2010年8月15日日曜日

花魁淵について

今回は、前回に続いて山梨県の霊的スポットを巡る第三弾として、心霊スポットとして名が知られている『花魁淵』を訪ねました。
第一弾として取り上げた記事【青木ヶ原樹海は神域である】でも述べておりますが、私たちが一般的に心霊スポットとして扱っているところは、本当に祟りや呪いをもたらす霊が活動しているのか、とても疑問に感じておりました。
私が霊媒を通じて意思疎通を図る霊は、皆祟りや呪いとはほど遠く、多くは肉体のあるなしを除けば人間と殆ど変わらず、一部は人間より遙かに成熟して神の域に達している方ですが、いわゆる未成熟な霊による霊障に悩まされるなどと言った経験はありません。
もっとも、霊媒は役割の特殊性から天狗霊の守護を受けているようです(記事【天狗霊との対話】参照)し、活動におけるパートナーである私についても、霊媒ほど厳重である必要がないとはいえ、複数の御守携帯を始めとした幾つかの霊的防御の仕組みが施されておりますので、そもそも未成熟な霊を寄せ付けないのかも知れません。
しかし、折に触れて様々な霊の話を伺っている中で、いわゆる怪談で語られるような心霊スポットが本当に存在するのか疑わしく感じるようになった為、是非霊媒を伴って名の知れた心霊スポットを訪ねて、実態を調査してみたいと考えるようになりました。

そこで今回は、冒頭述べたように花魁淵を訪ねることと致しました。





こちらは某宗教団体が建てた供養塔だと言うことです。




木の枝葉の陰になって見難いですが、↑が滝で、↓が滝壺の辺りです。




さて、今回の記事に合わせて、崖から突き落とされた遊女達の霊を束ねている霊からのコメントが届いておりますので、続けてご紹介したいと思います。
ここでは便宜上、『花魁淵の霊』としておきます。
更に、霊媒Mのコメントを預かっておりますので、続けてご紹介しましょう。





■ 花魁淵の霊からのメッセージ

花魁淵は心霊スポットとして有名な場所でありますが、実際には皆様がお考えのようなおどろおどろしい場所ではありません。
崖から投げ落とされてしまった遊女達も、今ではその心の内にあった悲しみや無念を昇華し、その周辺地域で『同じ様な悲劇が起きないように』と、守護をしております。
とても強いエネルギーを発している土地であるため、詳細を受け止め切れない方々には恐ろしく感じられるかもしれませんが、実際はとても清浄なエネルギーが満ちております。
怨念が満ち溢れている土地では考えられない性質のエネルギーでありますから、この地を訪れたからと言って霊に取り憑かれてしまうなどという事はありません。
エネルギーに善悪は無く、あらゆるものを引き付けますので、人間の心のあり方によってその周囲に集まる霊も変化します。
そうなれば、当然それらの霊に対する印象も人によって変化します。
場合によっては道すがら様々な霊を引き寄せてしまうこともありますし、あるいは強いエネルギーの影響から、最初から憑いていた霊が活発になるという場合もあります。
例え霊が皆様に対して危害を加える気が無くても、『気付いて欲しい』との思いから姿を見せたり、声を聞かせたり、時には手に触れてみたりと、様々なアプローチを仕掛けてきます。
霊が何の為にその様な行動を取っているのか詳しく知る事が出来ないために、人間には恐ろしく感じられてしまうのでしょう。
彼らの話を理解出来れば何も恐ろしいことは無いのですが、人間にはなかなか難しいことのようです。
花魁淵から落とされてしまった遊女たちの思いは、『手を掴んで助けて欲しい』というものであったようです。
今では解消された思いではあるようですが、その事実は知っておいていただきたいと思います。

(2010年8月12日)





■ 霊媒Mの感想

心霊スポットというよりはパワースポットといった印象でした。
それくらいエネルギーが澄んでいて強力なものに感じました。
ですが、これはあくまでも私がそのように感じたというだけですので、他の方には違うように感じられることもあるかもしれません。

(2010年8月12日)





