■ 匿名様の質問
第二次世界大戦中に日本人(日本軍)は他国へ侵略し悪いことをした、今でも反省していない、謝罪しろ・・・と韓国や中国の方々に言われています。日本国内にも自虐的歴史観を持つ人が多数いて、いまだに8月15日前後になると○○談話みたいな話が出てきます。
こちらのブログを拝見するようになり、靖国神社等へ参拝するようになりました。私の単なる思い込みかもしれませんが、靖国に祀ってある英霊の皆様が従軍慰安婦や南京大虐殺等を顔色変えずに行ったのか?あの時代の日本人はもっと気骨で礼儀正しく、同じアジア人を苦しめたのであろうか?もしかしたら、中には悪い軍人がいて、ひどいことをしたかもしれないけど、かなりの部分でコリアンや中国人のでっち上げがあったのではないか?と思うようになったのです。
靖国神社で出陣するさいに書いた母上あての手紙などを拝見すると、日本の軍人さんはもっと礼儀正しい、士気高い人たちだったのでは?と思うことがあります。
歴史の教科書や書籍を読むと、「日本人はこんなにひどいことをしたんだ~」と書いてあるものもあれば、田母神さんのように「アジアを解放するための戦争で決して日本人は野蛮ではない」というふうに書かれている書籍もあります。
文部省が日本人にきちんと歴史を教えないことが一番の原因です。そして、またコリアンや中国人がお金目当てに勝手に嘘を言っている部分もあると思えるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?
私としては日本人として真実を知りたいと思っていますし、祖父たちが戦争に徴兵されているので、仮にコリアンや中国のでっち上げであれば、祖父たちに濡れ衣を着せたことになると思うので、ある意味許せない部分があります。
私個人の意見としては、もしかしたら中には悪い軍人もいたかもしれない。ですが中国人やコリアンが言っているほど大げさな事件はなかったのかもしれない・・・と思っているのですが。
どうなのでしょうか?正直なところ、結論を出すことができないまま、この年まできてしまいました。
もしご回答いただけるのであればよろしくお願いします。
■ ぬこぬこ様の質問
上記の方々もおっしゃっているとおり、いわゆる「日本の過去の蛮行」というものに心底ウンザリしています。
反日教育をしている国の人達が話を大袈裟にしたり、でっち上げたりしているならまだしも、「日本の残虐行為」が未だに世界共通の認識になっているのに耐えられないのです。
震災時、世界中の人々が日本人の行動に感心したという話をよく聞きます。
でもそれと共に「過去は日本人はひどい事をしたけど今は素晴らしい」という感想や、「過去の残虐な植民地支配の歴史を水に流して今は・・・云々」の様な感想も少なからず耳にします。
戦争や占領、併合があれば美談ばかりではないのは理解していますし、
目を覆いたくなるような事も沢山あったでしょう。
でも、それはどこの国の歴史でも同じようなことがあったのではないですか。
「日本の残虐行為」を声高に喚きちらしている中韓米豪の方がよっぽど残虐ではないですか。
自分達を正当化したいからと日本を嘘をついてまで長年貶め続けて、あまりにも酷いです。人としてやってはならないことのはずです。
いつまで日本人は我慢しなければならないのでしょうか。
拠点が開放されることにより真実も明らかにされていくとのことですが、もしこのような真実もはっきり明らかにされるとしても、今まで嘘をばら撒いてきた国々はそれを必死で止めようとしたり、ごまかそうとするのでは・・・と思っています。
日本をずっと貶めている国、震災時に自国の政治の為に嘘を流して貶めようとした国、国内の反日勢力が代償を払う時は本当に来るのでしょうか。
世界中の誰にもわかる形で真実が明らかになるのでしょうか。
現在、個人個人がコツコツと草の根運動のように周知していく活動をしていますが、相手は国家ぐるみです。かなり厳しい活動です。
心穏やかに、細かい事はなるべく気にしないように日々を送ろうと心がけてはいるのですが、この事を考えると悲しいやら悔しいやらでかなり落ち込んでしまいます。
大変お忙しいかとは思いますが、いつかお返事をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
■ 英霊の皆様の回答
お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。
