■ 匿名様の質問
こんにちは。
韓国在住の日本人です。
便乗で私も洪思翊様の霊に伺いたい事があります。
日本では、霊媒M様、その他の大勢の霊的な方やスピリチュアルな方が、人の魂をどのように磨くのか、この世の中をどのようにして正しい方向へ向かわせるのかと言うヒントをサイトやブログなどいろいろな手段を通して教えて下さっています。
一方韓国ではキリスト教がとても盛んで、一つの町にいくつも教会が建てられているような状態ですが、自分の誤った考え方や生き方を変えるための信仰と言うよりも、現世でのご利益信仰で、一体どのくらいの方が本当の意味で人や国を正しい方向に向かわせようとする信仰をしているのか疑問です。
また、最近でもリビア国内での不法な宣教活動が外交問題になりましたが、世の為人の為神の為の布教というよりもは、外国で布教する事によって自分の利益(伝道実績)を得たいという風にしか思えない活動も多いです。
韓国民全体がこの世しか分からず、神様といった、目に見えない存在への畏敬の念がほとんど見られませんし、自らの行動を正そう、良心的に生きよう、と言う基本的な道徳観や、善の価値観を求めようと言う人たちが、あまり見当たりません。(もちろん、そういうものを求めている方もいらっしゃるとは思うのですが・・・)
やはり儒教の弊害ではないかと思います。
そこで質問なのですが、洪思翊様やその他の昔韓国人であった方々の霊は、現在韓国において国を良くする為に何か活動をされているのでしょうか?
また、日本には八百万の神様がいらっしゃいますが、韓国にも韓国(朝鮮)を守っている神様がいらっしゃるのでしょうか?
私は檀君神話しか知らないのですが、檀君が守っていらっしゃるのでしょうか?
それからもう一つ。
韓国に住んでいる日本人に何か求めている事はありますか?
私自身は、韓国の方々の反日感情を助長するような活動、例えば、竹島は韓国の島だと言ったり、日本国の代表になったかのように植民地時代の事を詫びる等の政治的な活動には反対なのですが、そういう事をすることに対してどう思われますか?
もし、お答えいただければ幸いです。
■ 『洪思翊』と名乗る霊の回答
「神話はさておき、世界中どの国にも管理を託された霊団がそれぞれに活動をしており、呼び方は様々ですが、日本で言うところの八百万の神々のような存在がそれぞれの国を護っております。
私自身は、今現在は日本での働かけが中心になっていますから、朝鮮半島からは一歩引いた場所で控えている状態です。
朝鮮半島の方々に本当の意味で必要とされるその時までは、本格的な活動をする事はありません。
その時々で必要がありそうな場面に遭遇する場合もありますから、そんな折は働かけを行っております。
他の方も同じ様なもので、朝鮮半島の方々が本気で国を何とかしようと動き出すまでは、基本的には見守っているようです。
私たちがいくら働きかけても、受け止められるだけの心構えが無ければ無意味に霊的エネルギーを注ぐことになってしまいますから、国民の本気が見られるようになるまでは基本的には手助けをする事はありません。
消費される見込みの無い霊的エネルギーは行き場を失い、供給過剰状態になってしまいます。
その様な事になれば、その土地の霊的エネルギーの秩序を乱してしまいますので、その様な危険な事は出来ないのです。
今の世界で起きている自然災害の状態を見ていただくと分かりやすいと思われますが、あれは霊的エネルギーの供給量自体は適切であるにも拘らず、人間が上手く活用出来ていない弊害でありますから、霊的エネルギーが供給過剰になった場合の影響には計り知れないものがあると思われます。
日本の皆様にお願いしたい事はただ一つ、朝鮮半島を甘やかさないでいただきたいのです。
甘やかされる事で朝鮮半島は依存体質から抜け出せず、国として正常に運営する事が出来なくなってしまいます。
今の北朝鮮を見ればお解かりかと思いますが、あれでは国として存在すること自体が周辺諸国にとっての脅威となってしまいます。
北朝鮮の姿は、甘やかされ、食い物にされた国家の姿です。
韓国も、今のままではどうなる事か分かりません。
今の彼らに必要なのは、自立心を育てる事です。
そのためには、日本は朝鮮半島からは一定の距離を置く必要があるように思います。
彼らは自力で正常に国家を運営する術を学ばなければなりません。
そのためには、試行錯誤を繰り返しながら自力で運営してみるという経験はとても大切な事なのです。
『困ったら日本に頼ればいい』という意識を捨てさせるためにも、厳しく対応する必要があるでしょう。
それは決して非道な行いなどではなく、逆に、深い慈愛を感じさせる行為であると私は思います。
