匿名様ご希望の『小津安二郎』と名乗る霊は、この度の依頼に少々戸惑ってしまったようですが、快く応じて頂きました。
■ 匿名様の質問
いつも興味深く読ませていただいています。こちらでは数々の例の方々のお話を伺っておられますが。主に政治家が多くたとえば文化人・芸術家の霊のお話を伺うことはできますでしょうか。私は映画監督小津安二郎の霊に現在の日本人のあり方についてどう思われるかお聞きしたいです。映画人生の中で一貫して日本人家族の絆と愛情の綾を描かれ、また支那・シンガポールと2度に渡って従軍された小津さんに、現在の日本人が特に大切にしなければならないことと、今後日本とアジア、中国との関係についてどうあるべきかをお尋ねしたいです。
■ 小津安二郎霊からの回答
「私にこのような機会が与えられた事に戸惑いを感じてしまい、お返事が遅くなってしまいました。
ご質問をいただきました匿名様には大変申し訳なく思っております。
私の話がどれ程皆様のお役に立つのかはわかりませんが、折角いただいた貴重な機会ですからお話させていただこうと思います。
先ず、第一に申し上げたい事は、匿名様が耳を傾けるべき相手は私のような故人ではなく、今現実に日本で生きている皆様の言葉だと思うのです。
“今を生きている” それだけで、その人々が語る言葉はそれぞれの立場なりの真実であり、それこそが今の日本の現実であると思うからです。
様々な意見があるでしょうし、中にはとても納得出来ないような意見を述べる方もおられるでしょう。
ですが、それはそれで今の日本が抱える現実の一つであり、その姿が形となって表面化しただけであると思うのです。
それらの現実も、これからの日本の指針を考える上でとても貴重な判断材料の一つと言えます。
どのような意見も、その全てが今の日本の現実であり、その現実に真正面から向き合う必要がありますね。
皆様が目指す未来へと日本を導く為にも、今抱えている問題を解消する術を考えなければなりません。
その為には、今の日本の現実をキチンと把握する事、先ずそこから始める必要があると思います。
誰しも、苦しい事や辛い事、不安な事などからは目を背けたいと思うものですが、目を背けてばかりいては解決する事も儘ならず、問題を先送りするだけで状況を悪化させてしまいます。
今、日本の皆様に必要な事は、現実に向き合う覚悟と、未来へと希望を繋げる為に一歩前へ踏み出す勇気のように思います。
一度覚悟を決めてしまえば、後は望む未来の実現の為に出来る事をコツコツと成し遂げれば良いだけだと思いますから。
中国などのアジア諸国との関係について、日本は今後どうあるべきかお尋ねでしたね。
それでは逆にお聞きしますが、日本の皆様は今後、中国などのアジア諸国とどのような関係を望みますか?
その返答次第で日本の取るべき対応が変わってきます。
先ず、日本がアジア諸国とどう付き合って行きたいのかを明確にする必要があると思います。
そうでなければお話になりません。
日本の未来は誰かが与えてくれるものではなく、日本国民である皆様が創造するものだと思うのです。
だからこそ、国民一人ひとりが、日本の未来を真剣に考えてみる必要があるように思います。
日本自体がどのような国でありたいのかを明確にしない限り、諸外国に対応しようが無いように思うのです。
柔軟である事と優柔不断である事の違いを、キチンと理解する必要がありそうです。
自我が確立していて初めて柔軟な姿勢をとる事が出来ます。
一方、自我に乏しい状態だと優柔不断になってしまいます。
この両者の違いをキチンと理解出来れば、今の日本が抱える問題は解決出来ると思うのです。」
(2010年6月5日)
小津安二郎という方については、生前映画の制作に携わっておられたという以外には、殆ど存じ上げておりませんが、この度は慎重で抑制的ながらも、非常に考えさせられる回答を頂けたのではないでしょうか。
回答と言うよりは、私たちの自覚を促す為の問いかけと言えるかも知れません。
質問者の匿名様、そしてこの記事をご覧の皆様は、小津安二郎霊の意見について、どの様に答えられますか。
- 「現在についての問いかけでしたら、故人よりも現代を生きる方にこそ問いかけては?」とのご意見について。
