2014年7月25日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その2)

この記事は、以前投稿した記事【ヨハネの黙示録に託されたメッセージ(その1)】からの連載記事となっておりますので、まだご覧になっていない方は先にそちらをご覧下さい。

前回は、『ヨハネの黙示録』の第一章~第三章、アジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙を見てきましたので、今回は第四章からとなります。





■ イエスが担った役目

黙示録の第四章~第五章にかけては、言わば本題に先駆けた前置きの部分です。
その中で、特に言及しておきたい部分は、以下の点です。
第五章第一節~第四節では、神様が右手に持っている巻物には七つの封印があるのですが、封印を解いて巻物を開ける者がいないとヨハネは嘆いていました。
しかし第五節~第七節にかけて、ユダ族からでた獅子、ダビデのひこばえと呼ばれる小羊が勝利を得たので、小羊は神の手から巻物を受け取ります。
この小羊、屠られたような小羊とは、十字架に掛けられて処刑されてしまったイエスを指します。
ここで強調しておきたいのは、イエスは人間として地上での行いの結果、勝利を得たので、七つの封印を解いて巻物を見ることが出来る様になったという点です。
これは第三章のラオディキアにある教会の天使への手紙にもありましたが、私たちも今後の行い次第で勝利を得ることは十分に可能ですし、勝利を得てイエスのようになり得るのです。
しかし現代のキリスト教会では、その様に受け取られていない印象があります。
聖書を教典とする宗教の徒でありながら、その教典の記述とは食い違った解釈を行う者が聖職者を名乗るのは、余り感心できる姿勢ではありません。
ともあれ、神から託された巻物の封印を解き、巻物を開く役割がイエスに委ねられました。





■ 巻物の第一の封印

イエスが巻物の第一の封印を開きます。
第六章第二節には、白い馬が現れて、それに乗っている者が弓を持っていたとあります。
彼は冠を与えられていたので、既に勝利を得ている者です。
それが更に勝利を得ようと出ていきました。
これは一体どういう事でしょうか。
そこで思い出して頂きたいのは、記事【ヨハネの黙示録に託されたメッセージ(その1)】掲載の項目『神の目的及び霊界と地上界を繋ぐ拠点について』です。
世界の六カ所に『霊界と地上界を繋ぐ拠点』があり、その拠点を通じて神様が霊的エネルギーを送る作業によって、人間に対して働きかけていると説明しました。
最初は日本の拠点のみが開かれており、2011年になって二番目となるバチカンの拠点が開かれたと述べております。
ですから、第一の封印とは日本の拠点を指します。
しかし、日本の拠点は『ヨハネの黙示録』が書かれる以前から開かれておりましたし、歴代の天皇が日本の拠点の覡を務めて参りました。
ところが、明治天皇より後の歴代天皇は、それ以前の天皇と比べると、覡として分担する役割の幅が拡大しました。
その様な仕組みの変更は、先に霊界側から環境整備の為の働きかけがあり、それを受けて地上界側で新たな仕組みを成りたたせる為の環境が整えられます。
新たな仕組みが整った後は、霊的エネルギーを放出する霊界側と、そのエネルギーを受け取る地上界側の関係者の連携作業として、定常的な働きかけが行われます。
ですから、白い馬に乗っているのは、日本の拠点を通じて霊的エネルギーを送り出している霊界の住人を指します。

もう一つの解釈として、白い馬に乗っている者は勝利の上に更に勝利を得ようと出ていったのですから、例えれば、イエスが聖書を通じて語った言葉の通りに実践して見せるような働きかけとなるでしょう。
その様な観点から見た時に、国内に向けては道徳教育の一環として『教育勅語』が発布されたり、海外に向けては第一次世界大戦後のパリ講和会議において、日本が『人種的差別撤廃提案』を行ったり、その後には欧米列強の支配する植民地を開放するきっかけとなる行動に出ております。
更に、人権意識や人道主義が社会的影響力を強めるのは、第二次世界大戦後ではないでしょうか。
その働きかけが実を結んだかどうかは別にしても、霊界の住人が意図して働きかけていた方向に日本が導かれ、その波紋が一定の時間を置いて世界中に波及しているように感じるのは、きっと私だけではないでしょう。





■ 巻物の第二の封印

イエスが第二の封印を開きます。
第六章第四節には、火のように赤い別の馬が現れたとあります。
その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられます。
そしてその者には大きな剣が与えられます。
さて、第一の封印の項でも述べましたが、第二の封印とはバチカンの拠点であり、そして火のように赤い馬に乗っているのは、バチカンの拠点を通じて働きかける霊界の住人を指します。
しかしそれでは、バチカンの拠点を通じて働きかける霊界の住人は、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせるように働きかけると読めます。
これは一体どういう事でしょうか。
大辞林によると、平和とは以下のような意味を指します。
①戦争もなく世の中が穏やかである・こと(さま)。
②争いや心配事もなく穏やかである・こと(さま)。
つまり、外国との紛争がなく、国内も治安が安定している状態を指すのですが、そもそも地上は常に平和とは程遠い状態に置かれていました。
巻物の第一の封印を開いた後、確かに一部の地域では目立った国際紛争もなく、国内の治安も概ね安定しておりました。
例えば日本は、戦後復興の時期を通じて徐々に治安の安定化と経済成長を促進させ、以後数十年に渡って平和と繁栄を謳歌した国の一つと言えるでしょう。
しかし、その平和と繁栄が世界中に広まった訳ではなく、常に戦火や流血と隣り合わせになった場所もあれば、旱魃や食糧不足による生命の危機に晒されている場所もあります。
巻物の第一の封印を開いた時に、白い馬に乗った者が勝利の上に勝利を重ねようと出ていったものの、その働きかけは思ったように運びませんでした。
平和と繁栄の果実を謳歌している人々が一部に限定されており、またその原動力となった価値観――人権意識や人道主義と言った価値観も、霊界の住人による働きかけを歪んだ形で人間が受け止めてしまいました。
その為に新たな弊害が現れております。
それは、人権意識や人道主義への理解を深めて実践するのではなく、私利私欲を貪る本質を偽る為の体面・体裁として、人権意識や人道主義などのキーワードが乱用され、それらの言葉が示す本質と実態が大きくかけ離れてしまいました。
そこで第二の封印を開き、人権意識や人道主義という仮面の裏に隠れた本質を表に引きずり出して、その様に体裁を取り繕えなくするというのが、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられるという事の意味でしょう。
第一の封印を開いた時に、せっかく参考となる理想像が示されたのに、その意味を歪めて悪用する人々が多くを占めるので、今度は悪用する人々の仮面を剥ぎ取って、お互いに醜い本質を直視する中から、反面教師としての学びを得て欲しいという観点からの働きかけです。
ですから、第二の封印が開いた時――バチカンの拠点が開かれた時期から、徐々に国内も、海外も治安が悪化してゆくことになるでしょう。
既にその兆候は現れておりますが、現代を生きる私たちに求められるのは、そんな不安定な状況を導いたのは私たちの不徳の致す所であることを直視し、その上で現状の問題を解決する為にどうするのかを考えて、実行することです。





■ 巻物の第三の封印

イエスが第三の封印を開きます。
第六章第七節には、黒い馬が現れたとあります。
その馬に乗っている者は、手に秤を持っているのだそうです。
更に第八節では、小麦や大麦、オリーブ油とぶどう酒について言及されております。
さて、第三の封印とは米国の拠点であり、黒い馬に乗っている者は米国の拠点を通じて働きかける霊界の住人です。
そして黒い馬に乗っている、米国の拠点から働きかける霊界の住人が、手に秤を持って食糧の重さを量っているようです。
これは一体どういう事でしょうか。
既に前の項で説明しましたが、第一の封印を開いたのは過去の出来事であり、第二の封印を開いたのは数年前であり、現在進行中の出来事です。
それに対して、第三の封印以降を開くのはこれから未来の出来事となりますので、現時点では不確定の要素が増してゆきますが、出来る限り想像力を逞しくして読み解いてみましょう。
まず、第二の封印を開いてから、徐々に国家間の対立や国内での対立が激しくなり、国際紛争や内戦が各地で勃発します。
行き過ぎたグローバリズムの揺り戻しとは、価値観の異なる者同士の対立と紛争から始まり、そして新たな境界線を引き直した上でお互いに一定の距離を置くことによって、一応の収束を迎えることとなるでしょう。
しかし、事態はそれだけでは片付きません。
紛争の結果として多くの血が流れ、また国土が荒れて食糧生産が滞る為、各地で食糧不足となるでしょう。
ですから、黒い馬に乗った者が手に秤を持ち、食糧の重さを厳密に量っているのです。
ここで人間は、かつては豊富に収穫されていながらも、必要な分量の食糧をより多くの人々に対して適切に分配できなかった経験を踏まえて、食糧生産が減少する時代をどの様に生き抜くかが問われて来ます。
しかも、限られた食糧を分け合う相手が、かつて互いに血を流して争った者同士です。
その結果として一応の手打ちは、恐らくすることになると予測しますが、その様な相手と、ただでさえ貴重な食糧を分け合わなくては、お互いの命を長らえることが適いません。
もし、限りある食糧を分け合えなければ、更に多くの血が流れ、更に多くの土地が荒廃した結果、ただでさえ限りある食糧が、更に目減りする結果を避けられないでしょう。
霊媒の話によると、米国の拠点が開かれるのは、今からおよそ三百年くらい後のこととなる(今後の展開次第では前後する)そうです。





■ 巻物の第四の封印

イエスが第四の封印を開きます。
第六章第八節には、青い馬が現れたとあります。
その馬に乗っている者の名前は「死」といって、この者には陰府=地獄が従っていたとあります。
更に、彼らには地上の四分の一を支配すること、そして剣と飢饉と死によって、それから地上の野獣によって人を滅ぼす権威が与えられたとあります。
さて、第四の封印とはチベットの拠点であり、青い馬に乗っている者は、チベットの拠点を通じて働きかける霊界の住人を指します。
しかしそれでは、チベットの拠点を通じて働きかける霊界の住人とは死神であり、地上の四分の一に及ぶ地域において、紛争と飢饉による死をもたらし、また地上の野獣を使役して人を滅ぼすと読めます。
陰府・地獄を従えているので、死神は地獄に堕とす為に人の首を刈るのです。
これは一体どういう事でしょうか。
まず、第四の封印を開いた影響がおもに及ぶのは、青い馬に乗っている者が支配する、地上の四分の一の地域に限定されます。
当然ながらその周囲にも影響は及びますし、地上全体が何らかの影響を受ける可能性は否めませんが、最も深刻な影響が及ぶのは、黙示録に指定されている範囲でしょう。
そして、青い馬に乗っている者が支配するのは、拠点のあるチベットを中心とした地域になるでしょう。
ですから、現在は人口大国である中華人民共和国やインド共和国などは、特に大きな影響を受けるであろうと想定されますし、その近隣諸国も少なからぬ影響を免れないでしょう。
彼らは食糧供給が滞る事態になっても、自らの私利私欲の為に限りある食糧を独占し、奪い合って争うことを止めなかったので、その結果として自らがお互いにつぶし合って自滅するのです。
この地域には特に多くの人々が暮らしている為、つぶし合いによって自滅する人は膨大な数に上るでしょう。
その中でも、自らの愚かさを直視して行いを改める僅かな者のみが、この厳しい時代を乗り越えるチャンスを手にするのではないでしょうか。
霊媒の話によると、チベットの拠点が開かれるのは、今からおよそ三千年くらい後のこととなる(今後の展開次第では前後する)でしょう。





■ 巻物の第五の封印

イエスが第五の封印を開きます。
第六章第九節には、神の言葉と自分たちが立てた証しの為に殺された人々の魂を、祭壇の下に見たとあります。
第十節で彼らは、主に対して「いつまで地に住む者への裁きを行わないで、私たちの血を流した復讐をしないのですか」と訴えかけます。
続く第十一節では、彼らに白い衣が与えられると共に、かつて自分たちが殺されたのと同じように、今地上で殺されようとしている仲間の僕達の数が満ちるまで、しばらく待つように告げられます。
地上の様子が語られておりませんので、推測に頼るしかないのですが、巻物の第四の封印が開かれた時には地域を限定して起こった混乱が、更に地域を拡大して継続しているように伺えます。
第五の封印とはエルサレムの拠点を指しますので、少なくともエルサレムを中心とした一帯が、極めて深刻な状態に置かれているだろう事は想像できるのではないでしょうか。
その環境下で、神の言葉と自分たちが立てた証し=神の教えに沿っていたが故に、「異端の者」として殺されてしまった人々が、数多く存在したのでしょう。
しかし、彼らはただ殺されてしまったのではなく、白い衣を与えられて神の御許に控えることを許されました。
第九節で述べている祭壇とは、第八章第三節にあるように、玉座の前にある金の祭壇を指すと思われます。
もちろん、玉座とは主である父なる神の玉座です。
祭壇の下に集っていた魂の集団は、主に対して、「神の教えに沿っていた私たちを殺した者を裁いて、早く復讐をして下さい」と急かすように訴えるのですが、主は逆に、あなたたちと同じように、神の教えに沿っていた為に殺されてしまう人の数が満ちるまで、しばらく待つようにと諭します。
前回投稿した記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】でも言及しておりますが、白い衣を与えられるのは勝利を得た者です。
ですから、祭壇に集う魂達は、たとえ「異端の者」の汚名を着せられて殺されようとも、死してなお聖書に記された神の言葉のままに貫いたので、人間としての死後に勝利を得た者と認められました。
そして神は、勝利を得た者の数がまだ足りないので、一定の人数に達するまで待つように促すのです。
今しばらくの間は、地上の混乱は止まる所を知りません。
霊媒の話によると、イスラエルの拠点が開かれるのは、今からおよそ八千年後のこととなる(今後の展開次第では前後する)でしょう。