今回ようやく回答できる事になりました。
ちょうど関連のあるご質問もいただいた事ですし、お二方のご質問をあわせて回答させていただきたいと思います。
戦争当時の日本を悪に仕立てなければ、自らの非を問われる存在が居りました。
日本が力を持ち、世界への影響力を強める事に対して危機意識を持っていたのです。
だからこそ日本に汚名を着せ、弱体化させ、監視する事にしたのです。
先の戦争は、田母神氏が仰っておられる「アジアを開放するための戦争」というのは本当のことです。
それは、歴史的経緯を調べる事で自ずと理解できるでしょう。
あなたが仰っておられるように、日本にも様々な考えを持った方々が居りました。
私たちは別に聖人君子ではありませんから、時には失敗もしましたし、間違いを犯すこともありました。
泣いたり、笑ったり、時には怒ったり、些細な事で一喜一憂するようなごく普通の人間でした。
そんな、どこにでも当たり前にいるような人間である私たちが、皆様が眉を顰めてしまうような行為を嬉々として行うことなど、どうしてありえましょうか。
いくら戦争とはいえ、人を殺める事に恐れを感じない事などありませんでした。
ですが、殺さなければ殺されるという実にシビアな環境下では、何時までも怯えて震えているわけには行きません。
一人のミスが部隊全体を窮地に陥れてしまいますから、常に覚悟を決めて行動していたと思います。
人を殺める事に何も感じない者などいるのでしょうか。
今まで生きていた人間が、一瞬にして死んでしまうのです。
敵も味方もみんな私の目の前で死んだのです。
負傷し、苦しみ呻いている者も大勢いました。
その光景は地獄絵図と言っても過言では無い状況でした。
これほど恐ろしい事はありません。
それでも戦い続けなければなりませんでした。
戦わなければ殺されてしまいます。
生き残った仲間達と共に、私は必死に戦い続けました。
妻や子の姿を思い浮かべ、彼女たちの無事を祈りながら必死に戦ったのです。
結局、私は妻や子のもとへ帰ることは出来ませんでした。
命が尽きるその時まで、私は戦い続けたのです
「何としても守りたい」
そんな思いを抱えた、一人ひとりの日本国民が戦っていたのです。
無意味に大量虐殺するような無駄をする余裕は、当時の日本にはありませんでした。
とにかく物資が不足していたのです。
武器や弾薬は大変貴重なものでした。
本当に必要な場面でしか使えません。
ですから、罠を仕掛けたり、誘導して追い込んだり、とにかく工夫をして戦っていました。
それに、私たちが戦っていたのはあくまでも敵兵であり、民間人ではありませんでした。
ですから、民間人を大量虐殺することなど、とてもではありませんが考えられません。
外国に言われ放題の状態を我慢する必要はどこにも無いと思います。
日本は日本として、諸外国へ向けてメッセージを発信し続ければ良いのです。
言いたい人間はどんなに状況が変わっても言い続けるでしょうし、彼らの言動に日本が振り回される事は無いと思います。
日本が自ら発信する努力を怠らない事が重要なのだと思います。
外国の方は自分達に都合の良い情報を発信するでしょうから、外国とはそういうものだと思って、日本も負けずに発信し続ければ良いと思います。
偽りは偽りなのですから、どんなに頑張っても事実にはならないのです。
草の根でも何でも、諦めずに事実を発信し続ける事です。
そして、日本国内での認知度を上げることに努めましょう。
外国は所詮外国ですから自分達の思い通りにしようとするのは当然なのですから、日本国として情報を発信できる環境を整えることに努め、諸外国に対して毅然とした態度で情報発信を出来るような人物を政権の座に据えましょう。
どんなに些細に思える事柄でも、行動した分だけ、昨日より今日、今日より明日と、確実に影響力は増しているはずです。
一年前と現在を比べてみればよく分かると思います。
諦めずに努力し続ければ、必ず成就する時が来るのです。
(2011年10月25日)
かねてより日本の近現代史に関心を持ち続けている者の一人として、この様なテーマに目を向ける方が増加しつつある現状を好ましく思います。
また、英霊の皆様の回答への補足として、記事【ヒトラー霊が読者の皆様の質問に答える(その2)】の中で、アドルフ・ヒトラーと名乗る霊が最後に述べているコメントもご覧頂ければと思います。
