2011年1月8日土曜日

年明けと共に日本の夜が明ける・補足

今回は、記事【年明けと共に日本の夜が明ける】の補足として、遠江國一宮『小國神社』の御神籤について、追加の解説をして頂きましたので、最初にこちらからご紹介したいと思います。



さて、こちらは上記記事で既にご紹介しておりますが、追加の解説はこちらについてです。

『言』
自圭の玷けたるはなお、磨くべし。
斯言の玷けたるは為むべからず。
(御神籤には「自圭」とありますが、「白圭」が正解のようです。誤植でしょうか)


小國神社の神様
玉は磨けば元に戻るとありますが、そもそも大切に扱っていれば傷は付きません。
言葉もそれと同じで、人間の交流に言葉は不可欠ですが、言葉をよく選んで交わす事によって、関係が傷つくことなく良い状態を保てます。
もし関係に傷が入る事態に陥っても、玉を磨くように弛まぬ努力を続けましょう。
時間は掛かりますが、必ず修復される時は訪れます。
関係を修復する中から、己が犯した罪の重みを知りましょう。
そこまで読み取って頂けると、より一層成長に近づけると思います。

(2011年1月4日)





次にご紹介するのは、琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する『竹生島神社都久夫須麻神社)』です。



残念ながら、本殿の修復工事が行われておりましたので、ご覧のような状態でした。

これだけでは少々寂しいと思いますので、同じく竹生島に鎮座する『宝厳寺』より、国宝の唐門と本堂です。








さて、竹生島神社でも御神籤を引いておりますので、続けてご覧下さい。
解説は竹生島神社の神様にお願いいたしました。



「運勢」
何ごとも思うようになります。
しかし、油断はいけません。
いまから来年の計画をたて、充分の用意をしておくことです。


竹生島神社の神様
こちらは読んで字のごとくなのですが、年が明けてしまいましたので、新しい動きに向けて今のうちに準備を整えておきましょう。
何事も「思い通りに物事が運んでいる」と思う時ほど隙が出来やすいので、どの様な状態の時であっても油断せずに、準備を怠らないようにしましょう。


『言』
その家を救う可からずして
能く人を救うる者は之れなし。


竹生島神社の神様
大局にばかり囚われて、足下にある小さな事柄を疎かにしてはなりません。
小さな事柄を成し遂げられない人間は、大きな事も成し遂げられません。
「親が全然話を分かっていない」という不満を言ってしまう状況で、どの様にして周囲の多くの方々に言葉を聞いて頂けますか?

管理人
そこで伺いたいのですが、人によって判断の分かれる事柄に付いては、まず聞く耳を持っている相手に話を伝えて理解を得る。
そして、なかなか話を聞いてくれない人(ここでは親)については後回しにして、まず自分が理解者と共に動いて実績を作る。
その上である程度の実績が見える段階になったところで、聞く耳を持たない人に改めて話をするという手順を踏めば、言葉の裏付けとしての実績がある分だけ、耳を傾けて貰いやすくなると思うのですが、いかがでしょうか。

竹生島神社の神様
それは、言葉を受け入れない事で家族を見限っているのではなくて、可能性を広げる為に今出来る事を行っているので、「あの人は話を聞かないから駄目だ。何も分かっていない」と批難しているのとは違うのではないでしょうか。


そして御神籤の裏側です。



『教え』
小事にも徹する人は、大事を成しとげる力を恵まれる。


竹生島神社の神様
小さな事を疎かにする方は、何かと抜けていると言いますか、見落としている部分がありまして、一見成功しているように見えても、実は綻びがあって、内部から崩壊する事態を招く場合もありますので、何をする場合でも丁寧を心がけましょう。


『天のみこえ』
暑しとも いわれざりけりにえかへる
水田にたてる しづを思へば


竹生島神社の神様
大変な思いをしている人が居るのに、不満を言う事も出来ないという意味になりますが、そこで終えてしまうのではなくて、その不満を解決する方法を考えましょう。
状況を改善する方法を考えた方が良いでしょうという話です。

(2011年1月4日)





さて、今日の最後にご紹介するのはこちらです。




こちらは滋賀県の山王総本宮『日吉大社』です。
こちらでも御神籤を引いておりますので、ご紹介したいと思います。



吹きあるゝ 嵐の風の末遂に
道埋るまで 雪はふりつむ

(親類まで災をして思うに任せず心痛する事多し 何事も時の来るまで天にまかせて 静かに身を慎んで居れば雪の朝日に消える様に楽しい時あり 今は何も控えよ)

