2011年8月23日火曜日

道具は使うことではじめて活きてくる

今回は、記事【人間の手によって引き起こされている問題に注目しよう】のコメント欄にお寄せ頂いたbaseheat様の質問について、『日本の神様』の回答を預かっておりますので、ご紹介したいと思います。





■ baseheat様の質問

私は現状の問題は、元々の発端となった震災(本当の発端は、もっと前のことだと思いますが)よりも、その後の人災とそれに関わる人々のそれぞれの思いが入り乱れた混沌ゆえだと思っています。
あからさまになっている様々な問題ですが、それを目の当たりにしても理解できない人も少なからずいるように思います。何か暗示にでもかかったかのように、あるところを指摘すると、思考停止になるような感じです。それが失敗を認めないということなのでしょうか。
元々日本人は個が集まり場として働くことで、絶大な効果を発揮する業がありますが、今回それが働かしきれていないように思います。機能するべきところに阻害する力がある為です。この20年程は特に社会の様々な場を解体し、個人の利益を追求するのが是とされる風潮がありました。個の力を活かすことは今後の日本にとって大切なことですが、それは場の解体ということではないでしょう。場の解体を意図したものの策略にうかうかと乗ってしまい、災害の際にも場が解体されているところは立ち直りが遅く、場が機能しているところは被災が酷くとも前へ進み始めているように感じます。人災の部分については、私ども日本国民の能天気ぶりが、悪い方に発揮された感があります。今、力を結集して迅速に行うべきことをやらず、仕掛けられたムーブメントに注目をしてしまうなど本末転倒です。良くも悪くもお祭りの方に目が向きやすい国民性でしょうか。
被災地の、特に被害のひどい三県沿岸部や、福島の原発の二重被災の方々は、大変ご苦労されています。そこにつけこんで海外、国内の心無い方々が利を得ようと寄ってきています。しかし同じ被災をしても個々に受け取り方が違い、その後を迎えていることがあります。新たな場をしっかり作ろうと動き出したところも少なからずあるようですし。
第二次世界大戦での敗戦、先の阪神淡路大震災や、新潟の地震、今回の大地震と津波と福島の原発の事故(というより事件)など、まずは衣食住の方に目が行っても仕方ないでしょう。特に今回、人災の側面として国が国民を護るという当たり前の政策を遂行しない(できない?)という事態もあり、一層衣食住のことに(被災地以外まで)執着せざるを得なくなっているようにも思います。
けれど、当初震災後の一週間に感じたのは、何かが起きた時なによりもまず大切になるのは、人としての心であるということでした。 「私たちの平和宣言」として、先日広島で、公式の平和宣言とは別の宣言があったことを本日知りました。そこには、私が感じたことに近いことがつづられていました。先の大戦の時も阪神淡路やその他の災害の時も、口蹄疫の事件も、日本国民の心身の働かせ方で国を護ってきたのではないですか?そういう人の力がある場には神々の力も降りやすくなるのでは? それをじりじりしながら待っているのは、神々の方ではないかと思うのですが。





■ 『日本の神様』の回答

そうですね。
あなたが仰っておられるように、現状の問題は、震災以前から蓄積されていたものが、震災の影響から誰の目にも明らかになったということなのです。
あからさまになっている様々な問題を目の当たりにしても理解出来ない方々というのは、原因と結果を関連付けて考える事が出来ない方々です。
失敗したのなら失敗しない新たな方法を考えれば済む話なのですが、失敗する事を恐れるタイプの方は失敗自体を無かったことにしようと考える傾向にあるようです。
建設的なものの考え方が出来ない方々なのですね。
一つの考えに凝り固まり、その考えから脱する事ができません。
気持ちに余裕がなく、融通が利かないタイプといえるでしょう。
だから、事態を悪化させる事はあっても収拾する事ができません。
その様な方が多数派であると、問題は先送りされたまま、後の世代に引き継がれる結果になりますね。

個々の力は発揮される場があってはじめて意味を成します。
場の解体を目論み推し進めてきた者たちは、なぜ国家や地域、家庭という場が存在しているのか、その意味を全く理解していません。
場は個を守るためにあり、個は場を守ることで自らの身を守ることに繋がるのです。
個がどんなに素晴らしい力を持っていたとしても、それぞれがバラバラに好き勝手に行動していれば、場は破壊され、居場所を失った個もやがて存続できなくなります。
個が纏まるためには場がしっかりしている必要があります。
場をしっかりしたものへと作り上げるためには、個が場の持つ意味を充分に理解する必要があるのです。
場の持つ意味をしっかり理解出来ている方々が尽力しておられる地域が、新たな場を作り出そうと動き出しているのでしょう。
問題の早期解決のためにも、個の力が集結することで場を作り、場が個を繋ぎ支えている事実に早く気付く必要があるのでしょうね。

