YOMIURI ONLINE【市有地神社「違憲」、氏神様など数千件影響も】と題して、以下の内容が報じられておりました。
- 憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われた、北海道砂川市を巡る住民訴訟。神社の敷地として市有地が無償提供されていたことに、最高裁大法廷は20日、政教分離訴訟として2件目となる違憲判断を示した。(以下略)
私たちの立場から、今回の訴訟の法的な側面についてのコメントは致しかねるのですが、霊的な側面から見た影響について知りたいという趣旨だと思います。
一般的な神社の役割については、
『日本は法治国家ですので、法的な解釈に関しては我々には何とも言い難いものがございますが、原告側の方々は明らかに日本文化を貶めており、大切に国民を護り育てている“神々に対しての挑戦である”と受け止められても文句が言えないことをしています。
日本のみならず、この世界は神々と人間が心を一つにする事でエネルギーバランスを保っているのです。
ですから、皆様と私どもの思いにズレが生じ、エネルギーバランスが不安定な地域では災害や動乱などが絶えることはありません。
それらのエネルギーの制御、管理を司っているのが神社などに住まう神々なのです。
自然環境だけではなく、人々の感情にも影響を与えるほどの強力なエネルギーを扱うのですから、それらのエネルギーを制御する術を失ったらどういうことになるのかは、容易に想像できる事でしょう。
皆様からは私どもの働きを認識する事は出来ないかもしれませんが、私どもの活動と皆様の生活は密接に関係しているのです。
その事を知らない無知な人たちが、今回の騒ぎの火付け役となったのでしょう。
私どもが常に皆様を思い、護りたいと思ってエネルギーをいくら注いだところで、皆様ご自身が受ける気が無いのであれば、そのエネルギーは行き場を失い暴走してしまうのです。
逆に、エネルギー供給する事を疑問視され、供給を断たれてしまえば、あっと言う間に活力を失い、人も土地も枯れ果て、生命は息絶えてしまうでしょう。
何とか生き残れたとしても、過酷な環境の中で絶望を感じながら暮らすようになるのです。
神社と言うのは、そのエネルギーを管理しバランスよく供給する役割を担っている場所ですから、それらの場所を失うと言う事は、日本に動乱や災害を招く事を意味してしまうのですが、それでも良いというのであれば私どもにはもう何も言えません。
この世界を実質的に管理しているのは皆様方ご自身なのですから。
私どもは皆様方の選択を尊重し、それらの選択に即した対応をするまでの話なのです。』
(2010年1月24日)
この様な騒ぎを通じて、神社の存続を危ぶませようとする人々や、霊的な側面を考慮していない法体系によって、私たちの住む世界の秩序を維持する役割を担っている神社が撤去されてしまったら、その結果として発生する動乱や災害の影響を受けるのは、私たち自身です。
ただ、ここで実際に訴訟を起こした人々の、法を楯に神社を撤去しようという目論見を防いだとしても、『実は神社が私たちの生活に重要な影響を及ぼしている』という認識が浸透されなくては、再び同様の意図を持って自らの首を絞めようとする人が現われるでしょう。
これらの“神社の役割を知らない可哀想な人々”は、意図するしないに拘わらず、この世界を維持する秩序を乱す要因となるのですから、その動きを妨げる方向性の霊界からの働きかけがあるでしょう。
その点について、私はそれ程深刻には捉えておりません。
それよりもむしろ、この騒動を通じて神社に関心を持たれた方には、是非神社の役割についての理解を深めて頂き、今後同様の騒動が再発することがないように、周りの方にも伝えて頂ければと思います。
神社の役割を良く理解されている方が増えてゆけば、自然とこの様な騒動を起こす人物は世間から顧みられなくなって、やがて日本国内での居場所を失ってしまうのですから。
日本の神様 & 【Silvdrcord】管理人
8 件のコメント:
この度は取り上げて下さってありがとうございました。神様にご迷惑をおかけして謝りたいし、同じ人間として情けない限りです。
実は彼らも神社の必要性を分かっていて、テロ目的で合法的に破壊しようとしてるのでは?と勘ぐっています。どちらにせよ神を敵に回すことに変わりないのですが、きちんと周囲に告知して、人の手で兵糧攻めにするのが理想です。人間が起こした問題ですから。
今回の判決で危機感を持った方はネットに数多くいるので、神社の本質に気付いて下さることを願います。
はつゆき様
神社の必要性を理解している人物が、率先して神社を破壊しようと考えるとは思えません。
やはり理解が足りないのでしょう。
十分に理解を深めているのであれば、自らの首を絞める行為である事が分からない筈はありません。
また、人間が神を敵に回すなど不可能である事も付け加えておきたいと思います。
キリスト教徒たちの中には、全国で、地域社会と神社を分断しようと