表面ではいい顔をして、裏では『如何にして我欲を満たそうか』と皮算用しているというのでは、そちらの方が余程酷い行いであると思います。
日本の民主党政権は、日本にとっても朝鮮半島にとっても、疫病神としか思えない行為を繰り返しているように思います。
日本の事も朝鮮半島の事も、両方の国々の国民を侮辱し、我欲の為に食い物にしているのが実状であるようです。
それは、自称人権団体などの政治活動家にも同じ事が言えます。
それらの活動は日本に対しても朝鮮半島に対しても裏切りの行為でありますから、一日も早く改善される必要があるように思います。
朝鮮半島側にも似たり寄ったりの行為を繰り返している者達がいるのですから、日本に責任転嫁する事は許されない行為ではありますが、気付いておられる方が増えつつある日本ならば、国内の不正に関しては正すように先手を打つことが出来るような気がするのです。
そうなれば、今の民主党政権の行いは日本では通用しなくなりますから、少なくとも日本側から朝鮮半島に悪影響を及ぼす危険が大幅に減る事になるのです。
日本の皆様に出来る事は、事実に即した歴史を把握しておく事だと思います。
例え外国人に何を言われようとも、動揺しないだけの根拠のある歴史認識を持っている事はとても重要であるように思います。
日本人の心がバラバラだと付け入る隙を作る結果となり、食い物にされる危険が増しますので、心を一つに合わせられるように努力をする必要があるでしょう。
日本人同士がいがみ合う事はとても危険な行為である事を良く覚えておきましょう。
韓国の事は韓国の国民が解決する以外に道はありませんから、ご質問者様を始めとした韓国にお住まいの日本の皆様にお願いする事は今のところはございません。
韓国の国民自身が本気で国を改善しようと活動を始めた時には何かお願いをする事もあるかもしれませんが、今はその時では無いように思います。」
(2010年8月8日)
質問については『洪思翊』と名乗る霊が回答しておりますので、前段の部分について私からも個人的な意見を付け加えたいと思います。
質問で韓国の宗教事情に触れておりますが、宗教団体との関わりを通じて、この世界に同居する目に見えない存在に関心を持つのは悪いことではありません。
また、目に見えないけれども私たちの生活に密接な関わりを持ち、私たちがこの世界に生まれた目的を果たす為に役立つ霊的知識への理解を深めてゆくほど、「現世利益に拘っても余り得るものはない」と実感してゆくのですが、観察力や洞察力が欠けたまま何となく一日を過ごしていたり、霊的知識への理解を十分に深めていない状態では、現世利益に執着してしまうのも仕方がないと考えております。
今後、様々な経験を経るうちに「何かが違う」と疑問を持つようになり、現世利益への執着も徐々に解消されてゆくでしょう。
人間であるからには誰もが経験する道程ですので、周囲に過剰な迷惑を振りまくのでなければ、本人の意思に任せて良いのではないでしょうか。
【Silvercord】管理人
16 件のコメント:
質問者です。
ご回答ありがとうございます。
非常に良くわかりました。
そして、他の人も同じように様子を見ておられると言う事ですので、今現在は日本で行われているような働きかけはほとんど行われていないと言う事ですね。
しかし、それは分かるような気がします。
私は日本人ですけど韓国に住んでおりますし縁がありますから、やはり誰が見ても立派な国、立派な人たちになって欲しい、と言う気持ちがあります。でも、いくら訴えても、そういった、日本人なら誰でも理解できる価値観を持っていないので、その意味すら理解されずに徒労に終わり悲しい気持ちになります。
結局、韓国の人たち自身がいろいろな価値観に触れて、それを目指そうとしなければ、どうにもならないと思いました。
良く考えれば、韓国と言う国が出来てからまだ60年にしかならないんですよね。民主主義を勝ち得てから20年ほどしか経っていません。
日本は民主主義を敗戦によってアメリカから与えられましたけど、韓国民は多くの命と犠牲を引き換えに勝ち取りました。それは本当にすばらしい事で誇れる事だと思っています。
だから、韓国の今の状況がとても残念で、早く気が付いて欲しいと思うんです。
特に何か私が出来る事はないと言う事なので、このメッセージを多くの在韓の日本の方に伝えて、間違ったメッセージを送って韓国の方が気が付くのを遅らせることがないように、甘やかせる事がないように、注意を喚起していきたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。
最後に管理人様、この一連のメッセージとこのブログを在韓日本人の集まるブログや掲示板などで紹介してもよろしいでしょうか?
