恐山については、これから紹介する対話記録とは別に、霊的な側面から見た恐山の意味についての解説をお願いしていたのですが、様々な事情から延期されておりました。
しかし、当Blogをごらんの皆様にとっても関心を寄せて頂けそうな話を伺っておりましたので、この度ご紹介させて頂くことと致しました。
■ 『恐山に集う霊』との対話(その1)
霊媒M:
恐山の中にいたのは成熟した霊たち。
「三途の川を渡る」と言うことは、霊にとってもより洗練されないとそこを渡れない。
管理人:
その前に、もう少し前の段階の話からしましょうか。
私たちは今まで様々な神社に足を運びましたが、お寺を訪ねるのは今回が初めてとなります。
そしてお寺も神社もそれほど変わりがないと言うことですが、では何が違うのですか、という点が一つ。
なぜ分かれているのか。
それはただ単に人の社会の都合と言うことだけなのでしょうか。
恐山に集う霊:
人間の世界では違うものとして考えられているでしょう?
どちらかというと違うものには余り触れたがらないという国や人が多い中で、全然違う流れで発生した宗教を元に建てられた施設が、同じ地域の中であちらこちらに存在していて、それでもぶつからずに、逆に協力している姿が見られるのは意味が大きい。
管理人:
意味が大きいというのは?
恐山に集う霊:
国で宗教を定めていたり、地域によって特定の宗教の信者が多い場合が殆どなので、そういうところに住む人が日本を見ると考えさせられるものがある。
管理人:
そうですね。
宗教的には無節操と言われますね。
明治時代になるまでは「神仏習合」といって、同じ敷地内に神社とお寺が同居していた時代もありましたから。
恐山に集う霊:
ある意味同じ流れを汲んでいるものだと分かっている。
管理人:
一見別物に見えても、その奥に共通性があるなと、本能的に感じていると。
だから、生まれは違っても本質的には似通っているのだから、一緒でいいでしょうということでしょうか。
恐山に集う霊:
等しく敬う――仏も神も、日本の人たちにとっては等しく敬われる存在だったので、余り違和感がなかった。
だから、敢えて何か一つに統一する必要性も感じていなかった。
それはそれで、受け継がれてきたものをそのまま伝えていった。
管理人:
だから、そこを敢えて統一しようとすると某カルト教団のようになってしまうのでしょうね。
ただ、他の国の人々にとっては、その曖昧さが理解できない。
恐山に集う霊:
人間の側が余りこだわっていないので、それがそのまま伝わっていった。
(中略)
管理人:
では、お寺も神社も変わりがないと言うことで。
恐山に集う霊:
どこで発生して、どのように伝わったのかの違いだけ。
管理人:
ただ、今霊媒さんを通じて話を伺う霊界の住人の皆さんは、どちらかというと靖国神社とか、神社に関係の深い方々が多いように思いますが。
恐山に集う霊:
靖国神社に縁が深いけれども、生前はお葬式と言えばお坊さんのお世話になった。
あそこが象徴として存在しているからそこに集まっているだけで、特に神社だからと言うわけではない。
管理人:
では、質問を変えましょう。
以前、靖国神社に集う方は、日本の行く末に関心の強い方だという話を伺ったのですが、恐山に集う方はどのような物事についての関心が強い方なのでしょうか。
恐山に集う霊:
恐山というのは、人間の生まれてから亡くなって、また再生してくるサイクルを表しているので、人間を深く観察する――霊のサイクルというか。
管理人:
人間として生まれてきました、そして年老いて死んでしまいました、しかし再びうまれてきましたよという、一連の流れに興味があるんだ。
恐山に集う霊:
そういう様を観察する。
管理人:
それは、「因果律とはどういう事ですか、因果の仕組みとはどうなっているのですか」という所にもの凄く興味があると言うことでしょうか。
霊媒M:
因果という言葉にピンと来ていないようですけど。
恐山に集う霊:
人間の生き様に興味がある。
管理人:
人間ですか。
視点が違うと言うことでしょうか。
同じものを見ていても、見る場所や方向が違うと。