- 「日本の皆様は、今後中国などのアジア諸国とどの様な関係を望みますか?」との質問について。
これまでの日本国民の皆様には、「自分自身が何をどの様にしたいか」が曖昧なまま、周囲の様子を伺って「なるべくその場を穏便に済ませたい」傾向が目立っておりましたが、それでは相手に誤ったシグナルを送るだけで建設的な関係を築く事が出来ません。
そもそも文化的な背景や価値観の異なる者同士ですから、互いの理解が充分に深まるまでには様々な誤解や衝突の繰り返しは避けられません。
この数十年間、日本はそういった外交関係のイヤな側面から逃げて回っていたのですが、そのまま逃げてばかりでは国の行く末を危ぶませる事に気付きつつあります。
その様な現状を踏まえて、ご覧の皆様は小津安二郎霊の問いかけに何と答えられますか。
【Silvercord】管理人
14 件のコメント:
僭越ながら管理人さんへ
コメをほとんどしない身の上でありますが前エントリーからつながると思うので手前勝手ながら失礼します。
学もないので分かりにくい様でしたらすいません。
>「現在についての問いかけでしたら~
迎合するような物言いになりますが小津氏の仰る通り。
この世に生きる当事者間の人間の問題でしかないからです。ただ
人は経験であれ情報であれ得たものから良には良い感情、悪には悪しき感情で偏る。良し悪し双方を知ったとて主観がある以上良悪どちらかに靡きます。
中立は演じることはできても本当の心根はそうではないでしょう。現世に生きてると現世人間は色んな意味での縛りがキツイのでは?と想像しています。
ですからへたな縛りなしに人間を俯瞰できると思う(私の勘違いでしたら後記に意味はありません)霊界の方の言葉は信じる信じない学ぶ学ばない別にしてある考えの指針になったりします。事実私は自己を考える上で大変勉強になってます。そういう意味において霊界の方の言葉は大変貴重だと思います。勿論今を生きる人の言葉は重要です。
双方あって更に好しというのが私感です。
>「日本の皆様は、今後中国などのアジア諸国~
今の日本の現状を鑑みますと特アへの記述が大半になる事お許しください。
今の日本を俯瞰して見ますと外国人(特ア体勢)に侵略されています。で日本人の怒りは全てここに集約されている。もし友好を望むのならば侵略者が起こした日本への暴虐の償いをし怒りを掃わなければ反発は続くでしょう。日本人に隙があったとしても。
そのためにはあらゆる賠償、謝罪と徹底した人間性の向上が全ての解であると思います。
これは侵略者自身の問題で彼らの努力しだい。
バレて懐柔工作に必死ですがこういう心根にしても現状の彼らに友好唱える資格はないと思ってます。
全て水に流そうよが彼らの理想でしょうがそんなご都合は通用しないんじゃないかな。
私がベストだと思うのは極力関わらないことです。貿易だけでいい。互いに無駄な意識も必要ないし怒りも湧かず穏やかに生活できる。日本へのあらゆる害が強すぎる以上特アとの関係はほぼ終えていい。これが経験したことへの答え。全ての人たちと仲良く~と理想が自分にもありましたが自分の周りの日本人同士の人間関係でさえ残念ながら理想にはなりえません。
国も相手の都合のいい一部を拡大解釈して判断するのでなく総合的に良し悪し判断し切るべき所と仲良くするべき所を自覚して取捨する時代なんだろうと感じています。
関わらなければ彼らも関わるための努力(工作でなく向上)するかも?しれません。
犯罪性の低下や人間性が向上すればそれはまたその時考えればいい。100年程度では無理だと見ますが。
他のアジアも警戒するべき所は中華圏等ですか。
ほとんど特ア絡みなんですよね。
結局どこと付き合うにしても友達とか奇麗事でなくドライに国益前提で、が基本です。
害があれば国益と比べてその都度判断すべきかなと。
はじめまして。
私事ですが、今日の文中にある『覚悟』という言葉、昨日今日で何回も目にしておりまして、こちらのブログに来てみたらまた…『覚悟』。
私も、現在の日本人は、今を生きることへの『覚悟』と『責任』を問われているような気がしておりましたので、今回の小津先生の言葉は、とても納得するものがありました。
その上で、アジア各国との付き合い方をどうするのか?
