2009年9月14日月曜日

衆議院選挙を終えて3

この記事は、【衆議院選挙を終えて1】【衆議院選挙を終えて2】の続編となりますので、先にそちらをご覧下さい。

■ 本当の民主主義国家とは?

このテーマについては、本家サイト『銀の紐を越えて』でも繰り返し取り上げておりますので、下記の該当ページも併せてご覧いただければと思います。

【国民としての心構えについて(メッセージ62)】
【本当の民主主義社会へ向けて(メッセージ75)】
【政治家・公務員と国民(メッセージ101)】
【衆議院選挙を終えた国民の皆様へ(メッセージ103)】

では、上記メッセージの内容を踏まえて、本当の民主主義国家とはどの様なものかを考えてみましょう。
まず、民主主義国家とは、主権者たる国民の意向に基づいて国政が運営される国家であると言えるでしょう。
ですから、民主主義国家のもっとも本質的な形態は直接民主制となります。
しかし、国政のあり方に適切な判断を加える為には、国政に関わる様々な分野における専門的知識や見識が必要ですし、それと共に個々の分野を超えた横断的な広い視野も同時に求められます。
それらの様々な能力や適性を、すべての国民が同様に持つ事は、現実問題として不可能ですので、次善の策として、国政に関連する個別の分野の専門家集団である公務員と、より広い視野から個々の政策についての価値判断が出来る国会議員、それから国政を担う議員を国会へ選出する行為を通じて、間接的に国政を制御する主権者たる国民の三段構えで、民主主義国家の意思を決定して行使する仕組みが成り立っております。
その仕組みが理想的に機能した場合には、それぞれの立場の人にとって望ましい(満足は出来なくとも許容できる)社会が形成できるのですが、仕組みを維持する為にそれぞれの立場の人が求められる責任を果たさなかった場合、様々な軋轢を生む社会となってしまいます。

すなわち、選挙に参加しない国民の数が増えるにつれて、社会的には少数派であっても選挙に積極的に参加する人々の意見が国政でより多く反映されるように、国会議員は活動するでしょう。
その様な議員は広い視野など持ち得ませんから、国政に関連する様々な専門分野の繋がりについて包括的な判断をする事が出来ません。
その為に、特定の部署との癒着が生まれたり、他の部署は顧みられずに放置されたりした結果、ぎくしゃくとした極めて非効率な国政となってしまうのです。

その様な事態にならない為には、国民が議員に対して明確な意思表示をして、自分の意向を汲み取った活動を行っている議員を支援することが重要です。
議員の下に集まる国民の声が多くなればなるほど、議員は国民が望む国政の方向性を的確に把握しやすくなるのです。
そして、様々な国民の意向を国政に反映させる為に、国政に関わる様々な専門分野に関心を持たなければ職務が果たせなくなります。
その様にして、議員の目が国政全般に満遍なく及ぶようになると、専門分野に特化するが故に全体としてのバランスを歪めてしまいがちな公務員の活動を、国政全般としてバランスよく制御する事が出来るようになります。
ですから、有権者たる国民が国会議員に対して自身の意向を伝えるのは、国の均衡ある発展を考えた時にとても重要な意味合いを持ちます。

ただし、国民が明確な意思表示をする際に、欠かせない条件があります。
『議員や公務員によって運営される国政の実態について、正確な情報が国民に伝えられている事』が不可欠で、国民が意思決定の材料とした情報が誤っていた場合、当然ながら国民は誤った判断を下してしまいます。
今回の選挙では、選挙権を行使しなかった国民の問題と同時に、国民が知っていなくてはならない情報が伝えられなかった為に、判断を誤ってしまった側面が如実に表れたと感じるのです。

■ 報道機関としてのマスメディアの終わり

今回の選挙戦では、政権の主導権を争う自民党総裁と民主党代表が、直接議論を戦わせて自身の政党の政策の是非を競うという、選挙に臨む有権者に取って有益な判断材料となった可能性のある『21世紀臨調主催の自民・民主両党首討論会』が8月12日に行われたにもかかわらず、テレビメディアはノーカット生中継を行いませんでした。
一方、インターネット上では【あらたにす】などで、党首討論の模様がノーカット生中継されました。
後ほど、テレビメディアでも討論の模様を簡単に取り上げたそうですが、ノーカット映像とテレビメディア加工済み映像を比べると、両党首に対する印象が逆転するほどの出来映えだったのだそうです。
もっとも、私はテレビ番組を見なくなってから何年も経ちますので、実際に双方を見比べた方の伝聞から判断するしかないのですが。
しかし、いずれにせよ、国政の行方を左右する可能性を秘めた、国政選挙を目前に控えた有権者にとって格好の判断材料となりうる一次情報の提供を、『報道機関』を自称するマスメディアは拒否したのです。
その代わりにマスメディアが彼らの番組の視聴者に対して後追い的に提供したのは、一次情報の断片を使用しながらも、一次情報とは異なった印象を抱かせる加工品でした。
この様な、人の誤解を誘う編集手法について、マスメディアは「出来上がった映像の素材は事実に基づいている」といい、編集権なる奇妙な言い訳を持ち出して自身の行為を正当化します。
しかし、事実の素材を継ぎ接ぎした結果が、未加工のありのままの状態と異なる印象を与えたとしたら、その結果は果たして事実を忠実に反映していると言えるのでしょうか?

一方、 マスメディアが目の敵にするインターネット上にも、信用に値しない多くの嘘があるのは事実です。
しかし、インターネット上の情報には予め『嘘が混ざっている』という前提に基づいて、多くの情報源から持ち寄った情報を相互に比較し、情報の断片に混在する嘘と真実を見分けてゆく作業を、当たり前の事として行ってゆきます。
そうして身についた情報リテラシーが、いつしか『編集権の行使』と称するマスメディアのねつ造行為の実態を暴く事に繋がるとは、当のマスメディアの中の人にとっても想定外であった事でしょう。

尤も、現時点ではインターネット発の情報の影響力は限定的であり、マスメディアの社会的影響力は今しばらく無視できない状態であり続けるでしょう。
ただし、インターネットを通じて情報リテラシーを身につけた人は、その後容易にマスメディアの流す嘘情報に惑わされる事はなくなるでしょう。
嘘を真実と思い込ませる事で利益を得てきた人々は、何れ自らが吐き散らした嘘のもたらす結果を受ける事になるのです。

今回はここまでとします。
次回は『衆議院選挙を終えて4』と題して、また後ほど。
【Silvercord】管理人

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