2014年8月8日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その3)

この記事は、以前投稿した下記記事の続編となりますので、未読の方はこちらの記事より順番にご覧下さい。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】
『ヨハネの黙示録』第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙について。

【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】
『ヨハネの黙示録』第四章~第七章、イエスが神から託された巻物の七つの封印のうち、第一~第六の封印を開いてゆく。





■ 巻物の第七の封印

黙示録第八章の冒頭で、イエスはいよいよ巻物の第七の封印を開きます。
第二節~第五節では、神から七人の天使にラッパが与えられ、金の香炉を持った別の天使には多くの香が与えられます。
玉座の前にある金の祭壇の火を香炉に満たして、そのまま天使は香炉を地上に投げつけます。
ここで、金の祭壇の火とは神聖なる力を表しますので、この後地上で起こる出来事は神様の神聖な力による出来事であることを示します。
そして神様よりラッパを与えられた七人の天使が、事態の進捗状況を知らせる為にラッパを鳴らします。
それは以下のような流れで進みます。





■ 第一の天使がラッパを吹いた

黙示録の第八章第七節では、第一の天使がラッパを吹きました。
すると血の混じった雹と火が生じて、地上に投げ入れられます。
その為に地上の三分の一が焼け、木々の三分の一も焼け、全ての青草も焼けてしまいます。
霊界の住人によると、これは大規模な陸上戦闘によって多くの血が流れ、また大地が著しく荒廃してしまうことを示しているようです。
一見すると、さらりと簡単に流しているようでも、地上の三分の一を焼くのですから、恐らく相当大規模の戦争が起こるのか、もしくは広範囲で紛争の絶えない世の中になることを示唆しているのではないかと思います。
それでも、今後に控えている事態を思えば、まだまだ序の口と言うことなのでしょうか。





■ 第二の天使がラッパを吹いた

黙示録の第八章第八節~第九節では、第二の天使がラッパを吹きました。
すると火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられます。
その為に海の三分の一が血に変わり、被造物で海に住む生き物の三分の一が死にます。
また、船の三分の一が壊されます。
霊界の住人によると、これは大規模な海上戦闘が起こり、その為に海の生物に多くの被害が出て、また多数の船舶が沈められる事を示しているようです。
特に注意したいのは、あえて「被造物で海に住む生き物」と表現している点で、被造物=神の手により創造された生き物であると強調したい心の内が伺えます。
つまり、人間同士の諍いが原因で起こった戦争に、神が創造された海の生物を多数巻き込む理不尽さを諫めているように読めるのですが、いかがでしょうか。
ともあれ、海の三分の一を血に染める大海戦が起こるようです。





■ 第三の天使がラッパを吹いた

黙示録の第八章第十節~第十一節では、第三の天使がラッパを吹きました。
すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川の三分の一とその水源の上に落ちます。
その星の名は「苦よもぎ」といって、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなったので、多くの人が死にました。
霊界の住人によると、これは深刻な水質汚濁が起こり、飲用水として使用していた川の水が汚染されて、毒水に変わってしまった事を示しているようです。
それ程の深刻な水質汚濁の実情を知らなかったのか、もしくは知っていても、他に清浄な水を手に入れる手段がなかった為に、毒水と知りつつ飲用せざるを得なかったのかは分かりません。
いずれにせよ、毒水を飲んだ為に多くの人が犠牲になってしまうようです。
さて、ここで述べている「苦よもぎ」が、ウクライナ語ではチェルノブイリと言う、との指摘があります。
この記述が、1986年にチェルノブイリ原子力発電所で起きた、原子力事故を暗示しているのではないか、との意見なのですが、霊界の住人は明確に否定します。
第一章から順番に、『ヨハネの黙示録』の一連の流れをご覧になってきた皆様でしたら、ここでいきなりチェルノブイリ原子力発電所事故の記述がされるのは不自然であり、文章の前後と何の脈絡もないと気づかれることでしょう。
それよりもむしろ、「苦よもぎ」の海外での名称が、『創世記』の「楽園から追放された蛇が這った後に生えた草」であるという伝説があって、それに因んで名づけられたそうなのですが、そちらとの関係の方が強そうです。
『創世記』第三章では、予め神から禁じられていたにもかかわらず、蛇がエバを騙して善悪を知る者の実を食べさせ、アダムも蛇に唆されたエバの言うままに木の実を食べてしまったので、それを知った神はアダムとエバを楽園から追放します。
エバを騙した蛇とは悪魔サタンを指しますが、その蛇の這った後に出来た草ですから、悪魔サタン的な価値観を象徴する草と見ることが出来ます。
つまり、人間社会がサタン的価値観に支配された結果として、必然的に清浄な水も毒水に変質してしまうと言う比喩表現でしょうか。
残念ながら、「苦よもぎ」の名前にまつわる伝説は確認できませんでしたが、もしその伝説の内容が詳しく分かれば、他にも何かが分かるかも知れません。





■ 第四の天使がラッパを吹いた

黙示録の第八章第十二節~第十三節では、第四の天使がラッパを吹きました。
すると太陽の三分の一、月の三分の一、星の三分の一が損なわれて、それぞれ三分の一が暗くなりました。
その為に、昼は光の三分の一を失い、夜も同じようになりました。
そして一羽の鷲が空を高く飛びながら、大声で言いました。
「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者達。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」
霊界の住人によると、これは壮絶な大気汚染が起こり、太陽や月、星の明かりが地上に届きにくくなる程、空が暗くなってしまうことを示しているようです。
そんな空に一羽の鷲が飛んでいて、これから三人の天使がラッパを吹く度に、地上に住む人に不幸が襲うと警告しております。
何故鷲がその様なことを言うのでしょうか。
聖書の中で鷲が何を象徴しているのか、軽く調べてみましたが、何か特定の象徴とされているようには感じられませんでした。
あえて一つ上げるなら、第四章第六節~第七節に、玉座の中央と周りに四つの生き物がいるのですが、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであったということなので、あるいはこの鷲のような生き物を指しているのかも知れません。
そして、この鷲が発した言葉の意味は、以下の様な意味合いと受け取るのが正解でしょう。
第一~第四の天使がラッパを吹いた時には、それが例え思ったような結果に結びつかなくても、地上に住む人が自ら選択した行動です。
しかも、その選択は蛇の這った後に「苦よもぎ」が生えたように、悪魔サタンが引いたレールに沿って進められてきたものです。
だから自ら選択した結果は自分で刈り取る決まりに則って、これから三人の天使が吹くラッパの合図と共に、自ら選んだ結果が還ります。
それが地上に住むあなた方にとっては、不幸な偶然としか見えなくても。