同時に、「日本の残虐行為」を声高に喚き散らしているのがどの様な人々で、その国はこれまでにどの様な歴史を刻み、また現在どの様な状態にあるのかを具に観察すれば、自ずと真実は導き出されるのではないでしょうか。
Silvercord管理人
10月26日現在回答待ちの質問
ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問のうち、以下のものについては回答待ちとさせて頂いております。
中には長期間お待たせしている質問もございますが、只今順次回答しておりますので、今しばらくお待ち下さい。
- 記事【日本は法治国家である】のコメント欄からお寄せ頂いたたらこ様の質問「三島由紀夫氏が死後霊界でどの様に過ごしたのか」について
- 記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】のコメント欄からお寄せ頂いたあやめ様の質問「霊的な視点から見た『東北地方太平洋沖地震』発生の理由」について
- 記事【日本の偏りと中国の偏り】のコメント欄にお寄せ頂いたたらこ様の質問「戦後の日本人にとって皇室は敬う対象ではなくなってしまったのではないか?」
- 記事【日本の神々と英国の神】のコメント欄にお寄せ頂いたはつゆき様の質問「人が神の一員になるほど成熟したと判断される基準は何か?」
- 記事【原点に返ってみよう】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問「野田首相と松下政経塾出身議員について」
8 件のコメント:
やっと戦時の英霊から直接意見をお聞きすることができました。
私も自虐史観で日本を貶める者達に不快感を募らせていた一人です。
そして、昭和天皇や帝国軍人を無条件に悪と思い込むようになってしまった大多数の日本国民に対して失望してもいました。
ですが、亡くなった兵隊さんからのご意見を直接お聞きすることができ、日本の歴史に自信を持つことができました。
今を生きる我々日本人が亡くなった英霊の皆様に代わって、自信を持って現状が改善されるよう努力していけばいいという指針を持つことができましたからね。
それはそうと、亡くなった英霊の皆様方の中には、日本の敗戦と国土の荒廃を目の当たりにして黙っていられず、日本復興の為に直ちに転生を目指して、これを果たした方達なんかも多数いらっしゃるのでしょうか。
英霊の皆様、ありがとうございます。涙が出てきました。
皆様の方が今の私たちよりずっとずっと悔しく歯がゆく状況を見守って来られたのでしょう。皆様が笑顔で私たちを見守る事ができる日本にできるように少しづつでも行動してゆきます。世間が、世界がわかってくれないと諦めることなく、地道にやっていく事が重要なのですね。
ヒトラーさんの回答読みました。彼の話に矛盾が無いのですごく納得できました。今のこの世界の状況を生み出したのは誰かも今でははっきりわかります。彼が本当は何と戦っていたのかも。
彼の言葉「国民性は数十年で変わるものじゃない」は本当によくわかります。国民性、民族性は何百年たっても何があっても劇的に変わらないものだからです。ドイツ国民もひたすら耐えてきたんですね。
そういえば、最近ヒトラーさんの写真展が開かれたり、「我が闘争」が
ドイツでも出版できるようになったとのことで、評価も変わってきたのかもしれないですね。ヒトラーさんはどう感じておられるのでしょうね。
世界の経済が混乱し、実質世界を助けることができるのは日本とドイツだと聞いています。複雑な気分ですが、散々悪者にしてきたこの2国に助けられるというのは他の国はどういう気持ちでしょうね。
本当に助けなければならないのなら、日本とドイツの名誉回復だけはしっかりしてほしいです。これだけは本当に望みます。
10月26日2:13投稿の匿名様
英霊の皆様の回答が届いております。
そうですね。
あなたが仰っておられるように、転生して日本国民として復興に尽力された方はおられます。
あるいは、家族の元へ子や孫として転生し、共に過ごしている方もおられます。
前世の記憶はありませんが、今でも日本のために懸命に活動している方がおられます。
転生を望んだ方は、皆様と同じ目線で世の中を見つめ、人間として共に生きてゆきたいと思われたようです。
だいぶ涼しくなりましたね~。
節電の夏も終わり、ようやく秋らしくなってきましたが、
体を壊さないようにして下さいね。
いつも良心的な記事をありがとうございます。
