2016年6月17日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ補足3

『ヨハネの黙示録』の再解読に先立って、補足編として、黙示録関連記事のコメント欄における、ご覧の皆様と管理人との質疑応答のうち、黙示録の補足説明となっているコメントを再掲することと致しました。

こちらのコメントは【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】のコメント欄より転載しております。
また、この記事は「ラオディキアにある教会の天使に宛てた手紙」についての補足説明として、主にイエスからの三つのアドバイスに焦点を当てております。





■ silvercode愛読者様のコメント

いつも納得させる記事の投稿、ありがとうございます。

今更このような質問もなんなんですが、詳しい解説が未だにされていないと思い、質問投稿いたします。

こちらの解説の最後の部分にて触れられている、イエスが勧めている三つのアドバイス”一つ目は裕福になるように、火で洗練された金をイエスから買うように。”・”二つ目は裸の恥を晒さないように、身につける白い衣を買うように。”・”三つ目は見えるようになる為に、目に塗る薬を買うように。”とあります。

三つ目は多分正しい霊的知識を身につけなさいって事だと思うんですが、後の金と白い衣を手に入れなさいの具体的な意味がいま一つピンと来ません。

良ければ、この事が何を意味するのか詳しい解説お願いしたいです。

(2015年10月4日)




■ Silvercord管理人のコメント

silvercode愛読者様

イエスからのアドバイスは『ヨハネの黙示録』の第三章第十八節ですが、その前の第十七節でイエスは、「私は金持ちで満ちたりている」と言っている人に対して、「自分が惨めで、哀れで、貧しくて、目が見えなくて、裸であることをわかっていない」と指摘しています。
ここで「私は金持ちで満ちたりている」と言う人は、その人が多くの財産を所有し、物質的に満たされた環境に暮らしており、周囲の羨望を集める社会的地位を占めている状態に満足しているのですが、イエスはそれらに価値が無いと述べているのです。
記事の冒頭で、「神様が人間に対して働きかけるのは、人間の霊的成長を促し、この宇宙に存在する全ての霊を神の境涯へ導く為」だと述べました。
イエスからのアドバイスは、人間に宿っている霊の成長に寄与しますし、人間としての生涯を終えた後にも、目に見えない「霊的知識」という貴重な財産を持ち越すことが出来ます。
一方、「私は金持ちで満ちたりている」と述べる人の財産は、物質世界や人間社会でのみ価値があると見なされる物であり、人間としての生涯を終えた後に持ち越すことは出来ません。
霊の成長を促すための一時的な乗り物が人間であるなら、人間である一時期にのみ活かせる物と、人間としての生涯を終えた後も活かせる物のどちらに価値があるのでしょうか。
これらの点について、silvercode愛読者様は既にご理解頂いていると思いますが、他の閲覧者の方に向けた前段の話として述べました。

では、イエスが勧めている三つのアドバイスに込められた意味は何でしょうか。
一つ目は「裕福になるように、火で洗練された金をイエスから買うように」と述べています。
続けて「あなたが貧しいのは不純物が混ざった原石だからなので、火で洗練された金のように、あなたを裕福にしよう」とあります。
前段の話で述べたように、イエスのアドバイスは神の目的に沿っていて、神の目的は「全ての霊を神の境涯に導く為」ですので、不純物が混ざった原石とは人間に宿る霊であり、火で洗練することによって金に変わる――神の境涯に相応しい霊に成長すると述べています。
では、火で洗練するとはどういうことでしょうか。
『ヨハネの黙示録』で火についての記述を抽出すると、天の玉座にある祭壇の火、火と硫黄という戦乱を思わせる表現、サタンが投げ込まれる火の池などでしょうか。
火の池については、『銀の紐』掲載の【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その10)】の項目「新しい天と新しい地」で述べているように、今私たちが暮らしている地上世界こそが「火の池」ということになりますし、火と硫黄も地上の戦乱の表現ですので、人間として地上で様々な経験を積むことを指して「火で洗練する」と表現しているようです。
そこでわざわざ「火で洗練された金をイエスから買うように」と述べているのですから、「地上で人間として様々な経験を積む中から、イエスの教えに基づいて物事を判断できるようになりなさい」というのが、第一のアドバイスの意味でしょうか。

二つ目は「裸の恥を晒さないように、身につける白い衣を買うように」と述べています。
黙示録の第三章第五節では、「勝利を得る者は白い衣を着せられる」とあり、最後の審判の後、新しい天と新しい地に住むことが出来るのは、勝利を得る者だけです。
ここで勝利を得られない者は、黙示録の第二十一章第八節にあるように「火と硫黄の燃える池」に投げ込まれてしまうのですから、第二のアドバイスは「新しい天と新しい地に住むことが出来るように、勝利を得る者を目指しましょう」と言うことになります。
敢えて「裸の恥」と述べているのは、「私は金持ちで満ちたりている」と言う人は、人間の肉体に衣を着ていても、あなたの霊は白い衣を着ていないので、人生を終えた後に自分の無知を恥じるということでしょうか。

