2010年6月16日水曜日

輪廻転生について(その2)

先日投稿した記事【輪廻転生について】に関連する質問を匿名様から頂きました。
霊界の住人の皆様からの回答が届いておりますので、早速ご紹介したいと思います。





■ 匿名様からの質問

こんにちは、いつも興味深く拝読しております。今回、輪廻転生や魂の修練といった興味深い記事に便乗して質問させていただきます。

まず第一に、すべての魂が前世を持っているなら、人口増加などに対して、前世を持つ魂の絶対数が足りないのではないかと言うことです。つまり当初は世界に百人しか人類がいなかったと仮定して、その百年後には千人くらいの人口になっていた場合、残り九百の魂はどこからやってくるのでしょうか?

第二に、今生の人生が魂を修練する場であるなら、性犯罪や殺人事件の被害者となり、また自殺に追い込まれるような苦境を送る人々の人生には、なんの意味があるのでしょう? 犯され、殺されるためだけに生まれるならば、むしろ最初から生まれないほうが幸せではないかと思うのです。特に生まれたばかりの赤ちゃんや、まだ幼い女児などがそういう事件に巻き込まれるのが個人的に許せないのですが……そういう事件ですら、魂の修練であると納得しなくてはいけないのでしょうか?

第三に以前、とある新興宗教信者から『ドナーやバンクに登録して、他人に臓器を譲り渡すと、来世では生まれつき内臓を失って、身体が不自由になる。だから、そういうの(臓器提供)はやってはいけない』と言われたことがありました。個人的には信じがたいのですが、そういうタイプの因果は起こりうるのでしょうか?

最後に、これはブログ記事を読ませていただいた時に湧いた疑問ですが、世界が複数あって、それぞれの世界を選んで転生しているというように読み取れます。では、この記事における複数の世界とは、たとえばSF小説のように同じ地球が複数あって、似たような歴史が流れる平行世界でしょうか? それとも、この地球以外の世界は、たとえばファンタジー小説やメルヘン童話のように、まったく違う世界観、価値観の地球があるとか、そういうことなのでしょうか?

これらの質問に輪廻転生という事象に対して、根本から否定する意図はありません。ただ個人的に疑問に思っていたので、もしも答を得る機会がありましたら、管理人さま、霊媒さま、よろしくご回答お願いします。





■ 霊界の住人の回答

「何も、命ある存在は人間だけではございませんから、皆様の世界に生きる全ての命もいずれは人間として経験を積む道を選ぶ事になりますので、人口が増えるのは何も不思議なことではありません。
その代わりに絶滅危惧種のような存在も増えてしまいますが、それらの現象は霊的成長の証であるとご理解いただければと思います。
それともう一つ、皆様の暮らす世界は数限りなくある多くの世界の中の一つですから、他の世界での経験を踏まえた上で、皆様の暮らす世界で経験する事を望む霊も大勢いるのです。
これらの事は今の皆様には知り様がないので、理解出来ないのは仕方のない事だと思いますが、地球という環境は、霊から見たら学びの為に数多くの存在する選択肢の内の一つであるという事をご理解いただきたいと思います。

光があるからこそ闇がそこにある事を理解出来ますし、その逆もまた然りです。
人は、悲しみや苦しみに遭遇して、初めて喜びや楽しみを強く意識出来るようになります。
逆に、喜びや楽しみを経験して、初めて悲しみや苦しみの意味を理解出来ます。
幸せは人から与えられるものではなく、自ら感じ取るものであり、感情の一つの形です。
辛い事を避けていたら、いつまでも、喜びや楽しみ、幸せという感情を覚える事は出来ないでしょうね。
いつも安定して安心出来る生活を送っていたら、いつしかそれは当たり前のものになり、幸福を感じ取る事は出来なくなってしまいます。
幸福と不幸は表裏一体であり、切り離して考える事の出来ない大切な要素なのです。
何事もバランスですから、光だけがあれば良いというわけでもないのです。
闇にも役割があり、そこから学べる要素は決して少なくは無いのです。
だからと言って、犯罪行為をしても許される理由にはなりませんが…。

