日本国民であり、その他多くの依存体質かつ他人任せで文句だけは言う大衆が消極的協力者であると述べて良いでしょう。
周辺国の干渉を受けても、国内の体制が盤石であり、国民が安全保障の重要性をきちんと理解して警戒を怠らなければ、外部からの干渉だけではそう簡単に揺さぶられることはありません。
しかし、国内に海外の勢力と通じている者がおり、根拠の曖昧な風聞を吹聴して国内対立を誘導し、それを鵜呑みにした文句だけの国民が互いに誹謗中傷の応酬に明け暮れてしまえば、国を運営する方針がまとまらずに、あらゆる物事が停滞します。
この様にして国内の結束が乱れてしまうと、元々はどの様な大国であっても呆気なく衰退してしまうのです。
そして、この様な事態への対処法は『国民一人一人の自覚と行動』しかありません。
管理人様 今日は。
以前『年明けと共に日本の夜が明ける』と伺っており、心待ちにしておりました。
動きが霊界がらみの事であるなら、目には見えなくても少しずつは動いているのでしょうか?
6月23日22:05投稿の方へのご返答についてですが、領土問題にしろマスコミの問題にしろ、日本人の対応だけがこの様な問題を生んだとは思えません。その時代の日本人のおかれた立場もありますね。
多くの日本人にとって、目や耳をふさがれた状況で何が出来たとも思えません。
そして現在、私には心あるたくさんの方が、立ち上がっているように見えます。けれどもそれを潰す様な工作もなされて、胸がつぶれる様な不安と戦っています。
日本はいくらでも世界のために働けます。日本人はいくらでも世界中の人々に優しく出来ます。日本と日本人を貶める国意外とは。
私は、因果応報を信じています。だから思います。
中国、韓国、そして国内の売国奴に因果が巡ることを。
もういい加減、日本人にだけ自覚と行動を求めるのは止めてほしい、明るい未来が見える言葉が欲しいです。
NK様
領土問題にしろ、マスメディアの問題にしろ、現状が維持されては日本にとって非常に都合が悪いと考えております。
一方、日本への干渉を図る周辺国の中には、日本の現状に付け入る隙を見て、自国に都合よく利用しようと画策している国もあるでしょう。
ですから、現在の日本が抱えるそれらの問題を、日本にとって都合の良い方向に解決するためには、日本国民が率先して解決に当たる必要があります。
日本と周辺国では異なる利害を抱えておりますから、日本国民が率先して動かなくては、日本にとって好ましい状況に変化する筈がありません。
にもかかわらず、実際には周辺国に与して日本に損害をもたらそうと画策する一部の日本国民がおり、それらの行動を黙認する者や、「我関せず」と見て見ぬふりを決め込む者が更に多数存在するからこそ、日本国内で日本にとって問題となるような周辺国からの干渉が野放しにされているのです。
NK様は、それらの状況を日本に取って好ましい方向へ改善したいとは考えておられないでしょうか。
もし考えておられるのでしたら、なぜ「もういい加減、日本人にだけ自覚と行動を求めるのは止めてほしい」という言葉が出て来るのか、私には理解できません。
私たちの未来を切り開くのは、私たち自身の建設的な考えと行動であって、周辺国の意向は関係ありません。
かつて、敗戦の末に数々の瓦礫の山に覆われてしまった国土を、ほんの半世紀も経たないうちに世界第二位の経済大国に築き上げた国民の底力を、もう少し信用しても宜しいのではないでしょうか。
また、因果律とは信じる信じないではなく、実際に私たちの日常生活を通じて確認できる法則であり、その仕組みについての理解を深めて、実際に生活の中で実践・活用して行く知恵です。
自ら率先して活用してこそ、活きてくるのです。
なお、記事【年明けと共に日本の夜が明ける】には、確かに『年明けと共に日本の夜が明ける』とありますが、同時に「夜が明けても、明けてすぐの頃はまだ薄暗いし、長い冬がやっと開けるという事を考えると、まだ寒さの影響も残っていますので、来年、年が明けたからすぐに状況が一変する訳ではない」とも述べております。
管理人様 ご返事有難うございます。