今回も勇気を頂きました。
>ぬこぬこさん
仰せの通り、欧州はドイツ頼みそして世界全体では日本頼みの構図がだんだんと鮮明になってきておりますね。
反日の勢力にしても資金源、生産財、技術面などほとんど日本に依存しているので本来ならば、日本を繁栄させておこぼれを頂くならまだしも、現状では自分たちを生かす基盤でもある日本という国を破壊しようというのですから、結局は自分の首を絞めるようなものですね。
いったい君たちは、自分のやっていることの意味が解っているの?いい加減になさい!と言いたい気持ちです。
日本を貶める言動は、2000年前パリサイ人、サドカイ人たちがイエスを貶めて罪人扱いしていた構図に見事に重なりました。
であるならば、マスゴミ、カルト宗教、利権に食い込まれている政界、教育界などなどによって外見上は反日たちの悪行がうまく行って一見死んだように見えるこの日本も、絶対に復活すると思います。
しかも復活した日本は・・・驚きの状態かもです。
この世界中に蔓延した「日本軍の蛮行」「南京大虐殺」これらや
「戦争を早く終わらせるために原爆投下は正しかった」という意見は
今後も根強く残り、簡単にはいかないでしょうね。キリストが3日で復活したようには。
もちろん私たちは意見を発信し続けなければなりませんが。
正直一国で頑張って覆すにも、その日本国内でも教育によって信じている人が
たくさんいる状態で、なかなか大変なものですね。
TPPや領土侵略、売国、予断ならない時期ですが、まずこれらはそもそも
アメリカがもたらした面もあります。いずれアメリカとは、やっていけなくなるのではないでしょうか。
2011年10月26日2:13 の匿名より
以前、英霊の皆様からお返事を頂いてから、もう一歩踏み込んだ質問をしたいと考え、その質問内容を少しずつ書き溜めておりました。
ですが、残念なことに、運営方針の変更から質問の受付は終了してしまったとのこと。
もう英霊の皆様からお答えを頂くことは叶わなくなりましたが、折角書き溜めた文章をお蔵入りしておくのも忍びないので、一応投稿することに致します。
英霊の皆様に読んで頂けるだけでも嬉しいですし、何らかの形でブログの内容に反映されるようなことがあればこれ幸い、ということで、以下その内容を記します。
2011年10月26日2:13 の匿名より
英霊の皆様、先日は私の質問にお答え下さりありがとうございました。
まさかお返事を頂けるとは思っておりませんでしたので、驚きと共に大変嬉しく思いました。
さて、これに味を占めて繰り返しの質問に恐縮する思いでありますが、先のお話の中で、英霊の方の戦地における心情について記述されていた部分に興味をひかれました。
該当箇所は、以下の部分です。
>生き残った仲間達と共に、私は必死に戦い続けました。
戦地のような極限状態におかれると、個々の人間の本質的人格・我慢の限界値・戦闘状態への適性等、色々露見してくるのではないかと思います。
そんな中だと、たとえ職業軍人であってもその適性に差が出てきて、人によっては足を引っ張る、即ち「一人のミスが部隊全体を窮地に陥れ」るような行動を犯してしまいがちな者もいたのではないかと思います。
大勢で構成される部隊の中で、そして死と隣り合わせの戦地で、そういった個性の差とはどのように付き合っていたのでしょうか。
団結力に基づいて、自然と適材適所の役割配分がなされていたのでしょうか。
私の勝手な想像では、「頼りになる人が前面に押し出されて、ちょっと危なっかしいところがある人は一歩下がって補助的役割を占めるようになる、そして禁忌行為をしてしまわないよう回りが補助をする」、そんなイメージを持っております。
それとは別に、戦地の状況についても一つお伺い致します。
時期と場所によって全く異なるとは思いますが、特に後期の南方方面では、暑さ・湿気・虫・豪雨等、日本と比べるとかなり気象条件が異なり、大変過ごしにくかったのではと思います。
更に追い打ちをかけて飲食物が不足するとなると、肉体的のみならず精神的にもかなり堪えるのではないかと思います。
厳しい環境においては、ストレス解消に飯はかなり重要だろうと個人的には思っております。
きつい肉体労働の後は、誰しも腹一杯飯を食べたくなるものだと思います。特に若いうちは尚更。
加えて圧倒的劣勢の状況で弾がバンバン飛んでくる中で戦闘となると、ストレスと絶望感が半端じゃないと思います。
実際はどのような感じだったのでしょうか?