全てはご本人が何を学ぶ事を望むのかに掛かっているので、現世で臓器提供をしたから来世で身体が不自由になるという事はございません。
身体が不自由な状態で生まれてくる方は、その状態で生活する中から学びを得たいと考えて自ら選んだ境遇です。
その新興宗教団体の方は、因果律に対してまだあまり深い理解を得られてはいないのかもしれません。
臓器提供をする決意をしておられる皆様は善意から申し出ているのですから、その『誰かの役に立ちたい。助けになりたい』という思いが無視されてしまう事はございません。
皆様の世界の現在の科学技術ではまだまだ出来ない事がたくさんありますし、その限られた数少ない治療法の中で、臓器移植によって命を助ける事も有効な治療方法の一つです。
その事実を無視して助けられる命を助けないのも確かに一つの選択かもしれませんが、そこに助けられる命があるのなら助けたいと思うものではないのでしょうか?

皆様の生活環境ですと、どうしても地球を中心にして考えてしまいがちになってしまいますね。
先ほども述べましたように、皆様には確認出来ない事ですから仕方ないのですが、地球も無数にある世界の中の選択肢の一つなのです。
皆、経験を基に世界を築き上げるので似たような要素は数多く存在しますが、それぞれの世界にはそれぞれに個性があり、例え似ていたとしても、それはやはり別の世界なのです。」

(2010年6月15日)





輪廻転生については、私もこれまでに霊界の住人から断片的な知識を得て参りましたが、正直なところ「一度死んでみなくては分からないだろう」と思います。
肉体を纏っている為に制約された五感や視野の狭さが、人の生涯を越えた事態への理解を妨げているからです。
霊界の住人の皆様は、私たちの身の回りで観察できる現象に例えて説明して頂けるのですが、「何となく~の様なものだろう」という、漠然とした印象を思い描くのが精々だからです。
私にとっては、この問題は死後に探求する楽しみとして取っておくことになりそうです。

【Silvercord】管理人 

2010年6月13日日曜日

輪廻転生について

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄に、匿名様からの質問をお寄せ頂きました。
少々お待たせしてしまいましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に匿名様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 匿名様からの質問

初めまして。
いつも興味深く当ブログを拝読させて頂いております。
簡単に箇条書きで質問を明記致しましたので、拙い文章ですが目を通していただけると有り難いです。
僭越ながらも唐突な質問をご容赦下さい。

①輪廻転生とか生まれ変わりというものは存在するのですか?
②もし輪廻転生が存在するのなら、中川昭一さんのように霊界での自分の役目が与えられている人は、その役目を終えた後にもう一度現世に生まれ変わるのですか?
③それとも、役目を終えた後も霊界での肉体を維持したまま霊界に留まり続けるのですか?
④もし輪廻転生があるのなら、果たそうとしていた志が半ばで亡くなってしまった場合、再びそれを成就させるために生まれ変わったりしますか?
⑤また、同じ志を果たそうとしていた同志や、自分にとってかけがえのない人達と来世で再び出会ったりするのでしょうか?

中川さん個人への質問というよりは、私個人が大切な人を亡くして、自分の中で来世を拠り所にしてしまっているところがあるので質問させて頂きました。
差し支えない程度で構いませんので、回答をお待ちしております。





■ 霊界の住人の回答

「輪廻転生は全ての霊が繰り返し行なうものです。
そこに例外は一つとして存在しません。
ただ、霊が生まれる場所として選べる環境は、皆様が暮らしておられる世界だけではなく、他にも無数に存在しておりますから、必ず以前暮らしていた世界を選ぶというわけではありません。
どの世界で経験を積む事を望むのかはご本人の意思次第でありますから、再び皆様の世界へ生まれる事を望む方もおられますし、別の環境を求める方もおられるのです。
志半ばでお亡くなりになられた方が必ずしも元の世界に生まれてくるとは限りませんが、(生前の志を)成就させようとの思いから、何らかの形で関わろうと考える場合が多いかもしれませんね。
再び皆様の世界へ生まれる事を望むのか、それとも他の形でアプローチしてくるのかは、ご本人の考え次第となります。
同じ志を抱いて共に活動していた方や、掛け替えのない方と来世で再び出会う事はありえますね。
共に過ごす時間が長いと言う事は、それだけで価値観が似通っている事が考えられますから、同じ様な目標を掲げて生まれる環境を選ぶ可能性が高いのです。
『類は友を呼ぶ』という言葉の通りに、人は似たような性質の人間と共に過ごす事を望む傾向にありますから、好ましいと思って側にいるという事実は、それだけで共通する何かを互いに感じ取っている証であると言えるのです。
匿名様が“大切な人”であると思っておられるのであれば、きっと、相手の方も同じ様に匿名様の事を“大切な人”であると考えておられるでしょうから、例え見えなくとも、あなたの支えになりたいという思いから、一日も早く、常にあなたの側に寄り添い、支えとなれるように、今はご自身で出来る精一杯の事をしておられるのではないのでしょうか。
思いは伝わりますから、相手の方も匿名様の思いはきっと分かっていると思いますよ。」

