2014年9月5日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その5)

この記事は、以前投稿した下記記事の続編となりますので、未読の方はこちらの記事より順番にご覧下さい。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】
『ヨハネの黙示録』第八章~第十一章、イエスが巻物の第七の封印を開き、神からラッパを与えられた七人の天使のうち、第七の天使がラッパを吹くまで。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】
『ヨハネの黙示録』第十二章~第十三章、悪魔サタンが天から堕とされた経緯と、地上でキリスト教会に侵蝕してゆく過程について。





■ 小羊がシオンの山に立っていた

黙示録の第十四章第一節~第五節では、小羊がシオンの山に立っていました。
また、小羊と共に十四万四千人の者がいて、額には小羊と、小羊の父の名が記されていました。
天から、大水の轟くような音や、激しい雷のような音が響きます。
その音を例えると、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようでした。
彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老達の前で、新しい歌の類を歌いました。
その歌は、地上から贖われた十四万四千人の者以外には、覚えることが出来ませんでした。
彼らは、女に触れて身を汚したことがありません。
彼らは童貞だからです。
彼らは、小羊のゆく所へは、どこまでも従ってゆきます。
彼らは、神と小羊に捧げられる初穂として、人々の中から贖われた者達で、偽りを述べす、咎められる所のない者達です。
さて、冒頭で小羊イエスがシオンの山に立っているのですが、この「シオンの山」を、一般的には、エルサレム市街にあるシオンという名の丘を指すと見ているようです。
調べてみると、Google Mapsでも確認できました。
しかし、シオンの山にいるはずの小羊と十四万四千人の者は、玉座の前や、四つの生き物と長老達の前で、新しい歌の類を歌っています。
彼らがいる場所は、本当にエルサレム市街のシオンなのでしょうか。
第四章には、天に玉座があり、玉座の周りに四つの生き物がおり、長老達の二十四の座があると記されております。
また、イエスと共にいる十四万四千人とは、第七章でイエスが第六の封印を開いた時に、天使によって神の刻印を押された者達です。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】では、この十四万四千人は勝利を得る者であり、人間としての生涯を全うした後に、神の御許で神の御役を行うと説明しました。
その時に、第六の封印を開くのは、今から一万二千年程後になると述べましたが、第十四章は素直に第十三章から続いていますので、第十四章が取り上げている時代は、悪魔の価値観が世界を覆い尽くした現代です。
一万二千年後に世界中から集められた「神の刻印を押された者」十四万四千人が、なぜ第二の封印を開いたばかりの現代に、既にいることになっているのでしょうか。
この辺りの構造の複雑さが、『ヨハネの黙示録』の解釈を難しくしている要因の一つです。
既に【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】で紹介したように、第八章以降は、イエスが巻物の第七の封印を開いた後の出来事として記述されているのですが、実際は第十二章で時間が巻戻り、悪魔サタンとキリスト教会に焦点を当てた記述に切り替わっております。
