2010年5月22日土曜日

罪と動機について

今回は、記事【『ヒトラーの予言』について】 のコメント欄にて、はつゆき様から頂いた質問に対する霊界の住人の皆様の回答が届いておりますので、寄せられた質問と共にご紹介したいと思います。





■ はつゆき様の質問

質問は、罪と動機についてです。
悪いことをすれば応報が下る、ということは恐らく事実で何の疑問もありませんが、問題は、こちらの世界で暮らしていると、その応報が見えづらいことです。
以前にカーチス・ルメイと繋いで頂きました。(【カーチス・ルメイ霊の言い分】)何カ国もの一般国民を焼き殺した上にキューバ危機を勃発させて核戦争を起こす一歩手前まで踏み込んだ犯罪者ですから、てっきりスターリンあたりと地獄で遊んでるかと思っていましたが、真実は全く違うものでした。静かな環境で日本を観察していると聞き大変驚き、そして憤っています。

国を守るために必死だったのは理解しますし、その動機は全く正当なものです。しかし動機が正しければ街を幾つも焼き払い、30万人以上の一般人を焼死させて良いのでしょうか。核戦争を起こそうとしても許されるのでしょうか。
何故、そんな静かな場所で、かつて焦土にした国の観察が許されるのか、かろうじて理解はできても納得がいきません。


国家間の因果応報はよく分かります。今のアメリカという国を見ていると、比喩でもなんでもなく毎日内戦状態ですから。
子供の学校給食すら食品会社に握られて、食育という概念すらなく身体の内部から破壊されていく。身体も心も壊れて医療費も薬代もかさむ一方で、その上国民保険もなく、経済的に苦しい人は何の処置もできずに死んでいく。資本主義の弊害ここに極まれり、といった様子で滑稽ですらあります。
その上、詐欺経済に乗って経済力が崩壊する日が来ました。
日本からも食養の専門家が助けに行きましたが、広がるのは上流階級ばかりで、本当に必要な人たちに情報が行き渡りません。本来は健康を得られるのは経済的に苦しい人たちなのに、経済的弱者が情報弱者に陥り、その結果、健康弱者になる異常事態に陥っています。
(もちろん、これら傾向は日本にも顕著に現れていて、大いに危惧しています。)

アメリカも、かつては質素で健康的な家庭料理が多かったですが、第二次大戦後から一気に崩壊してしまいました。外の敵にばかりに感けていたら、内部から壊れるとは、因果応報は物凄いなと感心します。
せっかく心を殺して敵国民を何十万人も焼き殺して戦争に勝ったのに、その守りたかった祖国が内部崩壊でボロボロになるなんて哀れなものです。個人的には笑いが止まりませんが。
わが国だって笑ってなどいられる状況ではありませんが、こちらには改善する技術も知識も人材もあります。

長々と脱線してしまいましたが、そんなわけで国家間の因果応報は実感できます。しかし個人間の因果応報がよく分からないのです。
近代史初の死者10万人を突破した大量虐殺(東京大空襲)の指揮官が、動機が正しいというだけの理由で静かな環境で居られるのは何故でしょうか。これから彼にはどんな応報が待っていて、どうやってこんな大罪を償うのでしょうか。
何よりも、焼き殺された人たちは、この現状を許しているのでしょうか?






■ 霊界の住人の皆様の回答

「因果律と言うものは、第三者が溜飲を下げる為に存在しているものではありません。
あくまでもご本人がそれらの経験から何を学び取り、どのような判断を下し、これまでの経験を踏まえた上で何を求めてゆくのかと言うのが大切な事なのです。
これまでの経験から何も学び取る事が出来なければ、同じ過ちを永遠と繰り返し、その度に心の中には絶望と虚しさが広がるのみとなるのです。
第三者から見た場合に因果律が働いてはいないように思える場合でも、それはあくまでも観察している第三者の主観であって、その中心にいるご本人の思いとは異なります。
例え、表面的には恵まれた環境にあるように見えたとしても、そこが必ずしもその方にとっての楽園とは限らないのです。
それは、今現在経験しているご本人にしか分からない事であり、第三者の目を通してどのように見えていたとしても、それはあくまでも表面的なことであり、物事の本質を映し出してはいないのだという事をご理解いただきたいと思います。」

(2010年5月20日)