それは、個々に自立した国同士として、区別された関係、ルールと理性に基づく関係になることを目指すべきです。
日本はアジアで最も近代国家の経験値を蓄積した国であります。
成熟した国家として、周囲の国をリードする、手本になる責任があります。
成熟度が伴っていない相手を甘やかしてもいけませんし、現在の隣国との関係をみれば、正常な国家間の付き合いにするために、強硬な措置も取らねばならないやもしれません。
それが最終的に相手方の成長にも繋がるのでしょうから、今の日本人は、自国のためにも、他国のためにも『覚悟』を決めねばならない時期に来たのだと思います。
今の日本はマックス・ウェーバー先生の『職業としての政治』で示された状況(虚栄心を克服した、真の道徳観念を持った政治家でなければ、正しい政治はできない)がストレートに反映されていて恐ろしいです。
日本人として、やるべきことをやる!しかないですね。
○「現在についての問いかけでしたら、故人よりも現代を生きる方にこそ問いかけては?」とのご意見について。
現在を生きる者は、日々の生活の中で近眼的な視点やテレビ感覚な視点に立ってしまいがちです。たとえば職場の同僚と選挙の話をしていても、どの政党が好きかといった印象論でしか語られません。ここでも話題となっている麻生氏や中川氏の業績がどんな意味があるかなどまるで頓着せず、小難しいけれど自分の生活に関わる話ではなく、ツイッターでのネタなどの生活と関わりがないことを話すような議員の方が身近に感じてしまうようです。
故人の業績は、大抵公に知られています。人となりを知っている方に対してだから、聞いてみたくなるのでは? 質問者の方も小津さんの映画をご存知なわけで、日本の日本たる部分、心の在り様、家族や社会を描いた作品を作る方だと知っている方に、現在の日本はどうみえているのかを聞いてみたいと思っても不思議はないと思います。
私は小津さんに、映画に描いた日本が失われていくことを察していたのかを聞いてみたいです。私自身は昭和の後半に育ちましたが、昔の方がすべてよかったとは思いません。物質的な意味だけではなく、精神的にもです。失ったと思えるものは確かにありますが、忘れているだけのように思います。DNAはそう簡単に書き換わるものではないと思っています。
○「日本の皆様は、今後中国などのアジア諸国とどの様な関係を望みますか?」との質問について。
私は日本に生まれて育ち、国を大切に思う日本人として、アジア諸国をアジアとしてまとめ(協力関係という意味で)、欧米の国々と対等に、お互いを補いつつ、きちんと距離を保って暮らしていけるようにしたいです。その為にもアジア諸国とは、それぞれの規模で自立した上で協力しあう関係を望みます。
追記:小津さんからのメッセージに
「自我が確立していて初めて柔軟な姿勢をとる事が出来ます。一方、自我に乏しい状態だと優柔不断になってしまいます。」
この二行はここ数年痛切に再認識していることで、先人がそういう風に考えているということに勇気づけられます。ありがとうございます。
管理人様、今回はありがとうございました。小津安二郎さんのお言葉も大変興味深く受け止めることが出来ました。故人に相談するのではなく、今生きている人に問いかけること、というのはやはりコツコツと同じテーマで家族を描いてきた映画監督のお言葉だなと感じました。生前の小津監督もまさにそういう思いで多くの日本人に映画を通して問いかけていたのだと思います。やはり私たちも分をわきまえて自分たちの出来ることをこつこつ続けていかなければならないと思いました。アジアに関してはあなたたちはどうしたいのかと逆に問われましたが、考えてみれば希望は持ち合わせていませんでした。シナへ出征するときの小津監督の言葉「私たちはこれから大東亜共栄圏という大きな家に住むのだ、この大きな家族を引っ張っていくのは我々日本人なのだ」という言葉を想い出します。
こちらのブログで政治色のない文化人が登場したのは初めてだと思いますが、小津監督のお話はご自身の映画と同じで、奇のてらったところのない普遍的な問いかけで大変興味深く拝見しました。
