明治時代の代表的な教育家の一人である福沢諭吉は、慶應義塾を創設したり、明治維新後の日本が西洋文明を取り入れる為に尽力されました。
その様な、近代日本の発展における輝かしい業績を残した『福沢諭吉と名乗る霊』は、果たして現代社会をどのように見ているのでしょうか?
文中の( )内は、文章の意味を補う為の注釈として追加しました。
文中の(*注1)などは、文末に注釈文を追加しました。
では、2009年2月22日収録の『福沢諭吉霊との対話』をご覧下さい。
管理人:
今、福沢諭吉さんはどうしているのですか?
福沢諭吉霊:
慶應義塾でウロウロしています。管理人:
そんなところでウロウロって、一体何をやっているんですか?
福沢諭吉霊:
日本の若者の向上心を刺激して回っています。
管理人:
日本の若者の教育に関心のある諭吉先生は、今の日本の教育について言いたいことがありそうですね。
福沢諭吉霊:
教育は、閉鎖空間で行うのではなく、もっと自由な空間で行うべきだ。学びたいと思った時に学べる、学びたいと思った事を学べる、そういう自由。
管理人:
という事は、今の日本の教育には、そういった自由が不足しているという事ですか?
福沢諭吉霊:
大人になったら個人のやり方で自由に出来るけれども、子供の頃は、基礎的な教育は平均的に学ぶ必要があるけれども、そうではない部分の…知る事の喜びを感じられない。それでは意味がない。
知識を得る事の素晴らしさをもっと実感できるような教育をしてもらいたい。
管理人:
では、今、そういう教育をする為の障害になっているものは何だと思いますか?
福沢諭吉霊:
学問が人生を豊かにするものではなくて、いわゆるブランドになってしまっているのが一つの原因ではないか。「○○学校を卒業すれば優秀だ」とか、「○○学校を卒業すれば○○企業に就職できる」といった部分に囚われて、本質の部分の「知識を得た事による喜び」とか、「人生の広がり」といった部分が置き去りになっている。
そういう社会の価値観が問題ではないか。
管理人:
でも、これから社会の価値観が根底から覆ると思うのですが、そういう時期に当たって、私たちも試行錯誤している最中なんです。今まで行ってきた教育制度とかについても、成功したと思う部分もあれば問題と感じている部分もあって、試行錯誤している最中ですので、教育を受ける人、それから教育を施す人、あとその周りで教育に関わる人に対して、何かアドバイスとかメッセージはありますか。
福沢諭吉霊:
学問とは、人生を豊かにする為の一つの道具であって、人と競うものではない。その点をよく理解できるように努力されると良いのではないでしょうか。
あくまでも自分自身の人生を豊かにするものですよ。
管理人:
ここからは余談になります。今、諭吉さんは一万円札の絵柄に描かれておりますが、そのことについて何か感想はありますか。
福沢諭吉霊:
私が、日本が豊かになる上での手助けが出来たという事についての評価として、ありがたく受け止めておきます。
管理人:
今の一部の人の中には、「諭吉先生は今の状況を百年も前から的確に予想していた」と言う評価があるのですが。
福沢諭吉霊:
物事はすべて一つの流れでつながっているので、今をちゃんと見極める事が出来れば、百年先は難しくても二十年~三十年先は容易に見通せますよ。管理人:
容易と言われてしまいました。
でも、なぜ百年先まで見通していたかというと、現代でも百年前と同じ状況があって、「百年前と変わっていないじゃない」という観測がある。
具体的に言うと、日本と大陸(中国)との関係、もしくは、日本と朝鮮半島との関係が全然変わっていないのではないかという事なのです。
福沢諭吉霊:
それは多分、私が見通したと言うよりは、大して事態が動いていないというだけの話でしょう。
管理人:
そうですね。だから、百年以上前に諭吉先生が世間に対して明らかにした意見(*注1)が今でも通用しているのは、何だか奇妙じゃないですか。
百年間進歩がなかったのか。
福沢諭吉霊:
亀の歩みだから、表向き変わったようには見えないんだ。実はほんの少しずつ変化はしている。
管理人:
変わったように見えないのは日本ですか?周辺国ですか?