この辺りの事情は憶測に頼るよりないのですが、例えば、キリスト教成立後の早い段階から、悪魔サタンがキリスト教会に干渉して乗っ取りを謀っている事情を、もっと分かりやすく『ヨハネの黙示録』に記述していたら、果たして『ヨハネの黙示録』は現代まで聖書の一部として束ね続けて来れたでしょうか。
その様に考えてゆくと、『ヨハネの黙示録』が複雑で分かり難い構成をしているのは、今までに述べてきたような神の計画と悪魔サタンの干渉の実態を、サタンに気づかれずに後世に伝える為だったのではないかと想定できます。
その意図は、『ヨハネの黙示録』が書かれた時代には誰にも見抜けなくても、時間の経過に伴って、黙示録の記述に符合する歴史が積み重なってゆけば、いずれはその仕組みに気づく人が現れると見抜いていたのでしょう。
それを見抜く人が現れる時代になれば、『ヨハネの黙示録』に刻まれた記述の一部は既に実現しているので、きっと黙示録に隠された真相にも辿り着くだろうと、これを書いたヨハネに予め読まれていたかのようです。
ちょっと脱線しましたので、本題へ戻しましょう。
第二節~第三節は、激しい自然現象を思わせる演奏を従えて、十四万四千人の者が、父なる神や長老達に賛美歌を披露している様子が浮かびますが、これは何を表しているのでしょうか。
十四万四千人の者は、歌の類を歌っているように見えるだけで、それは歌ではありません。
彼らが、厳しい自然環境を思い起こさせる、父なる神が設えた過酷な境遇に置かれ、そこで様々な経験を積み重ねた末に、ようやく小羊イエスと共にシオンの山に登り、父なる神や長老達へのお目通りが適いました。
そしてここまで来てようやく、何故あの様な過酷な境遇に置かれたのか、そしてここへ辿り着くまでに重ねた経験の意味と貴重さを悟りました。
これからは父なる神の傍で、小羊イエスの後に続いて、神の御業のお手伝いをします。
きっと、彼ら自身の経験に基づいた確信を披露し、自分たちが成長したことを神様に報告したのでしょう。
その歌の類が、十四万四千人の者の各々の記憶に基づいているから、その他は覚えていることが出来なかったのです。
そして第四節~第五節では、十四万四千人の者を、女に触れて身を汚したことのない者だと述べています。
聖書の中で女というキーワードが何を表すのかは、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)】でも解説しました。
第五の天使がラッパを吹いた項で、『創世記』第三章にある、蛇が女を騙して善悪を知る実を食べさせ、またアダムも女の薦めるままに善悪の実を食べ、神に禁じられた約束ごとを破ってしまった例を上げて説明しました。
ですからここで出てくる女も、悪魔の唆しによって、神の言葉を背かせようとする働きを指します。
同じく童貞という言葉も、悪魔の唆しに屈しなかった者という意味です。
修道院を設けているキリスト教会のような、「異性との性行為が神の教えに反する」と言う意味合いではありません。
人間は生まれながらにして、男性と女性が交わって子孫を残す、生物学的構造を持っています。
それは人類が誕生する時点で、その様な仕組みを神の働きかけによって備えたのですから、それを妨げる考え方は悪魔の価値観です。
尤も、何事も行き過ぎは社会秩序の混乱を招くのですが、社会の秩序を乱さない範囲内の、節度を守った異性間の性交渉は、神が天地創造の際に定めた人間の生物学的特性に沿っていると言えます。
ですから、修道院を営んでいたり、あるいは同性愛に好意的な現代のキリスト教会は、聖書に綴られた神の言葉をグロテスクに曲解し、悪魔の価値観にすっかり毒されて身を汚している実情が、この様な側面からも伺えます。
さて、十四万四千人の者が、小羊イエスの行く所にはどこへでもついて行くのは、先程解説したように、父なる神とイエスの活動の意図を彼らなりに理解できたので、彼ら自身が神とイエスの意図に共感し、率先してイエスの率いるプロジェクトに参加するのです。
そんな彼らは皆、嘘を吐かない、そして道理に合わないことはしない者達です。