そういった戦場の生々しい実情というのは今の時代に一番必要で、且つまだ世の中に不足しているのではないかと思い質問致しました。
特に、亡くなった方の目線でこれを語られたことは基本的にはない筈ですので。
>妻や子の姿を思い浮かべ、彼女たちの無事を祈りながら必死に戦ったのです。
これを聞いてちょっと安心しました。
自分だったら母や妻子の事を思い出したり、「あ~帰りてえなあ」と内心思ったりすると思うんですよね。
夜にこっそり日本の方角を眺めながら「俺だけこっそり帰ってしまおうか」と考えたり、「家帰って腹一杯飯食って風呂入って寝たいな」とか。
その場でそういう感情を表に出すことはあまりないかもしれませんし、そんなこと言っていられる状況でもないとは思いますが。
実際のところは、自分達が守らねば帰る家も無くなる状況で、死を覚悟して戦地に臨んだ場合は、そこまで緩い気持ちが湧いてくることはないものでしょうか?
今時の日本人がそこまで追い詰められる経験をすることはまずありませんから、どのような心境であるのか想像ができません。
>結局、私は妻や子のもとへ帰ることは出来ませんでした。
(被弾して?)亡くなった時は、どんなお気持ちだったのでしょうか。
差支えなければ、可能な範囲で話して頂ければと思います。
もし自分だったら、「無念ではあるが軍人としてはとりあえずお役御免。あとは先に逝った仲間達と一緒に、生き残った仲間達と家族を見守ろう」と考えるかもしれません。
実は先日、英霊の方達の転生について質問したのは、この話と関連しています。
戦後日本をあの世から見守るも、国土は焦土と化し、家族は死に、米軍にいいように振る舞われている有様では我慢も限界に達する人がいたのではないかと。
自分に何ができるのかはわからないまでも、一日本国民として黙って見ているわけにはいかないと転生された方が大勢いたのかなと想像したわけです。
ただ、「また子供からやり直しかよ…」と躊躇する気持ちもあったのでは、なんて考えたりもします。
子供時代にだって良いことは沢山ありますが、成長するには時間がかかりますからね。
>命が尽きるその時まで、私は戦い続けたのです。
そうした方達が自分達の先祖である事を本当に誇りに思います。
英霊の皆様にも両親と妻子がいて、一家の大黒柱である自分が戦地で死ぬことがあれば、家は大変なことになるのは分かっていながら、家族共々皆覚悟して戦地に臨んだのかなと思います。
ですが、そこまで日本人を追い詰めたのはアメリカを中心とした欧米列強国であったというのもまた事実です。
ですから、アメリカに対して強い憎悪の念を抱いてもおかしくはないと思います。
皆様はその負の感情とどのように付き合い、また解消していきましたか?