福沢諭吉霊:
全体的に少しずつ変化はしている。ただ、目に見える形で現れる所まで来ていない。
管理人:
というのは、他の地域は百年前と比べると劇的に変わっていると思うんですね。例えば、百年前は世界中に植民地を抱えていたヨーロッパの国々は、経済的には未だに植民地と変わらない状況の場所があるかも知れないけれども、一応名目上は独立国となっているわけで、当時と比べるとそういうものを抱えていないじゃないですか。
他の所もかつて列強の植民地であったところが皆独立国となっている訳で。
そう考えると、百年前とそれ程変わっていないのは日本とその周辺くらいしかないのではないかという認識があるので、あえて伺いたいのですが。
福沢諭吉霊:
百年かかって、やっと日本に追いついてきた――という考え方も出来ますよ。
管理人:
日本の周辺国はどうですか?中国とか朝鮮半島と日本の関係は、百年前とそれ程変わっていないと捉えられているんですよ。
福沢諭吉霊:
これはバチカンの拠点解放(*注2)と関係がある。
管理人:
そうなんですか?どういう関係が?
福沢諭吉霊:
まず、ヨーロッパの国々に日本の感覚に追いついてもらう為の百年があって、その後は(日本と欧州の国家が)連携して行っていくという意味合いがある。
管理人:
そういう意図が働いていたとなると、裏を返すと、日本をそのまま放し飼いしておくと、どんどん先に進んでしまって他国との差が広まってしまうので、枷を嵌めてその場に止め置かれたという意味合いがあるという事ですか?
福沢諭吉霊:
枷を嵌められたと言うよりは、そういう状況が許されていた。一人で独走してしまうとバランスが崩れてしまうので。
国の配置がそうなっている。
管理人:
では、インターネット上で「日本はこんなに素晴らしい国で、神様、これでは不公平なのではないですか」というと、神様が「大丈夫だ、隣に朝鮮を作っておいた」という笑い話があるんですけど、実はそういった国の配置にも絶妙なバランス感覚というか、「全体として底上げされる」という方向性に則った国々の性格と位置づけがされていると。
福沢諭吉霊:
当然、その辺は計算されている。
管理人:
では、日本が単独でいると自分達だけでどんどん発展していってしまって、他の国々との差が付きすぎてアンバランスになるので、余り独走しないように、中国とか朝鮮半島のような、日本にとって足枷になる国々が周囲に配置されている――と?
福沢諭吉霊:
独走してしまうからと言うよりは、自分達の持つ能力に応じた責任を学ぶという意味合いの方が強い。
管理人:
能力に応じた責任ですか…。
福沢諭吉霊:
より多くの事が出来るだけの力があるという事で、その力を使うなりの責任が生じるという事を学ぶ意味合いの方が大きい。だからこそ、自分達でその能力を独占してしまうのではなく、周囲にも還元していくというか――。
管理人:
であれば、どこまで本質を深く見極めていたのかはともかくとしても、ある意味麻生首相はその辺をよく見ていた(*注3)という事ですね。なぜかというと、彼は首相になる前の、外務大臣の頃から、『日本はアジアの実践的な先駆者でありましょう』という事を述べています。
『日本はこれまでも他の国がした事もないような経験を一歩先に積んでいて、その経験を周辺の国々にフィードバックするという役割をずっと果たして来ました』と。
だから、そういうところをよく見ているという事ですね。
そういうところに麻生太郎の凄さを感じてしまう。
その一点だけで応援できる。
『漢字を読み間違えた』といった下らない事で潰されていい人間ではないですね。
その本質を理解できない人が余りにも多いのは、とても残念な事ですね。
福沢諭吉霊:
政治家として致命的なミスを犯したのか、それとも些細なミスで、政治にはそれ程影響がないのかという点を、皆様が見極めればいいのではないでしょうか。
管理人:
そうですね。見極められる人がたくさんいればいいのですけど、必ずしもそういう人ばかりではないし、また見極められると都合の悪いという人の声が大きいんですね。
福沢諭吉霊:
でも、幾ら声が大きいと言っても、ほんの少し冷静に考えれば、今の日本に暮らしている皆さんなら容易に理解できるだけの知識を持っている筈だ。教育が行き届いているのだから。
管理人:
私もそう思います。でも、そうなってしまう原因はどこにあるのかのというと、「無関心」にあるのかなと。
で、なぜ無関心になってしまうのかというと、視野の狭さ。
政治に関わる様々な問題が、自分達の生活に直接大きな影響を及ぼすよ――という関係を理解できない、想像する事が出来ない。
だから無関心でいられると思うんですね。
福沢諭吉霊:
国民の感覚が明治維新の頃と変わっていない。明治維新の頃に関心を持っていたのは武士だけど、今は一般の国民の中に関心を持っている人がいるけれども少数派。
管理人:
今関心を持っている人はインターネットユーザーの中でも、比較的時間の自由がきく人に多いと思います。
福沢諭吉霊:
要するに本質を見極めるだけの余裕があるという事。
管理人:
そうですね。考える時間があるから、色々な事を考えるんでしょう。
今はそれ程お金をかけなくても、比較的容易に情報を手に入れられるだけの物理的条件が揃っているし。
そういう意味では、諭吉先生の生きていた時代よりは便利になりましたね。
福沢諭吉霊:
便利になったから、本来なら学んだり考える時間が増えている筈なのに、関心がそういった部分ではない方向に注がれてしまっているから、今の状況があるのでしょう。
管理人:
そういう状況に問題意識を持っている人はいるんですけれども、「では、どうやったらその状況を打開できるか」という具体的な解決策となると、なかなか上手い手段が思いつかないのですが。
福沢諭吉霊:
行き着くところへ行き着けば、自然に流れは変わります。
管理人:
いや、それはそうなんだろうけれども…。
福沢諭吉霊:
どんなに気づいている人が気づいていない人に語っても理解できないから、気づいている人が自ら実践して見せるのが一番良い。
管理人:
やはりそうなりますか。その点は何事も一緒ですね。
ところで、今日はすんなり繋がりましたけど、どうしてなのでしょうか。
こちらから呼び出しても繋がらない場合もあるし、なかなか繋がりにくい場合もあるのですけど。
実は待っていました?
福沢諭吉霊:
慶応でウロウロしていました。
管理人:
ウロウロしていたからですか?
福沢諭吉霊:
すぐそばにいたから。それに、私自身が関心のある話題を話していたから。
管理人:
じゃぁ、聞き耳を立てていたんだ。
福沢諭吉霊:
霊界ネットワークは侮れないよ。
管理人:
インターネットより自由度が高そうだからね。
福沢諭吉霊:
今は、慶応で若者に刺激を与えている。
管理人:
今時の若者はどうですか?
福沢諭吉霊:
なかなか見所がある。人間が変わったのではなくて、社会の価値観が変わっただけだから、少し刺激すればすぐに目覚めますよ。
管理人:
ちなみに、小泉元首相も慶応の出身だったと思いましたけど、小泉元首相の学生の頃はどんな感じでしたか。
福沢諭吉霊:
結構生真面目だった。今でもそういうところはある。
表面的には余り見えなくても、本質的な部分はなかなか変わらない。
見せるのが上手いので、あれが彼の本質だと思っていたら見誤るよ。
(後略)
*注1:
ここでは『脱亜論』を念頭に置いて話しております。
元々福沢らは李氏朝鮮の開化派である金玉均などの支援をするなど、東亜諸国の近代化を促進する事によって、西欧列強の侵攻に対抗する勢力を作り上げようと考えていた事が伺えますが、当時の朝鮮にしても清にしても、相変わらずの旧弊から脱する素振りを見せませんでした。
結局、甲申事変の失敗により朝鮮開化派が一掃され、福沢らは朝鮮や中国の近代化をあきらめてしまいました。
その様な福沢を巡る歴史的経緯を辿ってゆくと、福沢諭吉霊の述べる『どんなに気づいている人が気づいていない人に語っても理解できないから、気づいている人が自ら実践して見せるのが一番良い』という言葉には、経験に裏打ちされた重みを感じます。
*注2:
現在、霊界から地上界に向けての大きな働きかけが行われております。
それが、霊界と地上界を繋ぐ接点としてのバチカンの拠点開放活動です。
バチカンの拠点開放については、
以下
【日本の役割(メッセージ13)】
【メッセージを地上に送る理由2(メッセージ33)】
【バチカンの拠点が開放される理由(メッセージ44)】
*注3:
今は衆議院選挙の投票日を直前に控えた微妙な時期であるという事を承知しておりますが、この時期だからこそあえて申し上げておきたいと思います。