■ 空高く飛ぶ天使達

黙示録の第十四章第六節~第十三節では、三人の天使が次々と現れます。
最初の天使は、地上に住む人々、あらゆる国民や種族、言葉の違う民や民族に告知する為に、永遠の福音を携えて来て言いました。
「神の裁きが来たので、神の栄光を讃えなさい。」
続いて、第二の天使が来て言いました。
「怒りを招く淫らな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませた、大バビロンの都が倒れた。」
続いて、第三の天使が来て言いました。
「獣の像を拝んで、獣の刻印を受けた者は、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、天使や小羊の前で火と硫黄に苦しめられる。
苦しみの煙は限りなく立ち上り、獣とその像を拝み、獣の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」
その時には、神の掟を守って、イエスに対する信仰を守る、聖なる者達の忍耐が必要です。
天から告げる声が、「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いです」と言いました。
そして“霊”も「彼らの行いが報われるので、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る」と言いました。
さて、ここで突然三人の天使が現れますが、この三人の天使は、神の裁きの時が訪れたことを告げに来ました。
記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】の最後で述べたように、獣の像を拝んで、獣の刻印を受けた者がいるのは現代社会ですので、淫らな行いのぶどう酒を諸国の民に飲ませた大バビロンの都とは、現代社会そのものを指します。
現代社会を形作る仕組み・価値観と言いかえた方が良いでしょうか。
現代の価値観は、父なる神やイエスの言葉とは遠くかけ離れていて、悪魔の価値観にすっかり毒されてしまったので、神の怒りに触れたのです。
とはいえ、神の怒りという表現は、キリスト教的価値観の影響を強く受けており、実態とは異なっていますので、ここで簡単に紹介しましょう。
父なる神は何も、人間が神の言うことを聞かないから怒るのではありません。
キリスト教会に付きまとって、まんまと聖書の神に成り代わったつもりの悪魔サタンでも、世の理を外れることは不可能です。
そして世の理についての理解が不足しているのに、自分が未熟だという自覚がないので、悪魔サタンは神になれずに天から堕とされました。
そんな悪魔サタンに出来るのは、未熟でも向上心に溢れる人間を騙して唆して、人間の向上心を折って萎えさせようとする程度が精々でしょう。
そんな悪魔サタンにも、世の理の影響は及びますし、サタンが行った行為の結果は自分で刈り取ることになります。
それはサタンに与する獣も同様ですし、獣の刻印を押された者も同じです。
サタンや獣や、獣の刻印を押された者達などの、大バビロンの都に住む者達は、彼らの今までの行いの結果として、火と硫黄で苦しめられる事態に置かれることを、天使達は告げたのです。
また、先程述べたように、大バビロンの都とは現代社会そのものを指します。
その一部に神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けている者がいても、否応なく大バビロンの都ごと神の裁きに巻き込まれてしまいますので、その仕組みを体験を通して理解するという意味での忍耐が求められます。
それは死を伴う過酷なものになるでしょう。
しかし彼らは、死に臨むまで神の言葉に沿って来たので、死後にその行いが報われて、(再び人間として地上での暮らしを送る)労苦から解放されて、(神の御許で)安らぎを得るのです。





■ 刈り入れの時が来た

黙示録の第十四章第十四節~第二十節では、白い雲が現れます。
雲の上には、人の子のような方が座っていて、頭には金の冠を被っていて、手には鋭い鎌を持っています。
そこに、別の天使が神殿から出て来て、白い雲に座っている方に向かって叫びました。
「刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っているので、鎌を入れて刈り取って下さい」
そこで、白い雲に座っている方が、地に向かって鎌を投げると、地上で刈り入れが行われました。
また、別の天使が天にある神殿から出て来ましたが、この天使も手に鋭い鎌を持っていました。
そこに、祭壇の所から、火を司る権威を持つ天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に言いました。
「ぶどうの実は熟しているので、その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れなさい」
そこで天使は、地に鎌を投げ入れて、地上のぶどうを取り入れると、神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れました。
搾り桶は、都の外で踏まれました。
すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届く程になり、千六百スタディオンに渡って広がりました。
さて、人の子のような方が白い雲に乗って現れますが、頭に金の冠を被っているので、黙示録第四章で神の玉座の周りに二十四の座を構える長老達と同様の、高貴な方だと言うことが分かります。
そして人の子のように見えるので、かつて人としての経験を積み、イエスと同じように、ここまで成熟してきた方なのでしょう。
そこで別の天使が神殿から出て来て、穀物を刈り取るように言いますが、この神殿とは第十一章にも出て来た、天にある神の神殿でしょう。
そして、人の子のような方が刈り取る穀物とは、財産であり、命の糧です。
一方、火を司る天使が、鋭い鎌を持った天使に、ぶどうを刈り取るように言いますが、そうして地上で刈り取られたぶどうは、神の怒りの搾り桶に投げ入れられます。
そしてぶどうを搾ると、血が搾り桶が出てくるのですから、火の力によって多くの血が流れる暗示でしょう。
馬のくつわに届く高さで、千六百スタディオン(1スタディオン=約180メートルなので、 228キロメートル位)ですから、見渡す限り地の海状態という意味合いでしょうか。
それは一見すると、神の神殿から出て来た天使が働きかけているように見えますが、そもそも穀物の種を蒔いたのは地上の人間であり、ぶどうの種を蒔いたのも地上の人間です。
天で鎌を振るう天使達は、ただ単に「自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなくてはならない」という因果律に乗っ取って、与えられた役割を果たしているに過ぎません。
それに、そもそも因果律という仕組みが成りたつのは、神様の働きかけではあるのですが、別に神が人間に向かって怒りをぶつけているわけではありません。
神様は機械的に、論理的に、予め定められた法則性に則って、人間の行いという種を蒔いた結果を刈り取るだけです。
多くの血が流れる結果を導いたのは、その前に人間がいずれ血を流すことになる種を蒔いたからです。
多くの血が流れるような結末を避けたければ、最初に流血を避ける種を蒔かなくてはなりません。
ともあれ、天使達が活動する天では、地上での神の裁きに先立って、この様な働きかけを行うようです。