懸命に画策している者たちがいるのは間違いありません。
砂川の一件も、単なる理解不足などではなく、神社に対する破壊工作
でしょう。そうでなければ、「神社の撤去が望ましい」などという
台詞がでてくるわけがありません。
根底にあるのは、「なぜキリスト教が日本人の心を支配する
日本の国教になれないんだ!」という、神道に対するルサンチマン
だと思います。
このことの一端を暴露している書物がありますので、抜粋を紹介します。
【死者の救済史―供養と憑依の宗教学 角川選書 354】 (P237~240)
(以下 引用)
八〇年代以降にアメリカの福音派〔ブッシュが信仰〕を中心に活性化した聖霊運動
〔キリスト教的シャーマニズム〕では、「霊の戦い」がひとつの重要な標語となった。
聖霊運動が非キリスト教圏の風土に伝道しようとすれば、当然そこにあった在来の信仰と
衝突する。これら異教の礼拝対象はいずれも悪魔の手先、あるいは悪霊として一括される。
〔中略〕布教伝道は文字通り、聖霊と悪霊の戦いの場として解釈される。
キリスト教をいまだに頑固に受け入れない国、たとえば日本などを典型とする地域では、
さらに高度な「戦略レベルでの霊の戦い」が必要とされる。〔中略〕
地域を支配してキリスト教の定着を妨害してきた悪魔の活動を、全体的に打破しようと
いうものである。〔中略〕
具体的には、そのスペシャリストとされる伝道師たちを海外から招き、各地の有名な神社・
仏閣・霊山などの「悪霊の要塞」を訪れて、所有権をサタンから主イエスに取り戻す宣言が
行なわれる。何人かのグループで皇居の周囲や伊勢神宮などをまわって、悪霊の支配からの
解放を祈る、などという企画もある。内容は悪霊の打破と追い出しだが、現象的には通常の
参詣や巡礼にそっくりの行動となる。いわば巡礼の裏バージョンである。
じっさい、多くの遍路で賑わう四国の八十八ヵ所では、その悪霊からの解放を祈って巡り歩く
キリスト教徒がいる。(239-240)
「霊の戦い」とは、アメリカ主導の経済的グローバリゼーションの宗教版にほかならない、
という悪口も聞かれる。背後に政治的な保守主義者やキリスト教ファンダメンタリストの
後押しがあることはまちがいない。(240P)
桜様
単なる理解不足ではないとは、どういう意味でしょうか。
私の印象では、「理解不足」という表現が適当だと思うのですが。
『無知』と言い替えた方がよろしいでしょうか。
せっかく参考図書の抜粋をご紹介頂きましたが、桜様の言われる、一部のキリスト教徒は、神社についての理解が不足しているばかりでなく、キリスト教についての理解も著しく不足していると言うことなのでしょう。
彼らがその様な行動を改めない限り、キリスト教は信仰するに値しない邪教であるとの印象を周囲に与えるだけです。
彼らが意図するかどうかに関わりなく、その様な行動を通してキリスト教を貶めていることに、彼らは気付いていないのです。
なるほど。無知ゆえの暴走という解釈ですね。
彼らは仏教や寺院に因縁をつけることは殆どありませんが、
神道・神社には実に嫌らしい因縁をつけてきます。
地域社会と神社を分断することに非常に熱心な、専業の
活動家と言えるような輩が高位聖職者の中にも少なからず生息しています。
ですから、私は彼らの行動を、神社の必要性をきちんと
理解していながらも、それに取って代わろうとしている、と
受取っていたのです。
無知ではなく、神社に対するルサンチマンに満ちた確信犯
である、と。
しかし、無知ゆえに自らの首を絞めている”盲人、蛇に何とやら”
であるとすれば、得心できます。
所詮、人間が神を敵に回すなど不可能である事は明白な事実ですから。
桜様
桜様のご意見に対して、日本の神様からのコメントを預かりましたので、転載します。
『この問題にキリスト教は関係ありません。
ただ、日本キリスト教会に属している方が訴訟を起こしたと言うだけの話です。
原告が「私はクリスチャンの立場から、信教の自由のために訴訟を起こした。互いに信仰は尊重しなければならない。かたくなにならず、尊重し合える存在になって」(※)と自ら語っているように、本当に“尊重し合える存在”になる事を求めておられるのなら、訴訟を起こすのではなく、先ず、神社を管理している地元住民や自治体に対して話し合いの場を求める事でしょう。
イエスは決して“「自らの意に沿わないものは糾弾しなさい」などとは教えていない”はずです。
ですが、原告側の行動には強引さが目立ちます。
何も訴訟などを起こさなくとも、問題の解決方法はいくらでもあるのです。
ですが、訴訟に踏み切りました。
一体、その行動の裏には何が隠されているのでしょうか?
原告側がキリスト教信者として訴えたのも、“キリスト教と言う名前を道具として利用”したに過ぎないのです。
背後組織の本当の狙いは別のところにあるのですが、それをぼかす為にあえて“キリスト教と言う名と信者を利用”したのです。
キリスト教と聞いてまず思い浮かぶのは欧米諸国でしょう?