(2010年6月12日)





一般的に『輪廻転生』というと、今私たちがいる境涯(便宜的に“地上界”などと呼びます)に何回も繰り返して誕生する事を指しますが、既に書物となっている先人の残した霊界通信や、今私たちが試みている霊界通信によると、この地上界以外にも『霊体が肉体を纏った状態で生活を送る境涯』が無数に存在するようです。
質問では、『中川昭一』と名乗る霊の場合を例に挙げておられますが、あれは役目を与えられているというよりは、本人が「何とかしたい」と望んだ上の行動であって、自分自身の意思が最初にあると言う点を見逃してはなりません。
そして、今後いずれかの機会に自身で納得できる成果を上げるか、或いはもっと別の物事に関心の対象が移ってしまった時には、新たな関心事に取り組む為に相応しい環境へと移行するのではないでしょうか。
また、志半ばで亡くなってしまった方の例として、当Blogでは前韓国大統領の盧武鉉氏の場合(記事【盧武鉉霊、日本を語る】)も参考になると思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月12日土曜日

この世界で起こる問題は、この世界の中で解決できる

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄へ、匿名様より質問をお寄せ頂きましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に匿名様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

はじめまして。
質問させていただきます。
現在、メキシコ湾の重油漏れがとんでもないことになってますが、深海のことゆえ応急処置さえままならぬ有様です。
この件に関して現在の人類は今ある技術力で復旧可能でしょうか。
それとも崩壊に任せ、いきつくところまでいくしかないのでしょうか。
人類の自業自得とはいえ、このままいくと大西洋まで死の海と化し、気候変動から食料危機まで影響が甚大になりそうです。
もちろん人類が自らの手で打開すべき問題ではありますが、いささか手に余るようにも見えます。
幸運に恵まれ地震でも起きて蓋でもされないだろうか、というのは甘えた願望ではありますが、それすらも期待したくなります。
この事態を地球環境を管理されてる方々からはどうお考えなのか知りたく思います。
よろしくお願いいたします。





■ 霊界の住人の回答

「この世界で起こる事は、必ずこの世界の中で解決出来るようになっております。
皆様の努力だけでは回復する事が出来ない霊的エネルギーが関わる部分に関しては、私ども霊界の住人が問題解決のために働く事になります。
しかし、物質面においては基本的には皆様に管理責任がございますので、私どもが直接手を下すことはございません。
とは申しましても、霊的エネルギーと物質は相互に影響しあっておりますので、私どもが霊的な側面のバランスを取る事で、物質面のバランスも整いはじめます。
後は、皆様方の努力次第だと思われます。
皆様の世界で起きた問題は、必ず皆様の世界に解決する方法がございますので、後は、皆様がどれだけ早い段階で解決方法に気付き、対処出来るのかに掛かっている事になります。
独り善がりは問題をより大きく複雑化させてしまう要因となりかねませんので、必要があれば周囲に積極的に助力を求める必要があるでしょう。」

(2010年6月10日)