■ 七人の天使と七つの災い

黙示録の第十五章第一節~第四節では、天にもう一つの大きな驚くべきしるしがありました。
そして七人の天使が、最後の七つの災いを携えていましたが、これらの災いによって、神の怒りが極みに達します。
また、火が混じったガラスの海のようなものがありました。
更に、獣や、獣の像や、獣の名の数字に勝った者達がありました。
彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていました。
彼らは、「神の偉大で驚くべき力によって、正しい裁きが明らかになりました」と、モーセの歌と小羊の歌を歌って神を讃えました。
さて、第十五章の冒頭で、「天にもう一つの大きな驚くべきしるし」がありました。
もう一つの、と述べているのは、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】で、第十三章第十三節に「大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。」とありますので、その大きなしるしに続いて、もう一つの大きなしるしがあったと言うことです。
そして、前回の大きなしるしとは、小羊イエスが父なる神から託された巻物の、第一の封印を開いたことだと述べました。
そして【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】では、巻物の第一の封印を開いたのは、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』のうち、東京の拠点の覡が受け持つ役割の範囲が拡大して、拠点としての機能を本格的に発揮し始めた事を指すと説明しました。
その時とは、明治時代になって天皇の居所が現在の皇居に移ってからです。
ですから、それに続くもう一つの大きなしるしとは、小羊イエスが巻物の第二の封印を開いたことであり、記事【『霊界と地上界を繋ぐバチカンの拠点』が完全開放されました】でもお伝えした様に、バチカンの拠点を開放したことを指します。
次いで、七人の天使が七つの災いを携えていたとありますが、これはいわゆる『神の裁き』の時代が七つの段階(もしくは七つの要素)を持って進んでゆくことを表します。
そして、既に記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】の末尾で簡単に述べました様に、5月に関東から中四国にかけて見られた『環水平アーク』と呼ばれる虹のような現象は、『神の裁き』の始まりを告げる印だと、霊界の住人は言います。
ですから、七人の天使が携えている七つの災いとは、これから私たちの目の前で起こること、これから私たちが経験することなのでしょう。
ここまで管理人と共に、『ヨハネの黙示録』の解読作業にお付き合い下さった皆様でしたら、第十二章からここまでの記述が、欧州を中心とした大まかな歴史の流れを示しており、またキリスト教会がサタンに侵蝕されてゆく過程を述べていると、概ねご理解頂けると思います。
ここまでの記述が概ね私たちの知る歴史と一致するなら、この先の記述も概ね一致するのではないかと、気になる方もいらっしゃるでしょう。
七人の天使と七つの災いについても、『ヨハネの黙示録』に記述がありますので、今後順番に解読してゆきたいと思いますが、その前にあと少しだけ、前置きの部分が残っておりますので、今しばらくお付き合い下さい。
第十五章第一節の解読に戻って、これらの災いにより、神の怒りが極みに達するとあります。
これは一つ前の項目でも述べましたが、人間や、悪魔とそれに与する者達が、今までの間に地上で蒔いた種が実をつけたので、機械的に刈り取りの作業が行われるに過ぎません。
それを、種を蒔く時の自分の行いを棚に上げておきながら、自分にとっては都合の悪い実がなったので、結果を刈り取る時になってから、「神の怒り」などと見当違いの暴言を吐いているだけなのです。
また、第二節にある「火が混じったガラスのような海のようなもの」とは、宇宙空間から地球の大洋の辺りを見下ろしたら、きっとその様な表現が相応しく見えるのだろうとは思いませんか。
火が混じっているので、一つ前の項目で述べた、火を司る天使が働きかけている様子が、きっと遠目にも映るのでしょう。
そして、獣や、獣の像や、獣の名の数字に勝った者とは、獣たちが作り出した悪魔の価値観に毒されずに、死の床まで神の言葉のままに貫いた者であり、この記事の最初の項目で小羊と共にいた者達です。
同じく、彼らが持っていた神の竪琴とは、この記事の最初の項目で、竪琴の演奏に例えられた自然現象です。
獣に勝った者達は、地上に近いけれども、地上の有様全体を見渡せる天の一角にいて、第十二章の最初に仕組んだ神の計画の一端を垣間見ることになるのでしょう。
獣に勝った者達は、この時になってやっと『神の裁き』の意味と役割を理解したので、その遠大な計画と精密な仕組みに驚いて、目の前で展開する神の御業を讃えたのでしょう。
モーセの歌と小羊の歌を歌う件は、キリスト教的価値観の影響を色濃く残した表現です。