■ 巻物の第六の封印

イエスが第六の封印を開きます。
第六章第十二節には、大地震が起き、太陽が“毛の粗い布地のように”暗くなって、月は全体が血のようになるとあります。
続く第十三節には、天の星が地に落ちた様子を、「イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされる」ようだと表現しております。
第十四節では、天は巻物が巻き取られる様に消え去り、山も島も元の場所から移ってしまう程の天変地異が襲った様です。
第十五節では、その様な天変地異を受けて、地上の王から奴隷から、あらゆる立場の人々が洞穴や山の岩間に隠れます。
そして第十六節で、山と岩に向かって、主とイエスの怒りから私たちを守ってくれと、乞い願うのです。
続く第十七節には、神とイエスの怒りの大いなる日が来たとあり、誰がそれに耐えられるだろうかと問いかけております。
さて、ここまでで黙示録の第七章が終わるのですが、巻物の第六の封印を開いた時の記述は第八章へと続きます。
そこでここまでの内容を前半として簡単にまとめておくと、第六の封印とはスーダンの拠点を指しますので、恐らく天変地異に襲われる舞台の中心は、スーダンの拠点があるアフリカ大陸となるでしょう。
しかし、その影響がどの程度の範囲に及ぶのか、もしくは地球全土を覆ってしまうのかは、現時点では読み解けません。
但し、第十二節に太陽と月についての言及がありますので、これが大気汚染の描写であったとすると、全地球的な何らかの影響は避けられないでしょう。
それは第十三節にある、天の星が落ちる描写についても言えますし、第十四節にある、山や島の位置すら変わってしまうという、地殻変動を暗示する描写についても同様に言えます。
その頃に地上で暮らしている人々の大半は、自らの誤った行いを悔い改めるのではなく、洞穴や山の岩間に隠れて、目の前の天変地異をやり過ごすことくらいしか思いつきませんでした。

さて、第七章に入って第一節~第三節には、大地の四隅に天使が立っているのを見たとあります。
この天使達は、大地の四隅から吹く風を抑えて、大地や海や木に吹き付けないようにしていたそうです。
更にもう一人の天使が、生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上がってきます。
この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使、つまり第一節で大地の四隅に立っていると説明された天使に向かって、こう言ったとあります。
我々が、神の僕達の額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならないと。
そして第四節~第八節に掛けては、イスラエルの子らの全部族の中から十四万四千人が刻印を押されていたとあります。
ところが第九節では、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった大群衆が、白い衣をまとい、ナツメヤシの枝を手に持って、主とイエスの前に現れます。
ここで述べるイスラエルの子らという表現は、単純に「かつて神と契約を結んだアブラハムの子孫」という意味ではなく、どの様な苦境に遭っても神の言葉に沿ってきた者という意味でしょう。
たとえアブラハムの子孫であっても、神の言葉に沿っていない者は天使の刻印を受けられず、逆にアブラハムの子孫でなくても、神の言葉に沿っている者は天使の刻印を受けられます。
ちなみに『ヨハネの黙示録』では、巻物の第七の封印を開くと共に、裁きの時が訪れる構成になっているのですが、霊媒の話によると、第一~第六の封印を開いた時にも、毎回裁きの時は訪れているそうです。
そして裁きの時に先だって、天使が神の言葉に沿っている者に刻印を押して回るそうです。
今はちょうど第二の封印を開いたばかりで、裁きの時と言われる時代が始まったばかりですので、ひょっとすると、今この記事をご覧のあなたの所にも、天使が刻印を押しに訪れているのかも知れませんね。
尤も、仮に天使が皆様の元を訪れていたとしても、霊的能力を使える方でないと確認できないかも知れませんが。
いずれにせよ、イエスが巻物の七つの封印を開く度に、続けて裁きの時代を潜り抜ける仕組みになっている様です。
前回投稿した記事【『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)】でも簡単に述べましたが、霊媒の話によると、5月に観測された『環水平アーク』現象は、第二の封印を開いた時に起こる『神の裁き』の始まりを告げる天の印なのだそうです。
また、裁きの時には一体何が起きるのか、それから神の裁きの意味についても、今後投稿予定の記事で説明致しますので、それまで少々お待ち下さい。
続く第十節~第十二節にかけて、神とイエスを称える言葉が述べられます。
そして第十三節~第十七節では、長老の一人がこの様に述べます。
第九節で述べた、白い衣をまとう大群衆は、大きな苦難を通ってきた者で、その衣を小羊(=イエス)の血で洗って白くしたのだと。
それ故に彼らは神の神殿で仕えることになり、飢え乾き、暑さ寒さに襲われる心配もなくなります。
ここで注意したいのですが、これはイエスの死を持って贖罪されるという意味ではありません。
イエスの人生、そしてイエスの死の意味を正しく理解し、迫害に遭うことも厭わずにその行いを見習い、その行いの意味や価値を確信が持てるまでに昇華した状態を述べております。
「何をしても懺悔をすれば許される」とするのは悪魔の教えです。
また、白い衣をまとった大群衆が、神の神殿で仕えることになる云々の部分は、彼らはもはや人間として積まなくてはならない経験を一通り積み終えたので、これからは霊界の住人の一員として、神が人間に対して働きかける作業の一部を分担して担うことを示しております。
それに伴い、彼らが何故これまで人間としての苦難に塗れた経験を積み重ねてきたか、そして神は何を目指していて、その中で彼らはどの様な役目を求められているのかを知ることになります。
霊媒の話によると、スーダンの拠点が開かれるのは、今からおよそ一万二千年くらい後のこととなる(今後の展開次第では前後する)でしょう。





■ 第一~第六の封印までのまとめ

今回は第一~第六の封印が開かれるまでの流れを追いながら、六つの封印とは、『銀の紐』などで以前から述べてきた『霊界と地上界を繋ぐ拠点』であるという点について解説してきました。
この度、じっくりと『ヨハネの黙示録』を拝見してみて、特に第一~第四の封印を開いた時についての記述は非常に簡単でしたので、ちょっと呆気ないと思われる方がいらっしゃるかも知れません。
この文章を書いたヨハネと名乗る方は(イエスが見せた幻を記録したと述べておりますが)、第七の封印を開いた時に重点を置いているようですので、相対的に他の部分は簡単な説明に留めているようです。
やはり『最後の審判』の時だからなのでしょうか。

ともあれ、いよいよ次回は第七の封印を開く時について取り上げます。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2014年7月11日金曜日

『ヨハネの黙示録』に託されたメッセージ(その1)

前回投稿の記事【『環水平アーク』現象が示すもの[謎解き編]】にて、去る5月に観測された『環水平アーク』と呼ばれる虹の様な現象に関連して、霊界の住人の方から寄せられたメッセージの解読を試みました。
その際に、霊界の住人の方より「このイメージと『ヨハネの黙示録』を併せて読むと、より深く内容を理解できる」とのアドバイスがありましたので、今回から何回かに渡って『ヨハネの黙示録』の内容を読み解いてゆきたいと思います。





■ ヨハネの黙示録を読み込む為の準備

作業を始める前に、幾つか確認しておきたいことがあります。
ご覧の皆様もご存じのことと思いますが、『ヨハネの黙示録』は新約聖書に収められており、また新約聖書はキリスト教会の教典として扱われて来ました。
その為に、いわゆるキリスト教的価値観の大きな影響を受けた文章となっております。
しかし、これから解説するヨハネの黙示録の文面にも記されているように、キリスト教的価値観の影響により、ヨハネの黙示録に込められた本来の意味合いが歪められた状態のまま、今日まで伝わって来ました。
そこで、キリスト教的価値観によって装飾された記述を解釈し直すことによって、ヨハネの黙示録に込められたメッセージの核心に迫りたいと思います。

なお、これからご紹介する『ヨハネの黙示録』についての解説は、あくまで現時点における霊界の住人の方のアドバイスを参考に、管理人が文章に纏めて再構成したものです。
作業に当たっては、霊界の住人の方の助言と確認のもとに進めておりますが、霊界通信の特性により、「現時点で有効と思われる解釈である」と強調しておきます。
後ほどご説明致しますが、『ヨハネの黙示録』の構成が複雑であり、また『ヨハネの黙示録』は遙か過去の時代に書かれた文章でありながら、遙か後の世に伝え読まれることを想定した表現を用いております。
ですから、時代が移り変わって世の中の価値観が変わっても、ある程度意味合いが通じるように書かれているのですが、反面表現の曖昧さが誤った解釈に繋がってしまう可能性を秘めております。

そこで、実際に『ヨハネの黙示録』の解読に入る前に、最低限必要と思われる予備知識の確認をしておきましょう。
とはいえ、以前より『銀の紐』をご覧の皆様には既にご存じのことと思いますが、この度初めてご覧になる方に向けて、改めて簡単に説明致しますので、既にご存じの方は復習を兼ねて少々お付き合い下さい。





■ 『神の目的』及び『霊界と地上界を繋ぐ拠点』について

神様が人間に対して働きかけるのは、人間の霊的成長を促し、この宇宙に存在する全ての霊を神の境涯へ導く為です。
そして、神様が地球上に存在する全ての生命――特に自ら知的創造活動を行う人類に対して働きかける手段の一つとして、地球上の六カ所に『霊界と地上界を繋ぐ拠点』が作られました。
神様はこの拠点を通じて、管理人が「創造性と思考力を活性化させるエネルギー」と呼ぶ霊的エネルギーを霊界から地上界へ向けて流すことにより、人間の霊的成長を促す働きかけを行って参りました。
さて、地球上の六カ所にある『霊界と地上界を繋ぐ拠点』とは、以下の場所にあります。
東京、バチカン、米国もしくはカナダ(五大湖周辺)、チベット、エルサレム、スーダンの六カ所です。
そのうち、東京の拠点は人類が誕生する際に、六カ所の拠点の最後に開かれて以来、現在までずっと開かれたまま機能しております。
その他の五カ所の拠点は、人類が誕生する際には開かれていたものの、その後順次閉じられ、次に必要とされる時が来るまで閉じられたままとなっておりました。
そして去る2011年の12月に、二番目となるバチカンの拠点が開かれました。
それまでは東京の拠点一カ所から全世界へ向けて送られていた霊的エネルギーは、現在では東京とバチカンの二カ所の拠点から、全世界へ向けて送られております。
ここまで『霊界と地上界を繋ぐ拠点』について、簡単に説明してきましたが、それぞれの拠点には霊界から送られた霊的エネルギーを一旦受け取って、人間に馴染むように性質を変換して送り出す役割――霊媒Mや管理人が『覡(かんなぎ)』と呼ぶ役割の方がおります。
東京の拠点の覡は歴代の天皇が務め、バチカンの拠点の覡は歴代のローマ教皇が務めます――とはいえ、バチカンの拠点は開いたばかりですので、実際に覡を務めているのは先代の教皇からです。
現在は閉じている四カ所の拠点には、今のところ覡を務めている方はおりません。
しかし、遙かな昔に閉じられた拠点の守人を委ねられ、いずれ必要とされる時期に拠点の覡を産み出す苗床となる種族が各拠点ごとに居り、各々の拠点が開かれるまで雌伏の時を過ごしております。

関係する参考資料としては、以下をご覧下さい。
『銀の紐を越えて』掲載記事【『霊界と地上界を繋ぐ拠点』と日本の役割について(メッセージ107)】
『銀の紐を越えてα』掲載記事【宇宙の構造と神々や人間が目指すもの[メッセージ修正版01]】
『銀の紐を越えてα』掲載記事【霊界と地上界を繋ぐ拠点と霊的エネルギーの役割[メッセージ修正版02]】





■ ヨハネがアジア州にある七つの教会に向けて書いた手紙

これから、実際に『ヨハネの黙示録』の文面を追いながら、その言葉に秘められた意味合いを繙いてゆきます。
諸般の事情により、聖書に記されている文章を、記事の中で直接引用は致しません。
その代わりとして、実際に『ヨハネの黙示録』を読みながら、「概ね~の様に述べている」というように、文章の概要を紹介しながら解説を進めてゆきますので、記事に目を通すだけでも内容をご理解頂けるのではないかと思います。
しかし、実際に『ヨハネの黙示録』を読み込んでゆくと、細かな表現にも特定の意味合いを込めている様に感じますので、もし可能な環境でしたら聖書を手元に置いて頂いて、この解説と聖書の文面を照らし合わせてゆくと、一層理解が深まるのではないでしょうか。

さて、『ヨハネの黙示録』の冒頭には、神様から知らされた将来に起こる出来事の幻を、イエスが天使を通じてヨハネに見せたと、この文章が書かれた目的が示されております。
そして、アジア州にある七つの教会に手紙を送るように指示されておりますが、ここで示されている七つの教会とは、上の予備知識で説明した『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を指すのだと、霊界の住人は述べております。
しかし、先程『霊界と地上界を繋ぐ拠点』は世界中に六カ所あると述べましたので、アジア州にある七つの教会には一カ所足りません。
そこで改めて霊界の住人に伺った所、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』六カ所+αの、計七者に対するメッセージなのだそうです。
この+αの正体については、記事を読み進めるうちに明らかになってゆきます。
また、七つの教会に向けて書かれた手紙は、いずれも教会の天使宛となっております。
天使とは神の使いであり、神と直接の繋がりを持って神の御用を補助する者ですから、主に『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の覡と守人に向けたメッセージと受け取れば良いでしょうか。