霊界の住人が冒頭で述べる「この世界で起こる事は、必ずこの世界の中で解決出来るようになっております。」との説明は、肉体的な制約によって限定された視野と情報から物事を判断しなくてはならない人間にとって、なかなか理解し難い点であると思います。
私自身も「なるほど、言われてみればそうかも知れない…」と感じる場面に接する機会はありますが、十分に理解を深めて確信に至る所には届いておりません。
今回の質問にある『メキシコ湾の重油流出事故』についても、また当Blogにて以前取り上げた『宮崎口蹄疫感染』についても言えますが、私たち人間は冷静に物事を観察した上で、その都度適切と考える判断を下し、粛々と対策を実施するより他に出来ることはありません。
最初から結果を悲観して諦めてしまうよりは、少しでも事態の改善を目指して努力を傾けた方が、被害は出るにしても縮小させることは出来ますし、最小限の被害に止められればその後の選択肢も広まるでしょう。
今は『人事を尽くして天命を待つ』の時ではないかと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月10日木曜日

国民性と霊的成長度の関係

先日投稿した記事【目の前にある現実に向き合う事】のコメント欄へ、白菊様より質問をお寄せ頂きましたが、霊界の住人の皆様からの回答が届いております。
そこで本日は、以下に白菊様からの質問を再掲して、霊界の住人の皆様の回答を紹介したいと思います。





■ 白菊様の質問

私の性格は、幼い頃からのんびりした性格で感情の起伏は激しい方ではないです。天然ボケだともよく言われます。自己主張も苦手です。私は日本人として生まれましたが、仮に他の国で生まれたとしても、私の生まれ持ったのんびりしてて、天然ボケで自己主張が苦手な先天的な性格は変わらないと思います。
お隣の中国や朝鮮半島には私のような性格の人は少ないように思います。仮に、私が朝鮮半島や中国で生まれたとしても、中国や朝鮮半島にいる人々によく見られるような性格(上手く言えませんが)にはならないと思います。さらに、中国や朝鮮半島で生まれたとしても、私の性格や性質では生きていくのが大変だと思います。

それぞれの国には、一部の例外を除いてその国に住む一般的な国民が持つ性格や性質があるように思います。例えば、一部の例外を除いて、日本に住む人々の性格や性質と中国や朝鮮半島に住む人々の性質は異なると思います。

Silvercordのサイトの(『銀の紐を越えて』に移転)、【韓国・朝鮮人と中国人(メッセージ1)】の記事で、中国人や朝鮮人と日本人の霊的成長の度合いが異なると書かれています。ということはつまり、生まれてくる前に、その人の持つ霊的成長の度合いや性格は生まれてくる国が決まる一つの要因にもなることがあるということでしょうか?





■ 霊界の住人の皆様の回答

「人は皆、自らが求める環境を生活の場として選び、生まれてきます。
霊的成長の程度により、それぞれに求める経験が異なりますので、当然、経験の場として選ぶ環境も異なってまいります。
霊的に成熟した方の割合が高い国は、比較的モラルの意識も高く、社会性を大切に考える傾向にありますので治安も良いですし、秩序が整っています。
それとは逆に、霊的に未熟な方の割合が高い国ですと、依存心が高い上に自己中心的な傾向が強く、互いに責任を押し付けあうことに終始する為になかなか秩序を保つことが出来ません。
結果、治安が悪化しやすく、犯罪を悪い事だと認識出来ない環境が出来上がりやすいのです。
霊的に成熟している場合でも、遭えて苦労の多い国を選んで生まれてくる方もおられますが、それらの場合は自らの霊的成長だけが目的ではなく、某かの役割を負って生まれてくる場合が殆どです。
それとは逆に未熟な場合でも、楽に安心出来る環境を求めて成熟した国を選んで生まれてくる方もおられますが、その責任の重さ故に周囲の方々の価値観を理解出来ず取り残されてしまい、結局は環境に馴染めずに苦労する事になるでしょう。
場合によってはとんでもない大犯罪に手を染めてしまうかもしれません。

霊的に成熟した方は自分より弱い存在を護り育てたいと思うものですが、一方、未熟な方は自分より弱い存在に自分の力を見せつけ、支配する事で優越感を満たそうとします。
霊は己の欲求のままに生まれる環境を選びます。
霊的成長と共に関心事が増えれば、より複雑で責任の伴う環境を選ぶようになりますが、逆に未熟な状態ですと、関心事も極僅かですから、より単純で責任も軽く、依存して暮らせる環境を求めるようになります。
成熟した人々が大勢暮らす国では責任感のある方の割合が高いため、より多くの国民が率先して働いた結果として国は栄えますが、未熟な人々が大勢暮らす国では誰かに縋って生きる事を考える方の割合が高いため、より多くの国民が誰かに助けてもらう事ばかりを考えてしまうために独裁者の温床となりやすく、結果として国はいつまでも貧しいままで苦しい生活を強いられるようになるのです。」