■ 第五の天使がラッパを吹いた

黙示録の第九章に入って第一節~第十二節では、第五の天使がラッパを吹きました。
すると、一つの星が天から地上に落ちてきます。
この星には、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられていましたので、底なしの淵の穴を開きました。
すると穴から、大きな竈から出るような煙が上がって、太陽も空も煙の為に暗くなってしまいました。
その煙の中からイナゴの群が地上へ出てきます。
そのイナゴには、地に住むサソリが持っているような力が与えられており、地上の草木を損なってはならないが、額に神の刻印を押されていない人には害を加えても良い、と言い渡されました。
害を加えると言っても、殺してしまうのではなくて、五ヶ月の間苦しめることを許されました。
サソリのような力を与えられたイナゴは、サソリが人間を刺したような苦痛を与えます。
イナゴに刺された人は、五ヶ月の間、いっそ死んでしまいたいと望んでも、死ぬことが適いません。
イナゴの姿は出陣の用意を調えた馬に似ていて、頭には金の冠に似たものをつけ、顔は人間のようです。
女のような髪を生やして、獅子の歯のような歯があります。
胸には鉄の胸当てのようなものを着けて、羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようです。
更にサソリのような尻尾と針があって、尻尾には五ヶ月の間、人に害を与える力がありました。
イナゴは底なしの淵の使いを王として仕えていました。
王の名はアバドン、又はアポリオンと言います。
さて、一見すると、地上に大きなクレーターを作る程大きな隕石が落下して、その隕石の中に混入していた未知のウイルスが活性化、死に至る程ではないにせよ、一時的に感染が広がって多くの罹患者が出る――そんなシナリオが思い浮かびそうですが、ここはちょっと捻って考える必要がありそうです。
底なしの淵から煙が上がって、煙の中からイナゴの群が出て来ます。
このイナゴについてかなり詳細に説明しておりますが、このイナゴ――サソリのような力を与えられて、額に神の刻印を押されていない人に苦痛を与えるイナゴとは、一体何者なのでしょうか。
そのヒントは、イナゴが閉じ込められていた底なしの淵にあります。
『ルカによる福音書』第八章第二十七節~第三十三節には、イエスがレギオンと名乗る男と出会ったエピソードが記されております。
レギオンは悪霊に取り憑かれておりましたが、悪霊はイエスに「底なしの淵へ行け」と命じないように、イエスに願います。
ちょうど辺りの山には豚の群がいたので、悪霊は豚の中に入るからとイエスに願い出ると、イエスもそれを許します。
悪霊が豚に取り憑くと、豚の群は湖になだれ込んで溺れ死んでしまいました。
このエピソードから、底なしの淵とは、イエスが悪霊に「そこへ行け」と命じるような場所であり、恐らく悪霊に満ちた場所である事が想像できます。
ですから、イナゴの正体は、かつてイエスに「底なしの淵へ行け」と命じられた悪霊達なのでしょう。
このイナゴには、サソリのような力――毒で人に苦痛を与える力が与えられますが、致死性ではなく、「額に神の刻印を押されていない人」を、五ヶ月の間だけ苦しめることが出来ます。
では、サソリの毒とは、一体何でしょう。
それを知るには、イナゴの姿を知ることが頼りになります。
イナゴは出陣の用意を調えた馬に似ていて、胸に鉄の胸当ての様な物を着けて、羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ馬車の響きのようなので、イナゴの目的は何らかの戦闘の準備であることがわかります。
また、いずれも~のような物とか、~に似た物とあるので、そのものを指しているのではなくて、物の例えとしてその様な表現をしているのでしょう。
更に、イナゴの頭には金の冠に似た物を着けています。
金の冠とは、黙示録の第四章第四節で、神の玉座の周りにある二十四の座にいる、白い服を着た二十四人の長老が、頭に金の冠を被っていました。
長老は白い衣を着ているのですから、きっと遙か昔に勝利を得ていた者であり、神の玉座の周りに専用の座を与えられているのですから、神の側近と言ってもよい程の、高い権威のある方達なのでしょう。
その長老が被る金の冠と似た物を被っているのですから、きっと長老達を装った偽者なのです。
更に、顔が人間のようであり、女のような髪の毛が生えています。
さて、人間のようであり、女のように見えるとはどういう事でしょう。
女と言えば、『創世記』の第三章には、蛇が女を唆して、神に禁じられた善悪を知る実を食べさせ、アダムも女の言うがままに、善悪を知る実を食べてしまうエピソードが記されています。
つまり、かつて楽園で女が蛇に言われるがままアダムを堕落させたように、何者かの言うがままに「額に神の刻印を押されていない人」をたらし込んでしまう――それがイナゴに与えられた、サソリのような力の意味ではないでしょうか。
イナゴは神の近くにいる聖なる存在を装って、「額に神の刻印を押されていない人」に近づき、かつて蛇がアダムと女を騙したように、人を陥れるような話を耳元で囁いて唆すのでしょう。
「額に神の刻印を押されていない人」が、聖書に記された神の言葉の意味を理解できるとは思えませんし、そもそも神の言葉に照らして考えようとも思わないでしょうから、その話を真に受けてしまった為に、苦痛を受ける事になるのでしょう。
それは聖なる者を騙る紛い者、現代でも見られる犯罪紛いの宗教ビジネスやカルト宗教の主催者達にこそ、ピタリと当て嵌まる姿ではないでしょうか。
「~を買わないと呪われる」とか、「~をしないと救われない」などと、知識が欠けている人々の恐怖と不安感を煽って誘導し、精神的に追い詰めて洗脳してしまう――その様な被害に遭ってしまった方にとっては、例え死に至らなくとも過酷な精神的苦痛を受けるでしょうし、場合によっては死んでしまいたいと思い詰めてしまう人もいるかも知れません。
イナゴが与える苦痛とは、神の教え、神の言葉であると偽った紛い物の言葉によって、神の刻印を押されていない人を苦しめ、惑わせることを指すようです。
そして、イナゴがこの様な苦痛を与えるのは、この後に訪れる戦闘に備える為です。
ところで、「額に神の刻印が押されていない人」とわざわざ名指ししているのですから、この頃にも「額に神の刻印を押されている人」もいるのでしょう。
では、刻印を押されていない人がイナゴに苦しめられている時、刻印を押されている人はどうしているのでしょうか。
神の刻印を押されている人とは、神の言葉の意味をよく理解し、その言葉のままに実践している人を指します。
前回の記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)】でも述べておりますが、黙示録の第七章で第六の封印を開いた後、天使が神の僕(しもべ)達の額に刻印を押して回っていました。
彼らは既に勝利を得ることが約束されており、後に白い衣を着て、神の玉座の近くで仕えることになります。
ですから、幾らイナゴ達が聖なる者を装って、紛い物の言葉で騙そうとしても、神の言葉とそうでない物を的確に見極める事が出来ます。
ですから、額に神の刻印を押されている人は、上手にイナゴの苦痛を避けることが出来るのです。
説明が長引いてしまいましたが、あと少しだけお付き合い下さい。
では、そもそもイナゴが出て来た煙、底なしの淵の穴の鍵が開いた時に上がった、大きな竈から出るような煙とは何でしょうか。
その煙によって、太陽も空も覆い隠されて暗くなってしまうとあります。
これは、イナゴである悪霊達が吹聴して回る価値観、物の考え方が社会に蔓延って、神の言葉と紛い物の言葉の違いが分かり難くなってしまうことを表しております。
そして、底なしの淵に閉じ込められていた悪霊を解放した者、天から地上に落ちてきた星であり、底なしの淵の穴を開く鍵を持っていた者は悪魔サタンと言うことになります。
これで、第五の天使がラッパを吹いてから起こる出来事に付いて、概ね解説しましたが、最後に一つだけ付け加えます。
それは、悪魔サタンに底なしの淵の穴の鍵を渡したのは誰なのか、と言うことです。
ここで先に結論を述べてしまうと、神様から底なしの淵の穴の鍵を開ける権限を与えられたのですが、何故神様は、地上に暮らす人々に苦痛を与えるような行為を許したのでしょうか。
今後の記事において、その辺りの事情が少しずつ明らかになってゆくでしょう。