『それらの状況を日本に取って好ましい方向へ改善したいとは考えておられないでしょうか。』
心からそれを願っております。
『かつて、敗戦の末に数々の瓦礫の山に覆われてしまった国土を、ほんの半世紀も経たないうちに世界第二位の経済大国に築き上げた国民の底力を、もう少し信用しても宜しいのではないでしょうか。』
この様な言葉をいただけることを望んでいます。
以前霊界の方から、『日本は大丈夫、日本人は大丈夫ですよ。』との言葉を頂き、うれしくて涙があふれ、頑張らなくてはと思いました。人間一人ひとりはとても弱いものです。少しの成果も見えなければ、心が折れてしまいます。
もし霊界の方々がそのお立場から見えていることがあり、伝えても良いと思われることがあるなら、それが次の行動につながることなら、ぜひ教えていただきたいと思います。
『私たちの未来を切り開くのは、私たち自身の建設的な考えと行動であって、周辺国の意向は関係ありません。』
そうなのかも知れませんが、彼らが諸外国に撒き散らす悪意ある捏造は彼ら自身の問題でも有りませんか?少なくとも私自身は軽蔑しますし決して好意はもてません。
彼ら自身へのぺナルティは問われないのでしょうか?
『年明けと共に日本の夜が明ける』黎明ですね、待ち遠しいです。
因果律、間違った思い込みをしているようです。もっと考えて見ます。
本当にもっと心を強く持てたら良いのにと思います。
私たち日本人が、自国をどのように思っているのか、この先どうしたいか、そのために何をするかを、一人一人がそれぞれの立場でしっかりと考え、日常から一つ一つ遂行する、少なくとも遂行しようという意思を持ち努力することで、祖神(ここでの、日本を担当されている神様や霊的な存在にあたるのでしょう)からのサポートが活かせるようになり、それは何よりもこの国の土地や命にとっての力となるのではないでしょうか。その相互の力が働くのであれば、他からの歪んだ力などにどうこうされるようなものではないと思います。
自覚と自信を持ち、等身大の自分の成せることを一つ一つやっていきます。
いつも更新楽しみにしております。
私もNK様と同じようなこと考えておりました。
>『かつて、敗戦の末に数々の瓦礫の山に覆われてしまった国土を、ほんの半世紀も経たないうちに世界第二位の経済大国に築き上げた国民の底力を、もう少し信用しても宜しいのではないでしょうか。』
そうしたいです。私ももっと気持ちが強くあればと思います。
・・・・・なのですが、その当時の日本人と、現在の日本人の資質は同じなのかな?という思いが起きてきてしまうのですが、霊界の皆様や、管理人様はどのようにお考えでしょうか?
2009年の衆院選の時も、TVなどの情報をうのみにして、自分の都合がいいようにものを考え、民主を支持した人間が沢山いました。
冷静にものを見ることができれば、報道がどちらかに肩入れしている状態自体がまともではないと理解できたと思います。
また、有効な代替え案も出さず、相手方の意見に反対し、人格攻撃までする、実現不可能な理想論ばかり語る人間達に政権担当能力などあるはずがないと思えるのではないかと思うのですが、彼らは「今のままじゃ駄目だから。」「自民は何もやらなかったから。」程度の感情論で民主に投票し、自らの子孫につけを回す事を選択したように思えました。
実際、そういった人たちに「ねじれ国会になったのをいい事に日本人にとってメリットのある法案をいくつもつぶしたのは民主党。」「自民党が緊急経済対策の法案を通そうとして、民主に打診したら、審議拒否を繰り返した揚句、法案成立と引き換えに衆院解散を要求した。」みたいな事をちょっと言ったら「そんなの知らない!TVじゃ何も言わなかった。」なんて平気で言われましたしね。
しかも、言ったの50歳代以上の人達です。
家庭とお子さんが大事と常日頃言っているのにいったい何を考えてるのかと思いました。メディアだって一企業、自分たちにとって都合の悪い情報など出さないとは思わないのかと。
それに、この程度の突っ込みで「自民は何もやらない。」なんて断言したのは一体何なのでしょう?