日吉大社の神様
嵐の勢いが激しい時に、嵐を抑えようと無理をしても、なかなか物事がうまく運ばずに、成果が見えてきませんので、嵐の中に飛び出すのではなく、家の中で出来ることを行い、来るべき時に備えましょう。
そして来るべき時が訪れた時に迅速に動けるように、今出来ることに尽くしましょう。
今事を急いて、無理に物事を推し進めようとしても、決して上手くは運びません。


そして御神籤の裏側です。



『神の教』
かわる此世にかわらぬ物は、神のめぐみと日の光り
私共を御いつくしみ下さる神様の御心は、大空に照り渡る太陽の光りの様にいつ迄立っても変らない。それなのに、ともすれば、私共の心が神様からはなれる。神様にそむいて逃げまわる。屹度其時、心に暗いかげがさす。不安が伴なう。不幸が出来、不幸が湧いて来る。


日吉大社の神様
神という存在は、いつの世でも変わりなく、同じように恵みを注がれております。
人間は時として、恵みに目を向ける事が出来ずに、自ら神の手から逃れてしまう行動をとる場合がありますので、人間であると言うこと、神という存在との関わりを、日々の生活の中から経験を通してより深く理解して頂けると、不幸を感じる機会も減りますし、より安定した生活が送れると思います。

(2011年1月4日)





それぞれの御神籤を見比べて頂くと、ある特定の方向性のメッセージが重ねて強調されている様子が伺えると思います。
神様や霊界の住人は、この様な手段を通じて私たち人間に向かって語りかけているのです。

【Silvercord】管理人 





1月7日現在回答待ちの質問

下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。

11 件のコメント:

baseheat さんのコメント...

正月3日は拝殿前での参拝はしておりませんが、靖国神社に参る前に山王日枝神社、後に東京大神宮を訪れました。
どちらのお社にも長蛇の列が出来ていて、なんだかほっとしました。上記の「日吉大社」の神様の「神という存在は、いつの世でも変わりなく、同じように恵みを注がれております」を昨年さまざまな場面で感じましたが、今年のお正月はそれをさらに裏付けされた気がいたします。
又、週末は渋谷の街頭で日の丸を掲げた一般市民の方々の集会?を見かけました時に、昨年何度か見かけた時の様子とは違うものを感じて、昨年末からここで話題になっていた本当の目的を見失っていないかといったことを思い起こしました。昨年は日本の精神的、物理的な主権を取り戻すことを訴えていたのですが、渋谷でのそれは中国を敵とみなし戦うことを前面に出しているという印象を受けるスピーチがされていました。聴いている方々の顔もなんだか鬱屈した感じで、なにかずれていると思わず首をかしげてしまいました。ちょっと心配です。

匿名 さんのコメント...

正月2日に靖国神社に参拝いたしました。
正殿に上がらせていただきお祈りいたしました。
とても清浄な空気に包まれており感激しました。
日本の守護神となられた方々がここにいらっしゃるような気がいたしました。
伯父が南洋で戦死していることもありもっと靖国に心を寄せていくべきであったと後悔しております。
思えば国のために命を投げ出した方々の御霊を弔うのは当然のことでありました。
中韓に何と言われようと人間として当たり前のことをやらなくてはいけないとつくづく感じている次第です。

Silvercord manager さんのコメント...

baseheat様

ご懸念は共有しますが、今までは自分の国の政治や外交・安全保障に無関心であった方々が、徐々に関心を持つ様になって参りました。
今までは関心が無く、当然知る由もなかったと思われる、現在の日本が抱える問題に目を向けたのですから、当面は過剰な揺り戻しがあっても仕方のない事です。
ここで問われるのは、現在の日本が抱える様々な問題に気がついて、反射的に過剰反応してしまった方々が、どれだけ迅速に冷静さを取り戻せるかです。
そして私は、日本国民の皆様が速やかに冷静さを取り戻すだろうと期待しております。

Silvercord manager さんのコメント...

1月11日21:05投稿の匿名様

英霊の皆様は、神と崇められる事を余り居心地良くは思っておられないようです。
現在生きている私たちと同じだと、口癖の様に繰り返し述べております。

匿名 さんのコメント...

管理人様
1月11日21:05投稿の匿名です。
「守護神」という言い方が誤解を招いてしまったようですが、私は決して英霊の方々を八百万の神々などと混同しているわけではありません。
こちらの姉妹サイトに「靖国にはこの国の行く末を憂い、案じている御霊が集まっている」という内容のことが書いてありましてそういう意味から「守護神」という書き方になってしまいました。
ちょっと言葉が足りなくて申し訳ございませんでしたね。

baseheat さんのコメント...