花魁淵の霊のコメントには、いわゆる霊現象の本質についての重要な指摘があります。
ここで述べている事例に当て嵌まらない場合は無いとは言いませんが、霊現象の実態は意外と怖がるまでもない理由が原因なのかも知れません。
様々な霊界の住人との頻繁な交流を重ねて行くと、彼らは私たちと殆ど変わらないことに気がつくのです。
また、先日投稿した記事【青木ヶ原樹海は神域である】でも述べておりますように、人間が何時までも霊界の住人を妙に怖がっていたり、逆に茶化してしまうような姿勢には問題があります。
もう少し人間が霊界の住人についての理解を深める必要がありそうです。

【Silvercord】管理人 

10 件のコメント:

  1. この度は体験レポートを興味深く拝見させて頂きました。

    先日、日本の要の場所のひとつを拝見しに須磨に行きましたが、噴出するエネルギーが過剰すぎて、境内に入ったとたんに吐き気と眩暈が襲って大変な目に遭ってきました。
    近畿一円をカバーするエネルギーの噴出口に、何の警戒もなく入った私も無用心でしたが、もしここが要の土地ではなく祟りのある場所だと聞いていたら「悪いものに祟られた!」と震え上がっていたと思います。

    同じエネルギーでも、人間は自分にとって都合の良い場所はパワースポット、都合が悪ければ祟りと騒いでいるに過ぎないのかもしれません。
    細菌が活動していることを「発酵」と「腐敗」というカテゴリーに分けてしまうような、手前勝手な分け方をしたら相手にも失礼です。
    目に見えない世界ですし、感覚で判断せざるを得ない部分も多いので「理解を深める」まで至る方は多くはないかもしれません。しかし、肯定にせよ否定にせよ、そろそろ冷静に霊的なものに対峙する時期に差し掛かったのかもしれません。

    政府が恐山のイタコの口寄せにどんな癒し効果があるのか、予算を組んで調査することが決まったそうです。批判殺到していますし私も現与党が行うことには眉を顰めてますが、「霊的な世界を科学的に検証する時代が来る」という言葉がいよいよ具現化し始めたことは実感しています。


    ここから先は質問になります。
    樹海の神様が霊界の存在を茶化すなと訴えるのは正当で、深く同意します。
    しかし、複数のスピリチュアル関連の情報では
    「人間がこの世に顕現するときには、霊的な知識も経験もすべて深層心理に押し込めて、基本的には表層意識まで上がらないようにしている」と訴えています。
    私の親族には霊的なものを一切信用せず、死んだら終了と本気で思っている人が未だにいます。そんな人と話をすると、どうやら「確信が持てる証拠がないものは、とりあえず信用しない」という堅実な面があることに気付きました。
    そんな人にとって、霊的な事柄などは迷信や絵空事で、現実の続きにあるものという概念すらありません。こういう人たちを見ていると
    (そもそも、霊的な情報をすべて深層意識に押し込めずに覚えていれば、霊界の住人に失礼な態度は取らないのではないか?)という気がしてなりません。

    何故、元からいた霊界の情報を持ったまま、この世界では生きていけないのでしょうか。
    霊界の情報を覚えていれば、科学技術や芸術は指針をはっきり持てると思うし、本当に霊界という存在を忘れてこの世界で生かすつもりなら、霊媒の方たちも知識も必要ないはずです。
    霊界の記憶や知識を覚えていないから無明に陥って、さまざまな悲劇が起こる気がしてなりません。「真理に至る経験が大事だから」という答えを返す関連書籍は多いですが、わざわざ記憶を消さなくても真理追究はできると思うのです。
    もとから存在するものを「ある」「ない」と低次元なレベルで語られる世間を見ていると、このシステムに対して複雑な気持ちになります。

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  2. 人間が今のように霊的な知識、記憶を失っていったのには、それなりなことが過去に起きたからでしょう。
    霊的な知識・能力を私利私欲などによるものではなく、全人類的、全地球的に公使できる資質をまずは取り戻す必要があるかと思います。
    安直に超能力・霊力などを開発するといって「修行」のまねごとをし、心身と霊的な準備が整わないうちに無理矢理力を持ったあげく破滅していく方々が古今東西、後をたたないのは、資質のない者は間違った力の使い方をしてしまうという、ごく当然の理だと思います。