匿名様と同じ意見ですが、大事なことは身近にあって、それを丹念に調べ話し合い、積み重ねることが大事なんだと思います。遠い異世界にいる方にそれを指摘されると、なおさら同意せざるを得ません。
アジアとどんな関係を築きたいかという問いですが、一緒に努力して豊かになる意思がある国々とは益々の交流と繁栄を共に謳歌したいと願っています。麻生総理が広める「自由と繁栄の弧」の概念は、多くの人たちが充実した生活を送れ、世界平和の橋頭堡になれるかもしれない人類の財産だと思っています。
こんな素晴らしい時代にこの国に生きていることは心から有り難いことです。個人の力は些細なものですが、みんなで力を合わせたら必ず良い方向に進むと信じています。
なお、「永遠の未成年集団」の国とは、成人になるまで関係は 一 切 お 断 り します。
嫉妬し盗み貶めるよりも、自分で努力して相互協力したほうが豊かになれると、国単位で実感して歩を進めるまでは関係を深めても互いに害悪にしかなりません。何百年かかるか分かりませんが、滅びない限りはいつかその方向に進む日が来るかもしれません。
その可能性を心で願う以上の何もしてはいけないと思います。
『小津安二郎』と名乗る霊の回答を受けて、ここまでに五名の方にコメントを寄せて頂きました。
お寄せ頂いたコメントを見比べていて、私自身も思うところがありましたので、同じテーマについての感想を述べたいと思います。
まず、「現在についての問いかけでしたら、故人よりも現代を生きる方に問いかけられては?」との意見については、基本的には同意しつつも、肉体的制約により限られた情報源から物事を判断しなくてはならない人間にとって、より広い視野から物事を俯瞰できる霊界の住人の意見は非常に参考になります。
但し、人間が霊界の住人の意見に奇妙なフィルターをかけて、本来の意味を歪めて受け取りがちな点は気をつけなくてはなりません。
霊界の住人の意見を精査せずに鵜呑みにしてしまいがちな方や、反対に胡散臭いものと決めつけて有無を言わさず退けてしまう方が目立つように思いますので、その様な姿勢は考え直さなくてはなりません。
もっとも、当Blogをご覧の皆様は霊界通信に関心を持っておられ、かといって何でも鵜呑みにしないで自分なりに考える心がけを持っておられる方が殆どだと認識しております。
ですが、霊界通信に肯定的な方が陥りやすい罠に対する戒めの意味で、あの様な意見と述べたのではないでしょうか。
さて、今後中国などのアジア諸国とどの様な関係を望むのかと言うと、価値観の共有化を図ってお互いの理解を深めたい――というのが大まかな方向性なのですが、現状を見る限りでは、そう簡単には成し遂げられないでしょう。
なぜなら、価値観の共有化を図る為の前提条件が満たされていないからです。
価値観の共有化とは、お互いに秩序を維持する為のルールを共通化して、その中で双方にとって利益が得られる付き合いをしましょうということです。
かつて(例えば30年前とか50年前)と比べれば、価値観の共有化という意味ではかなり摺り合わせが進んでいると言えるでしょう。
ただし、まだまだ調整を必要とする余地が残されております。
かつての「アジアにおいて日本が突出した国力と影響力を持つ状態」は次第に解消されつつありますが、未だに日本は手を差し伸べる側で、他の国々はどちらかと言えば日本の支援を受ける側という構図は変わっておりません。
彼らにはそろそろ自立してもらって、自らの裁量で国家を運営してゆく覚悟を決めなくてはならないでしょう。
特に中国や韓国は図体の大きな駄々っ子そのままですが、日本が彼らの無理筋な要求にも過剰な譲歩を繰り返した為、他の国が相手であれば通用しないであろう理不尽な要求を、日本に対しては平然と行なうようになってしまいました。
さて、上に投稿して頂いた方のコメントを拝見していると、中国や朝鮮半島の国の方に対する否定的な意見が見受けられます。