■ 神の怒りが盛られた七つの金の鉢

黙示録の第十五章第五節~第八節では、天にある証しの幕屋の神殿が開かれます。
この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出て来ますが、天使達は輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていました。
そこに、神の玉座の周りにいる四つの生き物の一つがきて、神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、七人の天使に渡します。
この神殿は、神の栄光と力とから立ち上る煙で満たされていたので、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、誰も神殿の中に入ることが出来ませんでした。
さて、七つの災いを携えた七人の天使は、天にある証しの幕屋の神殿から出てくるのですから、七つの災いとは証しとして行われます。
幾ら悪魔サタンが地上を悪魔の価値観で染め上げようとしても、必ず破綻する時が来ます。
悪魔に与する者達や、悪魔の価値観に毒されてしまった者達が、幾ら「上手く行った」と思うように事を運んでいるつもりでも、必ず途中で破綻が明らかになります。
何故なら、一番最初に破綻を約束された種を蒔いているのですから、破綻という結果を刈り取るのは当たり前なのです。
その様な仕組みを成りたたせているのが神の御業であり、その仕組みを証しするものが、七人の天使による七つの災いなのです。
ですから、七人の天使は、神の玉座の周りにいる生き物から、神の怒りが盛られた金の鉢を受け取ります。
この災いが、神の意思として行われ、神が成りたたせている仕組みの一環として行われるからです。
また、この神殿が神の栄光と力とから立ち上る煙によって、七つの災いが終わるまで誰も立ち入れないのは、ここまで見てきた神の計画の中で、『神の裁き』である所の七つの災いの役割が極めて重要と位置づけられているからでしょう。
そう考えると、七つの災いを携えた七人の天使とは、神の計画の詳細と、七人の天使が受け持つ役割の意味合いについて熟知した、言わば神の側近とも言える天使達なのではないでしょうか。
父なる神は、神の計画に精通し、『神の裁き』の重要性をよく心得た、極めて信頼の置ける天使達に、『神の裁き』としての七つの災いの執行を委ねたのです。