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  3.  管理人さま、はじめまして。ブログの趣旨から少し離れてしまうかとも思いますので迷ったのですが、質問させて下さい。
     今回頂いたメッセージの中で、「怨念が満ち溢れている土地」との言葉がありました。また、前回の青木ヶ原樹海のコメント欄でも「三途の川の向こう側にはかなり危険な霊も密集」との、管理人さまのコメントがありました。
     いわゆる「心霊スポット」とは別に、そのような危険な霊(未熟な霊?ととらえるべきなのでしょうか?)が集まる土地(又は建物など)は存在するという事でしょうか。やはりそういった所には住みたくありませんし、近づきたくもありません。
     また、私のような一般人には、どこがそういった場所かもわかりません。
     自分はそんなものを引き付けるような人間ではない、との気持ちはあるのですが、そういった場所に立ち寄るだけならともかく、うっかり住んでしまったりしたら どうなのでしょうか。

     本家サイトでも述べられています様に、心のあり方さえ間違わなければ、何も心配ないのでしょうか。

     今までの記事にそういった記載は無かったと思うのですが、心のありかた次第でそういった場所からは、自然に遠ざかる・・・・・と、思いたいのですが。
     どのように受け止め、考えるべきなのか、アドバイス頂けないでしょうか。お願いします。
     
     

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  4. はつゆき様

    質問についてですが、霊界での記憶を一時的に封印しているのは、むしろ私たちが人間としての人生を送る目的に都合のよい仕組みだと考えております。
    霊界での記憶は、肉体から離れて当り前に霊能力を駆使出来る状態であるからこそ生きる知識であって、鈍重な肉体と融合している状態では、むしろ精神的苦痛として感じられるのではないでしょうか。
    霊界では当り前に出来ていた事が、人間となった為に自由の利かない場合が多々あり、それを記憶しているのですから、出来るはずのことが出来ない苦痛のみに気を取られてしまい、人間として為すべき事に関心が向かうとは思えません。
    また、物事に対する理解を深める為には、一旦そのものを横に置くことによって、逆に本質を理解するきっかけとなる場合もあります。
    更に、霊の世界と物質の世界に共通する法則性がありますので、霊の世界に対する知識や関心が希薄であっても、物質の世界を注意深く観察していれば、そういった共通する法則性を見極める事は十分に可能なのです。
    霊的な物事に関心がなく、死後の世界についての知識が無い方も、ご自身が亡くなってから体験を通じて生前の自分の誤りを悟ります。
    物質の世界に生きる間は物質の世界についての理解を深め、霊界に移ってからは霊界についての理解を深める――それはそれで一向に構わないと思います。
    しかし、物質の世界と霊の世界に対する理解を深めてゆくと、次第に双方の世界の密接な関係に気付いてゆきます。
    そこまで理解を深めてこそ、物質の世界から霊の世界を見つめたり、もしくはその逆向きの観察を続ける意義に気付きます。
    その様な道筋を辿って、徐々にこの世界の仕組みについての理解を深めてゆくのだと考えております。

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  5. 8月17日16:23投稿の匿名様

    非常に重要な指摘をされていると思います。
    余り深く考えずに、興味本位で霊能力を開発しようと考える方もおられるようですが、霊界の協力の下に霊能力を発揮されるのでしたら、必ずしも特別な修行や訓練を必要としません。
    そして、霊界との協力関係が維持されている間は、霊能力を行使する為に生じるリスクに対しても、霊界から守護の働きかけがあります。
    しかし、自分で霊能力を開発しようと修行をされても、霊界側との協力関係が築けるとは限りません。
    むしろ、霊能力を行使するリスクに付け入られる危険性が増しますので、安易に霊能力を開発しようなどと考えることを、私はお勧めしません。
    人間としての人生を送っている間は、人間として生まれた目的の遂行に専念された方が良いでしょう。

