■ 『中川昭一』と名乗る霊からのメッセージ(その3)
『沖縄に駐留している米軍を硫黄島に!』なんて、馬鹿なこと言ってる人たちがいるみたいだけど、今の日本の状況で、どうしたら硫黄島なんていう発想が出てくるのか理解に苦しむね。
果たして、殆ど攻め込まれる危険が無い太平洋側に米軍に駐留してもらう事にどんな意味があるんだろう?
日本にとって軍事展開しなければならないほど危険なのは、どう考えても中国が欲しがっている沖縄の方で、日本海から東シナ海の辺りの守りを今よりも強化してもいいぐらいだと思うのだがね。
第二次大戦時には確かに硫黄島は日本の防衛の大事な拠点となったけれど、当時はアメリカと戦っていたからこその防衛拠点であって、その時と今では状況が違うしね、どう考えても沖縄の守りを手薄にしたい連中の策略としか思えないね。
民主党が沖縄ビジョンなる構想をぶち上げていたけれど、沖縄が交流拠点になりうる場所に位置しているという事は、当然、外敵の脅威に晒されやすいという事なんだよな。
そこらへんをちゃんと考えていないのが丸分かりだね。
それとも、彼らにとっては日本の方が外敵なのかな?
今の日本にとっては、戦略的にみても沖縄って重要拠点なんだけどなぁ…。
いくらそこから少しでも米軍を遠ざけたいからって、これではあからさま過ぎるよな。
あぁ、もしかしたら、台湾から遠ざけたいという考えもあるのかもしれないね。
それにしても、これではあちらさんの戦略は丸分かりもいいところで、これほどの間抜けもそうそういないけどね。
それとも民主党を掌握しているから安心してるとか?
――でもそれなら間抜けすぎるし…。
民主党やマスコミ、その他各団体を介して戦略が丸分かりで手の内丸見えなのに、その事に気付いていないんだろうか?
本当にこんな手が通用すると思っているとしたら、相当なお花畑脳だね。
これほど無能だと思われているとは、自民党も官僚も舐められたものだと思うよ…。
でもね、国民は騙せても俺は騙せないよ。
当然、こちらはこちらで戦略を練らせてもらっているから。
俺はもう死んでるから彼らの手は届かないしね。
それを覚悟の上でやってるなら受けて立つよ。
それにね、硫黄島は軍事拠点にすべきでは無いと思うんだよね。
ましてや米軍を軍事目的で入れるべきではないと思う。
あの場所にはまだ大勢の日本兵のご遺体が埋まったままなのだから、そこのところは配慮すべきじゃないかと思うね。
後一つ、日米離反工作している連中がいるけど騙されないようにね。
前にも言ったと思うけど、付き合い方さえ間違えなければアメリカは心強い味方になる。
むしろ、無防備な状態で中国や韓国、北朝鮮と近づく方が、日本にとってとても危険であるという事に早く気付いて欲しいものだ。
今の状況でそれらの国々との関係を安定させるためには、こちらもある程度保険をかけておかなきゃね。
その一つが米軍なのになぁ…。
日本一国で防衛できない以上、米軍は欠かせない存在だし、そこのところはちゃんと理解しておいて欲しいね。
アメリカにはアメリカの考えがあって日本に駐留しているけど、いざ有事となれば日本に協力してくれる人たちなんだからね。
今の日本の平和が何の努力も無く築かれているとは思わないで欲しい。
(2009年11月30日)
このメッセージを受け取った際に、霊媒は「送られた内容を受け止め切れていないと思う」とコメントしておりますが、メッセージをご覧の皆様はどの様に感じられましたか。
なお、このメッセージの中には中国についての言及がありますが、以前投稿した記事【鄧小平霊との対話】を見ても分かるように、 中国は中国で色々と複雑な問題を抱えているようです。
【Silvercord】管理人
4 件のコメント:
いつも楽しみに拝見してます。あちらかの通信はかなり大変なものだと聞いてますが、ものすごい勢いで送られていて感無量です。ぜひ、この調子で「飛翔する日本2-飛翔先から今を生きる日本人へ」なんてタイトルの本が出せるくらい送って下さい。(・・・)
内容は特に違和感を感じない、いつもの昭一さん節だと思いますが、言われてみれば疑い深い人にはピンと来ない印象があるかもしれません。別のブログで読んだ角栄さんのメッセージは「うわ、角栄さんだ!w」と有無を言わさぬ説得力がありましたが、その領域にはまだ達してない、かもしれません。
広報隊長と新入者を同列で語るのもどうかと思いますが、参考になれば幸いです。
「俺はもう死んでるから彼らの手は届かないしね。
それを覚悟の上でやってるなら受けて立つよ。」
こんな宣戦布告をされたら、私が敵なら額を地面に打ち付けて全面降伏した上でセルフ友愛しかねませんが、(良かった・・・仲間で・・・)これから繰り広げる中川無双がどれだけの威力なのか・・・いろんな意味で期待が膨らみます。
敵さんのお花畑脳wに呆れ果てる内容でしたが、てっきりそちら側から愚者工作をして下さってると思ってました。まさか素で花畑だったとは・・・