霊界の住人からの回答は、因果律についての解説と言うよりは、質問の内容から垣間見える姿勢を戒めるような回答となってしまいました。
『因果律(物事の原因と結果の関係)』とは、単純に「良いことをすれば祝福があり、悪いことをすれば罰を受ける」と割り切れる類のものではありません。
この記事をご覧の皆様の中に、もしその様な見解の方がおりましたら、今一度身の回りの出来事を詳細に観察しながら考え直してみる必要があると思います。

【Silvercord】管理人 

9 件のコメント:

  1. この件に関してはまったく関係ないのですが、私事、
    すごくタイムリーな回答とご意見(解説?)でした。
    人の振りみてわが振りなおします。 m(_ _)mありがとう。

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  2. >これまでの経験から何も学び取る事が出来なければ、同じ過ちを永遠と繰り返し、その度に心の中には絶望と虚しさが広がるのみとなるのです。
    >第三者から見た場合に因果律が働いてはいないように思える場合でも、それはあくまでも観察している第三者の主観であって、その中心にいるご本人の思いとは異なります。
    >例え、表面的には恵まれた環境にあるように見えたとしても、そこが必ずしもその方にとっての楽園とは限らないのです。


    なんだか、『現実』と重なりますね。
    日本も、自国の人間からすると、これだけ
    内部に問題を抱えているわけですが、
    事情の知らない他国から見れば、
    今でも非常に恵まれた環境に見えるのと
    少し似ているかもしれません。
    (実際に環境的には恵まれて居ますが、そこの住人の精神状況が、幸福感に包まれているかといえば、そうでもない)

    >これまでの経験から何も学び取る事が出来なければ、同じ過ちを永遠と繰り返し、その度に心の中には絶望と虚しさが広がるのみとなるのです。

    結局、仏教でもそうですが、
    『今生とは、修行』なんですね。。。

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  3. baseheat様

    差し支えなければ、そのエピソードについてご披露頂けますか。
    ご覧の皆様の参考になるかも知れません。

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  4. 遠い唄様

    “無理矢理やらされている”という意識の強い方でしたら、或いは『修行』と受け取るかも知れません。
    一方、知的好奇心が旺盛で、未知の知識を新たに習得することに貪欲な方に取っては、必ずしも『修行』とは受け止めていないのではないでしょうか。
    是非、人生を楽しみながら学ぶコツを身につけて頂ければと思います。

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  5.  この度はお取次ぎをありがとうございました。
     因果律とは、あくまで個人的なものであって客観性には欠けるものだという意味だと解釈しました。遠い唄様の日本の現状に喩えた解釈がとても分かりやすくて、すぐに納得できました。
     物理的に恵まれているから心が満たされていると限らないのは、全くその通りです。霊界の方ほどマクロな目線で観るのは恐らく無理なので不満が完全に消えることはありませんし、増してや恨みが消えることもありませんが。

     霊界の中の方にとっては、民間人の大量虐殺すら「経験」の一つだというのは分かりました。あらゆる事象に区別なく結果が返って、学びと選択を突きつけられる、それが因果律というものなのでしょうか。
     こちらで暮らしてると、どうしてもミクロな目線になりがちなので理不尽にしか見えないことも多々ありますが、「本当に必要のないことはこの世に存在しない」ということなんですね。
     納得はまだできませんが、理論としては理解できます。この度はありがとうございました。

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  6. はつゆき様

    因果律の客観性は担保されております。
    霊界の住人は例外なく『寸分の狂いもない』と述べておりますし、私も自身の人生経験からほぼ同様の結論を得ております。
    第三者が物事の因果関係を確認できないのは、観察する第三者が人間である為、知覚的能力の限界により、ある物事の原因から結果へ至る全体像を把握する事が出来ないからです。
    その原因から結果へ至るサイクルは、一度の人生の中で一巡りする場合もあれば、現世で生じた原因を来世で結果に結びつける場合もあり、その一サイクルの内の一部分を切り取って因果関係を推し量ろうとしても、偏った部分的な理解に留まってしまいます。

    さて、質問にある『カーチス・ルメイ』と名乗る霊の生前の行動については、まだ因果のサイクルが一巡りしていないと思います。
    何故なら、生前の彼の考えや判断と行動がもたらした結果について、彼なりの結論が出ていないと感じたからです。
    今、彼は生前の考えや行動について振り返っている最中です。
    その中で感じた疑問を解明したいと望み、観察を続けているようですので、向上心はあります。
    今後、カーチス・ルメイ霊が疑問の答えを見つけ出して、再び人間としての経験を積む中から確信を掴む事によって、ようやく因果の一サイクルが巡ると考えております。
    なお、スターリンの場合は、生前の自身の行為について、カーチス・ルメイ霊に見られるような疑問すら持っていないと思われますので、両者を同様に見る事は出来ません。