■ 第六の天使がラッパを吹いた

黙示録の第九章第十三節~第十一章第十四節では、第六の天使がラッパを吹きました。
そうすると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から聞こえた声が、第六の天使に向かって言いました。
「大きな川、ユーフラテスのほとりに繋がれている四人の天使を放してやれ」
四人の天使は、人間の三分の一を殺す為に解き放たれました。
天使達は、この時の為に用意されていたのです。
その騎兵の数は二億であり、彼らは炎と紫、硫黄の色の胸当てを着けて、馬の頭は獅子の頭のようで、口から火と煙と硫黄を吐いていました。
口から吐く火と煙と硫黄により、人間の三分の一が殺されてしまいました。
馬の力は口だけではなく、尻尾にもあって、尻尾には蛇に似た頭があって、その頭で害を加えます。
それらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、悪霊や、金属類や石や木で造った偶像を礼拝することを止めませんでした。
また、彼らは人を殺したり、まじない、淫らな行い、盗みを悔い改めませんでした。
ここまでで第九章が終わりますので、まずはここまでの流れを見てゆきましょう。
最初の、神の御前に出てくる金の祭壇とは、第八章の冒頭で、天使が地上に投げつけた香炉は、金の祭壇から火をつけていましたが、こちらも同じ祭壇です。
また、ユーフラテスのほとりに繋がれている四人の天使、人間の三分の一を殺す為に用意されていた天使とは、第七章の冒頭で大地の四隅に立っていた四人の天使でしょう。
何故なら、彼らには大地と海とを損なうことを(神に)許されているのですが、神の僕の額に刻印が押されるまでは、大地と海を損なってはならないと、神の刻印を押す天使より申し渡されていたからです。
その、神の刻印を押される対象者全員に刻印を押してしまったので、いよいよ四人の天使が大地と海を損なう時が訪れたのです。
四人の天使は、二億の騎兵を用いて、人間の三分の一を殺しました。
この二億の騎兵とは、一体何者なのでしょうか。
騎兵の胸当ては炎と紫と硫黄の色であり、馬の口から火と煙と硫黄を吐いているので、恐らく大規模な戦争を示唆しているのでしょう。
更に、騎兵が乗る馬の尻尾にも力があって、尻尾には蛇に似た頭があって、殺されなかった人に対してはその尻尾で害を加えたのです。
尻尾で害を加えると言えば、第五の天使がラッパを吹いた時に、サソリのような力を与えられたイナゴが、五ヶ月の間だけ、額に神の刻印を押されていない人に苦痛を与えましたが、それと同じ様な事を行ったのでしょう。
つまり、人間の三分の一を殺した騎兵とは、神の言葉を理解できなかった為に、天使によって神の刻印を押されることもなく、神聖な者を装って近づいたイナゴが吹聴する悪魔サタンの考えに洗脳されて、言わばカルト宗教に絡め取られてしまった人々です。
彼らは、自分たちの考えと異なる者の存在が許容できないので、そういった対立する相手には戦争を仕掛けて滅ぼし、それ以外の者には、自分たちが絶対と信じる悪魔サタンの考えで害してゆくのです。
ですから案の定、この争いで生き残った人間は、神聖な者を装った悪霊や、物質で造った偶像を崇めるようになってしまいます。
また殺人や呪術、淫行や盗みを行うことにも疑問を感じなくなってしまいました。
第六の天使の項はまだまだ続きますので、先を急ぎましょう。

そこでもう一人の力強い天使が、雲をまとって天から降りてきます。
頭に虹を頂き、顔は太陽のようで、足は火の柱のようで、手には開いた小さな巻物を持っています。
天使が足で海と大地を踏みしめて、大声で叫ぶと、七つの雷が何かを語りました。
そこで天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ」と言います。
天使は「第七の天使がラッパを吹く時、神の秘められた計画が成就する」と言いました。
そこで再び天の声が「天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ」と言います。
天使は「(巻物を)受け取って、食べてしまえ。それはあなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」と言いますが、それを食べると口には甘く、腹は苦くなりました。
さて、第十章に当たるこの部分は、全体的によく分からないことが記されています。
但し、はっきりと言えるのは、ここまでの流れが神の秘められた計画に沿っており、この後に訪れる第七の天使がラッパを鳴らした時に、神の計画は成就すると言うことです。
そして、ここはあくまでも管理人の予想なのですが、ヨハネが天使から受け取った小さな巻物とは、イエスが七つの封印を開いていった巻物の概要ではないかと思います。
巻物全体ではなく、神の計画を理解する為に欠かせない主要部分のみを抜粋した巻物なので、完全コピーではないと言う意味の小さな巻物なのでしょう。
それは口には密のように甘く=ぱっと見には簡潔にまとめられていて分かりやすく、腹には苦い=内容の核心を理解するのは難しい、と言うことなのでしょう。
その様に考えてゆくと、七つの雷が語ったことは、神の秘められた計画の核心に迫る内容だったので、神の計画が成就する前に明かすのは時期尚早であり、計画の進行に差し支えると言うことなのかも知れません。