(2010年6月10日)





一応補足しておきたいのですが、霊的成熟度とは単純に一つの尺度で推し量れるものではありません。
学校教育において様々な科目の知識や技術を習得しますが、人それぞれに得手不得手があり、又平均的には劣っているようでも、特定の分野においては他の追随を許さないという場合もあります。
これと同様に、霊的に成熟している方でも劣った側面を抱えておりますし、霊的には未熟でも特定の部分の能力には優れている場合も多々あることをご理解頂ければと思います。
一見、どれほど優れているように見える方であっても、人間として生まれたからにはそれなりの未熟な側面を併せ持っているのです。
また、同じ国の中でも霊的成熟度の異なる方が様々に入り交じっておりますので、安易に「生まれる国によって霊的成熟度に違いがある」と表現してしまうと、理解の足りていない方には誤った印象を与える可能性がありますので、その点は充分に気をつけなくてはなりません。

【Silvercord】管理人 

2010年6月9日水曜日

宗教団体が政治に関わる事(その2)

先日投稿した記事【宗教団体が政治に関わる事】について、一部誤解を招く表現があったとのことで、霊界の住人の皆様から追加のコメントを預かりました。
両者を併せてご覧頂くことにより、霊界の住人が「宗教団体と政治との関わり」についてどの様に見ているのかが、より明確にご理解頂けることと思います。





■ 霊界の住人の補足説明

「以前、宗教団体と政治についてのお話をした際に『政治家に助力するのは許される範囲』という誤解を招くような表現をしてしまいましたので、その部分について改めてご説明させていただこうと思います。
私どもがここで言いたかった事は、宗教の教祖が『一個人として政治家に助力する事は許される範囲である』という事でありまして、教祖として宗教団体を挙げて、一人の政治家や一政党を支持する事は許される範囲を超えているものと思われます。
例え同じ団体に所属する人々であっても、教祖の一存で信者たちの自由に選べる権利を侵害する事までは許されてはおりませんから。
信者も様々な考えを持ち、それぞれの立場で選択するものが異なっているという事を、教祖が許容出来ないようでは偏りが生じてしまいますし、少々行き過ぎであると言えます。
人としてこの世界で暮らす上で注意しておきたい部分と、個々人の責任において自由に選べる部分は明確に分けておく必要があるのです。
そこの所を混同してしまいますと、教祖の独り善がりの団体と化してしまいますので注意が必要なのです。」

(2010年6月9日)





先日投稿した【宗教団体が政治に関わる事】では、宗教団体が主体的に政治活動に関わるべきではない――つまり宗教政党など以ての外だという点を強調しておりましたが、この度の補足では「宗教団体として特定の政党や政治家を支持するのも問題がある」と述べております。
日本でも特定の宗教団体が政党を設立して政治に関与する例はありますが、余り一般的ではない印象があります。
しかし、一宗教団体として特定の政党や政治家を支持する例は、それ程珍しくないのではないでしょうか。
そもそも「宗教とはなんぞや」と問い直してみれば、信徒の自由意思や自主的に判断することを妨げる『宗教団体の教祖』や『聖職者』は、実は霊的知識に対する理解が不足しており、とても人を導くだけの器を持つ人物ではないと自ら証明することになります。
なお、当Blogでは特定の宗教団体を批判する意図はありませんし、現代の人間社会における宗教の意義も理解しているつもりでおりますが、霊的知識に照らして世の中を観察していると、余り感心できない活動を行なっている宗教団体もしばしば見受けられますので、この記事をご覧の皆様は是非慎重に見極めて頂ければと思います。

【Silvercord】管理人 

2010年6月5日土曜日

目の前にある現実に向き合う事

今回は、【天孫降臨の地宮崎に神が降臨する】のコメント欄に頂いた、匿名様からの質問に答えて頂く事が出来ましたので、ご紹介したいと思います。
匿名様ご希望の『小津安二郎』と名乗る霊は、この度の依頼に少々戸惑ってしまったようですが、快く応じて頂きました。





