こちらの記事は[小ネタ]となりますので、霊界の住人から聞いた話を、管理人の記憶に基づいて再構成しております。
■ とある霊界の住人の話
その霊界の住人は、霊媒Mと連携する活動に携わる前に、キリスト教の信仰が盛んな地域で活動していた事があるそうです。
そこで、ある男と関わりを持つ事になります。
その男は生まれてこの方、神や悪魔の存在を信じる事はなく、自分のやりたいように悪事の限りを尽くしていました。
その為に多くの人の恨みを買っていましたが、犯罪者として裁かれる事はありません。
自分が今までに犯してきた罪から逃れるために、多くの人を黙らせる権限を持ち、また自分の権限が及ばない人には賄賂を送る事によって、不当に処罰を免れてきました。
そんな悪党の男にも、やがて転機が訪れます。
その悪党は、とある一家の母親と娘を殺めてしまいました。
一人残された父親は、自分の妻と娘が悪党に殺された事を知っていて、そのことを警察などに訴えたのですが、悪党がいつものように犯罪の隠蔽工作を行っていたので、誰も父親の訴えに耳を貸しません。
途方に暮れた父親は、一人神に向かって祈ります。
「神様、どうか殺された妻と娘の仇を討って下さい、あの悪党を罰して下さい」と。
それから父親は、町中で悪党の姿を見かけるたびに、恨みがましい目つきでにらみ付けるようになりました。
そのうちに悪党も、自分をにらみ付ける視線に気がつきます。
それでも最初は「あいつがどう思おうと、何も出来るはずがない」と高を括っていましたが、そのうち自分をにらみ付ける視線に気味悪さを感じるようになります。
ちょうどその頃、悪党は気味の悪い夢を見ました。
詳しくは覚えていないけれども、とにかく何か途轍もなく恐ろしい者が現れて、身の縮む思いをしたような気がします。
今までは神や悪魔など気にかけなかった悪党が、とうとう悪魔の影に怯えるようになってしまいました。
その頃から、悪党は夢にうなされるようになりますが、相変わらず悪事を止めようとはせず、自分の罪を償おうともしませんでした。
そして遂に、悪党は正気を失って錯乱したので、「悪魔に取り憑かれたのではないか?」という疑いをもたれて、エクソシストが呼ばれる事になります。
エクソシストは、悪党に何らかの霊的な存在が憑いていると感じました。
そこで悪魔払いの儀式を行いますが、悪党は正気に戻らず、悪魔と思しき者の気配も消えません。
結局、エクソシストの為す術もなく、悪党はそのまま事切れてしまいますが、悪党の息が絶える瞬間、大きく見開かれた悪党の目に、自分に取り憑いている者の姿が映りました。
その姿を見て、思わず悪党は叫びました。
「おお、神よ!」
(2015年12月26日)
この話を伺った霊界の住人によると、悪党に取り憑いていたのはとある神様なのだそうです。
悪党に妻と娘を殺された男の祈りが神様に聞き届けられて、悪党のその後の処遇を決めるために、とある神様が様子を伺っていたのです。
そして、悪党が恐ろしい夢を見たのは、「このまま悪事を繰り返すなら罰するしかなくなるので、悔い改めよ」という意図の、恐怖心を与えて改心のきっかけとする働きかけだったようなのですが、ご覧のように悪党には通じませんでした。
また、悪党の元にエクソシストが訪れますが、このエクソシストには神と悪魔の区別もつかずに、神を悪魔と誤解して引きはがそうと躍起になっていたようです。
以前投稿した『ヨハネの黙示録』関連の記事で述べたように、「悪魔」の正体は霊的成長の道筋から大きく逸れてしまった未熟な霊ですので、エクソシストにも悪魔払いは可能でしょう。
しかし、人間であるエクソシストに、神様を払う事は出来ません。
ところが、エクソシストが悪魔払いと称して、実際には神様を払おうとする事例は意外と多かったようです。
結局、エクソシストによる悪魔払いの甲斐もなく、悪党は亡くなってしまうのですが、この絶命は神様の働きかけによるのだそうです。
人間は皆、生まれる時に予め寿命が決まっていて、何らかの突発的な事態に遭わない限りは、天寿を全うします。
しかし、何らかの事故に巻き込まれてしまうと、寿命へ至る前に亡くなってしまいます。
それ以外にも、こちらの話の悪党のように、人生を通じて悪事を繰り返し、なおかつ悔い改める見込みが無いと判断された場合は、寿命へ至る前に亡くなってしまう場合があるのだそうです。