それからヨハネは杖のような物差しを与えられて、この様に告げられます。
「神の神殿と祭壇を測り、そこで礼拝している者を数えなさい。
しかし神殿の外の庭はそのままにしておいて、測ってはいけない。
そこは異邦人に与えられたので、彼らは四十二ヶ月の間、この聖なる都を踏みにじるだろう。
自分の二人の証人に粗布をまとわせて、千二百六十日の間、預言をさせよう」
この二人の証人は、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、又は二つの燭台です。
この二人に害を与えようとする者は、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼしてしまうでしょう。
彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力があります。
また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを及ぼせます。
二人がその証しを終えると、一匹の獣が底なしの淵から上がってきて、彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまいます。
彼らの死体は、かつて彼らの主イエスが十字架に掛けられた都、ソドムとかエジプトと呼ばれる大きな都の大通りに取り残されます。
様々な民族の人々は三日半の間、彼らの死体を眺めて、墓に葬ることを許さないでしょう。
地上の人々は、二人の預言者に苦しめられたので、彼らの有様にとても喜んで、贈り物をやりとりするでしょう。
三日半後に命の息が神から出て、二人に入ると立ち上がったので、これを見た人はとても恐れました。
二人は、天からの「ここへ上がってこい」という声に応えて、雲に乗って天に昇りました。
その時大地震が起こって、都の十分の一が倒れて、この地震の為に七千人が死に、残った人々は恐れを抱いて神の栄光を讃えました。
さて、ヨハネが杖のような物差しで測っている神の神殿と祭壇とは、『銀の紐』で度々紹介している『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を指します。
そこで礼拝している者とは、それぞれの拠点の守人達です。
拠点の外側は異邦人に与えられてしまったので、拠点の守人達は拠点の外に出ないように、注意を促しています。
この後、異邦人は四十二ヶ月の間、拠点のある都を踏みにじるので、守人が巻き込まれないようにと言うことでしょうか。
異邦人が拠点のある都を踏みにじるのは、人間の三分の一が殺されてしまう程大きな争いがあって、治安が乱れてしまっているからでしょう。
争いの中を生き残った人々は、とうとう拠点を構えた土地にも牙を剥いて、襲いかかってきたのです。
そこに二人の証人が使わされて、千二百六十日の間、神の言葉を伝える役目を委ねます。
二人の証人とは、かつてイエスが人として為した様に、神が予め伝えた言葉が実際に起こると証明する役割を担う者です。
二人は粗布をまとっていますが、粗布とは言わば喪服のような物で、死者を弔ったり悲しみを表す際にまとうそうです。
彼らは何故粗布をまとっているのでしょうか。
拠点の意味と価値も分からないまま、拠点を構えた土地を占拠したり、偶像崇拝や殺人、呪術、淫行、盗みなどを止めなかった人々は、程なく裁きを受ける事が確定したので、救われない彼らに対する悲しみを表したのでしょうか。
二人の証人が異邦人達に伝えて回った神の言葉とは、きっと「今までに自ら行った行為の結果がこれから現れる」という趣旨であったと想定できます。
異邦人達は、今までに神の言葉に耳を傾けるチャンスが無数にありながら、神の言葉を語る者を迫害し、悪魔サタンの価値観に心酔して暴虐の限りを尽くしたので、この後第七の天使がラッパを吹いた後に起こることを告げたのではないでしょうか。
それは異邦人達にとっては都合の悪い内容だったのですが、二人の証人が誰にも邪魔されずに神の言葉を伝え終える為に、二人には強大な力が与えられました。
二人に害を加えようとする者は滅ぼされ、神の言葉を語る間は雨が降らず、またあらゆる災いをもたらす力です。
しかし、それは異邦人達が今そうされなくても、第七の天使がラッパを吹いた後には、遠からずそうなってしまう宿命なのです。
そんな強大な力を持った二人の証人も、神の言葉を伝え終えてしまうと、底なしの淵から上がってきた一匹の獣に負けて、殺されてしまいます。
その獣とは、第五の天使がラッパを吹いた時に、イナゴが出て来た煙と同じ様に、底なしの淵から上がってきました。
ですから、その獣は悪魔サタンに従う者です。
一方、獣に殺された二人の証人は、都の大通りに三日半も遺体を放置されますが、それは二人の証人が異邦人達に激しく嫌われ、疎ましく思われていたからです。
幾ら証人の言うことが神の言葉であっても、また正しいことであっても、異邦人である彼らにとっては非常に都合が悪く、また思い当たる節のある事を述べていたからです。
ですからきっと、一匹の獣が二人の証人を殺してしまった時に、異邦人達は心底ホッとしたことでしょう。
幾らあの縁起が悪い話を止めさせようとしても、不思議な力を持つ二人の証人には手を出せなかったけれども、これからはあのイヤな話を聞かされなくて済むのです。
異邦人達は大いに喜んで、お互いに贈り物のやりとりまでしたのでした。
そんな彼らによって占拠された都は、ソドムやエジプトに例えられてしまいます。
ソドムとは、『創世記』第十九章で、不品行の為に神によって滅ぼされた町です。
エジプトは、『出エジプト記』第五章~第十一章で、イスラエル人を過酷に使役した上、彼らのエジプトからの出立をファラオが拒否したので、神によって十の災いがもたらされた都です。
ですからこの都にも、かつてのソドムやエジプトと同様の結果がもたらされます。
一方、二人の証人は、かつてイエスが十字架に掛けられた時のように、三日半の後に復活し、神の御許に迎えられます。
その時に大地震が起こって、都に被害が出たり死者が出ると、異邦人達は慌てて神の栄光を讃えるのです。
例え口先で神を讃えようと、彼らは決して自らの行為を顧みて、悔い改めようとはしません。
彼らは異邦人、神の言葉の意味を理解できない人々なのですから。





■ 第七の天使がラッパを吹いた

第十一章第十五節にて、第七の天使がラッパを吹きます。
ここからいよいよ神の裁きが始まります。
第十七節~第十九節では、神の御前に座を構える二十四人の長老が、「神の僕、聖なる者、御名を畏れる者には等しく報いがあり、地を滅ぼす者が滅ぼされる時が来た」事を告げます。
そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見えました。
そういえば、第十一章の冒頭にも「神の神殿と祭壇とを測り~」とありましたが、上ではこれを『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を指すと述べました。
ですから「天にある神の神殿が開かれる」とは、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』が開かれる事を指すはずなのですが、ここまでにイエスが巻物の六つの封印を開く度に、地上にある六カ所の拠点が開いてゆき、この時点では既に全ての拠点が開かれているはずです。
しかし、それに加えて更に拠点を開くとは、一体どういう事でしょうか。
ここで、記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】の七つの教会の天使に宛てた手紙に戻ると、六カ所の拠点の覡と守人に宛てた手紙以外に、もう一通の手紙がありました。
第三章第十四節~第二十二節の、ラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙です。
そこで管理人は、ラオディキアにある教会の天使とは、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の覡や守人を除いた全ての方を指していると述べました。
そこで管理人が思い出したのは、以前投稿した記事【生存報告と今後の予定について】にて紹介した、霊媒Mが取り組んでいる新たなプロジェクトについてです。
以前は、この新たなプロジェクトの内訳についても、出来る限りご紹介しようと考えておりましたが、霊界の住人の方と霊媒Mの意向により、新プロジェクトについては余り詳しく紹介しない方が良いという話になりました。
ですので、この場では説明の為に大まかな内容を述べると、現在は『霊界と地上界を繋ぐ拠点』にて、覡を通じて『想像力と思考力に働きかける霊的エネルギー』を供給しておりますが、いずれは私たち個々の人間が霊界と直接繋がって、霊界から直接霊的エネルギーの供給を受けるようになるそうです。
霊媒Mは、将来的に霊界と人間の関わりをその様に変えてゆく為の、言わば下準備的な作業の一部に携わっているそうです。
人間が霊界と直接繋がると言うことは、現在は各拠点の覡が行っている作業を、個々の人間が行うようになります。
言葉を換えれば、人間全体としての成長度合いが、霊界と直接繋がれるようになるまでの間は、仮に各拠点の覡が、霊的エネルギー供給の作業を代行していると考えれば良いでしょうか。
ということは、第十一章を通して述べているのは、第七の天使がラッパを吹くまでの間に、霊界と直接繋がる準備が出来た人は、第七の天使がラッパを吹いた時に、霊界とその人が直接繋がるようになる=天にある神の神殿が開くのでしょう。
つまり、第十一章の冒頭に出て来た「(地上の)神の神殿と祭壇や礼拝する人」とは、霊界と直接繋がる準備が整っている人なのです。
いずれその様な時が訪れるからこそ、黙示録の第三章でラオディキアにある教会の天使への手紙と題して、私たち多くの人間に向けて準備を促すメッセージを、イエスが残したのでしょう。
一方、第七の天使がラッパを吹くまでに、霊界と直接繋がる準備が出来なかった人は、地を滅ぼす者として滅ぼされることになります。
尤も、滅ぼされると言っても、これは恐らくキリスト教的価値観の影響を受けた大仰な表現だと思いますが、その点については今後投稿する記事の中で明かされることになるでしょう。





■ 第一~第七の天使がラッパを吹くまでのまとめ

『ヨハネの黙示録』の解説を行うに先立って、大雑把に全体的な下読みを行っていたのですが、特に今回の記事については、下読みの段階では読み解けなかった部分が多々ありました。
それは例えば、第五の天使がラッパを吹いた時に現れたイナゴの正体だったり、第六の天使がラッパを吹いた時にヨハネが天使から受け取った小さな巻物だったり、また地上の神の神殿と天の神の神殿の意味について等です。
しかし全般として、第一の天使~第七の天使がラッパを吹くまでの間に掛けては、如何にして、滅ぼされる者が滅ぼされても仕方のない経緯を辿って、最後の審判に臨むのかが語られていた印象があります。
そして、第七の天使がラッパを吹くその時までは、例え一時的に悪魔サタンの誘惑に唆されそうになっても、悔い改めて滅びを免れる為の猶予が与えられていると言うことも、同時に示されています。
そこで、ご覧の皆様がこれからの時間をどの様に使うのかを考えるきっかけにして頂ければ、この記事を投稿した意義があると思います。
次回は、いよいよ裁きの時が始まります。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご利用下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