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  6. イルカ様

    いわゆるパワースポットには、他の場所に比べると霊的なエネルギーに満ちあふれております。
    エネルギーそのものには善し悪しがありませんが、霊的エネルギーの強い場所には様々な霊が集まって参ります。
    恐山の例を上げて、「中心部は清浄でも、周囲には危険な霊の集団もある」と述べたのは、それだけエネルギーの強い場所の一つだと言うことです。
    尤も、日本国内で特別な意味合いのある土地は、既に何からの信仰の対象として扱われている場合が多いようですので、以前から人の住む土地に暮らすのでしたら、余り気になさることでもないでしょう。
    しかし、例えどこに暮らしていたとしても、ご自身の心掛け次第では危険な霊を引き寄せる場合が在りますので、住む土地よりを気にするよりはご自身の普段の心がけに気をつけましょう。

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  7.  管理人さま、早速のアドバイスありがとうございます。こちらのブログやサイトをもう一度読み返しています。
     持つべき「普段の心がけ」とはどの様なものか、判ったようなつもりで済まさずに、今現在の自分に必要な事を考え直してみます。
     貴重なメッセージにいつでも触れることが出来るという事に感謝いたします。

     最低限、恨みや悪意をもたなければ大丈夫だろうと考えてしまい、あまりにも怠惰に生活してしまっていると感じます。
     まず自分のこういった所をどうするか、この機会に具体的に考え、変えて行こうと思います。
     
     

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  8. 管理人様、お返事が遅くなってしまいましたが、この度は丁寧な解説をありがとうございます。
    あまりにも向こうの記憶が残ってると、却ってこちらの生活が円滑にできないのですか。それほどまでに違う世界なのかと愕然とします。

    こちらに来たばかりの幼児はある程度は覚えているそうですが、そういえば親戚の子が小さなころはスプーンが上手く使えずに癇癪を起こしてました。
    スプーンひとつ上手く使えないことへの不自由さに苛立っているように見えましたが、霊界の記憶を鮮明に覚えていると、この苛立ちがずっと続くのかもしれません。記憶が無いことへのデメリットは大きいですが、確かに覚えてないほうが暮らしやすそうです。


    いわゆる霊界と呼ばれる世界とこの世界は、一見あまりにも違う世界ですが、接点がある世界である限りは同じ法則が働く世界のはずです。それを探るためにも自分なりに勉強している最中ですが、その勉強の内容が異世界でも適用されるのかを、これからもこちらのブログで大いに勉強させて頂きます。

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  9. 質問をしたいと思ったのですが、こちらのコメント欄を使用させていただいてよいのでしょうか?違う欄でしたら、申し訳ありません。

    としろうと申します。いつもこちらのブログを楽しみに日々生活をしております。

    毛沢東さんに質問したいのですが、今日本と中国は尖閣諸島の漁船衝突問題で国同士が緊迫した状態となっております。
    私のような政治に素人の人間としては中国のしでかしたこと(領海侵犯)について信じられないと思っております。今や中国は経済大国で国連常任理事国です。そんな国が誰がどう考えても中国が悪いことをあからさまにやって、国際社会で軽蔑されることはあっても、「よくぞやった!中国えらいぞ!」とは絶対に言われないと思うのです。
     馬鹿でもわかるような事実を平気でしでかして、突っ張っているのをみていると滑稽であり、大変幼稚な国だあると思わざるおえません。
    今回の尖閣諸島の件について毛沢東さんはどのようにお考えなのでしょうか?
    ご意見を伺えればと思います。よろしくお願いします。

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  10. としろう様

    最初に申し上げておきたいのですが、現在は『毛沢東』と名乗る霊の話を直接伺える状態にはありません。
    その上で、仲介役の霊界の住人から、現在の毛沢東霊の考えを伺いました。
    毛沢東霊にとって、国際的な約定は西洋諸国が定めたものなので、守る必要があるものだとは思っていないようです。
    そして、どちらかというと「自分が法律」と考えているような方なので、他人が決めた事柄に従うよりは、自分が他を従わせる側でありたいと考えております。
    そういう考え方の方ですので、尖閣諸島の問題についても中国に有利となることであれば、周辺諸国にどう思われても気にせず、逆に自分の力を他に知らしめるのが当たり前と考えているようです。

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