せめて、これぐらいの情報を共有する事で韓国の方のお役に立てれば、と思うのですが・・・。
質問者の匿名様
当Blogや本家サイトに掲載中の記事は、営利目的の使用でない限りはリンクフリー・転載フリーとしております。
常識的なご利用の範囲内でしたら、ご覧の皆様の判断にお任せいたします。
転載される場合は、転載した記事を読まれた方の疑問にお答えする手段として、原則的に出典を添えて頂くようお願いしておりますが、こちらもご利用の皆様の判断にお任せいたします。
また、コメントに「日本は民主主義を敗戦によってアメリカから与えられましたけど…」とありますが、日本では大東亜戦争前から民主主義の仕組みが存在していたと認識しております。
20歳以上の男女に選挙権が与えられたのは戦後ですし、それ以前に充分に機能していたかどうかは別としても、米国が日本に民主主義を与えたとは言えないのではないでしょうか。
むしろ、1950年代~60年代に掛けて米国で広まった公民権運動の例を紐解けば、米国の民主主義の不十分な側面を露呈していたことが伺えると思います。
質問者です。
ご返答、ありがとうございます。
普通の雑談の多い掲示板ですので、読まれる方が誤解されないように言葉に注意して紹介させていただこうと思います。
また、日本における民主主義ですが、確かに民主主義の制度は戦前からありましたね。
明治維新が日本における民主主義の獲得の始まりで、敗戦によって民主主義が定着した、という言い方の方が良いのでしょうか?
ただ、韓国は民衆が立ち上がって自らの手で民主主義を勝ち得た、と言えると思いますが、日本はそうではない、と感じます。
明治の今の言葉で言うと官僚が外国を手本にして国の制度として取り入れ、天皇制を基本として発展させましたが、敗戦によってその天皇制を無理やり廃止させられました。
結局、今の制度は憲法からして国民が望んで得たものじゃないんですよね。
こういう議論も、今までは結界によって封じられてきた?のでしょう。
日本の結界が無くなることで、ここら辺の議論も活発になって行くのかな、と思います。
すみません、質問者です。
上の文章で、天皇制を無理やり廃止させられた、と書きましたが、ちょっと強く言い過ぎたかな、と思います。
文章を書くと、どうしてもオーバーに書いてしまいますね。
そういうニュアンスを察してくだされば、と思います。
では・・・
質問者の匿名様
コメントに有るように、天皇制を無理矢理廃止させられたわけではないですね。
日本国における天皇の扱いについては憲法で大枠が定められ、より詳細な点については皇室典範で定めております。
日本国の占領当初、GHQは天皇退位と皇室制度廃止の意図を持っていたのかも知れませんが、その後「占領統治を円滑に行なう為には天皇の地位を保証する必要がある」と、考えを変えたのでしょう。
既に表面化していた米ソ対立の影響もあるかも知れません。
結局、天皇は様々な権限を剥奪されましたが、国家における特殊な立場として留まり続けました。
しかし、当Blogで度々取り上げる天皇の特殊な役割を考慮に入れれば、かつてよりも現在の方が“霊的視点から見た覡としての天皇の役割”に注力出来る状態にあるとは思いませんか。
また、韓国が民衆の力で民主主義を勝ち得たのは大したものですが、日本は民衆が立ち上がらなければならないほどに追い詰められる事なく、比較的速やかに近代民主主義へと移行したと理解しております。
国の中枢におられる方に先見の明があったので、不十分な形からのスタートではあっても、明治の開国以降の比較的早い時点で、従来の日本の仕組みに馴染ませながら、段階を追って民主主義を浸透させていったと言う認識です。
その点については見解の相違があるのかも知れません。
しかし、最も大切なのは民主主義を手に入れた経緯ではなく、現在どの程度まで理解を深めて上手く仕組みを活用しているか、その結果として私たちが豊かで安全な暮らしが送れているかにあると思いますので、そういった視点からも観察して見てはいかがでしょうか。
うまく読んでいる皆様に伝わるかわかりませんが、上記の各方々のご意見を読んでの感想を述べます。