麻生太郎という政治家の外交に対する姿勢と表現は、近年(少なくとも小渕元首相以降)の歴代政権が一定の方針に基づきつつ臨機応変に対応してきた経緯の中で、一つの節目となる明確な日本の意思表示になっていると思います。
本文中で引用した『日本はアジアの実践的先駆者』論もそうですし、『自由と繁栄の弧』はもちろんの事、中東和平実現へ向けた『平和と繁栄の回廊』構想も、一貫した外交戦略の形と言って良いでしょう。
一方、報道によると政権奪取目前とも言われる某野党の掲げる『東アジア共同体』構想は、現在進行形の侵略国中国の蛮行を追認するだけの愚策であり、既に失敗が明白である『大東亜共栄圏』構想の焼き直しに過ぎない事を銘記しておきたいと思います。
6 件のコメント:
>小泉元首相も慶応の出身だったと思いましたけど、小泉元首相の学生の頃はどんな感じでしたか。
>福沢諭吉霊:結構生真面目だった。
同大学女子学生をレイプして、ロンドン大へ聴講生として留学するという名目で逃亡したり、芸者の首を絞めて殺したりという、恐ろしい噂も聞きますが。
更に特別在留外国人の学生達が、同様の立場だった小泉氏から伝統を受け継いで、表沙汰になっただけでも継続的に、医学部やらスーパーフリー、広告研究会やらで女子学生暴行事件が起きています。
諭吉翁は、そのへんをどう考えておられるのでしょうか?インターネット上では「汚鮮」が激しい大学の一つと言われています。
匿名様
その噂に信憑性はあるのですか。
世間でフェイクニュースが取り沙汰され、マスメディアが取り扱うニュース報道なるものの信憑性に疑義が生じている昨今、根拠を示せない噂の扱いには特に慎重でなくてはなりません。
本当か嘘か分からない噂に基づいて、霊界の住人の話を聞こうとする前に、まずその噂の信憑性を自分自身で確認する方が先でしょう。
その様な噂が流れているのでしたら、噂を流す大本があるのですから、その大本を突き止めて噂の信憑性を確認されてはいかがでしょうか。
管理人様
お返事と、貴ブログの原則を提示して下さり、ありがとうございます。
では、質問を事実に基づいた件に絞って再投下させていただきたく思います。
1.該当大学創設者として、また日本の高等教育に携わった方として、福沢翁は同大医学部やスーパーフリー、同大広告研究会等で女子学生暴行事件が発生したことをどうお考えなのでしょうか。
2.日本男子として、将来ある若い日本人女性達を護りたいとお考えでしょうか?
3.また、これも報道されていることですが、諸事件には隣国人や特定在留資格保持者の関与がありますが、このことについてどのように思われているでしょうか?
「日本人女性を暴行したり、寺社や名刹を汚損・破壊すれば自国で英雄扱い」という誤った認識を、当事者や支持者達がツイッター・ユーチューブほかで表明しており、こうした事件はその一環なのです。
匿名様
記事【改めて、ご覧の皆様へのお願いと連絡事項】の項目「今後投稿する記事の『ご要望』について」にてお知らせの通り、今は特定の名を名乗る霊界の住人をご指名での質問には回答しておりません。
掲載中の記事についてのご質問は、基本的に管理人からの回答とさせて頂いておりますので、ご了承下さい。
さて、福沢諭吉と言う方が亡くなったのは1901年とのことですので、幾ら大学の創設者であるとはいえ、自身の手を離れて百年以上経ってから発生した事件について問われても、返答に困るでしょう。
百年以上前に霊界の住人となってから、仮に本人が大学の運営に関わりたいと希望しても叶わないのですから、犯罪行為は許しがたいと言うことと、自分が創設した大学の関係者が関わっているのは残念…としか言い様がないのではないでしょうか。
そもそも、福沢氏は犯罪者を育成するために大学を創設したわけではありませんし、その犯罪行為が大学ぐるみで行われたとも承知していません。
類似の事件は他の大学関係者も起こしていますので、特定の大学の問題というよりは、一部の不心得者による犯罪行為が見過ごされているという、防犯対策の不備ということなのではないでしょうか。
これは百年以上前に霊界の住人となった方に聞く話ではなくて、現在大学の運営に携わっている方に正す問題であると思います。
管理人様
ご回答ありがとうございました。