人間は霊的な成長を目的として生まれますが、悪事の繰り返しは霊的成長の停滞(その経験から何の学びも得ていない)ですし、殺人は他人の霊的成長を妨害した事になります。
自分自身の霊的成長を滞らせるだけではなく、他人の霊的成長をも妨害するのですから、その分だけ罪が深い事になります。
更に、悪党に殺されてしまった母親と娘は、もしこの時悪党に殺されていなければ、後に霊的な側面で意味のある役割を担う可能性があったそうです。
神様の働きかけの協力者になり得る人を殺めてしまうと、神様の働きかけに対する妨害行為となりますので、実は悪党自身が自覚している悪事よりも遥かに罪深い過ちを犯していた事になります。
この様に目に余る悪党に対しては、神様が直接手を下して命を絶つ場合もあるようです。
さて、この記事が今年最後の投稿となりますが、平成27年、2015年は、ご覧の皆様にとってどの様な一年だったでしょうか。
『銀の紐』としては、古事記を解読する企画が来年に持ち越しとなってしまいますので、その意味では悔いの残る一年でした。
一方、神様の世界では、今後に向けて新たな一手を打ちましたので、これからその影響が徐々に現れてくるのではないでしょうか。
それでは皆様、よいお年をお迎え下さいませ。
Silvercord管理人
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6 件のコメント:
いつも楽しみに拝見しております。
> 一方、神様の世界では、今後に向けて新たな一手を打ちましたので、
この件について詳細をお知らせいただけることは出来ませんか?
大変興味があります。
匿名様
そこは今年の振り返りとして述べていますので、以下の過去記事の内容を指しています。
記事【神の一手】
記事【神の一手(その2)】
記事【榊に結わえられていたもの[小ネタ]】
売国奴には何故神は罰を与えないのですか?
彼ら程酷い奴らはいないと思いますけど、罰どころか人一倍運が良く人生を楽しんでる風にしか見えませんけどね。
匿名様
匿名様が誰を「売国奴」と仰るのかは分かりませんが、それは匿名様の個人的な見解であって、神様には神様の見方や判断があります。
人間は生まれてから身につけた知識や経験に基づいて物事を判断しますが、神様はその人間に宿る霊の前世や今生の目的など、人間の理解が及ばない要素をも考慮して、物事を判断するからです。
また、神様が何らかの働きかけを行っていても、必ずしも人間から見て分かりやすい反応が現れるとは限りませんし、何らかの反応が現れるまでに時間がかかる場合もあります。
尤も、匿名様にとってそれ程酷いと思う人がいるのでしたら、「神は罰しないのか?」と訝るよりも、ご自身で直接対処した方が早くて確実だと思います。
人を殺めることは、他人の霊的成長を妨害するので罪深い、というお話がありましたが、疑問に思うことがあります。
それは戦争もしくは紛争の時です。
兵士は自軍・自国の為、あるいは自分の身を守る為、戦場で相手軍兵士や相手国国民を殺めることがあります。そういった場合、相手国軍兵士や相手国国民を殺めてしまった兵士は罪深い存在になってしまうのでしょうか?
もしそうなら、自衛隊員の方々は有事の際に相手国の兵士を殺める可能性があるので、日本の為に働いているのに報われません。
匿名様
自国から率先して相手国に侵攻した場合は、その戦闘によって相手国の兵士や国民が傷つき亡くなれば、被害に遭った人の霊的成長を阻害した罪深い行為と言えるでしょう。
しかし、相手国に侵攻され、自国を守る為に戦闘となったのでしたら、その過程で相手国の兵士が傷つき倒れようと、非を咎められる謂われはありません。
相手国が侵攻してこなければ勃発しない戦闘であり、そこで反撃をしなければ国土が蹂躙され、多くの国民が亡くなってしまう可能性が否めないからです。
自国を守る為に戦う兵士達は、侵攻する敵軍の兵士を殺めて反撃することにより、その背後にいる多くの自国民の命を救い、更に霊的成長の歩みを続ける機会を守ったことになります。
その反撃が過剰防衛とならなければ、自国民の生命を守る行為が罪と見なされることはありません。
ちなみに過剰防衛とは、相手の戦意が喪失しても攻撃を止めない場合を指します。
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