36 件のコメント:

  1. 人類が今の生き方をこのまま継続すれば必ず招いてしまう未来なのですね。予言というよりも人間の性質を厳密に計算したシミュレーション予測のように思えます。他人に対して昨日よりほんの少しでも多く思いやりを持って生きようと努力するだけで、予言された未来を大きく外すことができると思うのですが、これができないのが人間の弱さなのでしょうね。
    しかしながらこのような結末が予測できているのにあえて地球を造り人類を造った神様の真意が気になります。私たちの中にある良心を信じてくれたからこそ、無謀ともいえる挑戦をされたのでしょうか、それとも一握りだけでもまともに成長する霊がいればいいやという気持ちで造ったのでしょうか。

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    1. 匿名様

      記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】の最初に申し上げましたが、あくまでも「現時点で有効と思われる解釈」であって、必ずその様な未来が訪れるとは断定しておりません。
      しかし、「シミュレーション予測」という匿名様の指摘は当を得ていると思います。
      管理人も、小羊イエスが神から渡された巻物の七つの封印を開いて行く部分については、「神様が人間を成長させて行く計画」の全体像を大まかに表していると捉えております。
      また、神様がこの様な計画を作り、その計画に基づいて地球や人類に働きかけている目的については、今後投稿予定の記事で紹介することになると思いますので、今しばらくお待ち下さい。

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    2. 星や宇宙の運行に神様の正義を見出すことが困難なように、地球への働きかけにも奥深い事情があるのでしょうね。私にも理解できる日が来るよう精進していきます。ありがとうございます。

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  2. 今日は記事がUPされるのではないかと思い、
    楽しみに待っていました!!

    けれど・・・何とも難しいですね・・・
    これを解読なさるなんて、本当に人間業では無いと言うか・・・(苦笑)

    ここまで読ませて頂くと、容赦無いと言う感じですね・・・。
    (もちろん、ここまでが全てでは無いと思っています)
    でも、人間の犯した罪のせいで、他の罪の無い動物たちも滅びてしまうのでしょうか・・・?
    (今現在もそうでしょうか・・・。)
    彼らは無条件に刻印を押して救ってもらえないのでしょうか?
    サタンの手下では無いはずなのに・・・。

    人間(?)を創り出したのも神だとしたら、
    神はどんなゲームを地球で望んだのか、
    それとも私たちがそれを”楽しみたい”と思ったのか・・・

    なんて、少し反抗的な事を思ってしまったり・・・。

    天使に刻印を押してもらえませんね(笑)

    地球で滅びた魂は、今度は何処に行くのでしょうか。。。

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    1. ひまわり様

      人間の行いの犠牲になってしまう動物達について、『ヨハネの黙示録』には言及がありませんので、記事のテーマから外れてしまいますが、『創世記』に関連する記述がありますので、簡単にご紹介します。

      『創世記』第一章第二十四節~第二十七節にかけて、神が地上の生き物や獣たちを造り、男女の人間を造ります。
      そして第二十八節で、神は人間を祝福して次のように言います。
      「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の獣、地を這う生き物を全て支配させよう」

      神は、海の魚や、空の鳥、地の獣、地を這う生き物の扱いを人間に委ねたのです。
      ですから、神から委ねられた生物の扱いを誤って、無駄に犠牲を増やしてしまうことが人間の罪となります。
      それでは、犠牲になってしまった動物達はどうなってしまうのかと言うことですが、聖書の中でその様な言及があるのかは確認できませんが、霊界の住人の見解は以前紹介しております。
      『銀の紐を越えて』掲載記事【環境問題の本質について(メッセージ54)】には、霊界の住人のメッセージとして、以下のような指摘があります。
      「自ら考え決断する思考力を持つ存在は、地上界においては皆様をのぞいてはほとんど存在しておりませんから、メッセージにつきましては皆様を対象に送らせていただいておりますが、皆様を取り巻いております法則は、全ての生命に当てはまるのです。
      他の生物は生存本能によって考え行動しておりますが、皆様は、生存の為だけではなく霊的な部分に関して考える思考力を持っておリます。
      そこが違いとなって表れております。」
      更に、家畜となった動物について
      「飼育されている間は動物園の動物と似たような環境にありますから、それなりに霊的な成長を遂げるのですが、皆様が食する為に命を失いますので、そこで苦しみを味わい、それがどういう意味を持つのかを学んでおります。
      霊的観点から物事を考えられるようになった時に、苦しみをもって自身の命の尊さを学ぶ経験を積んでいるのです。
      人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験なのです。」
      とありますので、犠牲となってしまう動物達の経験についても、いずれ人間として産まれる為には避けて通れない貴重な経験の一つと言うことになります。
      以上をまとめると、動物達は人間になる為に経験を積み、人間は神になる為に経験を積んでいると述べることが出来ます。
      その他の点については、今後投稿予定の記事で解説する機会があると思いますので、しばらくお待ち下さい。

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  3. 記事upありがとうございます。今回も壮大な内容で、とても興味深いです。
    ヨハネの黙示録は、今までは意味が分からなくて難解なだけだったのですが、こうして読み解いていただけると、特に前回の記事の各拠点の状況などはまさにそれぞれの土地を言い当てているようで驚きました。
    しかし、第六の封印が解かれるのが今から1万数千年後、そして今回の第七の封印はさらにその後の世界のことですよね。その頃には人類も進化して、もっと住み良い世界になっているのではと勝手に想像していたのですが、それとは正反対の状況に(このままだと)なっていくようで、ちょっと失望してしまいました。そうならないように、こちらのブログで勉強させていただきながら、人生をまっとうに送れるよう努力したいと思います。

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    1. たらこ様

      ご覧の皆様にもすんなりとご理解頂ける内容になっているのでしたら、今回の『ヨハネの黙示録』の解読作業は概ね成功していると述べて良いのでしょう。
      尤も、発表する媒体がWEB上であったり、キリスト教関連の資料や予備知識の不足から、細かい内容まで深く精査しているとは言えず、大雑把な流れを紹介する程度になっておりますので、管理人個人としては至らない部分もあると受け止めております。
      さて、このままだと住みにくい世界になって行くのか――と言うより、神様は『ヨハネの黙示録』を通じて、「今後この様な計画で人間が暮らす世界に対して働きかけて行く」と、予め手の内を公開しております。
      何故その様な計画を立てたのか、何が目的なのかも、『ヨハネの黙示録』をきちんと読み解くことによって、大まかには窺い知ることが出来るでしょう。
      ですから、まずは『ヨハネの黙示録』に何が記されているのかを最後まで読み込んだ上で、私たちが神様の働きかけをどの様に受け止めて行くのかを考えればよいのではないでしょうか。

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  4. 黙示録は「預言」であって、「予言」ではないですね。 神々があらかじめ知らせるのににはそれなりな意味があるということでしょう? 知ることで諦めるのではなく、今からどう生きるか、どう世界を変えていくかを真剣に考え、できるところから行動するのは責務でしょう。ノアの方舟以来、未だに人間には、生命体の頂点としての役割が課せられているのですから。