昨今の世情で良く耳にすることで、民衆、国民、市民は、なにか自分たちを支配する権力といったものから、戦って取り戻したり、勝負して勝たなければ、自らの生命や存在意義、自由などを得られない、そういった不自由な存在のように考えている方がいらっしゃるようですが(革命好きな方々など)、日本に於いては諸外国に比べ、異常なほど自由度が高いように思います。(自由奔放すぎて、わがまま勝手になることが在るほどですね)
これからがどうなるかはわかりませんが、少なくとも現代においてり今までの生活で、奴隷のような生活を権力により強いられて生きてきたという日本人は、ほぼ居ないのではないかと。(家庭内、職場内、地域での特殊な圧政などはあるかもしれませんが、国の機構としてはそうではないと認識しています)
ただ、もう少し一人一人が、国民としてこうありたい、こういう世の中にしたいということをポーズではなく考えていきやすい風潮があってほしいとは思います。声高ではなくとも、きちんと自分の主義主張を心に持って生きることで、自ずと周囲にも伝わることがあるかと思います。
民主主義というカテゴライズの仕方が、現在一番理解しやすいかといえば疑問を感じますが、明治以降の日本の政策の詳細としては管理人様が上記で記載したこととなるのでは。
~主義と銘打ってしまうと、似て非なるものまでが同一視されてしまうので、私は~主義といった言い方よりは、「日本では~といった仕組みが国の運営にあった」というように詳細を添えることが多いです。
戦後の日本、特に近年は、米国や諸外国側の立ち位置から日本を評価することが横行しているように思います。客観的とか国際的な視点・・・といった言葉でごまかされてしまいますが、実際は自国民の為よりも他国に媚びをうったような政策を助長させる結果になっているかと思います。
米国や諸外国、国際機関が日本にアレコレ口出ししてきますが、それぞれの国はそんなによくできているのかをみると、自国のアラのつけを日本に押しつけているようなところが散見されます。そんな状態で、日本が言われるままに援助していたら、諸外国ともども社会がダメになってしまいます。
もちろん、諸外国、民族の良さもありますし、それを学んで日本的に取り入れていくことはかまわないと思いますが、鵜呑みにするのは止めにしないと、日本の発想・工夫や機転の利く「良さ」が失われてしまうのではと思います。そんなことよりも、日本もまず、自国内の不具合をきちんと見直し、共通の認識とそれによる法律をはじめとするルールに従った運営を守り、よりよい制度へと育てることに注力したらいいのになと思います。
Sharing with others だの、One worldだの、声高に言う国程、自国の優位を維持するために他国を操作したい(しかも、両国を操作できるだけの技量も持ち合わせていないのがほとんどではないかと)という短絡的な在り方をしていると感じます。シェアするには自国がシェアするだけの価値と資質をお互いが持っていなければならず、One worldというのも、同じ価値観といった意味合いなのならば、多様性を否定する=地球の成り立ちを否定することにも思います。地球が1つの世界であるのは太古からの話であって、いまさら持ち出すまでもない話。
他国を思いやるのは大切ですが、自国を真に大切にせず、自国内での思いやりが欠けていては、他国に対するそれは単なる「逃げ」でしかなくなるのではないかと思います。自分の子供の躾はできていないのに、他国の物乞いで自活する「かわいそうな子供達」に援助をしてしまうようなものです。
うまく読んでいる皆様に伝わるかわかりませんが、上記の各方々のご意見を読んでの感想を述べます。
昨今の世情で良く耳にすることで、民衆、国民、市民は、なにか自分たちを支配する権力といったものから、戦って取り戻したり、勝負して勝たなければ、自らの生命や存在意義、自由などを得られない、そういった不自由な存在のように考えている方がいらっしゃるようですが(革命好きな方々など)、日本に於いては諸外国に比べ、異常なほど自由度が高いように思います。(自由奔放すぎて、わがまま勝手になることが在るほどですね)
これからがどうなるかはわかりませんが、少なくとも現代においてり今までの生活で、奴隷のような生活を権力により強いられて生きてきたという日本人は、ほぼ居ないのではないかと。(家庭内、職場内、地域での特殊な圧政などはあるかもしれませんが、国の機構としてはそうではないと認識しています)