私自身は、先の大戦のことは現在のアメリカ国民と直接関係のないことですので仲良くしたいと考えているのですが、その歴史のせいか、深層心理の中では強い憎悪を抱いているように思えます。
理性でわかっているつもりでも、心の奥底では気持ちの整理ができていないのだと自己分析しています。
実際アメリカ人に良い奴は沢山いて、戦争がなければ仲良くできたかも…を実現できるのはまさに今!だったり、別に過去の大戦に関して某k国人みたいに責める気も全くないんですけどね。
そもそも戦争を始めたのはアメリカの一般国民ではなく、アメリカ政府ですし。
実生活上では寧ろ、アメリカ人目線から見た「日本軍の姿」についての話を聞いて新鮮に思ったりと、戦争についても平和的に話せてなかなか楽しかったりしますし、とても仲良くできます。
そして、過去は本気で殺し合い、今は最大の仲間であり、現在では憎愛絡んだ不思議な関係であると思っております。
だからこそ、二国間関係においても、お互いのことを良く理解し合って、双方の良い所を引き出し合うような関係になれればなと思います。
また、個人的にも、日本に来てくれたアメリカ人とは仲良くなれたことだし、次は自分がアメリカに行って彼らを知るべきかなと思ったりもします。
但し、英語はからっきし駄目です。
中高生の頃は「敵性外国語だけを必修科目にするとは、文部省はアメリカの犬か!」と本気で怒り、英語を忌み嫌っていたような有様でしたから、一切勉強していませんでした。
激しい嫌悪感が噴出してきて、これが邪魔をして勉強できなかったのです。
>「何としても守りたい」そんな思いを抱えた、一人ひとりの日本国民が戦っていたのです。
今の日本人の多くは、帝国時代を暗黒時代だと誤解しているように思えます。
その発想の根底には、「触れると厄介な悪い過去がある、それは日本軍が悪行を働いたという過去に他ならない」という意識があるように思います。
更にいうなら、経済的に貧しく、医療や科学技術が極めて未発達で、言論や行動に自由がなく、軍事力を背景に海外で暴れまわっていた、というような誤解です。
まるで、北朝鮮=戦前日本とでも言いたげな発想です。
しかし、これはあくまで個人が抱いた感覚的なものに過ぎず、客観的資料に基づいた事実ではないと思います。
個々人が、この感覚を抱くのに一役買っているのが、歴史教育です。
「日本は領土的野心を燃やして、近隣諸国に侵攻し、多くの悪事を働いた」と教えていますからね。
ですが、現在の日本の日常から推察するに、日本人は日頃からそのような発想を抱いて生活している国民でしょうか?
答えは、上記の『「何としても守りたい」そんな思いを抱えた、一人ひとりの日本国民が戦っていた』という言葉にあると思います。
これに基づいて考えれば、当時の日本人も今の日本人も何も変わらぬ同じ人だという、ごく当たり前の前提に気付ける筈です。
その同じ日本人が、戦時だけ急に「極悪非道の虐殺集団に変わった」というのはおかしな話です。
東日本大震災時、日本は各国から日本国民の行い・性質を称賛されましたが、この事実と大きく矛盾します。
我々は無秩序になるほどに助け合い・団結するという国民性を持っている筈はありますが、殺したり・奪ったりと非生産的なことに走る発想は頭に浮かんでこない筈です。
この日本は極悪という話は、「そういう話になってくれないと都合の悪い人達(国)が、そのように話を捻じ曲げたのだ考えるのが自然だ」と、私は考えております。
因みに、特亜の人達は、日本人極悪非道説が自分達にとって都合がいいと気づき、後からタダ乗りしてきたに過ぎないと思っております。
嘘というのは、嘘をつく本人の発想力の範囲内でしか作れませんから、その嘘をよくよく分析してみれば、一体誰が作り出した嘘であるのかを炙り出せるものと思います。
当時の日本軍の活動をカラー映像で見ることができるのであれば、現在の日本国民にも真実が一発で伝わると思うんですけどね。
当時でも現在のように、携帯で誰でも気軽に動画撮影してネットに投稿できる環境であったならば、先の大戦に於ける自己評価は大分違ったんですかね。
ですから、今の日本にとっては、当時の真実を記した資料の保存と公表がとても大切だという教訓になっている気がします。
上記の点、英霊の皆様はどのようにお考えでしょうか?
私の推論に誤りがあれば、それを指摘し、修正して頂ければと思います。
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