基本的に、思い込みと現実の区別ができないとしか思えませんでした。
・・・・個人的なことをいろいろ申し述べて申し訳ありません。
たとえば、子供手当やら高等学校授業料無料化やらは、耳触りのいい言葉ですが、実現可能ならもっと早くできたように私には思えますし、政権政党は実現不可能な事を言いにくいのに対し、与党は「政権をとればこっちのもの」と考え、理想論でも平気で語れるのではないかとも思いました。
そもそも、自分の子供を育てるのにそこまで行政に負担してもらうのが当たり前という発想自体理解できませんが、それを喜び望む人が多かったから民主が衆院で300以上の議席を獲得するようになった部分もあると思うのです。
しかし、こういう人が少なくとも衆院選の時には多数派を占め、現在も民主政権が続くところをみると、彼らが自らの行動を後悔しているかどうかはかなり疑問に思えるのですが、それでも、かつての敗戦直後の先人たちのような底力は存在するものなのでしょうか?
彼らは中韓の人間ほど卑怯ではなかったでしょうが、今の日本人より賢くて強く勤勉だったのではないでしょうか?卑怯さでは足元にも及ばず、考える力も生きる力も失ってるように見える現在の日本人では、近いうちに日本が中韓に飲み込まれるのではないのかと不安で仕方がないことがあるのですが。
正直、彼らにいろいろ語る事さえ疲れを覚えてきています。
長文失礼いたしました。
NK様
「人間一人ひとりはとても弱いものです」と仰いますが、諸外国から日本に干渉するのも人間であり、国内にいて周辺国と通じているのもまた人間です。
共に同じ時代を生きているのですから、多少の個人差はあるにせよ、一方が極端に強かったり、また極端に弱い訳ではありません。
自分自身が具える資質と能力を適切に見極められず、また相手の資質と能力を適切に見極められない為に、実態以上に過剰なまでに怯えてしまっているだけなのです。
私は幸いにも、自分自身のこれまでの経験を通じて、私たち日本国民が宿す潜在能力の一端に気付きましたので、せっかく具えている資質と能力を徒に浪費し、また怠惰な依存心に囚われている為に言い訳を述べているに過ぎない――その様に感じます。
記事【年明けと共に日本の夜が明ける】を再度じっくりとご覧下さい。
また、記事【今の日本はあらゆる可能性を試してはいない】や、記事【日本人の潜在能力】などを改めてご覧下さい。
私がここで述べているのは、以前投稿したこれらの記事の概要の繰り返しに過ぎません。
自ら動かなくても良い言い訳探しに明け暮れるのではなく、少しでも問題を解決に近づける方法を模索し、実行に移しましょう。
どの様な問題に立ち向かうにせよ、立ち所に解決に導ける魔法のような解決策など、そう簡単に見つかるものではありません。
しかし、少しでも効果があると思われる対策を粘り強く続けることによって、ほんの少しずつでも着実に解決へと近づいて行くのです。
baseheat様
ご意見の通りであると思います。
ただ、自身の経験を通じてでなくては得心のいかない部分もあると思いますので、そればかりは言葉で説明するのは難しいと日々感じております。
日本鬼子様
記事【私たちは皆さんと同じ】では、英霊の皆様は「現代を生きる私たちと何も変わりません」と述べております。
また、戦後の復興期に尽力された方にしても、現代と同様に個人差があると思いますので、端的に「資質が同じ」とか「違う」とは断定できません。
ただ、当時と今とでは、人々の関心の対象が異なっているとは言えると思います。
さて、先の総選挙における日本国民の選択について、今になって後悔されている方もかなりおられるのではないかと思います。
ご意見にあるように、物事を冷静に観察することが出来ていれば、総選挙後の成り行きも現在とは異なった状況になっていたでしょう。
実際に、総選挙前にも現在の有様を予見した警告を発する方が居られましたし、そうした警告の根拠となる情報源を確認していれば予測可能な事態でした。
そして、予め警告を発して居られた方にとっては、(震災は想定外だとしても)ほぼ予想通りの事態が今目の前に繰り広げられております。