因果というと、人間として生きている部分と、死んでしまって霊となった後の部分をトータルで捉えるけれども、そのうち人間として人生を送る部分への関心が強い。
恐山に集う霊:
人間的な部分への興味が強い。
そして、仏像の立っていた高台があったけれども(周囲を見渡す位置にある延命地蔵尊)、そこが傲慢の象徴と言っていた(*注1)のはなぜかというと、あそこは仏様が人間界を見渡して、その都度必要なものや不要なものを調整したり、バランスをとる為にある場所の象徴。
でも、人間――未熟な霊は、そういう場所に登りたがるというか、求めたがる。
その場所にいて見ているのだけれども、全体を見通せない。
だけどそれで満足しているのが人間。
管理人:
それは、人間が「傲慢な心を持たないように気をつけましょう」という教訓的な意味合いで存在しているのでしょうか。
それとも、それを作った人々の思惑が、人間の傲慢さを象徴していると言うことなのでしょうか。
恐山に集う霊:
要は心のあり方。
どんな道具でも、ちゃんと機能が分かっていて正しく使えば、色々と便利に使えるのと同じようなもので、どんなに知識などを得ても、それが何を意味しているのかをきちんと理解をしないと、周りを見通すことは出来ない、そういう意味。
あそこは仏様が立ってこそ意味がある場所。
人間はまだまだ未熟で、そこに立つことはとうてい出来ない。
そこに立ったところで分からない、見えないことが沢山あるという意味なのだけど、作った人間がどういう風に考えているのかは分からない。
ただ、その裏にはそういう意味があります。
管理人:
なぜその様な質問をするのかというと、恐山と言えばイタコさんが有名ですけど、事前に少し調べてみたところ、余り良くない評判も目についたのですね。
ですから、「霊界の住人の意向と人間の思惑が、必ずしも一致していない部分があるのではないか」という疑問があったのですが。
霊媒M:
あの場所自体はそんなに悪い空気ではなかった。
エネルギー的にはいい場所。
それに、イタコさんはいなかったから――いたらどういう状態なのかはわからない。
管理人:
あれは時期が限られているみたいなので。
恐山に集う霊:
それに、あのような場所は入る人によって感じ方が変わる。
どの部分を受け止めているのかが違う。
その人のこれまでの生き方が反映された受け止め方になる。
だから、未熟な人が入れば受け止め方も曖昧で中途半端になるから、本当の意味を受け止めきれない場合はある。
送り手側が100%の形で送っていても、受け手の人に器がなければ1%しか受け止められなかったり、30%だったり、半分くらいだったり、色々ある。
だから大切なのは、あなた自身がどのように感じたのかであって、それが人生にとっての学びになるから、その思いを大切にした方がいい。
他人がどう感じたのかは人によって違うから。
そして、人の思いが霊を引き寄せる。
その人がどのような考え方をしているのかがとても重要。
だから同じ恐山を訪ねるのでも、とても前向きで努力家の人が行くと、いい意味での学びが得られるけれども、いつもくよくよ思い悩んでいたり、自分は不幸だと感じている人が行くと、人間の側の思いの蓄積されたものに引きずられる。
そして霊の方は――特に水子は、親の思いに引きずられて離れられなくなる。
親の方がその子に対する気持ちに決着をつけてあげないと、その子はなかなか地上から離れられない。
下手をすると、親が亡くなった後でも、だらだらと居続けることになってしまいかねない。
だから、霊現象が生じるのは人間の気持ちの方が大きな原因となっている。
管理人:
それは結構重要なポイントですね。
恐山に集う霊:
自分で無意識のうちに引き寄せている。
(つづく)
(2009年9月4日)
*注1:
実際に恐山を訪ねた折に、霊媒を通じて同様の話を予め伺っておりましたので、それを踏まえた説明となっております。
さて、この対話はかなり長時間に及びましたので、2つに分割致しました。
対話の後半は近日中にご紹介できると思います。
【Silvercord】管理人
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