■ 匿名様の質問
(前略)
そこで、霊界の方々にお尋ねしたい事があります。
日本国内で行われている教育について、お尋ねしたいのです。
現在の日本国内では勿論、世界でも最高水準の教育が行われているはずなのですが、大学まで卒業しても、「政治の事が良く分からない」という大人が相対的に多くなっているように思います。
このような状態では日本国民が冷静で正確な判断など下せることはなく、一時の感情のみで政治が動いてしまいます。
民主主義とは、主権が国民に存在する為、国民が自身の暮らし向きを守るほかにも、自分の国のことに関心を持って、自分の国を良くしたいという思いで政治に参加したほうがよいと思うのですが、そういった概念を育てることが教育のカリキュラムに盛り込まれていないせいか、いざという時により政権担当能力のある政党を選択することができず、また興味も薄いせいか、選挙の投票率さえ低い状態です。
また、日本の政治を見ていると、政局が混迷する事がたびたびありますが、それも有権者が政治音痴であることが如実に反映されているように思えます。
このようなことを鑑みると、折角の教育が骨抜きにされているようにさえ思えます。
本来、教育や民衆政治とはどこまで行ってもこのようなものなのでしょうか?
また、教育の改革が行われ、有権者が政治について賢明な判断を下す事ができるようになれば、政治が感情で動くことはなくなるのでしょうか。
■ 霊界の住人の回答
「そうですね、あなたが仰りたい事はよく解ります。
政治と暮らしは密接に関係しているのですから、その事を良く理解し、積極的に政治に参加する意識を持つことはとても大切であると思われます。
確かに、地政学や政治学を理解していれば、数ある選択肢の中でより良い選択をする助けとなるでしょう。
ですが、皆様にもご経験がおありかと思われますが、学生時代に学んだ事の全てを記憶し理解しているわけではありませんね。
学校で学んだからと言って、全ての方がそれらの知識を必ず生活に活かしてゆくわけではありません。
中には全く記憶していない知識も存在している事でしょう。
好きな事や興味のある事、必要に迫られている事などに関しては、誰に強制されなくても積極的に学び取ろうとします。
逆に、苦手な事やよく意味が解らない事に関しては、どんなに知識を詰め込んだところで頭に入ってくる事はありません。
勉強する事の意義を本当の意味で理解できるのは、大人になって社会経験を積んでからという方が大勢おられるのではないでしょうか。
基礎的な読み書きや計算などとは違い、専門的な知識などは知らなければ知らないなりに生活できてしまうものですから、そこに関心を持つにはそれなりの切っ掛けが必要になってくると思います。
やはり己の身をもって経験する事が必要不可欠であると思います。
より多くの知識を有しているという事は安定した生活を送る上で役立つものではありますが、それらの知識を有していない事で被る不利益を体験してみない事にはその必要性を理解する事はなかなか難しい作業であると思われます。
最近の世の中の動きは政治への無関心が災いを生んだ結果ですから、国民の皆様はその身をもって経験を積んでいることになります。
学校で学ぶ学問はあくまでも予備知識であり、それらの知識をどのように利用するのかは個人の選択によるところとなります。
予備知識を得ている事は選択肢の広がりという意味ではとても役に立ちますから、それはそれで大きな意味があると思われますが、それはあくまでもそれらの知識が必要であると判断された方の場合のみに限定されてしまうのです。
場合によっては目の前にあっても見ようともせず、耳元で聞こえていても聞いていないという事があるのです。
己の信じるものしか見ないし聞かないというような頑なな姿勢でいる間は、いくら周囲で警告を発してもその意味を理解することはできないのです。
知識を教えることも大切ですが、その知識を生活に活かせるような柔軟な心を養えるような教育というものを考えた方が良いように思います。
失敗に学び、その経験を糧として成長できるような、しなやかな心を育てる事です。
周囲の意見に耳を傾けられるゆとりある心を養う事です。
己の責任で決断できる強さを培う事です。
己を知ると同時に周囲を知る事の重要性を理解できるような経験を積める環境を整えてあげる事です。
それらの基礎的な教育ができていれば、知識は後からついてくる事でしょう。
足りないと思えば積極的に学び、詳しい方々の意見を求め、それらを総合して考えた上で自分の責任において答を出せる事でしょう。
答えは必ずしも一つであるとは限らないのが人の世の常でございますから、一つの考えに囚われることの愚を知り、より多くの考えや知識に触れることの有用性をきちんと理解していれば、より良い選択をする事ができると思われます。」
(2010年11月23日)
匿名様の問題意識については共有しますが、果たして学校教育に委ねて解決できる問題なのでしょうか。
当Blogや本家サイトにおいて「物事を鵜呑みにしないで、自分で考えてみる事の重要性」について繰り返し述べておりますが、少なくとも私の経験では、学校教育を通じてその様な学びを得る事はありませんでした。
学校教育においては、教える側も学ぶ側も「取り扱っているのは正しい知識である」との暗黙の了解の元に教育を施しております。
しかし、昨今クローズアップされている日教組教育の問題を見た時に、「政治的判断の基準となる知識や考え方を学校教育を通じて習得する」という考え方には非常に危機感を覚えます。
思想信条の自由が許されない国々において、どの様な教育が施されているのかをよく考えてみる必要があると思います。
【Silvercord】管理人
11月24日現在回答待ちの質問
下記のご質問につきましては、回答に時間が掛かっておりますので、しばらくお待ち下さい。
- 記事【日本のマスコミは自らの首を絞めている】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問「大國魂神社について」