ちょっと感想です。
「守護神」に対しての英霊の皆様の反応、声が聞こえてきそうです。同じ立場だったら、同様のことを言ってしまうと思います。
とはいえ、匿名様がその言葉を使ったことは、とても日本人的な感覚として捉えていました。日本の文化では、生前の人と成りを知っている人々が、志を持って働いた結果あちらに移られた方々の霊を祀り、その労を称え、家族、場、ひいては国を守護してもらおうという考え方はごく普通なこととしてあります。更に、敵など(鯨や猪、熊など勇猛な動物も!)が死して怨霊になったとしても、共に生きた場が栄えるように守護してほしいと丁寧にお祀りもします。このあたりの感覚は、各地原住民系を除く諸外国の方々には理解しがたいようですね。(怨霊退散などはどこでもやりますが)
一神教の信奉者などが、日本の神は偽物だと決めつけたりしますが、それは日本を知らないが故か宗教的意図によるものであって、八百万の神々とは精霊、祖霊、はては妖怪まで、森羅万象の要素ですし、それらを統括した原始の力は神話でも区別してとらえていますね。
ちなみに日本神話(記紀)に出てくる神々の多くは実在した単独、あるいは何人かを統合した人物として描かれているようです。古い村社などでは、改竄されないままの歴史を垣間見ることができる文献もあるようで…。面白い国です、日本。

Silvercord manager さんのコメント...

1月12日9:14投稿の匿名様
baseheat様

特定の方へ向けてのコメントとはいえ、不特定多数の方がご覧になっている事と思いますので、気になる点についてはその都度意見を述べる必要があると感じております。
人によって、"神様"に対して抱く思いには色々なものがあるでしょうから。

baseheat さんのコメント...

Silvercord managerさま
いただいたコメントについて、私は異論はありません。今回の様なやりとりがなければ、私もコメントを書かないでしょうし。
最初にいただいたコメントについてですが、私が懸念したのは気がつきはじめた方々ではなく、その方々の思いを中から崩そうとする力についてでした。せっかく芽を出した思いをつみ取るようなことを出来る、その道理については未だに理解不能です。
大本の神様方からのおみくじメッセージ(これが一番肝心なのですけれど)は、ミクロからマクロまでの事象に該当することなのだろうと、自身を振り返って思います。気付くきっかけにはなりますが解決は暗中模索です。全部壊しちゃえばその時は楽かもしれません。

Silvercord manager さんのコメント...

baseheat様

記事【目的を見誤らない様に】の中で、徳川将軍家に縁の方が「すべてを取り払って一から作り上げるのは、並大抵の努力ではありませんよ。生半可な覚悟では出来ません。」と述べております。
それから、せっかく芽を出した思いが摘み取られるのか、あるいは慎重に実態を見極めて確信を得るのかは、その人によって異なるでしょう。
一時的に何かに気付いた様に見えても、再び元の木阿弥に戻ってしまうのでしたら、きっと何か足りていない部分があるからだと思います。

baseehat さんのコメント...

私は、摘み取ろうと画策する側の道理を知りたいと思っています。なぜそうなるのかを知ることは、問題の解決の糸口になることが多いので。
引用していただいた「生半可な覚悟では出来ません」というのはその通りです。昨年中頃にふと、根本に間違いがあった場合、そこまで戻る必要はないのか・・・と考えたところで思考停止気味になっているだけです。根本で間違ったとしても、その後の経過で得たことは決して無意味ではありませんでした。その先に道がないとは感じていませんので、結局は思うままにやってみるだろうと思います。
余計なお話を書いて、お手間をかけてしまいましたね、ごめんなさい。

匿名 さんのコメント...

Silvercord manager 様
茨城の匿名と申します。10か月も前の記事にコメントを入れてしまい申し訳ありませんが、最近引いたおみくじの解説を求めて、こちらに参りました。拝見して驚きました。私は今年、この記事に載っている3つのおみくじを同じ神社で引いておりました。最後の日吉神社のおみくじは、上の2つとはデザインが異なりますが、内容は私が引いたものとほぼ同じでした。私には管理人様のような力はありませんが、私の周りには霊的な理解の進んだ人が多いので、色々なことを教えてもらっています。この3枚の教えは、まず自らの内というか足元をしっかりさせるように、ということかと我が身を省みて思うのですが、人生で迷うことが多く、日々自己の内面と向き合っているところです。解説を載せて頂けて、理解が深まりました。ありがとうございました。今後も時々覗かせて頂きます。