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  7. 管理人様
    baseheatです。
    エピソードをということですが、日々の中の些細なことの積み重ねの話になりますし、うまく伝えられる自信はありません、その点ご了承ください。
    2010年1月4日月曜日の通信に、「日本の神様のお言葉 」がありましたが、その詳細は、日頃、特にこの数年、折に触れ何かと心に留め置いてきたことに通じるものでした。
    ただ、今の世界の状況においても、又、日々の自分の生活においても、困難に直面した際、怒りや悲しみの感情が先に走ったり、自分が思い描く結果にならなかったことへの焦燥感で、認識できなくなってしまう物事があります。
    じっとこらえて状況を観察するなり、余計なフィルターがとれるまで自らに問いかけ真実を見極めようとする、その時に自分にできることをきちんとやりとげる、といったことを放棄してしまいます。経験上はそれをやることで全体がみえたり、次への扉の前に立てることがほとんどなのにです。
    歩くべき道を歩けていたのに、そうやって自ら轍にはまって歩めなくなるというパターンは、何度か体験しているうちに回避できるようにもなりますが、自分のウィークポイントの事柄や、その時の自分の状態が不調だったりすると、頭では分かっていてもなぜだかコントロールが効かなくなります。
    このところずっと抜けきれないでいる対人関係の轍があります。この春は天候さながらにアップダウンが激しく、その度ごとに自分の言動や行動、そこに至った考えの道筋を問い直して、いたずらに悪く考えないようにしてきたのですが、感情的に追いついていかず、なぜこんな理不尽な生き方をしなきゃいけないのかと怒りを抱くようになりました。本来、自分が求めるのは、互いに理解し創造的ないい関係を作ることでしたから、まともに思考できていれば「心に恥じるところがないのなら、これは何か気づくべきことがあるのだろう・・・」くらいに考えが及ぶのですが、そうなる冷静さをもてずにいました。
    前回コメントを読んだ時、第三者的に「『因果律(物事の原因と結果の関係)』とは、単純に「良いことをすれば祝福があり、悪いことをすれば罰を受ける」と割り切れる類のものではありません。」を目にしたことで、自分で息をつめていて苦しんでいることに気づきました。戦うべきは己の幻想とです。自ら作った幻に嵌るようでは、他者の幻にも簡単に取り込まれてしまいます。困難なときほど、心してかからなければと思った次第です。

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  8. baseheat様

    私たち人間にとって『感情の動きをどの様に制御するのか』は、とても重要な人生のテーマの一つだと考えております。
    私たちは、辺り構わず直接的な感情表現を行なう事によって、周囲との摩擦を生む可能性がある事を、人生経験を通じて学んでおります。
    かといって、単純に感情表現を抑制してしまっては、却って精神的に疲弊してしまいます。
    人間は元々様々な感情表現を行なう仕組みを備えておりますので、精神衛生上、素直な感情表現を妨げるべきではありません。
    そこで考えたいのは、周囲との摩擦を避けながら感情を表現する為の手法・技術についてです。
    具体的には個人の経験から学ぶしかないと思いますが、一度身につけてしまえば過度の精神的ストレスを感じなくなり、また周囲との人間関係も円滑になります。
    そこで、感情表現の仕方を上手く制御する為には、まず自分自身の感情表現がどの様に為されており、周囲にどの様な反応があるのかを観察して、感情表現の仕組みを理解する必要があります。
    どの様な感情にも原因となるイベントがあり、その感情表現を行なった結果として、周囲から何らかの反応があります。
    その原因と結果の関係を理解する事によって、自分自身の感情表現を制御する適切な方法が導き出されるのです。
    感情が高ぶっている時に冷静になるのは難しいかも知れませんが、まずは一時的な感情の高まりが収まったときに、「何故あの様に感情が高まったのだろうか」と振り返る様に心がけると、ご自身の感情の動きを理解する参考になると思います。

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  9. 管理人様
    コメントありがとうございます。
    この方法はとても有効に思います。己の姿を捉えられていないと、何をどう制御していいのか、闇雲に自制することになりかねませんね。
    ちょっと横道に逸れますが、わざわざ他者の感情を損ねさせようとする方の手口に踊らされない為にも有効かもしれません。

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