それらの国の政府が日本に対して示す姿勢や、日本国内でも、国籍別に分類した外国人犯罪の統計をみると、現実に身近な問題として彼らが日本の秩序と安定を乱す原因である――その様に認識しておられる方が増加傾向にあると言うことなのでしょうか。
ですが、そこで冷静に考えて頂きたいと思います。
私たちの生活を脅かすのは秩序を乱す者であり、反社会的行為を行なう者であって、それらが単純にイコール「中国人or朝鮮人」となるとは限らないことに気をつけなくてはなりません。
国籍がどこであれ、秩序を乱す者に対しては迅速かつ断固とした対処が求められます。
根拠の曖昧な印象に惑わされずに、また情に流されないように自重しつつ、実際の行動を慎重に観察した上で判断を下すように心がけたいものです。
これは外交関係においても同様です。
これまでにも度々述べて参りましたが、『自由と繁栄の弧』に代表される価値観外交は、日本と価値観を共有する国家と共に、国際秩序を維持する為の新たな枠組みとして有効ではないかと考えております。
時折「『自由と繁栄の弧』は対中包囲網ではないか」との声が聞こえることもありますが、私は『自由と繁栄の弧』は地理的概念ではないと考えております。
例えば、現在の日本と中国とでは価値観の食い違いが多々ありますが、今後中国が日本との間で価値観の共有化を図ることが出来れば、『自由と繁栄の弧』に加わることもあり得るのです。
もちろん、そうなる為には中国が現在の共産党独裁体制を放棄し、民主主義的な政治体制と自由経済を導入する必要があるでしょう。
汚職や賄賂などの悪しき社会慣行を一掃し、法によって秩序が維持されるようにしなくてはなりません。
尤も、その様な時は当分訪れそうにありませんので、現時点では当然ながら、中国が『自由と繁栄の弧』に加わるには無理があるのですが。
はじめまして。
質問させていただきます。
現在、メキシコ湾の重油漏れがとんでもないことになってますが、深海のことゆえ応急処置さえままならぬ有様です。
この件に関して現在の人類は今ある技術力で復旧可能でしょうか。
それとも崩壊に任せ、いきつくところまでいくしかないのでしょうか。
人類の自業自得とはいえ、このままいくと大西洋まで死の海と化し、気候変動から食料危機まで影響が甚大になりそうです。
もちろん人類が自らの手で打開すべき問題ではありますが、いささか手に余るようにも見えます。
幸運に恵まれ地震でも起きて蓋でもされないだろうか、というのは甘えた願望ではありますが、それすらも期待したくなります。
この事態を地球環境を管理されてる方々からはどうお考えなのか知りたく思います。
よろしくお願いいたします。
私の性格は、幼い頃からのんびりした性格で感情の起伏は激しい方ではないです。天然ボケだともよく言われます。自己主張も苦手です。私は日本人として生まれましたが、仮に他の国で生まれたとしても、私の生まれ持ったのんびりしてて、天然ボケで自己主張が苦手な先天的な性格は変わらないと思います。
お隣の中国や朝鮮半島には私のような性格の人は少ないように思います。仮に、私が朝鮮半島や中国で生まれたとしても、中国や朝鮮半島にいる人々によく見られるような性格(上手く言えませんが)にはならないと思います。さらに、中国や朝鮮半島で生まれたとしても、私の性格や性質では生きていくのが大変だと思います。
それぞれの国には、一部の例外を除いてその国に住む一般的な国民が持つ性格や性質があるように思います。例えば、一部の例外を除いて、日本に住む人々の性格や性質と中国や朝鮮半島に住む人々の性質は異なると思います。
Silvercordのサイトの、「韓国・朝鮮人と中国人(メッセージ1)」http://silvercord.iza-yoi.net/message071201.htmlの記事で、中国人や朝鮮人と日本人の霊的成長の度合いが異なると書かれています。ということはつまり、生まれてくる前に、その人の持つ霊的成長の度合いや性格は生まれてくる国が決まる一つの要因にもなることがあるということでしょうか?