では、アジア州にある七つの教会に向けて書かれた手紙の内容を、順番に見てゆきましょう。





■ エフェソにある教会の天使への手紙

第二章の最初に、エフェソにある教会の天使に向けた手紙が示されております。
第二節では使徒と偽る者を見抜いたと記され、第三節ではイエスの名の為に我慢をしたと記されております。
さて、「イエスの名の為に」とは、どういう事なのでしょうか。
これは、イエスの名によって代表される宗教と言うことで、キリスト教とその拠点であるバチカンを指しているのでしょう。
つまり、キリスト教を維持する事によって、神の言葉を記した聖書を後の世に伝え、また神が地上界に直接働きかける為の拠点であるバチカンを守り抜いたと言う意味ではないでしょうか。
しかし、第三節では初めの頃の愛がなくなってしまった=キリスト教が形骸化して、神の言葉を見失ってしまったと指摘し、第四節では悔い改めて初めの頃の行いに立ち戻るよう、諭しております。
更に、悔い改めなければ、あなたの燭台を取りのけてしまうと述べております。
第一章第十九節には、七つの燭台は七つの教会であるとあり、前の項で述べたように教会とは『霊界と地上界を繋ぐ拠点』を指しますので、悔い改めなければバチカンの拠点を取りのけてしまうと言う意味でしょうか。
『霊界と地上界を繋ぐ拠点』としての機能の核心は覡にありますから、本来の神の言葉を見失ってしまったキリスト教の聖職者達に囲まれた、ローマ教皇の不安定な立場を暗示しているような表現です。
続く第六節では、ニコライ派の者達の行いを憎んでいるのが取り柄だと述べております。
イエスも憎んでいるというニコライ派の行いとは何でしょうか。
ここまで読み進めてきた皆様でしたら、何となく想像できるのではないかと思いますが、言わばキリスト教とは、バチカンの拠点が開かれる時まで、神の言葉を記した聖書とバチカンの拠点を維持し、それら全てを後の世に伝えてゆく為の箱船であり、またバチカンの拠点が開かれた後は、神様が人間の成長を促す為の働きかけを行う為の重要拠点として機能します。
そのバチカンの拠点を放棄し、神様の意向を無視して勝手に『神の使徒』と称して人心を惑わす、プロテスタント、東方教会などの諸教派こそが、イエスも憎んでいるというニコライ派の正体です。
そしてエフェソにある教会への手紙の最後には、勝利を得る者には神の楽園の命の木の実を食べさせると述べて終わるのですが、これはどういう事でしょうか。
神の楽園と言えば、旧約聖書の創世記に記されたエデンの園を思い浮かべます。
そこで創世記を見ると、第三章二十二節には、命の木の実を食べると永遠に生きるものになるとあります。
勝利――つまり悪魔サタンに勝利すると、神の楽園に迎えられて永遠に生きるものになると、バチカンの拠点の覡や守人達に述べているのです。
そこで、神の楽園や永遠の命についても気になる所ですが、その説明は後ほど行うとして、次の手紙を見てゆきましょう。





■ スミルナにある教会の天使への手紙

二通目は、スミルナにある教会の天使に宛てた手紙です。
第二章第九節~第十節にかけて、スミルナにある教会の天使が置かれている状況が述べられております。
苦難と貧しさの下に置かれ、また自らをユダヤ人と名乗る者によって非難されているようです。
それは一体誰なのかと、霊界の住人の方に伺ってみると、アブラハムの子孫を指すのだそうです。
旧約聖書の創世記にも記されているように、神様との間に永遠の契約を結んだ、あのアブラハムの子孫達です。
そして、自らをユダヤ人と名乗っているが、実はユダヤ人を騙ってサタンに与する者に虐げられているようです。
と言うことで、スミルナにある教会とは、今は閉じているエルサレムの拠点を指します。
そして恐らく、今のエルサレムを統治するイスラエル国の内情を調べてみると、アブラハムの子孫とは誰なのか、そしてユダヤ人を騙る悪魔サタンの仲間は誰なのかが想定できそうな気はしますが、ここではご覧の皆様の想像にお任せして、先へ進みます。
さて、イエスはスミルナにある教会の天使に対して、苦難や貧しさの中に置かれていても、本当は豊かなのだと述べております。
貧しくても豊かとはどういう事でしょうか。
アブラハムの子孫達は、かつて神との間に結んだ契約に基づいて、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』のうち、エルサレムの拠点の守人としての務めを全うして来ました。
ですから、物質的・経済的には貧しい環境に置かれていても、かつて契約を交わした神様との繋がりにおいては豊かであると言うことです。
そしてアブラハムの子孫達は、悪魔の試みによって、これからも様々な苦難を乗り越えなくてはなりません。
彼らのうちの一部は牢に放り込まれ、十日の間苦しめられるだろうと告げられております。
更にイエスは、アブラハムの子孫に対して、それでも死に至るまで(神との契約に対して)忠実であるように求めております。
そうすれば命の冠が与えられるそうなのですが、それは人間として死後に果たされると思われます。
ですから、第十一節で述べているように、勝利を得る者は第二の死から害を受けることはないのでしょう。
そこで第二の死とは何を指すのか、気になる所ではありますが、この点については後ほど説明することとして、次の手紙を見て参りましょう。





■ ペルガモンにある教会の天使への手紙

三通目は、ペルガモンにある教会の天使に宛てた手紙です。
第十三節にて、冒頭イエスは、そこにサタンの王座があると述べております。
また、私の忠実な証人としてアンティパスの名が上げられておりますが、wikipediaによりますと、この人物ヘロデ・アンティパスは、ユダヤがローマ帝国の保護国であった時期からユダヤ属州となった時期に、属州から免れたユダヤの分割領土を治めた領主だそうです。
つまり、ペルガモンにある教会とは、かつてどこかの国の保護国か植民地であり、後にその土地の領主が殺されて、サタンが王国を築いた場所です。
私の名をしっかり守って、私に対する信仰を捨てなかったとのことですので、その様な状態にあっても『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の守人としての務めを果たし続けているのでしょう。
さて、霊界の住人によると、そこは米国なのだそうです。
そこで改めて調べてみると、米国には『イロコイ連邦』という、オンタリオ湖南岸からカナダに跨がって保留地を領有する、六つのインディアン部族による部族国家集団があるのだそうです。
現時点では、米国の拠点は五大湖周辺にあるだろうという程度の確認しか取れておりませんが、この『イロコイ連邦』を構成する部族が米国の拠点の守人である可能性はありそうです。
しかし第十四節で、イエスはあなたに対して言うべき事があると述べております。
ここでバラムとバラクという人物が出て来ますので、簡単に説明しておきましょう。
旧約聖書の民数記第二十二章~第二十五章にて一連の事件が語られ、民数記第三十一章では事件の真相が述べられております。
占い師バラムが、イスラエルの民を主に背かせる為に女たちを唆したと言うエピソードが、ここでイエスの警告する意図を理解する助けとなります。
黙示録に戻って、第十四節を読み進めてゆくと、彼らに「偶像に捧げた肉を食べさせる」とあります。
これは霊界の住人によると、悪魔を信奉し、その恩恵に預かることを指すのだそうです。
本来なら受け取れる立場にないものを、当然の権利とうそぶいて強引に奪い取ったり、正当な手順を踏まずに、身勝手な解釈で物事を推し進める行為、不正な手段によって富を独占するといった行為や、物の考え方を表しているそうです。
それらの、生命力を衰えさせる行為は、偶像に捧げた肉を食べる行為に等しく、迫害や価値観の押しつけなどは邪悪な行為とされます。
逆に、神の教えに沿った行為とは、生命力を豊かに強くするものなのだそうです。
ですから、米国の拠点の守人達の中には、神の教えに背かせようとするバラムの唆しに乗せられている者がいるということなのでしょう。
また民数記で、占い師バラムに頼んでイスラエルの民に呪いを掛けようとしたモアブ人のバラク王と、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏の名前と立場が一致するのは、単なる偶然の為せる業なのでしょうか。
更に第十五節へ読み進むと、エフェソにある教会への手紙と同様に、ここにもニコライ派が出て来ます。
米国の宗教事情を調べてみれば、さもありなんという所でしょうか。
その様な状態ですので、第十六節でイエスは悔い改めよと呼びかけ、改めない者に対しては私の口の剣で戦おうと述べております。
口の剣とは、口から発するもので、悔い改めない者の言い分を「間違っている」と証明することによって断ち切るものであり、それはイエスの口から発するものでなくてはなりません。
その様に考えてゆくと、恐らく「聖書に記されたイエスの言葉が、後に実現することによって、物事の真偽が明らかにされる」という意味でありましょうか。
続く第十七節には、勝利を得る者には隠されていたマンナを与えるとあり、また白い小石を与えるとあります。
その白い小石には、受け取る者の他には誰にも分からない新しい名が記されているとありますが、マンナ、そして新しい名が記されている白い石とは何でしょうか。
マンナとは、旧約聖書の出エジプト記第十六章に出てくる、主がイスラエルの民のために天から降らせたパンを指すようです。
それは砂漠で飢えていた民の命を長らえる生命力を象徴します。
そして白い小石とは、古代ローマでは裁判の判決に白い小石と黒い小石を用いて投票することにより、被疑者の無罪・有罪の判断をしていたそうです。
また、その白い小石には、これを受ける者の他には誰も分からない、新しい名前が記されているとあります。
第十三節にも、あなたは私の名前をしっかり守ってきたとありますが、勝利を得る者に与えられる白い石には、別の新しい名前が記されているそうです。
それはつまり、米国の拠点はキリスト教とは異なる者によって開かれるけれども、その新しく開かれた拠点の覡はイエスと繋がっていると言うことなのではないでしょうか。





■ ティラティアにある教会の天使への手紙

四通目は、ティラティアにある教会の天使に宛てた手紙です。
第十九節には、イエスの行いや愛、信仰、奉仕、忍耐を知っているとあり、更に、近頃の行いが最初の頃の行いに優っていると、ここまでの三通と比べると絶賛と言っていい褒め具合です。
しかし、イゼベルという女のすることを大目に見ているのは問題であると指摘しております。
霊界の住人によると、ティラティアにある教会とは日本の拠点であり、またイゼベルという女は朝鮮を指すのだそうです。
ここまでの三通は、いずれもキリスト教と歴史的な関わりのある土地の拠点について取り上げられてきましたが、キリスト教的価値観から見ると、何故黙示録の中に日本と朝鮮が現れるのか、少々不可解な気がします。
しかし、ティラティアにある教会を日本と仮定して第十九節を読み返すと、近頃のあなたの行いが最初の頃より優っているとありますが、これは明治天皇以降の歴代天皇は、拠点の覡としての役割分担が増している点と符合すると考えると、何だかしっくり当て嵌まるような気がしませんか。
この様に、一通りヨハネの黙示録の解説をご覧になることによってご理解頂けると期待して、話を先へ進めましょう。
そして、改めてティラティアにある教会への手紙を眺めると、イエスが諫めているのはイゼベルの行いと、イゼベルに惑わされている人々であって、ティラティアにある教会の天使に対しては、イエスがそこへ行く時まで今持っているものを固く守るように述べております。
つまり、ティラティアにある教会の天使については、イゼベルの扱い以外は全て正しいので、その状態を維持するようにと言っているのです。
それに加えて、イゼベルという女に関連して、以下のように述べております。
イゼベルは自分が預言者=神の言葉を聞けるのだと偽って、イエスの教えを信仰する者を騙し、惑わせて、『偶像に捧げた肉を食べさせている』とあります。
ここで、ペルガモンにある教会への手紙にあった『偶像に捧げた肉を食べさせている』という表現が、再び出て来ました。
つまり、イゼベルという女は預言者と偽っているものの、実は悪魔を信奉し、その恩恵に預かっている者だと言うことです。
第二十一節には、イエスがイゼベルに悔い改める為の機会を与えたとありますが、この機会とは日本が朝鮮を併合した時代に当たるそうです。
しかし、それでもイゼベルは悔い改めません=日本統治時代の経験に何も学べなかったのでした。
イエスはこの様に続けます。
イゼベルを床に伏せさせ、またイゼベルと共に淫らな行いをする者達も、“その行いを悔い改めないなら”酷い苦しみに遭わせようと述べております。
イゼベルが床に伏せさせられるのは、既に確定しております。
しかし、イゼベルと共に淫らな行いをする者=日本国民でありながら朝鮮に与している者には、その行いを悔い改める為の猶予が、まだ残されております。
その機会を有効に活かして悔い改めるのか、あるいは悔い改めず苦しみに遭わされるのかは、本人の判断に委ねられております。
続く第二十三節には、イゼベルの子供達を打ち殺そうとあります。
今後どの様な経緯を辿るのかは分かりませんが、自らサタンの行いに明け暮れ、悔い改める機会を活かせなかったイゼベルは、やがて何らかの形で子孫を無き者とされることになるのでしょう。
そして、全教会=世界中の人々――は、イエスが人の思いや判断を見通す者だと言うことを悟るようになると述べ、あなた方が行ったことについて一人一人に報いよう=全ての因果が誰の目にも分かりやすく巡ると述べております。
第二十四節には、ティラティアの人達=日本国民の中で、イゼベルの教え=悪魔を信仰し、その恩恵に預かることを受け入れず、サタンの奥深い秘密=サタンの本性や性質を知らない人々には、別の重荷を負わせない=イゼベルによる迷惑行為以外の負担は負わせない――とあります。
ティラティアにある教会の天使は、今持っているものを頑なに守っていれば、イエスがイゼベルの行いに見合った結末に導いてくれるそうです。
そして第二十六節~第二十八節にかけて、イエスは勝利を得る者に、諸国の民の上に立つ権威を授けると述べております。
それはかつて父なる神がイエスに授けた権威であり、それがここで勝利を得る者に受け継がれることを示しております。
この点については、ヨハネの黙示録の解説を全て終えてからの方が、すんなりとご理解頂けると思いますので、説明を保留にして次の手紙を見ていきましょう。





