こちらも『手塚治虫』と名乗る霊をご指名ですが、早速回答が届いておりますのでご紹介しましょう。
■ たらこ様の質問
手塚先生のメッセージ、元気をいただきました。
中国人と日本人との視点の違いはありますが
お二方とも、未来に希望を持って生きようと呼びかけてくださっているのは同じだと思いました。
私も、自分のやりたいことを精一杯やっていきたいと思います。ありがとうございます。
ところで、手塚先生が質問を受け付けてくださるということで私も質問しても宜しいでしょうか?
質問は2つあります。
ひとつは、手塚先生から見た大東亜戦争時の日本のあり方についてです。
先生の名著『アドルフに告ぐ』を参考にさせていただきます。
ソ連のスパイ・ゾルゲに協力する本田大佐の息子・芳男という青年の弁で、日本の軍国主義、満州での日本人の中国人差別、戦争をするために使われる「愛国心」「大和魂」というものへの批判をされています。
芳男青年の言葉は、当時の日本に対する、戦後の日本人の想いそのものだと思います。
私もそう思って生きてきましたが、自虐史観というものを知り、また、このブログで英霊の方達のお言葉を聞き、当時の戦争や、日本軍についての考えもかなり変わりました。
先生は、あちらの世界へ行かれて、当時生きていた頃とまた違った広がりのある視点を持たれていると思います。
また、このブログに関係するということは、当然英霊の方達との何らかのつながり、あるいは彼らの弁をご存知だと推察します。
そこで質問1です。
先生が生きていらした頃と、今現在の視点と比較して、戦中当時の日本軍・日本国のあり方について何かお考えが変わられたことはありますでしょうか?
ふたつめの質問なのですが
ここにきて日本人は、もう一度近現代史をしっかり見つめなおし、自分達を必要以上に貶めるのではなく、祖国のために戦った英霊の方達を認め、感謝することが大切だと思います。
質問2として、日本人が今まで他国によって隠されてきた歴史事実を認める作業について、何かアドバイスがありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
以上2点について、質問をさせていただきました。
(質問の内容が不適切なものでしたら、却下してくださって結構です。)
最後に先生の作品『アドルフに告ぐ』について。
高校生の時に読みました。
親友同士だったアドルフが、やがてそれぞれの立場で対立し、最後は殺し合い、迫害されていた立場の人間が逆に迫害する立場になって物語が終了する・・・
戦争は、どちらが悪くてどちらが正しいというものではない。
それぞれの正義があるから戦争が起こる。
そのことが、単なる知識としてではなく、実体験のようにものすごく腑に落ちた、あの最後の衝撃は未だに忘れられません。
戦争について、何も考えていなかった馬鹿な私に、戦争というものの一端を教えてくれたあの漫画は今も私にとって大切な作品です。
ありがとうございました。
お礼を含めて、先生にコメントを送らせていただきます。
■ 『手塚治虫』と名乗る霊の回答
「僕はね、世の中の事象を出来るだけ俯瞰する事を心掛けていたいたから、細々とした一つひとつの事象だけでは無くて、全てを総合した時に見えてくるものを作品の中で表現しているつもりなんだ。
登場人物たちがそれぞれの立場から語る言葉は、その立場の人間から見れば真実であり、それは何者にも覆す事の出来ない真理のようなものであると思う。
それぞれに守るべきものがあり、それを守る事が最優先事項とされるだろうからね。
立場の違いから来るすれ違いは、善悪で推し量る事は出来ない。
十人居れば十の正義があるように、十の国があればこれにもまた十の正義がある。
もし仮に誰かが『我こそは正義なり!』と名乗りを上げれば、その考えに反する者は不義と位置づけられてしまう。
全ての国や人々がその様な考え方だったら、この世界は常に衝突を繰り返す事になるだろう。
自分達にも守りたいものがあるように、相手にも守りたいものがあるのだという事を世界の人々は知っておく必要があると思う。
例え自分達が正義と信じて活動している事でも、他の人々の目から見たら不義としか映らないかもしれない。
考え方の違いから生じる誤解やすれ違いを解消するためには一体どうしたらいいんだろうね?