白菊様
記事【国民性と霊的成長度の関係】を投稿しましたので、ご覧下さい。
初めまして。
いつも興味深く当ブログを拝読させて頂いております。
簡単に箇条書きで質問を明記致しましたので、拙い文章ですが目を通していただけると有り難いです。
僭越ながらも唐突な質問をご容赦下さい。
①輪廻転生とか生まれ変わりというものは存在するのですか?
②もし輪廻転生が存在するのなら、中川昭一さんのように霊界での自分の役目が与えられている人は、その役目を終えた後にもう一度現世に生まれ変わるのですか?
③それとも、役目を終えた後も霊界での肉体を維持したまま霊界に留まり続けるのですか?
④もし輪廻転生があるのなら、果たそうとしていた志が半ばで亡くなってしまった場合、再びそれを成就させるために生まれ変わったりしますか?
⑤また、同じ志を果たそうとしていた同志や、自分にとってかけがえのない人達と来世で再び出会ったりするのでしょうか?
中川さん個人への質問というよりは、私個人が大切な人を亡くして、自分の中で来世を拠り所にしてしまっているところがあるので質問させて頂きました。
差し支えない程度で構いませんので、回答をお待ちしております。
こんにちは。いつも考えるヒントをありがとうございます。
管理人様の2010年6月8日22:53の上記コメントに関連して質問があります。
>今後中国が日本との間で価値観の共有化を図ることが出来れば、『自由と繁栄の弧』に加わることもあり得るのです。
と書かれていますが、価値観の共有化を図ることを中国(や他の覇権主義国)自身が望まないのではないでしょうか?
『自由と繁栄の弧』構想は、これまでの東西の歴史のなかでとられた様々な世界戦略と比べて、非常に建設的で健全、かつ自然なものであると感じております。
卑近な表現をすれば、「みんなで幸せになろう」「頑張ったら頑張っただけ報われる」「ドツボに嵌って自力脱出できない人はみんなで助ける(その方が長期的・トータルで有益)。ただし恩返しは忘れない」と、
かつての日本社会における倫理感とシステムそのものであると思います。
しかしこうした考え方は、自分だけが一人勝ちしたい覇権主義の国や、自分達が見下し敵意を抱いている他者が対等になることを許せない差別意識の強い国では到底受け入れられない価値観です。
また、日本外交の功績の一つであった中東の「平和と反映の回廊」における麻生氏の言葉、「約束してもらいたいことはたったひとつだけ。日本人並みに働くこと」。
『自由と繁栄の弧』構想上、必須の大前提ですが、これをクリアすることも非常に難しいのではないかと思います。
楽して儲けたいという心は誰にでもありますが、(直接人を傷つけたり殺すのでなければ心理的抵抗も少ないため)違法な行為に手を染めて安易に金を稼ごうとする人たちが、
発展途上国だけでなく先進諸国の中でも日本的倫理感からすると驚くほど多いという現実があります。
これは世界の宗教の7割が「労働は神が人に与えた罰」と認識していることからも当然の帰結なのかもしれませんが、そうした文化背景・価値観の人々に、働けることは有難いこと(なにせ神様からして働く国ですから)と捉える日本人と同じだけ働くという条件は、大変な【苦役】として認識されることでしょう。
前置きが長くなってしまいましたが、上記の理由から、果たして価値観を変えるという大変な労力を払ってまで『更正』することを彼らは望むか?進んで行うだろうか?と大変疑問に思うのです。
『自由と繁栄の弧』構想に加わることは大きな利益を生むがそのためには自分を変えなければならずそれは大変な労力を伴う。
努力や苦労を厭い自身の成長を拒むタイプの人は、自ら問題点に気づき学び変わろうとする意思がないため、他者が何を言っても、それが利益になるとどんなに心を尽くして説いても、理解し行動することを拒みます。
それだけならまだしも、「自分は変わりたくない、でも変わらないと自分をおいて周りだけが豊かに幸せなっていく」というジレンマに直面した時、
「自分が惨めな思いをする、そんなルールを押し付ける世界は間違っており正されなければならない、だから壊れるべきだ」となるのではないかと思えてなりません。
一番いいのは『更正』してもらえるよう手と意を尽くすことでしょうが、相手の意に反して望まない成長をさせる方法なんてどう考えてもありえないし、
そうしたやり方は他者の意思を尊重しないという点ではある意味、洗脳であるようにも思えます。
こういった相手に対しこちらが打てる手はなんなのでしょうか?