■ サルディスにある教会の天使への手紙

五通目は、サルディスにある教会の天使に宛てた手紙です。
第三章第一節で、早くもあなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいると述べております。
続く第二節で目覚めを促されているので、文字通り死んでいるのではなくて、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の守人として、全く機能していないと言うことなのでしょう。
死にかけている残りの者達を強めよとありますので、拠点の守人としての役割に支障が出る程深刻な影響が現れている様子が伺えます。
そこで第三節では、どの様に(拠点の守人の役目を)受け、(その役目の意義を)聞いたかを思い起こして、(拠点を)守り抜くように、悔い改めよとイエスに諭されております。
そして、目を覚まさないものに対して、イエスは盗人のように行くと述べております。
別に、誰にも気づかれないように、抜き足差し足でこっそり現れると言うだけでなく、盗人が盗み取るようにして、本人の知らないうちに拠点の守人としての役目を剥奪するという意味です。
さて、この様にして、イエスから見ると目も当てられないような酷い有様の守人達のいる、サルディスにある教会とは、一体どこでしょうか。
霊界の住人によると、サルディスにある教会とは、アフリカのスーダンにある拠点を指すのだそうです。
こちらの拠点は、世界に六カ所ある拠点の中で一番最初に開いた拠点であり、人類が誕生した後に一番早く閉じた拠点です。
そして、これから時間の経過と共に順次開いてゆく拠点のうち、一番最後に開く拠点となります。
さて、スーダンの現状をご覧になれば、イエスにこの様な評価をされてしまうのは、致し方ないのではないでしょうか。
しかし第四節では、少数ながら衣を汚さなかった者=拠点の守人としての務めを果たしている者がおり、白い衣を着てイエスと共に歩くと述べております。
そして第五節では、勝利を得る者は白い衣を着せられること、そして命の書から名前を消されることはなく、神や天使の前で公表すると述べております。
命の書とは、ヨハネの黙示録第二十章第十二節~第十五節に、命の書に名前のないものは火の池に投げ込まれたとあり、この火の池が第二の死とありますので、ここで勝利を得る者は第二の死を免れることになります。
第二の死については、スミルナにある教会への手紙にも言及がありますので、まとめて後ほど解説したいと思います。





■ フィラデルフィアにある教会の天使への手紙

六通目は、フィラデルフィアにある教会の天使に宛てた手紙です。
第三章第八節では、イエスがフィラデルフィアにある教会の天使の前に門を開け、その門は誰も閉めることが出来ないと述べております。
そしてあなたは力が弱いけれども、イエスの言葉を守り、イエスを知らないとは言わなかったとあります。
霊界の住人によると、フィラデルフィアとはチベットを指すのだそうです。
そこで改めて第八節をチベットの歴史と照らし合わせてゆくと、興味深い事実が明らかになってゆきます。
七世紀頃の吐蕃王朝成立を持って、実質的なチベット国の建国と見なされているようですが、以後、モンゴルや明との関わりは冊封と朝貢により、また内政は不安定な時期が続くようです。
その後、十七世紀になってダライラマ政権が確立すると、内政は安定化していきますが、明に変わって台頭する清に征服されてしまいます。
清朝の滅亡後、チベットは独立を宣言してダライラマ政権を樹立しましたが、後に中華人民共和国によるチベット侵攻により征服されて、現在に至ります。
ここで強調しておきたいのは、清によるチベット支配は、チベット仏教とダライラマに対する一定の配慮を示しておりましたが、中華人民共和国は今もなおチベット仏教とダライラマを徹底的に弾圧しております。
そして現在、ダライラマ法王はインドに亡命政権を樹立するとともに、世界的に著名な仏教指導者の一人として活動しております。
そんなダライラマ法王の活動の一かけらを、当Blogでも記事【ダライラマ法王を拝見して】にて紹介しました。
以上を考慮して再び第八節に目を向けると、イエスによって開けられた門によって、ダライラマ法王はインドへの逃亡を余儀なくされ、中共の侵略によりチベットの民は塗炭の苦しみを受けております。
それは力が弱いから避けられないのだけれども、私の言葉を守り、私の名を知らないとは言わなかった=チベットはキリスト教を信仰しているわけではないけれども、彼らのチベット仏教の本質はイエスの言葉に通じていて、なおかつ中共の弾圧にも負けずに自らの信仰を守り続けていることを示しております。
そして第九節では、サタンの集いに属していて、自分がユダヤ人だと述べる者が出て来ます。
それはユダヤ人だと偽っているのですが、イエス自身がフィラデルフィアの天使を愛していると話して、足下にひれ伏すようにすると述べております。
そういえば、ユダヤ人を騙ってサタンの集いに属する者は、スミルナにある教会への手紙にも出て来ました。
彼らはアブラハムの子孫を非難しておりますが、いずれチベットの拠点が開かれる頃になると、自らの過ちを自覚してひれ伏すようになるのでしょうか。
次の第十節では、イエスはよく忍耐したとねぎらい、地上に住む人々を試す為に全世界で起ころうとしている試練から守ろうと述べております。
この点については、次の章以降で詳しく説明致しますが、この場では、いわゆるキリスト教的価値観で言う神の審判のことを指しているとだけ、述べておきます。
続く第十一節では、栄冠を誰にも奪われないように、持っているものを固く守るように述べております。
つまり、これまでの行いの中で既に栄冠を得ているので、それをきちんと守るようにと、念を押されているのです。
更に第十二節には、勝利を得る者を神の神殿の柱にすると述べております。
続けて、もう決して外へ出ることはないとありますが、これは二重の意味合いを持たせているのでしょう。
一つ目は、ここで勝利を得る者は、その後人として地上に生まれることはなく、神の神殿の柱=神の目的を神の傍で補佐するようになるという意味でしょう。
そして二つ目は、チベット国が再建されてダライラマ法王が帰還し、その後チベットの拠点が開かれる事になるので、今後のチベット国再建の後は、二度とチベット国が他国の脅威に襲われないという意味でしょう。
だからこそ、イエスの神の名と、イエスの神の新しい都の名そしてイエスの名を書き記すことになるのではないでしょうか。





■ ラオディキアにある教会の天使への手紙

ここまでに六通の手紙を見てきましたが、いずれも『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の守人に宛てた手紙であると言うのが、当Blogの見解です。
そして、記事の冒頭で説明しましたように、世界には六カ所の『霊界と地上界を繋ぐ拠点』があります。
しかし、イエスはヨハネに、七通の手紙を送るようにと指示しておりました。
それでは、残る一通の手紙、ラオディキアにある教会の天使とは、一体何を指すのでしょうか。
第三章第十五節~第十六節では、イエスが、あなたは冷たくも熱くもないと述べております。
冷たいか熱いかのどちらかであって欲しいが、生温いので、あなたを口から吐き出そうとしているそうです。
これは一体どういう事でしょうか。
次の第十七節では、私は金持ちで満ちたりていると言っている人に対して、自分が惨めで、哀れで、貧しくて、目が見えなくて、裸であることをわかっていないと指摘しています。
お金や物を集めて満足する、言わば「物質的な充足を重視する価値観」は、イエスから見ると貧しいと言うことです。
記事の冒頭で「神の目的」について簡単に説明しましたが、人間を含む全ての霊的な存在を神の境涯へ導くのが神の目的なのですから、物質に拘っている間はいつまでも神の境涯には近づけません。
と言うことで、ラオディキアにある教会の天使とは、前の六通に当て嵌まらない(私たちやこの記事をご覧の皆様を含めた)全ての方を対象としていると思うのですが、いかがでしょうか。
そう考えると、第十五節~第十六節についても、物事の善し悪しや正邪の違いはともかく、『霊界と地上界を繋ぐ拠点』の守人達や、逆にサタンとそれに集う者達は、何らかの明確な信念や目的意識を持っていますが、それ以外の方は、明確な考えもなく、周りの様子を見て右往左往しているだけだとイエスは見ていることになります。
つまり、私たちやご覧の皆様のうちの多くの方にとって、この後に述べられている事はとても気になります。
第十八節では、イエスは次のことを勧めております。
一つ目は裕福になるように、火で洗練された金をイエスから買うように。
ここでイエスは、あなたが貧しいのは不純物が混ざった原石だからなので、火で洗練された金のように、あなたを裕福にしようと訴えかけております。
二つ目は裸の恥を晒さないように、身につける白い衣を買うように。
ここで述べている白い衣とは、サルディスの教会への手紙で、勝利を得る者が着る白い衣です。
イエスのアドバイスを活かせば、あなたにも勝利を得る者への道が開けます。
三つ目は見えるようになる為に、目に塗る薬を買うように。
イエスは、物質が見えていても目が見えていないのと同じ――物事の道理が見えるように、目に見える薬を買いなさいと述べています。
この目に塗る薬とは、例えば聖書を指すのだと思いますが、当Blogやご覧の記事が目に塗る薬の処方箋の極一部として皆様に感じて頂ければ、記事を投稿する意義はあったと思います。
ですから、第十九節でイエスは、愛する者を叱ったり、鍛えたりしながら洗練させてゆくので、手紙を送られた皆様に悔い改めて、熱心に努めるように訴えております。
第二十節では、イエスは戸口を叩いて、あなたが気づくのを待っているので、あなたが気づいて扉を開けさえすれば、イエスも共に食事をする、つまり共に歩むと述べております。
第二十一章では、勝利を得る者を、イエス自身の座に共に座らせる――つまり今後はイエスと共に霊界から働きかけるようになると述べております。
それは、かつてのイエス自身も、父なる神の支えによって玉座に着いたので、それと同じ事なのだそうです。

一言でまとめれば、ラオディキアにある教会の天使と表現されている大多数の人々に対して、イエス自身が助力をして導くので、自分自身を鍛えて下さい。
それが成し遂げられた暁には、私イエスの同志として共に活動することになります――その様に訴えかけていることになります。
さて、イエスの訴えかけに対して、ご覧の皆様はどの様に答えられますか。





■ ヨハネの黙示録は、イエスから現代を生きる人々へのメッセージ

ここまでは、ヨハネの黙示録の第一章~第三章にかけての解説をお届けしましたが、ご覧の皆様にとっても気になる疑問があるのではないでしょうか。
その一つは、冒頭のアジア州にある七つの教会の天使に宛てた手紙が、何故現代を生きる私たちへのメッセージなのか、と言う点だと思います。
詳しくは、今後黙示録の流れを追っていく中から徐々に明らかにしてゆきたいと思いますが、この場で簡単に説明すると、ヨハネの黙示録の第五章からの記述は、日本で言う明治時代以降の行く末を大まかに述べております。
そして、ヨハネの黙示録は新約聖書に束ねられておりますので、キリスト教を通じて伝えられる物であり、またバチカンの拠点開放と重要な関わりを持っております。
つまり、2011年にバチカンの拠点が開かれましたので、いよいよ審判の時期が始まります。
そして、記事【『環水平アーク』現象が示すもの[謎掛け編]】【同[謎解き編]】で取り上げた霊界の住人のメッセージは、ヨハネの黙示録の内容とシンクロしており、また5月に見られた環水平アーク現象は、審判の開始を告げる空の印なのだそうです。

次回以降にて、審判の時期がどの様に進んでゆくのか、そして審判の結果どうなってしまうのかなどについて、黙示録の文面を辿りながら徐々に明らかにしてゆきたいと思います。

Silvercord管理人 





なお、上記記事は、以下のサイト掲載の新約聖書『ヨハネの黙示録(新共同訳)』を閲覧しながら解読を行いました。
原文の引用という形はとりませんでしたが、解読する原文の場所は可能な限り指定しておりますので、必要な方は記事に指定のある章・節を参照のうえ、ご覧下さい。

閲覧サイト:一般財団法人日本聖書教会
URL:http://www.bible.or.jp/


上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2014年6月27日金曜日

『環水平アーク』現象が示すもの[謎解き編]

前回投稿した記事【『環水平アーク現象が示すもの[謎掛け編]】から、しばらく時間を置きましたが、霊界の住人の方からお寄せ頂いたメッセージの意味を、ご覧の皆様はどの様に読み解かれましたか。
今回は[謎解き編]と題して、霊界の住人の方にお寄せ頂いたメッセージの意味を解読してゆきましょう。

最初に、前回紹介した霊界の住人の方のメッセージを、改めて再掲します。





■ 霊界の住人の方のメッセージ(再掲)

手を石鹸で洗って水で濯ぐと、濯いだ水滴が落ちます。
その下は一面が水で覆われていて、水滴が水面に落ちると、水面に波紋が広がりながら緑に変わってゆきます。
更に、一面を覆った緑の奥から、澄んだ水が止めどなく湧き出て来ます。

上から真っ黒に汚れた水滴が落ちてきて、澄んだ水で覆われた水面に当たります。
しかし、一面の澄んだ水に比べて、黒く汚れた水滴は小さすぎるので、その汚れた水滴だけで一面の澄んだ水面を汚すことは出来ません。
実は、澄んだ水面を汚そうとして、ワザと黒く汚れた水滴を落とした者がいたのですが、一滴の汚水だけでは汚せないので、ムキになって沢山の水滴を落とします。
水滴を落とすと言っても、まるで全身に黒い水の衣を羽織っているようで、その身体から黒い滴が止めどなくしたたり落ちています。
しかし、黒い水滴が澄んだ水面に落ちた瞬間、薄黒くモヤモヤッと広がりますが、すぐに浄化されてしまいます。
黒い水滴を落とした者は、怒って澄んだ水を干上がらせて、その場を自分が落とした黒い水滴で満たします。
しかし、そこは澄んだ水が止めどなく湧き出る泉だったので、瞬く間に黒い水滴を外に洗い流してしまいます。

そして、止めどなく澄んだ水が湧き出る泉は山の頂上にあったので、泉の澄んだ水によって外に押し出された黒い水は、山の麓を丸く取り囲むようにして溜まっています。
更に山頂の泉から、澄んだ水が麓の方に溢れてゆき、やがては麓を囲んでいた黒い水も徐々に浄化してゆきます。
黒い水滴を落としていた者は、幾ら澄んだ水を汚して黒く染め上げようとしても、それが無理であることにやっと気づいたので、居心地が悪くなってその場を立ち去ってしまいました。