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    1. 匿名様

      この度は、『ヨハネの黙示録』を解読する為の参考として、『創世記』など、聖書の関連文書を読む機会がありました。
      そこで改めて聖書を読み込んで感じたのは、「せっかく神様は遙かな昔から様々な知識や情報を伝えてくれているのに、キリスト教会は現代まで聖書をきちんと読み解けないばかりか、わざわざ神様の意図から外れる方向に誘導する悪質さ」でした。
      実は、そうなってしまう理由も『ヨハネの黙示録』にきちんと書いてありましたので、今後投稿予定の記事でご紹介します。
      現代のキリスト教徒の人々は、聖書の文言を歪曲・偏向する聖職者の話を聞くのではなく、聖書に記された神の言葉に耳を傾けた方が良いと思います。
      そこには、私たち人類が為すべきことを見つけ出す為のヒントが隠されています。

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  5. 初めまして。この場がアーカイブ記事の為
    目には留まらないと思いますがヨハネの黙示録の
    第七の天使の登場する第11章についてかなり興味を引く
    サイトページをいくつか見つけたのでまずはご覧下さい。

    (かなりタブーのエッジに関わる記事でした)

    ある怪奇短編小説書き手の宣伝投稿(Yahoo!掲示板textream)
    http://goo.gl/e8YExU

    その書き手の当の作品についての別サイト上投稿
    http://goo.gl/vMvLvq

    それについて関心を持った人物の第七の天使出現時期の仮説
    http://goo.gl/hB9zS3

    恐いですね!

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    1. 匿名様

      コメント及びリンク先を拝見しましたが、一つ目と二つ目のリンク先については、管理人には意味がよく分かりませんでした。

      一応、三つ目のリンク先は、書き手の方の意図はある程度把握できたのですが、管理人とは解釈が異なっているようです。

      ヨハネの黙示録には「千二百六十日」という記述が二箇所登場します。
      一つ目が第十一章三節で、二つ目が第十二章六節です。
      また、「千二百六十日」とは、およそ三年半になります。
      この「三年半」という年月は、キリスト教に取っては特別な意味合いがあります。
      「公生涯」と言って、イエスが荒野でサタンの誘惑に勝利した後、公の活動を始めてから十字架に掛けられるまでの間がおよそ三年半になります。
      ですから、「千二百六十日」とは「公生涯」に関する記述である事を指しています。

      さて、「千二百六十日」の意味合いについては、上記記事では取り上げていませんので、第十一章と第十二章の「千二百六十日」が示す意味についても述べておきましょう。
      第十一章の「千二百六十日」とは、基準となる日から数えて千二百六十日後の状況を指している(三つ目のリンク先の記事の趣旨)のではなくて、ここに登場する二人の証人は、かつてのイエスと同じ役割を果たす者であることを表しています。
      その点については上記記事でも述べていますが、「千二百六十日」という記述を加えることによって、「イエスと同じ役割を担った二人の者が公生涯の間に何を為すか」という意味合いを強調する意図が有ったのではないでしょうか。

      一方、第十二章では、時間の流れが一旦過去へ巻き戻されますので、「女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。」の千二百六十日とは、イエスの公生涯の期間を指します。
      記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その4)】を見ると、女とは人間や生物を生み出した神であると述べていますが、地上に堕とされた竜が女を追いかけるので、女は荒れ野へ逃げ出します。
      荒れ野には「女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった」からです。
      女である神は、イエスの公生涯の期間を通じて、父なる神の計らいで荒れ野の一画に身を置いていた――つまり、人間の暮らす社会とは距離を置いていたので、イエスは父なる神以外の神については語らず、キリスト教もイエスが語る父なる神を唯一の神と認識してしまいました。
      そうして、ここで女と表現される人間や生物を生み出した神の存在は、キリスト教社会から忘れられた存在となってしまいました。

      以上、三つ目のリンク先の記事に関する管理人の解釈を紹介しました。

      さて、冒頭で述べたように、一つ目と二つ目のリンク先についても、管理人には意味が分かりませんし、そのリンク先に関連して、匿名様が何を伝えたいのか(聞きたいのか?)も、管理人には分かりませんでした。
      相手に何かを伝えたり、相手に何かを尋ねたい場合には、その意図がきちんと相手に伝わる言葉を使わなくてはならないと思うのですが、いかがでしょうか。

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  6. 管理人様申し訳ないです。あの1・2番目リンクで言おうとしたのは
    当の小説作者は暗に自分が黙示録第11章の預言者のひとりで
    旧約のヨナのように神様に苦しめられていると言いたいようだし
    彼が忘れられたアダムたち人間の始祖の史実を突き止めたとまで
    主張しているようなのですが本当だろうかと当然疑わしいなと
    思ったので遠回しに訪ねてみたのですが伝わらなくてすみませんでした。

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    1. 匿名様

      コメントの趣旨は分かりました。
      旧約聖書のヨナ書に描かれているヨナは、神様に苦しめられていると言うよりは、「預言者としては未熟なヨナのために、経験を通じて学びを得る機会を神様から与えられた」という解釈が正しいと思います。
      ですから、その小説作者の方が「ヨナのように神様に苦しめられている」と述べているのでしたら、未熟者である事を自ら白状しているのと変わりません。
      また、「彼が忘れられたアダムたち人間の始祖の史実を突き止めた」と述べているのでしたら、その根拠を沿えた解説を本人に求めてはいかがでしょうか。
      管理人としては、一つ目と二つ目のリンク先のどこに、匿名様のコメントの様な記述があるのかが確認できませんでしたので、あくまでも匿名様のコメントを元にした憶測を述べることしか出来ません。
      ですから、実際にその小説作家の方が主張されている内容を直接確認できれば、また別の感想があり得ることを申し添えておきます。

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  7. お返事ありがとうございました。
    たしかに未熟な方かもしれませんが今までの説と
    視点が違いその物書きの方がこれまで主張されて
    来た事をまとめたブログがあったので紹介します
    が正直救世主が弥勒菩薩では無く文殊菩薩だと
    言うことには疑問を感じましたが聖書の読み方
    それに新しい視点が加わるかもしれません。

    自分が言いたかった人祖のことについては
    ブログ内の怪奇譚「レムナ・ハノムの手記」と、
    その【補完記】そして「日本神話の真相を説く」
    の3つに分けて書いてあるので読むのに時間が
    かかるかも知れませんけどそれほど長い文章では
    ないです。

    一応はリンクを貼って置きます。

    http://blog.livedoor.jp/lefanyu444/

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    1. 匿名様

      匿名様がなぜその小説作者の方の説に関心を持たれるのかがよく分かりませんが、少なくとも管理人は「考慮に値しない」と判断しました。
      リンク先の内容は小説と、その小説を書くための言わば「ネタ帳」であって、『ヨハネの黙示録』を解読するという上記記事の趣旨とは異なると管理人は受け取りました。

      弥勒菩薩や文殊菩薩がどの様にして聖書と関係するのかが分かりませんし、それがどうして聖書の読み方に新しい視点を提供するのかも、管理人には分かりませんでした。
      聖書を読む際に必要なのは「新しい視点」ではなく、聖書に綴られた神の言葉を理解する事であり、聖書に記されたイエスの教えに学ぶことなのではないでしょうか。
      この小説作者の方についても、匿名様についても、本当に聖書に目を通しているのかと、疑問を感じました。

      匿名様が言いたかった人祖のこととは、「彼が忘れられたアダムたち人間の始祖の史実を突き止めた」と述べていることだと思いますが、その説を主張する小説作者の方に質問をしてはいかがでしょうか。
      『銀の紐』に掲載している内容とは無関係ですので、管理人に質問をされても回答出来ません。

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  8. さっき見に行くと上のリンクのサイトの
    「再臨のキリストはミロクではない!!」
    という例の救世主文殊菩薩論の記事に
    追記ができていて、内容が偶然の一致
    なのか昔の角川映画「里見八犬伝」の
    パンフに書いてあった滝沢馬琴がその
    物語の元ネタにしたらしい今現在も
    事実上禁じられたままのまつろわぬ
    星の神への隠れた信仰と、当時流行
    していた世の人を八人の護法童子を
    遣わして守るという八字文殊菩薩信仰
    この二つから伏姫と八犬士のキャラを
    作ったのではないかという仮説があった
    のを思い出してびっくりしています。
    後、はっきり思い出せないですが
    文殊菩薩はマンダラの中央下にある
    持明院という世界を闇から救うために
    戦う仏様たちの一人般若菩薩と同じもの
    ではなかったですか。でも、この情報を
    この人は調べて書いてるんですよね?

