こちらの根本中堂にお祀りされているご本尊『薬師如来』様(正確には『薬師如来像に宿る霊』)のお話を伺う事が出来ましたので、ご紹介したいと思います。
■ 薬師如来様との対話
管理人:
今日はお招きに預かったとの事ですが、まずこの度お招き頂いた目的について教えて頂けますか。
恐らく、霊媒を通じて私たちに伝えたい事があるのではないかと思うのですが。
薬師如来様:
本格的に事態が動き出すのは来年(=2011年)以降になるので、この年末年始のお休みの間に、今までの活動を振り返って、自分の中で整理・総括をして、来年事態が動き始める段階になった時に「どの様に動けばよいのか」を予め計画を立てておく事によって、事態がより速やかに動くようになります。
管理人:
事態が動き始めるという事ですが、どの様に動くのでしょうか。
薬師如来様:
極端な偏りが起きているので、逆の働きが現れてきます。
偏りには偏りが還ってきます。
最初のうちは過剰反応してしまうので、少々荒れるでしょう。
しかし、時間が経つにつれて偏りが静まって、安定して来るでしょう。
管理人:
では、偏りの正体について、もう少し詳しい説明をお願いいたします。
薬師如来様:
今年は自分たちの選択の結果、苦しい状態に追い込まれたと感じる方が大勢居られると思うのですが、苦しみを感じてしまったために、今度は苦しみから逃れようとして、「こちらが駄目ならあちら」という風に単純に動いてしまう。
先を見据えないで、ただ逃れたい一心で動く時には、自分の中でバランスがとれないので、安定性を欠いて偏りが強く出てしまう。
今年(=2010年)は特に偏りが強く出た年だと思うので、来年は逆に振れる。
管理人:
来年は逆に振れますか?
薬師如来様:
逆の方向に強く振れる傾向にある。
そこで逃れたい一心で逆の方向に振れますが、今度逆の方向に振れても、きちんと中身を見て行動していないと、また不具合が出てきます。
その様な時にどうするのかを冷静に考えられるようになっておくと、フラフラと不安定な状態の期間が比較的短くて済むので、今のうちから可能性と、その可能性に対する傾向と対策を考えて、心構えをしておくと良いでしょう。
管理人:
今のお話はよく分かりました。
薬師如来様:
逃げるのではなくて、見つめてみることですね。
管理人:
物事が起こっている原因とか仕組みを理解するというか、そこに目を向けるという事でしょうか。
薬師如来様:
それから、分からない人に対して優越感を抱いては駄目ですよ。
むしろ「分かっている」といいながら、その様な考え方をしている方が問題です。
知らない事は誰でも出来ないのであって、「あの人たちは分かっていないから駄目だ」という考え方をしている方は、その様な考え方をしてしまう心根が、実はあなた方が一番嫌っている人々と同じような心の状態に陥っている。
ただ見つめている部分が違うだけだという事に早く気付かないと、誰も話を聞いてくれないし、反発される一方になってしまう。
管理人:
「彼奴は分かっていない」と言っている人に限って、意外と自分で言っているほどには分かっていないのでしょうね。
結局、理解が生半可なので、その様な事を言ってしまう。
薬師如来様:
そうなのですが、特に気付いたばかりという方は、逆の方向に振れてしまいやすい。
なので、こちらをご覧の皆様だけでも、考えて見るきっかけになればと思います。
管理人:
それでわざわざお招き下さったのですね。
薬師如来様:
そうやって気付いている人は後一歩の所まで来ている。
しかし、そこから一歩先に踏み出すまでには足りない部分がある。
まだ見えていない部分がある、まだ気付いていない部分がある、自分にもその様な側面があると心に刻んで世の中を観察していると、今までは気付かなかった数多くの物事に気付けます。
今は不快に思う事でも、時間が経ってから過去を振り返った時に、「ああ、こういうことだったのだ」と分かる時が必ず来ますから、ある一定の期間の経緯を追って行く作業をする、観察する中から多くの物事を学び取れるので、出来る範囲内で取り組んでみると良いと思います。
管理人:
来年の年明けから一年間、きっかけとして物事の始まりからの一年間の変化を、時間の流れで追いかける事によって、なかなか分かり易い変化が見られるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
他の神様も、来年の年明けから物事が大きく動き始めると言っておりますが。
薬師如来様:
この流れは押し止められないもので、人間がどの様に足掻いても、その方向に流れます。
幕末の頃に開国の方向に流れたように、止める事が出来ない。
そこで、来るべき変化に備える、準備をする。
管理人:
では、大筋の話としては以上でしょうか。
何か添える事はありますか。
薬師如来様:
瞬間を見るのではなくて、ある時から一月なり半年なり一年なり、瞬間の連続を観察するという作業を行う事によって、ある出来事に対する瞬間的な感情の昂ぶりを制御できるようになります。
ある物事の始めから終わりまでの経緯を観察して行くと、時間を追って理性的に物事の流れを捉えて、将来的な傾向を予測する事が容易に出来るようになってきます。
管理人:
要は、物事の因果関係というか、因果律に対する理解が深まるという事でよろしいでしょうか。
薬師如来様:
