■ 日本鬼子様の質問
なかなか、興味深い質問回答で、私も楽しく読ませていただきました。
便乗になりますが、喪中の時は鳥居をくぐってはいけないと聞いたことがありますけど、やはりそうなのでしょうか?
気にする必要はないという人もいますし、また、喪中の時期も聞く人によって、またその方の宗教によっていろいろのように思います。
そもそも、喪中とはいつまでを指すのでしょうか?
故人の四十九日が過ぎればいいのでしょうか?それとも1年でしょうか?故人との関係にもよるのでしょうか?
こういった折ですので、終戦記念日に靖国神社に参拝したかったのですが、喪中の定義がわからなかったので止めておきました。神様や英霊の皆様に失礼にあたる事をしたくはありませんでしたので。
よろしければお返事お願いします。
■ 『日本の神様』の回答
記事【神社の鳥居を車で潜って良いのか?】のコメント欄、2011年8月17日16:18 投稿の匿名様も仰っておられるように、一般的には50日とされているようでございますね。
神社にご迷惑をおかけしないためにも、定められているルールは守ったほうが良いでしょう。
また、神社によって多少の違いもあるようですから、よくわからない場合は事前に問い合わせて確かめてみては如何でしょうか。
さて、ここまでは皆様の世界で定められているルールに基づいたお話になりますが、以降は私どもの考えをお話させていただきますね。
神道では死は穢れであると考えられているようですが、そもそも死は穢れであるのでしょうか。
誕生と死は、この世に生きとし生けるもの全てに等しく訪れるものです。
誕生も死もこの世の仕組みとして欠かせないものです。
どちらも欠かせない対のものであるのに、一方が好まれ、もう一方が忌み嫌われるとは矛盾していると思われます。
この世での誕生は出会いを意味しており、死は別れを意味するものである事から、死は穢れという様なネガティブな考えが定着したのかもしれませんね。
この世が何故今の形態で存在し続けているのか、その意味を今一度考えてみてください。
穢れを心配しなくてはならないのは心です。
心のあり方次第で、穢れを生むこともあれば、穢れを浄化する事もできるのです。
(2011年8月25日)
参考として、以下のリンク先も合わせてご覧になってはいかがでしょうか。
喪中の扱いについて、神社の神職の皆様がどの様に考えておられるかを知る手掛かりになると思います。
【神社本庁|コラム>12.服忌について】
http://www.jinjahoncho.or.jp/column/000025.html
Silvercord管理人
8月26日現在回答待ちの質問
記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】の理由により、下記のご質問につきましては、しばらくの間回答を延期させて頂いております。
- 記事【狡さと賢さは別物】のコメント欄からお寄せ頂いたはつゆき様の質問「欧州と中国で、行動の中心にある概念が異なる理由」について
- 記事【日本は法治国家である】のコメント欄からお寄せ頂いたたらこ様の質問「三島由紀夫氏が死後霊界でどの様に過ごしたのか」について
- 記事【ご覧の皆様からお寄せ頂いた質問について】のコメント欄からお寄せ頂いたあやめ様の質問「霊的な視点から見た『東北地方太平洋沖地震』発生の理由」について
- 記事【神社の鳥居を車で潜ってよいのか?】のコメント欄にお寄せ頂いた松永弾正様の質問「孫正義氏について」
- 記事【自ら率先して動くと言うこと】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問「韓国や在日の韓流戦略について」
- 記事【日本の偏りと中国の偏り】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名(中学生)様の質問「日本や地球が深刻な分かれ道に立たされているのか」
- 記事【徳川家康公の役どころ】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問「自分の資質を知り、それに見合った環境を見極める際のアドバイス」について
- 記事【日本としてのまとまりが無いので成果を得られない】のコメント欄にお寄せ頂いた匿名様の質問「日本はどのくらい纏まれば成果を出せるのか」
1 件のコメント:
遅くなりまして申しわけありません。
日本の神様から丁寧なお返事をいただいて、本当にうれしく思います。また、ずっと疑問に思っていたことが解決できた事もありがたく思います。
管理人様、そして、2011年8月17日16:18 投稿の匿名様にも心から感謝します。
また、日本の神様の「この世が何故今の形態で存在し続けているのか、その意味を今一度考えてみてください。
穢れを心配しなくてはならないのは心です。」というお言葉にも気付かされた思いがします。
この世のしきたりとは云え、ごく身近な愛する者を失う事が穢れと云う事には、いくばくかの違和感を感じていました。
この世から霊界へ移り、肉体を失ったとはいえ、愛するものであることには変わりがなく、穢れとは考えたくない感情がそう思わせていたのかもしれませんが、割り切れない感情があったのも確かでしたから。
しかし、神様がおっしゃるように、身近な者を亡くす事で身が穢れる事より、自分の心が穢れる事のほうが、罪深く悲劇を生むことも大きいと思わされます。
いま日本の状況は、安心して笑顔で過ごせる状態からは程遠いようにも思えますし、個人的にもつらい事や苦しい事はつきものだと思いますが、心を穢す事がないよう、気をつけて毎日生活したいと思います。ありがとうございました。
コメントを投稿