黒い水滴を落としていた者は、そうすることが自分にとって居心地が良かったので、自分の周りを全て黒く汚れた水で満たそうとしました。
周りの者は一時的にそれを受け入れたのですが、やがて居心地が悪くなって、とうとう黒い水で満たすことを拒絶しました。

黒い水を落としていた者は、別の山に行っては同じ事を繰り返して、ついに七度目を失敗で終えた時、一番最初に交わされていた契約に基づいて裁きを受け、全てが洗浄されます。

(2014年5月12日~6月2日)





続いて、このメッセージの内容を解読する為に必須となる、キーワードの解説です。

  • 石鹸で洗っているのは、神の手です。
  • 水滴・水・泉は、霊的エネルギーです。
  • 神は霊的エネルギーを媒介として、生命力を豊かにする働きかけを行います。
    (神が手を洗った時に落ちた水滴が、水面を緑に変えてゆくので)
  • 澄んだ水は神が働きかける霊的エネルギーで、黒い水は神の働きかけと相反する霊的エネルギーです。
  • 山の山頂は霊界で、麓は地上界です。

更に、以前『銀の紐を越えて』などに投稿した以下の記事を参考にして、霊界の住人の方のメッセージを、時系列に沿って分かりやすく書き直してみましょう。

『銀の紐を越えて』掲載記事【『霊界と地上界を繋ぐ拠点』と日本の役割について(メッセージ107)】
『銀の紐を越えてα』掲載記事【宇宙の構造と神々や人間が目指すもの[メッセージ修正版01]】
『銀の紐を越えてα』掲載記事【霊界と地上界を繋ぐ拠点と霊的エネルギーの役割[メッセージ修正版02]】





■ 霊界の住人の方のメッセージが示す物語

現在よりも遙か昔のこと、神様と共に霊界から地上界への働きかけに携わっていた、神の使いの中の一人が、神様に向かって言いました。
使「神様、今のやり方よりも素晴らしい方法を考えました。
こちらの方がより良い結果に繋がると思うので、新しい方法に変えましょう」
神「今の方法を続けるには、それなりの理由があるのですが……」
使「でも、今のこんなにまどろこしい方法より、こちらの方が絶対に良いはずです。
だから、すぐに新しい方法に変えましょう」
神「そんなに言うなら、あなたが自分でやりたいようにやってみなさい。
合計七回まで、試す機会を与えましょう。
但し、七回試しても上手く行かなかったら、あなたは今までに学んできたはずの智慧をまるで理解していなかったことになるので、また一から学び直すことになります。
それでも、自分の考えた方法を試してみますか」
使「わかりました。
もし自分で考えた新しい方法の方が正しいと証明できたら、神様もこちらの方が正しいと認めて、今までのやり方を改めて下さいね」
神「いいでしょう」
そうして、神の使いの一人は神様の元を離れて、自分で考えた新しい方法で地上界に働きかけることとなりました。
従来、神様は霊界と地上界の間に専用の道を作って、その道に特定の作用をもたらす霊的エネルギーを流し込むことによって、地上界に対し働きかけて来ました。
そこで、神の使いは霊界と地上界を繋ぐ専用の道に目をつけて、そこに流す霊的エネルギーを変えてしまえば良いと思いつきました。
神様より自分の方が正しければ、自分が働きかける霊的エネルギーで地上界が満たされるにつれて、きっと地上界も今までよりずっと素晴らしい所になるはずだ。
神の使いは試行錯誤の末、専用の道の霊界側の入口を占拠しました。
そこから地上界に向けて、自分が働きかける霊的エネルギーを流そうと準備を始めたのですが、神様が働きかける霊的エネルギーが流れ込まないように堰き止めた封が切れて、勢い余って溢れ出してきました。
神の使いは、自分で働きかけられる霊的エネルギーの量に限界があったので、 ある程度の量が溜まるまで待っていたのですが、そこに勢い込んで流れてきた神の働きかける霊的エネルギーに押されて、そのまま専用の道を伝って地上界に落ちて行ってしまいました。
使「せっかく溜めていたのに、何ということでしょう」
神の使いは怒ったり呆れたりしておりましたが、ふと地上界の方を見ると、先程まで自分が溜めていた霊的エネルギーが、地上界に満ちてゆく様子が分かりました。
使「自分の霊的エネルギーは充分に溜められなかったけど、それでも地上界に満ちているじゃないか。
もしかしたら、これだけでも地上界に働きかけるには充分じゃないだろうか」
そう思った神の使いは、一旦霊界を後にして、地上界へ様子を見に行きました。
使「やった!
地上界が自分の働きかけた霊的エネルギーに満ちているじゃないか。
これで地上界も変わって、神様も自分の誤りに気づくはずだ」
一旦は自分の試みが成功したと思った神の使いですが、それも束の間のこと、尚も霊界から専用の道を通じて、神様の働きかける霊的エネルギーが地上界に注がれ続け、瞬く間に自分が働きかける霊的エネルギーが押し流されて、何処へと雲散霧消してゆきます。
それから程なく、地上界は神様の働きかける霊的エネルギーに満たされてしまいました。
使「どうやら今回は失敗したみたいだ。
でも、神様は七回も試す機会をくれたのだし、今回の失敗で問題点も分かった。
次こそ成功させよう」

それから、神の使いが失敗の原因を分析した所、既に使われている専用の道を、途中で借りようとしたことが問題ではないかと思いつきました。
神様は、地上界に暮らす人々の成長段階に合わせて、霊界と地上界を繋ぐ専用の道を開いたり閉じたり操作していて、これから一つずつ順番に専用の道を開いてゆくので、道が開く時を狙えば上手く行くかも知れません。
専用の道は六つあって、今は一つだけが開いています。
今度は二つ目の道が開く時が狙い目でしょう。

そして二つ目、三つ目、四つ目、五つ目、六つ目と全ての道が開かれる時も全て失敗し、その後に一か八かの最後の挑戦に賭けたものの、結局神の使いは目的を果たすことが出来ませんでした。
また、長年に渡る神様の働きかけの末、地上界に暮らす人々が霊的に成長し、もはやある程度成熟した者でないと地上界には止まれなくなってしまいました。
では、地上界に止まれない程、霊的に未熟な者はどうなってしまうのでしょうか。
未熟な者には、それに見合った別の場所が用意してあって、この後は自分の成長段階に見合った場所で、自分のペースに合わせて霊的成熟への階段を一歩ずつ昇ってゆくのです。
もちろん、神の使いもここまで来てやっと自分の過ちと未熟さを受け入れて、最も未熟な段階から霊的成熟への歩みを始めることになります。
それは、今よりも遙か未来に起こるはずの出来事です。

(了)





上記『霊界の住人の方のメッセージが示す物語』は、あくまで霊界の住人の方のメッセージを元に、上記関連資料や、霊媒によるアドバイスを参考の上、ご覧の皆様の理解を深めて頂けると考えて、管理人が再構成した物語です。
また、今回は[謎解き編]と題してお送りしましたが、どの程度まで謎の核心に迫れたのか、少々不安を抱えながらの投稿となります。

なお、記事のタイトルにある『環水平アーク』が、霊界の住人の方のメッセージとどの様な関係があるのかについて、メッセージを読み込むだけではよく分かりませんでした。
そこで、前回掲載の記事でも述べたように、聖書の『ヨハネの黙示録』を併せて読むことによって、より深い意味合いが理解できるとのことでしたので、現在準備を進めております。
世の中には、既に多くの「ヨハネの黙示録の意味を読み解く」系の書物や言論の類が存在しますが、従来のキリスト教的価値観とは一線を画した、ちょっとビックリのヨハネの黙示録解読記事になると予想しておりますので、お楽しみに。

Silvercord管理人 





上記記事の内容についてのご意見・ご感想・ご質問はコメント欄よりお寄せ下さい。
また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2014年6月13日金曜日

『環水平アーク』現象が示すもの[謎掛け編]

記事【靖國神社と鎮霊社】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様のご要望にお応えして、今回は、5月4日に関東から中四国にかけて観測された『環水平アーク』と呼ばれる現象について、霊界の住人の方からお寄せ頂いたメッセージを紹介したいと思います。

ちなみに、『環水平アーク』は以下の記事にて報道されておりました。
http://www.47news.jp/CN/201405/CN2014050401001510.html





■ 霊界の住人の方にお寄せ頂いたメッセージ

手を石鹸で洗って水で濯ぐと、濯いだ水滴が落ちます。
その下は一面が水で覆われていて、水滴が水面に落ちると、水面に波紋が広がりながら緑に変わってゆきます。
更に、一面を覆った緑の奥から、澄んだ水が止めどなく湧き出て来ます。

上から真っ黒に汚れた水滴が落ちてきて、澄んだ水で覆われた水面に当たります。
しかし、一面の澄んだ水に比べて、黒く汚れた水滴は小さすぎるので、その汚れた水滴だけで一面の澄んだ水面を汚すことは出来ません。
実は、澄んだ水面を汚そうとして、ワザと黒く汚れた水滴を落とした者がいたのですが、一滴の汚水だけでは汚せないので、ムキになって沢山の水滴を落とします。
水滴を落とすと言っても、まるで全身に黒い水の衣を羽織っているようで、その身体から黒い滴が止めどなくしたたり落ちています。
しかし、黒い水滴が澄んだ水面に落ちた瞬間、薄黒くモヤモヤッと広がりますが、すぐに浄化されてしまいます。
黒い水滴を落とした者は、怒って澄んだ水を干上がらせて、その場を自分が落とした黒い水滴で満たします。
しかし、そこは澄んだ水が止めどなく湧き出る泉だったので、瞬く間に黒い水滴を外に洗い流してしまいます。

そして、止めどなく澄んだ水が湧き出る泉は山の頂上にあったので、泉の澄んだ水によって外に押し出された黒い水は、山の麓を丸く取り囲むようにして溜まっています。
更に山頂の泉から、澄んだ水が麓の方に溢れてゆき、やがては麓を囲んでいた黒い水も徐々に浄化してゆきます。
黒い水滴を落としていた者は、幾ら澄んだ水を汚して黒く染め上げようとしても、それが無理であることにやっと気づいたので、居心地が悪くなってその場を立ち去ってしまいました。

黒い水滴を落としていた者は、そうすることが自分にとって居心地が良かったので、自分の周りを全て黒く汚れた水で満たそうとしました。
周りの者は一時的にそれを受け入れたのですが、やがて居心地が悪くなって、とうとう黒い水で満たすことを拒絶しました。

黒い水を落としていた者は、別の山に行っては同じ事を繰り返して、ついに七度目を失敗で終えた時、一番最初に交わされていた契約に基づいて裁きを受け、全てが洗浄されます。

(2014年5月12日~6月2日)





このメッセージをご覧になった皆様は、どの様な感想をお持ちでしょうか。
霊媒によると、このメッセージを寄せて頂いた霊界の住人の方は、「このメッセージと、聖書の『ヨハネの黙示録』を併せて読むと、より深く内容を理解できる」と述べているそうです。
この際ですので、管理人も『ヨハネの黙示録』に目を通したいと思います。
もし興味がありましたら、ご覧の皆様もこの謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。
「私はこう解読する」というご意見がございましたら、下のコメント欄よりお寄せ下さい。

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2014年5月30日金曜日

無条件で何かをしてもらえるのが神ではない

先月のことになりますが、東京都北区の【王子稲荷神社】を参拝致しました。
稲荷神社ですので、御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智之神(うけもちのかみ)、そして和久産巣日神(わくむすびのかみ)とのことです。




今回、王子稲荷神社を参拝するきっかけとなったのは、以前投稿した記事【神仏習合の弊害について】のコメント欄に投稿された、稲荷神社についてのコメントでした。
ほんの一言、「稲荷神社に違和感があります」とのコメントだったのですが、何となく気になっておりまして、どこか近場の稲荷神社を訪ねた折りにでも話を伺いたい――その程度に考えておりました。
ですから、とにかく稲荷神社であればどちらでも良かったのですが、首都圏で幾つかの候補地を上げて検討した結果、最終的に王子稲荷神社へ参ることと致しました。

また、参拝した当初は気づかなかったのですが、その後に記事を投稿する準備をしていた所、前回投稿した記事【世界の偏りを改善したい】で参拝した乃木神社の末社である赤坂王子稲荷神社は、こちらの王子稲荷神社から勧請した事を知りました。
最初から狙って参拝したのではないだけに、やはり招かれていたのだろうかと不思議なご縁を感じました。





■ 王子稲荷神社の神様との対話

管理人:
今回は、東京都の王子稲荷神社を参拝しました。
そして、何故王子稲荷神社に伺ったのかといいますと、以前投稿した記事【神仏習合の弊害について】のコメント欄に、稲荷神社についてのコメントを頂いておりまして、管理人としましても気になっておりました。
そこで、比較的近場で稲荷神社についての話を伺える適当な神社はないかと探した所、こちらの王子稲荷神社が目に止まりました。
そこで、最初に霊媒さんから、王子稲荷神社を訪ねた時の印象から教えて頂けますか。

霊媒M:
最初はちょっとよく分からなかったのですけれども、しばらく居たら余り良くない感じで、軽く頭痛がしてきました。

管理人:
軽く頭痛がしてきたと言うことですけれども、それは神様に伺えば分かるのでしょうか。
事情を教えて頂けますか。


(事情により中略:大まかに述べると、現在霊媒Mと共に活動している霊界の住人の方の中に、以前は稲荷神社の活動に関わっていた方がおり、王子稲荷神社の神様とは以前から面識があったようです)