■ 匿名様の質問

いつも興味深く読ませていただいています。こちらでは数々の例の方々のお話を伺っておられますが。主に政治家が多くたとえば文化人・芸術家の霊のお話を伺うことはできますでしょうか。私は映画監督小津安二郎の霊に現在の日本人のあり方についてどう思われるかお聞きしたいです。映画人生の中で一貫して日本人家族の絆と愛情の綾を描かれ、また支那・シンガポールと2度に渡って従軍された小津さんに、現在の日本人が特に大切にしなければならないことと、今後日本とアジア、中国との関係についてどうあるべきかをお尋ねしたいです。





■ 小津安二郎霊からの回答

「私にこのような機会が与えられた事に戸惑いを感じてしまい、お返事が遅くなってしまいました。
ご質問をいただきました匿名様には大変申し訳なく思っております。
私の話がどれ程皆様のお役に立つのかはわかりませんが、折角いただいた貴重な機会ですからお話させていただこうと思います。

先ず、第一に申し上げたい事は、匿名様が耳を傾けるべき相手は私のような故人ではなく、今現実に日本で生きている皆様の言葉だと思うのです。
“今を生きている” それだけで、その人々が語る言葉はそれぞれの立場なりの真実であり、それこそが今の日本の現実であると思うからです。
様々な意見があるでしょうし、中にはとても納得出来ないような意見を述べる方もおられるでしょう。
ですが、それはそれで今の日本が抱える現実の一つであり、その姿が形となって表面化しただけであると思うのです。
それらの現実も、これからの日本の指針を考える上でとても貴重な判断材料の一つと言えます。
どのような意見も、その全てが今の日本の現実であり、その現実に真正面から向き合う必要がありますね。
皆様が目指す未来へと日本を導く為にも、今抱えている問題を解消する術を考えなければなりません。
その為には、今の日本の現実をキチンと把握する事、先ずそこから始める必要があると思います。
誰しも、苦しい事や辛い事、不安な事などからは目を背けたいと思うものですが、目を背けてばかりいては解決する事も儘ならず、問題を先送りするだけで状況を悪化させてしまいます。
今、日本の皆様に必要な事は、現実に向き合う覚悟と、未来へと希望を繋げる為に一歩前へ踏み出す勇気のように思います。
一度覚悟を決めてしまえば、後は望む未来の実現の為に出来る事をコツコツと成し遂げれば良いだけだと思いますから。

中国などのアジア諸国との関係について、日本は今後どうあるべきかお尋ねでしたね。
それでは逆にお聞きしますが、日本の皆様は今後、中国などのアジア諸国とどのような関係を望みますか?
その返答次第で日本の取るべき対応が変わってきます。
先ず、日本がアジア諸国とどう付き合って行きたいのかを明確にする必要があると思います。
そうでなければお話になりません。
日本の未来は誰かが与えてくれるものではなく、日本国民である皆様が創造するものだと思うのです。
だからこそ、国民一人ひとりが、日本の未来を真剣に考えてみる必要があるように思います。
日本自体がどのような国でありたいのかを明確にしない限り、諸外国に対応しようが無いように思うのです。
柔軟である事と優柔不断である事の違いを、キチンと理解する必要がありそうです。
自我が確立していて初めて柔軟な姿勢をとる事が出来ます。
一方、自我に乏しい状態だと優柔不断になってしまいます。
この両者の違いをキチンと理解出来れば、今の日本が抱える問題は解決出来ると思うのです。」

(2010年6月5日)