ただ、もう少し一人一人が、国民としてこうありたい、こういう世の中にしたいということをポーズではなく考えていきやすい風潮があってほしいとは思います。声高ではなくとも、きちんと自分の主義主張を心に持って生きることで、自ずと周囲にも伝わることがあるかと思います。
民主主義というカテゴライズの仕方が、現在一番理解しやすいかといえば疑問を感じますが、明治以降の日本の政策の詳細としては管理人様が上記で記載したこととなるのでは。
~主義と銘打ってしまうと、似て非なるものまでが同一視されてしまうので、私は~主義といった言い方よりは、「日本では~といった仕組みが国の運営にあった」というように詳細を添えることが多いです。
戦後の日本、特に近年は、米国や諸外国側の立ち位置から日本を評価することが横行しているように思います。客観的とか国際的な視点・・・といった言葉でごまかされてしまいますが、実際は自国民の為よりも他国に媚びをうったような政策を助長させる結果になっているかと思います。
米国や諸外国、国際機関が日本にアレコレ口出ししてきますが、それぞれの国はそんなによくできているのかをみると、自国のアラのつけを日本に押しつけているようなところが散見されます。そんな状態で、日本が言われるままに援助していたら、諸外国ともども社会がダメになってしまいます。
もちろん、諸外国、民族の良さもありますし、それを学んで日本的に取り入れていくことはかまわないと思いますが、鵜呑みにするのは止めにしないと、日本の発想・工夫や機転の利く「良さ」が失われてしまうのではと思います。そんなことよりも、日本もまず、自国内の不具合をきちんと見直し、共通の認識とそれによる法律をはじめとするルールに従った運営を守り、よりよい制度へと育てることに注力したらいいのになと思います。
Sharing with others だの、One worldだの、声高に言う国程、自国の優位を維持するために他国を操作したい(しかも、両国を操作できるだけの技量も持ち合わせていないのがほとんどではないかと)という短絡的な在り方をしていると感じます。シェアするには自国がシェアするだけの価値と資質をお互いが持っていなければならず、One worldというのも、同じ価値観といった意味合いなのならば、多様性を否定する=地球の成り立ちを否定することにも思います。地球が1つの世界であるのは太古からの話であって、いまさら持ち出すまでもない話。
他国を思いやるのは大切ですが、自国を真に大切にせず、自国内での思いやりが欠けていては、他国に対するそれは単なる「逃げ」でしかなくなるのではないかと思います。自分の子供の躾はできていないのに、他国の物乞いで自活する「かわいそうな子供達」に援助をしてしまうようなものです。
8月9日16:53投稿の匿名様
個人的には同意する点の多いご意見を頂きましたが、一点だけ述べて置きたいと思います。
「Sharirng with others=他者との共有」、「One World=一つの世界」でしょうか。
当Blogでも度々『価値観の共有化』について述べておりますが、概念としてはいずれもそれ程大きな違いはないと思います。
ここで匿名様はこれらの働きかけが「自らの意のままに他者を操る為の掛け声に過ぎないのではないか?」、「多様性の否定に繋がるのではないか」との懸念を示しておられると受け取りました。
ここで『価値観の共有化』とは何かを考えて見ましょう。
私が想定する『価値観の共有化』とは、社会秩序を維持する為に欠かせない最低限のルールを、その社会に属する全ての方の共通認識として確認し、社会の一員である私たちが率先して秩序を維持するように努めましょう――その様に考えております。
「何故そのルールを守らなくてはならないのか?」その理由を明確に理解していないと、「少しくらいならルールを破っても良いか」と考え、実行する方が出て参ります。
秩序が乱れてしまうと、その社会に属する全ての方にとって、何らかの余計な負担を抱えることになってしまいます。
『自由』と『身勝手』は異なると言うことです。
ある方の自由の行使が、別の方の自由を侵害しないように、節度を弁えた自由の行使が求められます。
社会全体として自主的に節度を弁えることの出来ない方の割合が多ければ、残念ながらペナルティを伴う一定の強制力によって、秩序の乱れを抑止するよりないでしょう。