管理人:
それは分かりました。
でも、それは、悪戯をしたから頭痛がしたのですか。

王子稲荷神社の神様:
悪戯をしたから……というよりは、元々人間は、神社に来る時には勝手な奴が多いと。
それで、これは稲荷神社全体の決め事で、大元の神様が決めていることなのだけれども、「人間が身勝手な願いをしてきたら、本人に全て返せ」と、「そのエネルギーをそのまま返せ」となっているから。(*注1)
常にこう……「また来たのか」という感じで、人が来ると、最近やる気が余り起きない。

管理人:
それは困りましたねぇ。
どうしてそういう風になってしまったんでしょうね。
……ということは、昔は特にそういう事はなかったんですか。
最近酷くなったと言うことですか。

王子稲荷神社の神様:
否、昔から人間は変わっていないと思う。
ただ、今やっていることは自分がやりたかったこととは違う、というのを、ずっと同じ環境で長い間人間の相手をしていて、思うようになってきていた。

管理人:
では、今は「これをやりなさいよ」と、元締めの神様に言われたお務めだからやってきたけれども、本当は別のことをやりたいと。
それで、人との付き合いの中でも、自分のやる気を萎えさせるような経験が積み重なってゆくと、「自分のやりたいことはこんな事じゃないんだ」、「もっと他の、本来はこれがやりたいんだ」という気持ちが、沸々と湧きあがってくると言うことでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、そうだね。
とにかく、何某かの働きかけをしても、(人間は)自分の望んだものでないと受け付けないし、「知らないんだからしょうがない」、「人間だからしょうがない」というのを免罪符にしてしまって、「今までは知らなかったけれども、これはダメなんだな。それではどうしよう」と考えるのではなくて、「出来ないのは当たり前なんだからいいんだ」と開き直られてしまうと、「やっている意味がないのではないか」という風になってきてしまう。

管理人:
元々、稲荷神社は、五穀豊穣の神様として祀られていたようですが、江戸時代の頃に稲荷神社の御利益信仰が広まってしまったみたいで、一般の家庭でも稲荷神社から勧請してもらって、自宅の敷地内に小さな社を立てているような事がかなり行われていたようで、現在でもその様な光景が見られます。
一方で、稲荷神社は……というか、稲荷神様は祟るという言われ方も一部でされているみたいなのですけど。

王子稲荷神社の神様:
それは、さっきも言ったけれども、祟っているのではなくて「それは自業自得だろう」という話なのですよ。

管理人:
先程「理不尽な願い事の思いは本人の元に返す」という話がありましたので、そういう事なのだろうと思います。

王子稲荷神社の神様:
それは全国共通している。
束ねている神様の方針だから。

管理人:
それは祟っているんじゃなくて、その人の願い事がおかしいと言うことですよね。
だから本当は自業自得なのだけど、人間にはその因果関係が見えるわけではないので、いかにも祟られているというイメージで受け取ってしまうのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、そういう事なのだろうね。

管理人:
それは困りましたね。
でも、江戸時代には稲荷神社の信仰が盛んに行われていたという話を聞いているので、それが今までずっと続いていると考えると、それは余り良い状態ではないですよね。
神様の方では、「このままでは問題だから、新しい、別の働きかけをしてみよう」という動きはないのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
個人的には、もっと他のことをやりたいとは思っているけれども、(稲荷神社の)組織としては必要だから存在していると言うこともあるから、組織として動くことはないと思う。
それはやはり、必要だから存在している。
もし何か他の働きかけをする様になるなら、余程のことがあった時だろうと思う。

管理人:
余程のこととは、どの様なことなのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
その組織として続ける事だけでは足りない。
人間と関わる上で、全く働きかけ方が足りなくなってしまった場合になるのだろうね。

管理人:
働きかけ方が足りなくなってしまう……。

王子稲荷神社の神様:
働きかける方法……結局、その場所に来た人間と、周辺に暮らしている人間くらいにしか、今は働きかけが出来ない――していないけれども、そもそもそのやり方ではどうにも立ちゆかなくなったら、何か新しい形に変わってゆくのだろう。

管理人:
立ちゆかないですか……。

王子稲荷神社の神様:
もう、かなり限界が見えていると思うねぇ。
個人的にはそう思うけど。

管理人:
そうですか。
では、遠からず、稲荷神社の組織として、何か新たな変化をせざるを得なくなると言うことでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、全国各地から色々話を聞いているだろうし、その上でどういう判断をするのか……だろうね。

管理人:
ちなみに、先程お話しにありましたけど、稲荷信仰が盛んになった時に、稲荷神社から勧請してもらって、自宅の敷地内に社を建てて、稲荷神様をお迎えして、自分の家の守り神のように祀っていたようですけど、そうして作られた全てのお社に稲荷神様が派遣されているのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
それは人間の都合で広まった部分もあるから、一応試用期間を設けて、そこが相応しい場所であるかどうかを試す作業をして、それで「いいだろう」と判断された場所には正式に派遣される形になって、は、いた……のだ、けれども……外の箱だけあっても、中身はありませんという場所は存在しているはず。

管理人:
それが実際に神様の宿るお社であるなら、それはそれで結構なのですけど、もし試用期間を終えた時に「神様の宿る場所としては駄目だ」となってしまったら、その後はどうなってしまうのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
そこからは去ってしまうから、空き家状態になる。
それで、空き家状態であるにもかかわらず、御祈りをしたり、お供え物をしていると、浮遊霊が入り込むこともあり得る。

管理人:
そうすると、稲荷神は祟るなどと言いますけど、実はそういう浮遊霊が、神様が居なくなった後に入ってきてしまって、それで悪さをしているという可能性はあるのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
ただ、浮遊霊にそんなに力があるとは思えない。
そんなに浮遊霊に力があったら、今頃、そこら中で大変なことが起こっているはずだから。

管理人:
その位浮遊霊は沢山いるということですか。

王子稲荷神社の神様:
沢山いますよ。

管理人:
そうすると、取りまとめの神様の方針に則って、ちょっとおかしな願いをされた場合に、それを本人の元に返した影響が大きく出ていると言うことでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
それは確実に出ている。
ただ、浮遊霊の場合は、崇められてお供えをされた場合に、勘違いをして「もっと、もっと」と要求する場合も出てくるから、そういった催促する行動が人間に対して悪影響になっている可能性はあるかも知れない。

管理人:
浮遊霊が人間に危害を加えようとするわけではなくても、結果的に人間が被害を受ける場合はあるかも知れないと言うことですね。
それでは、稲荷神様が祟り神などと言われてしまいがちな理由として考えられそうなのは、そんな所なのでしょうか。
ここで何をはっきりさせたいのかというと、一般に稲荷神様の祟りといわれる場合があるけれども、実際にはこの様な事情がありますよと言う部分を、少しでも説明できれば良いと思ったのですけど。

王子稲荷神社の神様:
まあ、難しい問題だなぁ。
何でかというと、全然関係ないのに、勝手に結びつけている場合もあるから。
たまたま稲荷神社に参拝した後で事故に遭うと、そうすると祟られていると勝手に思い込むとか、そういう事が殆どなのだよなぁ。

管理人:
本当は関係ないのに。
人間には神様の働きかけが見えるわけではないので……。

王子稲荷神社の神様:
結局は人間の不注意。
わざわざ罰を当てて廻るなどはしない。

管理人:
そうですよね。
そんな事をしていたら、神様失格ですよね。

王子稲荷神社の神様:
余り意味がないのだよなぁ。
但し、はっきり言ってやらないと分からない奴も居るし、そこいら辺の匙加減が難しい所だな。

管理人:
はっきり言ってやると言っても、どの様にしてはっきり言うのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
その場で言っても分からないだろうから、夢枕に立つとか。
でも本人は忘れているのだけどな。

管理人:
「私は神です」とかw

王子稲荷神社の神様:
それは言わないw
けれども、相手が持っている神についてのイメージを利用して、色々な働きかけもかなり大勢の人に行ってきたのだけど、大体開き直ってしまうのだよな。

管理人:
今の王子稲荷神社の氏子さんも、皆その様な感じなのでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
結局は、価値観の違いなのだろうな。
こちらとしては、こうあって欲しい、こういう形で運営して欲しい、その為の助力は惜しまないよ――と伝えたとしても、人間の物差しで相手は物事を推し量るから。
結局、噛み合わない。

管理人:
今の話は、氏子さんと言うよりは宮司さんについてですよね。
氏子さんは神社の運営を支援していて、実際に取り仕切るのは宮司さんだと思いますので。

王子稲荷神社の神様:
まあ、難しい……。
だから、ある意味仕方ない部分もあるのだろうけれども、人間は考え方が物に偏るから、何でも物・金で解決しようとする。
何でも金勘定が入っている。
まあ、そういうシステムで動いている社会だから、仕方がないと言えば仕方がない側面もあるのだけれども、ちょっと偏りすぎているのじゃないかなとは感じるね。

管理人:
それは、これから「そういう部分は改めた方がいいよ」的な、何か新たな働きかけをするのではなくて、個人的な印象と言うことですか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、個人的な印象として。
神社での作業、仕事を受けている以上、個人的な思いでは動けないから。
神社を維持する為のルールが存在しているから、そこからは外れた別のことをやりたかったら、神社から離れるしかない。

管理人:
今、色々とお話を伺ってきたのですが、その辺の稲荷神社を巡る事情については、他の稲荷神社の話を聞く機会はありますか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、あるよ。

管理人:
他の稲荷神社の事情は、いかがでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
そこを預かっている者の性格にもよるから。

管理人:
そうすると、一概には言えないということですか。

王子稲荷神社の神様:
まあ、表面的に冷淡に見えるタイプの方が、上手くやっているみたいだね。
本当に、スッパリと、やるべき事として、気持ちを切り替えてやってしまっている。

管理人:
それでは、(王子稲荷神社の)神様はそういうタイプとはちょっと違うと言うことですね。

王子稲荷神社の神様:
個性があるから……神様と言っても個性がある。

管理人:
霊媒からも「神様にも色々個性がある」という話を聞いておりますので。
人間にも個性があるので、その辺は変わらないのかなと思います。

王子稲荷神社の神様:
最初は、稲荷神社は、もっと人間に近い位置で、きめ細やかなサポートが出来る様な位置にいる、そういう仕事が出来ると感じて続けていたわけだけれども、こちらがどんなに親身になっても、聞く耳を持たない奴には何の意味も持たないんだよなという風に、最近はそう思うから。
まあ、時間をかければ変わってくるんだろうけれども、自分には合わなかったのかなと。

管理人:
今、こちらの霊媒と共に作業をしている霊界の住人の方が、以前は稲荷神社の活動に関わっていたと聞いておりまして、今回、新たな作業をしていると言う話を私も聞いているのですけど、実際にそういう作業をしている霊媒と会うことになって、その様子をご覧になっていかがでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
風の噂程度には聞いていたのだが、興味深いことではあるけれども、そうそう上手く行くのかなという疑いの目もあって。
だから、いざ、何となく良い感じに行っている様子を見ると、癪に障った。

管理人:
では、神様から見ると「何だ、あそこは良い感じに行っているじゃないか」という風に見えると言うことですか。

王子稲荷神社の神様:
やはり、不特定多数の人間を相手にするよりは、1人にじっくり時間をかけると、その分だけ意思が伝わりやすくなるものかなと。

管理人:
で、やはり意思が伝わった方が、当然ながらやりやすいと言うことでしょうか。

王子稲荷神社の神様:
相手の性格にもよるだろうから。
開き直られてしまう性格だと意味がないけど、その辺は慎重に選んだのだろうけれど。
個人に憑いているというのは、全体を見た時には進歩が遅い様な印象を受けるかも知れないけれども、やはり確実なのではないかな。

管理人:
実際に、ある程度やりやすい環境を予め整えて、試しにやってみて、「これで成功しました」という実例を作ってしまいましょう。
その中であらゆる働きかけを試して、「これは成功しました」、「これは失敗しましたから考え直しましょう」という実例を作った所で、そこで成功した実例をまとめて他にも展開していきましょう――と言うことですよね。

王子稲荷神社の神様:
だから、ある意味、稲荷神社が全国各地に沢山広がったというのも、一つの試みではあったのだけれども、これ自体は思うような結果が出なかったと言う結論になるのだろうね。
より身近なものとして、機能できる形ではあったと思う。

管理人:
では、一時期稲荷信仰がかなり普及して、身近に稲荷信仰が浸透していったのだけれども、思うような結果が出なかったので、今はこれまでとは違う角度から働きかけを始める試しの段階ですよね。

王子稲荷神社の神様:
こちらが考えている形ではない形で広がったというのが問題だった。

管理人:
なるほど。
神様といえども、思い通りに行かない場合もありますか。

王子稲荷神社の神様:
人間の考えを強制することは出来ないから。
人間が誤った選択をした場合に、警告をしても相手がそれを受け取れなければ、そのまま進行してしまう。

管理人:
受け取れなかったり、相手が受け取ったとしても、受け方がおかしくて意味合いを誤ってしまう場合もあると思いますけど。

王子稲荷神社の神様:
余程行っては拙いことでもない限り、手を出したら事故が起きる等ということもないから。
あんな事故が起きるというのは、本当に手を出したらいけない場所。

管理人:
手を出したらいけない場所に手をつけると、事故が起きるのですか。

王子稲荷神社の神様:
ありうるね。

管理人:
でも、それは余程のこと。

王子稲荷神社の神様:
余程のこと。
人間が霊界のシステムに干渉した場合。

管理人:
恐らく、人間の側は、それが霊界側のシステムに干渉することになるとは意識していないと思います。
ここまでは、雑談的な流れで、稲荷神社の神様でないと伺えないような視点からのお話しを伺いました。
私たちが稲荷神様について抱いている印象と違って、実は稲荷神様は人間をこの様に見ていて、この様な姿勢で接しているよという部分を知るきっかけになる、非常に興味深いお話であったと思います。
今回については、こちらからは以上なのですが、神様の方から何か付け加えることはございますか。