つまり、冷静に物事を観察されていた方にとっては自明の結果であっても、実際に経験してみなくては気付かなかった方が多数居り、またこれ程明白な経験を伴ってもなおかつ、気付かない方が多数居られました。
人それぞれにこれまでの経験に違いがあり、また同じ経験から得られる理解の程度にも個人差がありますので、この様な結果になるのは仕方のないことです。
但し、適切な対策を取らない限り事態は好転しませんので、時間の経過と共にやがては問題から目を背けることが出来なくなります。
今は問題意識を共有する方がかなり増えておりますが、まだ事態を好転するには至っておりません。
現状に問題意識を持つ者の一人としては、あと一押しの段階にあると見ております。
また、人によって理解の程度に個人差があると述べましたが、だからこそ言葉で伝えようとしてもご理解頂けない方もおります。
その様な方は、実際に自分自身が不都合な状態に置かれて、苦労を積み重ねる事によって自身の過ちを知るよりないのです。
そういった「物分かりの悪い方」に拘って、自分自身も共に苦境に引きずり込まれるのは得策とは言えません。
彼らが問題から目を背けている間はやんわりと注意を促すに留めておいて、自身の過ちに気付いて問題に直視してから、問題の解決に共に取り組むのが良いのではないでしょうか。
管理人様
『せっかく具えている資質と能力を徒に浪費し、また怠惰な依存心に囚われている為に言い訳を述べているに過ぎない。』
『自ら動かなくても良い言い訳探しに明け暮れるのではなく、』
随分な仰りようだと思いますが、なかなか進展しない事態に心が折れていて、泣き言を書いてしまったのは事実ですので失礼いたしました。
因果について少しお聞きしたいことがあります。
たとえば、国民が間違った選択で国が戦争をし、まだ産まれて間もない
幼児が戦争で焼け死んだとしてその幼児個人は因果が巡ったことになりますか?
もっと言うなら、原爆の落ちた広島長崎の子供達や今苦しんでいる福島の子達は何か因果が巡ったことになるのでしょうか?
7月6日20:30投稿の匿名様
霊界の住人に訪ねてみましたが、先に匿名様のご意見を伺いたいとのことでしたので、改めてご意見の投稿をお願い致します。
なお、管理人の個人的な意見を申し上げますが、因果の『因』がどの様な出来事で、『果』がどの様な出来事に当たるのかは、その場の状況や人それぞれに抱える事情にもよります。
また、ある出来事の結果はその後に続く出来事の原因でもありますので、特定の出来事を「原因」や「結果」として恣意的に切り分けてしまうと、却って物事の全体像を見誤る場合もあります。
コメントで示されたケースについては、そこに至る出来事の結果であると共に、今後生じる出来事の原因であると思います。
実際に生まれて間もなく命を落とすかのどうかはともかく、その様な生命の危機に曝されやすい時期に、危険と隣り合わせの場所に生まれ落ちるのは、生誕前の何らかの因果によるのかも知れません。
しかし、例えどの様な人生であったとしても、その経験を通じて何らかの学びを得ている筈であり、その経験はその後に活かされます。
大切なのは、「今厳しい状況にあるのは過去の因果が巡っているのではないか」と憂えて諦めるのではなく、「これから事態を好転させるには何をしたら良いのか」を考え、実行に移すことです。
管理人様
ご意見ありがとうございます。
生誕前でも因果が清算されていない場合があるのですか?世に言う「前世の行いが悪かったから」という事でしょうか。
もちろん、大切なのはあきらめずに未来を好転させるために考える事とは
思っております。ですが去年は中国との領土の対立、今年に入り火山噴火や東日本大震災、原発事故と続き、農作物や海産物や水が汚染され子供達も内部被爆し、これは日本のどのような因果によるものなのかと考え込むようになっています。もっと強く言えば石原さんの発言の「天罰」は必ずしも暴言だったと言えないのではないか?私は、因果とは天罰と同じ意味と思っております。(天が定めた、罰をきちんと受けるルール?)