私どもは常に皆様へと力を注ぎ、そのことに一日も早く気付いていただけるように注意を促し、皆様のお気持ちが動くのを今か今かと待ち望んでいるのは確かですね。
国民の皆様が自ら求め、実践してはじめて私どもが注いでいる力が活きてくるのです。
道具は使うことではじめて活きてくるのと同じ事です。
私どもの注ぐ力も、皆様方が使う事ではじめて活きてくるのです。
ただ「助けてください」と願うだけでは、私どもの注ぐ力は活かす事が出来ないのです。
願った後に提供された機会を見逃さず、しっかりと活用してください

(2011年8月23日)





この所、回答をお待ち頂いている質問が増えてしまいましたが、順番に回答して参りますので、しばらくお待ち下さい。

Silvercord管理人 





8月23日現在回答待ちの質問

記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。

6 件のコメント:

  1. 失敗を恐れるというより、失敗したときに降りかかる責任の重さを恐れているのでしょうね。
    失敗したのなら失敗しない新たな方法を考えれば済む話なのはそのとおりなのですが、だからといって失敗に対する責任をとらなくていいということにはなりません。だからいざ失敗したとき、責任を逃れようと、失敗自体を無かったことにしようとするのでしょう。

    まるで大きな子供ですね。

    どうも首相や官僚など最近の「大人」は、待遇のよさは享受したいがリスクは負いたくないという、みっともない人間が多すぎるように思います。既に霊界に居る昔の日本人が見たら、あまりの精神の劣化ぶりに臍をかむのではないでしょうか。
    これが今の日本人の姿かと思うと暗澹たる気分になります。

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  2. >場の解体を目論み推し進めてきた者たちは、なぜ国家や地域、家庭という場が存在しているのか、その意味を全く理解していません。

    わからない人もいるのでしょうが、
    こうすればこうなると、という結果が見えていて、わざとやってるという、そのような魂胆を持ってる人もいるかもしれませんね。

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  3. 日本の神様

    とてもわかりやすいお話をありがとうございました。
    少なくとも、私が思い至ったところは間違いではなさそうです。

    >>提供された機会を見逃さず、しっかりと活用してください

    これについては、しょっちゅう見逃してる気がします…。物事に対する見方や反応の仕方の癖もあって、「これだ」と直感で思った瞬間に「いや…もう一度考えてみないと」とやってしまうようです。失敗してでも直感の信頼性をあげることは必要かも。。。直感でも検証結果でも、出ている答えなのに、具体的行動に結びつかないというのは、見逃している自分の問題があるのでしょうね…。

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  4. 記事とあまり関係ないので、無視していただいてもらってもよろしいですが

    因果について質問させていただきます

    今日私は海老を調理しました。

    生き物の命をいただいたり、調理することには

    因果がめぐったりするのでしょうか?

    感謝をしたら生きるためにいただいてもよろしいのでしょうか?

    イルカと鯨漁を続けている因果が国民全員に返ってきますと

    仰っている霊能者がいました。

    イルカ漁で生計を立てている人もいるんでしょうが、

    何もしてない人たちにも返ってくるのでしょうか?

    よく分からないです。

    よろしければお願いします。

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  5. この地球上で肉体のある生命体として生きるというのは、すなわち他者と関わり、なんらかの形で自分とは別の命をいただき、自らを生かすということです。
    それは、別にイルカや鯨に限ったことではなく、食肉用の家畜を含む動物、鳥類、魚類、植物など全ての命について関わりがあるということだと思います。
    因果ということでよく霊能者といわれる方々がおっしゃるのはどうもある側面を誇張しているように感じます。多分に人間の感情-情念的なところに訴えかけています。
    本来の因果というのは、宇宙に自然に存在する物事の理、道筋であり、感情とは別の次元のものではないでしょうか。

    自らを育て生かす為に必要に応じて他者の命をいただくことは、地球で生きる者としての理に沿っていると私は思います。
    むやみに命を奪い貪る等の行いは正すべきでしょうが、他者の命をいただき生きることから、自然と命の尊さと感謝の念は生まれてくるものです。それが生まれないとすれば、日々の生活自体が極度に利己的になっているのではないでしょうか。自分が食べているものが、自分と同じように生きていたのだと知らずにいる子供もいるとききます。なぜ、自分はその命をいただくことを許されたのか、それでも生きるというのはどういうことかを学ぶことは命の本質を知る為に大切だと思います。それを学ばせることなく子供を育てているような場であるなら、その分の因果はあるのではないでしょうか。

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  6. 8月25日22:45投稿の匿名様

    『銀の紐を越えて』掲載記事【環境問題の本質について(メッセージ54)】が参考になると思います。
    その上で質問がございましたら、改めてお寄せ下さい。

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