王子稲荷神社の神様:
何か、人間は勘違いをしているのだろうけど、無条件で何かをしてもらえるのが神ではないよ。
そこを勘違いされて困るのだよね。

管理人:
恐らくそこを勘違いしている人が多いのでしょうね。

王子稲荷神社の神様:
そんな、無条件に何でもやって上げるのなら、この世界はいらないのだよ。
まあ、そんなところだね。

管理人:
では、その点についてはちゃんとお伝えして、『銀の紐』をご覧の方にもよく考えて頂きましょう。

(2014年4月29日)





*注1:
人間の身勝手な願いとは、言わば『利己的思考のエネルギー』という事が出来ると思いますが、人間が稲荷神社に向けて放った利己的思考のエネルギーを、稲荷神様はそのまま人間に返すとのことですので、その人間は自分が放った利己的思考のエネルギーの影響を受けることになります。
一方、以前投稿した記事【神仏習合の弊害について】にて江島神社の神様が
「私たちにも役割があって、聞き届けられる願いとそうではないものがありますが、到底聞き届けられないものが当たり前に求められてしまう状況があって、そういった願いには行き場がなくて……人間の欲望というものは(霊的)エネルギーを不安定にしやすいのですね。
それで、行き場のないエネルギーがその場に止まってしまう。」

と述べているのは、江島神社の神様は人間の欲望(=身勝手な願い)である『利己的思考のエネルギー』をそのまま人間に返すのではなく、一旦神社に止め置いてから別の方法で回収しているようです。
この辺の対応の違いは、それぞれの神社を取りまとめている神様の方針の違いによるのだそうです。


今回の記事を書くきっかけとなったコメント、稲荷神社に対する違和感について、神様の側から見た大まかな理由を説明できたと思いますが、ご覧の皆様はどの様な感想をお持ちでしょうか。
また、記事の中に記述があります様に、現在霊媒Mと共に新たなプロジェクトに携わっている霊界の住人の方の中に、以前は稲荷神社の運営に関わっていた方が含まれているそうです。
現在は稲荷神社の活動とは直接の関係はないようですが、その霊界の住人の方の繋がりで、他の稲荷神社で活動されている神様や霊界の住人の方とも、今後この様なお話を伺う機会が訪れるのかも知れません。

Silvercord管理人 





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2014年5月16日金曜日

世界の偏りを改善したい

以前投稿した記事【乃木神社の主は】にてお伝えしましたように、乃木神社の御祭神である『乃木希典大人之命』様は、しばらくの間修行の旅に出ているとのことでしたが、霊媒Mの話によると、最近になって修行を終えられ、無事乃木神社に帰還された様です。


そこで、是非一度お話を伺いたいと機会を探っていたのですが、幸いにもこの度東京の【乃木神社】を参拝することが叶いましたので、以前から伺いたいと思っていたお話しや、最近になって浮かんだ新たな疑問について、乃木神社の神様に伺うことと致しました。





■ 乃木神社の神様との対話

管理人:
今日は東京の乃木神社を参拝しましたが、以前、三年程前に京都の乃木神社を参拝した折に、御祭神の乃木さんご自身がいらっしゃらなくて、留守役の方から「(乃木さんは)修行に出かけていて、私が留守を預かっています」とのお話しだったのですが、現在は戻ってこられたのでしょうか。

乃木神社の神様:
はい、きちんと準備を整えて、戻って参りました。

管理人:
そうですか。
いつ頃、戻っていらっしゃったんでしょうか。

乃木神社の神様:
去年の……去年の、春、春に戻ってきて、本格的に動き出したのが夏頃になります。

管理人:
そうすると、戻ってこられてから、大体一年くらいになりますね。

乃木神社の神様:
そうですね。

管理人:
それでは、以前、京都の乃木神社に伺った時に、留守を預かっていた方から「ご本人から直接お話しになるのではないでしょうか」とのことでしたので、改めてになると思いますけれども、何故修行をされていたのかというところについて、ご自身から直接お話を聞かせて頂けますか。

乃木神社の神様:
人としてではなく、人間的な……人間的な物の考え方を改める必要があったので、人としてではなく、人を補助する者としての心得を身につける必要がありました。
その為に、しばらく時間を置かせて頂きました。

管理人:
ということは、言葉を換えると、神様としての務めを果たすには、今までの人間的な感覚では支障があるというか、なかなか務めを果たせない部分があるので、しばらく時間をかけて修行をしていましたという事ですか。

乃木神社の神様:
そうですね。

管理人:
それでは、霊媒が乃木神社で御神籤を預かりまして、ただこちらの御神籤は赤坂王子稲荷神社の御神籤となっているのですが、乃木さんが生前に篤く信仰をされていたようです。
では、こちらの御神籤について、まず解説をお願い致します。



おみくじ
第弐拾五番|中吉

乃木将軍軍歌

根も幹も 枝ものこらず
朽ちはてし 楠の薫りの
高くもある かな


運勢

嘆きや思わぬ災いに運勢は落ち込んでいますが
金運招福の神様の御神徳を受けて
高く豊かな喜びあふれる倖せを授かります
朝な夕なにお祈りし
まず自分の心を磨きましょう


乃木神社の神様:
これはですね、日本という国や日本国民の方々は、今とても……自然災害に遭ったり、周辺諸国の影響もあって、苦しい立場に立たされている……という風に感じておられるでしょう。
ですが、潜在的な能力として、とても高いものを持っているので、自分たちの力を信じて、真摯に諸問題に向き合って、まず、己を、己のあり方を振り返り、改め、そして周りにも働きかけてゆきましょう、と言う事ですね。

管理人:
今、私たちは(『銀の紐』などを通じて)色々な神様や霊界の住人の皆様のお話を伺っておりますが、特に今年に入ってから、同じ様な趣旨の話を伺っていて、それでも現実にはなかなか上手く行っていないという印象があります。
確かにその通りなのだけど、口で言う程物事は上手く行かないのだけど……という点について、何かアドバイスを頂く事は出来るでしょうか。

乃木神社の神様:
そうですね……焦って、気持ちが苛立っている状態だと何事も上手く行かないので、もう少し成果の部分に目を向けてみてはいかがでしょうか。

管理人:
成果の部分というのは。

乃木神社の神様:
自分たちが行動したことに対して、表れてきているもの。

管理人:
結果……。

乃木神社の神様:
結果……そうですね、最終目標には程遠いかも知れませんが、例えば一年前と比べて、今はどう変化しただろう――という見方をした時に、少しかも知れませんが、何もしていなかった時よりは何某かの成果が表れているはずです。
ですから、そういったものにももう少し目を向けて、一年頑張った分だけ、これだけの成果が出たと言う部分を振り返る作業が必要なのではないでしょうか。

管理人:
やはり、今これだけの、沢山の問題を抱えている――と言うだけでは、精神的に厳しくなってしまいますので、確かに、過去にこれだけ頑張った結果、一年前よりも良くなったよと言う部分を振り返った方が、心の励みになりますよね。
これだけの結果を出したじゃないかと。
まあ、その結果があればと言う話ですけど。

乃木神社の神様:
はい。

管理人:
御神籤については以上ですので、次はこの話を伺ってしまいますか。
これは二月になりますが、立川の諏訪神社を参拝しました。(記事【冷静に、慎重に】参照)
その際に、人間の創造性や思考力に働きかける霊的エネルギーの通り道が立川の諏訪神社で、更に諏訪神社の役割を補助する場所があるとのことでした。
その補助する場所は乃木神社なのではないかという話を予め伺っておりまして、今回はその確認の意味も込めて乃木神社を参拝したのですが、まず霊媒さんに伺いましょうか。
乃木神社は補助する場所だったのでしょうか。

霊媒M:
それがですね、ちょっとよく分からなかったのですね。
ただ、エネルギーの放出量は多かったのだと思います。
東京は一杯神社がありますので、難しいのですよね。

管理人:
難しいんですか、特定が。
では、その件は保留とします。
そうしましたら、確認をさせて頂きたい事が一つあります。
今日参拝した際に、宝物殿を見学しまして、その中で霊媒が注目した場所があったのですが、乃木さんと奥さんが自害された時に使用したと言われる刀が展示してありまして、ちょうどその場所に来た時に「もの凄い量のエネルギーを発している」という話を霊媒が述べておりました。
それはどういう事なのでしょうか……どういう事という言い方も変ですが。

乃木神社の神様:
人として最後を迎えた時の物なので、私自身の人間的な部分が、思いが凝縮されている物であると考えて頂ければ良いと思います。

管理人:
やはり、それだけ強い思い入れがあったと言う事でしょうか。

乃木神社の神様:
そうですね。
やはり、人であった時には。

管理人:
実際に参拝した時には、本殿にはご神体があると思いますが、「本殿からのエネルギに負けないくらいの、かなり強いエネルギーを発している」と霊媒が話しておりましたので、実はそちらの刀の方がご神体なのではないか――などと憶測していたのですが、いかがでしょうか。

乃木神社の神様:
それは、違います。
(刀は)あくまでも人間であった時の物ですから、違います。

管理人:
神様になると役割があるので……。

乃木神社の神様:
そうですね。
だから、いつまでもそこに止まっていては務まらないものなので、それはそれで思い入れはありましたが、ご神体とは全く別の物ですね。

管理人:
今回修行されていたという事ですけれども、そういった人間的な思いを、整理をつけるというか、清算する意味合いもあったのでしょうか。

乃木神社の神様:
そうですね。
やはり、死んですぐに全てを思い出して気持ちを切り替えるという事は、誰でもなかなか出来る物ではありませんので、そこのところは調整する期間が必要です。

管理人:
やっと調整が終わって、これから本格的に活動を開始すると……。

乃木神社の神様:
そうですね。
今の時代にこうして、日本の国にとって大事な時期に、この様な形で関われるという事には、やはり感慨深い物があります。

管理人:
その感慨深い物とは、どの様な……。

乃木神社の神様:
この国が新しい形になった後の時代をずっと過ごしてきて、新しい形になったからこそ得られた物もありますが、その為に忘れ去られてしまった物や、誤った方向に導かれてしまった物事もありますので、そういった物を清算して、また新たな一歩を踏み出そうという、この時代に関われるのは、とても光栄に思います。

管理人:
それでは、実際の活動の中身の部分なのですが、どの様な方向性の活動をされるご予定なのでしょうか。
あるいは、もう既に活動を開始されているのかも知れませんが……。

乃木神社の神様:
世界の安定に必要な物であるのに、足りていない物があるので、それら足りない物を如何にして人間の働きによって得てゆくのか、というところを補助していけたら良いと思っています。

管理人:
その「世界の安定に足りていない物」って、一言では言い表せないとは思いますが、「例えばこういう物だよ」と例を上げて頂く事は出来ますか。

乃木神社の神様:
今の世界の状況、そうですね……例えば、生きていく糧となるものとしたら、とてもアンバランスな状態――一部の場所に偏っています。
過剰状態。
その影響として、争いが絶えなくなっている。
物質の偏りは心の偏りでもあるので、そういった物を正統な形でバランスが取れるようにするには、どうしたら良いのか。

管理人:
誰もが納得できるように、配分されるという事ですよね。

乃木神社の神様:
そうですね。
今、世界で行われている援助という物は、違う気がします。

(2014年4月28日)





記事の冒頭にも触れましたように、乃木神社につきましては三年越しで再訪が叶い(東京の乃木神社参拝は初めて)、この度ようやくお話を伺うことが出来ました。
特に、乃木神社の神様がこれから取り組まれる活動は、現在の私たち日本国民にとっても密接な関わりを持っているのではないかと思います。
記事の中では、「生きていく糧となるものが一部に偏っている為、その糧を奪い合って争いが絶えなくなっている」とあっさり述べておりますが、その『生きていく糧となるもの』の中には、食料やエネルギー、鉱物資源から、富や情報など、私たちの日常生活を支えて成りたたせているあらゆる物が含まれるでしょう。
この辺は以前投稿した記事【国民や政府はこれからの日本をどの様にしたいのか?[小ネタ]】にも通じる構図だと思いますので、乃木神社の神様の働きかけは、これからの日本に取ってとても重要な意味合いを持つのではないかと思います。

ご覧の皆様は、どの様な感想を持たれましたでしょうか。

Silvercord管理人 





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また、コメントを投稿される際は、記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】をご覧下さい。

2014年5月2日金曜日

靖國神社と鎮霊社

昨年末の話になりますが、安倍首相が靖國神社を参拝されたとの報道がありました。
その際に、安倍首相は靖國神社と共に鎮霊社にも参拝されたとの事でした。
この件については、首相官邸のサイトにも【安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~】として掲載されております。
そこで思い返してみました所、霊媒Mと管理人共に、以前より度々靖國神社を参拝しておりましたが、鎮霊社には参拝しておりませんでした。
靖國神社のサイトによると【鎮霊社】とは、戦争や事変で亡くなられた方のうち、靖國神社に祀られていない全ての方を祀っているようですが、霊界から見ると別の役割を担っている場合もあります。

そこで、今年が明けてすぐの頃から、靖國参拝をするように管理人から霊媒Mに提案していたのですが、霊界側の事情により日程が延びておりました。
しかしこの度、ようやく希望が叶い、靖國神社に参拝できました。

 
そこで、参拝の後に英霊の皆様に伺ったお話をご紹介したいと思います。
併せて、鎮霊社に宿る霊の方にもお話を伺っておりますので、お楽しみに。





■ 英霊の皆様から『銀の紐』をご覧の皆様へ御神籤の解説

管理人:
今日はとある目的があって靖國神社を参拝したのですが、その本題については後ほど伺う事として、先に『銀の紐』をご覧の皆様宛に預かってきた御神籤の解説からお願い致します。



おみくじ
第六番|末吉

このみくじにあう人は
道に迷ってやがて
本道へ出るように
いろいろ思い違いや
間違いがあるが
自分のあやまちを知り
これを改め
神仏を信じ
心を正せば
やがて幸せは来る