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    1. 匿名様

      コメントの説は『銀の紐』で取り上げている内容ではなく、管理人もその説を主張する方とは別人ですので、管理人に質問をされても困ります。
      その説を主張されている方に直接問い合わせてはいかがでしょうか。

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  9. 手痛い書き忘れです。

    滝沢馬琴が元ネタにしたらしい星の神とは
    よく言う北斗信仰ですから。すみません。

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  10. 当該の私のサイトは


    === === === === ===

    管理人のあなたが指摘した通り

    拙著創作クトゥルフ神話怪奇譚『レムナ・ハノムの手記』

    この物語のネタ帳でしかない。

    === === === === ===



    が、よくよく考えてみたまえ

    《局所的な否定論に眼を奪われる》のでは無く



    +++ +++ +++ +++ +++



    私のサイトBloodystage管理人であるこの私が



    実際に体験した43年に及ぶ何かの呪いである

    証左の数え切れない連鎖虐待と超常現象



    +++ +++ +++ +++ +++



    真実・唯一無二の『霊的洗礼』


    昨日夕刻からたった六時間ほどの間に起きた

    突如発症した内臓の移動に、それによる

    確実な死が迫った時に偶然知った


    「(聖書)基本聖句100選」というサイトの


    御言葉と「イエス・キリストを主として認めます」と

    それらを口に出し短時間睡眠をとった、ただ

    それだけで先の死病が快癒すると云う



    +++ +++ +++ +++ +++



    幻覚では済ませない『 { 真の秘跡―サクラメント } 』



    これらの確かな事実に「無神論者の諸君らは」



    《 どうやって抗うのかね? 》


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    1. 匿名様及びBloodystage関係者の皆様

      上記記事は『ヨハネの黙示録』の第八章から第十一章にかけてを解読する内容となっており、当コメント欄における2015年5月25日21:02:00以降のコメントは上記記事の内容から逸脱しております。
      よって、これ以上同様のテーマによるコメントの投稿をお控え下さい。
      当コメント欄は、あくまでも上記記事の内容についての感想や質問と回答、それから上記記事で取り上げている部分についての異なる解釈をお寄せ頂く場と想定しておりますので、これ以上のテーマの逸脱は他の読者の皆様への迷惑となります。

      その上で、どうしても自説を披露されたいのでしたら、掲示板に新たな専用スレッドを用意しましたので、そちらへ移動していただけますか。
      そちらへ移動して頂けましたら、管理人がBloodystage様掲載の説に懐疑的である理由を詳細に述べますし、それに対して丁寧な説明を尽くすための場としてご利用頂いて結構です。
      上記記事とはテーマが異なりますので、適切な場所に移動してから続けて下さいという要望ですので、対応をお願い致します。

      移転先はこちら
      http://9322.teacup.com/shelter1114/bbs/t8/l50

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  11. こんにちは。最近ひさしぶりに黙示録に関心をもっており、こちらのサイトに訪問させていただきました。黙示録の解釈の私見についてコメントしたく投稿させていただきました。
    私は現代を生きる人間としての印象として10章前後の部分がこの時代を幻視したものではないかという印象をもっています。
    とくに12章は欧州連合とくに英国と中国とのあつれきについて表現されているように感じています。9章のイナゴはヨハネが目撃したヘリコプターを当時の言葉で表現しているように感じています

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    1. あず様

      コメントを拝見しましたが、何故その様に解釈できるかが記されていませんので、あず様の解釈について何ともコメント出来ません。
      その様に解釈される理由を是非ご披露頂きたいのですが、いかがでしょうか。
      その理由に説得力があれば、黙示録に対する理解を更に深める参考になると思います。

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    2. 管理人さん こんばんは
      9章のイナゴについては引用が長くなりすぎるので聖書の本編を御覧ください。
      12章の「大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。」が中国ではないかと思っています。なぜなら中国は7軍区に分かれておりアメリカの州のようにそれぞれ独自に統括している事、そしてウイグル・チベット・モンゴルを中国国政下に置いているからです。この状態になったのは20世紀後半からです。そこから、その前にある文章も国であると推測しました。EUの旗を御覧ください。そこには12個の星があります(ECの時代は12カ国連合だったから)そこからさらに女は誰かといえば英国でしょう。女王を抱いてるからということ、また欧州連合のリーダーシップをとっていただろうからです。足元の星はおそらく中東イスラム諸国のことでは? そして現在の世界経済の英国と中国との結びつきの時事事情を考えれば現在から近い未来を預言してるのが12章後半部分だろうと私はとらえています。

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    3. イナゴはもちろん戦闘用ヘリです。「アパッチ」で画像検索してみて9章本分と比較してみてください。 ただ五ヶ月がどの紛争介入を指してるのかまではわかりませんでした。
      12章の「女が大陽を着て」は錦の御旗=キリスト教ということかな?と考えています。
      「生んだ男の子」についてはわかりませんが、「女は荒野へ逃げて行った」がEU脱退可決であったとしたなら、既にある何かのことだとおもわれますし、実際に脱退が現実化するならごく近い未来までにそれらしき時事ニュースを耳にするはずだとおもわれます。

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    4. ? もうひとつコメント書いたのですが未来の事象について書いたからなのか反映されてないみたいですね。。 また時機があうようなら書いてみます 今日はこのへんで・・
      おやすみなさい

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    5. 11章
      「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう。 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。 」はプロテスタントとカソリックについてではないでしょうか。
      キリスト教世界の分派について詳しくはしりませんが、大きな枝としてはこの2つに分かれるのでしょう。そして綺麗な白衣ではなく荒い布である。これは両派ともに歪曲した伝え方になってしまっている事を表しているのだ、とおもわれます。

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    6. 12章の「女が荒野に逃げていった」が英国の行動を表しているとするならばEU脱退という矮小な出来事ではなく、その先に混乱を起こすような行動を取るという意味であるならばリーマンショック時の韓国と米国のようなかんじで経済活動の混乱を引き起こす引き金を英国がひいて、中国の怒りをおおいに買っていさかいが起こる、というような意味ではないか?と考えています。

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    7. あず様

      12章の「大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。」とは、第十二章第三節でしょうか。
      その赤い竜について、第十二章の第九節にはこの様にあります。
      「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」
      黙示録の第十二章を素直に読むと、赤い竜とは元々天にいて、悪魔とかサタンと呼ばれる者であり、使いの者と共に天から地上に投げ落とされたと読めます。