それが現在の私たちの社会です。
匿名様がコメントで述べている例は、『自由』と『身勝手』をはき違えている方についてなのだと思いますが、経験が不足している為に広い視野から物事を見極める事が出来ないのでしょう。
誰もが一度は通る道ですので、それらの方が考えを改めるまでは距離を置き、自分の為すべき事に専念するよりないと思います。
いずれにせよ、今後私たちの暮らす世界は『価値観の共有化』を明確に志向し始めます。
それは今後数百年、場合によっては数千年の長い道程となるでしょうが、ここで世界が『価値観の共有化』を放棄すれば、再び数千年前からの歴史を繰り返す嵌めになります。
数千年前からもう一度歴史を繰り返すのか、それとも秩序の維持と自由の行使、多様性の維持のバランスがとれる仕組みを模索してゆくのかは、今後の私たち自身の選択に委ねられております。
管理人様
お手間をとらせております、匿名で投稿した者です。投稿の際エラーで二重投稿になってしまい、ご迷惑をおかけいたしました。基本的に管理人様が補足されたことに、なんの意義もありません。せっかくここまできて、数千年の繰り返しをするのは、非常にもったいない気がします。
言葉というのは、それが発生した時の意味合いが、いつ何時も誰に対しても共通のものとなる訳ではなく、それぞれが在る程度融通の利くところで使用しているものです。共通認識という点では辞書や辞典などの記載を基準とするくらいしかありません。また、1つの方向から意味を限定することは、言葉の豊かさを阻害することにもつながりますので、できれば個々の考え方を明確にして補足とするなどをすることが懸命かと思います。(蛇足ですが、自由というのは自らの由と書きます。それぞれが本来の自己の果たす役目を人生に於いて果たすことができる状態というのが、「自由」な状態とも考えられます。それは、「身勝手」とはもともと相容れないものではないでしょうか)
確かに前回の書き込みでは、意図的に言葉を使い望まない方向へと舵を向けさせようとする方々のことが念頭にありました。
管理人様の「価値観の共有化」の定義は簡潔であり、よほどでない限り、おおよその人々が無理なく受けいれられる認識だと思いますが、それでも単なる句として考えると、受け取る方々ごとにイメージが違うでしょうし、まして世界中の違う言語、文化に於いて考えれば、真に同じ価値観に立つことは難しいでしょう。
とはいえ、地球上の人類という種としては、なんらかの共通認識ができる(「社会全体として自主的に節度を弁えた」に通じる)ポイントはあるはずで、それは個々の「理解しようという意志」によって大きく推進されるものだと思います。だからこそ、甘やかしではない「思いやり」や「愛情」が大切なのだと考えています。
>>誰もが一度は通る道ですので、それらの方が考えを改めるまでは距離を置き、自分の為すべき事に専念するよりないと思います。
よくわかりますし、もともと自分の為すべき事に専念する所存なのですが、いかんせんニュースその他を見聞きするに付け、距離をおいているだけでは損害が発生しうるのではと危惧しております。(現在の日本政府の閣僚の方々は、同じ国民とは思えないほど物事や言葉への認識が違い、途方に暮れることしばしばです)
上記で漢字の変換に間違いがありました。
本文2行目の最後は、意義ではなく、異議です。失礼いたしました。
管理人様、2010年8月9日16:53投稿の匿名様
価値観の共有に関するご説明ありがとうございました。
人類が新たなステップに向かって進むためにはどうしても避けられない項目があるのでしょう。
私見ですが、宗教ももとはと言えば、人の嫌がることをしないということ(生きる為の最低限のルールの明確化)と、本当に人(正確には分神霊である人)の成長の手助けになる行為の勧め(推奨される善行の指針)をまとめたものと言えるのかと思います。
いずれにしましても、そこには「素晴らしい社会を作って行こうという気概」みたいなものがあるでしょうね。
翻って、今の民主党を見据えるならば、口では「愛」とか「共生」「地球市民主義」などなどを仰せではありますが、実際にやっておられることは洪思翊様の仰せに在るとおり、日本にも有害であるばかりでなく、朝鮮半島にとっても疫病神でしかないと言う現実が見えて参ります。