度重なる出来事に心が弱くなっているのかもしれません。
7月8日0:05投稿の匿名様
7月7日19:47投稿のコメントを受けて、何故「天罰」などと言う話になるのか、私には理解できません。
「前世の行いが悪かった」という場合もあるでしょうが、そうでない場合もあるでしょう。
過去がどちらであったにせよ、既に過ぎ去ってしまった物事を後悔しても、何も得るものはありません。
しかし、未来は現在の選択と行動によって幾らでも変えようがあるのです。
何故過ぎ去った時を嘆いてばかりで、より良き未来を作ろうと立ち上がらないのでしょうか。
その様な後ろ向きの考え方をされる方が多くを占めているからこそ今現在があるのだと自覚して、考えと行動を改めない限り、現状の改善はありません。
言葉による助言に耳を傾けることが出来なければ、自ら過酷な経験を通じて気付くよりありません。
「心が弱い」と言えば免責される訳ではないのです。
民主が次々と大罪を犯して、怒ったり日本の将来を心配されるご意見が多いですが、お気持ちは痛いほど分かります。
私も怒る一人ですが、しかし何故このような愚かな者どもが政治の中枢にいるのか、今こそ考えねばならないと思います。
日本はあまりにも恵まれすぎて、国民に危機意識がまるで育たなかったのが戦後最大の過ちだったのでは、と私は思っています。
危機は何度もありましたが、それは台風のように「伏せていれば、やがて去るもの」という意識がどこかにあったのでは、と感じています。
口先では景気が悪いだの収入が~だのと言いながら、必死に国を良くしようと戦う政治家たちを消耗品にして蹴落として嘲笑い、マスコミの言うまま民主なんかに投票する有権者が過半数いたほど、危機感もなければ想像力もないのだから仕方ありません。
本当に危機に襲われたら、マスコミが何を言おうが情報を自力で集めて最善の道を選びます。それをしなかったということは、それだけ恵まれているのでしょう。
付き合わされる側も、もう少し良いアプローチの仕方があったのではないかと今さらながら痛感しています。少し前までは、ただ敵視し馬鹿にしていただけでしたが、それじゃ何の進展もない・・・ということが漸く実感できました。
今の状況なら、全員は無理でも過半数は耳を傾けるのではないでしょうか。誰も苦しんだり死にたくないでしょうから。
代価はあまりにも大きすぎましたが、嘆いている暇もないほど激変する時代が目の前に迫っているのを感じます。
たとえ民主を葬った後でも、日本の道のりは楽しくなければ気楽でもないでしょう。近い将来起こると言われている中国分裂で、危機が長期間襲い続けるからです。
その危機と戦い続けた政治家は、もうこの世にいません。
自分たちで戦わないといけないのです、かなりシビアですが、それがノリや道楽で政治を弄んだ代価です。
しかし、その戦いの中で誇りと魂を取り戻していくのではないかと思っています。
日本の場合は安定していないと世界的に悪影響があったようですが、過ぎた平和は国民が考えることを辞めて堕落してしまうと思いました。
バチカンの拠点も開くという話ですので、もう日本が過度に甘やかされることもないのでしょう。良くも悪くも、ようやく普通の国になれるのかもしれません。
そう思っているので、最近はむしろ「民主党には任期満了までやらせるのもアリかもしれない」とすら思えてしまいます。
横から長文で失礼しました。
こんにちは。
先の選挙で民主党に入れてしまった人は、「アメ」に釣られて、その背後にある「ムチ」にまで考えが及ばなかったのでしょうね。
例えば、『高速道路無料化』なんて分かりやすいと思います。
これを実行したら、その分の財源はどこから確保してくるのか?