三つ目は「見えるようになる為に、目に塗る薬を買うように」と述べています。
神の目的は「全ての霊を神の境涯に導く為」ですので、人間に宿る霊が神の境涯に辿り着くには、神の活動についても今のうちから理解を深めてゆかなくてはなりません。
神の活動とは、大まかに物質的な側面と霊的な側面に分かれるのですが、「私は金持ちで満ちたりている」と言ってしまう人は、物質的な側面の理解も中途半端ですし、ましてや霊的な側面の理解は皆無に等しいと言って差し支えないでしょう。
ですから、人間に宿る霊のうちから徐々に神の活動について学んでゆき、神として活動できるくらいに理解が深まると、ようやく神の組織の一員と認められるのです。
では、目に塗る薬とは何でしょうか。
記事では聖書を上げましたが、要は、聖書にある神の言葉やイエスの教えを読み込み、同時に身の回りで起こる出来事や、自分自身の経験に照らして、それらに共通する法則性を導き出しましょうと言うことです。
その共通する法則性こそがいわゆる神の業であり、自然の摂理ということになりますが、それを見極める観察力・洞察力を養うことが「見えるようになる」ことに繋がります。
これらを黙示録のテーマに沿って言い換えると、「神の働きかけと、悪魔の唆しの違いを見極めましょう。違いを見極められる観察力・洞察力を養う為に、聖書にある神の言葉やイエスの教えを参考にしましょう」となります。

(2015年10月4日)





■ silvercode愛読者のコメント

詳しい解説ありがとうございました。

今回のヨハネの黙示録の一番伝えたかったのは、この三ポイントではないかなって自分自身では感じており、特に解説が無かったので、敢えて質問させてもらいました。

神の働きかけと、悪魔の唆しの違いを見極めましょう。違いを見極められる観察力・洞察力を養う為に、聖書にある神の言葉やイエスの教えを参考にしましょう」

これがベースとなるテーマだったと言うことなんで、自分なりに”何が真実で何が偽りなのか?”ってことに選別の目を磨きながら色んな体験を通して学んで生きたいと思います。

どうもありがとうございました。

(2015年10月4日)





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2 件のコメント:

QP さんのコメント...

管理人さん、いつも楽しく読ませてもらっています。
凄くシンプルに端的に、細かい点は抜きに、誤解を恐れずに説明しますと。
自分が「創造主になったつもりで」俯瞰(ふかん)して考えてみると分かりやすいと思います。

「私が生まれた意味は何故なのか?」生まれてきた意味はなんなんだろう?
これは、みなが一度は考えてきた事だろうと思います。

詳しい説明を抜きに、結論を言いますと「学ぶために生まれてきた」これに尽きると考えます。

これは実際にあった、私の体験談です。
真冬の2月に、大阪の難波で。阪神高速の高架下、信号待ちをしてたところ。ホームレスの男が道端で眠っていました。
気温はおそらく氷点下。眠っているように見えるけど、たぶん凍死してるのでは? ・・次の朝、そのホームレスの男はいなくなっていました。

その時思ったのは。このホームレスの方は、きっと辛い人生を送ってきたのだろうなぁ。
それなりに、色々と努力したのだけれど、精魂尽きてホームレスに落ちてしまったのだろうなぁ。

ここで、私が創造主だと過程したら。霊界の入り口でホームレスの男に、こんな言葉をかけると思います。

創造主 「どうだ、現世は楽しかったか?」
ホームレス 「いえ、辛い事ばっかりでした」
創造主 「そうか、なら、お前は合格だな。後は、ゆっくり休んで次の生まれ変わりの順番を待て。」
ホームレス 「何故、私が合格なのですか? 私の人生は辛い事ばかりでした。私はダメな男です。」
創造主 「そもそも、現世に生まれる意味は『学ぶため』だ。辛ければ辛いほど、勉強になったということだ」

もちろん、この考えが正しいとは限りませんが。
視点を帰ると、見えるものが変わるように。
素直に考えると、矛盾が消えて真実に近づけるのではと考えています。

Silvercord管理人 さんのコメント...

QP様

QP様が「学ぶために生まれてきた」と仰るように、管理人やその他の人々も何かを学ぶために生まれてきました。
そして、自分の目で見た場合だけでなく、誰か他人の立場からはどの様に見えるか、もしくは天上から地上を見下ろした場合は…と想像することによって、今自分が見ている物とは異なった側面が垣間見えてきます。
ここで一つポイントとなるのは、ただ漠然と「学ぶために生まれてきた」のではなく、最初に学びたいテーマを決めてから、そのテーマを学ぶのに都合の良い境遇を選んで生まれてきたと言うことです。
ですから、亡くなったホームレスの例で言うと、直前の人生が辛かったと言うだけでは、その人生で十分な学びを得たかどうかは分かりません。
そのホームレスが今回の人生で学ぶテーマが、ホームレスという境遇にあってこそ学びやすいテーマだったかも知れませんし、苦境に陥って立ち向かうか逃げるかの選択を迫られた時に、逃げた結果ホームレスになったのかも知れません。
前者の場合は、ホームレスとして生涯を終える辛い人生を経験する中から、何か自分の中で「あぁ、なるほど!」と納得できる気づきが得られたのでしたら、その人生は有意義だったと言えるでしょう。
後者の場合は、苦境から逃げた結果としてホームレスになったのでしたら、その人生は失敗であり、もう一度似たような経験を繰り返さなくてはならないかも知れません。
但し、その失敗した人生を振り返って「苦境に遭っても逃げたらダメだ」と気づいたのでしたら、後に繋がる有意義な経験であり、そこで得た気づきは次の人生で教訓として活かされることになるでしょう。