民主党の始まりが、そもそも妬みとか恨みなどの低次元に属する想いが種子となって広がっており、その辺りの中心はどす黒い利権や貪欲が渦巻いているように見えます。
これに権力を与えた我々日本国の有権者の責任は重く一刻も早く日本を正常軌道に戻さねばならないことは言うまでもありません。
8月11日11:26投稿の匿名様
『自由』と『身勝手』について、少しだけ追記します。
言葉の意味としては匿名様の指摘される通りなのだと思いますが、本来は別のものを的確に見分けることが出来ずに混同してしまったり、誤った理解をしてしまう場合があります。
本人は「自分の自由意思の行使」と理解していても、実は周囲に迷惑を掛けていることに気づいていないだけで、周囲からは「身勝手な振る舞い」と見られる場合もある――以上の様な意味合いで『自由』と『身勝手』について述べたのですが、いかがでしょうか。
管理人様
上記、異論ございません。
8月12日10:12投稿の匿名様
宗教についての言及がありますので、個人的な見解を述べたいと思います。
「人の嫌がることをしない」と言うだけでは不足していて、「何故人の嫌がることをしてはならないのか」を追求する必要があります。
そうすると、人の嫌がることをしてしまった場合に、それが巡り巡って自分自身にとって不都合な結果を招くという結論に至ります。
いわゆる『因果律』です。
更に考えを進めると、実は自分にとっても相手にとっても都合良く物事が運ぶ為の方法が存在する事に気がつきます。
更に、相手との利害対立というリスクから逃れられるので、実はそれが最も優れた方法であることを理解するのです。
プログの更新を楽しみにしています。
自分の中での政治の見方が変わり、日本に政治に興味を持てるようになりました。有難うございます。
勇気を出して質問させていただきます。
前から李承晩さんに伺いたいと思っていたことがあります。
もしかしたら、すでにどこかでお答え済みかもしれませんが。
(その場合はごめんなさい)
竹島と独島について質問があります。
竹島はもともと日本国のものと自分は思っております。
李承晩さんが李承晩ラインを引く際に竹島まで韓国領として線を引いてしまったと記憶しております。
だとしたら、竹島までラインを引いてしまったのは故意、本当は日本領と知りながら、ちゃっかり貰っちゃおうと思ったのか?(確信犯)
それとも本当に竹島は韓国領であると心底思ってラインを引いたのか知りたいと思いました。
実は私は韓国人にあまり良い印象をもっていません。
韓国政府や在日コリアンをみていると、一本筋が通っていないというか、日本人ならばこういう時は「坊主憎ければ袈裟まで憎い」というふうに嫌いならば極端に嫌うところがあると思うのですが、どうも私の中では韓国人にはそのような気持ちを持っている方が少ないような気がします。
日本が嫌いならば日本人の税金から朝鮮人学校の学費を出してもらおうとせず、自力で運営しても良いと思うのです。
日本国が嫌いで帰化しないのであれば、外国に行ってトラブルが発生した時に自国(韓国や北朝鮮)の大使館に駆け込めば良いのに日本国の大使館に駆け込むのを知り、愕然としました。
以前、”日本は朝鮮半島を甘やかさないで”というお話がありましたが、私も同じようなことを思っていました。
韓国人は「やさしさ」と「弱さ」の区別が日本人とは異なるような気がします。それゆえ、親切で韓国政府を援助してあげても隙を突いて自分のものにするような、もしくは従軍慰安婦問題のようにゴネて、物乞いをした方が得策と思っている方が多数存在するような気がします。
話はそれてしまいましたが、結局竹島も日本政府の隙を見て、物乞い精神で、どさくさにまぎれて韓国領にしたいのか?、きっと確信犯に違いない!と私の頭では思ってしまうのですが。
いかがでしょうか?当事者である李承晩さんに本音を伺いたいと思います。
もし李承晩さんが無理でしたら、歴代の大統領でもかまいませんのでご回答をお願いします。
話しにくい内容でしたら、この質問を廃棄していただいてもかまいません。
よろしくお願いします。
としろう様
ご質問に対して、『李承晩』と名乗る霊は「わざわざ答える義理はない」と思っているようです。
現在は直接話を伺える状態にないようですので、詳しい事情は分かりません。
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