2010年1月29日金曜日

三島由紀夫霊が『田母神塾』を読んでみた(その5)

さて、唐突に開始した「三島由紀夫霊が『田母神塾』を読んでみた」シリーズも、今回で5回目となります。
生前の三島由紀夫氏をご存じの方、あるいは三島氏の著作等を通じて人となりをご存じの方、この度ご紹介している『三島由紀夫』と名乗る霊による『田母神塾』評をご覧になって、生前の三島氏の雰囲気が感じられますでしょうか。
三島由紀夫霊の感想を文章化しているのは霊媒であり、霊媒は必ずしも文章力に卓越している訳ではありませんが、何となくでも“三島らしさ”を感じ取って頂ければ、まず成功と言っていいでしょう。

では、早速今回のテーマをご紹介しましょう。





■ 人種差別先進国アメリカの暴挙について

ここに書かれている、アメリカ人の日本人に対する差別意識というものは本当のことで、そもそも彼らにとって見れば、有色人種の国が世界の大国に名を連ねる事などあってはならない事態だったのだ。
それこそ、天変地異か何かではないかと疑ったに違いない。
それ程、当時の欧米諸国の有色人種に対する差別意識は酷いものだったのだ。
まるで家畜か何かのように接し、人間としてすら扱われていなかった場合も少なくないと聞く。
だが、何故彼らはそれ程までに有色人種に対して差別意識を持っていたのだろうか?

本当に優れた能力を持つ者は、他の者に対して優越感を抱くような事は決して無い。
むしろ、どのような立場の者にも常に敬意を払い、対等な立場として接する事だろう。
何故かと言えば、己という存在をよく理解しているからだ。
人は決して完璧ではなく、どのように優れている者でも苦手な事や思い及ばない事の一つや二つは存在するものである。
そして、その己が持ち得ない能力を他の人間が持っている事もよく理解している。
だからこそ、誰に対しても敬意を払って接する事ができるのだ。

そう考えてみると、優れていると自負しながら、他の者を蔑むというのはどう言う事なのだろうか。
その裏には、彼らの面白い心理が垣間見える。
人というものは、未知のものには恐怖を感じるものだ。
そして、恐怖を感じた対象に対しては、近付かないようにするか知る努力をするかのどちらかだ。

世界の大海原へと漕ぎ出した、欧州諸国の人間が目指した新大陸には宝の山が存在していたわけだが、当然、宝は欲しい。
だが、見たこともない人種は恐ろしい。
言葉も通じないし、育んでいる文化も全く未知のものだ。
でも彼らを知る努力をする事はなかった。
知る努力をする代わりに排除する事に決めたのだ。
新大陸の住人に自分達の価値観を押し付けたわけだ。

何とも腹立たしい話ではあるが、ここで一つ判る事がある。
彼ら欧米人は、今でも未知のものに対する恐怖心を抱き続けているということだ。
何故なら、彼らは自分達の価値観に他の者達を染める事には躍起になったわけだが、未知の恐怖と立ち向かう努力はしていないのだから当然であると言える。
そうなってくると、彼らが激しい人種差別意識を抱いている理由がとても良く解る。
彼らは未だに恐怖心を抱き続け、見えない何かと戦っているのだろう。

個人レベルでは、様々な考え方を持つ者が存在しているので、柔軟な思考を持ち異文化を楽しむ余裕を持っている者も少なくないだろう。
だが、国というレベルでは、なかなかそこまで柔軟な考えを持ち、対応するのは難しくなる。
国となると、国民の過半数以上が同じ考えを持つ必要があるからだ。