それを利用したのです。
今回の件は、アメリカも欧州も関係ありません。
そうなると、彼らの背後で動いている組織がどこに属しているのかは必然的に分かるでしょう。
“日本と欧米諸国を離反させる事で良い思いをする人々”です。
あるいは、神社を撤去させた後、その土地を何かに利用するつもりかもしれませんね。
そのような可能性も考えますと、“その土地を手に入れることで良い思いが出来る人々”とも言えるのでしょうね。
さて、日本人の精神を培ってきた神社を潰して、日本と欧米諸国を離反させ、その跡地が利用できて、徳をするのは一体誰なのでしょうね?
参考文献として挙げられている著書を執筆された方がおっしゃっておられる事は、キリスト教世界が抱える一つの事例であるのかもしれませんが、それが全てと言うわけではありません。
物事の一側面だけを捉えて結論を出すのは、少々思慮にかけた行為と言えるでしょう。
もう少し多角的に物事を捉え、熟慮する事をお勧めいたします。
ここで一つ付け加えさせていただきますが、どんなに人間が望んでも、神を人間の思い通りに動かす事はできません。
仮に参考文献で書かれているように、キリスト教の信者が日本の神社仏閣を巡り、『悪霊退散!』といくら祈ったところで、当のキリスト教の神はそのような事を望んではおられません。
その祈りに応えてエネルギーが注がれることは“有り得ない”のです。
むしろ、彼ら自身の因果が巡り、己の無知を悔いる時が訪れるだけなのです。
決して、彼らの考えているユートピアが実現するわけではありません。
例え国や宗教が違っていようとも、それぞれの宗教を司る神々は、皆、同じ法則のもとに活動しており、敵対するものではありません。
私どもを含めました世界の神々の役割は、この世界の秩序を護り、安定へと導く事です。
よって、悪戯に争いを生む行為を良しとはしないのです。
その神々が管理する地域の人々が、自ら争いを生むような行為をただ黙って見ている事は決してありえないのです。
時には、私どもの働きが皆様に届くことなくエネルギーのみが暴走した結果、皆様の世界では、あらゆる命を奪い合う現象がおきる事はあります。
ですが、その後は必ず、自らの行いの意味を学ぶ機会が与えられるのです。
行動の結果が皆様にとって良いものであるのか否かは、皆様ご自身の選択にかかっているのです。』
なお、(※)のコメントは以下URLの記事より引用しております。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100120/trl1001202251009-n1.htm
貴重なアドバイスを頂きました。
ありがとうございます。
頭を冷やした上で再度問題を見直してみます。
確かに、政教分離の原則を考えると違憲と
言えなくもないのですが、日本に住まう日本人
ならば、そもそも、そんな訴えなど起こさない
でしょう。
政教分離の原則の前に、それが文化ですから。
また、本当に住民ならば神社を排除する目的でも
なければ地元の神社の土地の名義を調べたりは
しないものでしょうし。
つまり、この原告は、真っ黒という事ですね。
今回の一件の原告の背後には統一協会と中国
帰還者連絡会、平和遺族会(靖国神社反対運動)
がいるようです。土地狙いも絡んでいるかも。
中国帰還者連絡会
会員資格は「中国を侵略して戦犯となり、中国の
寛大政策により帰国したもの」
明らかに中国政府の手先ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B8%B0%E9%82%84%E8%80%85%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A
また、クリスチャン・トゥデイによると、この
裁判で、日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題
委員会が砂川市長に上告しないよう求める声明を
発表しています。
あと、違憲訴訟を起こした原告の1人は、靖国
神社反対運動を展開してきた平和遺族会の代表者
です。
統一協会に中帰連、靖国神社反対運動。
加えて、北朝鮮や極左と連携行動を取る聖職者。
怪しすぎます。
平和遺族会の言い分は「公有地内の神社が合憲
なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道
の復活が避けられない」ということです。
現在、靖国反対論者が全国の公有地内神社に
狙いを定めて土地の登記を洗い出して、潰しに
かかっている模様です。
空知太神社以外にも長野・信州大学構内神社など
についても同様の訴訟があり、北海道では他の
神社へ拡大しそうな気配があるようです。
全国には同様の、公有地に鎮座している神社が
数千件にのぼると言われており、同じような事例
の続発が心配ですね。
韓国キリスト教(「ウリスト狂」です)が
「信仰のない日本に(私達韓国人が)信仰を
与えてやろう」と布教を強化するという報道が
年末にありました。
どいつもこいつも・・・(怒)
せめて放っておいてほしいものですが、そんな
願いは、「彼ら」には通用しないのでしょうね。
とるべき選択肢は「闘い」しかないのでしょうか。
桜様
この様な厄介ごとを招いたのは、一部の人々が傍迷惑な行動を起こしても、自分自身に被害が及ばない間は「放っておけばいいや」と、見て見ぬふりを続けていた為かも知れません。
つまり、何らかの手を下さないと解決の見込みは立たないのです。
ただし、この様な問題に対して危機感を持つ人が限られている現時点では、下手に騒いでも解決に繋がるかどうかは何とも言えません。
ですから、この手の傍迷惑な人物を最終的に囲い込んで社会的影響力を失わせる為に、まずは私たちと神社の関係について、私たちにとって神社がどの様な存在なのかについて、身の回りの方に理解を深めてもらう必要があると思います。
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