もし、不快を感じる出来事が自分の身に降りかかったとしても、その場で相手に感情をぶつけてしまうのではなくて、自分の中で整理して「今の出来事にはどう言う意味があるのだろう」と考えられるように、気持ちが自然に切り替わって行くようになるので、深みのある豊かな人生が送れるようになります。
管理人:
自分で日々過ごしていて、その様な考え方が出来ると楽ですよね。
まあ、楽という言い方はどうかと思いますが。
薬師如来様:
でも実際に、不快な事と言うのはものすごくエネルギーを消費する。
それだけでもエネルギーを消費するのだけれども、相乗効果として、一の怒りで場合によっては十の疲労が出る事になりやすいので、実際本当に疲れるのです。
より感情の起伏を自分で制御できる様に…。
管理人:
まあ、多少振れるのはしょうがないとしても、その波がある程度穏やかな範囲で収まっていれば…。
薬師如来様:
多少の揺れはあっても、凪いでいる状態であれば…。
積極的に何かに取り組んだり、何かの成果を喜び合ったりするのは、一の力を使ったとしても、相乗効果として、疲労を取り除く方向のエネルギーが十倍や百倍に広がるので、チャラになる。
チャラになるどころか、プラスになる。
管理人:
それは癒しのエネルギーでしょうか。
薬師如来様:
そうですね。
積極的な取り組みは心の安定に繋がるので、感情の起伏が穏やかな状態が楽というのは、行動の結果として癒されているという事なのだと思います。
心が安定している人は常に、ある程度心地の良いエネルギーを発しているので、周りに与える影響も心地の良いものになって行くので、心地の良い物事の考え方をする人が必然的に集まってくる。
逆に、常にトゲトゲして怒りをぶつけてしまうような、気持ちが揺れやすい人の周りには、どうしても感情をぶつけてしまう、怒りをぶつけてしまいがちな人が引きつけられて寄ってきてしまうので、余計に疲れが蓄積されてしまう。
お互いに感情をぶつけてしまうので、心が安定するように少し…。
出来る範囲内で、でも、ちょっと落ち着いた時に意識して考えてみる。
誰でも「あーもう!」と怒りを感じる事はあるので、それは仕方がないのですが、ちょっと落ち着いた時にでも「そういえば【銀の紐】で感情をテーマに話していたな」と思いだして頂ければ嬉しいです。
「ちょっと理性を働かせて考えてみようかな」という風になれれば。
管理人:
なかなか実践するのは難しいのですが。
薬師如来様:
立場を逆に置き換えてみると分かり易いですよ。
自分と相手を逆転させて考えてみる。
管理人:
立場を逆に置き換えて考えて見ると言っても、想像力がないと難しいですね。
そして自分の感情をぶつけてしまう方に限って、そういった想像力が足りていない印象があります。
薬師如来様:
でも、感情的になりやすい方に限って「またやってしまった」と反省している方も結構いるので。
管理人:
反省している方は後で振り返っているので、繰り返しの中から何か掴めるのかなと思いますが。
薬師如来様:
今までの皆様がおっしゃって居られた事と同じなのですが、自分の最終目的、自分の最終目標が何であるのかを常に意識しておく事。
そうすると、大きく道を逸れる事はないから。
多少感情に動かされる事はあっても、「あ、自分の目標はあの山の頂上だな。あの頂上に辿り着く事だな」というのを常に振り返るように、冷静になった時に振り返ってみる。
山の頂上にある最終目標に辿り着きたいのだから、今ここで周囲に対して感情をぶつける行為は、最終目標に近づける行為なのかを考えて見る。
その様に物事を整理して考えて見ると、同じ気持ちを伝えるのでも伝え方を変えられるし、伝え方を変える事で相手が「話を聞いてみようかな」と思えるようにもなるので、伝え方は大事だと思います。
感情をぶつけるのが目的ではなくて、好ましくない状態を改善する事が目的だったら、その状態を改善するために有効な策は何か――という事を、相手の気質を観察した上で考えられようになると、より成果が出やすくなるし、そういった理性的な物の考え方が出来る様になると、怒りよりも、うまく行かなかったら、「あ、どこがうまくかみ合っていなかったのかな」と、自分自身に問いかけるようになるので、一つずつ着実に前に進めるようになる。
「今までのやり方は違っていたかな」と知る事が出来るので、そうしたら「他のやり方が何かあるかな」と考えれば、一つ成長できる。
そうやって人は一歩ずつ成長していくのだと思います。
怒るなと言うのではありませんよ。
余り感情をため込んでしまうと、今度は逆にストレスとなって鬱病や心の病になってしまったり、精神ではなくて病気として体の方に症状が出てしまう事があるので、無理にため込む必要はありませんが、一通り吐き出してしまった後は冷静になって――何かストレスを発散するような、人様に迷惑をかけない形で発散できるものを自分なりに探して、とにかく発散してしまってから「さて、じゃあちょっと冷静に考えてみようか」とやってみるといいかもしれませんね。
とにかく感じてしまったものは出してしまった方がいい。
燻ってしまうと、一の不満が十にも百にも膨れあがってしまうので、元は一だった感情が燻り続ければ心にも体にも凄く負担となるので、周りの方にも多分イヤな感情を広めてしまう事もあるでしょうし。
管理人:
以上でしょうか。
薬師如来様:
そうですね。