私には、妬みに基づく八つ当たりで害を被らないよう事前の防備を調えることぐらいしか思いつきません。
6月9日0:47投稿の匿名様
記事【この世界で起こる問題は、この世界の中で解決できる】を投稿しましたので、ご覧下さい。
たぬき様
価値観の共有化を中国(や他の覇権主義国)が望まないのではないか――とのことですが、どの程度のタイムスケールで物事を見るかによります。
今後数年や十年程度のスパンでしたら、たぬき様の仰る通りかも知れません。
しかし、100年後ではいかがでしょうか。
もしくは、500年後はどうなっているでしょうか。
いずれにせよ、『自由と繁栄の弧』に代表される価値観の共有化は、霊界からの強力な働きかけを受けた不可避の変化です。
この変化に早期に適応した国家群は、物理的な側面はもとより、霊的側面において、これまでよりも充実した豊かな社会を一足先に手に入れることが出来るでしょう。
現在の中国のような覇権主義的国家では、霊的な側面から人々に充足感を与えるような働きかけは出来ません。
その様な国家は、支配者が恐怖と暴力で人々を抑圧して成り立っているのですから、当り前ですよね。
今後『自由と繁栄の弧』が実現して世界的な影響力を増すにつれ、従来型の覇権主義では国を束ねることが難しくなって行くでしょう。
そして、中国のような覇権主義国が従来の路線を諦めて、日本などと価値観を共有化する方向へ国策を転換する時期は、まさにこれから『自由と繁栄の弧』を掲げる日本と、私たち日本国民の尽力によって変動すると考えております。
たぬき様のコメントを拝見していると、私が想定している流れとは少々異なるのかも知れませんが、私は、まず日本と共に『自由と繁栄の弧』を形成しようと名乗りを上げる国家との間で、先行して『自由と繁栄の弧』を形作る作業を始めて、成果を内外に示した方が良いと思います。
『自由と繁栄の弧』が、賛同する国家に自由と豊かさと繁栄をもたらす仕組みであると、実際に日本が率先して実現してみせれば、これまでとは見方を変える国や人々も現われ、世界的に理解が深まってゆくでしょう。
そして、何よりもまず日本が率先して実現してみせる為には、価値観の共有化に不可欠のルールを定め、厳格に実行してゆく日本国民の意思と行動が求められるのです。
また、何も理解の足りない相手を強引に従わせる必要はありません。
まず価値観の共有化の有効性を十分に理解している方から、ご自身の日頃の生活を通して理解の足りていない方に向けてプレゼンテーションを行ない、目の前にある手本と自身を見比べながら理解を深めて頂けばよいのです。
洗脳の様に、理解が不足していても表面的な行動を真似ているだけでは意味がありません。
自分自身が納得して、自らの意思で行なうことにより、初めて価値観の共有化についての理解を深め、揺るぎなき確信へと至ることが出来るのです。
6月11日4:50投稿の匿名様
記事【輪廻転生について】を投稿しましたので、ご覧下さい。
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