特にスーパーフリー事件は、日本の警察関係者をも激怒させた事件と聞いています。集団強姦罪の創設や類似事件への処罰の強化他、もしかして神霊界からの支援や意向「も」あったのだろうかと思ったのですが…。
「脱亜論」著者の福沢翁のお膝元で、挑発するかのように起きた事件でしたし。
そうですか。
>一部の不心得者
日本人女性や日本人の子供、寺社名刹他の襲撃や破壊は、「特異な例外」によるものとは思えないのです。被害者の方々の心身が癒えることと、盗まれた対馬の仏像ほかの早い返還などの解決を望んでいます。
管理人様には、お忙しい中ご回答をいただき、重ねてお礼申し上げます。
匿名様
記事【[黙示録再解読]:霊界から見た物質界の役割】で述べている様に、神々や霊界の住人は、私たち人間が暮らす物質界を「人間や生物などに宿る霊の成長に寄与する経験を積む為の場」と捉えています。
ですから、この物質世界の、ましてや地球上の人間社会で起こる諸問題については、まず人間が対処するものとの認識です。
人間社会で起こる様々な問題に対処する経験が、人間に宿る霊の成長を促すと見ているからです。
また、人間が神々や霊界の住人と詳細な情報をやり取りするには、主に霊界通信と呼ばれる手段を用います。
『銀の紐を越えて』掲載記事【霊界通信の難しさ(霊的知識の教科書:5)】で述べているように、霊界通信は霊媒能力を発揮する一部の人間を介して行う通信手段で、その仕組みの複雑さから、取り扱う情報を正確に伝えることが難しく、霊媒個人の意識や記憶が混ざりやすいのです。
そこで比較的霊界通信に熟達した霊媒は、通信文の細かい一つ一つの表現を何度も確認しながら受け取り、更に受け取った通信文の内容が正確に伝わっているかどうかを、通信の送り手に繰り返し確認しながら作業を進めます。
それでも通信の送り手が発信した内容の50~60%が伝わっていれば上出来――それが霊界通信の実態なのだそうですから、人間が、神々や霊界の住人と直接意思疎通を図るのは非常に困難なのです。
この様な事情を前提として、匿名様が仰る、人間社会で起こった特定の事件に、神々や霊界の住人が直接関与しているのではないか――という疑問について考えてみると、そもそも人間社会では日々様々な問題が起こっていますので、それら個々の事件に関わっていては、幾ら神様といえども対応しきれません。
コメントの冒頭で述べたように、人間社会は「人間に宿る霊の成長に寄与する経験を積む為の場」なのですから、そこで起きる事件も新たな経験を積む機会であり、その事件を解決し、再発を防ぐために試行錯誤する経験を通じて、人間に宿る霊の成長が促されます。
そこで神様が事件に直接関与したことにより、人間が自ら問題を解決する経験に学ぶ機会を奪う結果となっては、そもそも神様が物質界を用意した本来の目的から外れてしまいます。
尤も、神様や霊界の住人が、人間の考え方・物の見方について、新たな気づきを得るきっかけとなる様な、霊的な側面からの働きかけはありますし、その意味では神々の働きかけは常にあるとも言えます。
しかし、それは働きかけを受ける側の人間が、「神様から何らかの働きかけを受けている」ことに気づかなければ意味がありませんし、神様から働きかけを受けていると自覚している人は少数です。
ましてや、神様からの働きかけの詳細な内容を理解できるのは、霊媒能力に長けた極一部の人間に限られてしまいます。
ですから、神様や霊界の住人と人間が意思疎通を図る手段の制約により、特定の事件が生じる度に、神々がその事件に関する働きかけをしても、神々の思惑通りに人間が応じるわけではありませんし、人間社会の問題に対処するのは人間であるのが前提ですので、この様な場合の神々の働きかけは補助的な支援に限られます。
その支援とは、例えば、事件の解決に繋がる新たなヒントとなる閃きは、神々の働きかけを受けた反応かも知れません。
とは言え、人間に対するその様な働きかけは、別に特定の事件が起こらなくても日常的に為されていますので、それを「~の事件に対して神々が働きかけをしている」とは言いません。
少々長くなりましたが、匿名様には、神々や霊界の住人と人間の関係について理解を深めて頂いた方が良いと考えましたので、この場を借りて説明しました。
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