皆様共通の様ですが、やはり人間の皆様の心の動きは気になるし、多分ご本人が辛いのではないかと思うのですね。
自分自身を追い詰める感情から抜け出せないと…。
管理人:
抜け出せないと辛いと言うよりは、自ら好んでその場所に居座っていると見えなくもないので…。
薬師如来様:
でも、きっと本人は辛い。
辛いけどなぜか辛い選択をしてしまう、抜け出せないと言う状態だと思うので、私の話を何かきっかけを掴む為の参考にして頂ければ、少しでもお役に立てれば嬉しいので、お話しさせて頂きました。
(2010年12月23日)
今回は薬師如来様のお話をご紹介しましたが、同じく延暦寺阿弥陀堂のご本尊である『阿弥陀如来』様の話も伺っております。
こちらも準備ができ次第ご紹介したいと思いますので、投稿までしばらくお待ち下さい。
【Silvercord】管理人
1月2日現在回答待ちの質問
下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。
- 記事【遠征中2】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問「日本の人口減少について」
- 記事【それぞれの立場から見た戦争】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「戦争と虐殺について」
- 記事【それぞれの立場から見た戦争】のコメント欄からお寄せ頂いたNK様の質問「原爆投下について」
4 件のコメント:
管理人さま、Mさま
新年あけましておめでとうございます。
本年も皆様におかれまして、ますますのご清栄、ご多幸をお祈りいたします。
また平素は、ありがたいお言葉の数々ありがとうございます。
この度は、薬師如来さまのありがたいお話をありがとうございます。
シンクロしましたのか、ここ数回の記事に関わるかもという初夢を見ました。あくまで個人に夢であり、公開ははばかるものとも躊躇しましたしスレ違いであるならばお手数ですが削除をお願いいたします。一方ではこの夢のストーリーにここをご覧になる皆様と共有している何かを象徴するものがあるという感覚も残りましたのであえて,皆様のお目を汚すことになることを危惧しつつ記載いたします。尚、あくまで個人夢に過ぎませんので他の掲示板などへのコピペはご遠慮お願いいたします。
-----(以下内容)
私は、ある方より責任転嫁というか誹謗されておりました。その内容はある失敗の責任を私に押し付けそれによってある方の保身や利益を得るためのようです。
私は、怒り言い返しました。(感情に流されて)
さて、そうするうちにその方は体調が急変し、お倒れになりました。直感的に、この方は他人を貶めることにより今まで利益を得ておられたようですが、それがアダ(原因)になっているというか長らく持病を患っていて、いまこの瞬間に症状が一気に外に現れたているということを悟りました。
さて、その方の苦しんで居られる様に、驚いた私はすぐさまその方を個人病室(集中治療が必要)まで送り届けることとになりました。救急ベッドに付属した生命維持装置を一緒に運んだような記憶があります。
そしてここから先の治療は、医師と病院にお任せすることとなりました。このあたり自分がすることと、神様のする領域(病院の仕事)がはっきり線引きされたのだと悟りました。
一時的とはもうせ、その方に怒りに任せて言い返していたことを恥ずかしく思います。そして神仏のご慈悲は如何なるものにも与えられており、また言動や思いの結果は後に因果応報として生じる厳しさを見た思いです。
かくして私たちは自分に厳しく誹謗して来る人たちに怒りなどの感情をぶつけがちですが、実のところすべてが鏡であり、そこのところを見間違えないようにしたいという事後感想です。
長くなり申し訳ありません。
1月3日10:56投稿の匿名様
明けましておめでとうございます。
そして興味深いお話をご披露下さいまして、ありがとうございます。
さて、この話には続きがあるように思います。
幾ら医師が治療に全力を尽くしても、力が及ばない場合もありますし、仮に病状が改善しても、これまでの行いを改めなければ、やがて症状が再発するかも知れません。
神様といえども、因果律を歪めてまで病気を治療する訳では無いのです。
本年もよろしくお願いいたします。
日本にとって大きな意味のある一年になりそうですが、
そのような時代に、ここに生きておれる事に感謝です。
感情についてのお話、個人的にも思い当たることがあり、
とても考えさせられました。
大きな感情の動きがあるとき、
そこに自分の見たくないものが隠れていることもあり、
そんな時こそ己と向き合わなければいけないのでしょうね。
感情は人にとって素晴らしいものだと思いますが、
その感情に振り回されるばかりではなく、
離見の見のような見方も心がけたいと思います。
1月7日23:20投稿の匿名様
本年もよろしくお願いいたします。
感情表現は人生に彩りを添えますが、思うままに感情を吐き出しても目指す目的に近づく訳ではなく、目の前に立ちはだかる問題が解決する訳ではありません。
感情の動きを適度にコントロールして、冷静さを維持する様に心がければ、どの様な問題が発覚しても迅速かつ適切に対処出来ると思います。
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