それらを解決出来なければ、何れは衝突する結果へ至る事になる。
これらの事は、世界全体で考える必要がありそうだね。
誰か一人だけ、あるいはどこか一国だけが実践したのでは完成されない価値観だと思うもの。
自分達と相容れない価値観を持つ人達とどのように付き合ってゆくのかは、みんなが暮らす世界にとって永遠のテーマなのかもしれない。
違う事を許容出来るのが一番いい事だと思うんだけれど、場合によっては自分達の命が脅かされてしまうから、そこは対処する必要がある。
今の世界はまだまだ価値観が違いすぎるから、国境は重要な意味を持つと思うんだ。
違うからこそ、それぞれにルールを設けて国を守っているんだから、そこのところは配慮する必要があるよね。
それぞれの国の中で決められている法律を侵すのは、例え外国人であってもルール違反だと思うし、それすら守れないのであれば国境を無くす事なんて永遠に出来ないと思うんだ。
理想は理想として大切に心の中に秘めておくとして、現実を見据えたものの考え方が出来るようになりたいね。
そういう意味では各国と協力関係を築いて、例えその中でだけでも同じルールの下に価値観を共有出来るのはいい傾向だと思うよ。
今はまだ腹の探りあい状態かもしれないけれど、実績をあげる中で信頼は生まれるものだと思うからね。
他国との協力関係を築く事が自分達の為になると思う人が増えてくれば、何れは世界中で協力関係を築けるようになるだろうね。
ルールを守るとか相手を尊重するといった価値観が世界中に広まって、誰に言われなくても個人の意思で実践出来るようになれば、その時が世界にとっての新たな第一歩に繋がると思う。
それまでは、価値観の伴わない人達にも誤解が生じないようなルール作りを徹底する事が、かなり重要な作業になりそうだね。
その為にも、外国人の価値観は把握しておく必要がありそうだ。
誰かの命を削る事で維持される繁栄よりは、共に生きて繁栄出来る道を選びたいね。
さて、大分話がそれてしまったね。
生前と今とでは確かに視野も変化したし、物事の捉え方も大分変化したと思うよ。
でも、心の奥底にある根っこの部分は変わっていないと思う。
日本軍や日本国について聞きたいということだけれど、こればっかりは善悪では語れない部分があるからなぁ…。
いろいろな要因が絡み合って一つの事象が発生していると考えると、それらの要因を一つひとつ検証してみて、同じ事を繰り返さないように他の可能性を探るのが一番いい事のように思う。
過去に起きた事は今更変えようが無いからね、それらの事柄について結果論を唱える事には意味が無いと思うんだ。
過去に学び、その教訓を未来へと繋げるためには、寧ろ、その結果に至るまでの経緯をきちんと把握しておく方が大切な事のように思う。
どのような経緯でその結果へと導かれたのかを把握していれば、他の可能性を探るのにとても役に立つだろう?
それこそが知識の蓄積に繋がり、成長するという事であると思うよ。
英霊の皆様については、先人達の努力の結果が今の日本だと思うから、感謝する気持ちを持てるのはとても良い事だね。
それと同時に、みんなの手で日本を未来の子供達へと大切に受け継いで行きたいね。」
(2010年7月15日)
今回のメッセージを受け取る際、霊媒Mが『アドルフに告ぐ』について余りよく知らなかった為に、手塚治虫霊が伝えたいことを上手く受け取れなかったようです。
そこで霊媒Mは急遽『アドルフに告ぐ』に目を通したところ、やっと手塚治虫霊の意図を受け取ることが出来たのだとか。
このエピソードは、霊界の住人がどの様なメッセージを送っても、受け手の霊媒が関連する知識を得ていなければ、受け取った情報を的確に表現出来ないという、霊界通信の特性を示しております。
【Silvercord】管理人
6 件のコメント:
手塚先生、お返事ありがとうございました。
それと共に、霊媒様にはお手間を取らせてしまって、申し訳ありませんでした。
先生のコメントを読んで、芳男青年の言葉だけを特化して受け止めていたとを反省しました。
物語に出てくる様々な人物が、みなそれぞれ自分の信じる道を生きているのですね。
「俯瞰すること」というのは、この物語だけでなく、先生の作品すべてについて言えることでした。
日本人である自分は、どうしても日本人目線で善悪を判断してしまいがちなのですが、冷静に、他の立場の人たちの意見を聞く必要もあるかもしれません。
やはり、突き詰めれば、お互いの価値観をどう共有化していくかが課題ですね。