小津安二郎という方については、生前映画の制作に携わっておられたという以外には、殆ど存じ上げておりませんが、この度は慎重で抑制的ながらも、非常に考えさせられる回答を頂けたのではないでしょうか。
回答と言うよりは、私たちの自覚を促す為の問いかけと言えるかも知れません。
質問者の匿名様、そしてこの記事をご覧の皆様は、小津安二郎霊の意見について、どの様に答えられますか。
  • 「現在についての問いかけでしたら、故人よりも現代を生きる方にこそ問いかけては?」とのご意見について。
  • 「日本の皆様は、今後中国などのアジア諸国とどの様な関係を望みますか?」との質問について。
自我が確立されているかどうかが、『柔軟な姿勢』と『優柔不断』を分けるとの指摘はその通りだと思います。
これまでの日本国民の皆様には、「自分自身が何をどの様にしたいか」が曖昧なまま、周囲の様子を伺って「なるべくその場を穏便に済ませたい」傾向が目立っておりましたが、それでは相手に誤ったシグナルを送るだけで建設的な関係を築く事が出来ません。
そもそも文化的な背景や価値観の異なる者同士ですから、互いの理解が充分に深まるまでには様々な誤解や衝突の繰り返しは避けられません。
この数十年間、日本はそういった外交関係のイヤな側面から逃げて回っていたのですが、そのまま逃げてばかりでは国の行く末を危ぶませる事に気付きつつあります。
その様な現状を踏まえて、ご覧の皆様は小津安二郎霊の問いかけに何と答えられますか。

【Silvercord】管理人 

2010年6月1日火曜日

ナザレのイエスとキリスト教会

今回は、記事【世界政府と新世界秩序】のコメント欄に頂いた匿名様からの質問について、『バチカンの拠点開放に携わる霊団』の皆様の回答が寄せられておりますので、ご紹介します。





■ 匿名様の質問

はじめまして。
いつも大切なお言葉を届けていただきありがとうございます。
はじめはオカルトなんてほとんど眉唾物だと思っていたのですが
オカルト抜きにしても管理人様、霊媒M様のお言葉にはもっともなことが多く、勉強させていただいています。

ところで、以前から気になっていることがあるのですが、本家の方で
イエス・キリストも霊界のかたがたの意向によって出現した
と書かれていたと思うのですが、歴史を振り返ってみるに、争いの中心にいつもキリスト教がいます。
多くは宗教戦争ですが一神教は排他的であり他の宗教を許さないというか受け入れないところがあります。
それが民族間の対立や人種差別にも繋がっているように思えます。
そうだとしたら、何故霊界の方々はキリスト教(ユダヤ教やイスラム教も)を一神教としたのでしょう?
日本のように多神教ならば争いごとも減ると思うのですが。

キリスト教圏の人にとって物の善悪は教義に基づいているというのはどこかの本で読んだことがあるのですが
戒律を厳しくしないと己を律せない人が多いのかしら?
とか考えてしまいます。

まぁ、これは私の素朴な疑問でありますので質問というほどのものではありませんが
世界はつながっていて、霊界の方々の総意も同じなら
はじめから争いごとの少ないように作ればいいのに、
とか思うわけです。
結局、神と称されるものは同じ存在なわけですよね。
わざわざ争いの種をまいて神さんは意地悪やなぁ、とかおもっちゃうのです。





■ バチカンの拠点開放に携わる霊団の回答

「匿名様が疑問に思うのも仕方の無い事だと思います。
ですが、霊界からもたらされた知識そのものと、その知識を受けた皆様がそれらをどのように活用されるのかは、また別の話となります。
確かに、皆様の世界の秩序を守る上で、必要と思われる霊的な事柄に関する部分の管理は任されてはおりますが、基本的には皆様の世界は皆様のものです。
物質面における直接的な管理責任は皆様に託されているのです。
私どもに主に託されている仕事は皆様の霊的な成長のためのサポートであり、皆様の求めに応じた情報開示と経験の場を提供する事です。
人は皆誰しも、自ら経験しなければ確信を得る事は出来ません。
人伝てに聞いた話や本で知った知識は、ただ単に“情報として知っている”というだけに過ぎず、自らの経験を通してしか本当の意味を学び取る事は出来ないのです。
そして、霊界からもたらされた多くの情報について、確信を持って理解していると言える方はまずおりません。
経験していないのですから当然の事なのです。
争いが起きてしまうのは、皆様が霊界から得た情報を上手に活用する術を知らない故の副作用みたいなものなのです。
そして、何故それらの情報を上手に活用出来ないのかと言えば、経験を積んでいないために扱い方がよく分からないからなのです。
どんなによく効く薬でも、服用の方法を誤れば毒になるのと同じ事です。
どんな事柄に関してもそうだと思うのですが、経験に裏打ちされた知識は揺らぐ事はありませんが、ただの情報として知っている知識はその時々で姿を変えてしまい易く、時には伝えられた意図とは全く正反対の解釈をしてしまう場合もあるのです。
だからこそ、自ら経験する事はとても重要なのです。
皆様を甘やかすのはとても簡単な事です。
常に先回りして障害を取り除いてあげれば良いのですから。
私どもと致しましても、作業としてはそちらの方がとても簡単なのです。
ですが、それでは皆様はいつまで経っても世の理(ことわり)を知る事が出来ず、多くの時間を浪費してしまう事になります。
争う事は必ずしも罪深い行為という訳ではありません。
それも一つの経験ですし、その経験を通してしか他者との関わりを安定する術を学び取る事が出来ません。
何度も失敗を繰り返し、試行錯誤の末に導き出した答えだけが“本物”なのです。
我侭を繰り返せば、必ずその結果を受ける時が訪れます。
その時になって初めて、今までの自らの行動が誤りであったと悟るのです。
逆に遠慮し過ぎても、他者との関係は安定しません。
いつも心の奥底に不満が生じているため、それらの不満が行動や言葉、表情などに無意識の内に表れてしまうからです。
それなのに、本人は全くの無自覚なのですから堪ったものではありません。
相手の方は、ざぞや不愉快な思いをされることでしょう。
そうしている内に、どんどん孤立してしまいます。
その時になって初めて、自らの愚を悟るのです。
悟るための経験を積まなければ、皆様はいつまで経っても無知なままです。
皆様は、無知なままで誰かの言いなりに生きる事を望まれますか?