■ 『神の裁き』としての七つの災いが下るまでのまとめ

前回の記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】では、悪魔サタンが天から堕とされた後、キリスト教会に近づいて侵蝕し、自らが神に成り代わって地上の神として君臨しようと画策する様子、そして悪魔サタンの価値観に染め上げられてゆく地上の有様が述べられていました。
一方、今回取り上げた第十四章~第十五章では、ちょうど悪魔サタンの価値観が地上に蔓延った頃(恐らく現代ですが)、父なる神のお膝元の天界はどうなっているのか――という視点から描かれておりました。
今回取り上げた部分は、どちらかというとキリスト教的価値観の影響が色濃く漂っていると、管理人は個人的に感じたのですが、ご覧の皆様はどの様な感想を持ちましたか。
ともあれ、『ヨハネの黙示録』の記述がようやく現代に追いつきました。
これまでに投稿してきた一連の『ヨハネの黙示録』を解読するシリーズの記事の中でも、『神の裁き』と言われる時期の始まりが現在だと意識して、霊界の住人の助言を頂きながら、管理人が「根拠になる」と思われる点を幾つか述べて参りましたが、すんなりとご理解頂ける解説になっているでしょうか。
ある程度限られた紙面で、取りあえず大雑把な『ヨハネの黙示録』の全体像を駆け足でなぞってゆく方針ですので、あるいは、一部に恣意的な解釈や、論理性に欠けた強引な展開が見られるかも知れません。
もし、何か気づいたところがございましたら、下のコメント欄よりお知らせ下さい。
当面は、一通り『ヨハネの黙示録』の解読作業を終えてしまう方を優先しますが、一通り解読を終えた段階で、修正などの作業について検討したいと考えております。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2 件のコメント:

  1. 毎度の長文、ご苦労様です。
    サタンと呼ばれる者が仕掛けたことは、黙示録ではキリスト教と似て非なるものを流布していった(教会の名の元に)ことがあげられ、それはイエスの死後さほど立たないときから始まっていたのですかね。ここではキリストの教えとなっていますが、世界的に考えると他の宗教についても同様のことは行われてきたのでしょう。そうでなければ、あの経典類を読んで、宗教の名のもとに殺戮が行われるなどありえない。そもそもそこの矛盾に信徒たちが気づかないというのは、「宗教」となった時点で初めから歪んだ教えになっていたのではないですか。神道に教義を示した経典があったら、同じ道を歩んでいたことだろうと思います。実際神道系の新興宗教は、同様の道を行っているように思えませんか。

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    1. 匿名様

      『ヨハネの黙示録』の記述と、キリスト教会が成立してからの歴史を重ね合わせてみると、かなりの長期間に渡って継続的にサタンの侵蝕を受けていると“読める”という、あくまでも解釈の一つに過ぎません。
      今回の『ヨハネの黙示録』を解読する試みは、キリスト教会に取ってスタンダードな解釈(例えば【ヨハネの黙示録:wikipedia】など)とは異なる内容が読み取れるという問題提起であって、『銀の紐』の解釈が正しいと断定する意図はありません。
      但し、解釈の根拠として聖書からの引用を随所で行っておりますので、キリスト教徒の方にとっても「考慮の余地がある」と受け止めて頂ければ幸いです。
      上記記事などで示したキリスト教会に対する見解は、聖書を読み込む中から導き出しましたので、その見解をそのまま他の宗教に当て嵌めるのは乱暴だと思いますし、誤った結論を導く危険をはらんでいると思います。
      他の宗教については、その宗教の教典と教団の活動について、先入観なしに観察・分析した方が、その団体に対する理解が深まるのではないでしょうか。
      どちらの団体を想定してのコメントなのかは分かりませんが、事前に特定の先入観を持ってしまうと、物事の真偽を見極める目が偏ってしまいます。

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