靖國の英霊:
今の日本の立場・立ち位置というものを、きちんと確認する必要があります。
今日本がやろうとしている事は……日本というか、政府の動きにしてもそうなのですけれども、「自分たちが今どこにいるのか」を自分たちがしっかりと確認し切れていないので、やはり場当たり的な対応になりがちであると思います。
なので、今すぐに対応しなければならない事もあるので、そういうものに対処しながら、「日本は今どこにいるの?」、そして「どこに向かっているの?」かをきちんと見極める事が重要ですね。
そうする事で、今後「何をするべきか」というところが見えてくると思います。

管理人:
実は、先日『銀の紐』のコメント欄に、「現在政府が移民の受け入れを検討していると言う報道があったので、その話題を取り上げて欲しい」とのご要望を頂きまして、霊界の住人の方のご意見を伺いました。(記事【国民や政府はこれからの日本をどの様にしたいのか?[小ネタ]】参照)
その時には、「今後の日本をどの様にしたいのか、目標が曖昧でよく分からないので、まずそこをはっきりさせた方が良い」とのお話しだったのですが、同様の趣旨という事で宜しいのでしょうか。

靖國の英霊:
そうですね。
それで、私たちが特に強調したいのは「今日本がどこにいるのか」をきちんと見極める事。
これはとても重要になります。

管理人:
その際は「移民を受け入れるか否か」というテーマを主題にしていたのですが、特に移民云々に限らず、日本が抱える問題について考える上で共通して言えるのでしょうか。

靖國の英霊:
まず、自分が今どこにいるのかが分からないと、何か目標を定めたとしても、どの様な手段で目標とする場所へ向かえばよいのかが分からないので、やはり自分の足下をきちっと見極めて、固めて、それから事を運んで行くのが基本だと思います。

管理人:
はい、分かりました。
それでは、続けてみおしへをお願いします。



みおしへ

心のかざりたる輩の句は、姿ことばやさしく侍れども、誠の耳より聞けば、偽りのみあらはれ侍るべし。
心敬 


靖國の英霊:
言葉のまま、表面的なものに囚われないで、中身を大事にしましょうという事ですね。





■ 鎮霊社に宿る霊との対話

管理人:
では、御神籤についてはここまでとします。
今回、久しぶりに靖國神社を参拝したのは、とある目的がありました。
昨年の年末に「安倍首相が靖國神社を参拝された」との報道がありましたが、その際に拝殿脇にある鎮霊社にも合わせて参拝されたとの事でした。
霊媒Mと管理人は、今までは鎮霊社に参拝した事はありませんでしたので、一度ご挨拶に伺おうと思ったのですが、実際に伺うと鎮霊社にご挨拶をさせて頂ける状況ではありませんでした。
しかし、南門の脇に通路がありまして、そこから鎮霊社の傍に近づく事が出来ましたので、鎮霊社の一角を囲っていた柵越しにではありますが、何とか遠目に鎮霊社を眺める事が出来ました。
そこで、鎮霊社の様子について霊媒に確認してもらいましたので、最初にその話をお願いします。

霊媒M:
(鎮霊社の)そばに近寄って感じたのは、穏やかで温かいエネルギーが来ていました。

管理人:
それでは、鎮霊社に宿っている方と言えば良いのでしょうか、その方の話を伺えますか。

霊媒M:
伺えると思います。

管理人:
では、鎮霊社とは、靖國神社には祀られていない、全ての戦争の犠牲者の方が祀られているとの事ですが、いかがですか。
以前、英霊の方から、靖國神社は「日本の行く末に関心を持っている方」が集っている場所だという話を聞いているのですが、鎮霊社とはどの様な方が集っている場所なのでしょうか。

鎮霊社の霊:
安息を得たい人。

管理人:
安息を得たいというのは?

鎮霊社の霊:
安息を得たいというのは、争いに疲れた心を癒やしてくれる場所だと思います。
そこにいると心が洗われるような、清々しい気分になれます。
嫌なものから解放されて、安心できる場所です。

管理人:
それで、そこにいらっしゃるのはどの様な方なのですか。

鎮霊社の霊:
人間の皆様が当初目的とした対象の霊が、最初は宿っていたのですが、中にはそこに惹かれて……人生に疲れてしまったような霊が、そこに惹かれてやってくる場合もあります。
ただ、そういう方は、一通り癒やされると、自分の目的に向かって去って行きます。
そこに止まっている霊は……止まっている霊と言うよりは、繋がっている霊ですね。
そこにじっと止まっている霊はいなくて、通じているというのが正しいと思います。

管理人:
通じているというのは、何かの活動の拠点にされているという事ですか。

鎮霊社の霊:
そうですね。
やはり、本当の意味で争いがなくなる為には、日本人が持つ感覚――皆さんは今「平和ボケ」や「お人好し」などと言っていますが、実はそういう感覚こそがとても大事で、貴重なもの。
但し、周りの者がその価値を理解できないので、日本という国は一方的に被害に遭ってしまっているように見えている。
しかし、それは捨てなければいけないものではなくて、むしろそういうものを広げていけたら、世界はとても安心して暮らせる状況になると思います。
そういう意味で、日本人が今「マイナスなのではないか」と思い始めている部分が、実は、周りがその価値を理解できないから弊害になっているだけで、とても大切で重要な感覚なのだよ、というところを広められたら良いと思っています。

管理人:
その為の拠点のような場所という事でしょうか。

鎮霊社の霊:
そうですね。
規模は小さいのですけど、少しずつ広めていければ良いと思っています。

管理人:
今お話しをされているのは、どういう方なのでしょうか。

鎮霊社の霊:
そこの場所で活動をする上で、まとめ役をしている者です。

管理人:
やはり、生前は戦争の犠牲になってしまった方なのでしょうか。

鎮霊社の霊:
そうですね。
やはり、戦争の犠牲になって、犠牲になってみて分かる事もあるので。
そういう意味では、犠牲になった方には国籍に関係なく「安心して暮らせる社会を作りたい」という思いは共通なのですよね。
だから、そういった方が主だと思いますよ。
そうではない方も一部混じっていますけれども。
共感する方には協力して頂いた方が、何かと出来る事も増えると思いますので。

管理人:
共感された方も一部、合流して活動に協力しているという事ですね。
今、一通りお話を伺ってきましたけれども、私たちは今まで鎮霊社には注目してきませんでしたので、この様な話を通じて鎮霊社についての関心が深まって行けば良いと思います。
それから、以前(鎮霊社を)参拝された事のある方が、余り良い印象がなかったような感想を述べていた記憶があるのですが、そういう場所ではないという事ですね。

鎮霊社の霊:
多分、先程もお話ししたのですが、人生に疲れた方が惹かれてくる場合があるのですね、穏やかなエネルギーなので。
だから、もしかしたらたまたまそういう方がいらしている時に、そういう波長を受け取られたのかも知れませんね。





■ 靖國の英霊との対話など

管理人:
そういう人に同調してしまったという事ですね。
それでは、鎮霊社についてはここまでとしまして、ここからは以前から何度か靖國神社について伺っているお話の続きと言いますか、現在の進捗状況といった視点でお話を伺いたいと思います。
まず、東日本大震災の発災直後に、靖國神社と全国の護国神社を通じて強力なエネルギーを発散していて、それが光の柱が聳えている様に見えるというお話しがありましたけれども、今日参拝した時にも光の柱が見えたのかどうか、霊媒さんから教えて頂けますか。

霊媒M:
今日も光の柱は見えました。

管理人:
エネルギーは結構強いですか。

霊媒M:
震災直後よりは、幾分落ち着いて来ている印象でしたね。

管理人:
それでも、結構強いエネルギーが今も放出されているという事でしょうか。

霊媒M:
そうですね。
柱のような形が見えたので、結構強いと思います。

管理人:
それでは、ここからは英霊の方に話を伺いたいと思います。
以前伺った所によると、英霊の皆様が私たち日本国民の求めに応じて、震災復興の後押しになるような強いエネルギーを放出して頂いているというお話しでしたけれども、現在の状況を教えて頂けますか。

靖國の英霊:
今の状況は、人の心がとても不安定になっていて、その影響によって良くないものが発散されています。
なので、気持ちの安定が優先されて、働きかけられています。
疑心暗鬼になってしまうと、本来ならプラスに働くような事柄もマイナスの方向に引っぱってしまうので、そういう事が起きないように心の安定を図っています。

管理人:
そうすると、震災の発災当初と比べると、働きかける内容が変わっていているという事でしょうか。

靖國の英霊:
そうですね。

管理人:
それでは、当面は不安定になっている気持ちを落ち着けるような働きかけを続けていくという事ですね。

靖國の英霊:
はい。

管理人:
それでは、またここで話が変わりますけれども、以前新潟県の弥彦神社から靖國神社に移ってこられた方がいらっしゃいましたよね。
その方が今どの様な作業をされているのかを教えて頂けますか。

弥彦神社から靖國へ移転した霊:
人と接する際の心構えを浸透させるというか、やはり元々人として戦争でお亡くなりになった方々なので、何かをする際の対処の仕方・考え方が人間に近い。
それでは問題が生じる場合もあるので、そういったことを実践を通して、共に働きながら伝えて行く作業をしています。

管理人:
靖國神社は特殊というか、他の神社とはちょっと違っているじゃないですか。
ですから、他の神社では普通に行っていても、靖國では足りていない部分があると言う事でしょうか。

弥彦神社から靖國へ移転した霊:
今後どの様な形にしていくのかは人間が決める事ですが、今は神社として存在しているので、押さえるべきところは押さえておきたいという想いがあります。

管理人:
英霊の皆さんは元々神社の運営に携わっていた訳ではないですよね。
そこで神社の運営については分からない部分も色々とあると思うので、その点をお手伝いしているという事で宜しいでしょうか。

弥彦神社から靖國へ移転した霊:
そうですね。

管理人:
今までに様々な神社で豊富な経験を積んできていると伺っているので。

弥彦神社から靖國へ移転した霊:
普段は余り表に出ないので……。

管理人:
では実際に活動をされているのは英霊の皆様という事ですね。
アドバイザー的な立場という事でしょうか。

弥彦神社から靖國へ移転した霊:
そうですね。





■ 鎮霊社の霊との対話追記

管理人:
先程伺ったお話の中で、充分に掘り下げられていない点について追加で伺いたいのですが、(日本人は)お人好しで良いんだ、周りがおかしいんだ、と言う事ですが、では周りをお人好しにするにはどうすれば良いのでしょうか。

鎮霊社の霊:
個として独立していながら、周囲との関係を安定させると言う感覚。

管理人:
そうするとお人好しになるのですか。

鎮霊社の霊:
皆が個々に、自ら律するようになるので、争い合う、傷付け合う事に価値を見出さなくなります。

管理人:
自ら律する事が出来ないから、その様になっていると思うのですが……。

鎮霊社の霊:
律する事が出来ないと言う事は、個として自立できていないという事だと思います。
だから、そこの感覚を浸透させる事が出来れば……。

管理人:
どうしたら出来るのでしょうか。

鎮霊社の霊:
それは、苦労してみるしかないのです。
苦労して、協力しなければ生きていけないという状況を経験する事です。
そうしなければ、難しいでしょうね。

管理人:
では、そういう人たちは今まで苦労が足りなかったんですね。

鎮霊社の霊:
苦労が……。

管理人:
では、言い方を変えましょう。
人と協力しなければ克服できない、そういう苦労の経験が足りない。

鎮霊社の霊:
そうですね。
少ないんですね。
そういう経験が限定されていて。
日本という国は、そういった災害がしょっちゅう起こるので、自然と身についたもの。

管理人:
つまり、他の国の人々にも、多くの災害を経験してもらった方が良いという事でしょうか。

鎮霊社の霊:
出来れば(災害は)ない方がいいのですけど、そういう経験からしか得られない教訓も確かにありますので、それはそれぞれの土地に暮らしている方々の心掛け次第になると思います。

(2014年4月28日)





安倍首相はこの度の参拝の折に、「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。」と、今後とも不戦の誓いを堅持してゆく決意を新たにしたそうですが、 「争いに疲れた心を癒やす」場所であり、「安心して暮らせる社会を作りたい」と願う霊の拠り所である鎮霊社に相応しい決意であると思います。
とはいえ、幾ら日本やその指導者が不戦の誓いを新たにしても、相手がいてこそ争いは起こるものですし、日本が自主的に戦争を放棄しても、日本に害を為そうと画策する外国の干渉によっても争いは起こってしまいます。
それでは、日本が二度と戦争を起こさない為に、日本に害を為そうと干渉する外国に対しても、彼らの為すがままに身を任せて、侵蝕されてゆくのを黙って耐えるのでしょうか。
それでは、『鎮霊社に宿る霊』が願う「安心して暮らせる社会」とはかけ離れた社会になってしまいます。
安倍首相が不戦の誓いを現実のものとするには、ただ単に日本が争いを避けるのではなく、外国の方も自ら主体的に争いを避けようとする、賢い方法を模索する必要があります。

『鎮霊社に宿る霊』は、日本人の「平和ボケ」や「人の良さ」こそが、争いを避ける上で優れた特性であり、世界中の人が全て「平和ボケ」や「人の良さ」を身につければ、世界中が「暮らしやすい社会になる」と述べております。
しかし、同時に日本人の「平和ボケ」や「人の良さ」は、その価値を理解できない外国の方にとっては「付け入る隙」と見られて、特に近年の日本は「人の良さ」故の被害を受けているように感じます。
人の良さ故に付け込まれやすいという特性は、それによって被害を受けていると感じている日本国民の立場から見ると、外国の人々と付き合う上では欠点であり、その様な特性を変える必要があると考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

だからこそ、『鎮霊社に宿る霊』が訴える「(日本人は)お人好しで良いのだ」という意見について、改めてよく考えてみる良い機会なのではないかと思います。

Silvercord管理人 





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