近現代史の検証について、無頓着なままに自虐史観を持った人たちが、まだまだ大勢いる現状を見ると、かつての自分を棚において、ついイライラと焦りがちになってしまうのですが、さりとて、自分がそういう人たちに、冷静にゆるぎなく自信を持って当時の状況を説明できるのかといえば、そうではなく、まだまだ自分の知識不足を痛感したしだいです。
先生のおっしゃるとおり、「その結果に至るまでの経緯をきちんと把握しておくこと」が、今の自分に一番必要なことだと思いました。
価値観の共有化についても、自分たちだけでなく、世界中の人たちの立場も同等に理解していなければ成り立たないことですから、学ぶことは無限にありそうです。
超多忙な中、膨大な本や資料を読んでいらした先生に比べれば、自分はまだまだだですね^^;
まずは、しっかり足元を固めることから始めたいと思います。
貴重な機会を設けていただきまして、手塚先生、霊媒様、管理人様、本当にありがとうございました。
たらこ様
近現代史の見直しについては、まず事実の検証についての学術的問題と、政治的利用の問題とを分けて考える必要があります。
そして政治的利用とはプロパガンダ(=事実関係の検証がいい加減)なのですから、相手の言い分の矛盾を突けば恐れるまでもありません。
例えば、日本の調査捕鯨を批判するオーストラリアに対して、「ではカンガルーやディンゴの虐殺は問題ではないのか」と指摘することによって、相手の言い分の矛盾を突くことが出来ます。
ましてや、日本の近現代史に関する言いがかりなどは、現在の日本に対する批難ですら無いのですから、本来であれば相手の矛盾を指摘しつつ冷ややかな嘲笑で応じれば済むことです。
しかし、相手の言いがかりを鵜呑みにしてしまう日本人の“善良さ”が、元々は些細な問題を大きく膨らませているように思います。
自分自身が率先して『言葉に対する責任』を自覚して行動し、同時に相手にも『言葉に対する責任』を冷徹に求めて行く姿勢が、今の日本に求められるのではないでしょうか。
こんばんは。いつも興味深い記事をありがとうございます。
近現代史という事で私にも気になる事があります。
ここ数日、日韓併合100周年に向けて菅首相が韓国へ
「村山談話」を超える謝罪をするだとか、韓国側が天皇陛下に対し謝罪を求める訴訟を検討しているなど、とても不穏な動きが見て取れる状況になっております。
政権交代後、何となく噂されていた事が現実味を帯びて参りました。
勿論、事実でない事は何としても抗議して行きたいと思っておりますが、この動きに対して中川昭一先生や昭和天皇・明治天皇、または過去の首相の方々のご意見を賜れないものかと思いコメントをさせて頂きました。
幾度となく解決の機会や条約が交わされたにも関わらず、一部の人々の度重なる要求には正直うんざり致します。
しかしそれを関心を持たずに流し続けて来た国民へのツケが廻って来ているとも感じております。
私達は地道に事実を拡散し、一人でも多くの方に覚醒して頂くようにこれからも努力をしなければなりませんし、
今がまさに日本にとっての岐路だとも感じるのです。
このまま誤った自虐的近現代史とともに自滅の道をたどるのか、
それとも毅然とした態度で日本を再生するのか。
全ては国民次第だと痛感しておりますが、なんとしても今上天皇への訴訟や謝罪要求を含む韓国訪問は阻止したいと思っております。
微力ながらの拡散で、陛下をお守りできるものか不安です。
d様
霊界の住人のコメントがもらえそうなのですが、少し時間が欲しいと霊媒が述べておりますので、先に私の意見を述べておきたいと思います。
日韓併合100周年に際して、菅首相が『村山談話』と同様のコメントを出すかも知れないという件に付いては、昨年の総選挙の結果が出た時点で予測可能な話ですので、今更慌てても仕方がないと思います。
一日も早く民主党を政権から追い落とす為に出来ることを、地道にコツコツと続けて行くよりないでしょう。
また、天皇陛下は特別な役割を担っておりますので、当然ながら霊界からの強力な支援が働いております。
ですから、霊界の住人が必要と判断すれば、天皇陛下が韓国を訪問される機会が訪れるかも知れませんし、不要であると判断すればあらゆる手段を講じて陛下の韓国訪問を阻止するでしょう。
特に天皇陛下については人智を超えた判断が背後で働いておりますので、表面的な現象に左右されずに本質を慎重に見極めたいところです。
d様
記事【『事実を拡散する』とは?】を投稿しましたので、ご覧下さい。
なお、別途天皇陛下についての回答があると思いますが、もうしばらくお時間を頂きます。
管理人様
アドバイスありがとうございました。
ぜひ参考にさせていただきます。
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