元極左だった者なので断言しますが、サヨク思想は麻薬です。これに被れると実に甘美で、世界が至福に溢れるような花畑に包まれます。花畑脳というのは決して揶揄ではなく、真実の側面があります。
共産思想(実際は、共産風味の独裁思想)の麻薬性は、外見から見えないほど強烈です。壊れている麻薬中毒患者の脳内がとてつもないことになってるのと同じです。
あかさらまに幼稚な戦略は、アカい麻薬でやられてると思えば、だいたい合ってるかと思います。甘美な夢を見せてもしょせんは麻薬、真の安堵は得られないのは知っているのに、手放せず意固地になって世界を閉ざしてしまう。だから幼稚なのでしょう。
ただし相手は中毒患者です、クスリが切れるか我が身が滅びる前に、どんな強硬で野蛮な攻撃を仕掛けてくるか想像つきません。花畑と言えど侮らずに対策して頂くことを願ってます。
はつゆき様
“お花畑の中の人々”の事例については、子育てに例えることが出来ると思います。
いわゆるお花畑さんは、経験が足りないので適切な判断が出来ずに、どこかの誰かさんから吹き込まれた都合の良い妄想を信じ込んでしまったのでしょう。
それが子供であれば可愛いものですが、本来なら“都合の良い妄想”の抱える矛盾を容易に見破れてもよい筈の大人が惑わされており、しかもその様な人に限って実行力があるので、傍迷惑極まりありません。
その様な人への対処は、子育ての技術を援用することで、解決への道が開けるのではないでしょうか。
ただ、この問題については、“お花畑の中の人々”自身の問題と共に、その人達の周囲にいる方や社会が、彼らの身勝手な我が侭を容認・黙認していた点にも、大きな問題があると思います。
例えその場に気まずい空気が流れようと、やはり「駄目なものは駄目」と言うべき時は言い、咎める時は咎めるべきだと思うのです。
これまでの日本では、比較的“お花畑の中の人々”の振る舞いが大目に見られていたように感じませんか?
その様な対応では駄目だと言うことであって、お花畑を取り囲む人々の対応が問われている側面も大きいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
Silvercord manager様
お返事ありがとうございます。花畑を許してしまった・・・無関心を装っていた、という表現のほうが正しいかもしれませんが、そんな態度が事態をここまで大きく、しかし馬鹿馬鹿しいことになったのでしょう。
元・花畑側の住人だった過去を思い起こすと、周囲からプレッシャーを感じることはありませんでした。知識人wもマスコミも花畑が目立ってたし、それを咎める人は右翼呼ばわりで済ませていた、ような印象があります。
問題は、だいたい双方に問題があるから発生するものです。そう考えると、花畑に対峙する人々の態度も問題なのは、とても納得できます。「駄目なもんは駄目」とビシッと言う時期が迫ってきた、というご意見に同意です。
悪を放置する者も悪だと言いますが、政府とマスゴミを見ると、まさにそれが最悪な形で顕れていると痛感します。これにNOを突きつけ排除するのが、日本人が大人になるための通過儀礼になるのでしょう。
パン(子供手当て)とサーカス(事業仕分け)に踊る周囲を見て気ばかり焦ってしまいそうですが、今は黙って力を貯めている最中です。いつまでも目覚めない人は、それなりの結果を喰らうだけ、ですもんね。
バチカンオープンに合わせて価値観が変わるとのことですが、日本では保守思想が「新しい思考に合わせた改革派」というのが興味深いです。
友愛だの世界平和だのと称して、革新的な平和ですよ~と称して自国を弱らせてきた勢力こそが、旧い価値観の墨守派なんですね。
世界平和もそのうち実現はされるでしょうが、そこにいたるまでは、まだまだまだまだ先という気がします。これからの世では、平和と繁栄を掲げて、まっとうな危機感を持って暮らすのが正当な生き方になりそうで、とても暮らしやすい国になりそうな予感がします。
はつゆき様
コメントの中で、『バチカンの拠点解放に伴う価値観の転換』について触れておりますので、補足しておきたいと思います。
まず、保守思想が新しい価値観で、革新的な平和を唱える思想が古い価値観だという認識はありません。
敢えて申し上げれば、保守的な思想にはこれまでの実績がありますが、それだけに拘っていては新たな成長が見込めません。
一方の革新的な思想には、これまでにはなかった新たな成長の可能性が内包されております。
ただし、運用の実績に乏しいので、まともに使いこなすまでには数々の試行錯誤の道程を経る必要があります。
ですから、どちらが新しいとか古いと言うことではなく、どちらに価値があるかと言うことではなく、過去からの実績ある土台の上に、新たな成長余力をどの様にして積み重ねて機能させるかという、果てのない試みなのです。
是非、その点について考えて頂ければと思います。
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