2010年8月1日日曜日

臓器提供について

今回は、記事【異なる価値観を摺り合わせること】のコメント欄からお寄せ頂いた匿名様の質問について、霊界の住人の皆様の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ 匿名様の質問

いつも新しい記事が更新されるのをとても楽しみにしています。記事とは関係ないのですが、日本人の心の在り方として質問させてください。
最近、死んだ後の臓器提供が、本人の意思が確認できなくても家族の同意があればできるようになりました。
私としては、お役にたてることは素晴らしいと思う一方、残された家族が(私の)死体を切り刻まれることを望むか、心安らかに受け入れられるのかという迷いとともに、魂の観点から、死体を切り刻んで(表現が大袈裟だったらすみません。切り刻まず、臓器1つだけ使うにしても)いいのかという疑問を感じます。
神様というか、宇宙の意思というか、何と表現したら正確なのか・・・科学が進歩し、昔なら受け入れていた(受け入れざるを得なかったというべきか)死を、人の臓器をいただくことで延命できるということは、人類の進歩と考えていいのか。それとも、死んだあとで、体を切ってないところがあっても成仏できるのかとても気になるので、機会があればぜひこの問いの答えを教えていただけませんか?





■ 霊界の住人の皆様の回答

「身体の一部を失ったからといって、成仏出来ないという事はございませんのでご安心くださいませ。
そうでなければ、病や事故によって身体の一部を失われた方々がお亡くなりになられた場合に、成仏出来ないという事になってしまいますものね。
成仏出来るのか否かはご本人のご意思によるところなので、肉体の損傷により阻害されるということはありません。
ですが、もしもご心配なのであれば、ご家族にあなたのご意思を事前に伝えておいた方が良いかもしれません。
身体の一部が失われる事が未練となって、成仏が遅れてしまうという事になりかねませんからね。
受け入れられないと思うのであれば、無理をして臓器提供をする必要はございませんし、それをしなかったからと言って罪に問われるものでもありません。
人にはそれぞれに考えがありますし、臓器提供のようなデリケートな問題は他者が強制するような事柄ではございませんものね。
人助けになると納得出来る方が提供なされば良いのでは無いのでしょうか?
今のところは、臓器提供は有効な治療法の一つとして行なわれておりますから、それらの方法に賛同されるのであれば、命を繋ぐ助けとなる事にも意味があると思われます。
まだ先の話ではありますが、何れは自分自身の体組織を用いて臓器再生出来る技術が確立されると思いますから、それらの技術が一般化されれば臓器提供も必要なくなります。
どのような方法であれ、生きる可能性を与えられるという事は、それもまた必然であり、意味のある生である事には変わりありません。
この世界で生きる必要が無ければ、例えどのような処置を施しても生きる事は出来ませんから、臓器提供により生かされた命というものにも、そこにはそれだけの意味があるのです。」

(2010年8月1日)





霊界の住人の皆様の回答に補足しておきたいのですが、人間は物質である肉体のみで構成された存在ではありません。
その点について、霊的知識を取り扱う当Blogをご覧の皆様は既にご存じのことと思いますが、現代医学では肉体以外の部分に対する知識や理解が不足しておりますので、当然ながら臓器移植による肉体以外の部分への影響を考慮しておりません。
ですから、単純に問題のある臓器を正常に機能している臓器に置き換えても、置き換えた臓器がそのまま正常に機能し続けるとは限りませんし、場合によっては思わぬ副作用が現われることもあります。
とはいえ、この様な試行錯誤は人間が肉体の仕組みについての理解を深める過程の一つであり、これらの過程を経ることこそ、人間は肉体のみで構成されているわけではないことを、科学という道具を用いて探求する為の足がかりとなるのです。

【Silvercord】管理人 

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

臓器移植に関しては、私も現在複雑な思いがあり、
考えさせられました。
最終的には、自分の責任で決めなければならないとは
思っています。

>この世界で生きる必要が無ければ、例えどのような処置を施しても生きる事は出来ませんから

とありますが、私の家族が死地から生還したことがあり、
今でも「必要があって生かされていると思う」と語っています。
私にはその感覚は良くわからないのですが、
命ある以上、日々懸命に歩んでいこうと思います。

ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

先日質問したものです。
早速の回答をありがとうございました。
あましこだわりすぎないで、自分が理解できる範囲・無理なくできる範囲で協力していけばよいのですね。
また、体の欠如にこだわるのではなく、あくまでも大切なのは自分の心の在り方なのだということをいつも行動の基本に置こうと再認識しました。ありがとうございました。

Silvercord manager さんのコメント...

8月2日0:09投稿の匿名様

「必要があって生かされている」のは、何らかの理由があるからなのですが、もしかしたら何かやり残している物事や、気づいていない物事があるのかも知れません。
ご家族の方が死に直面した原因や、その前後の経緯を振り返ることによって、何か分かることがあるかも知れませんね。

Silvercord manager さんのコメント...

質問者の匿名様

ご意見の通りだと思います。
どの様に素晴らしい行為でも、自分自身の意思ではなく、嫌々行なっていたのでは余り意味がありません。
ご自分でその目的と意義を充分に理解して、是非行ないたい(それが必要だ)と思った時に行なえばよいのです。