さて、日本が特殊な考えを持っているのは霊界の事情も関わっておりますので、当たり前と言えば当たり前の事なのです。
霊界と地上界を繋ぐ拠点を抱え、世界で唯一開かれた状態であった期間がとても長いのです。
今でこそバチカンの拠点が開放されておりますが、それまでは日本だけが霊的エネルギーの根幹の通り道だったのですから、その土地に住まう方々が霊的な事柄に柔軟な考え方を持っている事はとても自然な事なのです。
今後は、バチカンの拠点開放の影響から、ヨーロッパ各地でも価値観の変化が起きてくるでしょう。
何れは日本の価値観とも相通ずるようになってゆく事になります。
そうでなければ、無用の争いを生むだけで拠点を護りぬく事は出来ませんから。
今までは準備期間であり、キリスト教世界が本領を発揮するのはこれから未来の事となります。」

(2010年5月31日)





さて、バチカンの霊団の皆様から、「この回答で説明の足りていない部分があったら補足を加えるように」と言付かっておりますので、何点か補足しておきたいと思います。
まず、霊的視点からキリスト教を見る場合、『ナザレのイエスが語った言葉』と、『キリスト教会における信仰』とを分けて考える必要があります。
というのは、聖書に記されたナザレのイエスの言葉から、『この人物が霊的知識に精通していた』ことが伺えますが、『キリスト教会の聖職者達』はナザレのイエスの教えの本質を理解する事が出来ない為に、彼らなりの偏った解釈を信仰の軸に据えてしまいました。
匿名様が「歴史を振り返ってみるに、争いの中心にいつもキリスト教がいます」と違和感を示しておられるのは、恐らく霊的知識を深く理解していたと思われるナザレのイエスの教えを、霊的知識についての理解が足りないキリスト教会の聖職者が、中途半端な理解に過ぎない勝手な解釈を『イエスの教え』として信仰の中心に据えてしまった事が原因だと思います。
特に『贖罪説』は完全な誤りであり、イエスの教えを著しく歪める原因となったというのは、霊界の住人の共通見解となっております。
そして、ナザレのイエスが地上に生を受けた意味は、当時の人々(それから現代にかけてキリスト教を信仰する全ての人々)に対して、霊的知識に対する理解を深めた人間の理想像として、私たちが目標とする人間像をいち早く世に示すことにありました。
しかし、キリスト教会の聖職者と信者達は、イエスを特別な存在として神の座に祭り上げてしまった為、長い間に渡ってイエスが地上に生まれた意味に気づかず、彼の人生から霊的知識のエッセンスを読み取る事も出来ませんでした。
問題は神や霊界の住人の側にあるのではなく、人間の理解不足と根拠のない思い込みにあるのだという事をご理解頂ければと思います。

【Silvercord】管理人