(まぁ、これも実現不可能に終わってますがw)
はつゆき様
最近の世の中の動向を見ていると、「このまま現政権に主導権を握られていては不味い」と感じておられる方はかなり増えている様に思います。
既に先の総選挙前からこれらの可能性を想定し、警告を発信する方も居られましたが、それから二年の時を経て、ようやくその様な認識を共有できる下地が整いつつあります。
そこで今こそ考えておきたいのは、「現政権に問題があるなら政権交代すれば良い」と、安易に首を挿げ替えて良しとするのではなく、現政権の退陣後に私たち国民がどの様にして政治と関わって行くのかについてであると思いますが、いかがでしょうか。
なつみん様
正にご指摘の通りで、この様なあからさまなアメに釣られてしまうようでは、釣られる側も思慮に欠けていると言わざるを得ません。
但し、この苦い経験を今後に活かして、もう少し思慮深くある様な心掛けを身につけられれば、それはそれで大切な教訓をもたらした意義深い経験と評価することも出来るでしょう。
管理人様
いつも拝見させていただいています。
滅多にコメント欄に書きこむことはないのですが、今回は思うところあり、つたない感想と質問をさせていただきます。
上記ご回答の文中の、
「どのような物事でもバランスを保つ事は大変重要であり、偏りは破壊の原因となります。
例え善といわれる事でも同じです。
薬は皆様の病を癒すことが出来ますが、過ぎれば毒にもなり命にかかわります。
善行でも過ぎれば堕落と破壊の原因となり、その行為は悪行と何ら変わりありません。
周囲への影響をよく考えずに思い込みで実践すると、例え善いと思える事柄でも誤った方向へと進んでしまいますので、ご自分の行動を省み、周囲への影響を確認する時間を設けるのはとても重要な事なのです。」
この部分を読んだ時に、ふと、現在ニュースで話題の「脱・原発」「脱・放射能」運動が頭に浮かびました。
原子力や放射能を善だとか悪だとか二元論で語る現在の議論への警告のようだなと。
特に、反原発を唱える方の恐れ方が奇異にみえるというか、大の大人なのに子供みたいというか、ヒステリックというか、そんな今の反原発ムードを違和感をもって見ていましたので。
例えば戦前の日本人はそのようなことはなかったのではと思うのです。
現在の日本に広がる偽善にも似た生命至上主義、かつ、その生命至上主義は実は自分にだけあてはまればよいというエゴイズムの極致の状態が、現代の日本に蔓延してるように思うのですが、これは考えすぎでしょうか?そこには現実的な折り合いを探るような、大人らしい思考力や包容力が微塵も感じられない気がするのですが。
また、あるべき日本人の姿を考えたとき、私はGHQが日本を解体するために戦後行ったことの真逆をやればよい、すなわち、明治の価値観に戻るべきだという考えなのですが、霊界の方達はそのような考えについてはいかがお考えでしょうか?
以上2点、お伺いできれば幸いです。
よろしくお願い致します。
戦前の日本人はヒステリックじゃなかった?・・例えば松岡洋祐が国際連盟脱退を宣言した時熱狂的にこれを支持したのも日本人でしたが。
敷島さんは日比谷焼打事件って知ってます?
あれも明治期に起きた事なんだがね・・・
原発に関して特に言うべき事は無いけど、戦前の日本人が
素晴らしかったなんていうのはあなたの思い込みだからね。
あなた戦前と戦後の二元論で語っている事に気づいて無いんですか?