植民地支配時代の反動とも思える今現在の欧米諸国の移民政策は、やはりどこかずれているように思う。
自分達の国に引き入れておきながら、同化出来ないような政策を採っているのは、やはり不自然だろう。
自然に同化する事と、独自の文化を捨てさせる事はイコールではないのだ。
同じ国民でありながら、いつまでも違う民族として別の囲いを作られ、そこに押し込められている方が余程不自然である。
移民先の国の文化に馴染みつつも、自らの祖国の文化も活かし続けられる環境というのが望ましいだろう。
移民が持ち込んだ文化と元から存在する文化が長い時間をかけて自然に馴染み、その国独自の文化として定着してゆくのだ。
そのように変化する過程で“移民”ではなくて、同じ“国民”として胸を張って生きてゆける様になるのではないのだろうか。
それとも、彼ら欧米人は自らの文化が異文化と融合して形を変えていくことに、無意識の内に恐れでも抱いているのだろうか?
今まで築き上げてきたものが根底から覆されてしまうとでも思っているのだろうか?
冷静に考えてみればそのような事はありえないと容易に理解できるのに、やはり、今までの自分達の数々の行いが祟り、無意識の内に同じ事をされるのではと恐れているのかもしれない。

(2009年11月5日)





ここで述べているのは、かつての欧米人は未知の存在に対する恐怖心の裏返しとして、有色人種に対する強い差別意識を持っていたこと、その反動として多文化主義を取った結果、返って国内に文化的な衝突の芽を育んでしまったということなのでしょう。
今後、と言うよりも、既に現時点で更なる反動――文化的摩擦が広まりつつあるように思いますが、この様な現象は、元々は見ず知らずの人々が、少しずつ相手の人となりを理解してゆく為には不可避の道程なのでしょう。

三島由紀夫霊 & 【Silvercord】管理人 

2 件のコメント:

はつゆき さんのコメント...

 異常な人種差別の根源が恐怖心、というのを見抜いた三島氏の考察は見事です。あまり欧米の歴史は詳しくないのですがマイケル・ジャクソンのファンでもあるので嫌でもそのての情報に接する機会があって、連中もとい彼らの傲慢さと臆病さに辟易してます。
 三島氏は欧米は自分の文化が融合することを嫌うのだろうか、と疑問を投げてますが、特にアメリカはとっくの昔に黒人文化に置き換わっています。20世紀のアメリカ文化はアニメから映画まですべて黒人文化が源流です。
 マイケルのように表舞台に出て、大人気を得るのは20~30年前くらいですが、エルビス・プレスリーみたいにプレイヤーが白人でも黒人文化に浴したケースが多いです。
 望む望まない関わらず、とっくの昔に文化が混交していて、だからこそアメリカ文化は強かったと思います。

 しかし臆病な彼らはその力に恐れおののき、変わることを恐れて分化政策を取り続けるのでしょう。どれだけ怯えても繁栄の道を行く限り、混交は絶対に避けられないのですが。
 まあ、それでいいと思います。彼らが弱体化しても共存共栄の道を築けるのは麻生総理と日本です。
 

Silvercord manager さんのコメント...

はつゆき様

欧米人と言っても、欧州人と米国人の意識には温度差があります。
とはいえ、恐怖心の裏返しとしての人種差別意識は、彼らに共通して言えるのでしょう。
では、彼ら欧米人が抱く恐怖心の原因はどこにあるのでしょうか。
それは自我の弱さであり、言葉を替えれば自信の無さの表れです。
異なる文化を受け入れることによって、元からあった文化的土台が失われてしまうような錯覚に囚われているのでしょう。
これまで、欧米人は異文化に対してその様な姿勢を取ってきたので、尚更恐怖心と警戒心が強いのかも知れません。
しかし、最近は徐々に状況が変わりつつあると思います。
近頃は余り評判が良くありませんが、「元々相手をよく知らなかった者同士が、同じルールの下で共同生活を行なう」為の予行演習として、米国発のグローバリズムの流れは肯定的に捉えております。
ちょうど今はその反動というか、揺り戻しの時期に入ってしまいましたが。
この様にして、元々は知らなかった者同士が、時には互いの距離を近づけたり、かと思えば反動で少々距離を離したりと、振り子のように振動しながら、徐々にお互いの理解を深めて行き、価値観の共有化を図ってゆくのでしょう。