      しかも、赤い竜が地上に落とされたのは、小羊であるイエスが地上に生まれる前の出来事です。
      なぜなら、荒れ野に逃げた女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があったと第十二章第六節にあり、十四節にも、女が蛇から逃れて三年と半年養われることになっていた場所へ行くために、大きな鷲の翼が与えられたとあります。
      千二百六十日=三年半なのですが、新約聖書で三年半とは「公生涯」と言って、イエスが洗礼者ヨハネの洗礼を受けてから宣教活動に入り、磔刑に処されるまでの期間であり、キリスト教では特別の意味合いを持っています。
      そして十四節の時点は「公生涯」以前と文面から判断できます。
      しかし十七節では、「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。」とあります。
      イエスの証しとは、神の言葉を証ししたとされる、聖書に記されたイエスの事績を指していて、そのイエスの証しを守り通している者とは、イエスの証しが記された聖書を後の世に伝えるために守り通しているキリスト教徒を指します。
      ですから、十四節~十七節の間にイエスが誕生して、神の言葉を証ししたことになります。

      そこであず様に伺いたいのですが、イエスが誕生する以前に登場していた赤い竜が中国であることを説明できますか。
      赤い竜、もしくは竜は黙示録の十二章、十三章、十六章、二十章に登場しますので、全ての箇所で前後の文脈に矛盾無く説明できれば、あず様の説に説得力があることになりますが、いかがでしょうか。

      また、荒れ野に逃げた女については、女の行動が英国の歴史を反映していて、女と竜の関係が英国と中国の関係を反映していれば、あず様の説に説得力があることになりますが、いかがでしょうか。

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    8. 管理人さん こんばんは
      なるほど。同一性が重要であるということですね? それは私には無かった視点です。(正直言ってそれの重要性がわかりません。そのような視点で黙示録を眺めていませんでしたし、中国が今の国体をいつまで保持できるのか疑問にもおもってますから。)
      龍が中国を表していた場合、中国王朝は紀元前7世紀にはさかのぼりますし紀元前3世紀には中国統一が達成されています。龍は中国では皇帝のシンボルでもあります。
      しかし、となると管理人さんの見解では女は英国ではないとおもわれてることでしょう。その頃と現在では欧州の形が違いすぎますね。

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    9. あず様

      「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう。 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。 」とは第十一章第三~四節でしょうか。
      黙示録の第十一章は、小羊が神の巻物の第七の封印を開いた時に、七人の天使が神から与えられたラッパを吹いてゆく部分の描写であり、第七の封印を開いた時が現代という解釈になると思います。
      そして、小羊は神の巻物に施された七つの封印を一番目から順番に開いているのですが、そこで伺います。

      あず様の説にあるように、神の巻物の七番目の封印を開いた時期が現代であるとすると、第一~第六の封印を開いたのはいつでしょうか。
      また、二人の証人に千二百六十日の間預言することを許すとありますので、「公生涯」を指すのだと思います。
      公生涯と言うことは、即ち神の僕として活動することになります。
      そしてプロテスタントとは「プロテスト(抗議)する人」という意味で、かつてのローマ教皇率いるカトリック教会に反旗を翻したキリスト教の分派です。
      ですからカトリックとプロテスタントには教義上の食い違いがあり、プロテスタント諸教派の間にも食い違いがあるからこそ、一体にまとまることが出来ません。
      ところが、二人の証人は共に「公生涯」としての活動ですし、共に神の僕としての務めを果たすことになりますので、その両者に意見の食い違いはありません。
      二人とも証人である以上、神の僕としての役目に解釈の違いは生じません(解釈の違いが生じては証人としての務めが果たせません)が、少なくとも現状のカトリックとプロテスタントには、証人となる資格がないように思いますが、いかがでしょうか。

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    10. 13章以降についてはわかりませんが、今このコメントを書きながらの思いつきで言えば、「竜が獣に権威を与えた」は市場開放以降の中国もしくは体制交代以降の中国を指しているのかもしれませんね。「頭には神を汚す名がついていた」は共産主義は維持すること、「くまの足」と「ししの口」は露と米の双方から援助を受けて成長したことを指してるのかもしれません。共産体制を維持しながらも20世紀末より西側経済に参加し世界の経済において席巻し影響力を強め、そのことで只今現在のような資本主義の終端をみることになった部分を指しているのかもしれません。(私の印象の見解では12章→13章は時系列順ではないということです。13章冒頭も12章の続きというわけではなく別のビジョンであるという事を示しているという印象です。)
      (初学者の疑問になりますけども、そもそも黙示録の章分けというのはいつ頃に成されたものなのでしょうか?)

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    11. 管理人さんの2016年10月30日 20:32:00 JSTへの返答

      そもそもの私の黙示録の接し方についてお話しておかねばなりませんね。私は黙示録を通読したのはずいぶんと昔に1回したきりです。そして事ある毎にいくつかの節を拾い読みする程度です。
      ですので全体像を把握しているわけではありませんし、私見に辿り着く読解もごくごく限られた部分毎の事でしかありません。
      このような立場にいますので、読み下せる場所が増えるまでは管理人さんの今回の問いには答えられるものは持っておりません。
      そのことをご理解いただけますよう、お願いします

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    12. あず様

      同一性~について。

      黙示録の冒頭にはこの様にあります。
      「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」
      ここで「すぐにも起こるはずのこと」とは、それがいつなのかはともかく、後の世に起こることです。
      それを神の僕たちに示すために、神がキリストを通じてヨハネに伝えたのが、いわゆるヨハネの黙示録です。
      神が予め伝えた後の世の出来事が、その言葉の通りに後の世に起こったと、後の世を生きる神の僕に確認してもらうことによって、黙示録を伝えた神とイエス・キリストの存在を証明できます。
      その黙示録に、神が人間に対してこの様な働きかけをする理由や目的を記述することによって、後の世のを生きる人間が神の働きかけに沿うことを求めています。
      ですから、ヨハネの黙示録が神の言葉を記した文書であると示すために、ヨハネの時代から見ると未来の大まかな出来事を記します。
      すると、後の世の人が黙示録の記述と歴史を照らし合わせることにより、「確かに黙示録は未来をも熟知する神から伝えられた文書だ」と確認できます。

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    13. 管理人さんの2016年10月30日 21:04:00 JSTへの返信

      となりますと、この2000年の間のそれぞれの時代によく似た事象があったかもしれませんね。またその一方ではキリスト教派がその権威を示威する為に人為的に聖書に沿った出来事を起こすだろうという事も類察されると考えることもできますね。為政者の中長期的ビジョンは簡単には窺い知れぬものでしょうし、これの結論はでないでしょうけども。

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    14. あず様

      黙示録の接し方について。

      黙示録に興味がありましたら、是非全体を通読されることをお勧めします。
      『銀の紐』でも過去に大まかな内容の解読記事を掲載していますし、諸事情により現在は再解読記事を投稿している最中ですので、併せて参考にして頂ければと思います。
      管理人からあず様の説への質問については、黙示録を熟読された後に回答を頂ければと思いますので、それまでは保留と言うことでよろしいでしょうか。

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    15. 管理人さん こんにちは

      つまりは全体像を把握してから、ということですね。
      管理人さんは霊界通信をされる方なので、それの困難さやハードルの高さについてもご理解あるかとおもっておりました。
       熟読ですか・・・ ではまた機会がありましたらその節はよろしくお願いします。 それでは。

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