大きなお世話かもしれないけどここの「霊界の住人」が過激な事言うとは思えないんで代わりに主張してみた。
敷島様
霊媒に伝えましたが、回答にはしばらくお時間を頂くことになりそうですので、先に管理人の意見を申し上げます。
2点目の質問については、既に他の方がコメントを投稿しておりますが、単に「明治の価値観に戻れば良い」という問題ではないと考えております。
他の機会にも述べておりますが、日本が連合国を相手に大戦を戦う状況に至った原因は、明治以降の日本の価値観や行動の影響もあると考えておりますので、そういった紛争の原因となりうる要素から目を背けて、そのまま明治期の価値観に戻るという考えは支持しません。
ただ、「今は余り省みられないけれども、かつて明治期にはこの様な素晴らしい価値観があった」という部分的な再発見もあるでしょうから、現代に活かせる部分は引き継ぎ、また過ちであった部分は改めて行く『温故知新』の姿勢が良いのだと思います。
また、『反・原発』や『脱・放射能』運動をされている方については、大震災が引き金になったとは言え、国内に止まらない大きな影響を及ぼしている最中ですので、一時的にせよ過剰反応に走ってしまう心情は理解できなくはありません。
特に幼い子供程大きな影響を受ける傾向にあるようですので、小さなお子様のご両親が神経質になるのは当然であると思います。
しかし、広範な影響を考慮せずに、脊髄反射的に『反・原発』や『脱・放射能』運動を推進してしまっては、電力供給の不安定化が今後しばらく継続することが確定してしまいますので、事業活動への長期的影響を考える企業の中には、海外へ脱出する動きも出てくることでしょう。
仮に国内に止まったとしても、事業活動に何らかの支障が生じて参りますので、経済活動の停滞と失業率の上昇は避けられません。
原発は沖縄電力を除く各地域の電力会社が稼働させているようですので、ほぼ全国的に影響が及びます。
今後時間をかけて手順を踏んで少しずつ原発の廃止に向かうのか、それとも何らかの是正措置を施した上で原発を維持し続けるのかはともかく、今急進的に『反・原発』や『脱・放射能』運動を推進しても、そういう運動をされている方ご自身が職を追われて生活の基盤を失ってしまうだけだと思います。
そして、言葉で説明を尽くしても聞く耳を持たないのであれば、自らの行動が招き寄せた厳しい経験を経て、ご自身の判断の誤りを気付くより他にありません。
管理人様
丁寧なご回答有難うございます。
霊界の皆様のご意見も承れるということで有難く存じます。
ちなみに、「単に、明治の価値観に戻れば良い」と申し上げたつもりは全くないのですが、
例えば、戦後体制からの脱却をするために、具体的に何をやらねばならないかを考えたときに、
シンボリックな意味で、明治時代への回顧と申し上げました。
もちろん、本居宣長が行ったようにもっと昔への回顧でも構わないですし、寺田寅彦的な温故知新でも構わないのですが。
つまり、先の大戦後、日本を解体させるために、二度と日本が立ち上がれないようにとGHQが掲げた政策がハッキリしてるのだから、
それと真逆のことをやれば、少なくとも今よりはマシな状況が作れるのではという意味と、そう申し上げればイメージが浮かびやすいかと。
もちろんそれだけで全てが解決するとは思っていません。
ただ、今の日本の政治全体に感じることですが、論じることに比べ、具体的に行動することが若干疎かにされている気がしましたので、
あえてイメージしやすい具体策の一つとして申し上げました。四方八方から金と人とモノと情報を使って今でも日本解体が続いている現状で
具体的に我々ができることは何だろうかと。
あと、ヒステリックという表現を使ったのは、原発だけに過剰に反応する不思議(例えばタバコや酒にも放射性物質は含まれているのに)
を感じたからなのですが、ふさわしくなければノイローゼに訂正致します。
それでは恐れ入りますが、よろしくお願い致します。
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